巻ノ弐百参拾六 宇宙戦艦シナノ の巻
波乱に富んだ小田原評定を何とか無事に終わらせた大作は意気揚々と自室へ戻る。
だが、座敷に面した廊下でアポイントメントも取らずに待っていたのは岡本越前守八郎左衛門秀長とかいう初老のおっちゃんだった。
門松奉行を名乗った男は切々と訴える。テレピン油計画のため領内の松を根こそぎ伐採したせいで正月用の門松が作れないんだとか何とか。
大作は『しらんがな~!』と絶叫したいのを鋼の精神力で抑え込むと男をテレピン油奉行の役職に任じるのであった。どっとはらい。
例に寄って例の如く、大作とお園は岡本越前守とやらを伴って小田原城の廊下を当てもなく歩いていた。
女性陣や藤吉郎、ナントカ丸は他に用事があるとか言ってみんなどこかに行ってしまったのだ。
アレって本当なんだろうか。もしかしてテレピン油を手伝いたくなかっただけなんじゃなかろうな。まあ、どっちでも良いけどさ。
大作は内心の不安を必死に抑え込みながら努めて明るい声を上げた。
「俺たちっていま、どこに向かっていると思う? 当てっこゲームしてみないか?」
「大佐ったら何をまた阿呆なことを言い出すのよ。テレピン油を作ってるところに行くんじゃなかったのかしら?」
「いやいや、だからそれはどこなんだって話だよ」
「ここでは無いどこかじゃないのかしら。知らんけど」
お園は他人事みたいに言い捨てると肩の高さで両の手のひらを広げた。まあ、本当に他人事なんだけれども。
そりゃあ知ってるわけが無いよなあ。また阿呆なことを聞いてしまったと大作は反省する。
と思いきや、答えは意外なところから反ってきた。岡本越前守とやらがちょっと遠慮がちに口を開いたのだ。
「御本城様、其れならば小峰曲輪に参られては如何にござりましょうや。切り倒した松の木は彼方に運ばれておるようにございますぞ」
「さ、左様にございますか。ってか、なんで越前守殿がそれをご存じなんですかな?」
「先日より御領内の彼方此方から数多の松を載せた馬がひっきりなしに行き来しておりまする。御城下で其れを知らぬ者はおりますまい」
が~んだな。テレピン油製造は極秘中の極秘事項だというのに。もしかしてこれって公然の秘密って奴なんだろうか?
そういえば戦艦大和の建造とかも極秘裏に進められていたんだっけ。だけど実際には子供でも知ってる公然の秘密だったそうな。膨大な量の棕櫚で簾を作ったり、呉線の列車からドックが見えるっていうんでトタンで目隠し板を八百メートルも作ったのになあ。あの努力は丸っきり無駄だったんだろうか? って言うか、そんな大袈裟なことをするから反って目立ってしまったのかも知れんな。
ちなみに大和っていう艦名は昭和天皇が決めたんだそうな。大和と信濃の二つが候補に挙がっていたらしい。もしここで信濃が選ばれていたら宇宙戦艦もシナノになっていたんだろうか。んで、代わりに空母大和が出港から僅か十七時間で沈んでしまうわけだ。
「違うわよ、大佐。信濃の出航は十一月二十八日午後一時三十分。沈んだのは翌二十九日の午前十時五十七分でしょう。だから浮かんでいたのは二十一時間二十七分になるわ」
不意に掛けられたお園の声に大作の意識が現実に引き戻される。どうやらまたもや考えていたことを口に出していたらしい。
「いやいや、Wikipediaにはちゃんと『出港してからはわずか十七時間』って書いてあるんだけどなあ。出典は諏訪繁治の『沈みゆく信濃 知られざる撃沈の瞬間』とかJ.F.エンライトとJ.W.ライアンの『信濃! 日本秘密空母の沈没』らしいぞ。あと、横井俊之ほかの『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』とかさ」
「いくら書いてあっても間違いは間違いだわ。潜水艦アーチャーフィッシュが午前六時十四分に潜望鏡を上げたけど何も見えなかったんでしょう。それを沈んだと勘違いしたんじゃないかしら。実際には午前八時前までは微速前進していたはずよ。止まっちゃったのは復水器の支障でボイラー給水用の真水が欠乏したのが原因だそうね」
「もしかしてアレじゃね? 艦隊は金田湾で時間調整して午後六時三十分に外洋へ出たって書いてあるだろ。そこからカウントすれば十六時間半になるじゃん。だから『出港して十七時間』じゃなくて本当は『外洋に出て十七時間』だったのに誰かが勘違いしたのかも知れんな。それが何度何度も孫引きされてるうちに間違って伝わったんだよ。それに二十二時間より十七時間の方が短さが強調されてインパクトがあると思ったんじゃね?」
