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巻ノ弐百伍拾 北風と太陽!宿命の対決 の巻

 とある水曜日の朝、食事を終えた大作とお園と藤吉郎の三人は久々に思い出話で花を咲かせていた。

 だが、そんな憩いの一時も長くは続かない。突如として現れた秀丸と名乗る無粋な珍客が土足で踏み躙るように割り込んできたのだ。

 伝声管から零れてくる無遠慮な声はこちらの都合を丸っきり無視するかのように一方的に要求を告げてきた。


「先程、ご隠居様より御使者が参られまして取り急ぎ八幡山の新城まで来られたしとの由にございます。如何なされましょうや?」

「馬鹿めと言ってやれ……」

「は、はぁ?」

「馬鹿めだ!」


 大作はその場のノリと勢いで後先を考えずに適当なリアクションを取る。その後、どうなったかは神のみぞ知るだ。

 いやいや、あかんやろ~! 間もなく豊臣と大戦が始まろうっていうタイミングで氏政と氏直が仲違いするのは不味いぞ。どげんかせんと。どげんかせんといかん。

 今ごろになって激しい後悔の念に捕らわれた大作は頭をフル回転させて無い知恵を絞る。しかしなにもおもいつかなかった!


 そんな情けない様子を憐れに思ったのだろうか。半笑いを浮かべたお園が小首を傾げながら口を開く。


「確かお義父様には自動汁掛け絡繰りや麦乾燥絡繰りを作って頂くようお願いしていたのよね? もしかするとそれが出来上がったんじゃないかしら。きっとそうに違いないわよ」

「アレを頼んだのは昨日じゃなかったっけ? いくら何でも早過ぎると思うぞ。腐ってたら怖いなあ。まあ、もしかすると何かで行き詰まって泣き付いてきたのかも知らんけどな」

「とにもかくにも行ってみたらどうかしら。どうせ他にすることもないみたいだし。ねえねえ、そうしましょうよ」


 いったい何がお園をここまで駆り立てているんだろうか。いつになく積極的な勢いに押されて大作はたじたじとなる。

 とは言え、ここで言いなりになってしまっては御本城様の沽券にかかわるんじゃね? 安っぽいプライドに火が着いた大作は何か有効な反論ができないかと無い知恵を絞る。ポク、ポク、ポク、チ~~~ン! 閃いた!

 大作は自信満々な顔で口を開き掛ける。だが、その瞬間お園が大きな瞳をキラキラさせながら詰め寄ってきた。


「こけん? それって何なのよ? どうせ美味しくはないんでしょう?」

「気になるのはそこかよ~! 沽券っていうのはこんな字を書くな。土地とか家の売り渡し証文のことだよ。元々は売券とか沽却状(こきゃくじょう)とか言ったとか言わんとか。売値って意で使われるようになったのは江戸時代に入ってかららしいな」

「ふぅ~ん。まあ、そんなことは死ぬほどどうでも良いわね。さあ、早く行きましょうよ。慌てる乞食は貰いが少ない。幸運の女神には前髪しか生えていないんですから」


 飛び跳ねるように立ち上がったお園は大作の手を取って強く引っ張る。

 そんな変なヘアースタイルの女神なんて嫌だなあ。まるで、どちて坊やじゃんかよ。大作は心の中で小さく呟くと面倒臭そうにゆっくりと後に続いた。




 御本城様の座敷を出て廊下を少し進んで行くと小姓溜りみたいな部屋があった。ナントカ丸の色違いバージョンみたいな奴らが何やら忙し気に働いているような、いないような。

 いやいや、きっとサボってるのがバレないように仕事をしている振りだけしているんだろう。まあ、別にこいつらのことなんて心の底からどうでも良いんだけれど。


 大作とお園の姿に気付いた小姓たちはチラリと視線を向けてくる。だが、誰一人としてこちらに感心を払う者はいない。まるで示し合わせたかのように全員が全員、自分の仕事に集中する振りをしている。

 そう言えば栗林中将を見習って作業優先のために上官に対する敬礼を止めさせたんだっけ。阿呆なことを言うもんじゃなかったな。反省するが時すでに遅しだ。 

 見るに見かねたのだろうか。一人の小姓が立ち上がると足早に近付いてきた。


「御本城様、ご隠居様の御使者に『ばかめ』とお伝えしたところ首を傾げておられました。いったい如何なる意にござりましょうや?」


 どうやらこの小姓がサクラエディタ? TeraPad? Emacs? 何だっけかな。喉元まで出かかっているというのに重い打線!


