巻ノ弐百四拾壱 振れ!首を縦に の巻
二人の幼女を見送った大作とお園はレンズ研磨作業の視察旅行へと洒落込むことにした。だが、例に寄って例の如く道順とかがさぱ~り分からない。広い広い小田原城の天守の中を当ても無く彷徨い歩き回る。
その道中で偶然にも出会ったメイは小田原少女歌劇団の団長として後輩たちの指導育成に精を出していた。
あの人見知りだったメイが変われば変わるものだなあ。人間というものが与えられた立場によってこうも急成長を遂げるとは。あまりの変貌ぶりに驚きを禁じ得ない限りだ。
大作は人間的成長なんて言葉とはこれっぽっちも縁が無い。むしろ退化してるんじゃなかろうか。何だか穴があったら埋めたい気分になってしまった。
とぼとぼと歩き回るうちに当初の目的を綺麗さっぱり忘れてしまった二人の眼前に今度は賑やかな部屋が現れる。
二十畳くらいの広々とした座敷には職人風の男たちが忙しなく動き回り、何事か作業を行っていた。奥の隅っこの方に立って時々、指示を下している若者へと目を向けてみれば……
「藤吉郎じゃんかよ! お前こんなところで何を油を売って…… じゃなかった、何をしているんだ?」
「おや、大佐ではござりませぬか。大佐こそ斯様なところに何用でござりまするか?」
「あのなあ、質問に質問で返すなよ。馬鹿だと思われちまうぞ」
「ばか? 其れは如何なる意にござりましょうや?」
「阿呆ってことよ、藤吉郎。ちなみに人間爆弾『桜花』に米軍はBAKAってコードネームを付けたんですって」
すかさずお園がフォローを入れてくれた。大作は軽く頭を下げて謝意を示す。
だが、藤吉郎はちょっと不満そうに小首を傾げて口を尖らせる。
「そ、某が阿呆だと申されまするか? まあ、大佐やお園様ほど物知りではござりませぬが。されど某とて懸命にお役目に励んでおるのですぞ。会うたそばから阿呆呼ばわりは如何なものにござりましょうや?」
「いやいや、俺はそんなこと一言も言っていないじゃん。『馬鹿だと思われたら嫌だろ?』っていう仮定に基づいた質問だよ。そう思われたくなかったら…… ってか、そもそも何でこんな話になってんだ?」
「そも、大佐が藤吉郎に何をしてるのかって聞いたからじゃないの? そしたら藤吉郎も大佐に何用で参られたって聞き返したのよ。藤吉郎が初手から何をしてるか話していれば良かったんじゃないかしら」
「そ、そうかも知れんな。んで、藤吉郎。いったいここで何をしてるんだよ? 阿呆だと思われたくなかったら正直に答えてみ。隠すとためにならんぞ」
「そ、某は何も隠してなどおりませぬぞ。瓦版新聞の創刊号を発行せんがために支度を調えておったところにございます。彼方をご覧下さりませ。虎居で試しに作ったサブの版下を覚えておられましょうや? 丁度仕上がったようですな。どうぞご検分のほど願い奉りまする」
ドヤ顔の藤吉郎が差し示す手の先へと目を見やれば文机の上に汚らしい板切れが鎮座ましましていた。ブヨブヨした表面を良く見てみれば細かな凹凸が刻まれている。これってもしかしてもしかすると……
「なあなあ、藤吉郎。これはアレか? ひょっとしてサブで作った版下じゃないのか?」
「あの、その、いや、大佐? 某は今しがたそう申し上げませなんだかな?」
「だぁ~かぁ~らぁ~~~っ! 質問に質問で返すなって言ってるだろ! いい加減にしてくれよ、まったくもう!」
「どうどう、大佐。気を平らかにして頂戴な。藤吉郎も大概にしなさい。戯れも度を過ぎれば身を滅ぼすわよ。それじゃあ、私たちはもう行くわね。瓦版の話は夕餉の時に聞かせて貰うとするわ。そうそう、藤吉郎君。ひとつ言い忘れていたけどあなたは人に褒められる立派なことをしたのよ。胸を張っていいわ。おやすみ!」
