巻ノ拾九 峠を越えて の巻
今日も爽やかに大作は目覚めた。夢は見なかった。正確には言うと夢は見たのだろうが覚えていなかった。
お園の機嫌もすっかり直ったらしく、にこにこしながら朝食の用意をしている。
戦国時代に来て今日で一週間になるだろうか。もうどこから見てもこの時代の人間に見えるじゃないだろうかと大作は考えていた。
もちろんそう思っているのは本人だけなのだが。
「大佐。食べ物が残り少なくなってきたわ」
「駿府で托鉢しよう。お園は軽くて日持ちしそうな食べ物を買ってきてくれ。それから、つきたての餅と黄粉を頼む」
「分かったわ。駿府ってどんなところかしら。とっても楽しみだわ」
安倍川餅は受けるんだろうか? 大作は物凄いプレッシャーを感じて胃がキリキリしてきた。
街道を西に進んで行くと左の遠くに日本平が見える。街道はこのあたりから内陸に入り込む。
途中にあった河合関を素通りして二時間ほど歩くと駿府に辿り着いた。
今川氏によって京の都を模して造られた街並みはこれまで見てきた町とは明らかに違っている。
広い大通りには公家の屋敷っぽい建物がずらりと立ち並び、遠くには立派な寺や大きな塔が見えた。
人口は二万人くらいだろうか。小田原より規模は少し小さい。だが東国の京と呼ばれるだけのことはある。とても雅な雰囲気に満ち溢れていた。
「こんな見事な町を見るのは初めてよ。それにみんな綺麗な着物を着ているわね」
お園が目を丸くして驚いている。二十一世紀の京都に行ったことのある大作ですら驚くような街並みだけに無理も無い。
これが全て十八年ほど後に武田信玄の駿河攻めで焼き払われてしまうんだから勿体無い話だ。
嘘か本当か知らんけど信玄は駿府館の財宝を確保するよう家臣に命令したらしい。大作はナチスによる美術品略奪を連想した。
だが、この命令は実行されなかった。馬場信春(信房)が『そんなことしたら後世の歴史家に笑われる』的なことを言って運び出した財宝を火の中に放り込んじまったんだそうな。
大作としては文化財保護の観点から言ってこっちの方がよっぽど蛮行だと思うんだがどうなんだろうか。
信玄はそれを聞いて感心したらしい。だが、戦場における命令違反は重犯罪だぞ。大作なら絶対に『泣いて馬謖を斬る』ところだ。
武田二十四将とか言うけど、こういう我儘を許すから家臣団が増長して勝頼の代で滅んでしまうんだ。
いや、そもそも信玄にはそこまで強権政治を行える状況になかったのか。やっぱ、戦国時代を勝ち抜くためには信長みたいな独裁体制は必須なんだろう。
ちなみに家康も去年から今川氏の人質として駿府で生活しているはずだ。まあ、会うことは無いだろうけど。
家康の時代に建てられる駿府城は当然ながら存在していない。天守も城壁も無い今川館と呼ばれている建物があるだけだった。
こんなんだから一日で駿府は陥落したんだろうと大作は納得した。
もっとも、駿府の周辺には街道筋に支城や砦が多数作られているので無防備ってわけでは無いのだが。
時計を見るとまだ九時過ぎだ。街道の向こうの方には安倍川が見えている。
安倍川は江戸時代初期の大規模な治水工事で藁科川と合流されるそうだ。それまでは駿河湾には何本もの川筋が流れ込んでおり、大雨の度に氾濫していたらしい。
街道が川にぶつかる辺りで十五時に落ち合うように約束をして二人は別れた。
ここをすぎるとしばらく大都市は無いので自然と大作の托鉢にも力が入る。
托鉢スキルの向上と街の規模の大きさに助けられ過去最高の収穫が得られた。
生活に余裕があるせいなのだろうか。町の人々がとても気前が良いことにも驚かされた。
お園の方はどうだったのだろうか。大作は結果に期待しながら安倍川に向かった。
前回はお園が先に着いて待っていた。今回は待たせないよう大作は早めに川辺を目指す。ほとんどタッチの差でお園もやって来る。
「おまたせ。待った?」
「ちょっとだけな。でも、思い人を待つのも楽しいもんだな」
お園は頬を赤くしてはにかむように笑った。そして何だか興奮気味に報告する。
「てそうを見ようとしたられんずを盗られそうになったのよ!」
「危ない目には遭わなかった?」
「大声を出したら回りの人が助けてくれたわ。れんずも無事よ」
