巻ノ百八拾七 トム・ソーヤによろしく の巻
北条氏直の自室らしき座敷に大作、お園、サツキ、メイ、ほのか、未唯、萌が集っていた。
明日の夜明けにはこのメンバーで京の都へ船で向かう予定だ。それに加えて北条氏政や相州乱破の護衛も十名ほど同行することになる。
それまでに決めて置かなければならないことも一杯あるんじゃね? 大作は昨日からの記憶を反芻しようと頭を捻る。
「えぇ~っと。京の都に上る前に……」
「ちょっと待って、大佐。それより先に教えてくれないかしら。未唯はどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったの? それに、此処はいったい何処なのよ。大佐は知っているんでしょう?」
「私めも知りたいわ。どうして? ねえ、どうしてなの?」
未唯の言葉に乗っかるように、本家どちて坊やが目をギラギラと光らせながら詰め寄ってくる。
その迫力たるや、年齢や外見も相まってアニメのどちて坊やに勝るとも劣らない勢いだ。
「どうどう、落ち着いて。こいつは蟲の仕業ですな…… スカッドという名の」
「虫ですって! それってどんな虫なの? 刺したりしないのかしら。私、怖いわ」
「マジレス禁止。ぶっちゃけ俺にも詳しいことは良く分からんのだ。はっきりしているのは、ここが西暦1589年の小田原だってことくらいかな。そして、来年にも予想される豊臣の侵攻を撃退すれば恐らくはミッションクリアーとなる。そうなればたぶん、元の世界に戻れるんじゃね? って言うか、戻れたら良いなあ。まあ、俺は別にこのままでも良いんだけどさ」
山ヶ野スタートで九州全土を制圧しようと思ったら十年くらい掛かるかも知れん。だが、今の北条ならそれに匹敵する石高があるはずだ。って言うか、あったら良いなあ。
それに、この時代だったら邪魔な宗教勢力や細々した国人勢力も粗方は片付いているんじゃなかろうか。だったら豊臣を粉砕するだけで天下統一に王手が掛けられる。
しかし、そんな大作の気を知らない面々は口々に好き勝手なことを話し出す。
「未唯は愛姉さまや舞姉さまに会いたいわ。でも、こっちにはいないんでしょう? どうしているのかなあ、二人とも」
「私はどっちでも良いわよ。大佐が大佐なんだったら大佐に服うわ」
「私も大佐の思し召しに従わせて頂きます」
「私めは帰りたいかも知れないわ。何だって私めはこんなに小さいのかしら……」
ほのかが心底から悔しそうに唇を噛み締める。万姫とやらに憑依しているらしいのだが、その姿は何処からどう見ても四歳児にしか見えない。
何せ未唯が憑依している千姫よりさらに一回り小さいんだから嫌にもなるだろう。元があの巨乳だっただけに落差が大きすぎる。
だが、お園にはそんな気持ちは一欠片も届いていないらしい。完全に他人事といった顔で気楽に相槌を打つ。
「私はここの暮らしに何一つ不足は無いわ。だって、御飯がとっても美味しいんですもの。それに、今生でも大佐と夫婦になれたのよ。こんなに嬉しいことはないわね」
「さっきから気になってたんだけど、大作。その、お園って娘と夫婦ってどういうことかしら。あんた、私と結婚するって約束したはずよね?」
「「え、えぇ~~~っ!」」
あまりにも唐突な萌の爆弾発言に女性陣が一斉に悲鳴を上げる。それと同時に全員の視線が一点に集中した。
大作はバクバクの心臓を必死に宥めすかしながらポーカーフェイスを作る。そして精一杯の平静さを装って答えた。
「いやいや、それって俺と萌が幼稚園だった頃の話だよな? あんなの『大きくなったらお父さんと結婚する』みたいな物じゃん。少なくとも法的拘束力は無いと思うんだけどなあ。って言うか、結婚する時間と場所の指定まではしていなかったんじゃね? つまり、十年後、二十年後ということも……」
「だけど、大佐は萌と夫婦になるって言い交わしたのよね?」
お園が機械の合成音声みたいに感情の籠らない声で呟いた。
氷のように冷たい視線に見詰められた大作は蛇に睨まれた蛙のように固まることしかできない。
一方、意地の悪そうな半笑いを浮かべた萌は更なる追求を続ける。
「幼稚園の婚約が無効かどうかなんて判例は無いんじゃないかしらね。だけど、あんたはついこの前にも結婚しようって言ったわ。ルテニウムを持ってこいって話をした時よ。別れ際にキスだってしたじゃない」
