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巻ノ弐百四拾 走れ!衝撃の小田原歌劇団 の巻

 大作、お園、未唯、ほのかの仲良し四人組は小田原城の御本城様の座敷で雁首を揃えて無い知恵を振り絞っていた。


「ねえねえ、大佐。私、良いことを思いついたわよ。猫ちゃん(仮)が戻ってきたのは出羽守様が座敷を出られた後だったってことにすれば良いんじゃないのかしら?」

「いやいや、お園。それだと嘘を付くことになるじゃんかよ。奴は諜報部門のトップ。ナチスに例えれば国防軍情報部に君臨するスパイマスターのカナリス提督みたいなもんだろ? 万一、後で嘘がバレたら相互の信頼関係に大きな悪影響を残すことになるぞ。大戦を目前にして国家指導部の意思不統一は不味いんだよなあ」


 カントやベンサムが何を言ったか知らんけど、あの鬼みたいなおっさんに嘘がバレて怒りを買うのだけは真っ平御免の助三郎。逆に言えば嘘さえつかなければ後は野となれ山となれなのだ。

 どげんかせんと、どげんかせんといかん。誰も傷付けることなく、みんながハッピーになる魔法の解決策を探さねばならん。

 大作は打開策を探して頭をフル回転させる。しかしなにもおもいうかばなかった!


 その長考をフリーズだと思ったんだろうか。猫ちゃん(仮)を膝に乗せた未唯が半笑いを浮かべながら他人事みたいに気軽に言ってのける。


「だったらワシントンの桜の木みたいに正直に話してみたらどうかしら? 存外、何とも思っていないかも知れないわよ。だって、面倒なお役目が無くなるんですもの」

「あのなあ、未唯。国持ち大名にしてやるなんて大見得を切っちまったんだぞ。それを今になって無かったことにできるか? そんな残酷なことは俺にはとてもできないよ。どうしても話すっていうんならお前が行ってくれよ。って言うか、ほのか。元はと言えばお前が早く教えてくれないからこんなことになってるんだぞ。隣の部屋に猫ちゃん(仮)がいるんならいるで一言そう言ってくれれば良かったんだよ。何でもっと早くに教えてくれなかったんだ?」

「え、えぇ~っ! 私めが悪いって言うの? 大佐の方こそ猫ちゃん(仮)を探してるんなら探しているで、初手からそう言ってくれれば良かったのよ。自分のことを棚に上げて私めを責めるなんて全く持って酷い了見だわ!」

「どうどう、ほのか。気を平らかにして頂戴な。二人とも同じくらい悪いってことで取り敢えず手を打ちましょうよ。そんなことよりも今は出羽守様に何てお話するかね。時が経てば経つほど話が大きくなっちゃうわ」


 二人の間に割って入ったお園が上から目線で場を仕切りにくる。だが、仕切るだけ仕切って何の解決策も提示する気はないようだ。それっきり黙ってしまう。

 これはもう駄目かも分からんな。大作は心の中で小さくため息をつくとポンっと両の手を打ち鳴らした。


「俺が…… 俺たちが猫ちゃん(仮)の姿を確認したのはさっき襖を開けた瞬間だよな。それまでの十分か十五分くらいか? その間はこの部屋に猫ちゃん(仮)がいたかどうかは誰も見ていないんじゃね?」

「そうは言うけど大佐。私めは皆が帰ってくるより前に猫ちゃん(仮)が隣の座敷へ入って行くのを見たのよ。だからきっと出羽守様がきた時にもここで寝てたと思うんだけどなあ」

「それはほのかの憶測に過ぎんのだろう? 俺が言いたいのはそこじゃないんだよ。観測者がいない時、対象物がどのように振る舞うかって話をしているんだ。誰も観測していない間の猫ちゃん(仮)は粒子ではなく波のように振る舞っていたんじゃないかって……」

