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巻ノ弐百七 本能寺は燃えているか の巻

 京の都から小田原への帰路に就いた大作たち一行は大坂城から少し南に下った辺りで宿を取った。

 だが、深夜に目を覚ました大作は周囲の激変ぶりに肝を冷やす。


 これってもしかしてアレか? 中途覚醒とか早朝覚醒って奴なんじゃなかろうか。

 その原因はストレス、睡眠時無呼吸症候群、頻尿など多岐に渡っているそうな。そして睡眠の質の低下による生産性への悪影響は深刻らしい。その損失は国内だけで年間に約十五兆円にも上るとか上らないとか。

 そうでなくても睡眠不足が続くと糖尿病リスクが高まるってネットで読んだことあるし。


 大作がそんなことに思いを巡らせていると不意に廊下に人の気配が現れた。慌ててそちらを見やると妙齢の女性が此方を伺うように立ちすくんでいる。

 よほど急いで駆けてきたのだろうか。髪は乱れ寝間着を着替える時間も無かったらしい。暫しの睨み合いの後、女が恐る恐ると行った風に口を開いた。


「先程、お園、お園と仰せになっておられたのはお方様にござりましょうや?」

「え、あ、いやその…… そういう貴女様はどちら様でしょうかな?」

「そう申されるお方様こそどちら様にあらせられますか?」


 うぅ~ん、面倒臭いなあ。例に寄って例の如く、またもやこの展開かよ。

 なんて進歩が無いんだろう。馬鹿の一つ覚えも良いところだぞ。大作は頭を抱えて小さく唸る。


 そうだ! あらかじめ何か秘密のサインとか決めて置けば良かったんだよな。今度からそうしよう。

 とは言え、今は時間が無い。とにもかくにも目の前の問題を解決するのが先決だ。大作は考えるのを止めた。


「拙僧が何者かが知りたくば先に名乗っては頂けませぬでしょうか。Who are you? じゃなかった。What's your name?」

「何ですって? あんた、もしかして大佐じゃないの? ねえ、大佐なんでしょう? 私が分からないの? お園よ、お園! 何が何だかさっぱりだけれど、さっきから私はお鍋の方様って呼ばれてるのよ」

「そ、そうなんだ。何だか知らんけど呆れるほど強引な設定だな。本能寺の変にお鍋の方が同伴していたなんて話はついぞ聞いたこともないぞ。んで、後ろにいるのは誰なんだ?」


 お園を名乗った女の後ろには少し痩せ気味の若い男が立っていた。立派な侍の格好をした青年は腰に二本の刀を差し、頭髪も綺麗に髷を結っている。だが、その出で立ちに比べて表情はとっても不安気だ。虚ろな視線は忙し気に宙をさ迷っている。

 大作の言葉を受けて後ろを振り返ったお園らしき女は青年の肩を軽く叩いた。


「しっかりしなさい、藤吉郎。そんな大きな図体をしてるのに情けないわよ。ねえ、大佐。これって私の次男で松千代って言うらしいわ。中身は藤吉郎なんだけどね」

「そ、そうなんだ~! そう言えば、松千代は本能寺の変の現場にいたらしいな。一応は史実に沿う気はあるってことなのか? ちなみに信長と運命を共にするらしいぞ」

「そ、そ、某が運命を共に致すのですか?」


 藤吉郎らしき青年の顔が絶望に歪む。って言うか、意味が分かっているんだろうか。まあ、死ぬほどどうでも良いんだけれど。

 それはそうと随分と酷いことになったもんだ。タイムスリップした先でタイムスリップしたと思ったらまたもやタイムスリップしてしまうとは。豊田有恒のタイムスリップ大戦争じゃあるまいし。勘弁して欲しいぞ。

