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巻ノ弐百弐拾七 ウホッ!ウホウホウッホ の巻

 大作が目を覚ますと眼前にはゴツゴツとした岩肌の天井が広がっていた。辺りは何だか薄暗くてとっても煙り臭い。


ウッホホ(しらない)ウッホホウホ(てんじょうだ)!」


 なんじゃこりゃ~~~! 良く分からんけど口が上手く回らないんですけど。

 ここは洞窟の中なんだろうか。どうやら焚火を焚いているようだ。シーンと静まり返った洞穴にパチパチと火の爆ぜる音だけが小さく響き渡る。


ホッホウ(もしかして)ウホホ(あなた)ウホッホウホウホ(たいさなの)?」


 体を起こして声のする方を見て見れば類人猿のメス? 女? 何だか良く分からん生き物がこちらを注視していた。

 もしかしてもしかすると、これってネアンデルタール人なのか? とは言え、なんだかとっても可愛いらしいなあ。お園には負けるけど。

 いやいやいや、これってひょっとするとひょっとして……


ウッホホ(おその)? ウッホホウホ(おそのなのか)?! ウホウッホホウホホ(なにがあったんだ)? ウホホウホホウホホウ(ここはどこなんだ)?」

ウホーホウホウホウホ(しらないわよ)! ウホッホホホウッホウ(たいさのせいでしょう)? ホウッホホウホホホウ(へんなはなしするから)!……」


 これはアレか? アレなのか? まさかとは思うけど四万年前のコーカサスかイタリアにタイムスリップしちゃったってか?


ホッホウウホッホ~~(かんべんしてくれ~~)!」


 大作の心底からの絶叫が洞穴に響き渡る。

 何人ものネアンデルタール人にぎょっとした顔で振り向かれた大作は愛想笑いを浮かべながらぺこぺこと頭を下げた。




 大作が憑依したのはネアンデルタール人家族の家長らしき男だった。祖父、祖母、妹夫婦、子供など合わせて十五人から構成されている。

 幸いなことにスカッドの言語翻訳サービスはここでも遺憾なく実力を発揮してくれた。お陰で彼らと意思疎通を交わすことは可能といえば可能だ。

 ネアンデルタール人にだって抽象的な思考や表現を行う能力はあることはある。ただ、喉頭が高いところにあるせいで母音が幾つか発音できない。

 それも相まって残念なことに語彙がとっても少ないのだ。華麗なトークスキルを誇る大作もこれにはほとほと頭を悩まされる。

 だが、お園の献身的な協力もあってどうにかこうにかリーダシップを発揮することができた。


 まず大作は動物の骨を加工して縫い針を作り、毛皮を縫い合わせて靴や衣服を作った。

 タイムスリップした季節はどうやら春らしい。だが、氷河期や火山噴火のせいで地球全体が寒冷化していてとっても肌寒いのだ。これではとてもじゃないけど冬を乗り越えられん。


ホウッ~ホ(このきもの)ホウホホウン(なんだかとっても)ウッホホ~ウホウ(けものくさいわよ)

ウッホウッホ(しょうがないじゃん)ウッホホッウホホ(けがわなんだもん)

ホホッウホウ(なんとかならないの)?」

ホッウホウ~ウホ(にんげんの)ウホウホウッホ(きゅうかくは)ホウッホ~ホホ(いっぷんくらいで)ホウッホウン(まひするらしいぞ)




