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巻ノ弐百伍拾参 探せ!Pussy cat の巻

 氏政を招いた小田原城本丸での夕餉は宴もたけなわのうちに終わりを迎えようとしていた。

 だが、折角の宴の場に空気を読まない無粋な割り込みが入ってくる。騒々しい呼び鈴の音に急かされて伝声管へと呼びかけてみれば返ってきたのは小姓の秀丸の声だった。


「御馬廻衆が筆頭、山角上野介様が火急の用とのことで御本城様にお目通りを願い出ておられます。如何致しましょうや?」

「馬鹿めと言ってやれ……」

「はぁ?」

「馬鹿めだ!」

「違うでしょう、大佐! 回想を捏造しないで頂戴な!」


 お園から激しい突っ込みを受けた大作の意識が妄想世界から現実へと一気に引き戻される。


「え? なんだって、お園?」

「山角上野介様が小田城攻めのことでお伺いしたいんですってよ」

「アッ~! 思い出したぞ。女子挺身隊と国防婦人会に頼んだのに御馬廻衆をキャンセルするのを忘れてたんだっけ。これって所謂、ダブルブッキングってやつだよな」

「ダブルクッキング? ダブルは分かるけどクッキングってお料理のことでしょう? 何か美味しい物でも作るのかしら。じゅるる~」


 目をキラキラさせたお園が涎を拭う仕草をする。もう完全にこの芸風が定着してしまったようだ。まあ、本人が納得しているんなら周りがとやかく言うことでもないんだけれど。とは言え、誤りは訂正せねばならん。可及的速やかにだ。


「クッキングじゃなくてブッキングだよ。ブックってのは本のことだって知ってるよな? んで、ブッキングって言うのは記帳ってことなんだ。だから二重に予約しちゃうことをダブルブッキングって……」

「はいはい、分かりましたよ。食べ物のことじゃないんならどうでも良いわ。それで? 山角上野介様はどうするのよ。何とかしてキャンセル料を払わずに済ませる良い考えはないのかしらねえ」

「うぅ~ん…… 消費者契約法九条一号には『当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超えるもの』は無効であるって書いてあるんだ。そもそも消費者保護の観点から消費者に一方的に不利な契約条項は無効になるんだもん。要は御馬廻衆が小田城攻めの支度をどの程度まで進めていたかってことが重要になってくるっぽいな」


 大作はスマホをチラ見しながら分かったような分からんような話で煙に巻こうとする。だが、お園はそんな適当な説明で誤魔化せるようなチャチな相手ではなかったらしい。眉根を寄せながら小首を傾げて呟いた。


「そうは言っても小田城攻めって一月半も先のことなんでしょう? どれほど支度を進めていたからといって、取り止めにできないなんて筈がないわよ。キャンセル料なんて払わなくて良いんじゃないのかしら」

「そうは言うがな、お園。今回のケースで発生する損害は…… 機会損失に伴う逸失利益、此度の戦のために仕入れた兵糧の原価、予約のために手配した足軽雑兵の人件費、エトセトラエトセトラ。その金額の妥当性は民事訴訟による判決に決めてもらうしかないな。まあ、話し合いで決められるならその方が良いんだけどさ」

「それはそうでしょうね。それにその民事訴訟っていうのだってタダじゃないんでしょう? どうせ弁護士費用やら交通費やら掛かるでしょうし手間暇だって随分と取られる筈よ。ちゃんと語らって双方が納得できるならばそれに越したことはないわね」

「如何致しましょう、御本城様。山角上野介様をお通ししても宜しゅうござりましょうや? 御本城様?」


 ちょっとイラっとした感じの秀丸の声が伝声管から割り込んでくる。大作は一同の顔を見回しながら軽く頷くと伝声管に口を寄せた。


「すまんすまん、秀丸。随分と待たせたな。こちらへお通ししてくれ。それと人数分のお茶とお菓子を用意してくれるかな~?」

「いいとも~!」


 パタンと蓋を閉じる音が聞こえたのを確認してから大作もそっと蓋を閉じる。電話を切る時のマナーでは受話器をガチャンと置かず、そっと指でフックを押した方が良いとかなんとか。まあ、この場合は相手が先に切っちゃったから関係無いんだけれども。

 大作は座敷に集う一同の顔を見回しながら手早く食器を片付ける。


「さて、今から手強い交渉相手(ネゴシエイター)がやってくるぞ。みんな急いで食器を片付けてくれるかな。んで、藤吉郎とナントカ丸で台所に返してきてくれ。ほのかと未唯は隣の部屋で待機だ。サツキとメイは俺とお園の護衛を頼む。万一、交渉が決裂した時に備えてほしい」