長ゼリフを一息に言い切るとお園は大作の手を掴んで逃げ出すように座敷を後にする。口をぽか~んと開けて呆けている藤吉郎は首を傾げつつも黙って作業に戻って行った。
藤吉郎たちの姿が見えなくなるまで歩いた辺りでお園は歩を緩めた。大作は肩で息をつきながら上目遣いでお園の顔色を伺う。
「まったく嫌んなっちゃうよな。藤吉郎みたいな半端者ですらちゃんと仕事を見付けて働いているんだもん。何だか俺たちだけ遊んでるみたいで申し訳ない気がしてきたぞ。給料泥棒って思われていなきゃ良いんだけど」
「またまた、心にも無いことを言うんだから。今の大佐は御本城様なのよ。別に遊んでいたからって誰も何とも思わないんじゃないかしら。だけども何かやってみたいんならやってみるのも良いと思うわよ。まだ手付かずのプロジェクトが数多あるんでしょう?」
「うぅ~ん、何があったっけ? ここって北条だったよな。だったらアレなんか良いかも知れんぞ。御飯に適量の汁を自動的に掛けてくれる絡繰りなんてどうじゃろ。チャップリンのモダンタイムスに出てきた自動給食機みたいで格好良いだろ?」
「何ですって? 御飯に汁を掛けて食べるっていうの? 別々に食べた方が美味しいんじゃないかしら。私ならそうするわよ」
お園がけんもほろほろ…… じゃなかった、けんもほろろといった顔で切り捨てる。これだから氏政のエピソードを知らん奴は困るなあ。
食べ物の話なら何でも食い付いてくると高を括っていたが確固たるポリシーを持っているようだ。大作はちょっと後悔というか反省というか…… 戦略の立て直しを迫られた。
「だったら…… だったらアレはどうじゃろな。刈り取った麦をすぐに食べられるようにする絡繰りなんてどうだ? 青左衛門に作って貰った押し麦製造機を覚えているだろ。アレを軍事転用するんだよ」
「ふ、ふぅ~ん。それで?」
上から目線のお園は軽く顎をしゃくって先を促した。さっきと違って取り敢えず興味だけは持って貰えたようだ。大作はお園の顔色を伺いながら探り探りといった感じで話を進める。
「関東の麦刈りって六月上旬だよな? これって梅雨…… 五月雨に入る直前じゃん。気温だって随分と高くなるしさ。もし刈り入れの時期を逸したら穂発芽とか褪色粒とかで酷いことになるんだろ?」
「だろって言われても私には分からないわよ。それって見た目だけじゃなくて味も悪くなるのかしら? だったら難儀なことねえ」
「そりゃあ風味も落ちるんじゃね? 知らんけど。とにもかくにも穀物って奴は須らく乾燥が必須とされているんだよ。ところが押し麦を作る時は湯気でふやかしてからローラーで潰してただろ? ってことは湿ってるうちに麦を平べったくしてから乾燥させれば一朝一夕…… じゃなかった、一石二鳥じゃん。あとは循環式乾燥機を作って四十五度くらいの乾燥熱風でテンパリング乾燥させるだけの簡単なお仕事だ。な? な? な?」
「それって麦を平たくする絡繰りよねえ。お陰で炊くのが随分と楽になったわ。それにとっても美味しかったし。取り敢えず試してみるとしましょうか」
甲陽軍鑑を読んだことのないお園にはピンときていないらしい。分かったような分からんような曖昧な顔をしている。
だが、ゴーサインすら得られればこっちのものだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろした。
「それで? その乾燥機っていうのは誰に作って頂くのかしら。鍛冶屋にでもお願いするつもりなの?」
「う、うぅ~ん。たぶんだけど鍛冶屋はミニエー銃の件で手一杯なんじゃないかな。轆轤師でも探して頼んでみるとするか。そうと決まれば善は急げ。鉄は熱いうちに打て。急いては事を仕損じるだな」
