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巻ノ弐百四拾伍 しろ!彷彿と の巻

 炊き立てのご飯でお腹が一杯になった大作とお園は幸せいっぱい夢いっぱいの心地で寛いでいた。台所の隅っこに二人仲良く並んで座るとほうじ茶で喉を潤す。

 熱いお茶をふうふうしながらお園が幸せを噛み締めるように小さく呟いた。


「やっぱご飯は炊き立てが一番美味しいわねえ。人類の至宝。まさに科学の勝利よ。こういうのをいつも食べることはできないのかしら」

「きっとお座敷まで運んでくる間に冷えてしまうんだろうな。保温性に優れた容器を開発すればワンチャンあるかも知れんぞ」

「たとえば断熱材で囲ってやるとか? だけど、湯気でご飯がべちゃっとしないかしら」

「う、うぅ~ん。それよか座敷で再加熱した方が良いかも知れんな。水分が飛ばないように密閉状態で火鉢の上に乗せるとかしてさ」


 そんな阿呆な話をしながらもお園は茶碗や箸を洗い場で丁寧に洗う。それを受け取った大作は軽く振って水気を切った後に布巾で拭いて食器棚へと返して行く。

 何だか新婚カップルみたいでちょっと恥ずかしいなあ。例に寄って例の如く台所奉行が好奇の視線を向けてくる。

 だが、あんな朴念仁の唐変木でも空気を読むということを知っているようだ。二人の世界に土足で踏み込むような野暮な真似をするつもりはないらしい。


 綺麗に片付けを終えた二人がタオルで手を拭いていると廊下の向こうから近付いてくる足音が聞こえてきた。


「御本城様! 斯様なところに御座しまされましたか。夕餉の刻限にも関わらずお姿が見えませぬ故、皆が方々を探しておりまするぞ」


 不意に背後から掛けられた声に大作は慌てて振り返る。台所の入り口で荒い息をついているのは思いも寄らない人物だった。


「ナントカ丸! ナントカ丸じゃないかよ! 久しぶりだなあ。元気にしてたか?」

「げ、げんき?」

「息災なりや? と申しておられるのよ。大佐は」


 例に寄ってお園が頼まれもしないのに解説役を買って出る。ナントカ丸は分かったような分からんような顔で首を傾げた。だが、それ以上の追及をするつもりはないらしい。

 と思いきや、それまで黙ってことの成り行きを見守っていた台所奉行が口を挟んできた。


「おや、誰かと思えば宝珠丸殿ではござらぬか。御本城様が如何なされたと申すのじゃ。お出しした夕餉に何ぞ手違いでもござったか?」

「何をお戯れを申されまするか、池田様。御本城様なればほれ、先ほどから目の前に御座しまするぞ」

「な、何じゃと? 宝珠丸殿はこの坊主が御本城様だと申されるか? そう申さば、御本城様は頭を丸めて出家されたと聞き及んではおるが…… こ、こ、この和尚が御本城様じゃと? ご、ご、御本城様であらせられるじゃと! は、ははぁ~~~!」


 みるみるうちに台所奉行の表情が驚愕に歪んで行く。次の瞬間、急に我に返ると床へ平伏して米搗き飛蝗のように頭を上げ下げしだした。

 それを横目に見ながら大作はタカラ○ミーのせ○せいに「ドッキリ大成功!」と枠からはみ出すくらいに大きな字で書き殴る。

 まるで『勝訴!』と言わんばかりに高々と掲げると呆気に取られる全員を放置して脱兎の如く台所を逃げ出した。




 ここまでくればもう大丈夫だろうか。大作は歩を緩めるとドヤ顔で後ろを振り返る。


「どうやら生き残ったのは俺たち二人だけらしいな」

「三人でしょう、大佐。ほら、ちゃんとナントカ丸も付いてきてるじゃないの」

「そうなのか、ナントカ丸? 実は『お前はもう死んでいる』んじゃないのか? 『さらば宇宙戦艦ヤ()ト』の加藤みたいな感じでさ」

「そ、某がもう死んでおるですと? 其れは真にござりましょうや?」

「マジレス禁止。冗談に決まってるだろ」


 そんな阿呆なことを話しながら凸凹三人トリオは御本城様の座敷を目指して小田原城の廊下を歩いて行く。

 流石の大作だって来た道を帰るくらいなら朝飯前だ。実際には夕飯後なんだけれども。

 と思いきや、意外とうろ覚えだったりするのもまた隠しようのない事実だったりもする。だが、そこは蛇の道は蛇。先頭にナントカ丸を立たせて後をくっ付いて行くことでピンチを切り抜けることができた。


