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巻ノ弐百参拾参 停止液は酢酸のにほひ の巻

 デザートの羊羹を食べながらお茶を飲んで一息ついた一同は早々と就寝することになった。何だかんだと言いながら全員、長旅で疲れていたのだ。

 例に寄って例の如く、その他大勢の皆さんには隣の部屋にお引き取り頂く。

 部屋の中はとっても寒い。大作とお園は部屋の中にテントを張ると中へ入って横になる。

 真冬がくる前に綿の入った敷布団や温かい羽根布団を作らねばならんな。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。


「なあなあ、お園。さっきは何であんなに怒ってたんだ? 怒らないから正直に話してみ?」

「私、殊更に怒ってなんかいないわ。ちょっとばかし心苛られただけよ。だって大佐ったら萌や藤吉郎、メイ、ほのか、はては未唯にまでお役目をやっちゃうんですもの。なのに私だけ何にも無いってどういうことかしら? そんなこと御仏がお許しになっても巫女頭領の……」

「どうどう、落ち着いて。やっぱ怒ってるじゃんか。でもなあ、お園。考えてもみろよ。お前はナチスに例えるとエヴァ・ブラウンにあたるんだぞ。あのお方はヒトラー専属カメラマン、ハインリヒ・ホフマンの助手って肩書でベルクホーフ山荘に住み込んでたんじゃなかったっけ? ってことはやっぱり写真の実用化を急がねばならんな。臭素の入手は困難が予想される。バックアップとしてヨウ硝化銀も並行して開発させよう」

「そう、良かったわね……」


 隣で横になっているお園が安らかな寝息を立て始める。何でも腹を割って話せば分かって貰える物だなあ。大作は写真乾板の開発を心の中のメモ帳に書き込むと夢の世界へと赴いた。






 それから瞬く間に三ヶ月が流れた。臭素の入手には予想を超える苦難の連続に見舞われる。だが、大作とお園は寸暇を惜しんで感光乳剤の研究に没頭した。

 同時に忙しさの合間を縫うようにレンズやシャッター等の開発も並行して行う。数々のカメラを試作してはテストと改良を繰り返した。

 やがて二人の精力的な努力は芽を結ぶ。桜の咲くころには手軽に持ち運んで気軽に撮影できるカメラとフィルムが完成したのだ。


 小田原城で開かれたお披露目撮影会は当初、人々に奇異の目を持って迎えられた。だが、大作の熱心な宣伝活動によって人々の写真に対する意識は徐々に変わって行く。写真館の開店から一月が過ぎた今では撮影を希望する客の列が途切れることは無いほどだ。


 お園との間にも一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。

 いやいや、たったの三ヶ月で? それっておかしくね? あと、千姫と万姫の立場はどうなってるの? 謎は深まるばかりだ。


 だがそんな日常は突然に終わりを告げる。天正十八年(1590)三月中旬に北国勢が碓氷峠を攻撃したのだ。

 大作が小田原城の暗室でプリント作業を行っていると突如として乱入したお園が大声で叫ぶ。


「大佐、豊臣の兵が碓氷に攻めてきたわよ!」


 お園の魂を絞りだすように(うめ)く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。


『あのなあ、お園。暗室のドアを開けたら駄目だって言ったじゃん。作業中の札を見なかったのか?』


 大作は心の中で愚痴るが口に出す勇気は無い。

 って言うか、写真開発に夢中になっていたせいで戦のことを忘れていたとは情けないなあ。穴があったら埋めたいぞ。


「大佐、そろそろ起きて頂戴な!」


 お園に体を揺さぶられて大作は唐突に夢から覚めた。




「おはよう、大佐。どうせ知らない天井なんでしょう? ねえ、ねえ。知らないんでしょう?」


 上機嫌のお園が腕を絡ませて纏わり付いてくる。

 寝る前の不機嫌さはいったいどこへ飛んで行ったんだろう。大作はお園の豹変ぶりにちょっと戸惑いつつも努めて明るい声で返した。


「いやいや、先回りして言わないでくれよ。ところで今日って何月何日だ?」

「天正十七年十一月十七日よ。西暦だと1589年12月24日ね」

「えぇ~っ! それってクリスマスイブじゃん。って言うか、年末チャリティーコンサートの準備が少しもできていないんですけど……」

「あら、大佐ったら西暦でやるつもりだったの? だけど、いまごろ年の瀬だって言われても誰も得心しないと思うわよ。悪いことは言わないわ。あと一月待ちなさい。その間に確と支度を調えましょう」


