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巻ノ弐百四拾九 言ってやれ!馬鹿めと の巻

 翌朝、例によって例の如く食事をとりながらの定例報告会が開かれた。おっちゃんたちの話を右から左へと聞き流しながら大作は今日の予定を考えて頭を捻る。

 女子挺身隊と国防婦人会の人材募集はサツキに任せても大丈夫だろうか。今は冬の真っ只中で農閑期だ。きっと暇してる奴らも多いに違いない。だったら人集めで苦労することは無いかも知れん。苦労するかも知らんけど。

 もし問題があるとすれば戦場に出たいという女が沢山いるかどうかだな。新島八重みたいなガンマニアっていうのはやっぱ珍しいんだろうか。謎は深まるばかりだ。

 ふと我に返ると二人のおっちゃんは座敷から姿を消していた。この時間って本当に無駄意外の何物でもないなあ。戦のどさくさに紛れて廃止できたら良いんだけれど。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。


「えぇ~っと、未唯。今日の予定ってどうなってるのかな?」

「さ、さあ? どうなっているのかしらねえ。そんな先の話、未唯にはとんと見当も付かないわよ」

「うぅ~ん、残念! そうも堂々と言われるといっそ清々しいな。まあ、期待はしていなかったけどさ。そんじゃあ…… メイはチャリティーコンサートの練習を続けてくれるかな。サツキには女子挺身隊と国防婦人会の徴募を頼むよ。取り敢えず小田原周辺から始めて感触を調べて行くんだ。もちろんサツキが一人でやるんじゃないぞ。徴兵請負人みたいなのに依頼して村々を回らせてくれ。目標は人口の二パーセントくらいかな。二百人の村だったら四人って塩梅だ」


 大作はスマホの電卓を起動させると適当にキーを叩く。二人は画面にチラリと視線を移すと満面の笑みを浮かべた。


「はい、大佐。気張ってお勤め致します」

「ばっちこ~いよ、大佐。任せて頂戴な」


 いつもの如く返事だけは良いんだけれど、こいつらに任せて本当に大丈夫なんだろうか。まあ、駄目なら駄目で別に構わないんだけれど。どうせ他人事だし。

 大作は女子挺身隊と国防婦人会を纏めて心の中のシュレッダーに放り込んだ。


「そんでもって、ほのかはリュートで『きよしこの夜』の練習だ。クリスマスのミサでデビューコンサートを開くからそのつもりでな。未唯はヴィオラ・ダ・ブラッチョの練習と並行して子猫が食べれる…… 食べられるラーメンの開発を頼むぞ。萌はミニエー銃、ナントカ丸はレンズ研磨、政四郎殿は臭素? アレの製造はどうなっておりますかな?」

「既に小匙で一杯くらいは採れておりますぞ。後ほど御検分をお願いできましょうや?」


 ドヤ顔の政四郎が胸を張る。もしかしてこれは労いの言葉くらい掛けた方が良いんだろうか。大作は曖昧な笑みを浮かべながら揉み手をした。


「さ、左様にございますか。この短期間で大した物ですな。政四郎殿は臭素の製造に関して余人を以て代えがたい類稀なる才をお持ちのようだ。此れに感謝の意を注ぐと共に今後の活躍に期待して私から臭素マイスターの称号をお贈り致しましょう。よっ! 臭素マイスター! 日本一!」

「これはこれは、ご高配痛み入りまする」


 深々と頭を下げる政四郎の顔は真剣そのものだ。もしかして本気で喜んでくれているのだろうか。これだから冗談の通じない奴は嫌なんだよなあ。大作は心の中で苦虫を噛み潰す。


「それでは、その調子で臭化銀の生成へと邁進して下さりませ。念のために注意点をおさらいしておくと…… 質の良い結晶を沈殿させるにはゼラチンの保護コロイドっていうのが重要らしいですぞ。こいつの水溶液を掻き混ぜながら臭化カリウム水溶液と硝酸銀水溶液を一緒に混ぜろって書いてありますな。この際の流入速度が銀イオン濃度を決める上で大層と肝要だそうな。ところが残念なことに具体的なデータが見当たりませぬ。例に寄って少しずつ比率を変えた試作品を大量に作って試行錯誤するしかありませぬな」