 座敷へ戻ると萌、サツキ、メイ、ほのか、未唯、藤吉郎、政四郎、エトセトラエトセトラ…… ここってこんなに人口密度が高かったっけかな? とにもかくにもオールスターキャストが揃いも揃ってミャンマーのカレン族みたいに首を長くして待っていた。

 何だか長すぎてちょっと気持ち悪いんですけど。って言うか、寝る時とかどうしてるんだろう。大作の脳裏に失礼な考えが次から次へと浮かんでは消えて行く。だけど異文化ヘイトとかは不味いよなあ。大事なのは多文化共生だし。

 大作は精一杯の作り笑顔を浮かべると上目遣いに皆の顔色を伺った。


「いやいや、遅れてすまんこってすたい。薪の消費量節約のために鍋や窯の底にこびり付いている厄介な煤。アレの除去作業を行っていたんだよ。だが、これら一連の作業によって我が北条のエネルギー効率、及び二酸化炭素排出量は概ね三割の改善が見込まれることとなった。未来の地球は安泰だぞ。安心してくれて良い。以上だ!」

「以上だ! じゃ無いわよ、大作。あんたは今日一日、一体どこで油を売ってたのかしら? って言うか、お園もお園だわ。夕餉の時間に遅れるなんてあなたらしくもないわねえ。みんなお腹を空かせて待っていたのよ」


 萌が物凄い剣幕で捲し立てる。もしかして本気で怒っているのか? いやいや、目が笑っているからそれは無いな。これは何か気の利いた返しを期待されてると見て間違いない。

 そうと分かれば適当に面白いことを言わねば格好が付かないぞ。大作は無い知恵を絞って言葉を捻り出す。


「あ、油なんて売っていなかったぞ。って言うか、そんな物を売ってたらテレピン油作りなんて面倒なことしないで済むんじゃね? 日本が無謀な対米戦に突入したのだって石油禁輸が決定打になったっていうじゃないか。やっぱドイツみたいに人造石油の開発に注力した方が良かったのかなあ?」

「そうかも知れないわね。そうじゃないかも知らんけど。まあ良いわ。とにかく早く座りなさいな。折角の夕餉がすっかり冷めちゃったわよ」

「いや、あの、その…… 実を言うと俺たち、もう食べてきちゃったんですけど……」

「何ですって?! 私たちがお腹を空かせて待っていてあげたっていうのに? それなのに自分たちだけ美味しい物を食べてきたっていうの?」


 途端に萌の目尻が釣り上がった。切れ長の瞳も攻撃色で真っ赤に染まっている。


「いやいやいや、そうじゃないそうじゃない。アレだよアレ…… 毒味? そう、お毒味! 皆が食べても健康に害が無いか食品安全性を確認していたんだな、これが」

「そう、良かったわね。それじゃあその安全な食品とやらをたんと食べるが良いわ。さあ、私が食べさせてあげるから。はい、あ~んして」


 メイが椀を手に取ると一つまみのご飯を箸で差し出してきた。これを食えって? 衆人環視の中で? 勘弁してくれよ~!

 大作は助けを求めるようにお園を振り返る。だが、目の前に迫ってきたのは……


「私も食べさせてあげるわよ。ほれ、あ~んして頂戴な」

「私めも食べさせるわよ。さあ、あ~んしてくれる?」

「某も食べて頂きとうございます。あ~んして下さりませ」

「未唯も! 未唯も食べさせてあげるわ。あ~ん」


 今度は食べさせてあげる競争かよ。もう勝手にせい! っていうか、お腹が一杯なんですけど…… 大作は拒否反応を示す胃袋を必死に宥めながら食べ物を咀嚼することしかできなかった。




 数十分後、御本城様の定位置に座った大作は満腹ではち切れそうなお腹を抱えて唸っていた。


「御本城様、大事ござりませぬか? 薬師に薬草なりと煎じさせましょうや?」


 薄ら笑いを浮かべたナントカ丸が小首を傾げる。だが、言葉とは裏腹にその表情からは心配の欠片すら感じられない。


「心配ご無用。って言うか、お腹が一杯過ぎてもう何も入りそうにないよ。薬を飲んだだけでもリバースしそうなんだもん」

「まあ、食べ過ぎなんて基本は放っておけば治るわよ。それより、大作。あんたは今日一日、いったい何処で何をやっていたのかしら。ミニエー銃、テレピン油、無線、エトセトラエトセトラ…… こっちは猫の手も借りたいくらい忙しかったのよ。何処で油を売っていたのやら」

