巻ノ百八拾六 塗れ!白粉を の巻
大作は小田原城の本丸御殿の庭先で風間小太郎だか小次郎だかと差し向かいで座っていた。
偉そうな爺さんの言った通り、相州乱破の頭領は獣臭かった。冗談抜きで本当に超臭い。あまりの臭さで鼻が曲がりそうだ。
まさかとは思うけど狼に育てられたとかいったパターンか? 大作の脳裏にそんな疑問が浮かんでは消えて行く。
そんな阿呆な妄想を一息で吹っ飛ばすように爺さんが急に声を張り上げた。
「風間よ、いったい今日は如何致したのじゃ? 御本城様が呆れておられるぞ」
その口調は何だか茶化しているように聞こえなくもない。
「へ、へぇ。田畑を荒らす猪を罠で捕らえました故、血を抜いて皮を剥いでおりました。そこへ宝珠丸殿が参られて御本城様より火急のお召しとのこと。取る物も取り敢えずに駆け付けた次第にございます。ご無礼の段、平にお許し下さりませ」
大男の返事も何だか少しおどけた調子だ。その、鬼みたいな顔はよく見てみれば笑っているように見えなくもない。
もしかして危機は去ったんだろうか? まるで腫れ物に触るかのように大作は気を使って話し掛ける。
「さ、左様にござりましたか。されど、余りにも臭うござりますぞ。ちと体を洗うてきてはもらえませぬか? 直ぐに着替えも支度させましょう」
「これは有り難き幸せにござりまする」
大作はナントカ丸にアイコンタクトを取ると軽く頷いた。
幼い小姓の顔には『えぇ~、俺にそんな雑用を押し付けるのかよ~!』と書いてあるかのようだ。
「何もお前が全部やれとは言ってないぞ。人を使ってお前は指示だけすれば良いんだ。頼んだぞ」
「御意。出羽守様、こちらへ」
ナントカが鼻を摘まみながら風間小太郎だか小次郎だかをドナド○して行く。大作はそれを見送りながら心の中で物悲しいBGMを再生した。
それはそうと、ダイソーで買った銀マットにまで変な臭いが染み付いているような気がしてならない。表面を軽く水で洗ってから日陰で風干しでもして置こう。
って言うか、何だか知らんけど部屋の中に戻っても嗅覚が治らないんですけど。思ったよりダメージは深刻なのかも知れないな。
御本城様の定位置らしき畳の上に座るとすぐ脇に香炉らしき物が置かれているのが目に入る。
だとするとお香もあるんじゃね? 小物入れみたいな箱の中を引っ掻き回すとそれっぽい欠片が入っていた。
「なあ、お園。これってお香だよな。一回にどれくらい焚けば良いんだ?」
「その細いのを二、三本で良いわよ。それより先に炭をおこさなくちゃいけないわね。私がやるわ」
そう言うと、お園は袂からBICライターを取り出して炭に火を点けた。そして火箸で炭を摘まむと手で扇いで風を送る。
謎の老人は興味津々といった顔でそれを見ているが空気を読んで口を挟んでこない。
「んで、それからどうすんだ?」
「炭をおこすのにもうちょっと時が掛かるわ。三分くらい待って頂戴な」
「さんぷんと申されましたか? 其は如何なる物にござりましょう?」
お園の言葉尻を捕らえるように爺さんが首を傾げながら話に割って入る。
気になるのはそこなんだ~! BICライターを見て見ぬふりした奴が三分はスルーしないとは。この爺さん、恐ろしい爺さん!
