巻ノ弐百弐拾四 戦争の起源 の巻
滑腔銃の命中精度向上に関する熱い議論は大作の一方的な敗北に終わろうとしていた。
このままだと御本城様は阿呆だと思われてしまうかも知れないぞ。まあ、本当に阿呆なんだけれど。
いやいや、ここで大道寺政繁からの信頼感を失うことだけは避けなければならん。絶対にだ!
大作は切れかけた集中力を取り戻すため脳内の亜酸化窒素ボタンを連打する。ガッテン! ガッテン! ガッテン!
ちょっとまった! ニトロって笑気ガスなんじゃね? 何か知らんけど急に頭がクラクラしてきたんですけど。
「アハ、アハハハハ……」
「何だかご機嫌ね、大佐。ところで碓氷城っていうのはあとどれくらいなのかしら?」
「御裏方様、愛宕山の城なればあれに見えておりますぞ。左の山にある城は坂本城にございます。既に先触れをやっております故、着くころには夕餉の支度もできておることにござりましょう」
ドヤ顔の大道寺政繁が自慢気に話に割り込んできた。大作はちょっとイラっとしたが軽く頭を下げて謝意を示す。
道の先へと目を向けて見れば狭い平野が途切れて険しい山が立ち塞がっていた。碓氷城が建っているはその手前にある杉林の丘の上だ。
だとすると背後に聳える鉢を伏せたような険しい山が刎石山なんだろうか。
「それは有難いお話にございますな。ですがまだ午後二時ですぞ。夕餉にはちょっとばかし早うございませぬか? それより暗くなる前にちゃちゃっと刎石山の視察を済ませちゃいましょう」
「しさつ?」
「視察とは検分の意にございます」
お園が間髪を入れずに解説を買って出る。大作は軽く手を上げて謝意を示した。
碓氷川にジャブジャブと膝下まで浸かりながら右岸へと渡る。冷たい水流で一気に体温が奪われて足が凍えそうだ。
「知っているか、お園? この時代の碓氷峠は二十一世紀では大字峠と呼ばれているんだぞ」
「ふ、ふぅ~ん。四百年も経つと峠の名前も変わっちゃうのね」
「そもそも中山道…… この時代には東山道だっけ? それがここを通るようになったのは少なくとも十三世紀より前らしいな。んで、ここから一里ほど南には入山峠ルートがある。日本武尊が坂東平定からの帰り道に通ったのはそっちらしい。そこからさらに一里ほど南には鰐坂峠ルートとかいうのもあるらしい。まあ、どっちも酷く険しい山道だから敵が利用する可能性は低そうだけどな」
「ここにも日本武尊がいたのね。あのお方って一人見掛けたら三十人いるって覚悟した方が良いかも知れないわよ」
そんな阿呆な話をしながら山の谷間に向かって旧国道十八号線に相当する道を進んで行く。比高七十メートルほどの山城から南に一本、麓まで浅い竪堀が掘られているのが目に入った。
「あそこに板でも敷き詰めれば滑り台みたいにできるかも知れんな。降りる時、随分と楽になりそうだぞ。あと、ゴミ捨てとかも」
「ミュンヘン工科大学やバトルランナーみたいなのだったわね。まあ、ゆとりがあれば作って頂きましょうよ」
「そうだな。まあ、優先順位は下の方で良いだろうけど」
右へ左へと曲がりくねった緩い坂道をのんびりと登って行く。二十一世紀なら九番のカーブ番号標識が立っている辺りから右側の山中へと急峻な坂道が伸びていた。ちなみに碓氷峠のカーブ番号標識は百八十四まであるそうな。
この険しい獣道みたいなのが江戸末期まで使われていた旧中山道…… じゃなかった、この時代には東山道って呼ばれていたんだっけ。
「思い出した! 亀田興毅と把瑠都が中山道を歩く番組を見たことあるぞ。ここから先は阿呆みたいに険しい山道なんだ。でも、ゴールの軽井沢で和牛ハンバーグセットを食べてたっけ。そんで、特選アカシア蜂蜜とキャラメルレーズンサンドとスイカも食ってたな」
「和牛ハンバーグセットと特選アカシア蜂蜜とキャラメルレーズンサンドとスイカですって! それって美味しいんでしょうね?」
「美味そうに食っていたな。まあ、どれ一つとしてこの時代の軽井沢には無いんだけれどさ」
「やっぱりねぇ。そんなことだろうと思ったわ」
そんな阿呆な話をしながらえっちらおっちら坂道を登り切るとちょっとした石垣があった。そこから東側の尾根は削平化されて二百メートルほどの細長い平地になっている。
