巻ノ百九拾八 目指せ!左衛門尉の屋敷 の巻
図らずも聚楽第の真正面にまできてしまったことに気付いた大作は一目散にその場を後にする。三十六計逃げるに如かず。それが大作の処世術なんだから仕方がない。
女性陣、相州乱破、氏政の面々は金魚の糞みたいに後ろにくっついて歩く。暫く歩いたところでお園が遠慮がちな顔をしながらも一同を代表するように口を開いた。
「ねえ、大佐。私たち秀吉に会うためにわざわざ京の都にまできたんでしょう。それなのに、どうして何にもしないで帰っちゃうのかしら?」
「だって、あまりにも急だっただろ。まだ俺の心の準備ができていないんだよ。って言うか、誰だっていきなりは怖いじゃん? 聚楽第の南外門っていえば例の落首が書かれたところだろなんだぞ。えぇ~っと……」
「『大仏の くどくもあれや やりかたな くぎかすがいは 子たからめぐむ』とか『ささ絶えて 茶々生い茂る 内野原 今日は傾城 香をきそいける』とか『末世とは 別にハあらし 木の下の 猿関白を 見るに付けても』のことでしょう?」
「そうそう、それそれ。ってか萌、そんな物を丸暗記して何のメリットがあるんだ? 脳のリソースの壮絶な無駄使いだな。それはそうと、あの事件では警備を担当していた十七人の番衆はともかく、八十を超えた老人から七歳にもならない子供まで丸っきり無関係の老若男女が百十三人も処刑されたんだそうな。まるでエンスラポイド作戦の報復みたいな残虐さだろ。暁の七人って映画を知ってるか?」
「それってラインハルト・ハイドリヒ暗殺の報復ね。あの時のヒトラーは一万三千もの殺害を命じたんだったかしら」
打てば響くといった感じで萌から相槌が反ってくる。ちょっと嬉しくなった大作は有頂天で話し続けた。
「そしたらチャーチルはさらに報復をエスカレートさせようとしたらしいな。だけど俺は要人暗殺なんて卑怯な作戦をやったチャーチルが一番悪いと思うぞ。山本五十六やバックナー中将みたいに戦闘によるものならいざしらず、平服を着た暗殺者に不意打ちさせるなんて卑怯にも程があるぞ。だいたいイギリスって卑怯なことばっかじゃん。ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作なんてどう考えても国際法違反だろ。爆弾テロで沈んだ連絡船なんて民間人が何人乗ってたと思う? あのルシタニア号だって軍需物資が山ほど積まれていたそうだぞ。考えれば考えるほどチャーチルって糞野郎だな。それか、アレだアレ……」
「はいはい、分かったわ。無駄蘊蓄なら後でいくらでも聞いてあげるわよ。それより私たちは何処へ向かっているのかしら?」
有無を言わせぬ勢いでお園が話の腰をへし折る。とは言え、それはそれで大事な話だな。何たって冬の京の都で野宿は無理がありそうだし。
大作は今や風物詩となった捨てられた子犬のような目をして一同の顔を見回す。
「誰か良い意見のある人?」
「……」
一同が揃いも揃って遠い目をする。暫しの沈黙の後、萌が小さくため息をつくと訥々と話し始めた。
「酒井忠次なんてどうかしら。去年に家督を長男の家次に譲って隠居しているはずだわ。剃髪して一智って号してるんですって。秀吉から貰った桜井の屋敷に侍女と一緒に住んでるそうよ。在京料として千石も貰ってるなんて羨ましいわね」
「おお、其は左衛門尉殿のことじゃな。一昨昨年に伊豆三島で駿府左大将を饗応した折に会うたぞ。海老掬いとか申す妙な躍りを舞いおったな」
「それってどんな宴だったのかしら? 美味しい料理とか出たんでしょうね。じゅるる~」
お園が急に目の色を変えて話しに食い付いてきた。さっきまで心ここにあらずんば虎児を得ずといった顔をしていたくせに。食に対する執着心は相変わらずだな。大作はお園に向き直ると軽く肩を叩いて落ち着かせるとスマホで地図を確認する。
「んで、桜井ってどこなんだ? どれどれ…… 一キロ以上も北じゃんかよ! 聚楽第の中を突っ切るわけにもいかんから回り道しなきゃならんぞ。また二キロも歩くのかよ……」
「何だか亀に追い付けないアキレスみたいになってきたわね。私たち、ちゃんと夕餉を頂けるのかしら」
恨めしそうな目でお園に見つめられた大作は心の中で『知らんがな~!』と絶叫した。
大作は聚楽第を西から大回りして迂回することにした。聚楽第の中を通り抜けできれば最短ルートだろう。でも、そんなことができたら苦労しないのだ。