「制服さんの悪い癖ね。ことを急ぐと元も子も無くすわよ。大佐が不用意に打たれた暗号を解読されたんじゃないかしら。これは私の機関の仕事だわ。大佐は兵隊を必要な時に動かして下されば良いのよ。もちろん私が政府の密命を受けていることも忘れないで頂戴な」
言語明瞭意味不明瞭なお園の話しを右から左に聞き流しつつ大作は長い長い廊下をひたすら歩き続ける。
幾つめかの角を曲がった途端、不意に老人が現れた。間一髪のところで側面衝突を回避した大作はその場で踏鞴を踏む。
老人はといえば大作の顔を見るなり大袈裟に驚いたようすで大きな声をあげた。
「おや? 此方に見えるは新九郎ではないか!」
「誰かと思いきや氏政…… じゃなかった、父上ではござりませぬか。斯様なところで如何なされましたかな?」
「新九郎こそ如何致したのじゃ? 皆が方々を探し回っておったぞ」
「いやいや、質問に質問で返さんで下さりませ。阿呆だと思われちゃいまするぞ」
大作は少しイラっときたが無理矢理に卑屈な笑顔を浮かべる。ここで会ったが百年目。こいつに自動汁掛けマシーンと麦乾燥機のプロジェクトを任せてしまおう。
そんな大作の胸中を知ってか知らずかお園が悪戯っぽい笑みを浮かべて茶化すように口を挟んでくる。
「大佐、同じネタを二回繰り返すのを天丼って言うのよ」
「てんどんじゃと? 其れは美味いのか?」
うわぁ~~~! とうとう氏政まで食いしん坊キャラになっちまったよ。大作は思わず頭を抱え込んで小さな呻き声を上げたくなる。
だが、鋼の精神力で自制心を取り戻すと糞真面目な表情を作って声を発した。
「美味いか不味いかは個人の嗜好によりけりではありますまいかな。それよりも父上を見込んでお願いの儀がございます。どうか首を縦に振って下さりませ」
「こ、こうか? これで良いのか?」
氏政がまるでヘッドバンギングのように頭を激しく上下に振った。その発想はなかったわ! 大作は氏政の評価を一段階だけ引き上げる。
って言うか、そんなに激しく頭を動かしても大丈夫なんだろうか。何だか見ているだけで不安で胸が押しつぶされそうなんですけど。
ネットで見た話では首をグルグル回しただけで障害者になっちまった人もいるんだそうな。赤ちゃんの脳なんかも豆腐みたいに繊細だから激しく振ると深刻なダメージを受けるんだとか。
いやいや、この爺さんは赤ちゃんじゃないんだけれどな。大作は赤ちゃんプレイに興じる氏政を想像して気持ち悪くなってしまった。
「あの、その、いや…… 父上、首を縦に振って下されと申しておるのではござりませんぞ」
「何じゃと、新九郎? たった今、お主はそう申したではあるまいか。あれは空言じゃったか?」
「お義父様。大佐はお願いの儀に首を縦に振って下さりませと申しておられるのですよ。首を縦に振ることをお願いしておるのではございません」
咄嗟にお園が助け舟を出してくれた。大作はアイコンタクトを取って謝意を表す。
ところで助け舟ってどんな船なんだろう。もしかして救命艇みたいな奴か? そう言えばロバート・シェクリイの短編SFに救命艇の叛乱っていうのがあったっけ。あの話のラストってどうなったんだっけかな。いやいや、それよりも今は目前の問題を解決せねば。
大作は明後日の方向に行きかけた意識を持ち前の強い精神力で現実へと引き戻した。
「そもそもYESで首を縦に振り、NOで横に振るというのは世界共通の真理だとお思いでしょうか? 否! ブルガリアの人たちは正反対だそうですぞ。YESで横に、NOで縦に振るんだそうな。琴欧洲とかもそうだったんじゃありませんかな。そう言えば、おいでおいでする時も日本だと手のひらを下向きにしますよね? ところが欧米だとあっち行けって意味になっちゃうんですよ。おいでおいでは欧米だと手のひらを上向きにするんですな。面白いでしょう? ね? ね? ね?」
「そは真か、新九郎? おうべいとやらは何もかも逆様なのじゃな。其は随分と難儀なことよのう」
