巻ノ弐百八 探せ!エラトステネスの篩 の巻
どうにかこうにか堺の街に辿り着いた大作たちは行く当てもなく船着き場をさ迷い歩く。そうこうする間に偶然にも吉良殿に巡り合うことができた。
吉良殿の話によれば船チームは和菓子屋を営む駿河屋とやらの世話になっているんだそうな。その足で駿河屋を訪れた大作たちは座敷に通される。そこで一同を出迎えたのは誰あろう、氏直の娘という設定のほのかであった。
「ねえねえ、大佐。目をかっぽじって良く見て頂戴な。これが私の…… 私たちのリュートよ。大佐がくるのを待っている間、一所懸命に稽古していたんだからね」
「そ、そうなんだぁ~ でも、かっぽじるのは耳じゃないのかな? 目はあんまりかっぽじらないと思うんだけどなあ……」
「とにもかくにも、男子三日会わざれば刮目して見よって言うでしょう? まあ、私は女なんだけどね。それでは平家物語の一章段、祇園精舎の鐘の声です。聴いて下さい」
ドヤ顔で宣言するとほのかは何とも奇妙な独特の節回しで平家物語を語り始めた。
って言うか、こいつにこんな特技があったとは驚きだ。人は見掛けに寄らないなあ。大作はほのかの意外な一面にちょっとだけ感動する。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ……」
ほのかは語りの合間合間にリュートを『デレレ~~~ン』と爪弾く。これは曲を演奏しているって感じでは無いな。何て言ったら良いんだろう。うぅ~ん、分からん。さぱ~り分からん。
それはそうと平家物語の著者はいったいどこの誰なのか。それは月光仮面の正体と並んで日本史上最大の謎とされている。とは言え、鎌倉時代には存在していたそうなので明らかに著作権の保護期間は切れているはずだ。そっちの心配はいらないな。大作は考えるのを止めた。
何時終わるとも知れぬほのかの独演会が続く。激しさの中にも哀愁を含ませたリュートの調べが聴く者の心に深く染み渡る。
肝心のリュートは語りの合間に『デレレ~~~ン』と爪弾いているだけなので演奏って感じでは無いんだけれど。
ちなみに琵琶とリュートはペルシャのバルバッドとかいう楽器を共通祖先とする遠い親戚みたいな物だ。
シルクロード経由で奈良時代の日本に伝わった物が琵琶。十字軍だかスペインのイスラム教徒だかを経由してヨーロッパに伝わった物がリュート。似たような物と言えば似たような物だから互換性ありなんだろう。
そんな取り留めのない考えで大作が一人で納得している間にもほのかの独演会は幕を降ろした。
座敷の中を沈黙が支配し、ほのかが不安そうな視線を向けてくる。
この雰囲気は不味いなあ。大作は慌てて激しい勢いで拍手をする。同時にお園や藤吉郎にアイコンタクトを送って拍手するよう促した。
「ブラヴォ~! 素晴らしい、ほのか君! 君は英雄だ! 大変な演奏だ! バンバンバン、カチカチ、あら?」
「ぶらぼぉ? それって何なの? もしかして褒めているのかしら?」
「気になるのはそこかよ~! え、えぇっと…… 先生、お願いします」
萌から向けられた熱い視線を感じた大作は素早くバトンタッチする。
「はいはい、しょうがないわねえ。知らざあ言って聞かせてあげるわ。bravoっていうのはラテン語のbarbarus(野蛮な)とかpravus(悪い)から変化したイタリア語だったのよ。それがフランス語のbrave(勇敢な・有能な)みたいな感じに変わった末に英語のgoodと同じ意味で使われるようになったとさ。めでたしめでたし。ちなみにイタリア語だと『o』で終わる形容詞は性数変化するからbravoは男性単数ね。女性単数の場合はbravaが正しいのよ。ブラヴァ~! ほのか!」
「説明ご苦労、萌。しかしまあ何ですなぁ、ほのか。中々の名演奏ではあったんだけど、如何せん選曲が地味過ぎるぞ。折角のリュートなんだ。バッハのリュート組曲なんてどうだ? いやいや、バッハ自身はリュートを弾かなかったそうだな。そもそも本当にリュートのために作曲されたかどうかすら怪しいときたもんだ」
「だったら『涙のパヴァーヌ』なんてどうかしら? それか、オーストリアで有名なツィター奏者であり作曲家でもあるアントーン・カラスの作曲した映画『第三の男』のテーマ曲とか」
