表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
209/516

巻ノ弐百九 Break Out の巻

 逃げ去るように篩屋を後にした大作たちは例に寄って当てもなく堺の街をさ迷い歩いていた。

 この展開もいい加減にアレだな。って言うか、篩が手に入らなかった場合のことを考えていなかったのがそもそもの敗因なんだろうか?

 戦いとは常に二手三手先を考えておかなければ。今度からは第三候補くらいまで代替策を考えておこう。

 そんなことに思いを巡らせていると大作が抱えた寿司桶をお園がコンコンとノックした。


「それで、大佐? 金気の物で作られた目の細かい篩ってどうしても入り用なの? それとも竹の笊か何かを代わりに用うるつもりなのかしら」

「う、うぅ~ん。どうなんじゃろ? 俺が作りたい猫トイレは適当な大きさの(たらい)に目の細かい金網を被せて、その上に小石を敷き詰めるって仕掛けなんだ。だから石と猫の重さに耐えられる強度がないと困るなあ。あと、猫の尿に曝されるから耐久性も必要だし」

「だったら篩屋様の申されていたように竹細工屋に行った方が良いわね。そこで目の細かい(ざる)でも買いましょうよ。竹の笊なら猫が乗ったくらいじゃ壊れないでしょうから」


 この時代の日本でも極少量なら針金だって作られていたはずだ。だが、金網に加工されるようになったのはどうやら明治以降だそうな。

 そんな物を今から作っていては明日の出航に間に合うはずもない。ここは涙を飲んで諦めるしかなさそうだ。


 当てずっぽうに通りを進んで行くとまたもや藤吉郎が目敏く竹細工屋を見付けた。

 もしかしてこいつの索敵能力って何気に凄くね? 大作は藤吉郎の意外な特技に今更ながら感心させらせる。


 堺の竹細工屋はまるで虎居の竹細工屋の色違いモンスターかと見紛うばかりにくりそつ(死語)だった。

 きっとこんなモブキャラごときに個性なんて必要とされていないんだろう。


 適当な大きさで目の細かい竹製の笊は拍子抜けするほど簡単に手に入った。こんなことなら最初からこっちにくれば良かったな。後悔するが時すでに遅しだ。


 無事に笊をゲットした三人は次に海岸を目指す。砂浜に辿り着くと今度は笊の目から溢れ落ちない程度の小石を拾い集めた。


「ねえ、大佐。桶や笊と違って小石はタダで拾い放題よ。海が近くて助かったわね」

「よく、タダより高い物は無いなどと申しますがアレは嘘にございますな」

「とは言え、本来なら砂利とかを勝手に採取すると砂利採取法違反に問われかねないんだぞ。アレの刑事罰は一年以下の懲役若しくは十万円以下の罰金、またはこれらを併科されることもあるらしいからな。それに行政罰が科せられるかも知れないんだぞ」


 砂利採取法が施行されたのは昭和三十一年らしい。とは言え、この時代にだって入会権という物がある。黙って取っているのが見付かればタダでは済まんかも知れない。大作は二人に緊張感を持ってもらおうと少し強い口調で脅すように話し掛けた。


