巻ノ弐百六拾伍 飛べ!空の要塞 の巻
とある冬の日のお昼前、大作たちは北伊豆の田舎道を当てもなく彷徨い歩いていた。
同行するのはお園、サツキ、メイ、ナントカ丸、エトセトラエトセトラ。一行の足取りはまるで糸の切れた風船のように行く当てが定まらない。
「ねえねえ、大佐。それを言うなら『糸の切れた凧』なんじゃないかしら?」
「いやいや、国語辞典とかには出てこないけど用例としては昔からあるみたいだぞ。下村湖人の『次郎物語』にも『糸の切れた風船玉のように』って表現があるんだもん。海野十三の『ふしぎ国探検』にもあるらしいな。ちなみに下村湖人は1955年没、海野十三は1949年没だからどっちも著作権は切れているぞ」
「ふ、ふぅ~ん。そうは言っても戦国時代に風船は無いのよ。だから私は糸の切れた凧の方が分かり易いと思うわ。皆だってそう思うでしょう? ね? ね? ね?」
お園はぐるりと振り返ると一人ひとりの顔を順番に見回す。しかし返ってきたのは『どっちでも良いんじゃね?』といった無関心だけだ。
まあ、当人にとっても本当にどうでも良い話題だったらしい。お園は小さくため息をつくと両の手のひらを肩の高さで広げて首を竦めた。
気を取り直して韮山城の西側を反時計回りにのんびりと歩いて行く。
道々に建ち並んでいるのは土手和田砦、和田島砦、金谷砦、天ヶ岳砦、江川砦、エトセトラエトセトラ。
「見ろ、砦がゴミのようだ! これぞ無駄な公共事業の典型例って奴だな。これってもしかして八ツ場ダムや諫早湾干拓なんかと同じ構図なんじゃね?」
大作は苦虫を噛み潰したように顔を歪めると心底から忌々し気に吐き捨てる。国民から巻き上げた血税をこんな阿呆なことに無駄使いするとは許し難い悪行なんじゃなかろうか。きっと悪徳政治家と癒着した大手ゼネコンが湯水のように税金をつぎ込んで作ったに違いない。会計検査院とかが無いのは辛いなあ。
だが、お園には大作の切なる思いはこれっぽっちも伝わっていないらしい。例に寄って小首を傾げると半笑いを浮かべながら疑問を口にした。
「あのねえ、大佐。言うに事欠いてゴミとは幾ら何でも無礼が過ぎるわよ。それに要塞レベルを10に上げるのだって大事なることじゃなかったかしら?」
「そうは言うがな、お園。あんな曲輪をいくら作ったところでレベル10には程遠いぞ。せいぜいレベル2か3が良いところだな。あんな土木工事に予算を使うくらいなら道路整備や治水対策に費やした方が遥かにマシだと思うんだけどなあ。そもそも韮山という拠点に戦略的重要性なんてこれっぽっちも無いじゃんか。史実でも韮山城に立て籠もった三千六百は完全に遊兵になっちまったんだもん」
「そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど」
そんな阿呆な話をしながらも金谷砦を通り過ぎて歩いて行くと目の前に山々が迫ってきた。前方の谷間には頑丈そうな柵が何重にも並んでいて通れそうもない。
「これってやっぱ勝手に乗り越えたら怒られるんだろな。もしかして、折角ここまで歩いてきたのに退き返すしかないのか? ぐるっと一周するつもりだったんだけどなあ」
「きちんとお願いすれば通して頂けるんじゃないかしら。なんてったって大佐は御本城様なんですもの」
「いやいや、権力を振りかざして規則を捻じ曲げるなんて格好が悪いぞ。ここは潔くルールに従っておこうよ。それほど大した距離でもないんだしさ」
「えぇ~っ! ようやくこんなところまできたっていうのに引き返すですって? そんなの阿呆みたいじゃないの。なんだったら私が御裏方様としてお願いしてあげても良いわよ?」
どういうわけだか知らんがお園は道を戻るのがお嫌なようだ。それにしても随分と上から目線で恩着せがましい言い方だなあ。大作はちょっとカチンときたが決して顔には出さない。
って言うか、これって決して譲ることのできない重大なキーポイントなんじゃなかろうか。いや、別にどうでも良いのか? 分からん。さぱ~り分からん。
言語明瞭、意味不明瞭な押し問答を大作とお園が繰り広げていると突如として背後から声が掛かった。
「申し申し、其処なお方。恐れながらお伺い奉りまする。もしや御本城様と御裏方様にござりますまいか?」
「うわぁ! びっくりしたなあ、もう……」
大作は思わず上げかけた小さな悲鳴を必死に飲み込む。慌てて後ろを振り向いてみれば見覚えのない男がこちらの顔色を遠慮がちに伺っていた。
年の頃は十代から二十代、もしくは三十代から四十代、または五十代以上の人物。日本人、あるいは外国人の男性、もしくは女性……
「あのねえ、大佐。悪いんだけど、もうちょっとで良いから忠実忠実しくやって頂戴な」
「いやいや、ほんの少しばかりふざけただけじゃんかよ。えぇ~っと、年の頃なら三十前後? 見た感じでは日本人の男性みたいだな」
「歳と申されましたかな? 某の歳ならば二十八にございます。して、お坊様は御本城様にござりましょうや?」
が~んだな。またしても答えを返すまで同じ質問を繰り返すNPCのご登場かよ。大作は心の中で舌打ちするが決して顔には出さない。お得意の卑屈な笑みを浮かべると上目遣いで顔色を伺った。
「私は生須賀大佐だ。ロボットにより通信回路が破壊された。緊急事態につき私が臨時に指揮を執る」
「は、はぁ? 御本城様に非ずと申されまするか? 然れども……」
「君も男なら聞き分けたまえ! ちなみに此方の巫女はお園と申します。以後お見知りおきのほどを。然らば是にて御免!」
言うが早いか大作は素早く踵を返すと脱兎の如く逃げ出そうと…… しかしまわりこまれてしまった!