「さ、三分というのはアレですな。一分の三倍? ちなみに一分っていうのは一秒の六十倍ですぞ。ってことは三分は一秒の百八十倍ですな」
って言うか、この爺さんは結局のところ誰なんだろう? それを聞く前にナントカ丸を使いに出したのは失敗だったぞ。激しく後悔するが後の祭りだ。
こうなっては完全記憶能力者を頼るしかない。大作は声を落として囁き掛ける。
「なあ、お園。この人っていったい誰だろうな?」
「さっきナントカ丸は上野介様と風間出羽守をお呼びするって言ってたわ。臭かったのが出羽守様なんだからこっちはきっと上野介様よ」
「それって忠臣蔵の? いやいや、ここ笑うとこですよ」
「もぉ~う、あんたは相変わらずね。北条で上野介って言えば下田城主の清水康英でしょうに」
ちょっと馬鹿にしたような目付きの萌がすかさずフォローを入れた。その手は何やら情報を表示したスマホをこちらに差し出そうとしている。
大作は目線と手振りで謝意を示しながらそれを受け取った。そして素早く目を通しながら爺さんに向き直る。
「さて、吉良様…… じゃなかった、上野介様。大変お待たせ致しましたな」
「いやいや、御本城様。上野介様はお止め下され。して、本日は如何なる用向きにござりましょう?」
「それはその、何でしたかな? ちょっとだけ待って頂けますか。えぇ~っと…… 康英の康は北条氏康の偏諱ですと! これは凄いですな。そんで伊豆二十九人衆の筆頭にして評定衆の一員、伊豆水軍を率いておられるのですな。北条が滅びた…… いやいや、滅びてはおりませぬか。例のアレの後、清水家は沼津宿で本陣を経営しながら名主や年寄を務めたと。明治時代には沼津郵便電信局を営んだって書いてあるから特定郵便局長でもやってたんでしょうか? だったら郵政民営化までは左団扇ですな。ところでこの、奥さんが人間離れした怪力の持ち主だっていうのは本当の話ですか?」
大作はスマホに入っていた情報を適当に拾い読みする。だが、役に立つような情報がこれっぽっちも無いんですけど。って言うか、この萌のスマホって……
「iPh○ne Xじゃんかよ! 見てみろ、お園! 『お園よ! これがiPh○neのXだ』って感じだな。いや~あ、萌ってiPh○ne派だったんだな。知らなかったよ」
「別に私はどっち派でもないわよ。タブレットはandr○idを使ってるし。こんな物、所詮は使い捨ての道具じゃない」
萌が薄ら笑いを浮かべながら答える。十万円以上もする物を使い捨てとは。萌、恐ろしい娘! 大作の胸中に嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる…… かと思いきや、そのまま鎮火してしまった。なぜならば、大作は生粋のandr○id派なのだ。
「えぇ~~~っ! 大佐はこれがiPh○neだって言うの? だけど、スタートボタン…… じゃなかった、ホームボタンが無いわよ?」
「ホームボタンが無くったっていいじゃないか、iPh○ne Xだもの! でも、ノッチはともかく角が丸いのは何とかならんかったのかなあ。まあ、最近はandr○idもそんなんばっかりだけどさ。だけど俺は写真とかは隅っこまでちゃんと表示して欲しいんだよなあ。そう言えば……」
「御本城様、あいほんとは如何なる物にございましょう?」
今度も爺さんが変なところに食らい付く。って言うか、またもやその話かよ~! 大作は心の中で絶叫する。
そもそも繰り返しがギャグの基本っていうのは同じ相手に使う場合じゃないのか? 違う相手に同じネタを再利用するっていうのは何だかマナー違反みたいな気がしてならない。
よし、このネタはもう封印だ。大作は素早く決断すると爺さんに向き直る。
「吉良殿…… じゃなかった、上野介殿。話を戻して宜しゅうございますかな? 僕には時間が無いのです。無駄蘊蓄ならば日を改めて致しましょう。今は拙僧の話を黙って聞いて下さりませぬか?」
「御意」
怖いくらい真剣な顔をした爺さんが深々と頷く。こいつもきっと本心では早く本題に入りたかったんだろう。
大作はiPh○ne Xを萌に返すと勿体ぶった仕草で居住まいを正す。
「実は猪俣能登守とかいう輩が名胡桃城を奪ったとの知らせが先ほど届きましてな。此処を以て拙僧と父上は揃って頭を丸め、上洛して豊臣に心中…… じゃなかった、臣従を誓うことと相成りました。そこで吉良殿に……」
「な、なんと申されました! 御本城様と御隠居様が頭を丸めるですと! ほ、北条は如何、相成りましょうや!?」