「言うに事欠いて何を阿呆なことを言いだすのよ、大佐! 今時、誰がコペンハーゲン解釈なんて信じてるのかしら? エヴェレット解釈が正しいにきまってるでしょうに!」


 突如としてお園の怒りに火が点いた。こいつの逆鱗って何処にあるんだかかさぱ~り分からんな。大作は内心で辟易しつつも作り笑顔を浮かべながら答える。


「そ、そう言い切るのはどうなんだ? 量子デコヒーレンスってあるよな? って言うか、そもそも今時っていうけど何時のことを言ってるんだ? 今年って天正十八年(1590年)? じゃなかった、天正十七年(1589年)だよな。この時代って波動説と粒子説が対立してたんじゃなかったっけ? マックスウェルの理論をヘルツが証明したお陰でようやく波動説が確立したとか何とか」

「この時代の人のことなんて正直どうでも良いわよ。そも、ミクロな事象の話を猫みたいにマクロの世界に当てはめるのに無理があるって言ってるの。って言うかシュレーディンガーだって本気で猫が半分死んでるって思ってたわけじゃない筈だわ……」

「えぇ~っ! 何で猫ちゃん(仮)すぐ死んでしまうん? こんなに元気そうなのに?」

「うみゃぁ~~~!」


 未唯にぎゅっと抱きしめられた猫ちゃん(仮)がまるで魂を振り絞られるかのような悲鳴を上げた。

 お前が殺しちまわないように注意した方が良いんじゃね? 大作は心の中で突っ込みを入れるが決して顔には出さない。


「安心しろ、未唯。猫ちゃん(仮)の頭は親方の拳骨より硬いんだ。何度でも蘇るさ。ってことで未唯、ほのか。二人で仲良く出羽守殿に猫ちゃん(仮)発見の報告をしてきてくれるかなぁ~? いいとも~! 行方不明の情報は第一通報者の誤解だったってことにしておけば角も立たんさ」

「わ、私めたちを悪者にするつもりなのね。だけども、出羽守様はお怒りになられないかしら?」

「未唯、なんだか怖いわ。って言うか、とっても怖いわ。獲って食われたらどうしましょう」


 どうしようも無いんじゃね? あんな化け物に腕力で敵うはずもないし。大作は心の中で嘲り笑う。だが、そんな本音はおくびにも出さない。

 人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら上目遣いで顔色を伺った。


「なんぼなんでも大丈夫だろ。一応お前らは氏直の娘って設定なんだし。それにこんな年端も行かない幼女に酷いことする筈が無いと思うぞ。薄い本じゃあるまいし。とにもかくにもこれは決定事項だ。反論は許さん。もしもグズるようなら猫ちゃん(仮)を抱っこさせてやれ。奴が猫アレルギーでもない限り、それで機嫌を直すんじゃね? 知らんけど」

「未唯、分かった……」

「ほのか、分かった……」


 二人は不承不承といった顔を浮かべながらも猫ちゃん(仮)と共に座敷を出ていった。

 迷える幼女たちの魂よ、安らかに眠りたまえ。大作はほのかと未唯と猫ちゃん(仮)を纏めて心の中のシュレッダーに放り込んだ。




 がらんとした座敷に取り残された大作とお園は暫しの間、火鉢にあたって暖を取る。十分に体が温まるのを待って大作は口を開いた。


「それで? 俺たちこれから夕飯まで何して時間を潰したら良いのかなあ?」

「さっきの小姓はレンズ研磨って申されたわよねえ。私、それを見に行ってみたいわ。もしかして望遠鏡の実用化は思いの他に近いのかも知れないわよ。近くないかも知らんけど」

「どうなんだろうなあ。報告書を見れば何か分かるんじゃないのかな。どれどれ……」

「それよりも行って見た方がよっぽど早いわね。行きましょうよ。どうせ他にすることもないんだし」


 お園は急に立ち上がると大作の手を掴んで勢い良く引っ張る。一体この小さな体のどこにこんな力が潜んでいるんだろう。予想外の強い力に引っ張られた大作は引き摺られるように連れて行かれた。


「なあなあ、お園さんよ。それでそのレンズ研磨っていうのは何処でやってるんだ? 場所とかは分かってるのか?」

「多分こっちよ。さっきの小姓はこっちからきてこっちに戻って行ったんだもの」

「そ、そうなんだ。そんなの良く見ていたな。取り敢えず迷子にならんようにだけは気を付けてくれよ」

「安堵して頂戴な、大佐。私を信じないで。私を信じる大佐を信じて」


 いやいや、それが信用できないから困ってるんですけど。大作は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。




