巻ノ弐拾参 amazin grace の巻
朝食もそこそこに船は出航した。伊勢まで二十キロほどなので昨日くらいの速度が出せれば四時間ほどの航海だ。だが天気予報なんて便利な物は無いので何が起こるか判らない。最悪、完全に凪いでしまったら潮流に流されるだけになってしまう。櫂で漕ぐことも覚悟しておかなければならないのだ。
大作たち三人には手伝うことも無いので船縁で海を見ながら雑談に興じていた。
「気象衛星はおろか富士山レーダーすら無いんじゃ半日先の天気も判らんな」
「それがあれば先のお天気が判るの?」
「気象衛星っていうのは空のずっと上、九千里の彼方から雲の動きを見張る絡繰りだ。富士山レーダーっていうのは富士山のてっぺんから四方を二百里先まで見通す絡繰りだぞ」
「ふぅ~ん、今それがあれば良かったのにねぇ」
そんな物は無いので肉眼だけが頼りだ。良く晴れていれば六十キロ以上離れた鈴鹿山脈まで見えるとの話だが今日は薄く霞が掛かっているので対岸の伊勢すら見えない。
だが十キロほど先の答志島は良く見えているので今のところは進路に迷う心配は無いだろう。
今日も順風満帆の順調な航海になることを大作は心底から願っていた。
陸上ならともかく海の上で何かあったら大作達には祈るくらいしかできないのだ。
お園と藤吉郎が進路の先の方を不安そうに見つめている。何でも良いから二人を安心させた方が良さそうだ。大作は左に見えている島を見て思い出した。
「あの島は神島って言って三島由○夫の潮○の舞台になった島だぞ。吉永小○合や山口○恵で五回も映画化されてるんだ。『その火を○び越して来い』って名シーンのロケに使われた監的哨は昭和四年に建てられたんだけど老朽化が酷かったんで平成二十五年に耐震補強されたんだぞ」
「ふぅ~ん。そんなことより天気は大丈夫かしら。雨にならなければ良いけど」
「雲が出て参ったのではござりませぬか」
大作の心遣いをまったく無視してお園が不安を口にする。
不安を隠しきれない様子の藤吉郎も相槌を打つ。
まあ、こんな無茶振りに乗って来いと言う方が馬鹿だったと大作は反省する。
大作は単眼鏡を取り出して目を凝らして見るが靄のせいで良く判らない。だが雲の動きが速くなっているようだ。
船長の様子をうかがうと随分と険しい顔をしている。気軽に話が出来る雰囲気では無さそうだ。
大作は濡れては困る物をジップロックに入れる。
悪い予感というのは良く当たる物だ。半時間もしないうちに強風が吹き荒れて船が木の葉のように揺れだした。
藤吉郎は船酔いしたのだろうか青白い顔をしている。お園が平然とした顔をしているのとは対照的だ。
この時代の和船は中国・ヨーロッパ・アラビア等の帆船に比べると欠点が多い。
密閉された甲板が無いうえに舷側が低いので大雨が降ったり波を被ると簡単に船内に浸水する。
荷物を山積みするためだと言われている。沈んだら元も子も無い気がするのだが当時の人たちは経済性を優先したらしい。
竜骨を持たず板を張り合わせた平底なので強度や耐波性も劣っていると言われることが多い。
これに関しては異説もあり、和船の船底にある航と呼ばれる分厚い板がこれに相当するという意見もある。
頑丈な平底なので建造や修理の際にドックが不要だ。天候が急変しても近くの砂浜に乗り上げて緊急避難が出来るのは大きな利点と言える。
西洋船には背骨に相当する竜骨から肋骨に相当するリブが左右に伸びている。対して和船は左右の舷側を突っ張り棒みたいな横梁で支えている。
外板は西洋船では小さい板を大量に並べている。和船は大きくて分厚い板を少ない枚数で組み合わせている。必ずしも和船が弱いとは言い切れないようだ。
中世の西洋では森林資源が乏しくなっており、大きな板は貴重だったらしい。安価に入手できる小さな板で必要な強度を得ようとした結果がキールとリブだったのかも知れない。
ただし帆に関しては和船は全然ダメだ。横風を受けて揚力を生み出すことが出来ないのは大きな欠点だろう。
木綿が貴重だったので筵で作られているのも酷い。
下より上の方が幅が広いという力学的に無理のある構造も弱点になる。強風を受けてマストが折れたり船が転覆するリスクは非常に大きい。
数少ない利点としては帆柱の上の滑車で帆桁が上げ下げできるので帆柱に登らなくて良いことくらいだろうか。西洋船に対して少ない人数で済む。千石船を十数人で動かしていたらしい。
