巻ノ弐百拾弐 食べろ!金目鯛 の巻
夕食の席における大作の不用意な一言は突如としてお園の食に対する拘りに火を点けてしまう。その結果、急遽として立縄釣りに使う立延縄とかいう仕掛けを作ることになってしまった。
食事を終えた大作たちは台所まで食器を運ぶと丁寧に洗って返す。座敷に戻ると大急ぎで集められたらしい漁師と思しき男たちが迷惑そうな顔をして座っていた。
何だか重苦しい雰囲気だなあ。ちょっと淀んだ空気を入れ替えた方が良さげだ。大作はとびきりハイテンションに声を上げる。
「これはこれは漁師の皆様方。夜分遅く急にお呼び立てして申し訳次第もございません。一つ借りにございますな」
「滅相もありませぬ。御本城様より直々の御召しと伺い、みな喜んで馳せ参じ仕りました。何なりと遠慮のうお申し付けくださりませ」
年配から若者まで十人ほどの漁師を代表するかのように恰幅のある老人が答えた。こいつは浜名主みたいなポジションなんだろうか。その顔には人を小馬鹿にしたような薄ら笑いが張り付いている。だが、目だけ笑っていないのがちょっと怖い。
まさか無理難題とか押し付けられると思っているんじゃなかろうな? まずは警戒感を解くところから始めなければ。大作は腫れ物に触るように慎重に言葉を選んだ。
「いやいや、決して申し付けたりは致しませぬぞ。これは双方にとって利のあるビジネスのご提案にございます。我らと手を結べば必ずやWin-Winの関係が構築できることをお約束致しましょう」
「は、はぁ……」
「具体的な話を申し上げて宜しいかな? 沖合の深さ二百メートル以上…… 百尋よりも深い海の底に住む金目鯛。これを立延縄でもって大量に釣り上げ、高級魚として下田ブランドで売り出そうという壮大な計画でございます。報酬は歩合制ですが漁獲量に関わらず最低保証額を設定致しますので絶対に損はさせません。悪天候等で操業できない時の休業補償、万が一の海難事故に備えた保険や補償も完備させて頂きますぞ。我らに従い、我が事業に参加せよ!」
大作はここぞとばかりにクシャ○殿下の名セリフを紛れ込ませた。例に寄って元ネタを知らない漁師たちはぽか~んとしている。
だが、その沈黙を肯定だと勝手に解釈して話を先に進める。こういうのは勢いが大事なのだ。
「先ほども申し上げましたが金目鯛は深海に御座しまするそうな。そんなわけで頑丈そうな荒縄を繋ぎ合わせてそれ以上の長さにしなければなりませぬ。そして先っぽに錘を付け、何十本もの長い釣り糸に枝針を付けて縦に垂らしてやるわけですな。さ~あ、みんなで作りましょう!」
「……」
へんじがない、ただのくたびれたりょうしたちのようだ。
カッチ~ン! 突如として大作の怒りに火が点く。何じゃこいつら。こんだけ譲歩してやっているというのに。
「間違えるな。私は相談しているのではない!」
「大佐、さっきと言ってることが丸っきりあべこべよ。提案なんじゃなかったの?」
「いやいや、だから『相談しているのではない』んだよ。立延縄作りを手伝ってくれるかな~! いいとも~!」
「……」
漁師たちは仏頂面を崩すこともなくノロノロと動き出す。何なんだよこいつら。扱い辛いなんて物じゃないぞ。こんなんで五ヶ月後の戦は大丈夫なんだろうか? きっと大丈夫なんだろう。大丈夫だったら良いなあ。大作は考えるのを止めて立延縄作りに取り掛かった。
長い長い縄の先っぽに何十本もの枝針を取り付けるという作業は想像以上に面倒臭かった。それに日が暮れて部屋が暗くなってしまったのも痛い。大作たちはLEDライトにペットボトルを乗せて作った即席カンテラの周りに車座になって黙々と作業を続ける。
もしかしてこの作業にも日当を払わなきゃならんのだろうか。そりゃそうだろう。こんな手間の掛かることをタダ働きさせるわけにはいかん。
これはアレかな。本能寺から盗って、じゃなかった。保護してきた文化財のお裾分けで納得してもらえないだろうか。まあ、明日の漁の結果を見てから決めれば良いか。そんなことを考えている間にも四本の立延縄が完成した。
スマホの時計を確認すると既に日が変わっている。見ればみんな死ぬほど眠そうだ。
「皆様方のご協力によりこのように立派な立延縄が完成いたしました。明日はこれを使って金目鯛を獲って獲って獲りまくって下さりませ。宜しゅうお頼み申します」
「……」
漁師たちが黙って頭を下げる。何だか最後の最後まで無口な奴らだったな。それか死ぬほど眠いんだろうか?