「儂は? 儂は何を致せば良いのじゃ?」

「父上は、父上は…… 藤吉郎やナントカ丸と一緒に台所へ食器を返してきて下さりませ。ついでにお茶とお菓子を運ぶ手伝いもお願い致します」

「心得た! 儂に任せておけ」


 ドヤ顔の氏政が藤吉郎とナントカ丸を引き連れて座敷を出て行く。その姿はまるで犬猿雉を連れた桃太郎を彷彿とさせられる。

 バカどもにはちょうどいい目くらましだ。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。


「さて、どうしたもんじゃろなぁ~? 理想を言えばキャンセル料を払わずに済ませたいところだ。なんせ一月半も先の話なんだもん。とは言え、大戦の直前に御馬廻衆と揉めるのも避けたい。だから一割くらいの負担なら甘受しようかとも思っているんだ。ただし、そこがリミットだぞ。それ以上はびた一文とて払うつもりはない。そんなにキャンセル料を払うくらいなら女子挺身隊と国防婦人会の方をキャンセルした方がよっぽどマシだろ? そもそもの話、小田城攻めの目的はミニエー銃の実戦証明(コンバットプルーフ)なんだからな。だったら御馬廻衆にだってやれんことはないはずだもん」

「どうなのかしらねえ。まあ、お金で済む話ならそれに越したことはないんじゃないかしら。あるかも知らんけど」


 大作とお園がそんな阿呆な話をしていると不意に廊下に人の気配が現れる。慌てて振り返ると見覚えのあるおっちゃんが平伏していた。


「御本城様。本日はご尊顔拝し奉り恐悦至極に存じまする」

「おお、山角殿。よう参られましたな。ささ、どうぞお入り下さりませ。お寒うございましたでしょう? 早う火に当たられるが宜しかろう」

「にゃあ!」

「にゃあ?」


 唐突に聞こえてきた鳴き声の方に目を向けて見れば山角康定の腕の中で猫がジタバタと(むずか)っていた。

 このおっちゃん、何で猫なんか抱いているんだろな? って言うか、この猫って何だか見覚えがあるような、ないような……


「小太郎! 小太郎じゃないかよ!」

「違うわ、大佐。小次郎よ。いい加減、ちゃんと覚えて頂戴な」

「そうそう、小次郎だったっけ。って言うか、そんなのどっちだって良いじゃんかよ。もういっそのこと、こいつの名前を小太郎に変えちまった方が早いんじゃね?」

「それには風間出羽守様のお名前も変えて貰わなきゃならないわよ。今度お会いした折にお願いしてみる?」

「いや、いいや。やっぱ、止めておこう。それより未唯! 未唯さんや! こたろ…… じゃなかった、小次郎が見付かったぞ!」


 突如として大作が大声を上げたので山角康定が目を丸くして驚いている。次の瞬間、隣の部屋との襖が勢いよく開いて未唯が飛び込んできた。


「えぇ~っ! 小次郎ったら、いったい今の今まで何処で何をしていたのよ? 随分と憂いていたんだからね!」

「やはり千姫様の猫にござりましたか。先刻、二ノ丸の門番が見付けし物にございます。隅っこの方で寒そうに震えておったそうですぞ」

「素晴らしい、上野介殿! 貴殿は英雄にあらせられる。大変な功績にございますぞ。バンバンカチカチ、アラ? お礼に猫ちゃんを抱っこさせてあげましょう。心飽くまで抱っこしても宜しゅうございますぞ」

「いやいや、御本城様。過分のお言葉を賜り、恐縮至極に存じます。然れど某は先ほどから此の猫を抱っこして参りました故、もう十分に抱っこさせて頂きました。ささ、千姫様。小太郎? 小次郎でしたかな? 猫ちゃんをお返し致します」


 ドヤ顔の山角康定が恭し気に猫を差し出す。だが、その腕には猫に噛まれたり引っ掻かれたらしき傷痕が痛々しい。


「おやおや、上野介殿。此度は大層とお手間をお掛けしたようですな。これは何かお礼が必要でしょうか。猫ちゃん抱っこ以外で何かお礼できるものと言えば……」


 大作は座敷の中をぐるりと見回す。しかしなにもおもいつかなかった! だが、救いの手は意外な方向から差し伸べられる。大事そうにリュートを抱えたほのかが不敵な笑みを浮かべながら現れたのだ。


「だったら私めが『きよしこの夜』を弾いて差し上げましょうか、大佐?」

「あ、あぁ~っ…… いや、アレはまだ練習中だろ? 早過ぎるんじゃないのかな? 腐ってたら怖いぞ。とは言え、音楽に目を付けたところは偉いな」

「だったら大佐、猫の歌は無いのかしら? ねえねえ、猫の歌! 猫の歌!」

「う、うぅ~ん。そういえば迷子になった子猫の歌があったっけ。作詞の佐藤義美は……  1968年没だと! タッチの差かよ。私もよくよく運のない男だな。って言うか、著作権保護期間七十年って本当の本当に糞な法律じゃんかよ! 考えれば考えるほど腹が立ってきたぞ! うがぁ~!」

「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。喚き散らしたってどうにもならないわよ。世の中に不平があるんなら自を変えなさいな。それが嫌なら耳と目を塞いで口も噤んで独りで暮らせば良いわ。それも嫌なら……」


 お園がドスの効いた声で呟くように語る。一体どこでそんなセリフを覚えてきたんだろう。謎は深まるばかりだ。

 とは言え、今はそんな戯言に関わっている暇はない。可及的速やかに著作権フリーな猫の歌を探さねばならん。絶対にだ!


