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巻ノ弐百参 花の慶次によろしく の巻

 くも()いの声をした千利休、石田三成、黒田官兵衛を目の前にしながら大作は頭の中で現状を整理していた。


 わざわざ小田原から遠路はるばる出向いてきたというのに秀吉の糞馬鹿野郎は面会してくれるつもりは無いらしい。

 もしかするともしかして、北条ごときのお相手は利休で十分ってことなのか? つまり、このイベントは豊臣にとって内々のことだと言いたいんだな。やっぱり豊臣は北条との戦を決定していて、いまさら取り止める気はさらさら無いんだろう。まあ、こっちとしても戦を回避する気なんてこれっぽっちも無いんだけれど。

 大作は勝手に事態を解釈して心中で怒りの炎を燃え上がらせる。だが、決して顔には出さない。


 それはそうと、どうやらこれで全員集合ってことなんだろうか。

 大作は利休、三成、官兵衛たち三人の顔色を上目使いで伺いながら恐る恐る口を開いた。


「デス()ー総統ばんざ~い!」

「ば、ばんざい? 其は如何なる物にござりましょう?」


 怪訝な表情を浮かべた利休が小首を傾げる。


「え、えぇ~~~っ! 気になるのはそこにござりまするか……」

「万歳とは関西のお笑い芸人が大喜利で苦し紛れの駄洒落を誤魔化す折に用うる言い訳にございます。元来は唐の皇帝が一万年も長生きされますようにとの意があったそうな」


 一瞬、言葉に詰まった大作を即座にお園がフォローする。驚異的な記憶力は相も変わらず健在らしい。大作はアイコンタクトで謝意を表すと利休に向き直った。


「まあ、人間という物は日々成長し、どんどん変化して行く物ですからな。もし一万年も長生きすればオリジナルの要素は失われ、全くの別物となっておるに違いありませぬでしょう」

「ほ、ほぉう。左京大夫様はまだお若いと言うのに、なかなか含蓄のあることを申されますな」

「いやいや、煽てても何も出ませんぞ。して、本日は太閤殿下は如何なされました? もしや、拙僧のような東国の田舎者ではお目通り頂くことは叶わぬのでしょうかな?」


 大作は普段以上に卑屈で下卑た薄ら笑いを浮かべ、上目使いで利休の顔色を伺う。そして摩擦熱で発火しそうな勢いで揉み手をした。

 その言葉に利休が答えようと口を開き掛ける。だが、その途端に背後から新たな気配が現れた。


「生憎と兄者は大坂に御座します。おっ母が急に熱を出しました故、その見舞いに参られましてな。相模守殿と左京大夫殿のお相手は儂が致しましょう」


 慌てて振り返った大作はそこに立っている人物を見て思わず息を飲む。

 十津川刑事? いやいや、これって高(しま)政伸じゃんかよ~! その顔は氏政とくりそつ(死語)で見分けが付かない。だって中の人が同じなんだもん。

 って言うか、こいつはいったい誰なんだ? 秀吉のことを兄者って言ってたぞ。ってことは小竹? つまりは豊臣秀長?

 パニックになりかけた大作は頭をフル回転させる。ポク、ポク、ポク、チ~ン! 閃いた! じゃなかった、分かった(エウレカ)ぞ。真実はいつも一つ!


「これって1996年の秀吉ですな! あの作品で高(しま)政伸は秀長を演じておられましたっけ。いやいや、これは面白きこと! 父上、是非とも一緒に記念写真を撮って頂きましょうぞ。宜しゅうござりますかな、大和大納言様?」

「き、きねんしゃしん? 其は如何なる物にござりますかな? いやいや其よりも先程、太閤殿下と申されたようじゃが其は如何なる意にござろうか? 兄者は未だ関白の職を辞してはおられぬが?」

「は、はぁ? 何を言い出すかと思えば戯けたことを。天下人=太閤なんて現代人の常識でござりませぬか。たとえば田中角栄を今太閤と呼ぶことはあっても今関白なんて聞いたこともござりませぬぞ。そういえば、さだまさしの関白宣言って歌がありましたな。とにもかくにも、今太閤っていうのは立身出世の代名詞。小林一三や松下幸之助、永田雅一、吉本せい、エトセトラエトセトラ。それが日本人の常識なんだからしょうがないでしょう? ね? ね? ね?」