「だからって嘘を書いちゃいけないわよ。嘘は百篇言っても嘘だわ。本当になんてならないんだからね」
「へいへい、分かりやしたよ」
そんな阿呆な話をしながらも一同は本丸の南にある枡形虎口を通り抜け、急な坂を下って二ノ丸に入る。暫く西へ歩くと突き当りにぶつかったので北に向きを変えた。
いつの間にか岡本越前守が先導するような形になっているけれど小峰曲輪とやらへ向かっているんだろうか。全然違う所に向かっていたらびっくりだな。とは言え、何処に向かってるんですか何て阿呆なことは聞けないし。大作は黙って後を付いていくことしかできない。
本丸西のだだっ広い空き地では何頭もの馬が重そうに松の木を担いで北に向かって歩いていた。反対向きには荷を降ろした馬が解放感で一杯の顔をして帰って行く。
「危ない! 大佐、もうちょっとで馬糞を踏んづけるところだったわよ。ちゃんと下を見て歩いて頂戴な」
「うわぁ! びっくしりたなあ、もう。誰かスタッフを配置して馬糞を掃除させた方が良いのかも知れんな」
「馬糞は良い肥料になると申しますでな。百姓にでもくれてやれば喜んで拾いに参ることにござりましょう。序ながら牛糞は乾かすと良う燃えますので薪の代わりになりまするぞ」
岡本越前守がドヤ顔でお婆ちゃんの豆知識を披露する。って言うか、俺から無駄薀蓄を盗らないで欲しいんだけどなあ。大作は心の中で小さく呟くが決して顔には出さない。
暫く進むとその先は高い塀が巡らされていて行き止まりになっていた。塀の一番右端には小さな門があり、扉は開け放たれている。ひっきりなしに馬が出入りしているんだから当然なんだけれども。
門の脇には暇そうな門番が一人で突っ立っていた。若い男は大作の姿を認めた途端に深々と頭を下げる。大作は右手を掲げてひらひらさせながら明るく声を掛けた。
「通らせて貰っても宜しいですかな? 良い? そんじゃあ遠慮なく。そうそう、こちらの岡本越前守殿は今日からテレピン油奉行ですぞ。顔を覚えておいて下さりませ」
「ぎょ、御意!」
門を潜って小峰曲輪とやらに入ると疎らに木々の生えた林のような原っぱが広がっていた。
お目当ての場所はどうやら目前らしい。辺り一面にはところ狭しと松の木が積み上げられている。芥川龍之介の芋粥かよ! 堆く重ねられた材木を見ているだけで大作はお腹一杯の気分だ。
その先では大勢の人足たちが斧や鉈を振り回して松の木を切ったり割ったりしている。破砕機が無いのでチップへの加工は人力でやるしかないんだろう。
僅かな隙間を縫うように進んでいくとドラム缶を寝かせたような物がいくつも並んでいるところに出くわした。奥には大きな竈があり、薄汚い格好の人足が次から次へと薪をくべている。その上にもドラム缶のような太い筒があり、何本もの配管が周囲のドラム缶へと繋がっているようだ。
これってもしかして炉筒煙管ボイラ? ボイラー? どっちなんだっけ。確かJISではボイラだけど国家資格はボイラー技士だったような。
「とりあえずJISに合わせておけば良いんじゃないかしら。知らんけど」
「そ、そうだな。JISの規格票様式規格(JIS Z 8301:1996)には三音節以上の語は語尾の長音記号を省く、二音節以内の語では省かない、複合語はそれぞれの単語によるって書いてあるな」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだぁ~ じゃあ、やっぱりボイラね」
「ちなみにJISではフロッピーディスクのことをフレキシブルディスクっていうんだぞ。知ってたか?」
「あのねえ、大佐。今時の若者がフロッピーなんて知ってるわけないでしょうに。そんなんだから萌に昭和生まれなんじゃねって言われるのよ」
目を凝らすとパイプの継ぎ目のあちこちから蒸気が吹き出しているのが目に入った。何だか見るからに恐ろし気だなあ。
と思いきや、それをメンテナンスしているのだろうか。職人風の男が忙しげに走り回り、粘土のような物を塗りたくった上からボロ布を当てて荒縄で巻いている。
こんなんで大丈夫なんだろうか。ちょっと、っていうか物凄く怖いんですけど。大作は何かあったらBダッシュで逃げられるように警戒しながら近づいて行く。
「これはこれは御本城様、斯様にむさ苦しきところへようこそお出で下さりました」
「うわらば!」
背後から突如として掛けられた声に大作は例に寄ってオーバーリアクション気味の絶叫で答える。何をさて置いても歴史と伝統だけは守られねばならん。絶対にだ!