まずは織田信雄の屋敷前を素通りして西へ向かうと千本通で右に曲がる。広々とした道を北に進んで行くと左側に福島正則の屋敷が建っていた。
大作は基本的に判官贔屓をモットーにしている。だが、豊臣恩顧の大名の中だと福島正則がダントツに大嫌いだ。そもそも、豊臣その物が大嫌いなんだけれど。
それはともかく、いくら三成が憎いからといって徳川に付くなんてどこまで阿呆なんだろう。まあ、裏切り者に相応しい酷い末路を遂げてくれるから気持ちは安らぐんだけれど。
確か奴は小田原征伐だと織田信雄の指揮下で韮山城の包囲に参加するらしい。そこで血祭りにあげてやろう。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
「なあなあ、萌。酒井忠次って徳川四天王だよな? やっぱ四天王の中でも一番の小物。最弱の面汚しなのかなあ?」
「何を申すか新九郎。徳川家臣筆頭と申さば酒井左衛門尉を置いて他は無かろう」
「他の三人を徳川三傑って言うことはあるけれど、やっぱり酒井だけは別格なんじゃないのかしら。何せ家康が今川の人質に出された時に同行したくらいの長い付き合いなんだもの」
「ふ、ふぅ~ん。そうなんだ。でも、他の三家が十万石以上に加増されたのに酒井家だけが三万七千石だったんだろ? まあ、俺は四天王最弱とか面汚しってセリフを言いたかっただけなんだけどさ」
例に寄って何の中身も無い無駄話をしながら通りを進んで行くと右側に龍造寺の屋敷が建っていた。
小ちゃ~! 龍造寺の屋敷、小ちゃ~! 大作は龍造寺も大嫌いなのだ。心の中で散々に嘲り笑うが決して顔には出さない。
その先には有馬、細川の屋敷も建っている。これも龍造寺に負けず劣らずの小ささだ。コロボックルでも住んでるんだろうか。
いやいやいや、もしかして毛利や徳川が特別に大きいだけなのか? と思いきや、島津の屋敷はそこそこの大きさだ。しかし、その先にある京極の屋敷はやっぱり小さな物だった。
格差社会の現実を見せつけられたような気がする。って言うか、家来の数とかが全然違うんだろう。しょうがないと言えばしょうがない。大作は考えるのを止めた。
今出川通に出たところで道を右に曲がる。大通りを東に五百メートルほど歩くとちょっと雰囲気が変わってきた。
「この辺りが西陣だな。この時代にはすでに高級絹織物の産地として有名らしいぞ。何だったらお土産に反物でも買ってくか?」
「私、食べられない物ならいらないわよ」
「そ、そうか。まあ、無理にとは言わないよ。んで、もうちょっと歩くと花の御所だ。まあ、この時代には何も残ってないだろうけどさ」
「ふ、ふぅ~ん……」
日が西の空に傾き、みんなの口数も少なくなってくる。疲労と空腹で限界が近いようだ。何だか心の中でカラータイマーが点滅しているような気がしないでもない。
いやいや、こういう時ほど空元気を振り絞らねば。大作はなけなしの気力を総動員して声を張り上げる。
「ここが酒井忠次のハウスね! 左衛門尉なんていうから南町奉行所みたいなのを想像してたけど意外とショボい屋敷だな」
「しょぼい? しょぼいとは如何なる意にござりましょう、お坊様。もしや我が主のお屋敷を愚弄しておるのではありますまいな?」
不意に背後から声が掛かる。慌てて振り返った大作の目に飛び込んできたのは妙齢の女性だった。
絶世の美女とまでは行かないが十人並みの美女と言っても過言ではないだろう。ただ、年齢に関してはさぱ~り分からない。
それはそうと妙齢って言葉をよく耳にするけど、それっていったい幾つくらいなんだろう? 戦国時代末期のメイクやヘアスタイルは現代人とは違い過ぎて丸っきり見当が付かん。って言うか、実のところ化粧した女性の年齢を当てるのって結構な難易度なのだ。大作の鋭い観察眼を持ってしても漠然と成人女性としか分からない。
着ている物はといえば薄い色でシンプルな模様の小袖に細帯を締め、それを前にだらりと垂らしている。何だかだらしなく見えなくもない。とは言え、これがこの時代の着こなしなのかも知れない。
そんな風に大作がとりとめのないことを考えていると妙齢の美女が不意に怪訝な表情を浮かべる。
しまった~! 何か言わなきゃ。大作は頭をフル回転させる。しかしなにもおもいうかばなかった!
