巻ノ弐百六拾参 レバニラとニラレバ の巻
大作と愉快な仲間たちは松田康長から与えられた重要ミッションをどうにかこうにか無事にクリアすることができた。山中城を逃げるように後にした一行はくねくねと曲がった細くて険しい山道をのんびりと下って行く。東の空を見やれば太陽はすでにかなりの高さに昇っていた。
「アレ? 何で太陽があっちにあるんだろな? 南ってこっちじゃなかったような気がするんだけど」
「どうやら私たち西に向かっているみたいよ。このままだと小田原には帰れないんじゃないかしら」
「かしらって言われてもなあ。だからといって、いまさら山中城にも戻り辛いぞ。どんな顔して松田殿や間宮殿に会えば良いんだよ?」
「前みたいにお坊様と巫女にでも化けて素通りすれば良いんじゃないの? 二人なら容易いことでしょう」
まるで他人事だとでも言わんばかりにメイが吐き捨てる。まあ、本当に他人事なんだけれども。
「そりゃあお園はその格好で行けるかも知れんけどさあ。俺はいま着てる僧衣しか持っていないんだぞ。いくらなんでも同じ格好で通ったらすぐにバレちゃうんじゃね? かと言ってリバーシブルになってるわけでもないし。うぅ~ん、どうしたもんじゃろなぁ~」
「然れば此のまま西に向こうては如何にござりましょう。あと二里ほども歩けば山を降りることが叶いまする。其処からは南へと向きを変え、もう二里も歩けば韮山にございますぞ。今宵は其処に泊めて頂くのが宜しゅうござりましょう」
聞かれてもいないというのにナントカ丸が話に割り込むと得意気な顔で根拠の無い楽観論をまくし立てる。
こんな話、当てにしても良いものなんだろうか。とは言え、箱根の山を歩かなくて済むというのは魅力的だ。だったらこのプランに乗っかっちまおうか。万一失敗した場合はナントカ丸に詰腹を切らせれば済む話だし。
大作は素早く考えを纏めると、さも頭を使っているような顔をしながら話し始めた。
「うぅ~ん、それもそうだなあ。せっかくこんなところまできたんだ。ついでに沼津を偵察したり韮山城を見学しておくのも悪くはないかも知れんな。次にこれるのは何時になるか分からんのだし。だけども帰り道はどうすれバインダ~?」
「多比の港にでも出れば小田原に向かう船が幾らでもおりましょう。其れに乗せて頂くのが宜しいかと存じまする。御本城様の頼みとあらば断る者などおりますまいて」
またもやナントカ丸が他人事みたいに気楽に言ってのける。この意味不明な自信は一体どこから湧いてくるんだろう。他人事とはいえ、大作としては心配で心配でしょうがない。まあ、完全に他人事なんだけれども。
「んじゃ、その案に乗っかるとするか。韮山城では美味い夕餉が食べられたら良いなあ。韮山だけにレバ韮炒めとか出てくるかも知れんぞ」
「ればにらいため? それって美味しいの?」
「匂いや味にかなり癖があるから苦手な人も多いけどポピュラーな大衆料理なんじゃね? 問題はこの時代に存在するかどうかだけどな。まあ、中華料理なんだから絶対に無いとは言えんだろ?」
「ふぅ~ん。まあ、当てにしないでおくわね」
「ちなみに本来はニラレバが正しいらしいぞ。レバニラっていう言い方を広めたのは他ならぬ天才バカボンなんだとさ。いやいや、厳密に言うとバカボンのパパだな。バカボンってのは子供の方なんだもん。ところでハジメちゃんはどうして次男なのにハジメっていうか知ってたか? 凄い難産だったからママが『一番になるように』って意味で『一』と書いてハジメって名前にしたんだとさ。そう言えば話は変わるけどあのイチローだってお兄さんがいるのに……」
そんな阿呆な話で盛り上がりながらも一同は長い長い山道を下っていく。たっぷり二時間は歩いたころ、ようやく道が平坦になった。
「取り敢えずは西を目指してみようか。まずは徳川との軍事境界線を威力偵察だな」
「もうじき徳川とも戦になるんでしょう? そんなところに行って危なくはないのかしら」
「取り敢えずは伊豆國一之宮の三嶋大社を参拝にきた観光客って体で行動しておけば問題ないんじゃね? あのプロシアの諜報機関だって普仏戦争の前には観光客を装ってフランスを偵察していたらしいぞ。とにもかくにも現時点で徳川から積極的な軍事攻撃があるとは考えられん。って言うか、あったら困るじゃん。だったら、なかったら良いなあって思っておこうよ」
「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」
まともに相手をするのが阿呆らしいと思ったんだろう。お園は小さくため息をつくと急に興味を失ったように話を終わらせた。
東海道から右に外れて大場川に沿って北西に暫く進む。やがて僅かに盛り上がった台地に河原ヶ谷城が見えてきた。見えてきたはずなのだが…… 何も見えてこなかった!
