巻ノ百八拾参 始めよ!先ず甲斐より の巻
大作、お園、藤吉郎、ナントカ丸の四人は北条氏政と会うために八幡山の東曲輪とやらを訪れていた。
名胡桃城事件が起こったのは今日、天正十七年の十月二十三日なのか。はたまた、十一月三日なのか。この場にいる誰もがその疑問に対する回答を持ち合わせていない。
名胡桃城と小田原は直線距離で百五十キロ、道なりに進むと二百キロはある。北条には伝馬の継立みたいなのがあったそうだが夜間は走れないはずだ。
仮に事件が起こったのが今日の早朝だとしても知らせが届くのは夕方だろう。もしも明日の夕方まで待っても知らせが入らないなら十一月三日説が現実味を帯びてくる。
そうなった場合にどのような対応を取るべきなのか。そんなお園の疑問に対して大作はその場しのぎの思い付きで適当な提案を返す。
中山九郎兵衛の首を持って上洛し、秀吉とのトップ会談を開いてはどうじゃろう? それが口から出まかせの思い付きだとは思いも寄らない氏政は眉間に皺を寄せて真面目に考え込んでいた。
「さて、父上。拙僧のプランにご賛同頂けましょうや? お任せ頂けるのならば必ずや結果にコミットしてご覧にいれますぞ」
「う、うぅ~む。こみっと致すと申すか。さりとて、斯様に本意と通るものじゃろうかのう?」
「僕の読みどおりに状況が動いてくれれば九割ほどで」
「ぼ、ぼく? その、ぷらんとやらをいま少し詳らかに話してはくれぬか。立ち話も何じゃな。こちらへ参れ」
そう言うと氏政は一同を建物へと誘うような仕草をする。
だが、そんなことをしている暇は無い。大作は氏政の袖口を掴んで軽く引っ張った。
「いやいや、僕にはもう時間がございません。『Mais je n'ai pas le temps』なのでございます。お手数ですが本城までお出で頂けませぬか。歩きながらお話し致しましょう」
「お、おう。左様か」
「このプランのクリティカルパスは十日後の十一月三日までに京に上らねばならぬという所にございます。事件が発生するより前に先手を打って関白に下手人である中山九郎兵衛の首を差し出す。これが肝要と思し召されませ。まるでマイノリティ・リポートみたいでしょう? ちなみにアイディアその物は著作物ではないので著作権で保護されませんぞ」
「うむ、事が起こる前に下手人を捕らえるとは、いと驚かしきことじゃな。されど、僅か十日で京に上るとは。斯様なことが叶うのか?」
興味津々といった顔で氏政が詰め寄ってきた。その表情からは疑いの感情は読み取れない。
ふと気付くと氏政の後ろには小姓っぽい若い男が二人くっ付いてきている。彼らの瞳も揃って好奇心に満ちた輝きを放っていた。
「ネットで読んだ話によりますれば、江戸時代の初めには大坂から江戸への航海に一月くらいは要しておったそうな。風待ちしながら地乗り航法を使っているとこれくらい掛かるのでしょう。それが寛政年間には十日から二十日、幕末になると平均六日で行けたんだとか。我らは小田原からのスタートなので百キロくらいは短縮することが叶いまする。とは申せ、紀州を大回りして大坂に入るのは大きなロスタイムとなりましょう。そこで伊勢湾に入って津の辺りに上陸、甲賀を通って京を目指します。十日足らずで駆け付けたとあらば向こうの印象も随分と良くなりましょう」
「う、うぅ~む。船に乗ると申すか。嵐に遭うて沈んだりせねば良いがのう。関白が我らを捕らえたりするやもしれぬぞ」
心配そうな顔で呟く氏政の瞳が不安気に揺れる。その表情を間近で見ていると大作の脳内で始めに想像していた氏政のイメージがガラガラと音を立てて崩れてしまった。
これはフォローが必要なのか? 大作はこんな場面にぴったりのセリフを探して思案する。閃いた!
「大丈夫、怖くない。父上は何を怯えておられまするか? まるで迷子のキツネリスにございますぞ」
「な、な、何を申すか! わ、儂は毛ほども怯えてなどおらぬぞ! ま、ま、真じゃぞ!」
大作は今のセリフを釘宮ボイスで脳内再生する。って言うか、ここへきてツンデレかよ。お前、キャラがブレ過ぎだろ!
どうやら真面目で熱血漢の新米ホテルマンとは丸っきりかけ離れているような。弱気で引っ込み思案、と言うよりは指導者としての決断力が不足しているんじゃなかろうか。
もしかして高嶋は高嶋でもお兄ちゃんの方だったのかも知れん。いやいや、あの人も本多忠勝とか徳川家康とかいろいろ演じているんじゃね? それに、誰が何と言おうと氏政といえば弟の方でなければならん。絶対にだ!