「お待ち下さりませ、お坊様。いや、お坊様こそ御本城様に違いござりますまい。お戯れは程々になされませ。韮山のお城では馳走の支度も整うておりまする。美濃守様も首を長うしてお待ちにござりますれば、早う御出まし下さりませ」
「く、首が長いですと? ミャンマーのカレン族みたいに? ちなみにキリンの首がとっても長いのはご存知ですかな? だけど、あんなに長いにも関わらずキリンの頸椎は人間と同じ七個しかないんですよ。そんなんで日常生活に支障がないのかなってお思いでしょうか? ところがぎっちょん! キリンの第一胸椎は人間と違って大きく可動するから首の可動域が五十センチくらいあるんだそうな。だから高い木の上の葉っぱを食べたかと思えば地面に溜まった水も飲める。その理由は良く動く第一胸椎のお陰だったわけですな。どっとはらい」
「ふぅ~ん。だけども大佐、キリンの首はどうしてそんな風になっているのかしら。私、その故の方がよっぽど気になるんだけれど。小さなことが気になってしまう。私の悪い癖なのよ」
挑発的な半笑いを浮かべたお園は値踏みするように大作の表情を伺っている。その瞳の奥に込められた感情は人を馬鹿にしているような、していないような。
これは引くに引けない展開だぞ。大作は無い知恵を振り絞って無駄薀蓄を捻り出した。
「それはアレだな、アレ。生物学の世界では長い間、後天的に獲得した形質は遺伝しないという考え方が支配的だった。ところが近年、その通説を揺るがすような事例がいくつも発見されている。例えば…… 例えば高カロリーの食事ばかり取らされた肥満ラットから生まれた子ラットは普通の食事しか与えられていないのに糖尿病になっちまったって報告があるんだな。こんな風に親の生育環境が子供に変化を与えるという可能性が真剣に研究されているんだ」
「だ~か~らぁ~~~! 私はその故を知りたっていってるのよ! さっさと故を教えて頂戴な!」
「どうどう、気を平らかにしてくれよん。怒ると折角の美人が台無しだぞ。残念なことに、どういったメカニズムで獲得形質が遺伝するのかという確証はいまだ得られていないんだ。だけども線虫を使った研究でこんな結果が得られたらしい。親世代が成虫になるまで低容量のストレスを与え続けるとストレス耐性が上昇する。そしてその耐性上昇がストレスなしで育てた子や孫の世代へと引き継がれるんだそうな。しかも、雄の親だけにストレスを加えた時にも子供へとストレス耐性が遺伝されるんだ。これって核内のエピジェネティック変化が獲得形質の遺伝に密接に関係しているという関わっているという有力な示唆なんじゃね?」
「そ、そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど」
これ以上の議論は無駄だとようやく理解してくれたんだろうか。ようやくお園が追求の手を緩めてくれた。
そんな阿呆な話をしている間にも気が付くと自称二十八歳の男は姿が見えなくなっている。
もしかして危機は去ったのか? いやいや、安心するのはまだ早いぞ。あの手の手合いは一匹見かけたら三十匹いると覚悟しておかねば。
大作はスマホを取り出すと消費した無駄薀蓄のストックを慌てて再装填する。無論、その間も周囲への警戒を怠ることはない。なにせ人間という奴は再装填中の硬直時間が最も無防備になると相場が決まっているのだ。
だが、悪い予感というものは得てして良く当たる物だ。次の瞬間、柵の端っこにある門から先程の男がひょっこり姿を表した。しかもその背後には物凄い数の人たちが連なっている。
萌葱色の素襖を着た初老の男、豪華な打ち掛けを羽織った妙齢の女性、藍色に染められた筒袖の短着と股引を履いた足軽風の男が大勢、エトセトラエトセトラ。
こいつら時代祭りか何かと勘違いしてるんじゃなかろうな。阿呆な想像をした大作は思わずほくそ笑む。
お園が大作の僧衣を引っ張りながら呟くように囁いた。
「ねえねえ、大佐。さっきのお方がいらっしゃるわよ。そう言えば韮山のお城で馳走の支度が整っているとか申されていたわね。それに、あのお年を召されたお方は美濃守様じゃないかしら」