「アントーン・カラスは1985年没だから著作権は有効だな。だけど別にそこまでリュートに拘る必要も無いんじゃね? ここは適当なギターの名曲で良いじゃろ。うぅ~ん…… 『禁じられた遊び』君に決めた! 本当のタイトルは『愛のロマンス』っていうんだけどな」
ほのかの手からリュートを受け取ると大作は一つひとつ音を探りながら弾き始めた。
コードはずっとEmのまま、一弦でメロディーを弾く。アルペジオも一、二、三弦だけで済ませる。これぞ究極の省エネ禁じられた遊びだ。
って言うか、このリュートはルネサンスリュートって奴らしい。八つあるコースの第一コース以外のコースは複弦になっているので十五本も弦があるのだ。慣れていないからかも知れんけど凄い弾き辛いんですけど。
ところで、この弦ってガットなんだろうか? 切れたら代わりはどうすれバインダー? 日本の琵琶は絹糸を使ってるんだっけ? 謎は深まるばかりだ。しかし、そんなことを考えている間にも無事に演奏を終えることができた。
あまりにも拙い大作の演奏に萌は嘲笑を隠そうともしていない。だが、他の面々は生まれて初めて聴くリュートの調べに感無量といった顔だ。
「覚えたか、ほのか?」
「え、えぇ~~~っ! そんなの一遍聴いただけで覚えられるわけが無いわよ!」
「ですよねぇ~ でも、メイは覚えただろ。あとは二人で稽古してくれるかな~?」
「「いいとも~!」」
二人が声をハモらせて答える。これにて一件落着。大作はリュートのことを心の中のシュレッダーに放り込んだ。
「んで、未唯。お前の抱えているのはいったい何だ?」
「猫よ。とっても愛いでしょう?」
「いやいや、猫は分かるけどさ。何でまた猫なんて抱いてるんだ? ちなみに悪の首領が猫を抱くってイメージが始まったのは1963年製作の007シリーズ第二作『ロシアより愛をこめて』かららしいな。演じていたアンソニー・ドーソンの顔は一瞬たりとも映らないんだけどさ」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだぁ~ とにもかくにも、これは私の猫よ。津で船から降りた時、大佐は言ったでしょう? 欲しい物を何でも買って良いって。だから私は猫を買ったのよ」
そんなこと言ったかな? 大作は記憶を辿るがさぱ~り重い打線。助けを求めるように顔色を伺うとお園は無表情で軽く頷いた。
「そ、そうか。ちなみにこれって幾らくらいしたんだ? この時代だと猫ってまだまだ貴重なんだろ?」
「銭百貫文だったかしら。吉良様が払って下さったわよ」
「た、た、高過ぎるだろ~! なんじゃそりゃあ? この猫は金かダイヤでできてるのか?」
「そんな筈は無いわよ。だって、お店の人はお買い得だって言ってたんですもの」
これだから相場を知らん奴は怖いな。いやいや、安土桃山時代の猫の相場なんて見たことも聞いたこともないんだけれど。大作はツルツルのスキンヘッドを抱えて小さく唸る。
それはそうとクーリングオフとか使えないのかな? それか、未唯は未成年だから契約無効を訴えるとか。無い知恵をフル回転させて打開策を探すが何一つとしてマトモなアイディアが浮かんでこない。
その時、すぐ隣にいた萌が突如として動いた。ひょいと猫を抱き上げるとお腹を上にして引っくり返す。
「ねえねえ、大作。これって雄の三毛猫じゃないの! クラインフェルター症候群っていう染色体異常でとっても珍しいって知っていた? なにせ発生確率三万分の一の激レア猫なんだから。この時代の相場なんて私も知らないけど高過ぎるってことは無いと思うわよ」
「へ、へぇ~え。でもなあ、たかが猫だぞ。愛玩動物ごときに銭百貫文は勘弁して欲しいんですけど……」
「ケチなこと言ってんじゃないわよ。例の茶器を売り払えばお金なんて何万貫文でも手に入るんじゃないの? 銭百貫文なんて端金だわ」
「そうよ、大佐。ほのかのリュートとヴィオラ・ダ・ブラッチョだって銭百貫文したんだからね。チームのメンバーは対等なんでしょう?」
未唯の口から飛び出した衝撃の言葉が燃え尽き掛けていたやる気に止めを刺した。これはもう時間の無駄だな。大作はちょっと斜に構えると吐き捨てるように呟く。
「君は…… 君たちはとんでもない浪費家だよ。やめてくれたまえ」
「はいはい、伊○雅刀さん乙!」
「大作ったらいつまでデス○ー総統を引き摺るつもりなのよ。それはそうと、ド○ル将軍って新右衛門さんと似てるわよね。特に顎の辺りが」
