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巻ノ弐百六拾六 Let's join us! の巻

 風の向くまま気の向くまま。空に浮かんだ雲のように自由な気持ちで韮山城へとやってきた大作たちは城代である北条氏規の熱烈な歓迎を受けていた。

 それはそうと氏規ってどんな奴だっけかな。会話でボロを出さないように最低限の情報だけは確認しておかなければ。大作はこっそりスマホを取り出すと氏規に関連した資料を漁る。


 このおっちゃんは氏政の弟だから氏直から見れば叔父に当たる人物だ。流石の大作もそれくらいのことは辛うじて覚えていた。

 通称は助五郎。正式の官位ではないが美濃守を名乗っている。

 そのせいで大坂城で秀吉に謁見した時、公家の正装をして居並ぶ大名の前で一人だけ狩衣を着る羽目になったんだとか。

 これってアレだな。結婚式に一番良い服を着てこいって言われてジャージで行くようなものか? そんな目に遭いたくないから大作は剃髪して白装束を着て行ったんだけれど。


 とにもかくにも、対豊臣の難しい交渉を一手に引き受けていた和平派の重鎮だそうな。

 そんな立場の人がこんな最前線の城で十倍の敵を相手に百日も籠城する羽目になっちまうは。まさに人生一寸先は闇。何か知らんけどちょっと可哀想な気がしてきたぞ。大作は柄にもなく同情の念を禁じ得ない。


 だが、そんな大作の気を知ってか知らずか氏規は壊れかけのRadioのように同じ話を繰り返してきた。


「御本城様、この韮山城ならば豊臣の大軍を妨ぐること叶いましょうや?」

「えぇ~っと…… 結論から申し上げれば十分に可能ですな。この城の正面には底なし沼みたいな深田が広がっておりましょう? そこを通れるのは何本かある細道だけ。これって長篠の合戦とほとんど同じ構図ではござりますまいか」

「あのねえ、大佐。ちょっと良いかしら。同じ話を繰り返すっていう例えならば『壊れかけのRadio』じゃなくて『壊れたレコード』って言うのが正しいはずだわ。いったいどんな壊れ方をしたらラジオが同じ話を繰り返すっていうのよ」


 お園がちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべながら話に割って入る。

 気になるのはそこかよ~! 大作は心の中で苦虫を噛み潰すが決して顔には出さない。 


「いやいや、冗談でわざと言い間違えてるんだよ。だからいちいち突っ込まないでくれよん…… と思ったけどそんなこともないか。お園、ナイス突っ込みありがとう」

「どういたしまして。それと、長篠の合戦じゃなくて長篠設楽原の戦いって言うことにしたんじゃなかったかしら」

「そ、そうだったかな? 長篠っていう広い地域の中の設楽原ってところで決戦が行われたとかそんなんじゃなかったっけ? 現に『長篠合戦図屏風』ってのがあるんだから長篠の合戦で通じると思うんだけどなあ」

「まあ、どっちでも良いわ。それで? このお城で豊臣方の兵四万を返り討ちにすることが叶うのかしら。そこのところを教えて頂戴な」


 ど、どっちでも良かったのかよ…… 大作は思わずがっくりと項垂れる。

 だが、やることをやらないと話が先に進みそうもない。なけなしの気力を振り絞ると言葉を紡いだ。


「そ、そうだなあ。史実でも韮山城は豊臣の攻撃を見事に弾き返している。対して我々は史実の五倍以上の兵を用意。射程距離が六倍もあるミニエー銃やテレピン油を使った焼夷兵器を大量に配備。無線機や望遠鏡、エトセトラエトセトラ。よっぽどのことがない限り返り討ちどころか一方的な虐殺になっちまうだろうな。とは言え、それはそれで困ったことになるんだけれど」

