巻ノ弐百弐拾九 風雲!葛西城 の巻
大作たちを乗せた高瀬舟は真冬の寒風に背中を押されるようにして猛スピードで利根川を下って行く。
お園に壮絶な駄目出しを食らってしまった大作は不貞腐れたように水面を眺めるくらいしかすることが無い。
そんな大作を哀れに思ったのだろうか。メイがそっと近付いてくると耳元で囁くように呟いた。
「ねえねえ、大佐。お園はあんなこと言ってたけど私は大佐の無駄薀蓄がとっても楽しいわよ。そんな顔してないで何ぞ楽しげな話をして頂戴な」
これぞ正に『捨てる神あれば拾う神あり』という奴なんだろうか。
大作は心の中で『甘いな、私が這いつくばって礼を言うとでも思ったのか!』と絶叫するが決して顔には出さない。
上目遣いにお園の顔色を伺って見ると我関せずといった顔で雲を眺めている。
これってもしかしてうだつのあがらねぇ普通の高校生にやっと巡って来た幸運か? それとも破滅の罠か? ちなみに『うだつ』という漢字はJIS第三水準だ。
大作はなるべくメイの方を見ないよう注意しながら恐る恐る話し始めた。
「え、えぇ~っと…… やっぱ効果には個人差があるんじゃないのかな? たとえばの話だけど、とある論文によると旅行の計画を立てているだけで人は幸福度が八週間にも渡って上昇するんだとさ。にも関わらず旅行の後は二週間しか幸福度が持続しないとか何とか」
「えぇ~~~っ! それって前に大佐が言っていた『何が起こるか分からないから人生は面白い』っていう話とは正反対なんじゃないかしら?」
「いやいや、だから効果には個人差があるんだってばさ。みんな違ってみんな良いだろ? そもそも万人が面白いと思う歴史改変なんて無理ゲーなんじゃね? だってナチスの勝利は連合国にとっては悲劇じゃん」
「彼方立てれば此方が立たぬって言うことね。でも、そうだとするとお園が面白くないっていうのもどうしようも無いことじゃないのかしら。ねえ、お園? 聞こえてるんでしょう」
急なメイの呼び掛けにお園がゆっくりと振り返った。その仏頂面からは何の感情も読み取ることができない。
何でわざわざ寝た子を起こすような真似をするんだよ! 大作は心臓を締め付けられたような気がして思わず目を瞑る。
だが、お園は別に気を悪くしてはいないようだ。人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら鼻を鳴らした。
「メイがそう思うんならそうなんでしょう。メイん中ではね……」
どうやら無事に理解を得られたってことなのか? ちゃんと腹を割って話せば理解しあえる物なんだな。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろした。
「や、やっぱそうだよな。うんうん、本当いうと俺もそんな気がしてたんだよ。メイは賢いなあ。いやいや、お園も賢いけどな。あと、サツキもだ。言うまでもないけどナントカ丸もな。それじゃあ気分転換に利根川下りクイズ大会でもやらないか? んじゃ、行くぞ。第一問! 日本で一番長い川は……」
「信濃川!」
間髪を入れず。と言うか、まだ問題が続いているのを遮ったメイの絶叫が狭い舟の上に轟き響く。
大作は人を小馬鹿にしたような半笑いを浮かべ、目の前で人差し指を左右に振りながら軽く舌打ちした。
「ぶっ、ぶぅ~~~っ! お手つきだな。日本で一番長い川は信濃川です。では、日本最大の流域面積を持つ川は何川でしょう?」
「りゅ、りゅういきめんせき?」
「空から降ってきた雨とか雪は川に流れ込むだろ? その流れ込む土地の広さのことだよ。集水面積ともいうらしいぞ。ちなみに英語だとthe size of a catchment areaだな。ところで……」
大作が咄嗟の機転で始めたクイズ大会のお陰で一同は何とか退屈を紛らせることができた。