「ですよねぇ~! とにもかくにも父上。拙僧の願いを一つだけでも聞いては下さりませぬか。これは拙僧の機関の仕事にございます。父上は必要な時に手を貸して下さればよい。無論、拙僧が政府の密命を受けていることもお忘れなく」
大作はお得意のセリフで氏政を煙に巻こうと張り切って説明する。だが、氏政は力ない微笑みを浮かべると大きく首を傾げて両手を開いた。
「さ、さ、左様であるか。じゃが儂には新九郎が何を申しておるのか何が何やらさっぱり分からぬぞ。なればこそ、いま少し分かり易いように申してはくれぬか。して、新九郎よ。何が望みなのじゃ。何なりと申してみよ」
「いやいや、父上。先ほど申し上げませなんだかな? 申して無い? 申して無いんだあ…… こりゃまった失礼致しました! それでですな。えぇ~っと、何だっけ?」
「自動汁掛け絡繰りと麦乾燥絡繰りを作って頂くんじゃなかったかしら。まあ、本当に作るのは轆轤師なんだけれどもね」
ちょっとイライラした様子のお園は結構な早口で相槌を打った。さっきから堂々巡りを繰り替えしていてこれっぽっちも話が前へと進んでいない。どうやら段々とご機嫌が悪くなっているようだ。
これは早めに切り上げるのが吉だな。大作は氏政に向き直ると上目遣いで愛想笑いを浮かべた。
「これは人類にとっては小さな一歩にござりましょう。されど父上にとっては偉大な飛躍となりますぞ。ぶっちゃけた話、北条家四代目当主の氏政って歴史上ではマイナーキャラじゃないですか? いやいや、別に父上を馬鹿…… じゃなかった、阿呆呼ばわりしておるわけではござりませぬぞ。偉人の父親ってみんなそんな扱いなんですもん。たとえば家康の父親が松平広忠って人だって知ってましたか? 秀吉の父親の木下弥右衛門なんてどんな奴だかさぱ~り分からんくらいですぞ。あるいはエイブラハム・リンカーン大統領の父親トーマス・リンカーンなんて聞いたことすらないでしょう? 奴は読み書きもできないような無知無教養で無学な文盲だったそうですぞ。そんな糞野郎に育てられたからあんな糞大統領になったんでしょうな。それをアメリカで最も偉大な大統領だなんて言う奴が沢山いるだなんて。アメリカ人っていう輩は本当にどうしようも無い屑の集まりですな」
大作は吐き捨てるように毒づくと思いっきり顔を顰めた。その余りの剣幕にお園と氏政はドン引きの様子だ。
ちなみに大作はリンカーン大統領も大々の大嫌いだ。何が奴隷開放宣言だ。その影でインディアンを民族浄化レベルで大虐殺した癖に。こんな殺人鬼が偉人だっていうんならヒトラーやスターリンだって聖人になれるぞ。やはりアメリカは滅ぼさねばならんな。どんな卑怯な手を使おうが絶対にだ!
十六世紀末から十七世紀初頭ならイギリス人による侵略はまだまだ限定的な筈だ。このタイミングで徹底的な反撃を仕掛ければアメリカ侵略の意思を挫くことも十分に可能だろう。
例えば…… 炭疽菌なんてどうじゃろう。インディアンの方々には申し訳ないけれど東海岸一帯を汚染地帯にして西欧人への防波堤にしちまうんだ。生活拠点が作れなければ内陸への進出もままならない。西部開拓なんて夢のまた夢。浪速のことも夢のまた夢だ。
そのためには安全かつ効率的に土壌を汚染する方法を構築せねばならんな。手っ取り早いのは風船爆弾か? 技術的難易度は低いしコストも然程は掛からないだろう。今から開発を始めれば十年もあれば大量生産できるかも知れん。できないかも知れんけど。
大作はアメリカ東海岸汚染計画についてああでもない、こうでも無いと思いを巡らせる。だってこういうのは計画している時が一番楽しいんだもん。
そんな大作を尻目にお園と氏政は自動汁掛け絡繰りと麦乾燥絡繰りの話で盛り上がっていた。