 迷路のような城内を彷徨うように歩くこと暫し。二人はやがて二十畳くらいの広々とした広間に辿り着く。

 部屋の中には十人ほどの小袖を着た武家風の若い女性たちが怖いくらい真剣な顔をして座っていた。

 手前には華やかな模様の高そうな打掛を羽織った女性が鎮座ましましている。だが、向こうを向いているので顔は見えない。どうやらこいつが現場監督みたいな立ち位置らしい。


 さっきの小姓はいないんだろうか。大作は座敷を隅々まで見回すが男は一人もいないようだ。

 男女七歳にして席を同じゅうせずとは良く言ったものだ。こんなんじゃあ男女共同参画社会の実現は遠いな。浪速のことは夢のまた夢だぞ。

 大作は小さくため息をつくと遠慮がちに声を発した。


「Well... Excuse me? えぇ~っと、皆さんここで何をされてるんですかな? いやいや、拙僧は怪しい物ではござりませぬぞ。ある時は謎の僧侶、またある時は不思議なお坊さん、しかしてその実体は……!」

「あら、大佐じゃないの。わざわざ様子を見にきてくれたのかしら?」

「先にいうなよ~! ヒーローが名乗りを上げてる時は邪魔しちゃいけないんだぞ。元寇の時の蒙古兵じゃあるまいし勘弁してくれよまったく…… って言うか、メイじゃんかよ。お前こそ何でこんなところで油を売ってんだ?」

「油? 私、油なんて売っていないわよ」


 口を尖がらせたメイが不思議そうに小首を傾げる。

 ちなみに『油を売る」という言葉が仕事をサボるという意味で使われるようになったのは江戸時代に入ってからのことらしい。

 アレ? 斎藤道三とかも油を売っていなかったっけ。国盗り物語で平幹二朗がやってたような気がするんだけれどなあ。平幹二朗といえば『信長 KING OF ZIPANGU』に出てきた加納随天とかいう祈祷師は強烈なインパクトがあったなあ。そう言えば……


「大佐? 大佐ったら! いったい油がどうしたっていうのよ。もしかしてテレピン油のことが気になるのかしら」

「いやいや、油のことは忘れてくれていいよ。って言うか、頼むから忘れてくれ。そんなことよりメイ、ここで何をやってるんだ? こちらのお方々はどちら様? 今から何が始まるんだ?」

「私、朝餉の後で言ったわよねえ? コーラス隊のオーディションをやるって。皆様方は厳しいオーディションで選び抜かれた記念すべき第一期メンバーなのよ。みんなとってもお歌が達者なんだから。良かったら聴いて行く?」

「そ、そう言えばそんなこと言ってたな。そうかそうか、皆様方が北条コーラス隊にあらせられまするか。いやいや、善き哉、善き哉」

善哉(ぜんざい)ですって! それって美味しいの?」


 突如としてお園が食べ物の匂いに食らいついてくる。って言うか、よく善哉なんて知っているもんだなあ。

 いやいや、一休宗純が食べてあまりの美味しさに思わず善哉って言ったとか言わなかったとか。


「あのなあ、誰も善哉の話なんてしていないんですけど? 善哉の話はしていない。絶対にだ! んで、話を戻しても良いかな? 自分で言っといて何だけど北条コーラス隊って名前はセンス無いよなあ。もっと格好の良い名前はないもんじゃろか? 小田原少女歌劇団とかさあ」

「扇子? そんな物は……」

「だ~か~らぁ~~~! 悪いんだけど、お園はちょっだけ静かにしててくれるかな? 話が進まんだろ?」

「……」


 お園は返事もせずに不機嫌そうな顔でそっぽを向いてしまった。

 これは後でフォローが必要だな。だが、取り敢えずは目前の問題を片付けねばならん。大作はメイに向き直る。


「それじゃあユニット名は小田原少女歌劇団ってことで決まりだな。まもなく始まる大戦においては慰問団みたいなのが必要になるかも知れん。大東亜戦争中は宝塚の方々だって各地を慰問に回っていたそうだぞ。諸君らの活躍に期待するところ大である」