だったら無い物ねだりしてもしょうがない。今はこれが精一杯。大作は考えるのを止めた。
「先ほどから思うておったのですが、父上は些か損害回避傾向が強すぎるのではござりますまいか? どうせ、初代iPh○neが発売された時にも『こんな物が売れるわけね~よ』とか思うておったのでは?」
「あ、あいほん?」
「いやいや、それはインターホンを作っておられる会社です。名前の由来は本社が愛知にあるからだそうな。ちなみにappl○から年間一億円もの商標使用料を受け取っているそうですぞ。昭和三十年に登録した商標が半世紀も経ってそんなことになるなんて夢にも思われなかったでしょうな」
「大佐って本当にiPh○neが好きなのね」
不意にお園が話に割り込んできた。振り向いて見れば何だかとっても嬉しそうな笑みを浮かべている。
だが、間違いは正さねばならん。可及的速やかに! 大作は曖昧な笑みを浮かべると腫れ物に触るように話し掛けた。
「いやいや、何を言ってるんだよ。家はお爺ちゃんの代からずっとandr○id派なんだぞ。てか、お園が使ってるスマホだってandr○idじゃん」
「えぇ~~~っ! そうだったの? 私、ずっとこれがiPh○neだとばかり思っていたわ」
「何でそう思ったんだ? スタートボタンがあるか無いかで一目瞭然じゃん」
「じゃんって言われても見たことないんだからしょうがないわよ。って言うか、それってホームボタンでしょう? でも、せっかくスマホが二台あるんだからiPh○neとandr○idが一台ずつあれば良かったのにね。次に機種変する時は……」
「もし、もし…… 済まぬが話を戻して貰っても良いかのう」
遠慮がちに掛けられた声のする方を見やれば氏政が申し訳なさそうな顔をしている。
もしかしてこのおっさんもiPh○ne派なんだろうか? いやいや、さすがにそれは無いな。初代のiPh○neが発売されたのは2007年のことだし。大作は考えるのを止めた。
「あの、その、えぇ~っと…… 何の話でしたかな? そうそう! 上洛の話でしたっけ。ご心配には及びませぬ、閣下…… じゃなかった、父上。インドや中国と違ってここ日本では謝った方が勝ちなのですぞ。同行する者は最小限に絞り込み、刀も持たずに参りましょう。これに手を出すようなことがあらば、むしろ恥を掻くのは関白の方にござります。口善悪なき京童たちが『罪なき相模守様を殺めた殺生関白』などと口々に言い囃したてることは必定かと」
「それで首尾良くことが運ぶと申すのなら、儂に依存は無いぞ。じゃが、はたしてその様なことが出来得るものじゃろうか……」
「できるかなじゃねぇ、やるんだよ! そうだ、閃いた! いっそのこと二人揃って頭を丸めては如何かな。そんでもって白装束に身を包み、馬鹿でかい金箔の十字架を担いで京の町を練り歩く。最高のショーだと思われませぬか? 人がゴミのようにござりましょう? これで伊達政宗のエピソードを二つも先取りできまするぞ」
「さ、左様か。其は喜ばしきことじゃな」
そんな阿呆な話をしながら坂道を下って行くと城の門が見えてきた。
「ナントカ丸、これより緊急会議を開く。広い部屋を確保してスタッフを招集してくれるかな~?」
「御意!」
「そこは『いいとも~!』だろ! まあ、良いや。そんじゃあ、頼んだぞ」
「いいとも~!」
そう言うと、幼さを残した小姓は満面の笑みを浮かべながら駆けて行った。
その後ろ姿を見送りながら大作は考える。随分とノリの良いやっちゃなぁ~
どうやらあいつの適応力は半端ないらしい。徹底的に鍛え上げて一日も早く戦力化しよう。大作は心の中で邪悪な笑みを浮かべた。
本丸御殿に戻った一同はゾロゾロと座敷を目指す。部屋に戻ると隅っこに見知らぬ三人の若い女性が正座して待っていた。
みんな揃って高そうな着物を着て、その上から羽織っている色打掛もとっても煌びやかだ。髪は元結にした物を首の左右から手前に垂髪にしている。
三人とも年齢は二十前くらいのようだ。これってやっぱり姫様とか言われるような身分の人たちなんだろうか。
あんたも姫様じゃろうが、儂らの姫様とだいぶ違うのぉ。大作は口に出すか迷った末に止めておくことにした。
女たちは大作の姿を認めると深々と頭を下げる。取り敢えず何か声を掛けた方が良いんじゃろか? 大作は暫しの間、迷った末に口を開いた。
「面を上げられげよ。拙僧に何かご用ですかな?」
「せ、せっそう?」