「こちらが搦手口にございます。おお、参られたようじゃ。御本城様、彼方が与良与左衛門殿にございます」
大道寺三兄弟の誰かが指し示す方に目を遣ると髭もじゃの中年男性が何人もの供回りを伴って小走りで駆けてくるのが見えた。
年の頃は四十前くらいだろうか。がっしりとした体格と良く日に焼けた精悍な顔付きは根っからのアウトドア派といった空気を醸し出している。着物はといえば狩衣みたいな動きやすそうな格好で腰には刀を指していない。それらの相乗効果も相まって大作の目には与左衛門は武士というよりは現場監督にしか見えなかった。
って言うか、与左衛門って変な名前だなあ。土左衛門みたいじゃんかよ。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
そんな大作の本心は分かろう筈もない与左衛門は神妙な面持ちで深々と頭を下げた。
「御本城様のご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります。斯様な遠き所まで良うお出で下さりました」
「いやいや、近所まできたついでに立ち寄らせて頂きました。急にお訪ねしたのにお会い頂けるとは面立たしきことにございます。今日は与良殿に耳よりなお話がございますぞ」
アポ無し訪問で気を付けなければならないのは相手の承認欲求に応えること。そして相手にメリットがあることを分かってもらうことだ。
大作はネットで聞きかじった知識を総動員しながら上目遣いに与左衛門の顔色を伺う。
そんな大作の胸中を知ってか知らずか、与左衛門は眉値を寄せながら小首を傾げた。
「耳よりな話ですと? 其れは如何なることにござりましょうや?」
「お尻に…… お知りになりたいですかな? どうしても知りたいと申されるなら教えて進ぜぬでもありませぬが」
「いやいや、左程は知りとうもございませぬ。されど、如何でかと申されるならお聞きせぬでもござりませぬが」
「そ、そんなこと言わずに聞いて下さりませ。そのためだけに、はるばる小田原からやってきたんですぞ」
そんな阿呆な話をしながらも一同はトラバース道を西へ西へと進んで行く。ふと大作が道端に目をやると珍しい物が視界に飛び込んできた。
「これって柱状節理じゃね? ブラタ○リとかで何遍も見たぞ。こんなところで見れる…… 見られるとは思いもしなかったなあ」
「それって火成岩が冷えて固まる時に六角に割れるっていうアレよね。私も初めて見たわ」
「そのせいなのかな? 破片がゴロゴロしていてとっても歩き難いぞ。これぞまさにガレ場って感じだな。閃いた! この破片をハンマーで砕いて道に撒いてやればもっと歩き難くなるぞ。敵を迎え撃つにはもってこいじゃね?」
「そんな阿呆なことをしたら戦が終わった後の片付けが大層と骨折りなことでしょうね」
お園の鋭い突っ込みに一同が禿同といった顔で激しく頷いていた。大作は阿呆なことを言うもんじゃなかったと後悔するが時すでに遅しだ。
取り敢えず柱状節理を背景に記念写真を何枚か撮影すると道の先へと歩みを進める。
刎石坂の尾根を上りきった辺りで与左衛門が立ち止まって南の方向を指し示した。
「此処は覗と申しまして景色が良う見えまする。彼方に見えまするが坂本の村にございますな」
振り返って木々の隙間に目を凝らすと遥か眼下に坂本の集落が霞んで見える。
「ああ、テレビでもやってましたな。一茶の『坂本や 袂の下の 夕ひばり』っていう有名な句もここのことなんでしたっけ?」
「さ、然てもやは…… いっさ? とやらは存じませぬが、とにもかくにも景色の良いところではございますな」
「取り敢えずは此処と坂本の間で視覚通信を行えるようにしなきゃなりません。腕木通信は勿論、バックアップの音響通信も必要となりましょう」
大作は心の中のメモ帳に書き込む。いやいや、これは本当に重要案件かも知れん。念のためにスマホのメモ帳にも書き込んだ方が良さそうだ。
この辺りで山道は一旦ピークを越えたらしい。そこから道は緩やかな下り坂に変わってくる。
不意に与左衛門が振り返ると最高のドヤ顔を浮かべて道端の穴を指差した。
