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巻ノ拾八 道なき道を進む の巻

 東海道が突然消えるという異常事態に大作は完全にパニックっていた。

 そんな大作とは対照的にお園は他人事のように冷静に言う。


「道はここでお終いなの?」

「そんなはずは無い。この辺りは狭くはなってるけどJR東海道本線と国道一号線が通ってたぞ。青春十八きっぷで何度も通ったことあるんだ」


 大作はスマホを取り出して地図を確認する。東海道は基本的に国道一号線に沿ってるはずだ。どう見ても迂回路なんて無い。道を間違えたとも考えられない。

 もし迂回しようとしたら富士川を二十キロほど遡って十島辺りから見延道(みのぶみち)を通るしか無い。一日以上の遠回りだ。


「大佐、あれ見て!」


 お園の大声に大作は現実に引き戻される。指さす方向を見ると岬の先端から人が海の上を歩くようにこちらへ向かって来る。

 まさか何かの能力者か? 慌てて単眼鏡を取り出して観察する。どうやら地元民のようだ。海岸線ギリギリの非常に狭い平地を波にさらわれぬよう駆け抜けている。


 ようやく大作の記憶がよみがえってきた。大作は基本的に記憶力は良いのだが思い出すのに時間がかかる奴なのだ。

 一般的に東海道の三大難所と言われているのは箱根峠、鈴鹿峠、小夜の中山とされている。


『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』などと言われるがやはり最大の難所は箱根峠だろう。

 鈴鹿峠は『東の箱根峠、西の鈴鹿峠』などといわれた難所だが標高は三百五十七メートルなので箱根峠に比べるとそれほどでもない。

 小夜の中山は標高は二百五十二メートルでさらに低いが山賊が出るとか、夜泣き石の伝説とかあって怖そうだ。


 こいつらほど有名ではないが(さっ)た峠という難所がある。ちなみに『た』をひらがなで書いたが本当はJIS第三水準の漢字だ。

 ここは山が海へと突き出す地形となっていて、昔は海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要があったらしい。新潟県・富山県境の親不知と並び称されるほどの難所だったのだ。


 江戸時代の明暦元年(1655)九月に朝鮮通信使を江戸に迎えることになった。この時、海際の危険な道を通すわけにはいかないと幕府の威信をかけてわざわざこの峠道が造られたと言われている。

 ちなみに現在、JR東海道本線と国道一号線が通っている陸地は江戸末期の安政二年(1854)に安政の大地震によって地面が隆起したものだ。


 崖の上に峠道が作られるのは百年以上も先になる。壁みたいな急な崖に木が生い茂っているのでここを登るなんてとても不可能だ。

 回り道すると一日以上のロスだ。波打ち際を命がけで走るしか無いのだろうか。


「お園はどうしたら良いと思う?」

「私は山国育ちだから海のことは良く分からないわ。ここを通って来るあの人に聞いてみたらどうかしら」

「それだ!」


 ナイスアイディア。現地の人に聞くというのは基本中の基本だ。

 しばらく待つとさっきの現地人らしき人が近付いて来る。

 絵本に出てくる浦島太郎みたいな格好をしているのでどうやら漁師らしい。少年と言っても良いくらいの若い男だ。空っぽらしい籠を軽そうにかついでいる。

 お園への興味津々といった態度を隠そうともしていない。

 まあ、こんな若くて可愛い巫女さんを前にしたら無理もないと大作は思った。


 この時代の挨拶ってどんなんだ? 『こんにちは』は江戸時代からって聞いたことがある。戦国時代の庶民の日常会話なんて文献資料に残ってないのだ。伊○三尉と長尾景虎は『良い日和で』とか言ってたっけ。

 そもそも情報が無いんだからいくら考えても無駄だ。大作は考えるのを止めた。適当で良いだろう。


 大作は右手の中指と薬指の間を開いて手のひらを掲げると満面の笑みを浮かべて言った。


「ハバリ ザ ムチャーナ!」


 スワヒリ語の昼の挨拶だ。まあ、朝昼晩を使い分けなくても『ジャンボ!』で朝から晩まで通じるのだが。


「はばり ざ むちゃーな?」


 男が思いっきり怪訝そうな顔をしている。大作としては予想通りの反応だ。もし『ンズーリ!』とか返されたらかえってびっくりだ。

 男の反応をスルーして大作は会話の主導権を取りに行く。


「拙僧は生須賀大佐と申します。ラピュタ王国の正統な王位継承者にござります」

「へ、へえ。儂は由比で漁師をしておる三平と申します」


 意思疎通に問題は無いようだ。


 大作は今までラピュタという名前を出さないよう注意していた。だが今頃になって気付いたのだ。ラピュタはスウィフトのガリヴァー旅行記に出てくる国名だ。設定を流用したのはあの映画の方だ。ジョナサン・スウィフトは1745年没だから著作権なんてとっくに切れてる。日本語訳も原民喜は1951年没だ。