「美濃守? それって誰だっけ? 肥後守なら良く知ってるんだけどなあ」
「あのねえ、大佐。阿呆も休み休みにしなさいな。助五郎様のことよ。北条氏規様だったわね。今川の人質になっていた家康と家がお隣だったとか言ってたのは大佐でしょうに。思い出して頂戴な」
「あぁ~あ、思い出してきたぞ! 何遍も何遍も朝飯を食いにきた奴だろ。あの野郎、俺の座敷を定食屋か何かと勘違いしてるんじゃなかろうな? 確か豊臣との外交を一手に引き受けている穏健派なんだっけ。それにしても何であのおっさんが韮山なんかにいるんじゃろ…… そうか、思い出したぁ~! あいつ、韮山城主なんだった」
大作は無邪気に大はしゃぎする。対照的にお園はがっくりと肩を落とすとそれっきり静かになってしまった。
そんなこんなで簡単な挨拶の後、一同は韮山の本城へと案内される。
かなり年季の入った小さな城は小田原城に比べて二周りほど手狭な感じだ。他の砦は知らんけどこんなんで二万もの兵を籠城させられるんだろうか。大作は漠然とした不安に苛まれてしょうがない。
そんな大作の気持ちを知ってか知らずか、氏規が顔色を伺うように近付くと声を掛けてきた。
「後本城様、斯様に遠き所にまで態々お出で頂き恐悦至極に存じます。この城の造りは如何にござりましょう? 豊臣の大軍を妨ぐること叶いましょうや?」
「さ、さあ…… 如何な物でしょうなあ。よく世間では『固定要塞は人類の愚かさの記念碑だ』などと申されますが話半分くらいに聞いておいた方が宜しいかもしれませんぞ。史実でもこの韮山城は十倍以上の敵を散々に打ち負かしておりますからな。そして今回の我々は二万の兵で迎え撃たんとしております。叔父上にはこの意味がお分かりになりましょうか?」
大作は意味深な笑みを浮かべながら上目遣いで氏規の顔色を伺う。
だが、口を開きかけた氏規を遮るようにお園が話に割って入ってきた。
「あのねえ、大佐。固定要塞である故は何かあるんでしょうか? 移動要塞じゃ駄目なのかしら?」
「えぇ~っ! その発想はなかったな。だけど、あの手の要塞は敵のラスボスだって相場が決まってるんじゃね? デス・スターとかアンドアジェネシスとかいろいろあるけど大抵は盛大に吹っ飛ばされてお仕舞いなんだもん。それにコスパがとっても悪そうだしさ。考え直した方が良いと思うんだけどなあ」
「固定要塞は愚かさの記念碑。移動要塞もコスパが悪い。だったらどうしろって言うのよ? 何要塞なら良いって言うのかしら? 反論するなら対案を出して頂戴な? さあさあ! 早く出しなさいな!」
例によって例の如く鼻息を荒くしたお園がグイグイと詰め寄ってくる。もしかしてこいつ、ちょっとカルシウムとかが足りていないんじゃね?
大作は真面目に考えるのが急に阿呆らしくなってきた。まあ、最初からこれっぽっちも真面目になんて考えてはいなかったんだけれども。
とは言え、ここで引き下がっては負けを認めたみたいで嫌だなあ。何でも良いから適当なことを言って誤魔化さなきゃならんぞ。
ポク、ポク、ポク、チ~ン。閃いた!
「それならうってつけの奴がいるぞ。それはぁ~~~? ジャン! 空飛ぶ要塞ことB-17でした。ドイツの都市や工場を尽く灰燼に帰した疫病神みたいな奴だな。まあ、真に恐れるべくは四発重爆を一万二千機以上も生産したアメリカの工業力なんだけどさ。他にもB-24を一万八千機、B-29も四千機作ってるし。双発だけどB-25だって一万機も作ってるんだ。だからもし仮に日本に富嶽が四百機作れたとしても勝ち目なんてこれっぽっちも無かったんだろうなあ」
「何とも口惜しい限りねえ」
心底から忌々し気な顔でメイが唸るように相槌を打つ。だけど本当に意味が分かって言ってるんだろうか。何とも疑わしい限りだ。
「御本城様、びいじゅうななとは如何なる物にござりましょうや。御本城様?」
話に加わろうと必死の形相をした氏規が声を上げる。だが、その言葉は誰の耳にも届いてはいなかった。




