巻ノ弐百拾伍 踊る会議は久しからず の巻
北条の命運を掛けた大事な大事な小田原評定は始まって既に半時間ほどが経過しようとしていた。
だが、例に寄って例の如く話の脱線ぶりは何処へ向かっているのか参加者の誰にも分からない。
これはどげんかせんといかん。大作は早くも切れかけようとしている集中力に活を入れた。
「さて皆様方、ちょっくら巻いて頂いても宜しゅうございますかな。何せ小田原評定と申さばウィーン会議と並んで無駄に長くて結論の出ない会議の代名詞となっておりますでしょう?」
「撒くじゃと? 何を撒くと申すのじゃ?」
「いやいや、急いで下さりませと申しておるのでございます。急いては事を仕損じる。Hurry up! Be quick! そうだ、閃いた! 皆様、お立ち下さりませ。Sir, could you please stand up?」
大作は呆けた顔の氏政やお園の手を引っ張って半ば強引に立たせる。だが、訝し気な顔をした他の面々は首を傾げるばかりで誰も動こうとしない。
叛乱か? ここへきてまさかの叛乱なのか? 大作は心の中で『立て! 立たないとお前達のパパもママも死んじまうぞ!』と絶叫するが決して顔には出さない。
代わりに精一杯の卑屈な愛想笑いを振り撒きながら上目遣いでみんなの顔色を伺う。
「皆様方はスタンディングミーティングとかスタンドアップミーティングってご存じですかな? 今日は一つ、立って評定をやってはみませぬか? 聞いた話では立っている方が血流が良くなるから脳も活性化するとかしないとか。それにメンバー間の距離も近付くから話も弾むってもんでしょう? ね? ね? ね?」
「しょうがありませぬなあ。御本城様の仰せとあらば従わぬわけにも参りますまい。一つ貸しにございますぞ」
胡麻塩頭のおっちゃんが苦笑を浮かべながらゆっくりと立ち上がる。いやいや、貸しとか借りとかじゃないから。大作は心の中で顔を顰めた。
第四の男が立ち上がったことで同調圧力が働いたのだろうか。残る面々も渋々といった様子で面倒臭そうに立ち上がる。
「そもそも会議という物の目的は何だと思われまするか? それは情報共有でも、伝達でもござりませぬ。意思決定ではございませぬか? そう、決めることこそが会議の本質と言えましょう。これを忘れて情報共有とか伝達とか意思決定などといった本質から離れたることで貴重な時間を無駄にしてはならぬのです」
「最もな言いようじゃな。して、本日の評定においては何事を決めんと欲しておられる?」
「それでは発表いたしましょう。本日の議題。それは~~~! ドゥルルルルル~ ジャン! 対里見戦略の基本方針にございます!」
さぱ~り分からんという一同の顔を大作は慎重に観察する。取り敢えずインパクトは十分だったのか? 十分だったっぽい。十分だったら良いなあ。
とにもかくにも豊臣との開戦を前提に話を進めることでアレを既成事実化してしまおうという魂胆なのだ。
「里見じゃと? 御本城様は彼奴等と又もや事を構えよと申されるのか?」
「万喜城を攻めてきおったのは五月じゃったかのう。このところ、ちいとばかしは大人しゅうしとるようじゃぞ。大事の前の小事。態々、此方から手を出さぬとも宜しかろうに」
「今は豊臣に備えることこそが肝要かと存じるが?」
「さすれば、何ぞ新たに里見と言ひ期してはみては如何にござろうか」
一同から決してポジティブとは言えない反応が返ってくる。だが、取り敢えず聞く耳を持ってくれたことに大作は安堵した。
だったらこの話題をもう少し引っ張ってみるのも悪くないんじゃなかろうか。
「甘い! 皆様の認識は羊羹よりも甘いですぞ! 甘々の甘ちゃんですな。じぇじぇじぇ!」
「そ、そうなの? 私、その『にんしき』っていうのを食べてみたいわ! じゅるる~!」
「どうどう、落ち着いて。今は重要会議中なんだ。不規則発言は遠慮してくれるかな~?」
「いいとも~! でも、確と約したわよ。後で必ずや食べさせてもらうんだからね」
これは何でも良いから適当に甘い物を食わせてやらねばならんな。大作は心の中のメモ帳に書き込みつつも一同の顔をぐるりと見回した。