 だが、そんな大作の思考を断ち切るようにお園が横から口を挟んでくる。


「ところで大佐。さっき『あき! 助けてくださ~い!』って言ってたわよねえ? あきって誰なのかしら? その女にも懸想してるんじゃあないでしょうね?」

「ゆ、歪みねぇな……」


 外見は変わっても中身はとことんまでお園らしい。大作はちょっぴり感動すら覚えていた。

 そんな阿呆なやり取りをしていると先ほどの小姓みたいな男が呆れた顔で駆け戻ってくる。


「上様、まだ此方におわしましたか。如何されましょうや? 明智の手勢は其処まで迫っておりますぞ!」


 何だか知らんけど言葉の端々にトゲがあるような無いような。こいつ何を焦っているんだろう。いやいや、そう言えばさっきから激しい銃声が聞こえてくるんですけど。

 慌てない慌てない、一休み一休み。大作は心の中で唱えるが決して口には出さない。

 お得意の卑屈な薄ら笑いを浮かべながら上目使いで小姓らしき男の顔色を伺う。


「あのなあ、乱太郎だったっけ? 俺、さっき是非に及ばずって言ったよな?」

「乱丸にございます! 乱太郎ではござりませぬ!」

「いやいや。俺、ちゃんと乱丸って言っただろ? それはそうと俺たちはここを脱出する。俺の脱出十五分後にここを降伏させるが良い」

「じゅ、じゅうごふん? されど此の期に及んでは囲いを破ることこそ至難の業かと」

「俺が生き延びねば織田家は滅びる。乱丸の身柄は捕虜交換の折に引き上げよう。今生で恩賞を与える事は叶わぬが、願わくば来世において授けようぞ」


 書面によらざる贈与は履行の終わっていない部分については撤回できる。大作は伝家の宝刀、民法五百五十条を華麗に披露した。

 だが、下方弥三郎のネタなんて知る由も無い乱太郎だか乱丸だかは感激に身を打ち震わせている。


「御意!」


 満面の笑みを浮かべた乱太郎だか乱丸だかは元気良く駈け出して行った。欲に目がくらんだ奴は扱い易くて助かるなあ。

 部屋には再び大作、お園、藤吉郎の三人だけがとり残される。大作は小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと吐き捨てるように呟いた。


「ふん、馬鹿どもにはちょうどいい目くらましだ。この隙に俺たちはずらかるぞ。お園、悪いけど頭を剃るのを手伝ってくれるか。藤吉郎はその辺りに並べてある茶器を片っ端から梱包してくれ。行き掛けの駄賃に頂いて行こう」

「それってまるで盗人じゃないの。また時空警察に目を付けられるわよ」

「いやいや、これはアレだなアレ。ナチスの略奪美術品みたいな物だろ? その貴重な芸術品がこのままだと灰燼に帰してしまうんだぞ。文化財保護の観点から見過ごせないじゃん? な? な? な?」

「しょうがないわねぇ~ だったらその三足の蛙も貰って行きましょうよ。それって香炉なのよね?」


 そんな阿呆な遣り取りをしながらもお園は大作の髷を断髪式のようにばっさり切り落とす。月代を剃ってあるので頭頂部はもとからツルツルだ。バックパックから取り出したペットボトルの水と石鹸の出来損ないで泡を作ると側頭部を素早く剃り上げた。

 もう何度もやって貰っているので実に手慣れていて何の不安も無い。気分は何だか『髪結いの亭主』といった感じだ。


 藤吉郎に目を遣れば大作が脱いだ寝間着を風呂敷代わりにして器用に茶器を梱包している。もしかしてこいつ、すぐにでも引越し屋でバイトできるんじゃね?

 九十九茄子、勢高肩衝、珠光小茄子、曜変天目茶碗、エトセトラエトセトラ。どれも天下に名だたる大名物ばかりのはずだ。しかし物を見る目の無い大作には百均で売っている陶器の方がよっぽど高品質に見えてしょうがない。

 まあ、物の価値なんていうのは需要と供給で決まるのだ。欲しいと思う奴にせいぜい高く売りつけてやろう。


「大佐、このこの短刀も持って行かれますか?」

「それは薬研藤四郎とかいう刀だな。そんな物を持っていて職質されたら言い逃れできん。勿体無いけど置いて行こう」

「御意」


 藤吉郎の梱包が完了するのと時を同じくして大作の頭も綺麗に剃り上がった。お園は剃り残しが無いか確認するようにスキンヘッドを撫で回しながら口を開く。


「はい、できたわよ。やっぱり大佐はこのヘアースタイルが似合ってるわね」

「どうだ、惚れ直したか? 褒めたって何にも出ないからな」

「大佐、急いだ方が宜しゅうございましょう。何やら焦げ臭いですぞ」


 まるで昔の漫画に出てくる泥棒みたいに大きな荷物を背負った藤吉ロが深刻そうに眉根を寄せている。こりゃあのんびりもしておられんな。大作は素早く僧衣に着替えると勝ち誇ったように宣言した。