引き攣った笑顔を浮かべながら振り向くと小奇麗な格好をした若い侍が深々と頭を下げていた。
「あの、その、いや、拙僧は決して怪しい者ではございませぬぞ。私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、 姓は生須賀、名は大作、人呼んでラピュタ王国の正当な王位継承者の大佐と発します」
「た、たいさ? いやいや、何をお戯れを申されまするか御本城様。御本城様が怪しい筈がありますまいて」
「や、や、やっぱりそうですよねぇ~! そんな気がしてたんですよ。んで、お宅はどちら様でしたかな? いやその、もちろん知ってますよ。知ってますけど貴殿の口から直接お聞きしたいんですよねえ。良かったら姓名官職を教えては頂けませぬかな? まあ、無理にとは申しませぬが」
向こうはこちらを知っているというのに相手の名前が分からないって辛いなあ。大作は精一杯のさり気なさを装いながら若侍の身元を探る。
ところが男は思いっきり怪訝な表情をすると大きく首を傾げた。
「そ、某の名をお尋ねと申されまするか? 山角紀伊守が嫡男、正定にござりまするが。よもやお忘れになられましたかな?」
「山角殿ですと? おやおや、何だか聞き覚えのあるお名前ですなあ。小さなことが気になってしまう。拙僧の悪い癖でしてな。うぅ~ん……」
「あのねえ、大佐。山角紀伊守様っていうのは朝餉をご一緒したお方じゃなかったかしら。督姫が氏直に嫁ぐ折に媒酌を勤められたとか何とか」
「あぁ~あ! 閃いた…… じゃなかった、思い出したよ。あの爺さん…… じゃなかった、あのお方の御令息にございましたか。これはこれはとんだご無礼を仕りました。何卒お許し下さりませ」
大作は何度もぺこぺこと頭を下げると卑屈な笑みを浮かべながら顔色を伺う。だが、山角正定とやらの顔には一段と濃い疑念の色が浮かぶ。
これは何としてでも話を反らさねばならんな。焦った大作は話題の急ハンドルを切った。
「おお、アレが噂の水蒸気蒸留器にございますか! どんな案配ですかな? テレピン油は沢山採れましたか? 燃料消費率は如何ですかな? 大勢の人足を使っておるようですが人件費は如何ほどで?」
「そ、そうですなあ。一本の松の木より採れる油は一斗ほどではござりますまいかな。一日十本として一石にはなりましょう。薪のことは薪炭奉行にお尋ね下さりませ。一日二十文で集めた人足を二十人ほど使うております故、日当には一日に銭四百文ほど掛かっております」
ちょっと困らせてやろうと思っただけの意地悪質問に山角正定はノータイムで的確な回答を打ち返してきた。
こうなったらどうにかしてギャフン(死語)と言わせてやりたいなあ。大作は邪悪な笑みを浮かべながら灰色の脳細胞をフル回転させる。しかしなにもおもいつかなかった。
まあ、どうでも良いや。どうせこいつは首にするんだし。新しいテレピン油奉行は岡本越前守って決まっているのだ。大作は考えるのを止めた。
「他にも松の伐採や運搬、廃材の処理、ボイラや蒸留器のメンテナンス、取れた油を入れる容器、エトセトラエトセトラ。トータルでどれほどの費用が掛かるものやら見当も付きませぬな。まあ、気付いた範囲で可能な限りの節約をして行きましょう。それでは燃焼試験を行いたいので少しばかり油を分けて頂いても構いませぬかな?」
「畏まりましてございます。少しばかりと申されましたが一斗ほどで宜しゅうござりましょうや。すぐに支度いたします故、此方にてお待ち下さりませ」