「そうなると現像液や停止液、定着液なんかも入用になるわね。って言うか、フィルムベースはどうするつもりなのかしら。とてもじゃないけどガラスなんて使ってられないわよ」


 いったい何処の何が琴線に触れたんだろう。それまで黙って聞いていた萌が突如として話に割り込んでくる。

 大作はアイコンタクトを取ると軽く頷いて謝意を示した。


「そうなったらセルロイドでも作るしか選択の余地はないんじゃね? アセテートやポリエステルなんてすぐには絶対に無理だもん。だけど仮にセルロイドを作るとしたってアレってそんな短期間で作れる物なのかなあ?」

「せるろいど? それってセルのロイドなのかしら?」

「セルはセルロースのセルだな。んで、oidは『のような』とか『○○に似た』みたいな意味の接尾辞だ。語源はラテン語のoideらしいぞ」

「ふ、ふぅ~ん。でも、どうせ美味しくは無いんでしょう。それで? そのセルロイドっていうのはどうやって作るのかしら」


 例に寄ってお園の価値判断基準は美味しいか美味しくないかの二択のようだ。こいつは教育が必要かも知れんなあ。大作はスマホを弄って情報を漁る。


「あのなあ。良薬は口に苦しって聞いたこと無いか? まあ、苦ければ良薬ってわけでも無いんだけどな。ちなみに食物繊維の主成分はセルロースだって知ってたか? 人間の腸って奴は存外とセルロースを処理できるらしい。粉末状態ならば腸内細菌が百パーセント分解できるんだとさ。んで、 厚生労働省発行の2010年版『日本人の食事摂取基準』によると成人男性で一日に十九グラム、成人女性で十七グラムの食物繊維を摂取することが望ましいとされている。ってことは……」

「大佐、美味しくないんなら詳らかな話は要らないわよ。それよりもセルロイドの作り方に話を戻してくれないかしら」


 僅かに線路から脱線しようとしていた話題をお園が強引に本来のレールへと復帰させる。

 お前は脱線警察かよ! ここでトロッコ問題とか出したらみんなはどんな答えを返すんだろう。大作はちょっと気になったが頭を軽く振って脳内からトロッコを追っ払った。


「あ、ああ…… それもそうだな。って言うか、ここからの話は藤吉郎にしか関係が無いんだ。悪いけどNeed to knowの原則に従って他のみんな通常業務に行ってくれるかな~? それと、萌。すまんけど政四郎殿が臭化銀を作るのを手伝って貰いたいんだけど……」

「はいはい、分かったわよ。『やれるとは言えない。けど、やるしかないんだ!』なんでしょう?」

「私めも行くわね。藤吉郎、気張ってお勤めするのよ」

「未唯は隣のお座敷でヴィオラ・ダ・ブラッチョの稽古してるわね。さあ小次郎、一緒に行きましょう」


 まるで潮が引くように一同が座敷からいなくなる。がらんとした部屋には大作、お園、藤吉郎の三人だけが取り残された。


「この三人になると三河国の吉田で出会った頃を思い出さないか? あのころは本当に楽しかったよなあ」

「今は楽しくありませぬか、大佐?」

「ぶっちゃけ退屈で退屈で死んじまいそうだよ。だって、たかが豊臣如きに北条が負けるわけがないんだもん。勝ちの決まった戦ほど詰まんない物は無いじゃん。ところでお前らアンリトンルールって聞いたことあるか?」

「あんりとんる~る? そんなのは聞いたこともないわねえ。いったい何なのよ、それは」


 お園が訝しそうに眉を顰め、藤吉郎も軽く小首を傾げる。大作はスマホ画面に視線を落とすと勿体振った調子で読み上げた。


「ざっくり言うと大リーグでは点差が開くと勝ってる方が手加減してやらなきゃならんっていう不文律さ。所謂、舐めプって奴だな」

「態と手を抜くって言うの? わけがわからないわよ。いま少し詳らかに話して頂戴な」

「具体的に言うとだな…… ボールカウント3-0から打ちに行ったら駄目なんだとさ。あと、盗塁とかも。それとノーヒットノーランや完全試合が掛かってる時はバントヒットを狙っちゃいけないらしいぞ。まあ、これに関しては気持ちが分からんでもないか。他にもホームランを打ったあとノロノロ走ったりガッツポーズ(死語)をするのも禁止らしいな」