大作の慌てっぷりを見るに見かねたのだろうか。ちょっと呆れた顔のお園が間に割って入ると深々と頭を下げる。
「妾はお園…… じゃなかった、駿府左大将が娘の督姫と申します。此度は俄に推参つかまつりましてご無礼の段、平にご容赦くださりませ」
「なあ、お園。自分を督姫って呼ぶのはおかしくね?」
「そ、そうだったわね、大佐。じゃなかった、御本城様。妾はお督と申します。え、えぇ~っと…… 此度は京の都に火急の用がございまして相模守様と左京大夫様をお連れいたしました。左衛門尉様にお目通り致しとうございます」
「其処な御仁が相模守様と申されまするか? して、此方お坊様が左京大夫様ですと?」
妙齢の美女がこれ以上はないというくらい胡散臭そうな顔で首を傾げる。その表情を見ているだけで大作の心は折れそうだ。
もうギブアップしても良いかなあ? いやいや、何がなんでも野宿だけは避けねばならん。絶対にだ!
大作は適当な言い訳をでっち上げようと無い知恵を絞る。だが、その思考は突然掛けられた声にまたもや中断させられた。
「これ、お梅。先程から玄関先で何事じゃ。随分と騒がしいのう」
「おお、これはこれは左衛門尉殿。久しいのう。儂を覚えておられるか? 北条相模守じゃ」
嬉しそうに声をあげる氏政の視線の先には六十は過ぎていそうな老人が立っていた。こげ茶のダラっとした千利休みたいな着物を着て、頭には水戸黄門みたいな頭巾を被っている。
この爺さんが酒井忠次だと? 大作は心の中で『北町奉行、遠山左衛門尉様、御出座ぁ~~~!』と絶叫しながら『へへぇ~~~!』と心の中で土下座した。
簡単な挨拶の後、大作たちは客間に案内してもらうことができた。ちなみに藤吉郎は草履取り、風魔党は供回りという設定で別室に通されたようだ。
大作たちの通された部屋は八畳間だが妙に広々として見える。これが京間って奴なんだろうか。畳その物が普通サイズより二周りほど大きいようだ。
「殿はすぐに参られます。こちらでお待ち下さりませ」
例の美女が深々と頭を下げると静かに襖を閉じた。その気配が遠ざかるのを待ちかねたように大作が口を開く。
「あの女の人、梅さんって呼ばれてたっけ? 結構な美人さんだったけど何であんなに太ってるんだろうな。ちょっとダイエットすれば良いのに」
「大佐ったらまた阿呆なこと言って。あれはねえ、やや子を孕んでおられるのよ」
「だけど、酒井忠次って人もなかなかやるもんだわ。六十は超えてるはずよ」
ちょっと呆れたような顔のお園が相槌を打ち、すかさず萌がそれに乗っかる。
何だかアレだなあ。大作は二人の遠慮の無い発言にイラっときた。
「それって確かに凄いなあ。山本五十六よりも上なんだもん。とは言え、三船敏郎だって六十二歳の時に子供を産んでるぞ」
「嫌ねえ、大作。三船敏郎は産んでいないと思うわよ」
「いやいや、ちょっと言い間違えただけじゃんか。マジレス禁止」
そんな阿呆な話をしていると廊下に人の気配が現れた。そして小さな咳払いと共に襖が静かに開き、先ほどの老人が姿を見せる。どうやら着物を僧侶っぽい物に着替えてきたらしい。一応、出家しているのでこれが正装ってことなんだろうか。
「大層とお待たせ致しまして申し訳ござりませぬ。相模守様、左京大夫様。酒井左衛門尉にございます。今は出家して一智を号しております」
「これはこれは遠山様。こちらこそ、いきなりのアポ無し訪問で申し訳ござりませぬ」
「とうやま? 其は如何なるお方にござりましょう?」
「いやいや、マジレス禁止にござります。それはそうと遠山…… じゃなかった、左衛門尉様。眼を患うておられるのでしょうか?」
大作はさっきから気になっていたことを聞いてみる。
それというのも酒井忠次の目にハイライトが無いからなのだ。怖! この目ってアニメやマンガだとヤンデレとか催眠状態の演出じゃなかったっけ。
「歳のせいか近ごろ目が霞むことが多くなりましてな。ぼやけたり、二重三重に見えたり、光が眩しゅうてなりませぬ」