大袈裟にのけ反りながら爺さんが素っ頓狂な声を上げた。なかなか良いリアクションだ。大作はちょっと嬉しくなる。だけど、誤解は早めに解いておかねば。
「No problem! 臣従などと申しましたが是は真っ赤な嘘。独ソ不可侵条約なみに破る気満々の嘘約束にございます。そこで吉良殿…… じゃなかった、上野介殿には船を仕立てて頂きたい」
「船ですと? 是は異なことを承る。冬の荒れた海を船で上洛すると申されまするか? 命が幾つあっても足りませぬぞ」
爺さんの表情が呆れ果てたといった風に変わる。と同時に大きなため息をついた。
とは言え、これはもう決定事項なのだ。ちんたら京まで歩いて行くなんて真っ平御免の助。海難事故なんぞにビビッてられん。
「チャーチルは申された。『私は行動することを恐れない。恐れるのは行動しないことだ』とか何とか。脳科学者の中野さんも申されておられましたぞ。人間というものは何かをやって後悔するより、やらなかった後悔の方が後々まで尾を引くんだそうな。とにもかくにも、これは私の機関の仕事です。吉良…… 上野介殿は船を必要な時に動かして下されば良い。もちろん、私が政府の密命を受けていることもお忘れなく」
「左様にござりまするか。まあ、そこまでのお覚悟がおありなら何も申しますまい。儂が小田原まで乗って参った船がござります。まずは是で下田まで参り、其処で大船にお乗り換え下さりませ」
「申し訳ありませぬがその大船とやら、同じような船を二隻用意して頂けますかな? エアフォースワンはトラブルに備えて常に二機で対となって運用されておるそうな。我々もそれに乗っかりましょう。お願い致します、吉良殿」
「いや、あの、その…… もう、吉良で結構。と申し上げとうございますが蒔田殿と紛らわしゅうございますな。それはさておき、えあふぉ~すわんとは如何なる物にござりましょう?」
き、気になるのはそこかよ~! これはもう、第二のどちて坊や誕生の瞬間に立ち会ってしまったのかも知れん。大作は前途多難な船旅の予感を犇々と感じていた。
「ほほ~う。では、御本城様はミヒャエル・エンデとウォルフガング・ペーターゼンのどちらも悪うはなかったと申されまするか?」
「左様、ペーターゼンを監督に押したのも、ラストシーンを原作と真逆にしたのも、みんなワーナー・ブラザースの差し金。ちなみに、あの有名なエンディングテーマもワーナー・ブラザースの意向にございますぞ。まあ、名曲ではあるんですがな」
座敷に集った一同は風間小太郎だか小次郎だかの帰りを待つ間、ウォルフガング・ペーターゼン監督の映画について語らっていた。いたのだが…… ネタがもう無いんですけど~!
助けを求めるようにお園や萌に視線を送ってみる。だが、返ってきたのは小馬鹿にしたような半笑いだった。
これはもう駄目かも分からんな。大作は新しい話題を探して頭をフル回転させる。だが、その瞬間に背後から不意に声が掛かった。
「御本城様、遅うなりまして申し訳ござりませぬ。風魔一党が頭目、風間出羽守。お召しにより参上仕りました」
振り返るとさっきの大男が廊下で平伏している。ちゃんと着物も着替えてきたらしい。って言うか、つんつるてんだぞ。もしかして丈が足りてないんじゃね? そう言えばこの男は身の丈七尺二寸なんだっけ。ってことは二メートル十六センチじゃんかよ! 化け物かよ……
まあ、そんなことはどうでも良いか。大作は座卓にもたれ掛かると風間小太郎だか小次郎だかの目を見つめた。
「よう参られた。苦しゅうない、近う寄れ。って言うか、近くば寄って目にも見よ」
「ははぁ~ して、本日は如何なるご用にござりましょう。何なりとお申し付け下さりませ」
「うむ。話せば長うなる故、手短に話すと致しましょう。先ほど沼田城代の猪俣能登守という男が名胡桃城を奪ったとの知らせが届きました。このままでは北条は惣無事令に背いた咎で滅ぼされ兼ねません。そこで拙僧と父上は揃って頭を丸めて上洛することと相、成りました」
「して、某は何を致せば宜しゅうございましょう?」
鬼のような大男は顔色一つ変えようとしない。さすがはプロの忍者。Need to knowを貫く気のようだ。って言うか、完璧なセルフコントロールができているんだろう。大作は柄にもなく感心する。
いやいや、本当にそうなんだろうか。もしかして他者への共感能力が欠如しているだけなんじゃね? いくら急な呼び出しだからって、異臭を振り撒きながらお殿様の前に現れるものだろうか。デリカシーが欠けてるなんてレベルじゃないぞ!