「それっていったいどういう故があるんでしょうね。もしかして負けてるお方のお気持ちを考えろってことなのかしら」


 腕組みをしたお園が天井の一点を見詰めながら不満そうに口を尖らせた。不安に駆られた大作は思わず振り返って天井を確認するが何もいない。

 って言うか、俺に言われても知らんがな~! 思わず心の中で絶叫するが決して顔には出さない。


「うぅ~ん。もしかして点差が開き過ぎちゃうとゲームとして詰まらないってことなのかなあ。だけどそれならそれで大差が付いた時点でコールドゲームにしちまえば良いのと違うか? 勝負が付いたから勝ってる方は手を抜かなきゃならんなんて阿呆な話はないぞ」

「そも、大差っていうのはいったいどれくらいの差を言ってるのかしら。大佐だけに、ぷっ……」


 不意にお園が口元に手を当てると肩を震わせて笑い出す。藤吉郎も堪えきれないといった風に腹を抱えて笑っている。

 何でこいつらはこんなことで大笑いできるんだろう。単純な奴らだなあ。でも、それはそれで幸せなのかも知れないんだけれども。

 何となく仲間外れにされたような気がした大作は愛想笑いを浮かべることしかできない。


 ひとしきり大笑いした後、急に我に返ったお園が真剣な顔で口を開いた。


「それで? その、大差っていうのが付いた後に勝ち負けが引っ繰り返るってことは本当にないんでしょうね?」

「多分だけど満塁ホームランでも追い付かれないくらいの差なんじゃね? 終盤で五、六点差ってところだろう。でもなあ…… 過去百年を越える高校野球の記録の中には八点差を引っ繰り返したなんて例が二試合もあるらしいぞ。地方大会まで含めると1994年の東東京大会で十五点差からの逆転ってのもあるしな。ちなみにプロ野球だと十点差、大リーグでは十二点差、マイナーリーグなんか十六点差の逆転劇があるんだとさ」

「ふぅ~ん。まあ、滅多に起こらないから面白いんでしょうねえ。負けた方にとっては堪ったものじゃないんでしょうけれど」


 やれやれといった表情のお園が肩の高さで手のひらを上にして首を竦めた。藤吉郎も禿同といった顔で何度も頷く。


「まあ、最後の最後まで勝負の行方が分からん方がゲームとして面白いのは確かなんだけどな。ってなわけで、そろそろ話を戻しても良いかなぁ~?」

「いいとも~!」

「えぇ~っと…… 確かセルロイドの話だったよな? アレはアレなんだよ。ニトロセルロースと樟脳から合成することができるんだそうな。樟脳っていうのは(クスノキ)の葉や枝をチップにして水蒸気蒸留してやれば結晶として取り出すことができる。問題はニトロセルロースの作り方なんだけど…… あった! 硝酸と硫酸を二対五で混ぜた混酸でセルロースを処理すれば良いんだとさ。摂氏三十度で二十五分って書いてあるな。完全に酸を洗い流し十分に乾燥させてくれ」


 大作は国立国会図書館デジタルコレクションで見付けたセルロイド製造法講座とかいう古文書を得意気に読み上げる。だけども意味は良く分からない。

 まあ、一を聞いて十を知る藤吉郎のことだ。きっと一晩でやってくれるに違いないだろう。


「ちなみにニトロセルロースからはナイトレートフィルムっていう奴も作れるんだぞ。だけどもこいつはニトロっていうくらいだからとっても良く燃える危険物なんだよな。って言うか、これにエタノールとエーテルを加えてやればB火薬っていう超不安定な危険物が作れちゃうんだもん。まあ、ニトログリセリンやワセリンと混ぜてからアセトンで溶かして練ればコルダイトになるから随分と扱い易い物になるんだけどな。そうなるとやはりアセトンの入手が急務になるのか。可及的速やかにクロストリジウム・アセトブチリクムを探さねばならんぞ。夢が広がリング!」

「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。まずはセルロイドでフィルムベースを作らなきゃならないんでしょう? 一つひとつ順に片付けて行った方が良いと思うわよ」


 またもや脱線しかけた話題をお園が強引に引き戻す。その表情は何だか少しばかり不満気に見えなくもない。これはそろそろ真面目にやった方が良いかも知れんな。大作は居住まいを正すとなるべく真剣そうな表情を浮かべた。