「いもん? 彼方此方を回って歌うってことかしら?」

「まあ、中らずと雖も遠からずだな。大相撲の地方巡業みたいなものだと思っとけば良いんじゃね? 知らんけど」

「分かったわ、大佐。私、楽しみにしてるわね」


 本当に分かっているんだろうか。分かっていないんだろうなあ。まあ、説明が悪いのが諸悪の根源なんだけれども。

 大作は頭をぶるぶるっと振るわせて心の中の少女歌劇団を追い払った。


「ところでメイ。ちょっとだけで良いから何か歌ってもらうことはできるかな? 皆様方の現時点での歌唱力を把握して置きたいんだけれども」

「歌う? 今すぐにですって? いくら何でもそれは無理よ。何のお稽古もしていないんですもの。どうしてもって言うんなら三日ばかり頂戴な。それまでには……」

「いやいや、駄目なら駄目で結構だよ。ちょっとだけでも聴けたらなって思っただけなんだ。俺たちのことは気にしないで練習を続けてくれ」

「分かったわ、大佐。そこで目をかっぽじって良く見ていて頂戴な。では、皆様方。まずは複式呼吸についてお教えいたします。私のお腹の辺りを良く見ていて下さりませ。息を吸う時に……」


 女性たちに向き直ったメイが堂々とした態度でボイストレーニングについて熱く語りだした。この意味不明な自信はどこから湧いてくるんだろう。始めて会った時の人見知りキャラは何だったんだ。これは成長したっていうよりはキャラがブレてるって言った方が良いのかも知れんなあ。って言うか、歌の基礎レッスンなんて見学していても退屈なだけなんですけど。

 始まって数分で我慢の限界に達した大作は黙って座敷を後にした。






「さぁ~てと。次は何して遊ぼうか、お園?」

「……」

「もしもし、お園さん? どしたん、お腹でも痛いのか?」

「……」


 へんじがない、ただのしかばねのようだ。いやいや、そんな馬鹿なことがあって堪るか。とは言え、だったら何で黙っているんだろう。能面のように感情の読めない無表情が何だか不気味だ。

 知らないうちにお園が人形とすり替わっていたら怖いなあ。突如として大作の脳裏に怖い考えが浮かび上がってしまった。

 だが、まじまじと観察してみると呼吸や瞳孔が動いている様子が観察できる。ほっと安堵の胸を撫で下ろした大作は上目遣いに顔色を伺った。


「だ、黙ってちゃ分からんぞ。対話の門は常に開かれているんだ。何とか言ってみろよ」

「何とか……」


 なんてベタな返しなんだろう。大作は不覚にも吹き出しそうになる。だけどこんな人たちに負けるわけにはいかない。下唇を強く噛み締めて必死に笑いを我慢した。我慢したのだが…… 遂には我慢しきれずに大爆笑してしまう。


「ぷっ、くす、あはははは。わはははは! うわはははは!」

「何がそんなに可笑しいのよ、大佐?」

「だって『何とかいってみろ』って言われて『何とか』って返すか? 俺、本当にそんなこと言う奴は初めて見たぞ」

「そうかしら。じゃあ大佐は何て言って欲しかったの? 言ってみなさいよ、聞いてあげるから」


 小首を傾げたお園の表情が僅かに綻んでいる。危機は去ったのか? まだ安心するのは早いか? 大作は探り探りといった感じで言葉のジャブを打つ。


「いや、どうなんだろな? 特に希望は無いんだけどさ。そういう時は心に思ったままを言葉にすれば良いんじゃないのかなあ」

「だったら言わせてもらうわ。さっき大佐は『黙ってろ!』なんて言ったけど随分と無礼なんじゃないかしら?」

「そ、そ、そんなはずないだろ。俺は『少し大人しくしててね』みたいなニュアンスのことを言ったはずなんだけどなあ。って言うかお前は完全記憶能力者だろ? 都合の悪い時だけ記憶を捏造しないでくれよ」

「私、ねつぞうなんてしていないわよ。絶対にねつぞうしない! 絶対によ!」

「いやいやいや、俺だって『黙れ!』なんて絶対に言ってないぞ。絶対に言ってない! 絶対にだ!」


 人目も憚らずに阿呆なやり取りをしながら大作とお園は天守の廊下を練り歩く。

 そんな様子を城内の様々な人たちに見られていることを当人たちは知る由も無い。

 ちなみに二人の頭の中からは肝心のレンズのことはさぱ~り抜け落ちていた。


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