「信頼できる情報によれば北条と豊臣の戦が始まるのを待って里見は三浦半島に兵を送ると決めておるようにございます。まるで対ポーランド戦のソ連軍みたいにござりましょう? それは来年の四月十三日と日付まで決まっておるそうな。ほれ、ここにそう書いてありますぞ」
「なんじゃと? いや、これは何と読むのじゃ。斯様な字は見たこともござらぬぞ」
「天正、年、月だけは読めるが間の小さな字は何と書いてあるのじゃ? 誰か読める者はおらんのか?」
「此れは天正十八年四月十三日と読むそうな。アラビア数字と申す南蛮の文字にございます。まあ、アラビアの方々はインド数字と呼んでおるそうですが」
お園がすかさず適切なフォローを入れてくれた。大作はアイコンタクトを取りつつ軽く頭を下げて謝意を示す。
「常ならば里見など敵ではありませぬが大戦の最中に背中を襲われては堪りませぬ。なればこそ備えが肝要。独ソ戦に備えてソ連はフィンランドやバルト三国を攻めましたな。我らとて目の上の瘤は早めに取っておくに越したことはありませぬ。奴らの水軍にウロウロされるだけでも目障りなことこの上もありませぬでしょう?」
「で、いつ攻めると言うのじゃ?」
やけに真剣な目をした氏政が囁くように呟いた。普段より一オクターブ低いドスの効いた声が静まり返った室内に意外なほど響き渡る。
大作は『今でしょ!』と絶叫したかったが空気を読んで止めておいた。
「それはズバリ、来年の二月十六日(1590年3月21日)にございます。こっちに書いてありますでしょう。なんとびっくり、その夜に相模トラフがスロースリップして大地震が起こるそうにございます」
「じしん?」
「地震の意にございます。おびたたしき大地震が震ると申されておられます」
またもやお園が解説に割り込んできた。気を使ってくれるのは有難いんだけれどいちいち口を挟まれると会話のペースが乱れるんですけど。
ここはガツンと一発言ってやるか。大作は上目遣いで顔色を伺いながら腫れ物に触るように慎重に言葉を選ぶ。
「あのなあ、お園。質疑応答は後で纏めてやろうと思ってるんだ。皆様方も話に区切りが付くまでは相槌を遠慮して頂けますまいか。いやいや、相槌くらいは打って下さって結構ですが。って言うか是非とも相槌を打って下さりませ」
「あいづち?」
「合いの手とか受け答えのことにございます。んで、話を戻しても宜しゅうございますかな? 今を去ること千五百万年から二千万年くらい前に誕生したフィリピン海プレートは真北に向かって動き、房総半島南端辺りで北米プレートにぶつかって沈み込んでおったのだとか。ところが今から三百万年前、端っこが太平洋プレートに当たって西へと動きを変えたそうな。とにもかくにも、そいつが地震の原因にございます。震源は安房、上総だったとかで安房では地面が二メートル…… 一間余りも隆起したんだそうな。三キロ…… 三十町もの干潟が現れたとか、現れなかったとか。駿河、遠江でも数多の家々が倒壊したようですぞ」
大作はタカラ○ミーのせ○せいに下手糞な絵を描きながら早口で捲し立てた。一同はさぱ~り分からんといった顔をしている。だがそんなの関係ねぇ~! って言うか、これはこれで計算通りなのだ。そもそもこんなわけの分からん話を理解してもらおうなどとはこれっぽっちも思っていない。
「関八州古戦録には十八日の夜にも数十丈の大津波が押し寄せて安房、上総、下総に大被害をもたらしたって書いてあるそうですな。ほれ、ここを見て下さりませ。二日遅れってのは眉唾ですが天津小湊町にも『在家三百軒ほど流れる』とか『村の大半が海中に没した』なんて記録が残っております。そうそう、この年の春には浅間山が大噴火して関東に大雨が降り、栗のような雹が降るそうですぞ。これはもう天変地異のバーゲンセールですな。オラ、なんだかワクワクしてきたぞ!」
「どうどう、大佐。気を平らかにして。それで? 大地震が震るのは分かったけど里見を如何様にして攻むるつもりなのかしら?」
暴走しかけた大作の手綱をお園が強く引っ張る。お陰で話の脱線をギリギリの所で踏み止まることができた。