「ごめんごめん、お園の言う通りだな。んで、いよいよ待ちに待ったセルロイドの作り方なんだけど…… ニトロセルロースを百とすると樟脳が五十五にエタノールが百の割合で混ぜて丹念に練り合わせてくれ。九十度くらいに加熱すると軟らかくなるから薄っぺらく加工してやればフィルムベースのできあがりだ」

「ふ、ふぅ~ん。セルロイドっていうのは存外と簡単に作れる物なのね。何だか私、拍子抜けしちゃったわ」

「真にございますな。然らば直ぐにでも取り掛かると致しましょう」


 にやけた顔で気楽に言ってのける二人を見ていると大作の胸中に突如として不安感が込み上げてくる。

 これはもう駄目かも分からんな。取り敢えず危機感を持って貰わねば。このタイミングでアポロ一号の火災事故みないな悲劇を起こされたら厄介なことこの上ないし。


「言っとくけどセルロイドを侮ってはいかんからな。奴は消防法で規制された第五類危険物の中でも一番の小物…… じゃなかった、中堅処だから舐めて掛かるととんでもない目に遭うぞ。何せダイナマイトと同じ扱いなんだもん。だから製造、貯蔵、取り扱いに関しても様々な規制が設けられているんだ。二十キロ以上を保有しようと思ったら消防署に届出なけりゃならん。百キロ以上を保管しようと思ったら危険物倉庫への貯蔵も義務付けられている。十四人もの死者を出した白木屋デパート火災だってセルロイドが原因だしな。火事だけは絶対に出してはならん。絶対にだ! 警戒の上にも警戒を厳にして作業に当たってくれ」

「十分に承知しております、大佐。誰も火事など出しとうて出すわけではござりますまいて。本に大佐は心配性にござりまするな」


 藤吉郎が自信満々のドヤ顔で顎をしゃくる。駄目だこいつ、早くなんとかしないと。この、何の根拠もない自身は一体何処から湧いてくるんだろう。謎は深まるばかりだ。 

 大作は心の中で苦虫を噛み潰し…… まあ、良いか! 日本では一日に百件以上もの火事が起こってるんだ。いちいち気にしていてもしょうがないや。


「とにもかくにもセルロイドは本当に良く燃えるんだよ。まあ、せいぜい気を付けてくれや。ところで話は変わるけど新聞に写真を印刷するには網目凸版で濃淡を表現しなきゃならんって知ってたか? 網版とか写真版とかいうアレだな」

「あみはん? それって網の版なのかしら。それがないと新聞に写真を印刷できないっていうの?」


 あまりにも唐突な話題の転換にお園が面食らっている。藤吉郎に至っては目が点といった顔だ。

 効いてる効いてる。大作は心の中でほくそ笑みながらバックパックから古新聞と携帯型顕微鏡を取り出すとお園の手に押し付けた。


「新聞の写真を拡大してよぉ~っく見てみ。明るいところは小さな点、暗い所は大きな点になっているだろ?」

「真だわ! 真砂より小さな点が(しじ)に詰まっているのね。だけどこんな物をどうやって印刷するのかしら」

「網点の大小や密度で濃淡を表現するっていうこの方法はドイツのG.マイゼンバハが1882年に発明したオートタイピーに始まるんだそうな。それが1890年にはアメリカのレビー兄弟によって網目スクリーンへと改良された。版材としては銅、亜鉛、マグネシウム合金などが用いられるんだとさ。まあ、この時代にマグネシウムは絶対に無理か。亜鉛ならギリギリで入手可能かも知れんけど。まあ、銅でやるのが無難だろうな。んで、作り方は至って簡単。原稿を撮影する時に感光材の手前に物凄く細かい網目スクリーンを置くだけのことなんだ。直交する目の細かい不透明線の光学的格子で原稿の濃淡は網点の大小になって感光される。後はネガを版材に焼き付けてから製版すれば明るい所は細かい点に、暗い所は大きな点になるって寸法さ。簡単だろ?」