 続いて大作は弓の製作に取り掛かった。木をベースにして動物の腱や角や骨を膠で貼り付けた強力な複合弓だ。

 この時代の飛び道具といえば投石か投げ槍くらいしか無い。この程度の物でも狩猟や戦闘が随分と有利になるはずだ。


ウホッホウホホ(こんなもので)ホホッホ(けものが)ウッホホウッホ(とらえられるの)?」

ホッホウウッホホホ(なんとかなるんじゃね)? ホホッホウ(しらんけど)!」




 衣服と靴に加えて武器が揃ったところで大作は現在位置を確認することにする。

 そのためには、まずは天体観測だ。幸いなことに単眼鏡も無事にタイムスリップしてきていた。

 大作はお園に手伝って貰って何日にも渡って地道な観測を続ける。その結果、この時代の北極星がこと座R星であることが確認できた。

 地球の歳差運動の周期は二万五千八百年くらいだ。ってことは、この時代はやはり四万年くらい前なんだろう。

 大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。


 こと座R星は半規則型変光星の中でも特に周期性が不規則なSRB型に属している。およそ四十六日を変光周期とするスペクトル型M5IIIの赤色巨星だ。

 北極星の高さが分かれば今いる場所の緯度を求めることもできる。観測の結果から得られた北緯はおよそ四十度だった。

 集落の北には巨大な湖があり、対岸には山脈が連なっている。スマホの地図と比較検討を重ねた結果、大作とお園はここがアルメニアのセヴァン湖の南の湖畔だと推測した。


 ここってバクー油田から西に四百キロってところじゃね? これってペルシャの油田が発見される前は世界最大の油田じゃんかよ。独ソ戦におけるブラウ作戦もこの油田の確保を目指した物だったんだっけ。

 だけどアレを確保するつもりがあるんなら最初からやっとけばよかったのに。そもそもモスクワとレニングラードのどっちも落とせないってどうなんだ? せめてどっちかに戦力を集中しておけば良かったのになあ。

 首都モスクワを落とされたくらいでスターリンが降伏したとは思えん。とは言え、あの時期にアメリカはローマ法王庁経由でソビエト抜きの和平に関してドイツとの接触を計ったとか何とか。嘘か本当かは知らんけど、その直後にソビエトは暗殺者を雇ってパーペンの暗殺未遂を起こしたとか起こさなかったとか。

 ちなみにモスクワが陥落した場合に備えてソ連政府機関の一部はクィビシェフとかいう街への疎開を進めていたそうな。スターリン本人もどこかへ脱出するつもりだったんだろう。何せソ連って国は卑怯なほど縦深があるもんな。標準時だって十一もあるくらいだし。だったらもう……


ウホッホ(たいさ)ホッホ~ウッホッホ(むだうんちくきんしよ)!」


 勘弁してくれよ~! 大作は心の中の苦虫を噛み潰すと考えるのを止めた。




 生活が安定したのを見計らって大作は家族全員にバクー油田への移住計画を提案する。

 だが、貧弱な語彙を総動員したプレゼンテーションに誰一人として理解を示してくれない。

 大作はまたもやお園に全面的に手伝ってもらって一人ひとりに地道な根回しを行う。家族全員の賛成を得るのには一月近くを費やした。


 初夏の訪れを待って出発した一同は険しい山々を越えて遠い東の地を目指す。四百キロを超える苦難の道程を踏破してバクー油田に辿り着いた時には秋風が吹き始めていた。

 大作たちは大急ぎで家屋を作って冬支度を整える。氷河期の冬は本気で寒い。死ぬほど寒い。何ていうか鼻水が凍りそうな寒さだ。


 油田の発見にはほぼ丸一年を要した。油の採掘には更に一年以上掛かった。汲み上げた油を精製するころにはタイムスリップしてから四年近くの歳月が過ぎようとしていた。

 可燃性の液体を得られたことで一家の生活の質は劇的に向上する。燃料、灯り、防腐剤、エトセトラエトセトラ。今や大作の作った石油製品は人々の生活に無くてはならない物だ。

 お園との間にも一男一女を授かり豊かとは言えないが幸せな日々が続くと思われた。


 だがそんな日常は突然に終わりを告げる。クロマニヨン人たちの一団による襲撃を受けたのだ。

 石油蒸留塔の定期メンテナンスに立ち会っていた大作は突然乱入したクロマニョンたちに引きずり出される。


ウホッホ(たいさ)!」


 お園の魂を絞りだすように(うめ)く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。


ホホウッホ(すまない)ウッホホ(おその)ホホウッホウホホ(おまえをしあわせに)ウンホホウッホホウホ(してやれなかった)


 大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。

 クロマニョン人の振り上げた打製石器に日光が煌めく。


「ぐえっ!」


 背中に鋭い痛みを感じて大作は唐突に夢から覚めた。






「ホホッウホウホ! ウホホッホ!」

「いったいどうしたのよ、大佐。とうとう気が触れちゃったのかしら?」

「いや、その、あの、何だな…… 言語って本当に大事なんだな。今日という今日は骨身に染みたぞ」

「そう、良かったわね……」


 大作は心の中のネアンデルタール人をシュレッダーに放り込んだ。




 朝餉を終えた大作たちはデザートの羊羹を食べながらお茶を飲んでいた。

 やることもやったし、そろそろお暇するか。大作は与左衛門へと向き直ると卑屈な愛想笑いを浮かべる。


「与良殿、此度は急に押しかけた上に大層とお世話になりましたな。お礼の申しようもござりませぬ。小田原にお出での際は是非ともお立ち寄り下され。此度の恩返しに十五名様の一泊二食を無料サービスさせて頂きますぞ」