大作だって自分の議事進行能力の無さが自覚できていないわけではない。これはもう議事進行をお園に任せた方が良いのかも分からんな。
「お園、急な話で悪いんだけれどモデレーターをやってくれるかな~?」
「い、いいとも~! でも、もでれ~た~って何をするのかしら」
「まあまあ、それは追々説明するよ。それよりも如何にして里見を攻めるかの話だろ? それは~~~、ジャン! 地震直後の混乱を最大限に利用することでした~! まずはあらかじめ潜入させておいた相州乱破が地震直前にそこら中に放火する。地震直後には『城が潰れて殿が死んだ』みたいな根も葉もない噂話を散々に撒き散らす。最後は救援物資の名目で遅効性毒物を仕込んだ米を届ける。A friend in need is a friend indeed. 困った時の友こそ真の友。有難や有難やと炊き出しを食べた何の罪も無い民百姓は何が原因かも分からずにバタバタと死んで行く。最高のショーだと思われませぬか?」
邪悪な微笑みを浮かべながら楽し気に悪趣味な話をする大作に一同はドン引きの表情だ。暫しの沈黙の後、不満気に黙り込む面々を代表するかのようにお園が口を開く。その冷たく乾いた声は怒りを隠そうともしていない。
「あのねえ、大佐。私、前にも言ったわよねえ。食べ物を粗末にすると地獄に落ちるって」
そう言えば長束正家の話が出た時にもそんなことを言っていたような、いないような。うぅ~ん、この件も相州乱破に任せるしか無いか。大作は遅効性毒物計画を心の中のシュレッダーに放り込んだ。
「その件に関してはアレだな、アレ。非致死性の毒物にするって手もあるぞ。酷い下痢になるとか、二週間寝込むとかそんなところで手を打ってはもらえんじゃろうか? その間に水軍や相州乱破が船や街を焼き払う。めでたしめでたし」
「そうは申すがのう、新九郎。その大地震とやらは真に震るのじゃろうか? もし里見を攻めておきながら大地震が震らねば一大事じゃぞ?」
氏政が一同の顔色を伺うように視線を彷徨わせながら首を傾げる。不安そうなその表情はまるで迷子のキツネリスのようだ。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
「いやいや、スマホに書いてあることは絶対にございます。父上、そして皆様方、拙僧を信じて頂かずとも結構。拙僧が信じるスマホを信じて下さりませ。まあ、仮に地震が起こらなくてもどうということはありませぬ。来年の二月ともなれば開発中のテレピン油を用いた時限発火装置やコングリーヴ・ロケットも完成しておるはず。それだけでも里見なんぞちょちょいのちょい。対豊臣戦の前にコンバットプルーフできてラッキーくらいに思って下さりませ。地上部隊を派兵する必要すらない簡単なお仕事にございます。ってことで、里見攻撃作戦に賛成のお方は挙手をお願いできますかな?」
「きょしゅ?」
「手を上げて下さりませと申しておるのです。All in favor, raise your hand!」
そう言いながら大作はお園や藤吉郎、ナントカ丸へアイコンタクトを取った。
暫しの沈黙の後、やれやれといった顔のお園が面倒臭そうに手を上げる。それを待っていたかのように藤吉郎が勢い良く手を上げ、ナントカ丸がそれに続く。
それまで話に入ってこなかった女性陣が示し合わせたように揃って挙手する。
最後に残った爺さんやおっちゃんたちも渋々といった顔で手を上げた。
大作は確認するようにゆっくりと一同を見回す。座敷に集う大勢の人々の中で唯一人、朝食の時に同席していたおっちゃんだけが居心地悪そうな顔で両手を下げていた。
これって確か美濃守だっけ? だとすると和平派の北条氏規だ。朝食の時に根回しできなかったのは痛かったな。
とは言え、多勢に無勢だ。説得は容易だろう。大作は氏規と思しきおっちゃんの手を取ると軽く握りしめた。
「もしや叔父上殿は豊臣の発した惣無事令を気にされておられるのではありますまいか? でも、そんなの関係ありませぬぞ。拙僧の里見攻撃計画は来年の二月にござります。どうせそのころには豊臣方の諸大名は続々と出陣しておるころ。水軍も志摩の辺りに集っておりましょう」