 例に寄って自分でやる気の無い大作はさも簡単そうに言ってのけた。だが、肝心の『製版する』ってところが完全なブラックボックスなんですけど。

 大作は気になってしょうがないが誰も聞いてこないので気付かない振りをする。

 お園と藤吉郎も敢えてスルーしているんだろうか。小首を傾げると話題を変えてきた。


「その細かな網っていうのはどのくらい細かいのかしら。この写真を見ていると髪の毛よりもよっぽど細かいみたいなんだけれど」

「印刷物の一インチ当たりに何本の線があるかをスクリーン線数という。六十線とか二百線とかいうんだけどDTPでいうところのdpiって奴だな。新聞だと六十五線、雑誌や一般書籍なら八十五線、表紙や口絵は百五十線、高級美術印刷だと百七十五とか二百線くらいの網目スクリーンが使われるって書いてある。まあ、我々の作る新聞は65dpiもあれば十分過ぎるくらいだ。これって0.4ミリ間隔くらいじゃね? それくらいなら職人に頼めば何とかやって貰えるだろう」

「然らば腕の良い職人が入り用となりまするな。先ずは……」


 その瞬間、藤吉郎の言葉を遮って座敷に甲高い鈴の音が鳴り響いた。

 何じゃこりゃあ! ポルターガイストか? 三人は怪訝な顔でキョロキョロと辺りを見回す。

 真っ先に気が付いたのはお園だった。


「大佐! アレよ、アレ。あの鈴が動いているんだわ」

「な、なんだってぇ~!」


 指差す先に目を向けてみれば天井から細い紐でぶら下がった小さな幾つもの鈴が上下に激しく揺れ動いている。

 もしかして鈴を転がすようなっていうのはこんな状態を指しているんだろうか。大作が取り留めのないことを考えている間にもお園は素早く立ち上がると鈴の元へと駆け寄った。

 鈴の真下には天井から太い竹筒が伸びてきており、先っぽの側面には蓋のような物が取り付けられている。

 恐る恐る手を伸ばしたお園はそっと蓋を開けると口を近付けた。


「Hello,Can you hear me clearly?」

「は、はぁ? その声はもしや御裏方様にござりまするか? 某は秀丸にございます。恐れながら御本城様はそちらに御座しましょうや?」

「大佐なら…… じゃなかった、御本城様なら此方に御座しますよ。如何致しました?」

「先程、ご隠居様より御使者が参られまして取り急ぎ八幡山の新城まで来られたしとの由にございます。如何なされましょうや?」


 何ですと? 秀丸だって? そんな名前のテキストエディタがあったような、なかったような。

 って言うか、あのおっさん用事があるんなら自分の方から歩いて来んかい!

 大作は喉まで出かかった言葉を鋼の精神力で飲み込むと精一杯ドスの利いた声で呟くように言葉を発した。


「馬鹿めと言ってやれ……」

「は、はぁ?」

「馬鹿めだ!」


 秀丸の素っ頓狂なリアクションを右から左へと聞き流した大作は伝声管の蓋を勢い良く閉じる。くるりと踵を返すと御本城様の定位置にどっかと腰を降ろし、目を閉じて腕組みをした。

 お園がそっと傍らに寄り添うとちょっと遠慮がちな声音で聞いてくる。


「ねえ、大佐。馬鹿っていう言葉が『愚か』の意で使われるようになるのは江戸時代の好色一代男あたりからなんでしょう? 御隠居様にはお分かりにならなかったんじゃないかしら」

「そ、そうかも知れんな。そうじゃないかも知らんけど。でもさあ、それならそれで向こうから聞きにきてくれるかも知れんだろ? だから良かったってな。ポリアンナならきっとそう言うと思うぞ」

「ぽりあんな? 大佐ったらその女にも懸想していたの? 全く以て女と見ればとんと見境が無いんだから……」


 お園が不服そうに頬を膨らませる。だが、どこからどう見ても本気で怒っているわけではないらしい。大作は頬を人差し指で突っ突きながら笑い掛けた。


「結局はそのパターンかよ! もういい加減にそのネタは封印した方が良いんじゃね?」

「繰り返しやギャクの基本なのよ。歴史と伝統は守らなきゃいけないわ」

「はいはい、そうですねえ」

「分かれば結構。次からは気を付けて頂戴ね」


 大作とお園の阿呆な遣り取りが続く。少し離れたところに座った藤吉郎は居心地悪そうに視線を反らせて固まっていた。


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