 有無を言わせぬお園の勢いに大作も黙って頷くことしかできない。だって、今日明日でコンサートの準備をやれだなんて無茶も良いところなんだもん。大作はチャリティーコンサートのセットリストを心の中のシュレッダーに放り込んだ。




 テントを畳んで身嗜みを調えているとナントカ丸を先頭に膳を抱えた若い男たちがやってきた。その顔ぶれは以前にも膳を運んでくれた連中と似ているような似ていないような。

 例に寄って膳は四つも並んでいる。これはアレだな。いつもみたいに誰かやってきて留守中の報告とかしてくれるんだろう。

 朝食のメニューはといえば玄米の雑炊、山菜がいっぱい入った汁物、見覚えのある魚の塩焼きなんかのフルコースだ。


 待つこと暫し。年配の男が二人で現れると簡単な挨拶の後、食事をとりながら業務報告を始めた。だが、大作はそのありがたいお話を右から左に聞き流す。だって意味が全くといって良いほど理解できないんだもん。

 そもそもこいつら誰だっけ? どこにでもいるような普通の爺さんなので個体の見分けがさぱ~りつかないんですけど。

 そう言えばAKBとかのファンをやってる人には連中の個々の見分けがつくって聞いたことがある。だが失顔症の大作には猿山の猿の見分けがつかないように全員が同じに見えてしょうがないのだ。


 二人の爺さんの一方はいかにも戦国武将といった感じの厳つい男だ。それに比べてもう一人は随分と華奢な感じの文官タイプに見える。辛うじて二人の区別だけは付くんだけどなあ。だけどもこれが誰だかなんて分かる筈も無い。早々とギブアップした大作はナントカ丸の耳元で囁く。


「なあなあ、こちらのお方はどちら様だったっけ? 姓名官職を教えてくれるかなぁ~?」

「刑部左衛門尉様のことでございますか? 山角紀伊守様は虎朱印状の奉者や奉行人、評定衆をお務めにございます。御馬廻衆筆頭、上野介様の御舎弟にあらせられますぞ」

「ふぅ~ん、そうなんだ。って言うか、またもや吉良様のご登場かよ。清水康英と紛らわしいな。どれどれ……」


 スマホを弄って大作は山角刑部左衛門とやらに関する情報を漁る。

 山角氏は所領高こそ少ないが代々に渡って奉者や奉行を務めた重臣だそうな。

 兄、康定の康は氏康からの偏諱なんだとか。ちなみに刑部左衛門尉は督姫が氏直に嫁いだ時の媒酌も勤めたらしい。

 小田原開城の後、氏直が高野山に上った時にも付き従ったとのことだ。もっとも氏直の没後は例に寄って徳川に再就職するそうなんだけれど。

 どいつもこいつも要領の良いことだ。まあ、それくらいの強かさがないと生き馬の目を抜く戦国時代を生き残れないんだろうけれども。


「んじゃあ、こっちのお方はどちら様?」

「下野守様にござりますな。石巻左馬允様も御馬廻衆のお一人で奉行人や評定衆もお務めですぞ」


 石巻? どっかで聞いたような聞かなかったような…… ってか、これって石巻康敬じゃね?!

 この人は確か名胡桃事件を弁明するため上洛したら捕虜になっちゃった可哀想な人じゃなかろうか。駿河の三枚橋城に抑留されて処刑されそうになるって書いてあるんですけど。

 そんな人がどうしてこの場にいるんだろう。謎は深まるばかりだ。


 いやいや、上洛は氏直と氏政がやっちゃったんだっけ。そのせいでこの爺さんは一世一代の見せ場を取られてしまったわけだ。この不機嫌そうな顔もそう考えれば説明が付く。謎は全て解けた!