「きすって口吸いのことでしょう? 萌も大佐と口吸いしたことがあるのね。もしかして、大佐と口吸いしたことがないのって未唯だけなのかしら」
唇を蛸みたいに尖らせた未唯が不満そうに呟く。だが、今はこいつの相手をしているどころの場合じゃない。大作は未唯の熱い視線を華麗にスルーしてお園の顔色を伺う。
その表情は不満気に見えなくもない。だが、怒りを露にするところまでは行っていないようだ。勿論、泣いてもいない。ってことは、まだ危険度はそれほど高くないんだろうか。
大作はほっと安堵の胸を撫で下ろすと同時に打開策を求めて頭をフル回転させる。とにもかくにも、まずは話題反らしだ。
「よ、要するにこれってトム・ソーヤで言うところのベッキーと婚約したエピソードみたいなもんだよな? トムの場合は直後にエミー・ローレンスとも婚約してたってことをうっかり話しちゃってベッキーが激怒したんだっけ。アレってそれからどうなったんだ?」
「ハックやベンと一緒に筏でジャクソン島に行ったんじゃなかったかしら。それで、町の人たちは三人が死んだと思ってお葬式を挙げるのよ。そしたらそこに三人がひょっこり帰ってくるわけ。婚約のことは有耶無耶になったんじゃないの?」
「いやいや、だんだん思い出してきたぞ。その後もちょっと拗れたんだっけ。ベッキーは仲直りしようとしてたんだけどトムがエミーと仲良さそうにしてるのを見て焼き餅を焼く。ところがベッキーが不注意でドビンズ先生の医学書を破っちゃう。そんでトムが身代わりになって鞭でお尻を叩かれる。ベッキーがトムに惚れ直す。めでたし、めでたし。どうでも良いけどハックってジムシィとくりそつ(死語)だよな。レプカとムスカみたいに血縁でもあるのかな?」
「しょうがないわよ。中の人が同じなんだもの。そんなことより私との婚約はどうするつもりなのかしら」
大作が無い知恵を絞った取って置きの無駄蘊蓄は華麗にスルーされてしまった。
お園はお園で相変わらず能面みたいな顔で黙り込んでいる。
これはもう、ギブアップか? ギブアップするしかないんだろうか? いや、まだだ。まだ終わらんよ! 大作の脳のリミッターを解除した。
「だったらトムに肖ろう。俺たち一行は船で上洛するだろ。タイミングを合わせて俺たちが秀吉に殺されたって噂を広めるんだ。すると小田原で盛大な葬儀が開かれる。そこへ俺たちがひょっこり帰ってくるんだ。最高のショーだと思わんかね?」
「そ、そうかも知れないわね。って言うか、ちょっとでもマトモな答えを期待してた私の方が馬鹿みたいだわ。それに、考えてみれば今のあんたは北条氏直なんだもの。でも、元の世界に帰って生須賀大作に戻ったら結婚してもらうんだからね。約束よ」
そう言うと萌は驚くほどあっさりと引き下がった。もしかして場を和ませようと彼女なりに気を使ってくれていたんだろうか。
こいつ、意外と良いところがあるんだよなあ。大作は柄にもなくちょっとだけ感動する。
「んで、随分と脱線したけどそろそろ話を戻して良いかなあ? 豊臣との大戦まで、たったの五カ月しかないんだ。でも、どんなに急いだって京に行って帰ってくるのに半月は掛かるだろ? その間にもやれることを進めておかなきゃならん。何をやったら良いと思う。忌憚のない意見を聞かせてくれるかな~? いいとも~!」
「きたんって何?」
「気になるのはそこかよ~! 小さくなってもほのかはほのかだな」
「褒めたって何にも出ないわよ」
別に褒めてなんかいないんだけどなあ。そんなことを考えながら大作はタカラ○ミーのせ○せいに『忌憚』と書いてみんなに見せる。
「忌憚という字はこう書くぞ。その意味は分かるな?」
「忌み憚るなってことね。だったら私はリュートかヴィオラ・ダ・ブラッチョを早く弾いてみたいわ」
「私は美味しい御飯をお腹一杯食べられるだけで飽き足るわ」
「未唯は愛姉さまや舞姉さまに会いたいわ。それと、できたらもうちょっと大きくなりたいんだけれどなあ」
「私は…… 私は取り立てて欲しい物はないわねえ」
ほのか、お園、未唯、メイが次々と好き勝手なことを言い始める。って言うか、趣旨が変わってるんじゃね?
