巻ノ弐百拾四 売れ!外郎を の巻
夕飯を食べながらのプロジェクト会議は大作の集中力切れのため有耶無耶のうちに終わってしまった。
「もう外は真っ暗のようですな。今度からはもうちょっと早い時間に開催するように致しましょう。それでは皆様、お足元にお気を付けてお帰り下さりませ。そうそう、お土産に羊羹を用意しております。一本ずつお持ち下され」
「……」
ずらりと並んだ職人らしき男たちが仏頂面のまま、黙って一斉に深々と頭を下げる。
『敬礼不要だって言ってるだろ~!』
大作は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。
だがちょっと待って欲しい! 親しき中にも礼儀ありって言うんじゃね? やっぱ挨拶はちゃんとやった方が人間関係も良くなるんじゃなかろうか。ならんかも分からんけど。
心理学者マズローは申された。人間の欲求はピラミッドの如く五つの段階で構成されておるそうな。そしてその第四階層は尊厳欲求とか承認欲求。つまりは他者から認められたい、尊敬されたいという欲望なのだ。
そんな承認欲求がほんの数秒の挨拶ひとつで満たせるかも知れない。だったらコストパフォーマンス的に考えてもやった方がお得なんじゃないのかなあ。
過ちては改むるに憚ること勿れ。訂正するなら早いに越したことはない。大作は糞真面目な表情を作ると芝居がかった口調で話し始めた。
「時に皆様方、人間と動物の決定的な違いは何だと思われますかな? 拙僧が考えるに、それは言語によるコミュニケーションではござりませぬでしょうか?」
「こ、こみゅにけいしょん…… にあらせられまするか」
職人らしき男たちの『こういうときどんな顔すればいいかわからないの』といった顔を見ているだけで大作はお腹いっぱいの気分だ。
とは言え、ここで止めるのも中途半端だな。大作は尽きかけようとしている気力を振り絞る。
「拙僧は先ほど『面倒臭い挨拶は無用』と申しましたな。アレは嘘だ!」
大作は思いっきり顎をしゃくるとドヤ顔で宣言する。気分は玄田哲章版のコマンドーだ。
「朝令暮改で申し訳次第もござりませぬが、今後はきちんとした挨拶をお願い致します。それと表情にも気を配って下さりませ。メラビアンの法則によると人間のコミュニケーションにおける視覚情報の割合は五十五パーセントにも上るそうな」
「へ、へぇ。ひょうじょうにございますな。心得ましてござりまする」
「ちょっと練習してみましょうか。まずは口角を上げ、ほんのちょっと上の歯を見せて下さりませ。んで、目を細くして、目じりを下げましょう。はい、チーズ。皆様、良い感じですぞ。明日から朝起きたら鏡を見ながらやってみて下され。一日が笑顔から始まると人生が変わりますぞ」
そんなこんなで第一回プロジェクト会議は終わりを告げ……
「そうそう、一つ忘れておりました。今日からこの部屋をプロジェクトルームに致します。あらゆる情報がここに集まるようにして下さりませ。ナントカ丸、壁に大きな紙を貼ってくれるか。んで、ガントチャートみたいなのを描いて進捗状況がひと目で分かるようにするんだ」
「御意!」
「それから…… そうそう、日報を提出して頂けますかな。その日あったことや問題点をA4の紙で一枚程度に纏めて下さりませ。無論、重大な問題が発生した時は別ですぞ。その時は土日だろうが真夜中だろうが遠慮なく叩き起こして下さって結構。ノルマンディー上陸作戦当日のヒトラーみたいな目には遭いたくありませんのでな」
「畏まりましてございます」
職人らしき男たちの引き攣った笑顔がちょっと怖い。心のこもっていない作り笑いって怖いなあ。大作は阿呆なことを言うもんじゃなかったと激しく後悔していた。
みんなを見送った後、大作は全員分の食器を纏めると藤吉郎と一緒に返しに行く。台所には信長のシェフみたいな格好をした男が何人も忙しなく働いていた。どうやら朝食の下ごしらえか何かをしているようだ。
なるべく邪魔にならないように注意しながらも丁寧に食器を洗って食器棚に返す。シェフたちはよっぽど忙しかったんだろうか。誰一人として大作たちの行動に感心を払う者はいない。
こんなんで安全管理とか大丈夫なんだろうか。暗殺者が忍び込んで食器や食材に毒物を仕込んだりとかされたら大変だぞ。まあ、他人事だからどうでも良いんだけれど。