まあ、スパイなんて仕事はサイコパスじゃないと務まらん物なのかも知らんけど。大作は考えるのを止めた。
「まずは中高年の男性の首を一つ急いで用意して頂きたい。名胡桃事件の下手人である中山九郎兵衛の首という体で関白に差し出します」
「御意。人相風体は如何様に致しましょう?」
「どうせDNA鑑定できるわけじゃなし、適当で結構。ただし、髪型だけは侍っぽくお願いいたします」
相州乱破の頭領は平然とした顔で軽く頷く。生首を一つ用意しろなんて無茶なオーダーに対するリアクションとしては軽すぎんじゃね? って言うか、大作は急にこのおっさんが驚く顔が見たくて堪らなくなってきた。
「それから…… 上洛チームの護衛部隊を編成して下さりませ。腕が立つ者が十名ばかり入り用となります」
「御本城様と御隠居様の上洛に供回りが僅か十人と申されまするか? 斯様に少なき人数では、いと心苦しゅうござりますが……」
さっきまで顔色一つ変えなかった大男の瞳にようやく不安気な色が浮かんでいるような、いないような。
もしかして勝った! のか? 取り敢えず負けてはいない筈だ。大作の胸中にささやかな満足感が満ち溢れる。
「此度の上洛は時間との闘いにござります。少数精鋭のスピード重視で参りましょう。タイムリミットは十一月三日。走れメロスになったつもりでお願い致します」
「十一月三日と申さば十日足らずでござりますぞ。そも、十一月三日に何が起こるのでありましょうか?」
「知らんがな~! 松平家忠の日記にそう書いてあるんだから我々としてはそれを信じるしかありませぬ。もし、何も起きなければ家忠に文句を言ってやりましょう。まあ、伊勢湾までは豪華な船旅です。せいぜい優雅なクルージングをお楽しみ下され。津の辺りから京の都までは歩きですが二十里やそこらなら二日で着くはず。Take it easy!」
「御意……」
相州乱破の頭領が力なく頷いた。先ほど一瞬だけ見せた不安気な感情は完全に姿を消している。さすがは忍者と言うべきか。
だが、マトモに相手をするのが阿呆らしいとでも思われたんだろうか。その顔はどことなく不満そうに見えなくもない。
これはフォローが必要かも知れん。大作は思いっきり愛想笑いを浮かる。そして、両手をポンと打ち鳴らして一同の注目を自分に集めた。
「お礼と言っては何ですが、期日までに辿り着けたら参加メンバー全員を豪華な京懐石フルコースにご招待しますぞ。それと、お土産も山ほど買いましょう。生八つ橋、くずきり、わらびもち、そばぼうろ、エトセトラエトセトラ」
「じゅるる~ 楽しみねえ。私、今から待ちきれないわ」
「いやいや、お園はお留守番組だぞ。こんな危険な旅に連れていけるわけないじゃん」
「そ、そんな阿呆な話はないわよ! 私たちは夫婦なのよ! 大佐だけ美味しい物を食べて、私だけが食べられないなんて! 御仏がお許しになっても巫女頭領の……」
顔を真っ赤にしたお園が髪を振り乱して絶叫する。またもや『ヒトラー ~最期の十二日間~』かよ。本当にあの映画が好きなんだなあ。まあ、大作も別に嫌いじゃないんだけれど。
「どうどう、落ち着いて。今のお前は巫女頭領じゃないから。って言うか、別に俺はグルメ旅行に行くんじゃないぞ。豊臣と毛利…… じゃなかった北条の歴史的和解っていう日本史を塗り替える大イベントを直にこの目で見たいんだ」
「だったら私だって見たいわ!」
「私めも見たいわよ!」
「私も見とうございます」
「大作、私も連れてってくれるのよね?」
それまで黙って話を聞いていた女性陣が一斉に声を上げる。今度は私も見たい競争かよ! 大作は頭を抱えて小さくため息をついた。
「では、吉良殿。船の出航は明日の払暁で宜しいかな?」
「御意」
時間も時間だ。大作は話を纏めに入る。ちなみに上野介のニックネームは吉良ですっかり定着したらしい。
「みんなも時間厳守で頼むぞ。遅れた奴は置いて行く。恨みっこなしだ」