「な、何でなの? どうして困ちゃうのかしら。攻めてきた敵を滅ぼすことの何がいけないって言うのよ?」

「あのなあ、お園。俺達の目的を忘れんでくれるかな? なにより大事なのは敵戦力の殲滅なんだ。もし逃げ帰られちゃ元も子もないぞ。初戦で一方的に敵を叩いたら奴らの心が折れちまって小田原征伐がそのまま終わっちゃうかも知れんのだ。そんなことになったらとっても困る。物凄く困っちゃうんだ。だって豊臣勢を一時的に追い返しただけだと達成感が無いんだもん。どうせやるなら徹底的に滅ぼさなきゃ気が済まんだろ? 豊臣方のユニットを全てのプロヴィンスから一掃してやろうじゃないか。んで、そのためにはこっちから出向くより向こうからきてくれた方がずっとずっと楽だろ? ってことで遠路遥々お出で下さった敵は一人残らず殺すか生け捕りにするつもりでやらなきゃならんのだ」

「恐れながら言上仕りまする。敵は二十万を超えると聞き及んでおります。捕らえることが叶うとしても斯様に数多の敵を如何なさるおつもりにござりましょうや?」


 それまで置物のように黙って話を聞いていた二十八歳の男が遠慮がちな顔で口を挟んできた。

 捕虜の処遇だと? そんなこと一ミリたりとも考えていなかったんだけどなあ。大作は内心の動揺を必死に隠しながら余裕の笑みを浮かべる。


「そ、それに関しては第二次大戦中の米軍が参考になりますぞ。連中は捉えた五万ものドイツ兵を武装解除して柵で取り囲んだそうな。そして食料を与えなかったのでございます。哀れなドイツ兵は一人残らず餓死してしまいましたとさ。どっとはらい」

「ちょっと待ちなさいな、大佐。それはいくら何でも余りに非道なんじゃないかしら? ハーグ陸戦規定やジュネーブ条約に違反していると思うんだけど」

「ところがぎっちょん! 米軍はドイツ兵を武装解除しただけで捕虜にはしていなかったんだな。だから捕虜の待遇に関する諸々の義務も負う責任が無い。そういう論法だ。日本軍もバターンでこの手を使えば良かったのになあ」

「あのねえ…… たとえ法的に問題が無くても道義的責任って物があるでしょうに。私、そんな戦争犯罪スレスレの行為に加担する気はありませんからね。そんな鬼畜の所業はお天道様が許しても巫女頭領の私が許すわけにはいかないわ。悪いことは言わないから考え直して頂戴な」


 顰めっ面をしたお園が頬をぷぅ~っと膨らませた。それを人差し指で突っつきながら大作は卑屈な笑みを浮かべる。


「まあまあ、そうカッカしなさんな。怒ると折角の美人が台無しだぞ。とは言え、米軍にやり返すんならともかく豊臣の連中にそこまでやる必要もないような、あるような」

「そんなわけ、あるわけないでしょうに! ないに決まってるわよ!」

「だったら、だったらもう…… 閃いた! 奴隷売買なんてどうよ? この時代、日本からは大量の奴隷が輸出されていたとか、いないとか。秀吉がバテレン追放令を出したのだって本当はそれを防ぎたかったって説があるくらいなんだもん。だったら俺たちはそれを歴史改変しちまおうよ。キリスト教の布教を全面的にバックアップすると同時に豊臣方の捕虜をポルトガルの奴隷商人に適正価格で販売するんだ」


 黙って話を聞いていたお園の顔から急に表情が消える。まるで能面みたいな仏頂面がちょっと怖い。

 しまったぁ~! お園って人買いから逃げてきたんだっけ。やっぱ人身売買とかに対する拒否反応が人一倍強かったりするんだろうか? そんなことないのか? 分からん。さぱ~り分からん。ツルツルのスキンヘッドを撫で回しながら大作は上目遣いでお園の顔色を伺う。

 だが次の瞬間、不意にお園が満面の笑みを浮かべると嬉しそうに口を開いた。


「五万の兵を一人当り銭二貫文で売れば銭十万貫文にもなるわね。もしかして、戦で入用になる金子もそれで賄えるかも知れないわよ。まさに一朝一夕だわ」

「いやいや、それを言うなら一石二鳥だろ」

「ナイス突っ込み、大佐。もちろん戯れよ。分かってて敢えて間違えたんですからね」

「はいはい、お約束お約束。んで、話を戻しても良いかな? えぇ~っと…… 確か豊臣の兵をどうやって迎え討つかっていうお題でしたっけ。敵が小田原征伐その物を諦めないように注意しつつも大損害を与え続ける方法とは如何に? それはぁ~? ジャン! わざと砦を一つ敵にくれてやることでした~!」