御本城様の座敷に戻ると女性陣が布団を敷いていた。それも、まるで旅館の大部屋か何かみたいに部屋中に布団が敷き詰めてある。
「あのさあ…… この部屋は俺のプライベートルームなんだぞ。お園はともかく他のみんなは自分の部屋に戻ってくれないかなあ?」
大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選ぶ。だが、返ってきたのは烈火の如き激しい怒りの反応だった。
「私たちは忍城からやってきてるのよ。小田原城に部屋なんて無いわ。まさか忍城から通えなんて言わないわよね?」
「某は御本城様の小姓なれば片時もお傍を離れるわけにはまいりませぬ」
「そも、私たちは大佐を守るためにいるんじゃないかしら? 傍に控えていないといざという時、役に立てないわ」
「そうよそうよ、私めだって常に傍にいるのがお役目なんだからね!」
こいつら何だか凄い団結力だな。とは言え、ここだけはどうしても譲ることのできない一線だ。女性陣から沸き起こった盛大なブーイングを大作は華麗に聞き流す。
「はいはい、お帰りはこちら。どうしてもって言うんなら隣の部屋でなら寝ても良いぞ。ほら、手伝ってやるから布団を移せ」
そう言いながら布団を引き摺ってプロジェクトルームへと移す。
さすがにこんな女の園では居心地が悪いんだろうか。藤吉郎とナントカ丸は残念そうな顔で反対側の座敷へと移動した。
「なあなあ、お園。俺たち明日から何すれば良いんだろうなあ?」
「明日のことを案じてもしょうがないわよ。明日のことは明日に案じましょう。今日の労りはその日だけで沢山だわ」
「なんだそりゃ? マタイによる福音書第六章第三十四節みたいだな」
そんな阿呆な話をしているうちにも大作の意識は夢の中へと引き込まれていった。
「知らない天井だ……」
「そう、良かったわね。お布団を畳みたいから早く起きて頂戴な。朝餉の後、すぐに評定があるんでしょう」
追い立てられるように布団から飛び出した大作は慌てて僧衣に着替える。布団を畳み終えたお園に頭を剃ってもらっていると朝食が運ばれてきた。膳の数は全部で四人分だ。
いったい誰の分なんだろうか。そんなことを考えていると胡麻塩頭のおっちゃんと白髪頭の爺さんがやってくる。
いつの間にやってきたのか藤吉郎とナントカ丸も部屋の隅っこに座っていた。全然気付かなかったんですけど? お前らは忍者かよ!
いやいや、そんなことよりも二人が何者かを確認しなければ。大作は幼い小姓の耳元に口を近付けて囁き掛ける。
「おはよう、ナントカ丸。ところでこのお方々はどちら様かな?」
「美濃守様のことは覚えておられますな? 此方のお方は尾張守様にござります。松田様は早雲公の頃より譜代家老を務める大身の御家柄ですぞ」
美濃守? 聞いたことがあるような、無いような。もしかして氏政の弟の氏規だったっけ? イマイチ自信が無いけど取り敢えずこいつは氏規ってことにしておこう。だとすると徳川と太いパイプを持っていて豊臣との和平交渉を担当していたはずだ。
爺さんの方は尾張守で松田と言えば松田憲秀だな。徹底抗戦を主張しておきながら小田原城が秀吉の軍に包囲された途端、勝手に裏で和平交渉を始めやがった卑劣な裏切り者だ。
だがちょっと待って欲しい。何か分からんけどもっとずっと大事なことを忘れているような、いないような……
しまったぁ~~~っ! 歯を磨くのを忘れてたじゃんかよ! 歯磨きせずに朝ご飯を食べるなんて嫌だなあ。テンションが一気に下がったぞ。まあ、食べてすぐに磨けば大丈夫だろうけど。
そんな益体も無いことを考えている間もおっちゃんと爺さんは業務報告的な話しを続けている。どうやら評定の前に小田原を留守にしていた半月間の出来事を教えてくれているらしい。
大作はそれらをすべて右から左に聞き流す。だって、真面目に聞いたってとてもじゃないけど理解できそうにないんだもん。
みんなが朝食を食べ終わったころ、ようやく話のネタが尽きたようだ。二人が静かになったのを確認した大作は『俺のタ~ン!』と心の中で絶叫する。
取り敢えず評定が始まる前にこいつらだけにでも根回しをしておかねばならん。絶対にだ!