「おっかしいなぁ~ この辺りに城があるはずなんだけどなあ。延徳三年(1491)に伊勢宗瑞(北条早雲)が高橋兼遠の守る河原ヶ谷城ってのを攻め落としたはずなんだ」
「それって百年近くも昔の話よねえ。もうとっくに無くなっちゃったんじゃないかしら」
「そうかも知れんな。っていうかそうとしか考えられんか。お引越ししたとは考え難いし。前にも言ったと思うけど平成二十七年度から固定資産税が最大で六分の一、都市計画税が最大三分の一に減額される住宅用地の特例が特定空き家等には適用されなくなったんだ。農地にすれば課税評価額は低くなるけど耕作放棄地に認定されると一気に高くなっちまうしなあ。そもそもここって市街化調整区域なのか? それを先に確認しないと……」
「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。それはいま考えなくても良いことでしょう?」
「そ、そういやそうだな。今日やらなくても良いことは明日に回そう。豊臣との戦が終わってから決めれば良いことだもん。んじゃ、次に行ってみようか」
一同が西に向かって進むと眼前にそれほど大きくもない川が現れた。地図で確認するとどうやら大場川らしい。川岸には小さな渡し船が一艘浮かんでいて年配の男が一人で暇そうにしている。
「船頭殿、良い日和にございますな」
「いやいや、お坊様。じっとしておると些か寒うございますぞ」
「でしたらちょっと運動してみては如何でしょうかな。体が温まりまするぞ。我らを向こう岸まで運んで頂きとう存じまする」
「おお、其れはお安いご用で。ささ、巫女さんも其処な女性もお乗りなされませ。舟がでるぞぉ~~~!」
おっちゃんは大声で宣言すると竿で川底を突いて舟を緊急発進させた。
大作も心の中で『両舷全速!』と絶叫する。この、アニメや外画の吹き替えなどで偶に良く耳にする両舷全速という不思議な単語。実は海自や旧海軍、民間船舶の何処に行っても使われていないんだそうな。フィクションの世界にのみ存在する謎用語なのだ。
それほど幅が広くない大場川を小さな渡し船はあっという間に渡り切る。陸に上がった大作は船頭のおっちゃんに振り返ると顎をしゃくった。
「これは僅かだが心ばかりのお礼だ、とっておきたまえ」
「いやいや、お坊様から斯様な物を頂くわけには参りませぬ」
「君も男なら聞き分けたまえ !」
「ちょっと大佐。いまの言葉は聞き捨てならないわ。まさか女性蔑視じゃあないんでしょうね? 事と次第によっては仲裁委員会で証言して貰うことになるわよ!」
突如としてお園が声を荒げた。その瞳は烈火の如く攻撃色に染まっている。背後では仁王立ちして腕組みしたサツキとメイも禿同といった顔で深々と頷く。
一人ひとりは女でも、女三人寄れば姦しい。姦しくなった女は無敵だ!