三人が揃って怪訝な顔をする。そんな顔をしていても、みんな美人さんだなぁ。もしかしてこいつら氏直の側室だったりして。
思わず大作が鼻の下を伸ばし、それを見たお園が顔を顰めながら脇腹を突っ突く。
お約束、お約束。大作は心の中で小さくため息をつくと愛想笑いを浮かべながら元気よく声を掛けた。
「Who are you?」
「は、はぁ?!」
三人の中で一番背の高い女が眉根を寄せて素っ頓狂な声を上げた。
しまった~! いくらなんでも失礼だったか? 『お前は誰だ』って言ってるようなものだぞ。大作は慌てて言い直す。
「What's your name? いや、May I have your name? もしかして、May I ask your name?」
大作は必死になって貧弱な英語の知識を総動員する。だが、その様子を目の当たりにして女の表情が急変した。
「何故に英語? って言うか、御本城様。もしや生須賀大作という名に心当たりはござりませぬか?」
「ム、ム○カ大佐ですと! な、な、何故にその名をご存じで?! もしや貴女様も古い秘密の名前を持っておられるのですか? 大佐殿とは如何なるご関係にござりましょうや?」
「私の名は椎田萌。『モ』はラピュタ語で王、『エ』は真、私は正当な王位継承者にございます。地球は…… 地球は狙われているわ!」
「なっ…… なんだってぇ~~~っ!!」
大作の絶叫が座敷中に木霊する。お園や氏政は黙って顔を顰めた。
適当な理由をでっち上げて大作は氏政に御退室をお願いする。
二人の小姓に連れられて座敷を後にするおっさんの背中が寂しい。大作は心の中でドナド○のメロディーをハミングした。
「そんでそんで? 萌は何しに小田原へ? ってか、その格好は何だ? 後ろの二人はどちら様? 血液型は? 好きな食べ物は何だ?」
「そんなに一度に聞かないでくれるかしら? それより、あんた大作で間違いないのよね? 私の知ってる大作とは似ても似つかないんだけど」
「それを言うなら萌だって別人も良いところだぞ。俺が戦国時代で知り合った二人も丸っきり別人に憑依してるんだ。ってことは、そういう設定なんじゃね?」
「ふ、ふぅ~ん。そんなもんかしらね。ってことで、私と一緒にいる二人は…… 誰だったかしら?」
その瞬間、座敷にいた全員がどっかの新喜劇みたいに盛大にずっこけた。
だが、大作は萌の目が笑っていないことに気付く。どうやらこのはぐらかしは計算ずくらしい。相変わらず何を考えているか分からん奴だ。大作は萌を名乗った女への警戒心を一段階引き上げた。
暫しの沈黙の後、萌の隣に座っているちょっと目付きの鋭い女がにっこり微笑んだ。と思いきや次の瞬間に口を開く。
「やっぱり大佐だったのね。さっきまでひょっとすると天使じゃないかって心配してたんだから。こんな格好をしているけど、私はメイよ。どうやらここでは敦姫って人らしいわ。昨日の夕方、材木屋ハウス(虎居)で二段ベッドを作っていたら急に知らない座敷にいたの。わけが分からなくて困ってたら萌が助けてくれたのよ。それで、私たちがいたのって何処だったかしら?」
メイを名乗った女は隣に座る優しい目付きの女に話を振った。この女だけは始めからニコニコと笑顔を絶やさなかったような気がする。
もしかしてこいつ、ほのかじゃなかろうな? 大作は先回りして展開を予想する。だが、その浅はかな考えはすぐに裏切られた。
「私はサツキにございます。こちらでは巻姫と呼ばれておるそうな。山ヶ野にて夕餉の支度をしておりましたが、気が付くと見知らぬ城におりました。私も萌様に助けていただき、お礼の申しようもござりませぬ」
「ふ、ふぅ~ん。だけど、萌。お前、よくこいつらが俺の知り合いだって分かったな。もしかして、お前にもスカッドから電話があったのか?」
大作はさっきから気になっていたことを萌に聞いて見る。ひょっとすると何かこっちが知らない情報を持っているかも知れない。それに、聞くだけならタダだし。
いやいや、タダより高い物は無いんだっけ。それに、萌なら代金を請求してくるかも知れんな。大作は萌への警戒心をさらに一段階引き上げた。
だが、萌はそんな大作の気持ちを知ってか知らずかあっけらかんとしたものだ。半笑いを浮かべながら少し早口で捲し立てるように話す。