まあ、しっかり仕事さえやってくれれば文句は無い。後は結果に期待するのみだ。疲れ果てた大作たちはそのまま座敷で雑魚寝をした。
翌朝、大作が目を覚ますと日は既に高く登っていた。綺麗に片付けられただだっ広い座敷には人っ子一人としていない。
みんな何処にいっちゃたんだろう。もしかして金目鯛漁にくっ付いて行っちゃったのか? そんなことを考えていると急に襖が開いてお園が顔を覗かせた。
「あら、大佐。やうやうと目を覚ましたのね。みんなもうとっくに朝餉を済ませちゃったわよ」
「そ、そうなんだ。でもさあ、だったら俺も起こしてくれても良かったんじゃね?」
「あのねえ…… 私、何遍も何遍も起こしたのよ。それなのに『あと五分~』とか『もうちょっとだけ~』とか言ってたのは大佐じゃないの」
「いやいや、普通はそれを額面通りには受け取らん物だろ? んで、朝餉のメニューは何だったのかな」
お園はちょっと呆れた顔をしながらも襖の向こうに引っ込むと台所から膳を運んできてくれた。
冷めてカチカチになった白米の御飯、同じく冷えて固くなった茹でた刺身、冷たい味噌汁、エトセトラエトセトラ。
「電子レンジが無いって悲しいよなあ。とは言え、アレを作るのはあまりにも難易度が高いか。かなり大出力のマグネトロンとキロワット級の発電機が要るもんな。仮にそんな物が作れるとしても無線とかアンモニア合成を優先しなきゃならんし」
「料理を温め直して欲しいのかしら? だったら火で温めてきてあげるわよ」
「別にそこまでしてくれんでもいいよ。冷たかろうが温かろうがどうせお腹に入ったら同じだしな。ちなみに電子レンジで猫を乾かしたら駄目だぞ。ダメ、ゼッタイ!」
一人で寂しく朝食を済ませた大作が食器を洗っていると急に表が騒がしくなってきた。
「大佐、漁師の方々が戻られたみたいよ。金目鯛は何匹くらい獲れたのかしら。たくさん獲れてたら良いわねえ」
「そうだなあ。ってか、昨日あんだけ苦労したんだ。獲れてなきゃ困るぞ。最低保証額って幾らくらい払わなきゃならんのだろうな?」
「こんなことで恨みを買うのは阿呆らしいわ。ちょっと多めに払っておいた方が良いんじゃないかしら」
やはりこれは本能寺の大名物を処分する他はないんだろうか。でも、下田にあんな物を引き取ってくれる故買屋なんてあるのかなあ。まあ、小田原まで戻ればあるかも知れん。無いかも知れんけど。
そんな取り留めの無いことを考えている間にも大勢の足音が近付いてくる。
「ただ今戻りましてございます、御本城様」
「おお、皆様方。ようご無事で戻られましたな。それで? 本日の釣果は如何なる案配にございました?」
「ちょ、ちょうか?」
「え、えぇ~っと…… こんな字を書きますぞ」
大作はタカラ○ミーのせ○せいに大きく字を書いて見せるが漁師たちはぽか~んとしている。この時代には釣果って単語は無いんだろうか? 無くても意味くらい察しが付くだろうに。
なんて察しの悪い奴らなんだ。大作は心の中の苦虫を噛み潰す。その途端、まるで青汁を一気飲みしたような苦みが口中一杯に広がった。
「お、おぇ~っ。気持ち悪う~ 要するに金目鯛は釣れたのかと問うておるのです。yes or no?」
「それがその、釣れたと申さば釣れたのでございますが……」
「はっきりしないなあ、もう。悪い報告ほど早くして下さりませ。その方が解決策を探る時間も多く取れますでしょう? Do you understand?」
大作は苛立ちを隠そうともせず漁師たちに詰め寄る。って言うか、背後から感じるお園のプレッシャーが凄いのだ。このままでは危険が危ない。