「そ、そうは申されますが御本城様……」
「何故にそこまで戦を拒まれるのでしょうや? どっかの新聞に『弱腰氏規、勝てる戦を何故やらぬ!』とか書かれても知りませぬぞ。そも、この作戦は戦ですらございませぬ。非正規のゲリラ部隊によるテロ活動と思召せ。これらは単なる刑事犯罪にござりますれば決して惣無事令に背く物ではありませぬ。こんなところでご納得頂けませぬでしょうかな?」
全員の視線を一心に浴びた氏規が苦虫を噛み潰したような顔で力なく手を上げた。大作は満足気に頷くと氏規の手をもう一度握りしめた。
「それでは本案に反対の方、挙手をお願いします」
大作は右手を掲げながら全員の顔をゆっくりと見回す。全員が全員、不思議そうな顔をしている。
「いったい何を言ってるの、大佐? みな、同ずると申されておられるわよ」
「ん~? 何のことかな、フフフ。とにもかくにも賛成多数、寄って本案を可決いたします。お園、記録してくれ」
「わかったわ」
こうやって大作は反対票をさり気なく投じた。こんな非合法なテロ計画に賛成していたなんて分かったら万一、二十一世紀に戻った時に罪に問われかねん。そう、大作は何があろうと決して自分の手を汚したくはないのだ。
「さて、皆様方。此度の大戦は侍から民百姓、翁媼、童、女性に至るまで総動員した国家総力戦となりましょう。ともすれば戦を有難く思わぬ者もおりましょう。中には北条が豊臣に敵わぬと見て、敵に靡く者もおるかも知れませぬ」
「うぅ~む、斯様な者はおらぬと申したいところじゃが。用心に越したことは無いじゃろうな」
「国家元帥ヘルマン・ゲーリングは申された。『民草を戦に駆り立てるのは簡単だ。敵が攻めてくると民草を煽りたて、戦を嫌がる者を敵の回し者だと非難すれば良い』と。嘘八百の噂話を撒き散らして豊臣に対する敵愾心を徹底的に煽り、逆らう者を扱き下ろして下さりませ。ちなみにゲーリングのIQは138あったそうですな。デブでマヌケってイメージが捏造されておりますが結構なお利巧さんだったみたいですぞ」
「うむ、けだし名言じゃな。心得た」
一同が鷹揚に頷く。時計に目をやれば会議スタートから一時間ほど経っていた。会議時間の短縮という当初の目的はどうやら無事に達成できたようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。
「では、本日の評定はこれまでと致しとう存じます。ところで父上、此度の大戦における主戦場は箱根の山中城と足柄城になりましょうな。そして軽井沢からの敵を妨ぐるための碓氷城もそれに劣らず重要な拠点。そこでこのタイミングで前線視察でもやっておこうかと思うております」
「ぜんせんしさつ? 検分に参ると申すか。其れは善きことじゃな。皆もさぞや喜ぶことじゃろうて」
「つきましてはお手数ですが紹介状? 添状? 副状? なんかそんなのありますよな? あれを書いては頂けませんでしょうか。父上のお名前で新九郎の面倒を宜しくとか何とか一筆お願い致します」
「はぁ、何じゃと? 北条家当主のお主が譜代の家臣の下を訪ねると言うに、儂に添状を書けと申すか? 皆に笑われはすまいか?」
氏政は小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら顎をしゃくった。その仕草にイラっとした大作は思わず声を荒げる。
「トップに立つ者は人に笑われることを恐れてはいけない! Do not be afraid to be laughed at! 笑わば笑え、天上天下唯我独尊!」
これ以上は無いドヤ顔で左手で天を指し、右手で地を指す。気分はもうすっかりお釈迦様だ。
だが、がっくりと肩を落としたお園が出来の悪い子を諭すように優しい口調で語りかける。
「右手と左手が反対よ。右手が天、左手が地なの。間違えないで頂戴な」
そんなのどっちだって良いだろ~! 大作の心の中の絶叫は誰の耳にも届くことはなかった。




