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巻ノ弐百六拾七 反射しろ!遠赤外線を の巻

 例によって例の如く、大作の気まぐれによって反射炉の製造計画が何の脈絡もなく始まってしまった。

 スマホに表示された韮山反射炉の写真を車座になったみんなが首を長くして覗き込む。

 暫しの沈黙の後、まるで一同を代表するかのように自称二十八歳の男が疑問を口にした。


「うぅ~む、これが反射炉と申す物にござりまするか。まるで櫓の如き高さにございますな。何故に斯様な高さが入用となりましょうや?」

「いやいや、山高きが故に貴からず。別に反射炉は高くなきゃいけないって理由はこれっぽっちもないんですよ。って言うか、この高いのは反射炉本体じゃなくて煙突なんですな。まあ、排煙だってかなりの高温でしょうから耐火煉瓦で作らなきゃなりませんが」

「たいかれんが? 其は如何なる物にござりましょうや?」

「斯様な字を書きまする」


 見るに見かねたお園が横から割り込んできた。大作のバックパックからタカラトミーのせんせいを取り出すと達筆な字で書き殴る。


「これはまた面妖な! この白い板切れはいったい如何なる絡繰にござりましょうや?」

「気になるのはそこでござりまするか! 申しわけありませんが脱線禁止でお願いできますかな。暫くの間、反射炉に関係ない話はNGワードと致しましょう。それでですね、反射炉の外側は伊豆石と申す緑色凝灰岩で作られておるそうです。んで、内側の耐火煉瓦は天城山で採れた土で焼いたそうな。早速、採取に取り掛かって下さりませ」

「御意! 誰かある。急ぎ手配り致せ」


 氏規が手短に指示を出すと小姓と思しき少年が足早に去って行った。あいつは本当に意味が分かっているんだろうか。謎は深まるばかりだ。


「反射炉の内部構造はこんな感じですかな。燃焼炉で発生させた高熱を壁や天井で反射して炉床に集中させる仕掛けにございます」

「ふ、ふぅ~ん。だから反射炉って言うのね。やうやう得心が行ったわ。私、炎の熱さが跳ね返せるだなんて夢にも思わなかったわよ」


 メイが真面目腐った顔で頷く。まるで連動しているかのように場に集う一同も揃って頷いた。

 こいつら、いったいどこまで理解しているんだろう。適当に話を合わせられてたら後で困ったことになるかも知れんぞ。ならないかも知らんけど。

 大作は胸中に浮かんでは消える漠然とした不安感を強靭な精神力をもって毅然と無視した。


「熱の正体は遠赤外線なんだから反射できたからって何の不思議も無いだろ? むしろ反射できない方が変だぞ。まあ、本当の意味で反射してるわけじゃないんだけどな。分子にしろ結晶にしろ大抵の物質は原子が一定の規則で構造を作っている。んで、その構造ごとに固有の振動数があるんだな。金属以外の普通の物質は固有振動数が3~30μmくらいだそうな。だから遠赤外放射を当ててやれば分子や結晶が振動するんだ。つまるところ遠赤外線のエネルギーは一旦物質に吸収されて振動エネルギーに変わるってわけだな」

「ふ、ふぅ~ん」

「んで、ここからが本題だからちゃんと聞いててくれよ。遠赤外放射が当たると物質を構成する原子は平衡位置を中心として微小な固有振動を起こす。所謂、熱振動って奴だな。熱振動=物体の温度なんだから遠赤外放射の吸収は物質の温度上昇ってことなんだ。分っかるかなぁ~? 分っかんねぇ~だろぉ~なぁ~」

「あのねえ、大佐。それって火で炙られた物が温まるってだけの話よね? 当たり前すぎて欠伸がでそうよ」


 が~んだな。出鼻を挫かれたぞ。

 メイからの厳しい突っ込みを受けて大作のやる気がみるみる削がれて行く。

 とは言え、こんな中途半端なところで話を打ち切ることもできない。なけなしのやる気に鞭を打って話を続けるのみだ。


「とにもかくにも金属以外の大抵の物質は固有振動数の関係で遠赤外放射を良く吸収するんだ。電気双極子を持つ物質。つまりはプラスとマイナスが離れた物質。所謂、誘電体とか絶縁体って奴は特に良く遠赤外放射を良く吸収する。ちなみに金属は等極性物質だから遠赤外放射を吸収しないぞ。ここ、試験に出るから良く覚えておけよ」