「大佐こそ寝坊しないで頂戴ね。今晩は早めに寝るのよ」
「私めが起こしてあげるから安堵して良いわ。そのかわり、一緒に寝てくれるかしら」
「私も! 私も一緒に寝たいわ。前みたいにみんなで一緒に寝ましょうよ」
吉良や風間が聞いているのも気にせずにお園、ほのか、メイが口々に好き勝手なことを言う。
そこに、萌から鋭い突っ込みが入った。
「何だったら船の上で寝たら良いんじゃないの。どんなに寝坊しても置いてけ堀にはならないわよ」
「ナイスアイディア、萌! それ、頂きだ。吉良殿、日が暮れたら船に参ります故、寝床を用意しておいて下さりませ」
「船長に申し付けておきましょう」
吉良と風間は深々と頭を下げると座敷を去って行った。
「さて、明日から京の都に行くことになったわけだが…… 手土産は何が良いかな? 何せ相手は天下人だ。よっぽど変わった物じゃないと驚かせられないぞ」
「別に驚かさなくても良いんじゃなかしら。一見すると無害に見えて、じわじわとボディーブローのように効いてくる。そんな手土産はどうかしら?」
邪悪な笑みを浮かべながら萌が口を開く。その顔は何だかとっても楽しそうだ。大作は軽く頷いて先を促した。
「それは鉛や水銀をたっぷり使った白粉よ。この時代の白粉には塩化第一水銀とか塩基性炭酸鉛みたいな有害物質がてんこ盛りでしょう? 鉛の有害性は今さら言うまでもないわね。貧血や脳、神経、消化器に障害もたらす、それはそれは恐ろしい毒物だわ。何せ、十三代将軍の徳川家定や大正天皇があんなになっちゃたのも乳母が使っていた白粉のせいだって言う説があるくらいなんだから」
「で、でもさあ。鉛の有害性なんて大昔から知られてたんじゃないのかなあ? 紀元前三百七十年年ごろにヒポクラテスが指摘したとか何とか。とは言え、ローマ時代の人たちは平気で食器や水道管に鉛を使っていたんだっけ。もしかしてローマ人って阿呆なのかな?」
忌々し気な顔で大作は吐き捨てる。大作は自分が阿呆なことをやっているという自覚がある。だが、無自覚に阿呆なことをやっている奴がどうしても許せないのだ。
とは言え、東洋人だって砒素や水銀を不老長寿の薬だと思って飲んでいたんだそうな。害に気付かないどころか薬だと思って積極的に飲むなんて救いがたい話だ。
「きっと阿呆なんでしょうね。危険性が理解されたのは、ずっと時代が下った十七世紀ごろらしいわ。ワインを甘くするため入れられている酢酸鉛が有害だって気付いたんだそうよ。ベートーヴェンの髪の毛から通常の百倍もの鉛が検出されたって話は有名でしょ? 嘘か本当か知らないけど安物のトカイワインを毎日三リットルも飲んでいたそうね」
「だけど、ワインって結構なアルコール度数だよな? そんなに飲んだら鉛が入っていなくても体を悪くしそうだぞ。まあ、死んじまった奴の話はどうでも良いや。鉛白粉が使用禁止になるのは明治三十三年(1900)のことらしいな。しかも製造禁止になるのはさらに先の昭和九年(1934)のことなんだとさ。それでも見た目が綺麗だからって鉛入りの白粉を求める人がまだまだいたんだそうな。ってことはアレか? 鉛フリーの健康白粉を作って売ればワンチャンあるんじゃね? 夢が広がりング!」
「趣旨が変わってるわよ、大作。そんなことより鉛白粉が聚楽第や大坂城で使われれば鶴松が史実よりも早く病気になるかも知れないでしょう。秀吉って結構メンタルが弱いはずよ。そうなったら小田原征伐なんてグダグダになるに決まってるわ。ばんざ~い、ばんざ~い!」
赤ん坊を鉛中毒にして殺す。そんな物騒な話をよくもまあこんなに楽しそうに話せる物だ。萌こそ本物のサイコパスなんじゃね?
大作の眼前で幼馴染の美少女が嬉しそうに微笑む。だが、何故か瞳だけが笑っていないような気がしてならない。その姿は頼もしくもあり、恐ろしくもあった。
そんな大作と萌の姿をお園、サツキ、メイ、ほのか、未唯たちも探るような視線で見詰めていた。