「お園が無事で良かった。今度からは一緒に行こう」
町中だからと油断していた。無事だったのは運が良かっただけだ。戦国時代の治安なんて良い訳が無い。
「そんなに心配しないで。危ないところには行かないわ。それより黄粉とお餅が手に入ったわよ」
「そいつは良かった。この川の名前は安倍川だ。今から安倍川餅を作るぞ」
「お餅と黄粉で何を作るの?」
お園が大きな目をキラキラさせている。もう食いしん坊キャラが完全に定着しちゃったなと大作は心の中で呟いた。
「作るって言っても餅に黄粉をまぶすだけなんだけどな。この組み合わせがポイントなんだ」
「たったのそれだけなの? 随分と容易いのね」
「シンプルこそ究極の洗練である! かの偉大なる芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの名言だ。今からそれを証明して見せよう」
大見得を切ったが大作は安倍川餅を作ったことなんて無い。実はそれどころか食べたことすら無かったのだ。
まあ適当で良いだろう。黄粉がこぼれると勿体無いので餅の表面にベタベタと付けて余った分は回収する。こんなのは適当にやった方が良いのだ。
「ささ。美味いから食べてみそ」
「うわぁ~ 黄粉の香ばしさとお餅の柔らかさが口の中いっぱいに広がるわ。ほのかな甘味がとっても雅ね」
お園のリアクションは相変わらずだ。満足してもらえたようなので大作は一安心した。本物の京都は荒廃しているはずなのでここの方がよっぽど見所があっただろう。やることもやったし腹もふくれた。長居は無用だ。
安倍川の川幅は五百メートル以上もあるが中州が多いし水量も少ない。何の問題も無く歩いて渡ることができた。
街道は大きく海から離れて丸子川に沿って緩やかに山道を登って行く。一時間半ほど進むと突如として坂が急になる。標高二百十メートルの宇津ノ谷峠だ。
日本武尊が東征した時はもっと海寄りの日本坂峠を通ったらしい。もちろん当時はトンネルなんて無かった。
平安時代の街道はそれより内陸寄りのこの宇津ノ谷峠の南側を迂回して通っていた。伊勢物語で在原業平も通ったこの道は江戸時代には蔦の細道と呼ばれるようになる。
明治の始めにはこの峠には日本初の有料トンネルが開通した。現代でも昭和の始めと平成に作られたトンネルを国道一号線が通っている。
Wikipediaによると明治三十三年(1900)発表の鐵道唱歌の二十一番にこんな歌詞があるそうだ。
駿州一の大都會
静岡いでゝ阿部川を
わたればこゝぞ宇津の谷の
山きりぬきし洞の道
まるで東海道本線が宇津ノ谷峠をトンネルで抜けているようだがそんな物は無い。東海道本線は海岸沿いの石部トンネルを通っている。
ちなみに作詞は大和田建樹(1910年没)だ。鐵道唱歌は三百七十四番まであるので続けて歌うと一時間半以上かかる。暇なときにお園と歌おう。
二人は名前通りの急な細道を上る。ほとんど獣道みたいな状態だ。余りにも狭くて急なので秀吉は小田原攻めの際には峠の北側に新しい道を作ったという説がある。そして江戸時代にはそっちが東海道になってしまった。
大作がスマホで事前に調べていた情報によると峠に猫石という岩があるらしい。
それっぽい岩が確かにあるのだがどこをどう見たら猫なのだろう。とりあえずお園の意見も聞いてみよう。
「これがかの有名な猫石だ。前に猫を知らないって言ってただろ。こんな動物だ」
「どっちが頭なのかしら」
「知らん!」
「やっぱり大佐にも猫に見えてないんじゃない」
「ですよね~」
まあ、観光案内はこんな物で良いだろう。この辺りは源実朝の妻が山賊に身ぐるみ剥がされたとか、人喰い鬼が出るとか怖い話がてんこ盛りだ。暗くなる前に先を急ごう。
って言うか何気にヤバくね? 薄暗くなって来たぞ。山道を甘く見ていたかも知れん。大作は本気で焦る。
だが下り坂は思ったより順調だった。一時間ほど歩くと暗くなる寸前に朝比奈川にたどり着いた。小さい川を歩いて渡って川辺にテントを張る。
夕飯は安倍川餅の残りを食べた。静岡にいるんだからお茶くらい飲みたいが残念ながらそんな贅沢品は無いので水で我慢する。