「よし、それじゃあ脱出しよう。だけど何処へ行ったら良のかなあ? ひとまずは茶器を手土産に光秀でも訪ねてみるか。先々のことはともかく、まずは山崎の合戦に勝利しないと即ゲームオーバーなんだもん」

「ちょっと待って、大佐! 藤吉郎ったら侍の格好をしているわよ。これじゃあ、敵に見咎められるんじゃないかしら?」

「しまったぁ~! すっかり忘れていたぞ。とてもじゃないけど丁寧に剃ってる時間は無いな。取り合えず髷を落として全体的に短くしてくれるか。そんで、白装束に着替えれて刀を捨てれば武士には見えんだろ?」


 超特急でお園が藤吉郎の頭をカットした。同時並行して大作は早着替えを手伝う。

 だが、この僅かな時間が大作たちにとっては致命的なロスタイム、じゃなかった。アディショナルタイムとなってしまうとは誰が予想したであろう。

 慌てて廊下へと飛び出した一同の目に飛び込んできたのは辺り一面を埋め尽くす紅蓮の炎だった。


「駄目だこりゃ。頭を剃るのに時間を掛け過ぎたな。次からはバリカンか禿げヅラでも用意しておこう。それか『陰謀のセオリー』みたいな耐火服でも良いけどさ」

「ちょっと待ってよ、大佐! それってもしかしてアキラメロンってことなの? こんなに手間暇を掛けて頭を剃ってあげたのに? ギブアップしたらそこでゲームセットなんじゃなかったの?」


 お園が血相を変えると凄い勢いで詰め寄ってきた。後ろには両手でみっともない散切り頭を抱えた藤吉郎が不安そうに視線を彷徨わせている。


「そうは言うがな、大佐。じゃなかった、お園。この炎の中を突っ切って逃げろっていうのかよ。それって、タワーリングインフェルノに出てきた不倫カップルみたいじゃんか。ところであの映画、スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンのどっちが主演だったか知ってるか?」

「私、その映画は見たことないからさっぱり分からないわ」

「そ、そうなんだ…… 話は変わるけど高野山真言宗の総本山金剛峯寺っていうのがあるだろ。あそこの檜皮葺き屋根の上には天水桶っていうがあって雨水を貯めているらしいな。んで、火事になったら屋根から水を流して一気に消化するんだとさ。まるであの映画のラストそのまんまだろ? 本能寺の屋根にも貯水タンクを作っておけば良かったのかも知れんな。いやいや、そんな物が頭の上にあったら建物の耐震性に難ありか。だったら……」