「秀丸殿でしょう、大佐」

「GJ、お園! そうそう、そんな名前だったっけ。んで、秀丸さんよ。俺は『馬鹿め!』だなんて言っていないぞ。『ワカメ!』って言ったんだ。お前の聞き違えなんじゃね?」

「ワカメ? それって海で採れるひらひらしたのよね?」


 ノータイムでお園が食い付いてくる。相変わらず食べの物のことになると驚異的な反射神経なことで。大作は柄にもなくちょっと感動してしまった。


「そうそう、ワカメっていうのは褐藻類アイヌワカメ科に属する海草だな。昆布も同じ褐藻類なんだけど、あいつはコンブ科コンブ属だからちょっと遠い親戚みたいなもんだぞ」

「ふ、ふぅ~ん。私、昆布とワカメが似ているなんて思ってもみなかったわ。だって、これっぽっちも似ていないんですもの」

「いやいや、普通に似てるだろ? 強いて違いを上げるとすればワカメは日本中のどこででも採れる。だけど昆布は冷たい海でしか育たないから北海道みたいに北の方でしか採れないんだ」

「北海道って蝦夷のことだったかしら。そうか! だからとってもお高いのね。合点が行ったわ」


 お園が禿同といった顔で何度も深く頷いた。だけども何だか早合点されているような気がしてならない。

 これは補足が必要だな。大作はスマホ画面に目を落とすとそのまま読み上げる。


「まあ、似てるっていっても旨味成分は昆布の方がずっと多いんだけどな。それに栄養豊富でタンパク質、カルシウム、鉄、ヨウ素、食物繊維、ビタミンA、B2もたっぷり含まれているぞ。だから出汁を取るのに使われるんだな」

「やっぱり美味しいは正義なのねえ。それじゃあ、この勝負は昆布の勝ちってことで良いかしら?」

「ところがギッチョン。ワカメは低カロリーな割に食物繊維が豊富だからダイエットに最適なんだ。それに値段もワカメの方がずっと安いしな。安さだって正義だろ? まあ、適材適所ってことで使い分けてくれるかな? いいとも~!」

「はいはい、分かったわ。それじゃあ行きましょうか、大佐。秀丸殿、Adios!(アディオス) Hasta(アスタ) luego.(ルエゴ)!」


 満面の笑みを浮かべたお園が顔の左右で両手を掲げる。そして人差し指と中指だけを立ててクイックイッと二回曲げた。

 それは俺のセリフとジェスチャーなんだけどなあ。大作はほんのちょっぴり悔しくなったが海のような広い心で受け入れた。




 例に寄って例の如く、大作とお園は本丸から二ノ丸、三ノ丸への道程を何度も何度も門を潜って進んで行く。

 ここでも大作の発した敬礼廃止の通達は徹底されているようだ。門番や行き交う人々は誰もがみんな揃いも揃って軽く黙祷…… じゃなかった、目礼を返すのみだ。誰一人としてマトモに挨拶してくれる人はいない。

 何だか田舎から初めて都会に出てきた人になったような気分だ。挨拶をしないだけで人はここまで強く孤独を感じるものなんだろうか。こんな風に人間関係が希薄化して行けばいずれは既存のコミュニティーが崩壊してしまうかも知れん。