「さ、左様なものでござろうかのう。う、うぅ~む……」


 秀長はイマイチ納得が行かないといった顔をしている。だが、マトモに相手をするのが阿呆らしいとでも思ったんだろうか。それ以上は突っ込んでくることなく矛を納めてくれた。


 話が一段落したところで大作たちは露地草履に履き替える。そして露地に降りると秀長、官兵衛、三成の後ろにくっついて歩いた。

 少し歩くと屋根の付いた変てこな椅子が並んでいる。何じゃこりゃ? これって腰掛待合とかいう奴なんだろうか。

 秀長たちがさも当然といった顔でその椅子に座った。どうやらここで利休の迎えを待つらしい。

 大作、氏政、お園も隅っこの方に遠慮がちに座る。


 待つこと暫し。やってきた利休に先導されて茶室へと向かう。竹が生い茂った外露地を進んで中門を潜って内露地に入る。茶室へと続く飛び石は水浸しになっていた。どうやら打ち水を撒いてあるらしい。って言うか、ちょっと撒き過ぎなんじゃね?

 きっと先回りして水を撒いていたんだろうな。大作は想像して吹き出しそうになったが空気を読んで我慢した。

 茶室の手前には蹲踞(つくばい)がある。ここで手水で手や口を清めろってことらしい。


「なあ、お園。左手が先だったっけ?」

「そうよ、良く覚えていたわね。偉い偉い」


 そんな軽口を叩きながらお園が頭を撫でてくる。みんなから小馬鹿にしたような視線を向けられた大作は恥ずかしさで死にそうだ。

 本当のことを言うと二分の一の賭けに勝っただけなんだけどなあ。だが、そんな本音はおくびにも出さない。


 少し進むと竹林に取り囲まれるように小さな茶室が建っていた。キノコみたいな形の茅葺き屋根が何ともユーモラスだ。って言うか、どことなくカッパドキアの奇岩と似ていなくもないような。


 小間の茶室には躙口(にじりぐち)とかいう縦横六十センチくらいの小さな入口が開いている。噂には聞いていたがとんでもなく狭い入り口だ。


「こんなんで良くもまあ消防検査とかに引っ掛からなかったもんだな」

「しょうぼうけんさ?」

「だって、茶室って火気を取り扱うだろ? もしもアポロ一号の火災事故みたいなことになったら大惨事だぞ。まあ、アレは船内を大気圧より高圧の純粋酸素で満たすなんて非常識なことをやったのが悪いんだけどさ」

「ふ、ふぅ~ん。何だってそんなことをしたのかしらね?」


 お園が口を尖がらせて顰めっ面をする。って言うか、気になるのはそこかよ~! 大作は朧げな記憶を引っ張り出す。


「多分、船内の空気を純粋酸素に置換するためじゃないかな? いやいや、そんなことよりハッチが内開きっていうデザインが問題だったのかも知れんぞ。だってハッチを開こうと思ったら船内を減圧しなきゃならんだろ?」

「そうは言うけど、大佐。外開きだとハッチが勝手に開いてしまうかも知れないわよ。それって宇宙空間だと怖くないかしら?」

「それはトレードオフの関係だな。だけど、ハッチっていう物は非常時にこそ素早く開けられなくちゃならんだろ? もういっそ、爆発ボルトで吹っ飛ばしちゃうとかさ。この躙口にも戦闘機のキャノピーみたいに導爆線デトネーションコードを仕込めば良いんじゃね?」

「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐ん中ではね」


 そう言うとお園はちょっと呆れたような顔で黙り込んでしまった。どうやら納得してもらえたようだ。大作はほっと胸を撫で下ろす。


 いやいや、そんなことより茶室に入る順番って誰からなんだろう? たしか正客(しょうきゃく)とかいって主賓から入るんじゃなかったっけ。

 この中で一番偉いのは大和大納言様こと秀長で間違い無い。なんたって従二位権大納言なんだもん。

 とは言え、こいつはホスト側だぞ。だったら氏政か氏直が先に入るべきなんだろうか? だとしても氏政と氏直のどっちが先に?