バートランド・ラッセルも幸福論の中で書いていたっけ。人類が犯した罪悪の半分くらいは退屈のせいで起きたとか何とか。
いやいや、それって『小人閑居して不善をなす』と同じことやん。
とにもかくにも、人々の様々な思いを乗せた高瀬舟は日本最大の流域面積を誇る川を猛スピードで下って行った。
太陽が西の地平線に差し掛かったころ、ずう~っと川下の方に見覚えのある建物群が姿を表した。
人間、やる気になれば大概のことはできる物なんだなあ。大作は燃え尽きて真っ白になりかけた船頭たちに向かって心の中で合掌する。
とは言え、間もなく日が暮れてしまいそうなんですけれども。
「知っているか、お園。日の入りっていうのは太陽が完全に地平線に隠れた瞬間と定義されているんだぞ」
「知っているわよ、大佐。だけども日の出はお天道様の先っぽが地面から見えた時なんでしょう。これって何だか知らないけど狡くないかしら? お天道様が見掛けの大きさだけ動くのに二分くらい掛かるのよ。ちょとだけとはいえ、お天道様が得をしているような気がしてならないんだけれど」
「まあ、そんなん言い出したらそもそも大気の屈折のせいで太陽は本当の場所より浮かんで見えているんだけれどな。実際の太陽は一個分くらい下にあるんだぞ。ちなみに月の出と月の入りは月の真ん中が基準になってるんだな、これが。そう思うと不公平な気がせんでもないけどさ。まあ、文句があるんなら国際天文学連合にでも問題提起してくれよ」
そんな阿呆な話をしている間にも太陽は完全に地平線に隠れてしまった。なにせ太陽は約二分間で直径分だけ動くのだ。
とは言え、まだ夕焼け空は十分な明るさで辺りを照らしている。
「ご存じですかな、船頭殿? 日没から四十分くらいを市民薄明っていうそうですぞ。まだまだ明るさが残っております故、明かりが無くとも十分に屋外活動はできますよね? それまでに何としてでも葛西城まで辿り着いて下さりませ」
「よ、よんじゅっぷん? にござりまするか。そ、そうですなあ…… 何とかなるよう精一杯お努めいたしまする」
船頭は引き攣った笑みを浮かべると諦観したような目をして櫓を漕ぐ作業に戻った。
「まあ、無理なら無理で結構ですぞ。別に葛西城は逃げも隠れもしませんからな。それに今日は太陰暦で十一月十三日。もう暫く待てば満月に近い大きな月も昇って参りましょう」
「……」
へんじがない、しかばねになりかけているようだ。
大作は今一度、船頭たちに向かって心の中で合掌した。
辺りを夜の帳が満たしたころ、一同を乗せた高瀬舟はようやく目的地へと辿り着いた。
中川が大きく蛇行した辺りに小さな船着き場があり、何艘かの小舟が停めてあるのが月明かりに見て取れる。その一番端っこの空きスペースに舟は静かに滑り込んだ。
大作は肩で息を付いている船頭たち一人ひとりに丁寧に礼を言うと女性陣に続いて丘へと上がる。
月明かりに照らされた葛西城の大手門は来るものを拒むように固く閉ざされていた。
葛西城は中川の右岸に沿った微高地に建てられた巨大な平城だ。二十一世紀には宝持院から慈恵医科大学葛西医療センターが建っている辺りだというから南北に約一キロくらいはあるらしい。
西に広がる湿地帯と東に流れる中川を天然の要害とした防御力はかなりの物だと見受けられる。
「この辺りには古墳時代から人が住んでいたそうだぞ。初めて城を建てたのは桓武平氏の流れを汲む葛西氏なんだとさ」
「かさいし? そのお方たちは今どうされておられるの?」
「お前それ、本当に知りたいのか? えぇ~っと…… 葛西氏は奥州合戦の後、清経の時代に奥州にお引っ越したらしいぞ。んで、代わりにこの地に入った山内上杉氏が城を増改築したんだとさ。上杉の四宿老が一人、武蔵国の守護代を代々務めた大石石見守とかいう輩が五代に渡って城主となったそうな。この辺りって交通の要衝であると同時に古河公方に対する前線基地としても重要だったみたいだな」