 そんな阿呆な話をしている間にも部屋には煙が充満して息苦しくなってきた。

 パチパチと炎が(はぜ)る音が近くなり、喉を焼くような熱風で目を開けているのも辛い。

 いよいよ年貢の納め時って奴なんだろうか。まあ、大作は未成年だから確定申告なんてやったことも無いんだけれど。


「大佐!」


 お園の魂を絞りだすように(うめ)く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。


『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』


 大作はお園を強く抱き締めながら心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。

 いやいや、バリカンか禿げヅラを用意しておけば良かったんだって。

 そんなことを考えている間にも大作の意識は薄れていった。






 翌朝、目を覚ますと大作はお園の体をがっしりとホールドしていた。


「お二人さんったら朝っぱらからラブラブね」

「本に仲が良いんだから。なんだかちょっぴり妬けちゃうわ」

「もしや子作りに励んでおったのではあるまいな」


 みんなが口々に囃し立てながら好奇の視線を向けてくる。

 恥ずかしい~! 二人は顔を真っ赤にしながら慌てて体を離した。


「今日はいつもに…… じゃなかった、いつにも増して変な夢を見ちゃったなあ。お園や藤吉郎はしっかり眠れたか?」

「私も不可思議な夢を見たわよ。大佐や藤吉郎が出てきたんだけど大佐や藤吉郎じゃ無かったの」

「某も珍妙な夢を見ました。それと、目が覚めると斯様な物を背負うておりました」


 その手の中には寝巻きらしき布切れで梱包された大きな荷物が抱えられていた。

 恐る恐る結び目を開いてみると中からは地味な色合いの陶器の数々が現れる。

 途端に萌が目の色を変えて食い付いてきた。


「これって九十九髪茄子と勢高肩衝よね? 珠光小茄子や曜変天目茶碗もあるわよ。あとの茶器は何なのかしら」

「知らん! でも、本能寺にあった信長コレクションなんだぞ。それなりの値が付くんじゃね? って言うか、付いたら良いなあ。それはそうと……」


 大作は言葉を切るとお園にアイコンタクトを取ってタイミングを計る。


「「夢だけど、夢じゃなかった~~~!」」


 二人の声が完璧にシンクロする。

 これでもう何も思い残すことは無いな。部屋の隅っこに茶器を置くと大作たちは朝餉を頂いた。




 質素だが量だけはたっぷりの朝餉を終えると待ちかねていたようにお園が口を開いた。


「それで? この茶器はどうするつもりなの?」

「捨てっちまおう。こいつぁニセモンだよ。よく出来てるがな」

「はいはい、良かったわね。それで? どうするの?」

「ちょっとは突っ込んでくれよ。何だか俺が阿呆みたいじゃんかよ。まあ、阿呆なんだけどな。それはともかく何とかしないと結構な荷物だぞ。うぅ~ん。みんなで手分けして持ってくれるかな~?」