「その試験とやらは如何なる物にござりましょう?」


 またもや二十八歳男が話の腰を折るように茶々を入れてくる。ここはガツンと一発言ってやった方が良いのかなあ。大作はなるべく慎重に言葉を選んで話し掛けた。


「マジレス禁止! そこはスルーして下さりませ。言うまでもありませんが『スルーとは何ぞや』とか言うのも禁止ですぞ」

「ちょっと待ちなさいな、大佐。何でもかんでも禁止すれば良いってものじゃないわ。皆に自由な発言の機会を与えるべきよ。ただし質問がある時は挙手のうえ、許可を得てから発言して頂戴な」


 そこで一旦言葉を区切るとお園は全員の顔をゆっくりと見回した。

 どうやら文句のある奴はいないらしい。暫しの沈黙の後、お園が話を続ける。


「それはそうと反射する炉だから反射炉とは恐れいったわね。正にそのまんまって奴じゃないの。ちなみに英語では何て言うのかしら?」

「どれどれ…… reverberatory furnaceって言うらしいぞ」

「反射式の(かまど)ってことかしら。やっぱりそのまんまじゃないのよ。そうだ! 私たちで何か格好の良い名前を付けちゃいましょうよ。ねえねえ、そうしましょう!」


 突如としてやる気スイッチでも入ったんだろうか。お園がグイグイと詰め寄ってきた。

 別に名前なんてどうでも良いんじゃないのかなあ。大作は思わず口から出掛かった言葉を既のところで飲み込む。


「つまるところ、熱は反射しているんじゃなくて一旦壁面に吸収された後に輻射熱として放出されてるのよねえ? だったら輻射熱炉なんてどうかしら? 英語表記はradiant heat reactorよ。あえてfurnaceじゃなくてreactorって言うところがポイントね。何だかとってもおどろおどろしく聞こえるんじゃない?」

「いや、それはどうかなあ…… 韮山の輻射熱炉ってあんまり語呂が良くないぞ。って言うか、この時代のヨーロッパでは既に反射炉なんかより遥かに効率の良い転炉(convertor)が大量に稼働しているんだっけ。だったらいっそ転炉を作ってみてはどうじゃろう? 韮山転炉の方がずっとずっと語呂が良いと思うんだけどなあ」


 ぶっちゃけ名前なんてどうでも構わん。大作はそんな本音をおくびにも出さないよう気を使いながらも必死に軌道修正を図る。

 お園の方も名前に対する拘りはこれっぽっちも無いらしい。だが、余りに急激な話題の急展開には呆れているようだ。がっくり肩を落とすと小さくため息をついた。


「あのねえ、大佐。だったら今までの反射炉の話は丸っきり時を徒にしただけじゃないのよ。とは言え、それはそれで良いんじゃないかしら。それじゃあ、その転炉(convertor)とやらの絵図面を描くと致しましましょうか。美濃守殿、紙や墨と筆をお貸し頂けますか」

「御意! 誰かある。急ぎ紙や墨と筆を持って参れ。ああ、硯もじゃぞ」


 先程とは別の小姓が足早に走り去る。と思いきや、部屋の隅っこにあった文箱をそのまま持ってきた。

 大作は丁寧に礼を言って受け取ると硯で墨を擦り、筆を手にする。


「燃焼炉に送る空気は熱風炉で予熱した方が熱効率が上がるんでしたっけ。大量の空気を供給するには強力な(ふいご)も必要となりますが…… ここには川がありませんぞ。そうか! それで史実の韮山反射炉は古川に沿って建っていたんだな」

「それってお城の外になるわよ。そんなところに輻射熱炉…… じゃなかった、転炉を作ったら敵はそっちを攻めるんじゃないかしら。お城を攻めてくれないと困ったことになるわよ」

「それならそれでむしろ好都合だろ。別に城に拘らなきゃならん理由なんてこれっぽっちもないんだもん。古川に沿うように防衛ラインを張って戦場をそっちに移そう。ここら辺りがキルゾーンになるかな」


 大作はスマホに表示させた地図を和紙に描き写しながら輻射熱炉…… じゃなかった、転炉

の建設予定地やそれを守るための防衛線を記入して行く。

 後は適当に味方のユニットを配置すれば完成だ。みるみるうちにそれっぽい作戦図ができ上がった。


「しかしまあアレですな、アレ。やっぱ固定要塞は人類の愚かさの記念碑にすぎませんな。みなさまにはこれを機会に機動防御という概念を学んで下さりませ。んじゃ、今日のところはこれでお仕舞いにしましょうか。ちょうど夕餉の支度も整ったようですし」