「いやいや、だから油は売っていなかったって言ってるじゃん。俺とお園は……」

「猫の手ですって? だったら未唯の猫ちゃん(仮)…… じゃなかった、小太郎の手を貸してあげても良いわよ」


 未唯は素早く猫を抱っこすると満面の笑みを浮かべながら詰め寄ってくる。どうやらようやく回ってきた活躍の機会が嬉しくてしょうがないらしい。手が届くほどの距離まで近付いたところで猫をくるりと引っくり返すと片手を掴んで眼前へと差し出してきた。

 ピンク色の可愛い肉球が…… と思いきや、三毛猫だと肉球も黒や茶色が混ざっているんだなあ。何となく予想はしていたけれど詳細に観察したのは初めてだぞ。

 大作は猫の腕を取ると肉球を軽く押さえる。鋭く尖った爪がにゅ~っと姿を現した。って言うかこの猫、ちょっと不味いんじゃね?


「おいおい、未唯さんよ。この猫ちゃん(仮)…… じゃなかった、小次郎の爪が随分と伸びてるじゃんかよ。いったい最後に爪切りしたのは何時ごろだったんだ?」

「爪切りですって? 爪を切れっていうの? 小次郎の?」


 顔中に疑問符を浮かべた未唯は猫の爪をマジマジと見詰めながら首を傾げる。

 そんなに驚くような話なんだろうか。原始人だって爪くらい切ってたはずなんだけどなあ。大作は頭を捻って言葉を選ぶ。


「いやいや、お前らだって爪くらい切るだろ? 切らないと果てしなく伸びちゃって不便だしさ。テレビで何十年も爪を切らなかった人たちを見たことあるけど物凄く不便そうだったぞ。猫だって爪が伸び過ぎると肉球に食い込んじまうんだ」

「だけど猫の爪なんてどうやったら切れるのかしら? 私は爪が伸びたら小刀か(のみ)で削ってるわよ。だけどこんなに小っちゃくて鋭く尖った爪を削るのは大層と難しそうね」


 未唯は大作の手から小次郎を取り返すと自分でも肉球を軽く押さえる。すぐに猫が嫌そうな顔でジタバタしはじめた。と同時に、くるりと湾曲した爪楊枝みたいに細い爪が姿を現す。


 大作は朧げな記憶を辿りながら首を傾げる。確か江戸中期に比較的安価な鋏が普及するまでは刃物で削るしか方法が無かったんだっけかな。んで、現代みたいな爪切り鋏が作られるようになるのは明治に入ってからのことらしい。って言うか……


「猫用爪切りでなければいけない理由は何かあるんでしょうか? 普通の鋏じゃ駄目なんでしょうか? ところがどっこい残念ながら、平べったい人間の爪と違って猫の爪は縦に長いんだな。しかも丸まっているだろ? たとえ猫用の爪切りでも安物の奴で切ると縦に割れちゃって大変なことになっちまうんだ。って言うか、本当に割れちゃったことがあるんだもん。血管が露出して凄い痛そうだったぞ」

「けっかん? もしかして血が出ちゃったのかしら? それは何だかとっても痛そうねえ」

「だからお勧めはギロチンタイプの爪切りだ。お値段はちょっと張るけれど安全に爪を切ることが最優先事項だろ? そんなわけで俺の…… 俺たちの次なるプロジェクトはギロチンタイプ猫用爪切りの開発だ! まずは鍛冶屋を集めて……」

「スト~~~ップ! その件は適当な担当者を選んで一任しなさい。あんたが直接的に関わる必要性を認められないわ。御本城様には御本城様にしかできないことをやって貰わなければ北条が回らないのよ」


 萌がその場を完全に支配するように強烈な圧力(プレッシャー)を発しながら大作の提案を一刀両断に切って捨てる。その言葉からは妥協の余地というものが一欠片も感じられない。

 うぅ~ん、ここは素直に従った方が良いんだろうか。古人曰く、窮鳥懐に入らずんば撃たれまい。そもそも泣く子と萌には勝てそうもないし。大事の前の小事に拘っても禄なことにはならん。大作はあっさりとギロチンタイプ猫用爪切り開発計画のを棚上げした。