「ふ、ふぅ~ん。それで? そのお城が何で北条のお城になったのかしら?」
大して興味も無さそうな顔でお園が相槌を打つ。
って言うか、この説明って本当に必要なんだろうか。単なる文章の水増しなんじゃないのかなあ? まあ、後々で何かの伏線になるのかも知らんけど。
「天文六年(1537)に北条氏綱が落としたんだとさ。石見守は義弟、太田資正の家臣になって北条に降った。その後、葛西城は足利義氏の元服式を行ったり古河公方の御所としても使われていたって書いてあるぞ。んで、永禄二年(1559)には江戸城代であった遠山綱景が城主となったんだとさ。これって政四郎殿のお尻あい、じゃなかった。お知り合いですかな?」
「な、何をお戯れを申されまするか! 其れは某の父にござりまするぞ。氏綱様より綱の一字を賜ったと聞き及んでおりますが? 御本城様がそれを知らぬはずはござりますまい」
「ちょ、ちょっとしたジョークにござりますがな。んで、その綱景さんはどうなったんでしたっけ? えぇ~っと、永禄三年(1560)に上杉謙信が関東に侵攻(小田原城の戦)してくると太田資正がまさかの離反ですと? これを本田正勝が永禄五年(1562)に再奪還ですか。いやぁ~、大変でしたな。と思いきや、永禄七年(1564)に遠山綱景は娘婿で江戸城代でもあった太田康資に離反されるんですか? この時代ってこんなのばっかりですな。んで、里見氏までもが参加した第二次国府台合戦において討ち死にしちゃったんですか。うぅ~ん、それはご愁傷さまでしたな」
例に寄って随分と人間関係がややこしいことになってるなあ。って言うか、さぱ~り興味が沸かないんでこれっぽっちも頭に入ってこないんですけど。何だか急にどうでも良くなってきたぞ。
とは言え、たった一つだけ確認しておかなければならない大事なことがある。今現在は葛西城の城主が誰なのかということだ。こればっかりはWikipediaでも分からない永遠の謎なのだ。
大作は政四郎に向き直ると精一杯のさり気なさを装って話し掛ける。
「政四郎殿、ここいらでちょっと気分転換にクイズごっこでもして見ませぬか? きっと、面白うございますぞ。って言うか、面白かったら良いですなあ」
「くいずですと? 其れならば先ほどから散々にやっておったのではござりますまいか?」
「いやいや、そうではありませぬ。あの、その、しかしまあ何ですなあ…… そ、そうだ! スペシャルクイズにございます。正解すれば一気にポイントが二倍になりますぞ」
「ほほぉ~う、ぽいんとがにばいにござりまするか。此れはしたり。然らば受けて立たぬ訳には参りませぬな、御本城様」
急に政四郎が今までみせたことも無いようなドヤ顔で踏ん反り返る。
何か知らんけど態度が豹変し過ぎやん。まあ、やる気になってくれたんなら良しとするか。大作はスマホをチラ見する振りをしながら芝居がかった調子で口を開いた。
「我らが今より訪ねんとしておる城は……」
「葛西城!」
「ぶっ、ぶぅ~~~っ! お手つきですぞ、政四郎殿。問題は最後まで聞いて下さりませ。我らが今より訪ねんとしておる城は葛西城です。では、その城主は誰でしょう?」
「いや、あの、その…… 御本城様? 江戸城と合わせて葛西城の城代をお任せ頂いておるのは某の兄、遠山筑前守景政にござりまするぞ。斯様なことがくいずだと申されまするか? おやおや、不可思議ですなあ。細かなことが気になってしまうのが某の悪い癖にござりましてな」
突如として政四郎が疑念の籠もった視線を向けてきた。こいつ、ドジでノロマな亀だとばかり思っていたけれど意外と鋭いんだなあ。大作は内心の不安を抑え込みつつも余裕の笑みを浮かべる。