「何を申されまするか、御本城様。もしや、小田原へ戻られるおつもりにござりましょうや?」

「いかにも、左様ですが何か?」

「何か? ではござりませぬぞ、御本城様。真田丸と申されましたかな? 鉄砲を積み重ねる陣構えは如何なさるおつもりで? 未だ詳らかなお話を伺ってはおりませぬが?」


 与左衛門は口に頬張った羊羹を咀嚼しながらグイグイと距離を近付けてくる。

 こんな厳ついおっさんに詰め寄られたからって嬉しくも何ともないんですけど。大作は思わず仰け反って距離を取った。


「いやいや、その辺りはご自分の頭で創意工夫してみては如何かな? Do it yourself! できるかなじゃねえ、やるんだよ!」

「は? はぁ? そうは申されまするが御本城様、見たことも聞いたことも無い物など作りようがござりませぬぞ。せめて……」

「与良殿、君も男なら聞き分けたまえ。僕にはもう時間が無いのでございます。とは申せ、袖振り合うも多少の縁。ちょっとだけお手伝いさせて頂きましょうかな」

「大佐、多少じゃないわ。多生の縁よ」


 お園が鬼の首でも取ったかのように得意げなドヤ顔で割り込んできた。大作はアイコンタクトを取って謝意を示すと与左衛門に向き直る。


「BSの歴史番組で火災報知器のお二人が申されておられましたぞ。真田丸の肝は空堀や乱杭、逆茂木といった移動妨害との組み合わせの妙にあるそうな。とは申せ、此度の戦場は非常に幅が狭い。もし空堀など掘ったところで数百人も倒せば堀が死体で埋まってしまうでしょう。そこで戦場には三町先まで低めの杭を無数に打ち込んで頂きたい。密度は一尺間隔くらいで宜しゅうございます」

「杭にございますか? されど斯様な物を幾ら打ったところで敵を止められはしますまい」

「いやいや、敵を完全に止める必要など毛頭ございません。ちょっと動き難いくらいで丁度良いのです。倒すペースと押し寄せるペースを合わせることが肝要と思召せ。それよりも厄介なのは竹束ですな。アレには大筒でなければ対処できませぬ。とは申せ、アレの移動さえ妨げられれば後は射的の的みたいな物でしょう」


 そんな話をしながら大作はスマホを取り出して碓氷城から刎石山(はねいしやま)の堀切までの地図を探す。そしてタカラト○ーのせ○せいに描き写した。

 大道寺と楽しい仲間たちは胡散臭そうな顔でそれを覗き込む。だが、他人事だと思っているんだろうか。空気を読んで口を挟んではこない。


「刎石山の堀切から城までは十町といったところでしょうかな。これを三等分して三町毎に三つの防衛線を構築しましょう。勿論、碓氷城でも防戦します。さらに後退して平野部に入って三町ほどの所に最終防衛線を引きます。此処が本当の絶対防衛線。エヴァで言うところの強羅絶対防衛線ですな。捕らぬ狸の皮算用ですがこの五段階の防衛線一つ当たりで大雑把に五千人程度の敵を殺傷できればトータルで二万五千人は倒せるでしょう? ね? ね? ね?」