和平派の氏規には豊臣と戦になることを納得してもらう必要がある。この人は史実だと韮山城に百日も籠城したんだそうな。やればできる子なはずだ。勇敢さでいえば強大なソ連軍を相手に百五日も抵抗したフィンランド軍にも匹敵するんじゃね?
一方、裏切りの可能性がある松田憲秀には釘を刺しておいた方が良さげだ。それかいっそ豊臣との終戦工作を正式の任務として任せてしまうのもアリかも知れん。補佐の名目で監視を付け、交渉内容を逐一報告させれば独走される心配も無いだろう。
大作は脳内で素早く方針を決定すると二人に向き直って小さく咳払いをした。
「時に美濃守、尾張守殿。お二人にお願いしたき……」
「御本城様! 御隠居様、陸奥守様、安房守様、播磨守様、江雪斎様がお見えにございます。お通しして宜しゅうございますか?」
無い知恵絞って考えた大作の説得プランはナントカ丸の一言によって始まる前に終わってしまった。
大作はみんなの食器を手早く集めると台所に持って行くために腰を上げかける。だが、呆れた顔の氏政に速攻で駄目出しを食らってしまった。
「何をしておる新九郎。左様なことは人に任せておけば良いじゃろう。早う此方へ参られよ」
「で、ですよねぇ~! あは、あはははは……」
大作は照れ笑いを浮かべながら膳をナントカ丸に押し付ける。幼い小姓は迷惑そうな顔をしながらも黙って受け取ると座敷を出て行った。
しまったぁ~! 奴がいないと誰が誰だか分からないんですけど。後悔するが例に寄って後の祭りも良いところだ。
とにもかくにも会議の主導権を握らねば。大作は御本城様の定位置らしき場所に座ると上目遣いで卑屈な愛想笑いを浮かべる。
「本日は急なお呼び立てにも関わらずお集り頂き感謝に堪えません。まずは此度の上洛に関する報告から始めましょうか。父上、お願い致します」
「わ、わ、儂がか? いや、あの、その……」
「父上が見聞きしたことを面白おかしくお話下されば宜しいのです。必要なら拙僧が補足いたしますので思うたままをお話下され。そうそう、写真を見れば細かいことも思い出せるのではござりますまいか?」
そんなことを言いながら大作はスマホに写真を表示させる。一条戻橋、聚楽第の南二之丸、豊臣秀長と氏政のツーショット、エトセトラエトセトラ。みんなが首を伸ばしてスマホを覗き込む。
「このおっさんが秀吉の弟の秀長ですぞ。父上とくりそつ(死語)にござりましょう。驚いたことに中の人が同じだったんですよ」
「そう申さば御本城様、堺の土産に羊羹があるそうですな。是非とも御相伴に預かりたいものじゃて」
「おお、これは気が付きませんなんだ。Just a moment, please. お園、羊羹を切り分けてくれるかな。俺は一っ走り台所に行ってお茶を入れてもらってくるよ」
「新九郎、お前は座っておれと申しておろう! 誰かある! 茶を入れて参れ」
丁度そのタイミングで座敷に戻ってきたナントカ丸は仏頂面で深々と頭を下げるとUターンして消えて行った。
お園がナイフで羊羹を切り分けて一人ひとりに手渡して行く。って言うか、お皿とか無いのかよ。茶器なら沢山あるんだけどなあ。大は小を兼ねないんだからしょうがない。
「この羊羹を作っていた駿河屋さんは火事で燃えてしまいましてな。営業再開まで暫くは食べられない貴重な品でございますぞ。良く味わってお食べ下され」
「うぅ~む。なかなかに美味じゃな。見た目は外郎と似ておるようじゃが、まるで違った味わいじゃて」
「外郎? それって名古屋名物じゃありませんでしたっけ? 小田原でも売ってるんですか」