年嵩の男は暫しの間、言い淀んでいたが意を決したように口を開いた。
「獲れ過ぎて困っておるのでございます。釣り上げてみれば針のほとんどに金目鯛が掛かっておりましてな。恐らく二百は下りますまい」
「と、獲れ過ぎちゃって困るってことはありますまい。まあ、魚たちからすれば一匹の死は悲劇でしょうが百万匹の死は統計数字に過ぎなかったりするのかも知れませんけど」
「そうは言うけど、大佐。金子みすゞの『大漁』にあったわよ。『浜はまつりのようだけど 海のなかでは何万の鰮のとむらいするだろう』ってね。海の底では親や子を失った金目鯛たちが人を恨んで仇討ちを企てていなけりゃ良いけど」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらお園がおどけた風に相槌を打つ。
とは言え、その言葉も一理あるといえばあるような無いような。それにもしかすると『私は貝になりたい』みたいに深海魚に生まれ変わった人とかが紛れ込んでいるかも分からんし。
何とか誰も傷付かずに丸く収めることはできんだろうか。大作は無い知恵を絞って頭をフル回転させる。しかし何も思いつかなかった。
「だ、だったらキャッチアンドリリースしたら良いんじゃね? と思ったけど、深海魚って釣り上げたら死んじゃうんでしたっけ。どうすれバインダ~!」
「金目鯛には浮袋が無いから大丈夫なんじゃないかしら。知らんけど」
「とにもかくにも、これほど多いと干物や塩漬けにする他はござりませぬな。御本城様は何尾ご入用にござりますか?」
「一人に一尾で良いんじゃないかしら。私、大佐、藤吉郎、サツキ、メイ、ほのか、未唯。そうそう、御隠居様や吉良様、相州乱破や供回りの方々の分も入用ね。それでは二十尾ほどお願い致します」
お園が『ここからは私のターン!』とばかりに場を取り仕切る。自分が先頭に立って音頭を取らないことには埒が明かないとでも思ったんだろう。
そうこうする間に昨晩の包丁人も姿を現す。こうして料理人や漁師たちまでもが参加した料理大会が始まった。
「それで、大佐? 金目鯛ってどんな風に料理すれば美味しいのかしら。早く教えて頂戴な」
「知らざあ言って聞かせやしょう。まずは下ごしらえからだな。流水で汚れを丁寧に洗い流してくれ。それから鱗を落としたら臭いが出ないよう塩を薄く振り掛けて半時間くらい寝かせるんだ。刺身にする分は包丁人の方にお任せ致します。煮付けや鍋物にする分は湯通しする。金目鯛の皮は弱いから直接茹でたりはしない。沸騰させた湯をちょっとずつ掛ければ十分かな。湯通しが終わったら滑りとか血合いを取れば下ごしらえはお仕舞いだ」
「存外と手間が掛かるのねえ。でも、美味しい料理には時が掛かるんだからしょうがないかしら」
次から次へと流れ作業のように金目鯛が処理されて行く。夥しい量の金目鯛を見ていると例に寄って芥川龍之介の芋粥が脳裏に思い浮かんできた。大作は激しく頭を振って脳内から金目鯛を追っ払う。
「そんじゃあ捌いて行くとするか。まずは包丁でエラや内臓、血合いを取っちまおう。んで、良く洗ったらしっかり水気を取ってくれるか。胸鰭や腹鰭に斜めに包丁を入れたら中骨を取ってやる。裏に返したら頭を落として身を剥がす。腹骨を取って皮一枚になったら包丁を入れて切って行く。どうよ!」
「それで? どんな風に料理すれば美味しく頂けるのかしら?」