別に欲しい物のリクエスト大会じゃないんだけどなあ。大作は何だかもうすっかりやる気が失せてきた。
だけど、このままグダグダやっていたら八か月後には小田原城開城だ。そんで政直は高野山に送られて翌年には疱瘡で死んじまう。
面倒臭いけど給料分くらいは働かねば。まあ、給料なんて貰っていないんだけど。大作は自分で自分に突っ込んだ。
「えぇ~っと…… ありがとう、みんなの考えは良く分かったよ。そんじゃあ今度は俺のアイディアを聞いてくれるかな? 俺たちにはあまり時間がない。具体的に言えば来年の三月ニ十九日には山中城が落城する。あと、たったの五か月しか残されていないんだ。ヒトラー総統は六週間で実戦配備可能な兵器の研究しか認めなかったそうな。だから原爆開発もシュペーアに中止させたんだとか。我々も似たような状況に置かれているんだ」
「ねえ、大作。山中城よりも先に梶原景宗が率いる伊豆水軍が大敗北しているはずよ。正確な日付は分からないけど二月下旬くらいだと思うわ。三月上旬には高谷城、丸山城、安良里城、田子城なんかが次々と落とされているし。そっちはどうするつもりなのかしら」
萌が純粋な好奇心といった顔で疑問を口にした。だが、完全に不意を突かれた大作は答えに窮する。だってWikipediaの小田原征伐の項目にはそんな話は書いていないんだもん。
とは言え、萌が嘘を言っているとも思えん。きっと本当のことなんだろう。
どうする? どうやって誤魔化す? 知らなかったって正直に言うのは格好悪いなあ。だからと言って上手い嘘も思いつかないし。大作は考えるのを止めた。
「その辺りに関してはあんまり史実を弄らない方が良いんじゃないのかなあ? あっさり初戦で豊臣方の水軍を撃破しちまったら小田原征伐その物が頓挫しちゃいそうだろ? 小谷先生も言ってたけど二十万もの兵站を長期に渡って維持するなんて海上輸送が無きゃ不可能だ。二百年後のナポレオンにすらできなかったんだからな。だからと言って北条水軍を全滅されるのも真っ平だけどさ」
「ふぅ~ん。それで、もうちょっと具体的なプランはないのかしら? 言っとくけど、高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処するとか言わないでよ」
先回りしてボケを封じるのは止めてくれないかなあ。大作は心の中で呟くが決して顔には出さない。
悔し紛れに意味深な笑みを浮かべると、全員の顔をゆっくりと見回した。
「史実では豊臣の水軍は山中城落城の翌日、四月一日に下田城を海上包囲したらしい。清水康英が率いる城兵は僅か六百だったそうな。やるとしたらこのタイミングだな。二月下旬の海戦では大損害を偽装しつつ戦力の温存を謀る。旧暦の一日なら月は出ていない。そこで忍びを使った大規模な放火を敢行する。それと呼応して城兵と水軍による二点同時加重の奇襲攻撃だ」
「山中城をわざと突破させ、箱根山中の奥深くまで引き摺り込むってわけね。そして進退極まったところで補給を絶つと。さながらガダルカナルの第三十八師団やスターリングラードのドイツ第三軍だわ。でも、箱根の山くらいだと逃げ帰られちゃうんじゃないかしら」
萌が分かったような分からんような顔をしながら相槌を打つ。って言うか、これって今ここで決めるような話なんだろうか?