「そんなに上手く行くのかしら? 敵だって阿呆じゃないんだから」

「敵は三万五千にございますぞ。二万五千もの兵を失うまで攻め寄せる将がおりましょうか?」


 お園と与左衛門が揃って不服そうな声を上げる。と思いきや暫しの沈黙の後、お互いに顔を見合わせてにっこり笑った。

 こいつらもしかしてデキてんのか? 大作の心中に仄かな疑惑の炎が燃え上がる。


「何とかなるんじゃね? 知らんけど。史実でも北国勢は松井田城を攻めあぐねて秀吉から矢の催促を受けてるんだ。韮山城みたいに放置しても差し支えなければ放置で一択だろう。だけど、碓氷を抜かんことには北国勢は山中で足止めだろ。史実以上に抵抗が激しければ督戦だって過激になるはずだし。まあ、203高地の第七師団みたいなもんだな。とにもかくにも、大事なのは一つ目の刎石山の堀切だ。まずはここで敵に五千人程度の損害を与える。これでアンカリング効果といって砦を一つ落とすのに損害五千人が一つの基準になっちまう。すると二つ目の砦でも五千人くらいの損害はしょうがないかってことになるじゃん。三つ目からはコンコルド効果にご登場を頂く。一万人もの損害を出したら今さら止めるに止められんだろ? こんな風にチビチビと敵戦力を殲滅することをサラミ戦術って言うんだ」

「サラミですって? それって美味しいの?」


 食べ物の匂いを目敏く嗅ぎつけたお園が小さく鼻を鳴らす。

 相変わらずの食いしん坊キャラ全開でブレが無いなあ。大作は肩の高さで両の手のひらを翳すと意味深な笑みを浮かべた。


「酒のつまみやピザのトッピングで大人気のイタリア起源のドライソーセージだな。塩のことをイタリア語でsaleって言うんだとさ。ちなみに古代ローマ兵士の給料が塩の現物支給だったっていうのは俗説らしいぞ。プリニウスの自然史に出てくるラテン語のsalariumって言葉が根拠なんだけど、これには塩を意味すると同時に塩代とか塩手当みたいな意味でも使われていたんだとか何とか」

「塩の話なんてどうでも良いわ。それより『さらみ』っていうのは美味しいの? 美味しくないの? それが問題よ!」

「まあ、美味しいといえば美味しいんじゃないのかな? そうじゃなきゃ、もっとマイナーな食材のはずだもん。さて、与良殿。こんなところで宜しゅうございますかな? 今お話ししたような感じでやってみられませ。小田原と碓氷は遠く離れております故、そう度々は足を運べませぬが小まめな書状の遣り取りで何とか致しましょう。では、これで失礼をば致します」


 これ以上のロスタイムは致命的な結果に繋がりかねん。大作はぶっきらぼうに話を打ち切ると腰を上げかける。だが、与左衛門が縋り付くように袖を掴んで引き留めた。


「お、お待ち下さりませ、御本城様……」

「与良殿、貴殿は何を怯えておられます? まるで迷子のキツネリスのようですな。うぅ~ん、しょうがない。これは一つ貸しですぞ。貴殿を碓氷要塞守備軍の総司令官に任命すると同時に元帥の称号を与えましょう。かつてドイツ軍の元帥で降伏した者は一人もおりません。その意味が分かりますな? ってことで宜しく! See you later, Alligator!!」


 言うが早いか大作はお園の手を掴んで脱兎の如く駆け出した。後ろから付いてくる気配はサツキとメイだろうか。

 そのまま振り返りもせずに一気に碓氷城を飛び出すと大手門を目指す。


「ねえ、大佐。何であそこでAlligatorが出てきたの? それって鰐のことでしょう? ねえ、何で? 何でなの?」

「気になるのはそこかよ~! laterとAlligatorで韻を踏んでるんだよ。詳しくは知らんけどそんなタイトルのロックの曲があったらしいな。欧米人ってやたらと韻を踏むだろ。番組サブタイトルとかそうじゃん」

「そうじゃんっていわれても、そんなの知るわけないでしょうに!」


 ぷぅ~っと頬を膨らませたお園が鋭い目付きで睨んでくる。大作は思わず視線を反らすと話題の急ハンドルを切った。


「ちなみにSee you later, Alligator.って言われたときはAfter a while, Crocodileって返すのがお約束だぞ。whileとCrocodileで韻を踏んでるんだな」

「確かCrocodileも鰐よね。Alligatorとはどう違うのかしら?」

「いわゆる人食い鰐っていわれてる凶暴なのがクロコダイルだな。上から見た時にクロコダイルの頭はV字に尖ってる。だけどアリゲーターは丸っこいんだ。ちなみにカイマンもアリゲーターの一種だな。あと、ガビアルっていう細長い口の鰐もいるぞ。ここは試験に出るから良く覚えておけよ」

「ふぅ~ん、そうなんだぁ~」


 そんな阿呆な話をしながらも大作と愉快な仲間たちは愛宕山を下って行った。


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