「そ、そうなんだ。それは難儀なことねえ」

「んなわけで、なるべく目立たんように小石を拾ってくれるかな~? んで、着物の袂とか桶の中とかに然り気無く放り込むんじゃよ。分かったか?」

「はいはい、何だか私たち盗人になったみたいね」

「みたいではござりませぬ。盗人そのものにございますぞ」


 大作たちは一回戦で敗退した高校球児のように無心に、それでいて優雅に小石を掠め取る。

 猫トイレに必要な小石の量なんて大した量ではない。必要量を確保した三人は警備員さんに見付かる前に逃げ去るように海岸を後にした。




「ここら辺までくればもう大丈夫なんじゃね?」

「どうやら生き残ったのは我ら三人だけのようにございますな」

「そうみたいね、藤吉郎」


 ドヤ顔の藤吉郎とお園がノリノリで阿呆なやり取りをしているが大作は華麗にスルーした。


「あと必要なのは稲藁が少々ってところか。アレってどこで売ってるんだろな。藁屋? そんな商売あんのか?」

「綯った縄や編んだ筵ならともかく、藁を藁のままで売っているお店なんて無いんじゃないかしらね。あるかも知れないけど」

「然れば馬借を探してみては如何にござりましょうや? 飼葉にする藁を分けて頂けるやも知れませぬぞ」

「そうね、その方が幾分かは見込みがありそうよ」

「馬借なれば、ほれ。彼方にございますぞ」


 藤吉郎が示す指先には重そうな荷物を背負った馬が何頭も並んだ馬小屋があった。

 やはりこいつはどんな店屋でもたちどころに発見できる特殊スキル持ちで確定だな。大作の心中で燻っていた疑惑が確信へと変わる。

 だが、今は猫トイレの完成こそが急務だ。大作は藤吉郎の特殊スキルの件を心の中のメモ帳に書き込んだ。




 突如として現れた僧侶と巫女と子供。そんな謎の集団に藁を分けて欲しいと頼まれた馬借の親方は迷惑そうな表情を隠そうともしていない。

 だが、お園の愛想笑いと藤吉郎の太鼓持ちスキルの合わせ技で何とか寿司桶に一杯の藁をゲットすることができた。


 小石に続いて藁までタダで手に入るとは幸先が良いなあ。大作は思わずほくそ笑む。

 いやいや、これでもう最後じゃんかよ! 三匹の小豚みたいに最初は藁から始めれば良かったなあ。一時間前にタイムスリップしてやり直しできたら良いのに。今さら悔やんでも手遅れも良いところだ。


「とにもかくにも桶と笊に小石や藁が手に入ったわよ。ようやく猫の厠が作れるわね。早く駿河屋様に戻りましょう」

「そうだな。急がんと猫の膀胱が破裂しちまうかも知れんぞ。そう言えばティコ・ブラーエは膀胱破裂で死んだって知ってたか? どんだけオシッコを我慢したんだろうな。ちなみに昔のラグビーボールは豚の膀胱を使っていたらしいな。ラグビーボールが真ん丸じゃないのはそのせいなんだ。そんで、サッカーボールは牛の膀胱を使っていたそうな」

「ふ、ふぅ~ん。そうなんだ~」


 そんな阿呆な話をしている間にも駿河屋が見えてきた。大作たちは裏口へと回って遠慮がちに店へと入る。


「お~い、未唯! トイレの神様のお帰りだぞ! 猫の膀胱は爆発していないか~?」

「もぉ~う、大佐ったら急に大きな声を出さないでよ。お店の人に恥ずかしいじゃないの。ねえ、未唯! 出てきて頂戴な、未唯?」

「……」


 へんじがない、ただのしかばねなんだろうか。って言うか、さっきから何だかちょっぴり焦げ臭いんですけど? それに煙まで漂ってきているような。これってもしかしてもしかすると……


「火事だぁ~! 火事だぁ~~~!」

「え、えぇ~!」

「お園! 119番通報を頼む。藤吉郎は火元を確認して可能なら初期消火を試みろ。俺は逃げ遅れた人がいないか見て回る。頼んだぞ!」


 久々に発生したイベントらしいイベントに大作はwktkを押さえることができない。取り敢えずは広瀬中佐になりきって『杉野は何処(いずこ) 杉野は居ずや』と絶叫しながら屋敷の中を適当に見て回る。

 だが、どこをどう探しても杉野の姿は見付からない。って言うか、杉野って誰なんだろう? 本当に実在の人物なんだろうか? 謎は深まるばかりだ。

 奥の方は炎に包まれていてとてもじゃないが近付けそうにない。それにどう見ても人なんていそうもない。仮にいたとして、こんな地獄の業火の中からなんて助けられっこない。大作は早々と見切りをつけると店の外へと退散した。