「此処が風穴にございます。岩の裂け目から、湿った風が湯気の如く吹き出しておりますぞ」
「風穴ですって! それって中はどうなっているのかしら?」
「そりゃあ何処かと繋がってるんじゃね? 知らんけど」
「へぇ~~~っ! 知らないんだぁ~~~? 大佐ともあろうお方がねぇ~~~」
悪戯っぽい笑みを浮かべたお園がちょっと馬鹿にしたような口調で相槌を打った。大作は少しイラっとしたが鋼の精神力で平静を保つ。
そのまま暫く歩いて行くと与左衛門がまたもや道端の穴を指し示して口を開いた。
「此方は弘法の井戸にございます。弘法大師様が手にした杖で地を突くと俄かに水が湧き出ったそうですな」
「ふぅ~ん。それって便利なスキルですなあ。って言うか、似たような話をあっちこっちで聞いたことありますぞ」
私が魔法の壺を持っていて、そこから無駄蘊蓄が湧き出てくるとでも奴は思っているんだろうか? 大作は本気で心配になってくるが決して顔には出さない。
ふと我に返ると道がほぼ水平になっているのに気が付いた。そのまま進むとすぐに広々とした平地が姿を現す。
これくらい広ければ防御陣地が構築できるんじゃなかろうか。それとも兵舎を建てたり物資の集積所にでもした方が良いのかな。大作がそんなことを考えているとお園が不意に袖を引っ張った。
「ねえねえ、大佐。刎石っていう名は何故に付いたんでしょうね。もしかして石を刎ねるのかしら」
「知らんがな~! どうせ与良殿は理由をご存じなのでしょうな? 勿体ぶらずに教えては下さらぬか」
「いやいや、勿体ぶってなどおりませぬぞ。儂にも良う分かりませぬが般若からきておるようですな。土地の者はこの辺りを般若峰とも申しておるそうな」
平然とした顔で与左衛門が即答した。こんな無茶振りにあっさり応えられてもリアクションに困っちゃうぞ。
って言うか、俺から無駄蘊蓄を取らないで欲しいんだけどなあ。大作は心の中で苦虫を噛み潰した。
「ほれ、着きましたぞ。此処が堀切にございます。百姓どもが手の空いておる冬の内に形を整えんが為に日々、思ひ励んでおります」
道の両側では数十人の男たちが鍬や鋤のような物を手にして開削していた。その顔ぶれは年寄りから若者まで千差万別のようだ。
良く見れば中には数人だが少女やおばさんや老女も混じっている。作業に勤しむ男たちの求めに応じて水を配ったりしているらしい。
意味深な笑みを浮かべた与左衛門が無言のまま軽く頷いた。
これは何かコメントを求められているんだろうか。大作は適当な言葉を探して頭をフル回転さる。
「えぇ~っと…… 初めまして、左京大夫と申します。皆様方、そのまま作業を続けながら聞いて下さい」
突如として現れた侍の集団と謎の僧侶&姫様の姿に男たちは戸惑いを隠そうともしていない。とは言え作業を続けろと言われた手前、休むこともできない。仕方が無いので怪訝な顔をしながらも作業を続けている。
大作は聞いているのか聞いていないのかも良く分からない聴衆たちをぐるりと見回しながら言葉を選んで話を続ける。
「ここだけの話ですが、この碓氷峠は来年の三月にも前田、上杉、真田、エトセトラエトセトラ。合わせて三万五千もの北国勢による侵攻が予想されておるそうな。これらを食い止められるか否か。全ては皆様方の作業如何に掛かっております。これぞ正に有備無患と申せましょう。そのことをどうか深く理解して、聖戦完遂に邁進されるよう伏してお願い致します」
「……」
はんのうがない、ただのしかばねのようだ。
黙々と作業を続ける草臥れた顔の男を見ているだけで大作の心は折れそうになる。いや、まだだ! まだ終わらんよ! 大作は心の中の亜酸化窒素ボタンを連打した。いやいや、それは駄目な奴じゃんか……
「えぇ~っと。何か質問のある方はいらっしゃいませんか? 何でも結構ですぞ」
「……」
「御本城様は直答を許すとの仰せじゃ。何ぞゆかしきことあらば尋ね申せ」
気不味い空気を吹き飛ばそうとでもいうかのように与左衛門が話に割って入る。暫しの沈黙の後、作業中の男たちから少し離れたところに立っている初老の男が口を開いた。