ここは涙を飲んで無条件降伏が吉だな。大作は素直に引き下がることにした。
「いやいやいや、たかがお約束の名セリフを言っただけじゃんかよ。この言葉には男女差別の意図なんてこれっぽっちも無いんだ。女なら女で『君も女なら聞き分けたまえ !』って言えば済むだけの話だしさ。これは差別じゃなくて区別なんだ。無理に男女の区別を無くすことより互いに相手を認め合い、尊重しあってだなあ……」
そんな阿呆な話をしながら東へ進んで行くと伊豆國一之宮の三嶋大社が見えてきた。
「せっかくここまできたんだ。ついでにちょっくら足を伸ばして参拝して行こうよ」
「えぇ~っ! 私たち威力偵察中なんでしょう? 遊びにきてるわけじゃないのよ」
「いやいや、三嶋大社を参拝にきた観光客というのは世を忍ぶ仮の姿だよ。いかにも作戦行動中って顔で歩き回るよりかは参拝客って体で行動した方が目立たないだろ?」
「普仏戦争の前にプロシアの諜報機関が観光客を装ってフランスを偵察していたんだったわね。私、プロシアのことは良く分からないけど、取り敢えず今日のところは大佐の言うとおりにしてみましょうか」
不承不承といった顔のお園を宥め賺しながら参道と思しき大通りを歩いて行く。随分と立派な鳥居を潜り、金木犀の香りが漂う巨木の脇を進むと妙に真新しい本殿が現れた。
一同は手水鉢で手を洗って口を濯ぐ。勿論、左手が先…… いや、右手だっけ? どっちだったかなあ。例に寄って大作は捨てられた子犬のような目でお園の顔色を伺う。
「左手を先に洗うのよ。それから右手。その後で左手に水を受けて口を清めるの。もう一遍、左手を洗ったらお仕舞いに柄杓を立てて柄を洗うのよ。さあ、やってみなさいな」
何だか随分と上から目線の指導を受けた大作はちょっとムカつきながらも黙ってそれに従う。
一同は手早く戦勝祈願を済ませると適当に当てもなく境内をぶらついた。
「この神社の維持管理には北条も大きく関わっていたらしいな。特に永禄十一年(1568)に甲相駿三国同盟が解消して以降は武田に何度も何度も焼かれちまったんだとさ。本当に武田の連中は碌なことせんよなあ。あれでよくも信長のことを仏敵とか言えたもんだ。奴らの方こそよっぽど罰当たりじゃんかよ」
「私も武田は殺しても飽き足りないくらい憎いわ。だけども氏直の母御前は武田晴信の娘、黄梅院だったんでしょう?」
「そんなの俺の知ったことかよ。それにこの時代は身内同士での殺し合いなんて日常茶飯事だしな。信玄だって父親を追放したり息子を自害させたりしてるんだぞ。そのせいで呆気なく滅んじまったんだからお笑いぐさだろ? ちなみに武田家残党の中には徳川に再就職した奴も大勢いるらしいな。次の戦では見掛けたら片っ端から皆殺しにして根絶やしにしてやろう。米軍がナチ武装親衛隊を捕虜にせずその場で処刑したみたいにさ。武装親衛隊は国防軍じゃなくてヒトラー総統の私兵だって理屈なんだとさ」
「早くその日がこないかしら。私、気が急いてしょうがないわ」
そんな物騒な話をしながら境内を歩いて行くと社務所みたいなところに辿り着く。
建物には誰もおらずカウンターみたいなところには文字がびっしりと並んだ相撲の番付表みたいな紙切れが置かれていた。
「これってもしかして三島暦じゃないかしら。三嶋大社の暦師、河合家っていうお方が頒布しているって聞いたことあるわよ」
「保食神社で見せて貰った京暦とはちょっと違な。読める! 読めるぞ! そうか、仮名で書いてあるから俺にも読めるんだな」
「大佐も早く漢字が読めるようになると良いわねえ」
「いやいや、俺だって本気を出せば漢字くらい読めるんだぞ。へんてこな崩し字が読めないだけだよ。それと旧字体も読めないけどな。あと歴史的仮名遣い? あれもちょっと苦手かも知れんれどさ。でもその他の大体は読めるんだ。分かるか? 0と1は全く違う。途轍もなく大きな隔たりがあるんだぞ」
「はいはい、大佐は漢字が読めるのねえ。本に読めて良かったわ」
半笑いを浮かべたお園が大作のスキンヘッドを撫で回す。何だか知らんけど馬鹿にされているような、いないような。だが、本当のことなので何も言い返せない。