いやいや、どでかい欠点を忘れていたぞ。遠浅に対応するためと言われている上下に可動する舵だ。船に固定されていないため海が荒れると壊れ易かったそうだ。舵だけならともかく船まで壊れることがあったとか。
確かなことは建造費は和船の方が遥かに安かったらしい。半額くらいで済んだとのことだ。
帆を木綿製にさえ改良すれば逆風に対する性能も西洋の横帆船には負けないそうだ。ジャンクやスクーナ―型みたいな縦帆船には負けるけど。
後は舵の改良、水密甲板、帆柱を複数にして高速化を図るくらいだろうか。
大作は余裕が出来たら造船改革に着手することを頭の中のto do listに書き込んだ。
だが今はそれよりも目の前の現実だ。もはや船が転覆する可能性は無視できないレベルだ。
ライフジャケットなんて持って無い。もしもそうなったらタイタニックのヒロインみたいに大きな木片を見つけて乗るしか無さそうだ。
俺がやりたかったタイタニックごっこはそっちじゃ無いぞと大作は心の中で叫ぶ。
いざという時のために心構えをしておいた方が良いだろう。大作は二人に声を掛ける。
「この船はたぶんもうダメだ。だが最後の最後まで絶対に諦めるな。もし船がひっくり返ってバラバラになったら大きな木にしがみつくんだ。伊勢湾はそんなに広くないから半日も潮に流されてたら浜に流れ着くかも知れん」
「え~! 私、泳げないのに!」
「某も泳げません……」
二人が大袈裟に慌てた声を上げる。覚悟を決めてもらおうと思っただけなのに脅かし過ぎたかも知れない。大作は少し反省した。
「ごめんごめん、そんなに怖がらなくても大丈夫だぞ。そもそも人間は浮かぶように出来ているんだ。このペットボトルを浮き輪代わりに使うと良いよ。それに今日は死ぬには良い日だ」
にっこり笑いながら大作は二人に空のペットボトルを渡す。無くされては困るので紐で手首に繋いだ。ぽか~んと口を開けて二人が固まっている。
突風が吹いて船が大きく揺れた。船長の表情に焦りの色が濃くなる。
船乗り達の動きが慌ただしくなった。どうやら帆柱を倒すようだ。これは風に逆らって進めなかった和船の弱点を補うための大きな特徴だ。
最後の切り札の投入で船の揺れは少し弱まったようだ。だが推進力を失った船は完全に波に翻弄されてどっちに流されているのかもさっぱり判らない。
まだ船長は落ち着いているようだが船乗り達に動揺が広がる。船乗りの癖に意外とメンタルが弱い連中だと大作は呆れた。
藤吉郎は船縁でゲロを吐いているようだ。お園が背中を擦っている。
こんな状況下で大作にできることは少ない。とはいえ座して死を待つような大作では無い。倒れる時は前のめり。跪いて生きるよりも立ったまま死を!
この場面にぴったりな歌がある。アメイジング・グレイスだ。大作はこの歌には特に自信があった。
作詞 ジョン・ニュートン(1807年没) 作曲 不詳
Amazing grace! how sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.
大作の歌に合わせてお園が即興で踊る。何の打ち合わせもしていないのに揺れる船の上で器用なものだと大作は感心した。
ジョン・ニュートンは若いころから奴隷貿易を生業にしていた。ある日、暴風雨で船が沈没寸前の危機に直面する。彼が生まれて初めて真剣に神に祈ると奇跡的に暴風雨が静まり船は助かった。その後も彼は奴隷貿易を続けるが三十歳で船を降りる。勉学の末に牧師となった彼は四十七歳の時にアメイジング・グレイスを作詞したそうだ。
大作は歌いたいから歌う。ただそれだけだ。だが、周囲の目は異なっていた。船長も船乗り達も藤吉郎もお園も全員が大作に縋るような思いで熱い視線を送っている。大作は歌いだしてからそれに気付いた。
フルコーラスをゆっくり歌っても四分ほどで歌い終わる。何回も歌って時間を稼ぐしかないだろうかと大作は思案する。お園にアイコンタクトを取るが特に問題は無さそうだ。とはいえ一時間も二時間も歌い続けるわけにも行かない。心肺蘇生の時と同じで止め時が肝心だ。
だが大作の心配は杞憂に終わる。風が目に見えて弱まって空が明るくなってきたのだ。歌エネルギーなのか? それとも宇宙人か未来人の介入なのか?