大作は何とか話を軌道修正しようと無い知恵を絞って言葉を選ぶ。
「仮に我々の総兵力を八万だとしよう。北関東や房総の敵は雑魚も良いところだ。一万もあれば対処可能だろう。北国勢の敵兵力は三万五千程度のはず。碓氷関所の辺りに真田丸みたいな防御陣地を構築して一万ほどの兵で侵入を阻止する。足柄城は思いきって放棄しよう。ただし、足柄街道の出口に同様の防御陣地を作って小田原への侵入は阻止する。キーポイントの山中城では敵に大損害を与えつつ計画的に撤退だ。箱根山中で敵戦力を漸減させつつ早雲寺まで引き摺り込む。ただし、早川のこちら側に防衛線を引いて渡河は阻止する」
「別にそこまで引き込まなくても早雲寺辺りの谷間で迎撃すれば良いんじゃないの? 海上補給の可能性を完全に潰せるわよ」
「いやいや、それだと石垣山一夜城を作らせられないじゃん。史実だとアレの完成によって北条の士気が崩壊する。だけど俺たちはアレが完成するのをわざわざ待つ。そして完成と同時に射程三キロのコングリーヴ・ロケットの一斉攻撃で焼き払う。最後の仕上げに韮山城に籠城させておいた四万ほどの兵で沼津を火の海にしてから箱根街道を西から封鎖する」
「何倍もの敵を食い止めたり城や町を燃やすなんて気軽に言うわね。そんなに上手く行くのかしら」
あまりにも楽観的な大作のプランに呆れた顔のお園が相槌を打つ。
他の面々も揃って半信半疑といった顔で首を傾げた。
「まあ、俺だって何でもかんでも計画通りに行くなんて思っちゃいないよ。だけど、計画っていうのはミッドウェイ作戦みたいにガチガチに立てちゃダメなんだ。基本方針は次の二つ。敵に最大限の出血を強いながら奥深くまで引き摺り込む。そして、一旦は敵に制海権を渡すが適当なタイミングで取り返す。どっちか一方でも達成できれば辛勝。両方達成できれば完全勝利だな」
「ふ、ふぅ~ん。良かったわね」
「んで、そのために作らなきゃならん物がいくつかある。まずは北条が装備している火縄銃の銃身にライフリングを施す」
自信満々といった顔で大作はアイディアを披露した。だが、萌は僅かな言葉尻を見逃さずに食らい付いてくる。
「ライフリングって本来の意味では銃身内に溝を掘ることよね。ライフリングを施すって馬から落馬するみたいで変じゃない?」
「気になるのはそこかよ~! 現代では溝その物をライフリングって呼ぶことも多いんだから別に良いじゃんか。とにもかくにも、こいつとミニエー弾さえあれば第二次長州征伐みたいな一方的勝利も夢じゃない。なんたって有効射程が三百メートルもあるんだからな」
「あんたねえ…… いくら何でもそれは物事を甘く考え過ぎよ。仮に三百メートル先のコインを撃ち抜ける精度があったとしても実戦で人に当てるのは難しいわ」
「そうは言ってもWikipediaに書いてあるんだけどなあ…… もしかして発射までのタイムラグで的が動くことを気にしてるのか? でも、敵は向こうからこっちに動くだけだからそんなに影響無いと思うぞ。それとも発砲煙で視界が遮られるとか? まさか、殺人に対する忌避感情とか言わないよな? それだって近代的な心理学とかオペラント条件付けとかを応用した超リアルな訓練で大幅に改善できるんじゃね?」
しどろもどろになりながらも大作は何とか必死に反論する。だが、言っていて今一つ説得力に欠けていることが自分でも実感できた。
と思いきや、それまで黙って話を聞いていたお園が横から口を挟んでくる。
「ねえ、大佐。萌が言ってるのはそんなことじゃないと思うわよ。三町も先の的を撃てば弾が届くのに時が掛かるでしょう? だとすると的より随分と上を狙わなくちゃならないわね」
「それはそうだよな。エンフィールド銃の場合でも初速は秒速二百七十六メートルって書いてある。三百メートル先まで一秒以上は掛かるな。ってことは的の六メートルくらい上を狙わなきゃならん。でも、それって六メートル上を狙えば済む話だろ?」