 そんな取り留めのないことを考えている間にも二人の老人は静かになっていた。永遠に続くかと思われた報告会もどうやら無事に終わったらしい。

 石巻康敬へと向き直った大作は糞真面目な表情を作って深々と頭を下げる。


「下野守殿。此度は急なこと故、貴殿には申し訳ないことを致しましたな。謹んでお詫び申し上げます。次に京の都へ参る折は必ずや下野守殿をお誘いしますので機嫌を直しては下さりませぬか? ね? ね? ね?」

「いやいや、御本城様。儂は機嫌なぞ露ばかりも悪うしておりませぬぞ。頭をお上げ下さりませ」

「お許し頂けると申されまするか? あなうれしや!」


 大作がオーバーリアクション気味に喜びを表現すると石巻康敬も満更でも無いといった風に表情を綻ばせた。

 もしかして怒ってなんかいなかったのか? だったら謝り損じゃないかよ。まあ、お礼とお辞儀はタダだ。使わんと勿体無い。

 と思いきや、山角刑部左衛門とやらが小さく咳払いをすると話に割り込んできた。


「時に御本城様、碓氷は如何にござりましたかな? 戦の備えは滞りのう進んでおりましょうや?」

「うぅ~ん、進んでおると申さば進んでおりましたかな。とは申せ、信頼できる情報によれば碓氷を攻めてくる北国勢は三万五千にも及ぶとか及ばないとか。大道寺殿の河越衆が如何に勇猛果敢とは申せ僅か三千で迎え撃つのは些か難しゅうござりましょうな」

「さ、三万五千と申されましたか! 其れは大軍にございますな。十倍もの敵に何処まで立ち向かえるものやら。して、御本城様は如何致すおつもりで?」


 よくぞ聞いてくれました! このタイミングで一万人増派の根回しをしておこう。大作は心の中で喝采を上げるが決して顔には出さない。


「そこで拙僧は考えました。兵を一万人ばかり増派しては如何にござりましょう?」

「ぞうは?」

「こんな字を書きますな。増やして派遣するといった意にございます。如何でしょうか? 下野守殿、刑部左衛門尉殿。拙僧の増派プランにご賛同を頂けましょうや?」


 タカ○トミーのせん○いに書かれた文字を二人の爺さんが首を伸ばして覗き込む。

 暫しの沈黙の後、白い板面を穴の開くほど見詰めていた石巻康敬が遠慮がちに口を開いた。


「御本城様、この白い板は如何なる絡繰りに……」

「いやいや、気になるのはそこにござりますか? それよりも増派案に関してご質問はありませんか? 拙僧は次回の小田原評定において本案の提案を予定しております。お二人には是非ともご支持を賜りたく存じます」

「次の評定と申さば程無く始まりまするぞ。御本城様が御不在の故、前の評定が日延べになっておりましたでな。では、参りましょうぞ」

「え、えぇ~っ! 何ですとぉ~~~! 下野守殿、刑部左衛門尉殿。せ、拙僧の増派案にご賛同を頂けましょうや? 後生ですから首を縦に振って下さりませ。何卒、何卒お願い致します……」


 だが、大作の必死の懇願は二人の老人に右から左へと聞き逃される。評定の間への足取りは強制連行かと思われるかのように強引だ。

 いったい何が間違っていたのだろう? そうか、未唯だな! 奴がスケジュール管理をちゃんとやっていないから失敗したんだ。まあ、原因さえ分かれば対策は可能だろう。大作は未唯を心の中のシュレッダーに放り込ん…… いやいや、シュレッダーしたら駄目じゃん!


 そんなことを考えている間にも老人たちが勢ぞろいした大広間に辿り着いた。その顔ぶれは氏政、氏照、氏邦、氏規、エトセトラエトセトラ。見知った顔もいれば初めて見る顔もいるような、いないような。

 ここは老人ホームかよ! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。愛想笑いを浮かべると御本城様の指定席らしき座布団の上にちょこんと座った。