そう言うと山角正定は返事も待たず小走りに駆け出した。何て気の早い奴なんだろう。慌てる乞食は貰いが少ないんだぞ。
だがちょっと待って欲しい。一斗って十八リットルじゃなかったっけ? そんな重い物は運べないんですけど。なんたって『色男、金と力はなかりけり』なのだ。
「お、お待ち下され! 一斗も必要ございません。取り敢えず一升ほど頂けますか? 足りなかったらまた貰いにきますんで」
「では、此方にお出で下さりませ。して、何にお入れ致しましょうかな」
「あ、あぁ~っ…… 入れ物を持ってくるのを忘れておりました。何ぞ適当な器をお借りできますかな? 後で洗ってお返し致します」
「然ればこの徳利にお入れ致しましょう」
山角正定はその辺に転がっていた徳利を拾い上げると桶から油を柄杓で掬って入れてくれた。もしかして真面目に相手をするのが面倒臭くなってきたんだろうか。そろそろ撤退するのが吉かも知れん。大作は徳利を受け取ると逃げ去るようにその場を後にした。
一升の徳利を大事そうに抱き抱えた大作はお園と並んできた道をすごすごと戻って行く。門番に軽く頭を下げて門を潜り抜けると広場には相変らず馬が列をなしている。二人は馬糞に気を付けながら南に向かって進んで行った。
「ねえ、大佐。燃焼実験ってどんなことをするつもりなの? もしかして蒲生でやったみたいにお城を燃やすのかしら」
「いやいや、燃やしてない燃やしてない。アレは俺が華麗に消火したじゃん。それよりも今は一定量の油でどれくらいの広さを火の海にできるのか調べておきたいんだよ。敵を火炎瓶で攻撃する時、どれくらいの量が必要か見積もらなきゃならんだろ? 仮に一平米当り百ミリリットルだったら一平方キロを火の海にするには百万倍だから……」
「百キロリットルね。それって大層な量よねえ。運ぶには馬が千頭は入用になるわよ。それにどうやって敵の陣にそれを投げ込むつもりなのかしら。一つ十リットルの壺に入れるとして一万もの壺を投げ込まなきゃならないわ。投石器だったかしら? 例えばアレを百ほど揃えても百ずつ投げ込まなきゃいけないわよねえ。いったいどれほどの時が掛かると思ってるのかしら。それに……」
なんじゃこりゃあ~! お園までもがじゃがいも警察に感染しちまったのか? 大作は一瞬、頭を抱え込みたくなる。だが、すぐに気を取り直した。
だってこいつやお園が何を言おうがこっちにはスカッドという強い味方が付いてるんだもん。きっとピンチの時はご都合主義の神風が吹いて何とかなるに決まっている。って言うか、何とかならないと困る。何とかなったら良いなあ。
そんなことを考えながら大作は二の丸の東に向かって歩いて行く。地図によると堀の向こうには蓮池とかいう池の手前に細長い空き地が広がっているはずだ。あそこならテレピン油の燃焼実験をやっても延焼の心配は無いだろう。
「どうどう、お園。落ち着いてくれるかな。さっき言った一平米で百ミリリットルってのはフェルミ推定のために適当に言った数字なんだ。それを今からもうちょっと正確に求めようってことさ。まずは燃焼試験をきちんとやろうよ。心配するのは結果を見てからにしてくれるかな~?」
「はいはい、いいとも~! これで満足かしら。とにもかくにも火の用心だけは怠らないで頂戴ね。頼んだわよ」
お園はよっぽど蒲生城の失敗に懲りているんだろうか。いまだに心配そうな表情を崩そうとしない。
信頼を失うのは一瞬、取り戻すのは一生とは良く言ったものだ。大作は徳利をぎゅっと抱きしめると気合を入れ直した。