 分からん! さぱ~り分からん! こういう時に誰も傷付かずに丸く納めるにはどうすれバインダー! 大作は心の中で絶叫する。


 だが、そんな大作の胸中を察したのだろうか。お園がにっこり微笑むと堂々とした態度で一歩前へ出ると一同に軽く頭を下げた。


「ここはレディーファーストということで失礼致します」

「そ、そうだな。それが一番丸く収まるかも知れん。宜しゅうございますか、大和大納言様?」

「れ、れでぃいふぁうすと? 其れは如何なる物にござろう?」

「ファウストではございませぬ。ファーストにございます。パンツァーファウストじゃないんですから。ちなみにフリーガーファウストっていう携帯対空ロケットランチャーもありますぞ」


 そんな意味不明の無駄話をしながら大作は薄ら笑いを浮かべた。そして一瞬の虚を衝いてお園を躙口から茶室の中へと押し込む。

 あっと言う間の出来事に豊臣方の面々は一瞬の間、反応が遅れる。大作はその隙を見逃すことなく氏政を押し込むと自身も後へと続いた。




 茶室の躙口は非常に狭く、どんなに偉い人でも頭を下げなければ入ることができない。

 だが、大作にとってはそんなの関係ねえ~! 躙口の上辺を両手で掴むと勢いを付けて足から飛び込んだ。

 薄暗い茶室に入ると真正面に床の間があった。掛け軸は南天の木の枝に小鳥が留まっている絵柄だ。何か深い意味を暗示しているんだろうか。分からん。さぱ~り分からん。

 部屋の内装は良く言えばシンプル、悪く言えば辛気臭い。って言うか、貧乏臭い。それに何だかとっても埃臭い。

 まさかとは思うけど炉の炭が不完全燃焼しているんじゃなかろうな? 一酸化炭素中毒なんて真っ平御免だぞ。大作は炭を注視するが見た限りでは問題は感じられない。


 お園はと言えば部屋の一番奥にちょこんと座っている。その顔はここが私の定位置だと言わんばかりだ。でもそこって正客の席なんじゃないのかなあ。茶会においては基本的に正客だけが亭主と問答を行うとか行わないとか。

 大作は不安でしょうがないが今さらどけとも言い難そうだ。氏政の隣に黙って大人しく座ることしかできない。


 入口に目をやると利休、秀長、官兵衛、三成が次々と茶室に入ってきた。と思いきや酒井忠次までもが入ってくる。

 四畳半に八人だと! 中国雑技団じゃあるまいし。大作は思わず顔を顰める。


 それはそうと昼間だというのに室内が随分と薄暗いなあ。茶室の南側には下地窓があり、柔らかい光が差し込んでいる。だけど根本的な採光に問題があるんじゃなかろうか。


『暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう』


 大作は心の中で呟くとバックパックからLEDライトを取り出す。そして亭主の席に着いている利休の顔色を伺いながら声を掛けた。


「利休殿、電気を点けても宜しゅうございましょうか?」

「でんき? にございますか。其は如何なる物にございますかな?」

「半導体のpn接合部で電子と正孔が禁制帯を越えて再結合すると光が飛び出すのでございます。まあ、百聞は一見に如かず。ほれ、この通り。こうやってペットボトルを上に置くとランタンの代わりになるそうですな。何かのテレビでやっておりましたぞ」

「おお、これは明るうございますな。らんたんと申されましたか」


 取り敢えず話題反らしの第一弾は成功したようだ。大作はほっと安堵の胸を撫で下ろす。

 だけど安心するのはまだ早い。このままだと茶会に強制参加させられそうな雲行きだ。そんなことになれば茶道の心得の無い大作は赤っ恥を掻かされるに違いない。

 まあ、恥の多い生涯を送って来た大作としてはいまさら誤差の範囲なんだけれど。

 とは言え、茶の飲み方ごときでマウントを取られるのも癪に障るなあ。って言うか、抹茶って苦手だし。


「利休殿、実は拙僧はカテキンのアレルギーを患うておりましてな。恥ずかしながら医者に茶を止められておりまする」

「えぇ~~~っ! お茶を頂かないっていうの、大佐? お茶菓子は頂けるんでしょうね?」


 血相を変えたお園が素っ頓狂な声を上げる。こいつ、徳川と北条のトップ会談よりもお茶菓子が気になるっていうのかよ。やはり目の付け所がお園だな。まあ、ほかならぬ大作自身がこの会談に何も期待なんてしていないんだけれども。