「えぇ~っと…… これなんかどうじゃろな? 『Pussy Cat, Pussy Cat』って歌なんだけどさ。歌詞はマザーグースだから著作権は問題なさそうだろ?」

「どんな歌なの? 聞いてあげるから歌ってみなさいよ。さあさあ、早く早く! Hurry up! Be quick!」


 大きな瞳をキラキラ輝かせたお園が急かすように詰め寄ってくる。って言うか、何でこんなに上から目線なんだろう。まあ、可愛いから良いんだけれど。

 大作は大きく息を吸い込むと自慢のテノールで歌い始める。




Pussy cat, Pussy cat (Mother Goose Nursery Rhymes)


 Pussy cat, Pussy cat, where have you been?

 I've been to London to see the Queen.

 Pussy cat, Pussy cat, what have you there?

 I frighten'd a little mouse under the chair.




「いつにも増して珍妙な歌ねえ。つまるところその子猫ちゃんはいったい何をしたかったのかしら。それと the Queenっていうのは具体的には何処の何方のことを指しているの?」

「それはね、お園。エリザベス一世のことらしいわよ。ある時、女王の玉座の下に子猫がいたんですって。女王はとってもびっくりしたんだけど狼狽えたら格好悪いから鷹揚な態度で猫を許したんだとかなんとか」


 一瞬の隙を突くかのように突如として萌が無駄蘊蓄で割り込んできた。大切な場所に土足で踏み込まれたような気がした大作は思わずイラっとする。

 だが、ここは強靭な自制心を総動員して抑え込まなければならん。ポーカーフェイスを装いながら主導権を取り戻しに行く。


「話は変わるけど女王(じょおう)のことを『じょうおう』だと思ってる人が多いけど正しくは『じょおう』だって知ってたか?」

「ふ、ふぅ~ん。私、そも女王って言葉を知らなかったわ。だからそんな勘違いをしないで済んで良かった」

「そ、そうなんだ。だったら、だったら…… 十は『じゅう』って読むだろ? んで、十人とか十枚は『じゅうにん』とか『じゅうまい』って読むじゃん。だけど十本とか十回だったら『じゅう』じゃなくて『じゅっ』になって『じゅっぽん』とか『じゅっかい』になるよな? ならないか?」

「なるかも知れないわね。ならんかも知らんけど」


 大作の質問の意図を図りかねているんだろうか。お園は曖昧な笑みを浮かべながら答えをはぐらかす。

 ここは一気に攻めるタイミングだな。大作はなけなしの無駄蘊蓄を総動員して勝負に出た。


「ところがギッチョン! 十って漢字の音読みは『じゅう』と『じっ』しかないんだな。だから文部省もNHKも『じっぽん』とか『じっかい』とか言うようにしてるんだとさ。漢字テストでは気を付けた方が良いぞ」

「はいはい、分かったわ。それはそうとマザーグースって他にも沢山あるのかしら? 著作権フリーな作品は重宝だわ。有難いお話よねえ」

「他の作品? 選り取り見取りだぞ。なんせマザーグースは六百とも千とも言われてるからな。どれどれ……」


 この日、一同は夜遅くまでマザーグースの歌で盛り上がった。例に寄って無理矢理に酒を飲まされた大作はエンドレスで歌わされる羽目になる。猫に関する曲が尽きたころ、宴会はお開きになった。




 大作とお園は今日も仲良く布団を並べて床に就く。暫しの沈黙の後、お園が囁くように声を発した。


「ねえねえ、大佐。まだ起きてるかしら」

「どしたん、お園。もしかして寝付けないのか」

「ちょっと気になったんだど、つまるところキャンセル料は払わずに済んだのかしら?」

「アッ~! 参ったなあ、確認するのを忘れていたぞ。もういっそアレだな、アレ。みんなそろって行きゃ良いんじゃね? それでこそ男女共同参画社会って感じだろ。今時、女ばかりのメルトランディなんて流行らないぞ」

「そ、そうかも知れんわね。そうじゃないかも知らんけど」


 気のない返事を返すお園はなんだかとっても眠そうだ。大作は女子挺身隊と国防婦人会を纏めて心の中のシュレッダーに放り込む。隣では早くもお園が安らかな寝息を立て始めていた。


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