それはそうと、よっぽど例のセリフが気に入ったんだろうか。馬鹿の一つ覚えも良いところだぞ。大作は自分のことを棚に上げて嘲り笑うが決して顔には出さない。
って言うか、言うに事欠いて景政が葛西城代なんだと? 余りといえば余りな話なんで一瞬とはいえ現実逃避してしまったぞ。
おのれスカッドの奴め。史実が全く残っていないのを良いことに無茶苦茶な設定を捩じ込んできやがったな。まあ、死ぬほどどうでも良いんだけれど。
「いやいや、政四郎殿。問題は最後の最後まで聞いて下されと申しておるでしょうに。慌てる乞食は貰いが少ない。この命題の対偶は慌てない乞食は貰いが少なくないですぞ。慌てない慌てない一休み一休み。さて、葛西城の城代は遠山筑前守景政殿です。では、その前の城代は誰でしょう? さあ、どうぞ!」
「其れならば某の甥の遠山左衛門大夫直景にございますな。まだ若うございましたが一昨年に急な病にて身罷りました。いやいや、此れもご存知無い筈はござりませぬな、御本城様」
「そ、それはそれは…… 重ね重ねご愁傷さまでしたな。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに心からご冥福をお祈りいたします。それはそうと……」
「大佐、政四郎様。クイズはもう沢山にございます。それより私、もうお腹が空いて目が回りそうだわ。早う鼈を食べさせて頂戴な。頼もぉ~~~う!」
痺れを切らしたお園が絶叫するかのように大声を張り上げると力一杯に大手門を叩く。
いったいこの小さな体の何処にこれほどのパワーが隠されているんだろう。相変わらず食に対する執着は凄まじいなあ。大作がそんなことを考えていると大きな門がギシギシと軋みながらゆっくりと開いた。
中から顔を覗かせた足軽風の爺さんはとっても胡散臭そうな顔だ。小首を傾げながら不機嫌さを隠そうともしない声音で口を開いた。
「如何した、其処な女子。斯様な夜更けに一体何用じゃ? おや? これはこれは、川村様ではござりませぬか! 如何なされました?」
「控えよ。此方に御わすお方は御本城様と御裏方様にあらせられるぞ。急なことで申し訳ござらぬが四郎左衛門殿に目通り願いたい。其れとお二方が鼈を御所望じゃ。急ぎ支度を致せ」
政四郎が勝手知ったる他人の家といった感じでテキパキと指示を出す。こういうのを顔パスって言うんだろうか。爺さんは慌てた顔ですっ飛んで行ったきり戻ってこない。
「確か鼈ってコラーゲンたっぷりなんだよな。お肌がツルツルになったりとかするのかな?」
「こら~げん? それって美味しいの?」
例に寄ってお園が決めゼリフを口にする。お約束、お約束。歴史と伝統って奴を守らねばならんのだろう。
「知らん! 多分だけどそんなに美味しい物じゃ無いと思うぞ。動物の細胞外基質を構成するタンパク質なんだもん。ところで生コラーゲンって言われると海鼠ラーゲンみたいに思えてちょっと気持ち悪いよな」
「そうかしら。海鼠って古事記にも名前が出てくるほど昔から食されていたのよ」
「そ、そうなんだ。んで、話を戻すけどコラーゲンの分子量は三十万個もあるから経口摂取してもそのまま吸収されたりはしないんだ。とは言え、アミノ酸やペプチドに分解されて吸収されるだろうから全くの無駄ってわけでもないだろうけどさ。普通にビタミンCとかを摂った方がよっぽど良いかも知れんな。そうじゃないかも知れんけど」
「ふ、ふぅ~ん。まあ、この際だから私はお腹に入れば何でも良いわ。だって空腹は最高の調味料なんですもの。今なら大抵の物は美味しく食べられる筈よ。じゅるる~~~!」
お園が口元に手をやって涎を拭う仕草をした。
何もその擬音を口で言わなくても良いのになあ。大作は呆れるのを通り越して感動すら覚える。だが、決して顔には出さなかった。