それはそうと、いつまで待っても人が現れないなあ。だんだん焦れてきた大作は勝手に三島暦を観察する。と言うか、手に取って確かめる。どうやら三島暦にも二種類あるらしい。一つは十六ページある綴り暦。もう一つは一枚物のポスターみたいなタイプだ。
「これって幾らくらいするのかしら? 何処にも値が書いていないわねえ」
メイが小首を傾げながらぽつりと漏らす。確かにどこを見ても価格表示が見当たらないようだ。だからといって銭十文(税別)とか書いてあってもびっくりなんだけれども。
「そう言えばそうだな。もしかして売り物じゃないのかも知れんぞ。ちなみに幕末の慶応四年には綴り暦が銭百五十文、一枚物は銭十五文で売られていたって書いてあるな」
「こんな紙切れが銭百五十文ですって! どうしてそんな阿呆みたいに高いのかしら? それだけあればお米が一斗は買えるわよ。一月くらいは十分に食べて行ける筈だわ」
「いやいや、今とは貨幣価値が違うんだよ。幕末に酷いインフレがあったんだ。現在の…… じゃなかった。戦国時代の価値に直せば綴り暦が銭二十文、一枚物は銭二文ってところかな。そう考えればそこまで高くはないんじゃね? とは言え、値段が書いていないと幾ら払ったら良いのか分からんよなあ。だからって黙って持ってくわけにも行かんし。しょうがない、デジカメで写させてもらおう」
大作は懐からスマホを取り出すと三島暦をカメラで撮影し始める。途端にお園が慌てたように声を上げた。
「ねえねえ、大佐。それってデジタル万引きじゃないのかしら?」
「ちょ、おまっ! 人聞きの悪いこと言わんでくれよ。マナー的な問題はあるけれど、この行為自体は窃盗罪や著作権法違反には該当しないんだぞ。それどころか撮影した画像を勝手に複製しても私的複製(著作権法第三十条)の範囲なら違法にはならないんだ。ただし、その画像を不特定多数が閲覧できるようにしたり商用利用しちまえば私的複製の範囲を超えるから違法になるんだけどな。Wikipediaにそう書いてあるんだから間違いは無いよ。Don't worry!」
「ふ、ふぅ~ん。それを聞いて安堵したわ。もしも北条家の御当主様が万引で捕まるなんてことにでもなったら末代までの恥ですもの。やっぱり頼りになるのはWikipediaよねえ」
「本に『うぃきぺでぃあ』は有難き物にござりまするな。足を向けては眠れませぬぞ」
無理矢理にでも話に加わろうとナントカ丸が強引な相槌を打ってくる。だけどお前、全然意味分かってないだろうが。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さなかった。
「見るべき程の事は見つ。今はただ自害をせん」
「はいはい、さっさとやって下さりませ。後が支えております故」
大作は例に寄って決め台詞を発した。だが、一同はもうすっかり聞き飽きたといった顔をしている。一番の新参者であるナントカ丸ですらぞんざいな相槌を返してくるとは世も末だなあ。このネタはもう封印した方が良いかも知れん。
そんなことを考えながら大場川に沿って南に下って行く。山田川との合流を通り過ぎて暫く進むと対岸に可愛らしい平山城が現れた。地図で確認してみると谷田城という城らしい。
小さいがちゃんとした土塁や堀を備えて城の体裁は整えられているようだ。整えられているようなのだが…… 誰もいないんですけど! 人っ子ひとりいないとは正にこのことだろう。理由は分からないが主を失った城という物は随分と寂しい限りだ。
そのまま進んで行くと再び東海道に合流することができた。緩やかに道が右に曲がり、一同は西へと進路を変える。小一時間ほど歩くと柿田川の手前に小高い丘があり泉頭城が建っていた。
「この城が築かれたのは弘治年間(1555~1558)っていうから北条氏康の時代らしいな。まだ武田と争っていた当時、駿河へ攻め込まれた時に備えて泉頭城、戸倉城、三枚橋城を整備したそうな。んで、甲相駿三国同盟の成立や解消を経て武田に取られたり取り返したりと紆余曲折あったんだ。その武田も滅んじまって泉頭城は再び北条の手に返ってきましたとさ。どっとはらい。とにもかくにも、ここから東に四キロも行けば沼津の三枚橋城だ。正に対徳川の最前線。境目の城って雰囲気を醸し出しているなあ。城を守る兵たちもさぞや緊張感で一杯に、一杯にって…… 誰もおらへんやんかぁ~~~!」