 とは言え、タダで引き下がるほどお人好しでもない。代わりに何でも良いから引っ掻き回してやらねば収まるものも収まらん。取り敢えず頭に思いついたワードを適当に口にする。


「あのなあ、萌。こういう風に議論が白熱しないのは何でだかわっかるかなぁ~? わっかんねぇだろうなぁ~?」

「それは大作がすぐに話を引っ掻き回しちゃうからでしょう。もしかして自覚が無いのかしら?」

「まあまあ、話は最後まで聞いてくれよん。その最大の原因は何といっても『いつもいつも同じ奴が発言するから』なんだとさ。お陰で他の奴は意見や対案が出せない。だから、その場を仕切ってる奴の案が通り易くなっちまう。そうなると他の奴らは何を言ってもどうせ通らないって諦めちまう。あと、他にも評論家みたいな視点の意見しか吐かない奴。会議では黙ってるのに終わってから文句を言う奴。会議が嫌で嫌でしかたなくて愚痴ばっか言っている奴。エトセトラエトセトラ…… 」

「それって、丸っきり大佐のことじゃないのかしら?」


 抱っこした小次郎の顎の下を撫でながら未唯が他人事みたいに呟いた。その言い草はまるで『王様は裸だ!』と絶叫した少年を彷彿する…… いや、彷彿とする? どっちだったっけかな?


「その場合はどっちもありね。たとえば『見える』って意味で使う場合にも『髣髴と』+『する』(タリ形容詞+スル)っていうパターンもあれば『髣髴する』っていう自動詞のパターンもあるでしょう?」

「ふ、ふぅ~ん。日本語って難しいんだなあ。もういっそ、英語を社内標準語にしちゃったらどうかな?」

「さあ、それはどうかしらねえ。それでもって副詞として使う時は『と』が入るのよ。一方で『見せる』場合は『と』が入らないわけね。ここ、試験に出るわよ。ちゃんと覚えておきなさい」

「はい、先生」


 こうして今夜も萌先生の課外授業は夜遅くまで続いていったとさ。どっとはらい。






 それから幾年の歳月が流れただろうか。大作は豊臣との戦もそっちのけで日本初の本格的国語辞典の編纂に寝食を注ぐ。

 その気になればスマホに入っている国語辞典を丸パクリすれば簡単に作ることもできる。だけど、そんなことをしたら著作権に厳しいスカッドが黙っているだろうか? いや、黙っている筈がない!

 大作は興奮のあまり思わず反語的表現を使ってしまった。


 とにもかくにも苦難の果てに編集作業は佳境を迎える。

 藤吉郎が懸命に手伝ってくれたこともあって活版印刷を駆使した安価な大量印刷の目途も立つ。

 一方でお園との間に一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。


 しかし、そんな日常は突如として終わりを告げる。天正十九年(1591)の夏に突如として大事件が発生したのだ。

 小田原城内の編集室で国語辞典のゲラ刷りをチェックしていた大作の元に未唯が血相を変えて駆けこんできた。


「大事よ、大佐! 小次郎の爪が伸び過ぎて肉球に食い込んでるわ!」

「な、なんだってぇ~?!」


 大作の魂を絞りだすように(うめ)く悲しげな叫び声が編集室の隅々にまで響き渡る。

 って言うか、ギロチンタイプの猫用爪切り開発を忘れてたじゃんかよ……


『すまない、小次郎。お前を幸せにしてやれなかった』


 伸び過ぎた爪の鋭く尖った先端が小次郎の柔らかい肉球に容赦なく食い込んで行く。

 だが、爪切り無くしてはその痛々しい姿を指をくわえて見守ることしかできない。

 どうすれバインダ~! 大作は血の涙を流しながら喉も張り裂けんばかりの大絶叫を轟かせた。




「煩いわよ、大佐。いったい何時だと思ってるの?」

「なぁ~んだ、夢だったのか。あぁ~~~あ、良かった。俺、明日から…… もう、日付が変わって今日からかな? 心を入れ替えてギロチンタイプの猫用爪切りを作ることを誓うよ」

「そう、良かったわね。だけど、この時代で日が変わるのってお天道様が昇るタイミングなのよ。だからその話は明日にしましょうね……」


 すぐにお園が安らかな寝息を立て始める。相変らず寝付きのよろしいことですなあ。肖りたい肖りたい。

 それにしても例に寄って例の如く外はまだ真っ暗らしい。大作も布団を頭からすっぽりと被り直して二度寝と洒落込んだ。


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