「Wait a minute. 刺身に関しては包丁人にお任せだな。他の食べ方といえばやっぱ甘辛いタレでじっくりと煮込んだ煮付け。上品な甘みの白身は塩を掛けて焼くだけでも美味しいそうだぞ。後は…… 酒蒸し、味噌漬け、くず煮、エトセトラエトセトラ」
「じゅるる~! 早く食べたくて矢も楯もたまらないわ。早くして頂戴な、大佐!」
ついさっき朝食を済ませたばかりだというのにお園の食欲は底無しのようだ。とは言え、煮付けや焼き魚から良い香りが漂ってくると大作も食欲を抑えることができない。適当に刺身をつまみながら料理を続ける。
「とっても鮮らけき金目鯛ね。口当たりが滑らかでこれっぽっちもクセが無いわ。それに脂がのっていてトロットロよ。甘みも強いし。皮霜造りにしても美味しいかも知れないわね」
「焼き魚も美味いなあ。ってか、火を通しても身が硬く締まらないんだな。柔らかくてとろけるようだぞ」
「似付けも良い出汁が出ているわ。身も確り煮上がっているみたいね。みんなも遠慮していないで食べなさいよ。御隠居様もどうぞ」
「小さい物は味醂干しにしたり味噌漬けにしても良いかも知れんな。まあ、後で良いか。さあ、皆様方! 温かいうちにお召し上がり下さりませ!」
氏政や吉良殿から漁師や相州乱破までもが参加した金目鯛パーティーが唐突に始まる。
何だか知らんけど酒も振る舞われているらしい。だが、小田原を出発する際に酒で失敗した大作は決して酒に手を出さない。出さないつもりだったのだが……
「おい、新九郎。もっと飲め飲め。お主、儂の酒が飲めんのか?」
「いやいや、父上。それってアルハラですぞ。ちなみに『アルハンブラの想い出』っていう結構な難易度のギター曲がありますな。例のトレモロが大変な奴です。フランシスコ・タレガは1909年没なんでその内にお聞かせいたしましょう」
「いいから飲め。ほれ」
「んがんぐ……」
そして数ヶ月が流れた。金目鯛の旬は冬。大作とお園は毎日毎日、金目鯛の美味しい食べ方を研究した。
また、いかにして鮮度を維持して小田原まで運搬できるかについても数々の実験を行った。
金目鯛の巨大な目玉や赤い色は始めの内は人々の拒否反応を買った。
だが、大作たちの地道な販促活動や各地での試食会は人々の金目鯛に対する興味を徐々に変えて行った。
お園との間にも一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。
いやいや、たったの五ヶ月で? それっておかしくね?
だがそんな日常は突然に終わりを告げる。天正十八年(1590)三月末に豊臣水軍が下田を襲撃したのだ。
下田漁港で運搬船へ金目鯛の積み込み作業を監督していた大作は突然乱入した侍たちに引き倒される。
「大佐!」
お園の魂を絞りだすように呻く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。
『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』
大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。
侍の振り上げた白刃に日光が煌めく。
いやいやいや。俺はこの五か月間いったい何をやっていたんだ?
ミニエー銃は? テレピン油は? コングリーブロケットは? 無線機は?
わけがわからないよ……
「大佐、そろそろ起きて頂戴な!」
お園に体を揺さぶられて大作は唐突に夢から覚めた。
「ここはどこ? 私はだれ?」
「ここは小田原、大佐は大佐よ」
それはそうと今日は何月何日なんだろう。謎は深まるばかりだった。