「坂本で名主をしておる野島弥八郎と申します。恐れながら御本城様にお訪ね致します。やはり戦を避くことは叶わぬのでございましょうか? 坂本の村も焼かれてしまうのでありましょうや?」
名主を名乗った爺さんが着ているのは土木工事をしている男たちより随分と高そうな小袖と袴だ。腰には火打ち袋を下げ、脇差を差している。
もしかして現場監督的な立場なんだろうか。自分は何もしないで人に指図するだけとは良い御身分だなあ。大作は自分のことを棚に上げてちょっとだけムカついた。だが、決して顔には出さない。
「えぇ~っ! 気になるのはそこでござりますか? そうですなあ…… 戦が起きるか、起こらないか。そう問われればYESと答えざるを得ませんな。たとえばですが明日、雨が降るか降らぬかは分かりませぬ。されど、遅くとも来月か再来月までには恐らく雨が降るでしょう? 戦とて同じことにございます。人類が狩猟採集生活から農耕生活へと移行して以来、戦の絶えたためしはござりますまい」
「のうこうせいかつ?」
「そこから説明しなきゃダメですか? うぅ~ん、畑で米とか作るのが農耕ですな。んで、海で魚を獲ったり山で獣を獲ったりするのが狩猟採集なんですよ。Do you understand?」
「その言い方はちょっと無礼よ、大佐。『Does that make sense?』とか『Am I making sense?』とか言った方が良いわね。それとお米を作るのは田んぼよ。畑じゃないわ」
お園が鬼の首でも取ったかのように得意気な顔で話に割り込んでくる。そのドヤ顔を見ているだけで大作のやる気がモリモリと削がれてきた。
「だぁ~かぁ~らぁ~~~! 気になるのはそこかよ~~~! 悪いけど話を戻してもらっても良いかな? 俺が言いたいのは何で農耕文明が戦争の根源的原因になるかって話なんだよ。それは農耕による富の蓄積なんだ。これによって支配階級や被支配階級が生まれるじゃん。それに農耕っていうのは土地に縛られるから攻められた方は土地を守るために必死で戦わなきゃならんだろ。あと、飢饉の時に他国の食料を奪うというのも重要な理由だし。詳しくはジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』でも読んでみたらどうかな?」
「なんですって! この世から戦が無くならないのはお百姓さんがお米を作るからだって言いたいの? だったら戦を無くすにはお米を作るのを止めるしか無いじゃないのよ。そんなことになったら私たちはいったい何を食べたら良いっていうのかしら」
またもやお園からピントの外れた突っ込みが返ってくる。これはもうギブアップした方が良いかも分からんな。大作は考えるのを止めた。
「お百姓さんがお米を作っているだって? その固定観念がそもそも間違っているかも分からんといってるんだよ。こないだ見たテレビで言ってたんだけど実際にはそれが逆だったかも知れないんだ。見方を百八十度変えてみ? 植物は種子を提供する代わりに人間に自分の世話をさせているとも言えるんじゃね? 人口の九割を占めるお百姓さんが朝の暗いうちから日が暮れるまで毎日のように稲の世話をしている。これってある意味、人間が植物の奴隷にされているような物だろ。蝶々や蜂が蜜を餌に貰う代わりに花粉を運ばされているのと同じだ。それを遥かにスケールアップさせたのが稲の生存戦略なんだよ。詳しくはユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』でも読んでくれるかな」
「もお~ぅ、大佐ったら。さっきからそればっかりじゃないのよ。それで? 私たちはお米の代わりに何を食べれば良いのかしら。まさか、あのパンとかいう妙なふわふわじゃないでしょうね。言っておくけれど私、あんな物を毎日食べるくらいなら死ぬまで戦が続いた方が余程に心嬉しきことだわ」
余りと言えばあんまりなお園の物言いに大道寺たち武士も作業中の村人たちもドン引きの表情だ。
これはもしかしてパン酵母の入手を急いだ方が良いのかも知れんなあ。大作はもはや何度目になるかも分からないが『パン酵母の入手』を心の中のメモ帳に書き込んだ。