「……」


 みんな揃って不満そうな顔だが何とか宥めすかして一人が二個ずつ茶器を持って貰う。お園は三足の蛙を持つことになった。


「私、この香炉が気に入ったわ。ユパ様! じゃなかった。大佐、この子私に下さいな!」

「ああ、かまわんが……」


 宿屋を後にした大作たち一行は堺を目指して紀州街道を南へと下って行く。

 周囲に人気が無くなると待ちかねていたように萌が首を傾げた。


「それで? 本能寺はどんなところだったのよ、大作。森乱丸はイケメンだったの? 信長の最後はどんな感じだった? 敦盛は舞ったの? ねえねえ、教えなさいよ!」

「どうどう、落ち着けよ。ぶっちゃけ良く分からんのだ。何せ寝室から一歩も出なかったからな。乱丸って奴の顔も暗くて良く見えんかったし」

「えぇ~~~っ! 折角、本能寺にタイムスリップしたのに何もしなかったっていうの? あんた本当にどうしようもない阿呆ね。せめて写真くらい撮りなさいよ!」


 萌が激しい突っ込みを入れてくる。だが、大作は真面目に相手をするのが面倒臭くなってきた。


「我が歴史改変は我流! 我流は無型! 無型ゆえに誰にも読めぬ! なにせ自分にすら読めなくて困ってるくらいだからな」


 薄ら笑いを浮かべながらも自信満々といった風に宣言する。

 話すだけ時間の無駄だと思ったのだろうか。萌も小さく首を竦めるとそっぽを向いてしまった。


 どこまでも田畑や原野が広がる平地を歩いて行く。途中で大和川にぶつかった。川には大きな橋が架かっていたので遠慮なく渡らせてもらう。

 宿を出て二時間ほどで堺の町が見えてきた。お園がくたびれ果てたといった顔で口を開く。


「ねえ、大佐。吉良様たちは何方にいらっしゃるのかしらね?」

「し、しまったあ~! 待ち合わせ場所を決めていなかったぞ。まあ、港に行けば船があるはずだ。それを探して手掛かりにしよう」


 内心の焦りを隠して必死にポーカーフェイスを作ると港を目指す。目指したのだが……


「船なんてみんな同じで見分けが付かないぞ~~~!」

「大佐、大きな声を出さないでちょうだいな。みんなこっちを見ているわよ。それに船はどれもちょっとずつ違っているわ。『みんなちがって、みんないい』なんでしょう?」


 満面の笑みを浮かべながらお園がずらりと並んだ船を見回す。言われて見れば船はどれも少しづつ違っていて二つとして同じ物は無いようなあるような。

 残念ながら大作には細かな違いなんてさぱ~り分からない。だが、完全完全記憶能力者のお園になら識別が可能かも知れないってことだ。だったらもう……

 例に寄って灰色の脳細胞をフル回転させる大作には周りの様子がまったく見えていない。お陰で背後から近付く人影に気付くこともできなかった。


「これはこれは御本城様、御隠居様! 随分とお早いお着きで。京の都は如何なる案配にござりましたかな?」

「うわらば! 吉良様ではござりませぬか。びっくりしたなあもう。あんまり驚かせないで下さりませ」


 不意に背後から掛けられた声に血相を変えて振り向くと伊豆水軍のトップ、清水康英が首を傾げていた。


「いやいや、其れはご無礼の段、ひらにひらにお許しを。して、京の都は如何なる案配にござりましたかな?」


 老人は首を傾げたまま同じ質問を繰り返す。まるで顔に張り付いたように動かない微笑みが不気味だ。

 うわあ~~~! こいつまで答えを返すまで同じセリフをループするNPCになっちまったのか? 大作は頭を抱えて小さく唸った。




 何の彼のと答えをはぐらかしながら大作たち一行は吉良こと清水康英の後ろにくっ付いて歩く。

 目指すは船チームが世話になっている駿河屋とかいう商家の屋敷らしい。北条と付き合いのある山上宗二とかいう豪商のお尻あい、じゃなかった。お知り合いなんだそうな。


「それで? その駿河屋殿とは如何なる商売をされておられるのでしょうかな、吉良殿」

「そも、駿河屋は今より百三十年ほどの昔に京伏見で菓子屋の商いを始めたと聞き及んでおります。其の店の羊羹は逸品とのことで関白殿下が開かれた大茶会でも引き出物に使われたそうですな」

「じゅるる~ 早く食べたいわ。ねえ、大佐?」

「左様でございますな、督姫様。さて、話を続けても宜しゅうございますか? 後に駿河屋は大坂に暖簾分け致したそうな。そこからさらに堺に暖簾分けしたのが今から参ろうとしておる駿河屋にございます」

「ダウトォ~~~ッ!」


 突如として額に青筋を立てた萌が絶叫しながら右腕を振り回した。その意味不明なハイテンションに大作は思わずギョッとする。だが、決して顔には出さない。


「どうどう。落ち着けよ、萌。いったいぜんたい急にどうしたん?」

「大作、今の話をちゃんと聞いていたの? これって重大な時代考証ミスかも知れないわよ。堺の甲斐町に駿河屋が店を開いたのは天保年間だって書いてあるんだもの。ほらここを読んで。ちなみに与謝野晶子は堺駿河屋の初代宗七の次男の三女らしいわ。子供のころは店の手伝いもしていたんですって」

「よさのあきこ? 大佐、もしかしてその女にも懸想していたんじゃないでしょうね?」

「してないしてない。って言うか、与謝野晶子と与謝蕪村って何の関係も無いって知ってたか? それはそうと『君死にたまふことなかれ』って良いセリフだよな。何となくだけど『あなたは死なないわ、私が守るもの』に通じるところがあるような無いような」


 そんな阿呆な話をしているうちにも一同は駿河屋に辿り着く。

 家人に案内された座敷には両脇に弦楽器を抱えた童女が待ち構えていた。ってことは、こいつはほのかなんだろうか。


「随分と遅かったわね、大佐。私のリュートとヴィオラ・ダ・ブラッチョを聴きたい? どうしても聴きたいって言うんなら聴かせてあげないこともないんだけどなあ?」

「リュート()ヴィオラ・ダ・ブラッチョだと? 両方とも買っちゃったのかよ。高かっただろう? ってか俺、リュート()ヴィオラ・ダ・ブラッチョって言わなかったっけ? 言ったよなあ、お園?」

「いいえ、大佐。大佐はリュート()ヴィオラ・ダ・ブラッチョって言ったわよ」

「そ、そうなんだ。お前がそう言うんならそうなんだろう、お前ん中ではな……」


 うぅ~ん、言ったような言ってないような気がするんだけどなあ。今度からは録音しておこう。

 例に寄って大作は悔しそうに唇を噛み締めることしかできなかった。


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