「漸う漸う参られましたか、御本城様。おや? 本日も女性(にょしょう)を大勢お連れにございますな」


 言われて振り返ると萌、サツキ、メイ、ほのか、未唯、エトセトラエトセトラ。女性陣が勢ぞろいしている。


「前回の評定で申し上げませんでしたかな? 此度の戦は国家総力戦となります故、女性の活用は勝敗を分ける重要課題となりましょう。そこで拙僧は国防婦人会と女子挺身隊を創設いたしました。必ずや皆様のご期待に沿う成果を上げてみせましょう」

「で、あるか。まあ良い、さすれば評定を始むると致そうか」


 氏政は女性票に丸っきり興味が無いことを隠そうともしていない。どうやら戦力としてこれっぽっちも期待していないらしい。

 まあ、期待値なんて低い方が後でがっかりされなくて良いかも知れん。大作は国防婦人会と女子挺身隊を心の中のシュレッダーに放り込んだ。


「して、御本城様。碓氷の様子は如何にございましたかな? 戦支度の塩梅は……」

「いや、あの、その…… またまたその話にございますか。会う人みんなに同じことを聞かれましてな。いい加減に辟易としてきたところですぞ。とは言え、一万人増派のご賛同を賜るためには避けては通れませぬなあ。まずはこれをご覧下さりませ」


 大作はスマホを取り出すと碓氷峠で撮った写真を次々と表示させる。柱状節理、弘法の井戸、刎石山の堀切、エトセトラエトセトラ。

 暫しの間、写真鑑賞に没頭していた氏政は不意に顔を上げると上機嫌で微笑んだ。


「どうやら戦の備えは滞りのう進んでおるようじゃのう。此れならば何も憂うことは無さそうじゃて」

「ところがぎっちょん! 信頼できる情報によれば北国勢は三万五千もの大軍で攻めてくるそうですぞ。如何に大道寺殿の河越衆が勇猛果敢とは申せ僅か三千では多勢に無勢。冬戦争のフィンランド軍の如く磨り潰されることは免れ得ますまい」

「さ、三万五千じゃと! 碓氷だけでか? 其れは確かに大軍じゃな。されど新九郎、如何致すつもりじゃ。何ぞ良い考えがあるのじゃろう? 早う申してみよ、ほれほれ」


 薄ら笑いを浮かべた氏政が揶揄うような口調で囃し立てる。その口調には真剣さの欠片も感じられない。

 私が魔法の壺を持っていて、そこから良いアイディアが湧き出てくるとでも奴は思っているのか! 大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。だって本当に持っているんだもん。


「拙僧のプランは簡単な物でございます。兵が足りなければ送れば宜しい。一万ばかり碓氷に送ってみては如何かな?」


 いつも通りに他人事みたいな調子で大作は気軽に言ってのける。だって本当に他人事だし。

 だが、その態度が老人連中にはお気に召さなかったのだろうか。不機嫌そうに顔を歪めると口々に不満を述べ出した。


「へ、兵を送るじゃと? 一万もの兵だけをか?」

「大道寺殿に一万もの兵を預けよと申されまするか? されど大道寺殿に斯様な兵を束ねられましょうや?」

「それじゃと我らが兵だけ出しておきながら、みすみす手柄を大道寺殿に呉れて遣るような物じゃぞ。総大将も北条一門から出すべきではござらぬか?」


 氏政、氏邦、氏規の三人は言いたいことを言い終わると挑戦的な目で睨みつけてくる。

 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ! ここで一万人増派プランがポシャったら碓氷絶対防衛圏構想そのものが成り立たんぞ。大作は腹を括ると三人相手の睨めっこを受けて立つ。

 だが、その瞬間。それまで沈黙を守ってきた氏照が不意に破顔すると深々と頭を下げた。


「然れば其のお役目、某に賜りとう存じまする」

「いやいや、兄上には他にも大事なるお役目がござりましょう。儂こそ適役ではござりますまいか?」

「何を申される、拙者こそ……」


 何なんだよお前らは。今度はお役目が欲しい競争なのか?

 結局のところ自分さえ手柄が立てられれば良いってだけなんだろう。付き合ってられんぞ。

 大作は一万人増派プランを心の中のシュレッダーに放り込ん……

 いやいや、だから何でもシュレッダーに放り込んだらダメだって言ってるじゃんか。

 大作は取り敢えず心の中のシュレッダーの電源プラグをコンセントから引き抜いた。


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