お園と萌がここぞとばかりに情け容赦のない突っ込みを入れてくる。完全に引導を渡された大作は黙って唇を噛み締めることしかできない。
って言うか、何か大事なことを忘れていないかな? いきなりのリュート演奏会とペット自慢で完全にペースを奪われてしまったぞ。そもそも何をするためここへ……
「思い出した~! 吉良殿、吉良殿は何処におられましょうや?」
「は、はいい? 此処に控えておりますぞ、御本城様。如何なされましたかな?」
「拙僧と父上の京での用は無事に片付きました。これより急ぎ小田原に帰らねばなりませぬ。すぐにでも船を出して頂けますかな? 今すぐに。Hurry up! Be quick!」
「いやいや、如何に御本城様の仰せでも今すぐにとは参りませぬ。明日の朝までに急ぎ支度させます故、今晩はこの駿河屋にお泊り下さりませ」
そりゃそうだよなあ。航空自衛隊のスクランブルじゃあるまいし。あのサイズの船が緊急発進できるはずが無い。
焦って半日ほど出発を急かしてもリスクが増えるだけだ。大作は素直に吉良殿に従うより他は無かった。
座敷の隅っこではお園が未唯から渡された猫を抱き抱えていた。恐々といった顔で背中をそっと撫でてやると猫は気持ち良さそうに喉を鳴らす。
「これが猫なのね。ようやく相見えることができたわ。存外と愛い獣じゃないのよ」
「良く分からんけど歯の生え具合から見て生後半年くらいじゃないかな? もうちょっと大きくなると思うぞ。んで、未唯。この猫のトイレトレーニングとかはどうなってるんだ? ちゃんと躾られているんだろうな?」
「といれ? それって厠のことだったかしら。猫と厠がどうしたっていうのよ?」
いきなり話を振られた未唯が目を白黒させている。だが、大作としてはここは避けては通れない重大な問題だ。あっちこっちで適当に大小便をされては堪らん。
そうでなくともこの店は和菓子屋なのだ。勝手に猫なんか連れてきて良く怒らずに済んでいるなあ。
もしかして昔の人の衛生観念って現代とは比較にならないくらい緩いんだろうか。それはそれで嫌なんですけど。
「猫の糞尿はちゃんと厠でさせているのかって聞いてるんだよ。どうなんだ? yes or no? パーシバル中将みたいにちゃんと答えてくれ」
「阿呆なこと言わないでよ、大佐。猫が厠を使うわけがないでしょうに。それとも大佐の生国にはそんな猫がいたっていうの?」
「う、うぅ~ん。YouTubeで人間のトイレを使う猫の動画なら見たことあるぞ。でも、俺が言ってるのはそういう話じゃないんだ。猫の厠を作ってそこで用を足すように躾けろって話さ。猫の尿ってとっても臭いだろ? 何でか知ってるか? 家猫の先祖はリビアの砂漠出身なんだ。貴重な水を無駄にしないよう尿は限界まで濃縮されている。その結果、とっても濃い尿が排出されるってわけだ。子供のころに食ったキャラメル箱の裏に書いてあったぞ」
「きゃらめる? それって美味しいの?」
間髪を入れずお園が食べ物の匂いに食らい付く。お約束お約束。もはや伝統芸の域に達しつつあるな。大作は心の中で小さくため息をついた。
「砂糖、生クリーム、バター、水飴なんかを溶かしてから冷やして固めたお菓子だな。美味しいって言えば美味しいんだけど、アレって歯の詰め物が取れちゃうことがあるだろ?」
「あるだろって言われても知るわけ無いでしょうに! 私、きゃらめるを食べたことも無いのよ。とにもかくにも美味しいのね。それさえ分かればいいわ。早く作って食べましょう」
「いやいや、生クリームとバターが手に入らんから。それに目下の急務は猫のトイレじゃん。明日からまた優雅な船旅なんだ。何としても今日中に猫のトイレを作らなきゃならん。絶対にだ! 豪華クルージングのはずが地獄の奴隷船みたいになっちまったら困るだろ?」
「そ、それは難儀なことねえ。しょうがないわ、作るとしましょうか」
観念したといった顔のお園はそう言いながら顔の左右に両手を掲げる。そして人差し指と中指だけを立ててクイックイッと二回曲げた。
そうと決まれば話は早い。大作、お園、藤吉郎の三人組は堺の街へと繰り出していた。
大坂城築城に際して秀吉は堺の商家を強引に大坂へと移転させたんだそうな。それもあってか街並みの変わりようは目を疑うばかりだ。
とは言え、街の賑わいぶりは四十年前に比べても遜色は無い。国際貿易港として発展した港町には相変らず人が溢れ返っている。