 表通りに飛び出すと駿河屋の店主や手代らしき人々が呆然とした顔で立ちすくんでいた。

 お気の毒だが、これはもう手の施しようがない。気軽に声を掛けて良い雰囲気でも無いので大作は適当に距離を取る。


「大佐、こっちよ!」


 声のする方を振り向くとサツキとメイやほのか、萌といった面々が居心地悪そうに集まっていた。


「おう、メイ。みんなも無事だったか。良かった良かった」

「ねえ、大佐。今夜の夕餉はどうなるのかしら。私、それだけが心配だわ」

「あのなあ、お園。お店の人にそんなデリカシーの無い話をするなよ。焼け出されて困っておられるんだからさあ」

「私にだってそれくらいの分別はあるわよ。だけど、夕餉だって大事なのよ。当てはあるんでしょうね?」


 隣家では既に破壊消防が始まっているらしい。自営消防団らしき男たちがまだ燃えてもいない家屋を情け容赦なく叩き壊していた。

 火事という非常事態に際して彼らの表情は嬉々として輝いている。きっと合法的に物をぶっ壊すっていうのは楽しいんだろうなあ。

 大作の脳内では何故だか勝手に日本ブレイク工業の社歌が再生されていた。


 それにしても大戦(おおいくさ)を目前にしたこのタイミングで普通の火事に遇うとは不幸な話だ。まるで『戦場の小さな天使たち』みたいだな。

 どうせこいつらは火災保険にだって入っていないんだろう。だとすると寒風吹きすさぶこの冬空に着の身着のまま放り出されてしまったってことだ。明日からどうやって生きていくのかなあ。

 袖振り合うも多生の縁。しょうがない、一肌脱いでやるか。大作は小さくため息をつくと女性陣に振り返った。


「なあなあ、本能寺から盗って…… じゃなかった。保護してきた茶器って何処にあるのかな? 誰か持ち出してくれたかなぁ~?」

「……」

「誰も持ち出していないのかよ! もしかしてあの炎の中なのか? せっかく本能寺の火災から守ったっていうのに? あのなぁ~~~!」

「戯れよ、大佐。ちゃんとここにあるわ。はいどうぞ」


 してやったりという笑顔を浮かべたメイが大きな風呂敷包みを恭しく差し出した。

 これはもはや伝統芸能の域に達しつつあるな。大作は卑屈な笑みを浮かべながらそれを受け取って包みを開く。

 どれにしようかな、天の神様の言うとおり、なのなのな。君に決めた!

 大作は数ある茶器の中でも一番不細工に見える小さな器を選んだ。


「いったい何なの、大佐。この珍妙なお茶碗は? まるで蛙の卵みたいな模様ね」


 漆黒の茶碗の内側には小さな目玉みたいな大小の斑点が無数に散りばめられている。不規則なそのパターンは蓮コラみたいで物凄く気持ち悪い。

 とは言え、粒々の周りはそれぞれ藍色やら青色やらに輝いている。見る向きを少し変えただけで虹のように光輝くそれは綺麗といえば綺麗だ。


「これは曜変天目茶碗ね」

「あのなあ、萌! 先に言わんでくれよ。俺だってそれくらい知ってるんだからな。確か鑑定団とかで話題になってた奴だろ? アマゾンで三千円くらいで売ってるのを見たことあるぞ。奴等にはこれくらいが丁度良い目眩ましかな」

「あんたがそう思うんならそうなんでしょう。あんたん中ではね」


 消火活動が一段落したのを見計らって大作は駿河屋の店主らしき男のところへ足を運んだ。

 ちょっと痩せすぎの中年男性はこの世のあらゆる不幸を一身に背負ったように陰気な顔をしている。まあ、この状況でヘラヘラ笑っていられても怖いんだけれど。

 とは言え、人間の心理には防衛機制という機能があるので侮れない。取り敢えずこのおっさんの反応はノーマルの範疇と言って差し支えないようだ。


「駿河屋殿、拙僧は大佐と申します。ご挨拶が遅れたうえ、このような形になりまして失礼いたします。この度は大変な目に遇われましたな。心中お察し申し上げます」

「おお、これはこれは御本城様。ご無事のようで何よりでございます。今宵は心尽くしの膳にてお持て成しさせて頂こうかと思うておりましたが叶わぬようで申し訳次第もございませぬ」

「いやいや、お気に召されますな。それはともかく、人間万事塞翁が馬。災い転じて福と成すと申しますぞ。ピンチはチャンス。これを気に一気に事業を拡大してみては如何かな? これは僅かですが心ばかりのお礼にございます。とっておいて下さりませ」