「明日は街道から離れて南に行くぞ。ちょっと寄り道したいところがあるんだ」
「何があるの?」
「着いてからのお楽しみだ。そんなには楽しくないかも知れないけどな」
「そう言われると余計に気になるわね」
今日も峠越えで体力を消耗したので二人はおしゃべりすることも無くとっとと寝りに就いた。
昨晩も大作は夢を見なかった。夢シリーズもとうとう終了なのか? 大作は少し残念な気持ちになった。
というか夢を最後まで見ると忘れてしまうって話を聞いたことがある。お園の寝相で夢が中断されると忘れずに済むんだろうか。
朝食もそこそこに二人は街道を外れて脇道を南に進む。一キロほどで葉梨川と言う小さな川を歩いて渡る。
さらに一キロほど進むと今度は瀬戸川と言う川を歩いて渡る。さっきより広いが水量が少ないので楽勝だ。
左のずっと遠くに焼津の港が見える。というかこの辺りも焼津なんだろうか。この時代にどう呼ばれているのか大作にはよく判らない。ともかく見渡す限り田植え前の田んぼが広がっている。所々に城や砦が見えた。
ちなみに焼津という地名は日本武尊が東征の途中で野盗に襲われたので葦に放火して逃げたとかいうとんでもない伝説が由来だ。『お前は放火魔かよ!』と大作は心の中で突っ込んだ。
また、この辺りでは天然ガスが噴出することがあるのでそれが燃えるからだという説もある。大作がこっちに寄り道したのも実はそれと関係があるのだ。
小川の連続で安心していたら大井川にたどり着く。この時代の大井川は現代よりずっと北を通って小川湊で駿河湾に注いでいる。上流から運んだ木材などの物流の集散港として賑わっていたらしい。
もともと大きな大井川だが河口付近ということもあって川幅は一キロくらいありそうだ。とは言え、安倍川の時と同じで実際に水が流れている部分は少ない。浅いし流れも緩やかなので問題は無さそうだ。
江戸時代には川越人足に肩車してもらわないと渡れなかったのだが、この時代にはそんな規則は無いので勝手に渡る。
二人は転ばないことだけに全神経を集中させた。濡れたら困る物は全てジップロックに入れてあるが濡れないに越したことはない。
さすがに一キロの川を渡ると精神的にも肉体的にも疲れ果てた。二人は川辺で小休止を取る。
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川とか言うけどそれほどでも無かったな」
「もし五月雨の頃だったらきっと難儀したわよ」
「そん時は中山道を通っただろうな」
「あっちはあっちで山が多くて骨折りよ」
そこからは海を目指して南に向かい、海岸沿いを四時間ほどまっすぐ進む。何本か川を越えると薩た峠のように山が迫ってくる。だが平地が幅百メートルほどあるので歩くのに苦労はしない。
半時間ほどで山が途切れて平地が広がる。地形から考えてその向こうにあるのは萩間川で間違いなさそうだ。当時は相良川と呼ばれていた。
ここからが大変だ。四百年以上も経つと平野部では川はかなり移動することがある。人為的に移動されることもある。山は簡単には動かないが麓を削られることが多い。
とりあえず海岸から一キロほど内陸に平安末期に相良荘を領した相良氏の館が建っている。だがこれは現代のどこにあったのか良く判っていないので目標物としては頼りない。
では他に何かあるのかと言うと石器時代から人が住んでいた割に見事なまでに何も無い。
田沼意次は宝暦八年(1758)に三十九歳で相良藩主として一万石の大名となった。その翌年に描かれた田沼意次領内遠望図という絵があるのだが見事なまでに何も無いのだ。
だが大作には秘策があった。般若寺という寺が文明元年(1469年)に創建されたことを調べてあったのだ。本堂は宝永四年(1707)に焼失してしまったが山門や鐘楼はオリジナルだ。おそらく本堂も現代と同じ場所に建っているのだろう。
場所は河口から一キロ半ほど西だ。
「まず般若寺という曹洞宗のお寺に行くぞ。ここから半里足らずだ」
「大佐は高野聖なんでしょ? 曹洞宗のお寺で何するの?」
「寺には用は無いよ。前を通るだけ。お園は坐禅したことある?」
「禅寺って女人禁制じゃないの?」