 廊下から膳を抱えた男たちが現れたのに気付いた大作は慌てて話を終わらせた。

 皆の眼前に良い匂いを漂わせた膳が配られる。今日のメニューは何じゃらほい。

 蓋を取った椀の中に鎮座ましましていた物は…… レバニラ? ニラレバ? そのどちらでもなかった。


「どうやら韮のおひたしみたいね。お味はどうかしら…… 鮮らけし韮だからとっても美味しいわ。長靴一杯食べたいわね」

「御裏方様、『ながぐつ』とは如何なる物にござりましょうや?」

「マジレス禁止って言いましたよね? って言うか、失礼ですけど其処許は何処の何方でしたかな? そう言えば、まだお名前を伺っておりませなんだな」

「そ、某の名をお忘れと申されまするか? 朝比奈右兵衛尉が一子、六郎大夫泰之にござりますぞ。常日頃から六大夫とお呼び頂いておったではござりませぬか」


 とっても悲しそうな顔をした男が恨めしそうに視線を向けてくる。とは言え、今の自己紹介にいったい何の意味があったんだろう。そもそも朝比奈右兵衛尉なんて聞いたこともないし。謎は深まるばかりだ。

 取り敢えずは何とかしてこの場を切り抜けなければならんな。しかも可及的速やかにだ。大作は頭をフル回転させて言葉を選ぶ。


「ろ、六大夫とはこれまた変わったお名前ですなあ。三太夫なら聞いたことあるんですけど。もしかして三太夫の二倍って意味でもあるんでしょうか? 違う? んなこと無い。そりゃそうですな。んで、朝比奈右兵衛尉さんって人は何をしておられるんですか?」

「御本城様、お戯れが過ぎますぞ。朝比奈甚内(泰寄)をお忘れか? 竜千代の陣代も務めておる儂の宿老にござりますぞ」


 御飯を口一杯に頬張った氏規が横から口を挟んでくる。食べながら喋るなんてお行儀が悪いなあ。大作は心の中で苦虫を噛み潰すが決して顔には出さない。


「甚内? 泰寄? 竜千代? 申しわけ次第もござりませぬが誰一人として記憶に残っておりませんぞ。よっぽど印象に薄い人なんでしょうかな」

「た、竜千代は儂の次男にございますぞ。つい先だっても三崎城へ参る折にご挨拶に伺うたではありませぬか」

「あ、あぁ~あ。そう言えばそんなこともありましたっけかな。まあ、そんな些事はどうでも宜しい。今はただ、この韮山名物の韮料理に舌鼓したづつみ…… 舌鼓したつづみを打ちましょう」

「わ、儂の次男は些事にございまするか……」


 相変わらず御飯を口一杯に頬張ったままの氏規が愚痴をこぼしている。だが、誰一人としてそれに関心を払う者はいなかった。




 翌朝早く、一同は韮山城を後にした。城門まで見送りにきてくれた氏規に手厚く礼を言って別れを告げる。

 多比の港までの道案内は自称二十八歳の男、朝比奈六大夫が買って出てくれた。先触れを走らせているので船の手配もしてあるらしい。そればかりか護衛役の供回りの用意までしてくたそうな。

 これはちゃんとお礼をした方が良いかも知れないぞ。大作は懐を探ると一文銭を何枚か取り出す。


「これは僅かだが心ばかりのお礼だ。とっておきたまえ」

「おお、これはこれは。有難き幸せにございます」


 驚いたなあ。こいつ素直に受け取りやがったぞ。もしかしてプライドって物が無いのか? きっと無いのかも知れないなあ。

 人に言われたことにはおとなしく従う。それがこいつの処世術なんだろう。

 まあ、あのパズーだって受け取っていたんだから別に悪くはないんですけどね。大作は考えるのを止めた。


 そんな阿呆なやりとりをしている間にも多比の港が目前に迫ってくる。


「私たちの乗る船っていったいどんな船なのかしら」

「できたら大きい船が良いわねえ。小さいと波で揺れるから嫌だわ」 

「某は小さい船の方が気が休まるかと存じまする」


 一同は期待と不安を胸に抱きながら浜への道を下って行った。


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