 自信満々のドヤ顔をした大作がふんぞり返って顎をしゃくる。だが、居並ぶ一同から返ってきたのは心底から呆れ果てたといった冷たい視線だった。

 暫しの沈黙の後、全員を代表するかのように自称二十八歳の男が遠慮がちに口を開く。


「恐れながら御本城様。敵を迎え討たんと欲するにも関わらず、砦を一つくれてやれとは如何なる意にござりましょうや? 其の本意をお伺いしとうございます」

「それはアレですな、アレ。マンシュタインのバックハンドブロウって聞いたことはございませぬか? 後の先って奴ですよ。あの名将、栗林中将だって硫黄島の戦いでは水際作戦を禁止して敵を五百メートル誘い込むまでは発砲を禁じたそうな。その本意は戦力の無駄な損耗を防ぐことにございます。お陰で五対一という戦力差を引っ繰り返し、死傷者数では米軍の方が多いという奇跡の大戦果を上げることが叶ったんですな」

「だけども仕舞いには硫黄島守備隊は玉砕しちゃたんでしょう? 負けは負けじゃないのよ」

「いやいや、その考えは間違っているぞ。硫黄島守備隊が米海兵隊を追い返す? そんな奇跡みたいなこと、上は参謀本部から下は一兵卒に至るまで誰一人として思ってもいなかったんだ。百パーセント絶対に負けると分かった上で予想外の大健闘を見せたという事例なんだよ。冬戦争のフィンランド軍なんかと同じ構図だな」


 大作は思わず語気を荒げて力説する。だって寡兵をもって大敵と渡り合うというのは男の浪漫なんだもん。

 だが、そんな思いは女性陣には毛ほども通じていないらしい。それまで一言も口を挟まなかったメイが辛抱堪らんといった顔で言葉を発した。


「そうは言うがな、大佐。戦は勝ってこそ華、負けて落ちれば泥なんじゃなかったの? 負けちゃったら何にもならないと思うわよ」

「いやいや、五社英雄監督じゃあるまいし。全然そんなことはないんだぞ。世の中には価値ある負けっていうのもあるんだよ。サッカーなんかで得失点差が並んでたら負けても良いからファールだけは絶対に取られるなって状況があるじゃん? あんな感じっていったらわかるかな?」

「悪いんだけどさぱ~り分からないわ」


 ですよねぇ~! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。追求の手が僅かに緩んだ今がチャンスとばかりに強引に場の流れを奪いに行った。


「要は初めにわざと一つ負けてやることで敵を調子に乗せるってわけさ。ギャンブルでも最初にわざと勝たせてその気にさせてから身ぐるみ剥いじまうなんて良くある話だろ? それと同じことだな。確か豊臣方には四万四千も兵がいるんだったっけ? だったら初手で五千人くらい死んでも勢いは止まらんだろう。そのタイミングで砦を一つくれてやるわけだ。ここで敵は二重の罠に嵌まる。一つはアンカリング効果だ。砦を一つ奪うには五千人くらいの犠牲が必要だって頭に刷り込まれちまう。もう一つはコンコルド効果だな。五千人もの犠牲を払って得た砦だ。絶対に失うわけには行かん。ここで引いたら五千人の死が無駄になるんだもん。これってある意味、何も手に入っていない時よりもよっぽど辛い状況だろ?」