河口からは見えなかったが西の山に向かってしばらく歩くと寺が見えてきた。辺りには何も見当たらないのであれが般若寺で間違いないだろう。近づくとgoogleマップで見たことのある山門があった。
ここからは正確さが要求されるのでバックパックからコンパスを取り出して北を確認する。小高い山があるが道は無い。歩幅を五十センチくらいにして歩数を数えながら生い茂る木々の中をできるだけ真っ直ぐに進む。
歩きにくくて死にそうだ。大作は激しく後悔した。角度と距離を測って迂回した方が良かった。だが今から引き返すと余計に大変そうだ。
六百歩ほど歩くと山から平地に出た。さらに四百歩ほど歩くと川があった。地図とほぼ一致している。あとは西に二キロ半だ。
川に沿った平坦な土地なので見通しが効く。コンパスで真西を確認して遠くの目標物を確認する。あとは地図と地形を照合しながら進むだけだ。
最初はどうなるかと思ったけど楽勝だったな。いつもこうなら良かったのにと大作は思う。
「もうちょっとで目的地だぞ」
「どんなところかしら。心ときめくわ」
あんだけ期待するなって頼んだのに凄い期待されてる。なんだか絶対にがっかりされる未来しか予想出来ないぞと大作は思った。
二キロほどで地図の通りに川が二つに別れる。左の川に沿って五百メートル進むと目的地に着いた。何にも無い殺風景な谷間だった。
「着いたぞ。ここが相良油田だ」
「ただの谷間みたいだけど何があるの?」
「ここを五十間ほど掘ると油が出るんだ」
「ふぅ~ん。五十間も掘るって難儀なことね。そんなに深い穴を掘るより荏胡麻でも絞った方が早いんじゃないの?」
予想してたけど反応薄! 大作はかなりがっかりした。とは言え、無理も無い。
四百年後には石油を巡って人が殺し合うなんて想像すら出来ないだろう。
相良油田は日本で唯一の太平洋岸にある産油地だ。
世界的にも希な軽質油なので精製せずに内燃機関が動かせるらしい。youtubeで動画を見たことあるから本当なんだろう。
ナニ○レ珍百景にも登録されているくらい珍しい油田なのだ。
相良油田資料館の展示資料にはガソリン34% 灯油34% 軽油22.5% 重油9.5%って書いてあった。
明治五年(1872)元徳川藩士の村上正局が海老江の谷間で油臭い水が出ると聞き発見したらしい。
よくもまあ百メートルも掘ってみる気になった物だ。
大作は戦国○衛隊で臭水の話を読んだ時、すぐにガソリンを精製する方法を調べた。その時に関連情報を調べていて相良油田を知ったのだ。
それはそうと、もしかすると半○良は相良油田を知ってたけど使わなかったのだろうか。戦車やヘリが燃料を気にせずに使えたら無敵すぎる。
「荏胡麻油は芯を浸してやらないと火が着かないだろ。動植物油類の引火点は摂氏三百度くらいだから簡単に燃えない。でも、ここの油は軽質油だから凄く良く燃えるんだ」
「ふぅ~ん」
全然と言って良いほどお園の興味は惹けなかったようだ。
火計なんて三国志の時代からあるけど揮発油が無いと火事なんて簡単には起こせない。
こいつで火炎瓶を作ってマンゴネルかトレビュシェットで投げ込めば小さな城なら瞬殺だろう。油火災は水では消せないのだ。
とは言え、人力で百メートルの穴を掘って揮発油を汲みだすなんて大変な作業だな。作業中の事故で死人も出たらしい。
まあ、俺がやるんじゃないからどうでも良いか。大作は考えるのを止めた。
大作は周辺の地形をスマホのカメラで何枚か撮影すると宣言する。
「見るべき程の事をば見つ。今はただ先へ進まん」
「もう行くの?」
「何の道具も無いのに五十間も掘れないよ。今日は場所の確認だけだ」
「でも地面の下に油があるなんて不可思議なことね」
お園が当然の疑問を口にする。石油がどうやって作られるのかは知っているがお園に説明するのはかなりの難題だ。適当に誤魔化そう。
「井戸だって掘ったら水が出てくるだろ。同じだよ」
「油が出る井戸なんて聞いたこと無いわよ」
「越後では昔から臭水っていう油が出るらしいぞ。天智天皇に献上されたって話だ」
「ふぅ~ん」
追求が終わったので大作は一安心した。
時計を見ると昼過ぎだ。こんな何にも無いところで野宿は御免だ。行けるところまで行こう。二人は西に向かって歩き出した。