「どうどう、落ち着いて。申し訳ございません。お茶菓子だけ頂いて宜しゅうございますかな? それと、飲み物はコーヒーをブラックでお願い致します」

「こ、こおひいのぶらっくにございますか? いや、あの、その…… 生憎とこおひいは切らしております」


 利いてる効いてる。あからさまに狼狽える利休を大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。バックパックからチタン製マグカップを取り出すとペットボトルの水を注いだ。


「左様にござりまするか。それは残念なことで。されどお気遣いはご無用。拙僧はこの走井で汲んだ名水を頂くと致しましょう」

「そ、それは良うございましたな。然ても、其はいと珍しき碗にござりますな。銀で拵えた物にありましょうや?」

「気になるのはそこにござりますか? えぇ~っと、これはチタンと申しまして原子番号二十二、第四族に属する遷移元素にございます。イオン化しにくいので金属アレルギーの方も安心ですぞ。耐食性にも優れたチタンの需要は近年急増しております。積極的な設備投資をお勧めいたします」

「あ、あれるぎいでございますか……」


 利休は戦意喪失といった顔で視線を反らした。大作は『一機撃墜!』と心の中で絶叫すると次なる標的(ターゲット)を探す。

 うぅ~ん。誰にしようかな。天の神様の言う通り。秀、秀、秀頼、秀次…… じゃなかった。秀長、君に決めた!

 大作はバックパックから勿体ぶった手付きで先っぽが尖がった帽子を取り出すと頭に被る。


「いったいどうしたの、大佐。急にそんな物を被るなんて」

「これは観音帽子(かんのんもうす)って言うんだ。臨済宗の正装だぞ。首の後ろに垂れてる布が左右に二つに分かれているだろ? それがまるで観音開きみたいに見えるからそう呼ぶんだとさ。何だかクー・クラックス・クランみたいで格好良いんじゃね? 烏帽子(からすもうす)とか公家が被る烏帽子(えぼし)なんかとは似て非なる物なんだな、これが。わっかるかな~? わっかんねぇだろうなぁ~」

「観音帽子くらい知ってるわよ! そんな物を何で急に被るのかって聞いてるのよ。もしかして私の聞き方が悪かったのかしら?」

「どうどう、興奮しなさんな。見ていれば分かるから」


 大作から見ると秀長は右斜め前に座っている。そこでまずは体全体をそちらに正対するよう座り直す。そして観音帽子を左四十五度に向かって回転させた。それから頭を右に向けて…… 違う、反対だ。

 気を取り直して観音帽子を右四十五度に方向転換させる。今度は頭を左に向けて深々と頭を下げなきゃならん。すると怪訝な顔で首を傾げる三成と官兵衛が目に飛び込んできた。


「左京大夫殿、其は如何なる了見にござりましょうや?」


 視界の外から掛けられた声にはちょっとばかり困惑の色が含まれているようないないような。恐る恐る頭を上げると首を傾げた秀長と目が合った。

 意図が通じていないやんか~! 自分でネタ解説をやらなきゃならんとは屈辱もここに極まれりだな。大作は心の中で小さくため息をついた。


「これは一遍に数多の方々に挨拶することができる省エネお辞儀にございます。詳しくは花の慶次とか一夢庵風流記でもお読み下さりませ。さて、ここで太閤殿下への手土産を贈呈致します。恐れ入りますが大和大納言様にお預かり頂いて宜しゅうございますかな」

「うむ、心得た」

「北条から豊臣への友好の証としてお贈りするプレゼント。何が出るかな~? 何が出るかな~? ドゥルルルルル~ ジャン! 大根でした~! アラ、アララ?」


 大作は得意気な顔でバックパックから風呂敷包みを取り出す。だが、中から出てきたのは予想外の物であった。


「俺、じゃなかった。拙僧は大根をご用意下さいって申しませんでしたかな? 大岡、じゃなかった。遠山様。これって蕪みたいに見えるんですけど?」

「いやいや、此れは蕪ではござりませぬぞ。聖護院大根にございます」

「さ、左様にござりますか。そう申さば桜島大根なんかもこんな感じでしたな。まあ、大根も蕪も元を辿れば同じアブラナ科。細かいことは忘れましょう。では大和大納言様、あの大根を太閤殿下に届けて下さりませ。あれは、いい物だ……!」