「ぴったり三百メートルだって分かっていればね。でもそれが三百三十メートルだったり二百七十メートルだったら的から上下に六十センチくらい外れるってことよ」
「そ、そう言えばそうか…… う、うぅ~ん。残念! ミニエー銃って思っていたほど役に立たないんだな」
ついさっきまでの楽観的な予想がガラガラと音を立てて崩れて行く。大作は目の前が真っ暗になった気持ちだ。
萌はと言えば、顰めっ面で腕組みをしている。取り敢えずは計画を抜本的に建て直さなければ。だがその瞬間、突如として萌が大爆笑した。
こいつとうとう緊張で頭が可笑しくなったのか? 予想外の展開に大作は思わず肝を冷やす。だが、萌は急に真顔に戻ると口を開いた。
「まあ、二百メートルくらいなら普通に当たると思うけどね。それに、陣地戦ならばあらかじめ距離を計っておけば済む話よ」
「えぇ~っ! そんな簡単な解決策があったとは…… そう言えば、『キングダム・オブ・ヘブン』とか『荒野の七人・真昼の決闘』なんかでも目印に岩を置いたり棒を立てたりしてたっけ」
「考えてみると『荒野の七人・真昼の決闘』って凄いタイトルよね。超有名な二本の映画のタイトルをそのままくっ付けるだなんてB級映画の香りがプンプンするわ。それはそうとライフリングの件に話を戻すけど、結局は時間とか費用対効果なんじゃないの? 北条に何丁の鉄砲があるのか知らないけど五ヶ月で何とかなるのかしら」
「う、うぅ~ん。言われてみればそうだな。おい、ナントカ丸。北条に鉄砲は何丁くらいあるんだ?」
「いや、あの、その……」
急に話を振られた幼い小姓が話に付いてこられず目を白黒させる。
まあ、大作としても即答なんてこれっぽっちも期待していなかったのだが。
「ちなみにヒトラー総統は細かな統計数字なんかを丸暗記するのが得意だったそうだな。そんで会議の席でさも当然のようにすらすら挙げて相手を圧倒するんだとさ。まあ、細かい数字は軍役帳とか調べれば分かるだろう。とある資料で北条の鉄砲装備率は十パーセント以上って読んだことがある。軍役帳の動員兵力が八万とすれば八千丁くらいか? 専門の鉄砲隊だってあったはずだしな」
「天正十三年(1585)に秀吉が十万の兵で根来を攻めた時には七千丁の鉄砲があったって読んだことあるわ。それより四年も経ってるんだからそんなものかも知れないわね。そうじゃないかも知れないけど。それで?」
「ホイットワースがブローチ盤を作ったのは十九世紀前半のことだ。でも、原理自体は超簡単さ。それにほれ、タップとダイスならここに予備がある。まずは長ネジを作る。それからスライドレスト付きの旋盤だ。例えば最初の一月でライフリングマシンを十台作る。一台で一日に十丁の加工ができれば八十日で完了じゃね? ね? ね? ね?」
大作は挫けそうな心に渇を…… じゃなかった、活を入れるかのように必死に力説した。
だが、萌はそれを軽く往なすように論点を反らす。
「でも、大半の鉄砲は地侍の私物でしょ? 素直に協力して貰えるのかしら。それにミニエー弾を使えば最大腔圧が増すわよ。銃身が持たないかも知れないわ。しかも口径は銃ごとにバラバラも良いところじゃない。それに弾丸はどうするつもり? いまある物は全部作り直しになるわよ」
「一丁当たり三百発として八千丁で二百四十万発だな。仮に百日で作ろうと思ったら…… 一日当たり二万四千発だと! マジかよ……」
「さっきも言ったけど口径はバラバラね。精度の高い玉鋳型がいくつくらい必要になるのかしら。見当も付かないわ。それと、火縄銃の銃身ってどんな風に熱処理されてるのかしら。後からライフリングなんて彫れる物なの?」
「うぅ~ん……」
萌、恐ろしい娘! まさかこいつがジャガイモ警察みたいなことを言い出すとは予想もしていなかったぞ。
大作は頭を抱え込むと小さく唸り声を上げた。