「然れども御本城様。態々、敵に砦をくれてやるとは…… 左様な事をして如何なる利があると申される? 儂にも得心の行くよう詳らかに語ろうては頂けませぬでしょうか」


 眉間に深い皺を寄せた氏規が小首を傾げる。その顔にはさぱ~り分からんと書いてあるかのようだ。

 もういっそのこと、おでこに肉とでも書いてやろうかな。大作は不意に浮かんだ阿呆な考えを頭を振って追い払う。


「いや、あの、その。たった今、申し上げましたよねえ? もしかして言いませんでしたかな? 言ったような気がするんですけど…… まあアレですな、アレ。その砦は端から敵にくれてやるつもりです。なので、こちらからの攻撃に対しては全く防御力を発揮できないような構造にしておくのです。距離や方位角も事前に測量しておけるので敵が何処に陣取ろうと百発百中。正に射撃の的みたいな物ですな。そんな地獄のような砦を死守するため、敵は倒される端から増援を送らねばなりませぬ。入れ食いの吸血ポンプ状態も良いところでしょう?」

「うぅ~む。左様に首尾良く事が運ぶ物にござりましょうか。敵とて阿呆ではござりませぬぞ。数多の足軽の命を無駄に捨てるとは思われませぬ。儂が申すのも妙な話じゃが、この韮山城にそこまでの値打ちがありましょうや? いや、ありますまいて」


 相変わらず厳しい表情をしたままの氏規が首をぐるりと回す。その途端、ボキボキっという異様な音が座敷に響き渡った。

 だ、大丈夫かよ? これをやってそのまま車椅子生活になっちまった人もいるとか、いないとか。

 大作は爺さんの顔色を恐る恐る伺う。幸いなことに今のところ健康上の問題はないようだ。


「ここへきて反語的表現ですか。いや、まあ確かに申される通りかも知れませんな。そうじゃないかも知れませんけど。だったら、だったらもう…… 閃いた! 韮山と言えば反射炉。反射炉と言えば韮山ですよね。違いますかな?」

「は、はんしゃろ? 左様なものじゃろうかのう」

「美濃守殿、反射炉の力は絶対です。反射炉さえあれば良質な鋼が大量生産できましょう。然らば安価で信頼性の高い大砲も鋳造することが叶いまする。確か銅と鉄って倍くらい値段が違うんでしたっけ? とにもかくにも、韮山で建設中の反射炉は間もなく完成する。そんな噂を相州乱破を使って豊臣方に流してやりましょう。反射炉さえ完成してしまえば豊臣は逆立ちしても北条に太刀打ちできない。まるで東西冷戦下のミサイル・ギャップ論の如き嘘っぱちをまことしやかに広めるのです。そうなると豊臣方は韮山を無視することはできなくなる。落とせる見込みもないのに韮山城下へ死体の山を築くことになるでしょう。めでたしめでたし。んじゃ、夕飯までの待ち時間を使って反射炉の設計でもやりましょう。Let’s join us!」


 例に寄って例の如く、何の脈絡もなく反射炉を作るための会議が始まった。と言うか、始まろうとしたのだが……

 その途端、唐突にお園が話に割り込んでくると声を荒げた。


「あのねえ、大佐。Let’sっていうのは『一緒に○○しようよ』っていうお誘いの言葉でしょう? つまりは言っている大佐も入っているのよ。それって自分たちも一緒に『自分たちに加わりましょう』って言ってるわけじゃない。大佐ったら、いつから多重影分身が使えるようになったのかしら」

「いやいや、わざとだよ。わざと言い間違えたんですから! だったらもう『come join us』辺りで良いんじゃね? それだってcomeとjoinの両方が動詞だから文法的には変だろ? まあ、come and join usのandが省かれたんだろうけどさ。それかLet's do together? 要は『やらないか?』って意味さえ通じりゃ何だって良いんじゃね? な? な? な?」


 大作はしどろもどろになりながらも意固地になって言いわけをする。だが、必死になればなるほど嘘っぽさが増すのはなぜなんだろう。返ってきたのは全員からの生暖かい視線だけだった。


 何だかもうどうでも良くなってきたんですけど? そもそも本当に勘違いしていたんだからしょうがないし。

 だいたい、あんなヘンテコ英語を堂々とテレビCMで流していた英会話スクールが悪いんじゃんかよ! 大作の心底からの叫びは誰の耳に届くこともなく風に乗って消えて行った。


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