大作にもさっぱり判らないが危機は去ったようだ。船長も船乗り達も藤吉郎も畏敬の念を込めた目で大作を見つめていた。ただ、お園だけは普段のにこやかな笑顔を向けてくれている。
「とっても良い歌ね。私も歌えるようになりたいわ。でも言葉が一言も解らなかったわ」
「あれは嵐を静める英語の歌だ。イギリスっていう国の言葉だな。今度教えてやるよ」
「お坊様はそのような異国の言葉までご存じなのですか。磁石を頂いたばかりか嵐まで静めて頂いてなんとお礼を申してよいやら。この船にお乗り頂いて本当にありがとうございました」
船長が船乗りを代表して礼を言う。大作としては嵐の中でアメイジング・グレイスを歌ったら絵になると思っただけなのだ。とはいえ夢を壊すような真似をするのも無粋なので黙って頷いておく。
風は弱い向かい風なので帆柱を立てるのは後回しにして交代で櫂を漕ぐことになった。
お園も漕ぎ手を元気付けようと『船子』を歌いながら狭い空きスペースで踊る。
「やよふな子 こげ船を こげよこげよ こげよこげよ やよふな子
しほみちて 風なぎぬ こげよこげよ こげよこげよ やよふな子」
お園は船乗り一人一人に目線を送りながら櫂を漕ぐ真似をして軽やかにステップを踏む。とても即興で踊っているとは思えない。船乗り達にも馬鹿うけの様子だ。お園にはアイドルとしての天性の才能があるんじゃなかろうかと大作は思った。
六人の船乗りが櫂を漕ぐが速度は一ノットといったところだろうか。全長三十メートルもあるのに先端が平らで抵抗が大きいのが足を引っ張っているのは明らかだ。木造船にバルバスバウってありなのだろうか。余裕が出来たら開発チームを作って研究させよう。だが今は日暮れまでに答志島に着けるかが問題だ。
大作は紐の付いたペットボトルを海に浮かべた。お園にやった腕時計のストップウォッチで船が全長だけ進む時間を測る。結果は約六十秒だった。
続いて単眼鏡で答志島を見て距離を概算した。この単眼鏡にはミルスケールが入っている。島の東部にある山は標高百二十メートルくらいだ。それが二十ミルくらいに見えているということは約六キロになる。
藤吉郎が興味深げに声を掛けた。
「何をされておられるのですか?」
「俺はSiriじゃ無いぞ。聞けば何でも答えが返って来ると思うな。自分の頭で考えろ」
「船の速さを測って島にいつ頃に着くか見当を付けてたんでしょう」
「お園は賢いなあ。でも今のは藤吉郎に自分で考えさせてやろうと思ってたんだ。もうちょっと待って欲しかったな」
一刻は七千二百秒で誤魔化すしか無い。正確に説明しようとすると当時は不定時法なので昼夜をそれぞれ六等分しなければならないのだ。
七千二百を六十で割ると百二十だと説明するのは骨が折れた。
九九は奈良時代以前に中国から伝わっていたらしく、役人には必須のスキルだったらしい。だが一般庶民が寺子屋で学ぶようになるのは江戸時代の話だ。
大作はバックパックからタカラ○ミーの『せん○い』を取り出す。もしも紙が貴重な時代にタイムスリップしたら必須アイテムだと思って用意していたのだ。
「七千二百を七二○○と書くぞ。右から一の位、十の位、百の位、千の位だ」
「……」
返事が無い。二人とも解ったのか解らないのか判断が付かない。
「七から六は一回引けるから上に一を書いて下に六を書く。七引く六は一だから下に一を書く。隣に百の位の二を書いて一二だ。十二から六は二回引けるので上に二を書く。七二○○には○が二つ。六○は○が一つなので。一二に○を付けて百二十が答えだ。ちょっと難しかったかな?」
「算木を使わないで割り算ができるのね。これも異国の算術なの?」
「某にはさっぱり分かりませぬ。ですがまこと異国の文物には驚かされてばかりですな」