「あぁ~、それは白内障ですな。聞くところによれば糖尿病になると白内障の進行が早いそうですぞ。食生活を改善してみては如何にござりましょう」
「しょ、しょくせいかつにござりまするか。は、はぁ…… 其はさておき、相模守様と左京大夫様が揃って上洛とは思いもよりませんでした。此度は如何なる仕儀にござりましょう?」
「うむ。実は此度、国許で大事がござってのう。是は美濃守にばかりは任せては置けんと我らが直々に関白殿に目通り願うこととなったのじゃ」
酒井忠次の疑問に対して薄ら笑いを浮かべた氏政が適当な答えではぐらかした。ナイスアシスト、氏政。大作は心の中で絶賛する。
此度の上洛は戦の準備を整えるための時間稼ぎに過ぎない。そんな本音は決して知られるわけには行かないのだ。
「然るにても先触れも無く、斯様に僅かな供回りで参られるとは。何事かと思いましたぞ」
「それも作戦のうちでございます。こういうのは中途半端にやるよりはトコトン突き抜けた方がインパクトがあると思われませぬか? とにもかくにも、北条と豊臣の和議が成れば徳川殿にも喜ばしきことにござりましょう。何卒、合力を賜りたく伏してお願い申し上げます」
「既に隠居の身の儂に出来得ることなど高が知れておりましょう。されど、御両家の為ならばこの老骨に鞭打ってご覧にいれましょう。然ても隠居の身の儂ですら、久しく錆び付いおった野心が疼いて参りますな」
そう言うと爺さんは物凄いドヤ顔で意味深な笑みを浮かべた。
『うだつのあがらねぇ平民出にやっと巡って来た幸運か、それとも破滅の罠か……』
大作は心の中で勝手に爺さんにアフレコする。それはそうと、何だか知らんけど物凄いやる気まんまんになってるみたいなんですけど。
本当は食事と寝床を頼みたいだけだなんて言ったらどんな顔するんだろう。想像した大作は吹き出しそうになったが空気を読んで我慢する。
「そ、そうですな。取り敢えず金箔を貼った十字架…… 磔柱? そんなのありますよね? アレを二本ばかりご用意して頂きとうございます」
「磔柱? そのような物、いったい何にお使いになるのでござりましょう」
「パフォーマンスにございます。はるばる小田原からやってきた北条の当主と隠居が金ぴかの磔柱を担いで京の町を練り歩く。最高のショーだと思われませぬか? ただし、普通に作ると重そうなので張りぼてで作らねばなりませぬ」
「う、うぅ~む。張りぼての磔柱にござりまするか。竹細工職人や表具師にでも頼めば宜しゅうござりましょうや? おい、お梅や。ちょいと辰五郎を呼んできておくれ。それと夕餉の支度を二十人前ばかり増やすのじゃ。それと寝床も入用じゃな」
「に、二十人にございますか! へ、へぇ……」
お梅さんはこれっぽっちも驚きを隠すつもりはないらしい。全身でオーバーリアクション気味の反応を見せると呆れた顔をしながらも黙って奥へと引っ込んで行った。
それからおよそ一時間後、首を長くして待っていた大作たちの前に夕餉が配膳されてきた。
客間には大作、お園、萌、サツキ、メイ、氏政らとホスト役の酒井忠次がずらりと雁首を揃える。
大急ぎで用意してくれたらしい夕餉は急いで作ったとは思えないほど立派な見た目だ。
これで見掛け倒しでなければ良いんだけどなあ。大作は見た目より味に重きを置くタイプなのだ。
「どうだ、お園? 楽しみにしていた京料理の感想は」
「そうねえ。京料理は薄味だって聞いていたけれど、おかげで草片、干物、豆なんかの味が良い案配に生かされてるわね。それに味だけじゃなく、見目もとっても麗しいわ。海が遠いから鮮らけしい魚は無いけれど、その代わりに大層と手間暇の掛かった見事なる料理よ。私、京の都にこられて本に嬉しいわ」
「そうかそうか。そりゃあ本当に良かったな」
明日のことはどうなるかさぱ~り分からん。だが、メインイベントのグルメ旅行さえ成功裡に終わればこっちの物だ。
大作は頭の中の聚楽第をシュレッダーに放り込むと心の中で小田原への帰り支度を始めていた。