外郎と言えば名古屋名物の青柳外郎しか知らない。外郎が小田原名物だなんて聞いたこともない大作は首を傾げて氏政の顔を見詰める。
「何を申す新九郎、其方も好んで食しておったではあるまいか」
「ういろう? それって私、食べたことが無いわよ。ねえ、ナントカ丸。すぐにそれを持ってきて頂戴な」
「へ、へえ。御裏方様」
お茶を運んできた幼い小姓はちょっと悲しそうな顔をするとまたもや奥へ引っ込んで行く。
もしかしてあいつ、ストレスで爆発寸前なんじゃね? これはフォローした方が良いのかも知れん。大作は慌てて声を掛けた。
「ナントカ丸、お前の分も持ってこい。一緒に食おう」
「畏まりました、御本城様!」
ぱっと顔を綻ばせたナントカ丸がBダッシュで走り去る。あいつも色気より食い気なのかよ。まあ良いけどさ。大作は考えるのを止めた。
数分後、座敷の中は羊羹と外郎の食べ比べ大会の会場となっていた。誰が呼んだのか隣の部屋にいた女性陣までもがいつの間にか参加している。
「外郎ってとっても美味しいのね。私、初めて食べたけれど控えめな味わいが殊の外に雅だわ」
「某には羊羹の濃い味が些か鼻に付きまする。もうちっとばかし薄味に作ることはできませぬか?」
「いやいや、儂は外郎より羊羹の方が美味いと思わるるぞ。どうじゃ、新九郎。お主は何方が好みじゃ?」
「拙僧は食べ慣れております羊羹の方ですかな。では、ここいらで多数決でも取りますか?」
本題に入る前のスモールトークにいつまでも時間を掛けてはおられん。いい加減に話を元に戻さねば。大作は強引に話題の急ハンドルを切った。
だが、そんな気持ちを知ってか知らずかナントカ丸が話題の脱線を加速させる。
「いやいや、殊さらに優劣を決めずとも宜しいのではありますまいか。時に御本城様、この羊羹とやらを透頂香のように丸めて薬としては如何にござりましょう?」
「と、とうちんこう? それって、ちんすこうの親戚みたいな物か?」
「何を申すか新九郎。生まれつき体の弱いお主は好んで飲んでおったではあるまいか。ほれほれ、これじゃ」
そう言いながら氏政が印籠らしき入れ物から仁丹みたいな銀色の粒粒を掌に取り出す。
大作とお園は恐る恐るといった手付きで一粒ずつ受け取ると意を決したように口に放り込んだ。
口内に微かな苦みとハーブのような爽やかな刺激が一気に広がる。
「アッ~! もしかして歌舞伎の外郎売ってこれのことですかな? そう言えば東海道中膝栗毛にもお菓子の外郎と薬の外郎を間違える話があったような無かったような。なるほど、初めて食べま…… じゃなかった、子供のころより食べ慣れておりましたが癖になりそうな味ですな。とにもかくにも羊羹を薬として売り出すのは止めておいた方が宜しかろう。外郎家から営業妨害だって怒られそうですからな」
「さ、左様にござりますな。某としたことが考えの足りぬことを申し上げました。申し訳次第もござりませぬ」
「ドンマイドンマイ。俺たちのチームには心理的安全って奴が保障されているんだ。何を言っても許される、安心して働けるっていう環境がパフォーマンスを上げるんだ。叱りつけたり圧迫するだけの豊臣とは違うってことを見せてやろう」
そんなことを言ったものの大作の心は暗く沈み込む。今日は北条の運命を決める大事な小田原評定なんだけどなあ。
だというのに結論が出ないどころか会議が始まってすらいないんだもん。こりゃあ北条は駄目かも分からんなあ。大作は心の中で帰り支度を始めていた。