 名セリフを言った大作はドヤ顔で微笑むが元ネタを知らない秀長はぽか~んと口を開けている。またもや自分でネタを解説しなきゃならんのかよ。しょうがない、猿にでも分かるように噛み砕いて説明してやろう。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。


「これはアレですな。この泥付き大根のように見かけはむさ苦しゅうございますが、噛めば噛むほど滋味の出る拙者でござる。という風に解釈して下さりませ。詳しくは花の慶次とか一夢庵風流記をどうぞ。いやいや、別にあの本の宣伝をしているわけではございませんが」

「せんでん?」

「商人とかが商っている品をお客に知ってもらうために方々に言い触らすことですな。斉藤道三の一文銭の油売りとか有名じゃないですか? 1973年の国盗り物語で平幹二朗がやっておられましたぞ。ご存じない? これは一つ賢くなりましたな。良きかな良きかな」

「さ、左様でござるか」


 秀長は小さく相槌を打つとさり気なく目線を反らした。だが、いまだその瞳には闘志が漲っているようないないような。まだ勝利宣言するには気が早いような気がしてならない。大作は次なる攻めの手を探して思案する。

 しかし、大作が口を開こうとした正にその瞬間、機先を制するように秀長が言葉を発した。


「左京大夫殿。然るにても鈍き上洛にござったな。美濃守殿は如何に遅くとも去年のうちには上洛されるじゃろうと申されておったぞ。兄者はそれこそ首を長うしてお待ちじゃった」

「ほほう。『キリンさんが好きです!』って奴ですか。今少し遅ければここが危のうございましたな」


 大作は手刀で自分の首根っこを軽く叩きながらニヤリと笑い掛ける。だが、例に寄って元ネタを知らない連中には通じていないらしい。

 しょうがない、猿でも分かるように噛み砕いて説明してやるか。大作はとっておきの無駄蘊蓄を披露することにした。


「恥ずかしながらピーナッツを食べ過ぎたら鼻血が止まらなくなってしまったのでございます。大納言様も気を付けた方が宜しゅうございますぞ」

「さ、左様にござったか。されど儂はぴいなっつは食さぬでな。左京大夫殿こそ養生されるが宜しかろう」


 秀長はちょっと不機嫌そうな顔で鷹揚に頷く。何か気を悪くするようなことを言ったっけ? 大作は急に不安になる。

 でも、この言い訳は吉田茂が上院議員時代のニクソンに対して使ったという伝説の言い訳なのだ。ニクソンの自伝で読んだような読まなかったような。

 一国の総理大臣ともあろう人物なら公務多忙とか何とかいくらでも言い訳は可能だろう。それを馬鹿正直に話した吉田の人間性にニクソンは甚く感動したとかしなかったとか。残念なことに肝心のオチの部分を大作は良く覚えていない。

 だけど、正直者が馬鹿を見るような世の中であってはならん。正直者には正当な評価が与えられねばならないのだ。

 まあ、大作はピーナッツなんて食っていないんだから正直者でもなんでも無いんだけど。

 そんな取り留めのないことを考えているとお園が脇腹を突っ突きながら囁き掛けてきた。


「ねえねえ、大佐。ぴ~なっつて美味しいのかしら?」

「え、えぇ~っと…… 落花生とか南京豆とか呼ばれている南米原産のマメ亜科ラッカセイ属の一年草だな。普通の豆と違って地面の下に実が成るんだ」

「大佐、私は美味しいかどうかを聞いてるんだけれど? 美味しいか、美味しくないか。それが問題なのよ」


 真剣な顔をしたお園が頭蓋骨を掲げるように片腕を伸ばす。お前はリア王、じゃなかったマクベスかよ! 大作は心の中で絶叫する。


「違うわ大佐、それはハムレットよ」

「お前なあ、俺の心を読まないでくれるか? ちょっと怖いぞ」

「大佐の考えていることくらい丸っとお見通しよ。うふふ、あはは」

「こいつぅ~!」


 みんなからの冷え冷えとした視線をガン無視して大作とお園はバカップルの世界へと現実逃避する。


「左京大夫殿、そろそろ話を戻しては頂けぬじゃろうか? 左京大夫殿?」


 痺れを切らした秀長が遠慮がちに声を掛ける。だが、そんな言葉は二人には届いていなかった。


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