「もしかしてお留守なのかしら? さっきの谷田城といい、この辺りのお城ってどうなってるんでしょうねえ」
「お留守ってレベルじゃないだろ、これは。はっ! これってもしかして空城の計なのか? 実はみんなしてどっかに隠れてたりしてさ。サプラ~イズ! とか言いながら飛び出してきたりしないのかなあ」
大作はそんな阿呆みたいな希望的観測に縋ってみる。縋ってみたのだが…… 待てど暮せど誰も出てきたりしないんですけどぉ~! 大作はがっくりと肩を落す。一同は揃って大きなため息をつくと南に向きを変えて歩き出した。
川に沿って一キロほど南下すると大きく蛇行した狩野川の向こう側に小高い丘があり、天辺に戸倉城が建っていた。
「それでも戸倉城なら…… 戸倉城ならきっと何とかしてくれる!」
大作は何となく三段オチになりそうな予感がしてたまらない。そうなった時のリアクションはどうしようかな。そんなことを考えながらも適当に話し始める。
「天正七年(1579)に武田と北条の同盟が解消し、武田の駿河国侵攻が始まると戸倉城は北条の重要拠点となったそうな。天正八年(1580)には三枚橋城を拠点に勝頼が戸倉城を攻めてきたんだと。ところが狩野川に三方を囲まれた守り堅固な山城だから容易には落ちない。そこで三枚橋城主の曾根昌長とかいう奴が調略を仕掛けてきた。んで、天正九年(1581)に城主の笠原政晴が武田氏に寝返って戸倉城は武田に取られちまったとさ。めでたしめでたし」
「ちっともめでたくないわよ! 戦わずに盗られちゃうなんて口惜しい限りだわ」
「この笠原政晴って輩はとんでもない奴なんだぞ。例の裏切り爺さん、松田憲秀の子で笠原康勝の養子なんだけど、寝返ってすぐに手白山合戦で義弟(康勝の実子)の笠原照重を殺しちゃったそうな。ところが翌年、織田が武田を滅ぼすと戸倉城も北条が取り返す。政晴もあえなく失業だ。雇用保険なんて無い時代だから政晴は失業手当も貰えず苦労したんだろうな。父の松田憲秀に取り成してもらって北条に帰参できたらしい。剃髪して正巌と号したんだとさ。そこで大人しくしておけば良いのに来年の小田原征伐ではまたもや父の松田憲秀と組んで裏切りを企てる。んで、バレて殺されちまうってわけだ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべると大作は親指を立てて自分の首を切るジェスチャーをする。お園も負けずと肩の高さで両の手のひらを掲げた。
「何だか知らないけど阿呆みたいなお話ねえ。いったいそのお方は何がしたかったのかしら?」
「さあなあ? 小人閑居して不善をなし、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らずんば虎児を得ず。とにもかくにも、ここから西に一里も行けば沼津の三枚橋城だ。さっきの泉頭城と違ってこっちこそ本当の本当に最前線の城だぞ。城を守る兵たちもさぞや緊張感で一杯に、一杯にって…… 誰もおらへんやんかぁ~~~!」
「ここもお留守みたいね。谷田城といい泉頭城といい北条のお城はこんなんで大事ないのかしら。わけが分からないわ」
「いやいや、物事には必ず原因があるはずなんだよ。どんなに不可解に見えようとも、その背後には何らかの原因が隠れている。それさえ分かれば解決策も見えてくるんだ」
いよいよ三段オチを決めるタイミングだな。大作は勿体ぶった仕草でスマホ画面に目を見やると芝居がかった調子で読み上げた。
「なになに。小田原征伐に際して城は破棄され、兵は韮山城や山中城へと退いた…… な、なんだってぇ~~~!」
魂を振り絞るような大作の絶叫が誰もいない戸倉城に響き渡る。一同は揃って『ヒトラー最後の十二日間』の名場面のように悲しそうな顔で俯いた。