 そう言いながら大作は店主の手を取ると半ば強引に曜変天目茶碗を渡しす。

 男は最初、半信半疑といった顔で呆けていたが急に我に返ると驚愕の表情で声を荒げた。


「こ、こ、此は曜変天目ではござりませぬか! 斯様に貴重なる物を頂く訳には参りませぬ。御本城様……」

「こいつぁ唐物(カラモン)だよ、よく出来てるがな。まあ、実際には南宋時代の作だと言われておりますが。とにもかくにもMade in Chinaのガラクタに変わりはございません。ご笑納下さりませ。困った時はお互いさま。金は天下の回りもの。そんなわけで…… オールヴォワール!」


 それだけ言うと大作は脱兎のようにその場を逃げ出す。その後ろにはお園や藤吉郎、サツキ、メイ、萌、エトセトラエトセトラ。みんなも金魚の糞みたいにくっ付いてきていた。




 当てもなく飛び出してはみたものの、いったいどこへ行けば良いものだろうか。暫しの間、堺の街を彷徨った大作は迷った末に船着き場への道を進んでいた。だって、他に行く当ても無いし。


「それにしても、まさか一日に二回も火事に遭うとは思わなかったぞ。私もよくよく運のない男だな。今晩は船で泊めてもらうっていうのはどうじゃろう?」

「それより他はありませぬな。夕餉もあちらで頂くことになりましょうや?」

「何だったらお園が船の台所で夕飯を作ってくれよ。シータがタイガーモス号の台所でシチューを作るシーンの再現みたいじゃん」

「しょうがないわねぇ~! 久々に私の料理の腕を見せてあげるわ。楽しみにしてなさい」


 そんな阿呆な話をしながら一行は通りを歩いて行く。すると船の側には待ちくたびれたといった顔の童女が猫を抱いて座り込んでいた。


「こんなところにいたのかよ、未唯! 火災現場で姿を見掛けなかったから心配してたんだぞ。良く無事だったな」

「か、か、かさい? な、な、何のことかしら。未唯、何が何やらちっとも分からないんだけれど。本当よ。信じて頂戴な、大佐。アレはアレなの。そ、そうだわ。猫がやったことなのよ!」

「何だよお前、その挙動不審っぷりは? 怪しさ大爆発だぞ。いった何があったんだ? 怒らないから話してみ」

「だから私は何にも知らないって言ってるでしょうに! そ、そ、そうよ。私には黙秘権があるんでしょう? 自分に不利な証言はしなくて良いんじゃなかったの? そうだ、当番弁護士を呼んで貰える筈よ。誰か~! 助けて下さ~~~い!」


 とうとう完全にパニクった未唯が世界の中心で愛を叫び出した。

 何があったのか漠然とした想像が付くだけに下手に弄らない方が良いかも知れんなあ。大作考えるのを止めた。


「餅つけ、未唯。今のお前は神経症と統合失調症の境界だ。衝動や感情に突き動かされ易くなっている。Trust me! 知っているか、未唯。あのGoogleがパフォーマンスの高いチームっていうのは他と何処が違うのかを分析したんだそうな。すると最大の違いはチーム内の心理的安全だったそうだ。つまり何を言っても許される、安心して働けるっていう環境がパフォーマンスを上げるんだとさ。叱りつけたり圧迫するだけの大企業がジリ貧な理由が良く分かるだろ? お前が何をやらかしたのか知らんけど、ワシントンみたいに正直に話してみ?」

「ぐるぐる? 私、じゃなかった。猫は叱られないで済むのかしら?」

「そ、そうだな。一つ言い忘れてたけど、未唯は人に褒められる立派な事をしたんだ。胸を張って良いぞ。おやすみ、未唯、がんばってな」

「おやすみですって? まだ夕方よ。もう寝ちゃうって言うの、大佐?」

「マジレス禁止。そんじゃあ、夕飯にしようか。Let's go together!」


 大作は頭の中の火災原因調査報告書をシュレッダーに放り込むと船に向かって歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