 って言うか、何であんな阿呆なことを言っちゃったんだろう。後悔先に立たずんば虎児を得ずとは正にこのことことだ。


 小田原城正面の巨大な大手門を外に出る。くるりと右に回るとお堀を右手に眺めながら長い長い坂道を北に向かう。城の外では強い北風が吹きすさび、寒いことこの上もない。


「いったい何なんだろうな? この強風は。もしかして旅人に上着を脱がせようとして北風が頑張っているのかも知れんぞ。お陰で寒くてしょうがないんですけど……」

「冬が寒いのは当り前じゃないかしら。だって、もし冬が暑かったら夏はもっともっと暑くてとてもじゃないけど辛抱できないわよ」

「そ、その発想は無かったわ! やっぱお園は天才だな。大変な功績だよ。バンバン、カチカチ、アラ? でも、普通に考えたら冬が暑けりゃ夏は寒くなるって思わないか? 実際、南半球では冬が温かくて夏が涼しいらしいぞ」

「それってつまるところは同じことなんじゃないかしら。朝三暮四みたいに損も得もないと思うんだけれども」


 そんな阿呆な話をしながら二人はえっちらおっちらと坂道を登って行く。寒さと疲労で大作のやる気ゲージはモリモリと削られる一方だ。


「なあなあ、お園。遺憾ながら八幡山の新城へ行くのは諦めた方が良いんじゃないのかなあ。何だか知らんけど俺たちさっきから同じところをグルグル回ってるような気がしてならないんだ。これってまるで八甲田山死の彷徨じゃんかよ。日本山岳史上、最悪の悲劇を繰り返すわけにはいかん。人間、時には退く勇気も必要とされるんだぞ」

「何を言ってるのよ、大佐。新城ならもう目の前じゃないの。ここまできて帰るなんてそれこそ阿呆のすることよ。それに、百里の道を行く者は九十九里をもって半ばとすって言うでしょう?」

「いやいや、その例えだと俺たちはまだ半分もきていないってことになっちゃうんじゃね? 『俺たちはようやく登りはじめたばかりだからな。この果てしなく遠い八幡山の新城への坂道をよ!』ってな感じでさ。だったら今からでも戻った方が早いと思うんだけ……」


 だが、大作が言い終わる前に八幡山新城の大手門に辿り着いてしまう。お陰で折角の撤退プランは自動的に却下されてしまった。

 門の脇には門番と思しき雑兵が暇そうに(たむろ)している。その内の一人が大作とお園の姿を認めた途端、弾かれたように居住まいを正すと右手を高々と掲げた。


「やるっつぇぶらっき()!」

「ヤ、ヤルッツェ・ブラッキ()……」


 そう言えば、前にきた時にそんな阿呆な挨拶をしたっけかなあ。こいつら見かけによらず大した記憶力をお持ちなことで。大作は門番のことを少しだけ見直した。


「ねえ、大佐。居住まいっていうのは座った姿のことよ。立っている時は『姿勢を正す』で良いんじゃないかしら」

「そ、そうだな。次からはそう思うことにするよ」


 そんな阿呆な話をしている間にも他の門番たちが次々と居住まい…… じゃなかった、姿勢を正して深々と頭を下げる。

 どうやらこの辺りまでは敬礼廃止の猛威は及んでいないらしい。久々に敬意を払って貰えた大作はとっても気分が良くなってきた。何だか人間としての尊厳を取り戻したような心地だ。

 ここはひとつ労いの言葉くらい掛けておいても罰はあたるまい。大作はぺこぺこと頭を下げながら超高速で揉み手をすると卑屈な笑みを浮かべた。


「いやいや、皆様方。斯様に寒い中でお努めご苦労様なことにございますなあ。本に頭の下がる思いですぞ。皆様方には足を向けて寝られませんな。後で何ぞ温かい物でも差し入れさせて頂きましょう」

「お骨折り頂き、大義なことにございます」


 微妙な空気を読んだのだろうか。お園も適当な相槌を入れながらにっこり微笑んで軽く頷いた。

 だが、門番たちはどう反応したら良いか分からんといった顔でフリーズしている。お互いが牽制するかのように顔色を伺いあうばかりで何の反応も返ってこない。

 こういう重苦しい雰囲気は苦手だなあ。淀んだ空気は可及的速やかに入れ替えねばならん。大作は突如として声を張り上げた。


「我が忠勇なる兵士諸君! 諸君らの昼夜を分かたぬ挺身、真に感謝の念に堪えません。然れども急速なAIの進歩により十年後には皆様方の仕事の半分は機械に取って代わられておるやも知れません。そうなった時、皆様方にはいったい何ができるのか。それを常に考えて下さりませ。国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるか。それを考えようではありませんか」