大作は割り算を解いた自分では無く、異国の算術が二人の歓心を買っているのが悔しかった。タカ○トミーの『せ○せい』にまったく驚いてくれないことも少なからずショックだ。もう良いや、さっさと流そう。
「船の長さが十五間なので百二十倍すると一刻に千八百間だ。六十で割ると三十町になるな。一里に少し足りないくらい進める。島までは一里半ほどなのでおよそ一刻半くらいで着くはずだ」
「今のはどうやったの?」
「暗算だよ。頭の中で計算するんだ」
「え~!」
「二人にはまず九九を覚えてもらう必要がありそうだな」
夕方には答志島の北を通って島の中央にある湾に停泊した。
この島は九鬼水軍の根拠地らしい。関ヶ原で西軍に与して敗れた九鬼嘉隆はこの島で自害したとのことだ。
大作は九鬼水軍が村上水軍みたいに伊勢湾の海上交通を一切取り仕切っているのかと思っていたがそんなことは無いようだった。
船乗りたちはともかく三人は心身ともに疲れはてていた。潮流の関係で明朝は暗いうちに出発するそうなので夕食を終えると無駄口を叩くことも無く速やかに眠りに就いた。
大作は変な夢の続きが非常に気になっていたが続きは見なかったようだ。少なくとも覚えてはいなかった。
まだ暗いうちに朝食を取り、東の空が白むころに船は出航した。潮流を利用して安濃津まで三十キロほどを一気に進む計画なのだ。
潮流と風向きに恵まれたお陰で午後の割りと早い時間に船は安濃津に着いた。
大作としては二日も続けて嵐イベントなんて起こされても困ると思っていたので何事も無くて本当に助かった。
「名残惜しゅうございますがお別れにござりますな。これは僅かですが心ばかりのお礼です。とっておいて下され」
船長が大佐みたいなセリフを言いながら雑穀を分けてくれた。
ここから堺まで山道を百二十キロは歩くので三日は掛かるだろう。
食料は非常に貴重なので三人で何度もお礼を言って感謝した。
上陸用のカッターボートなんて積んでいないので目一杯まで浜に寄せてもらう。
荷物を濡らさないよう高く掲げて海に飛び込む。腰くらいの深さだろうか。
大作の頭の中はプライベートライアンの冒頭二十分の気分だ。
無事に浜に上がった三人は船に向かって深々とお辞儀をして別れを告げた。
安濃津は三津七湊の一つに数えられた大きな港だった。平安時代から京と東国を結んで大いに繁栄していたらしい。しかし明応七年(1498)の明応の大地震と津波で四、五千軒の町が壊滅する。地盤沈下で港湾機能の復興は不可能と判断され十八世紀初頭の宝永地震の後まで荒廃していたそうだ。
永禄年間(1558-1570)に津城が建てられるらしいが現状では廃墟と瓦礫の他はまったく何にも無い。廃墟マニアには堪らん景色だ。
大作はあらかじめスマホで予習していたので驚かなかったがお園と藤吉郎が唖然としている。
「ここが安濃津だぞ。五十年ほど前までは二万五千も人が住んでいた賑やかな町だったんだけど津波で何もかも流されたそうだ」
「津波って怖いのね。甲斐には海が無くて良かったわ」
「じい様やばあ様から聞いたことがございます。大事なる災いだったそうですな」
「安心しろ。次の巨大地震は天正十三年(1585)だから三十五年も先だ。慶長年間にも巨大地震が連発するけど日付は判ってるから心配するな。そんじゃあ、堺へ行きたいか~!」
大作が雄叫びを上げながら拳を突き上げた。二人はどう反応して良いか判らないといった顔をしている。そりゃあそうだろう。
とりあえず大作はスタートレ○クのテーマっぽい曲を口笛で吹いた。
コード進行はそのままで聴く人が聴けばリスペクトだとハッキリ分かるけど著作権には触れないギリギリの線を攻める。
「それじゃあ第一問、今から行く堺の地名の由来は摂津・河内・和泉の三国の境界にあるからだ。○か×か!」
三人は廃墟を西に向かって歩きだした。