「電話? そんなのなかったわよ。いきなり戦国時代にタイムスリップしたと思ったら、回りにも驚いている人がいたから同じ目に遭ったんだと思ったの。詳しく話を聞いたら前にいたところにもタイムスリップしてきた男がいたって言うからピ~ンときたわけよ。それで、時代と場所を確認したら天正十七年の冬で忍城だっていうじゃない。だったら北条のトップに会ってみようってことになって馬を飛ばしてきたのよ。ちなみに私は忍城城主の成田氏長の長女、甲斐姫らしわ」
「それって榮倉奈○の人だろ? ガンで余命一ヶ月なんて気の毒な話だよなあ。まあ、年齢が若いほど進行も早いっていうからしょうがないんだろうけどさ。そう言えば、あの人は『メイちゃんの執事』ってドラマでメイって役を演じてたんだぞ。知ってるか?」
急に話を振られたメイらしき女性が目を白黒させている。だが、その返事も待たずに萌が呆れた顔で話に割り込む。
「あんたの話は相変わらずのランダムウォークね。だけど、あんまり時間が無いんでしょう? それに、私は秀吉の側室なんて真っ平なのよ。ねえ大作、私を仲間に入れてくれない? ラピュタの宝なんかいらない、お願いよ。パ○ーもそうしろって」
「う、うぅ~ん。言葉の意味は良く分からんが、とにかく凄い熱意だな。みんな、萌を仲間にしてくれるかな~?」
「「「いいとも~!」」」
その場の全員が声を揃えて唱和した。サツキ、メイは無論のこと、藤吉郎も異存は無いようだ。お園はちょっと不満気に見えなくも無いが大人の対応をするつもりらしい。
「全員一致だな。よし、じゃあこれからは俺たちは一心同体少女隊だ。んで、何で俺たちがここにきたのかはさぱ~り分からん。だが、電話で話したスカッドの口振りからすると小田原征伐を歴史改変すれば元の世界に帰れるんじゃないかって感じだ。って言うか、帰れるんじゃないかな? 帰れたら良いなあ」
「相変わらずのポジティブシンキングね。まあ、考えても結論の出ないことに時間を費やすのは無駄だわ。せっかく1589年の小田原にいるんだし、せいぜい派手に吹っ飛ばしてやりましょうよ」
「そんなわけで、どうやったら豊臣の軍勢を叩き潰せると思う? 何か良いアイディアが……」
「それで今から緊急会議なんでしょう? そこで話をすれば良いわ。ナントカ丸がスタッフを揃えてくれているはずよ」
大作の言葉を遮るようにお園が口を挟む。こいつ、やっぱり何か引っ掛かっているんだろうか? いやいや、会議を招集したのは俺だっけ。ここは大人しく従っておこう。大作は考えるのを止めた。
と思いきや、萌が右手を軽く上げると話に割り込んでくる。
「その前に一つだけ良いかしら。宿老筆頭に松田尾張守憲秀ってお爺さんがいるでしょう? そいつの扱いを決めておいた方が良いんじゃないかしら」
「それって開戦前には主戦派の筆頭として散々に煽っていたくせに、いざ戦が始まると勝手に和平交渉を進めていた奴だよな。ナチスに例えるとヘス副総統みたいなものか? いやいや、似ても似つかないな。どっちかっていうと親衛隊長官ヒムラーか? それか……」
「どうどう大佐、気を平らかにして。とにもかくにも、その松田ってお方は勝手に和議を始めたってことなのね? でも、大佐は戦を止めんがために京へ上るんでしょう?」
「いやいや、お園。全くもって全然違うぞ。何度も言ったけど俺は史実と違うことがやりたいだけなんだ。北条なんて滅びようがどうなろうが知ったこっちゃない。事件が起こる前に犯人の首を持って氏政と氏直が秀吉に謝罪する。ところがその直後に事件が起こる。秀吉がどんな顔をするか想像しただけで面白そうだろ? まあ、あんな人たちに負けるつもりなんて毛頭ないんだけどな」
大作は半笑いを浮かべながら気軽に言ってのける。その顔には緊張感の欠片も無い。
もし負けたとしても北条は滅びない。それどころか、豊臣の方が先に滅びてしまう。これで真面目にやれって言う方が無茶なのだ。
だが、萌が急に意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「でもさあ、大作。氏直って再来年には疱瘡で死んじゃうんじゃなかったかしら?」
「そ、そうだった~! そう言えば、朝飯の時にもそんなこと言ってたよな。あと二年で種痘を実用化しないと死んじゃうんだっけ。まあ、作り方はWikipediaに書いてあるんだけどさ。それにしてもジェンナーは種痘を作っている間に感染しなかったのかな? きっと致死率二パーセントの人痘法ってのを先に接種してたんだろうな。あは、あはははは……」
大作はまたもや突き付けられた面倒臭い雑用から目を背けるかのように乾いた笑い声を上げた。