「ぎょ、御意……」


 居並ぶ門番たちの中でも一番に偉そうな奴が怪訝な表情を浮かべながら答えた。本当に意味が分かっているんだろうか。分かってないんだろうなあ。

 大作は心の中で深いため息をつきながらも深々と頭を下げる。手をひらひらさせると振り返りもせず、門を潜って先へと進んだ。




 西曲輪、本曲輪を通って東曲輪へと進んで行く。これぞ勝手知ったる他人の家という奴だろうか。大作は道順をすっかり忘れていたが完全記憶能力者という心強い味方が本領を発揮してくれれば、くれれば……

 道に迷ってしまった!


「どしたん、お園? もしかして調子悪いんか? まさかとは思うけど、アルジャーノンに花束をみたいに急激に知能が衰え始めたんじゃなかろうな? そんな鬱展開、世間が認めても俺が認めんぞ」

「うつ? それってどんな字を書くのかしら?」

「気になるのはそこかよ~! ちょっと待ってくれ。俺もちゃんと調べないと書けないよ。なにせ日常生活していて、そうそう書く漢字じゃないんだもん。えぇ~っと……」


 スマホに『鬱』という漢字を表示させると人差し指と親指で広げるように動かす。この動作を何ていうんだっけかな。


「ピンチアウトよ、大佐」

「そうそう、それそれ。んで、鬱に話を戻すけどアレって二十九画だから結構な画数だと思うだろ? ところがギッチョン! 上には上があるんだぞ。世の中には『たいと』とか『だいと』とか『おとど』って読む漢字があるんだな、これが」


 雲

雲龍雲

 龍龍


「ふ、ふぅ~ん。それで? こんな変てこな字をいったい誰がどんな時に使うのかしらねえ。もしかしてこんなの知らなくても一生困ることはないんじゃないの?」

「そうは言うがな、お園。知っていればこうやって無駄蘊蓄に花を咲かせることだってできるだろ? な? な? な?」

「はいはい、難しい字を知っていて偉いわねえ。よしよし、偉い偉い」


 悪戯っぽい笑みを浮かべたお園にスキンヘッドを撫で回された大作はくすぐったさに思わず首を竦める。

 その時、歴史が動いた! 東曲輪に建っている小屋の中から突如として人影が現れたのだ。


「おお、誰かと思えば新九郎ではないか。お督殿もご一緒か。相も変らず仲睦まじきことじゃな。して、今日は何用じゃ? もしや、ややこでも授かったのか?」

「いやいや父上、前から申し上げておるでしょう。それはマタハラにございますぞ。悪意はないのかも知れませぬがセクハラやマタハラは受け手側が不快に思えばアウトになるのです。お気を付け下され」

「さ、左様か。向後(きゃうこう)は心置くと致そうぞ。して、いったい今日は何用なのじゃ? 早う教えてはくれぬか?」


 氏政が馬鹿の一つ覚えみたいに同じセリフを繰り返す。もしかしてこいつ、とうとうNPCにまで成り下がっちまったのか? 大作は漠然とした不安感を押し殺しながら上目遣いに顔色を伺う。


「父上、Need to knowの原則ってご存じですよねえ? ややこを授かったか、授かっていないか。それはシュレーディンガー方程式を解いてみないことには分かりませぬ。無限に異なる可能性が重なり合った状態? それが妊娠検査薬の結果を見た瞬間に波動関数が収束するのです」

「お、おう…… 然ればその妊娠検査薬とやらを早う支度致せ」

「って言うか、父上。我らを八幡山の新城に呼んだのは父上の方ではござりませんでしたかな? もしかして忘れちゃったんでちゅか?」


 大作は人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら妊娠検査薬の開発計画を心の中のメモ帳に書き込んだ。


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