一方であの立派だった環濠の堀は天正十四年(1586)に埋められてしまったらしい。街並みその物が全体的に外へと広がって行ったようだ。
「まずは二尺四方くらいの木箱を探そう。深さは五寸くらいが良いかな」
「そんな物が都合良くありましょうや?」
「無ければ作ってもらうしかないな。いや、別に箱である必要は無いか。桶や盥でも良いや。直径二尺くらいの桶か盥を探そう。ってわけで、風が吹けば儲かる商売をやってるところに行くぞ。そう言えば『風が吹くとき』っていう絵本と映画があったっけ。子供のころにアレを見た俺は思ったもんだ。核シェルターを作るなら絶対に本格的な奴が必要だってな」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだ」
三人は適当に通りを練り歩くが例に寄って何処に何があるのかさぱ~り分からん。こんなんで買い物なんて本当にできるんだろうか。
大作が不安感に苛まれていると不意に藤吉郎が声を上げた。
「大佐! 彼方の店で桶や盥を商うておるようですぞ」
指し示された指の先には言われなければ気が付かないようなこじんまりとした店が建っていた。狭苦しい店先には色んなサイズの桶や盥が犇めくように並べられている。
「ここが風が吹くときに儲かる商売のお店だな。頼もお~う! 拙僧は大佐と申します。直径二尺、深さ五寸くらいの桶か盥ってございますかな?」
「へ、へい。ちょ、ちょっけい? と申されますは差し渡しのことにございますかな? さすれば、この辺りではござりますまいか」
元気よく答えた桶屋の手代は藤吉郎と同じくらいの年恰好に見える。山のように積まれた商品の真ん中辺りから引っ張り出されたのは寿司桶みたいな桶だった。
「一つで宜しゅうございますか? 然れば銭百文にございます」
「領収書は上様でお願い致します。時に桶屋殿、この辺りに笊か篩を商うておられる店はございますかな? できれば金属製で目の細かいメッシュの物が欲しいのですが?」
「き、きんぞくせい? めっしゅ?」
例に寄ってさぱ~り通じていない。大作は曖昧な笑みを浮かべると寿司桶を受け取った。
桶を抱えた大作は続いて篩屋を探して彷徨い歩く。はたして篩屋なんて商売があるのだろうか? いやいや、あるはずだ。だって古典落語とかに普通に出てくるんだもの。
そんな大作の不安を敏感に感じ取ったのだろうか。お園が顔色を伺うように話し掛けてきた。
「ねえ、大佐。篩屋なんてお店があるのかしらねえ。私、見たことも聞いたことも無いんだけれど」
「No problem! 篩その物は紀元前からあったはずだぞ。エラトステネスの篩とかさ。そういや、その物ズバリ『エラトステネスの篩』って歌があったっけ。歌っているのは何と中尾ミエさんだ」
「ふ、ふぅ~ん。そう言えば、アトキンの篩っていうアルゴリズムもあったわね。だったら篩屋さんもあるかも知れないわ。大佐ん中ではね」
「篩屋とやらはあれではござりませぬか?」
それまで話に加わることができなかった藤吉郎がここぞとばかりに割り込んでくる。
今回に関しては大作の根拠なき楽観論は当たっていた。製粉に不可欠な篩は延喜式とかにも記述があるくらい古くから使われていたのだ。いたのだが……
「その桶と同じ大きさの篩がご所望と申されまするか、お坊様。然れば…… 此方、馬の尾毛なれば銭百文。彼方、絹糸の篩なれば銭三百文にございます」
店主が差し出してきた篩は非常に目の細かい物だった。本来の使用目的が製粉なのだから当たり前といえば当たり前だ。しかし、大作が求めているのはこれでは無い。
「網が金属製…… 金気の物はございませぬか? 我々が想定しておる使い方では強度が要求されておりましてな」
「金気の網ですと? 斯様な物は聞いたこともござりませぬが」
「で、でしたら竹製でも良いんですけれど。万石通しとか千石通しってご存じでしょうかな? 知らない? なら唐箕は? いくら何でも箕とか籾篩くらいはございますよね? ね? ね? ね?」
「お坊様、其は篩屋では扱うておりませぬ。竹細工屋でもお訪ねになられては如何にござりましょうか?」
迷惑そうな店主の顔を見ているだけで大作の繊細なハートは砕けそうだ。
深々と頭を下げると黙って店を後にすることしかできなかった。