 って言うか普通に青空文庫にあるじゃん。アニメのキャラやセリフは駄目だけどガリヴァー旅行記からネタを引っ張ってくれば全然オーケーじゃないか。こんなことならお園に出会った日からラピュタ、ラピュタ言いまくれば良かった。

 そう言えばカリオストロ伯爵は1795年没の歴史上の人物だし、ルパンを書いたモーリス・ルブランも1941年没だから好きに使えるな。

 まあ、それは今はどうでも良いか。大作は本題に入る。


「拙僧はこちらの巫女と共に五畿七道を巡り王国再建の為に勧進をしております。駿府へ向かう道中にござりましたが道が無くなってしまい難儀しております。この先はどのようになっておりまするか?」


 お園のとびっきりの営業スマイルを見て困惑気味だった男の表情が急に和む。大作たちが単に道に困っているだけだと判って安心したようだ。


「それはお困りにござりましょう。この道はこれより半里ばかりは斯様な塩梅でございます。やうやう潮も満ちてまいります。儂らは通いなれておりますがお坊様方は潮が引くまでお待ちになった方がよろしかろう」


 大作が時計を確認すると十五時を少し回ったところだ。月齢十日くらいの月が東の水平線から少し登ったところに白く輝いていた。

 男の話が本当だとすると干潮は二十一時くらいなのだろうか。月明かりを頼りにこんな難所を通るなんて勘弁して欲しい。ここで一泊して明朝九時に通るしか無いのか?


 いやいや、さすがにロスタイムが大きすぎる。ベンジャミン・フランクリンもタイムイズマネーって言ってるぞ。

 この男が通って来れたんだから何とかなるだろう。主人公補正って物があるはずだ。いざとなったら宇宙人だか未来人だかが助けてくれるに違い無い。

 大作は無謀にも強行突破を決断する。


「折角ご案じ頂きましたが先を急ぎますゆえこのまま進むことに致します。然らばこれにて」


 さようならに相当する挨拶が思い出せなかった大作は適当に誤魔化して頭を下げる。


「満ち潮と言うても今は長潮(ながしお)ゆえにそれほど難儀はせぬでありましょう。ゆめゆめ弛むこと無きよう心置かれませ」

「かたじけなし」


 何だか心配してくれているようなので大作とお園は一応お礼を言って頭を下げておいた。




「半里と言ってたな。駆け足で行こう」

「大佐、大丈夫?」


 お園に心配されてしまった。これは保険を掛けておいた方が良いかも知れない。

 大作はわざとらしすぎる死亡フラグを敢えて立てて生存フラグにするという荒業を使うことにした。

 ちなみに『俺、この戦争が終わったら、この娘と結婚するんだ……』という映画史に残る名セリフはプラトーンの冒頭に登場する。そして主人公と同期だった兵士は十分後に死亡した。


「お園。この道を無事に通れたら俺と夫婦(めおと)の契りを結んでくれ!」

「えっ! え~~~!」


 お園が真っ赤な顔をして恥ずかしそうにしている。たかが偽死亡フラグでそんなに照れなくてもと大作は思う。

 だが、お園が『契を結ぶ』という言葉を肉体関係だと解釈していることに大作はまったく気付いていなかった。

 返事が無いのは了承だろうと大作は勝手に解釈してお園の手を取ると歩きだす。


 二人が手を繋いで進んで行くといよいよ道が無くなった。

 着物の裾が濡れないようにたくしあげる。見た目はかなりアレだが裾が濡れてしまうと動き辛くなって大変だ。

 通れる間に小走りで移動し、大波が来ると岩にへばり付くように退避する。

 岩間に入ってしまうと波が押し寄せて酷いことになる。大作たちはそれを散々な目にあって学習した。


 すぐ横にそびえている薩た山は有名な古戦場らしい。ここで正平六年/観応二年(1351)に足利尊氏と弟直義が因縁の兄弟対決を行ったのだ。

 尊氏はこんな険しい山に三千の兵力で陣を張った。鎌倉に逃れていた直義は一万の兵を率いて山麓を包囲したが攻めあぐねる。そうこうしている間に尊氏に数万の援軍が到着して直義の兵は潰走したらしい。

 そりゃそうだろう。こんな山、攻めるどころか登るだけでも大変だ。だが飲料水とかはどうしたのだろう。大作は他人事ながら心配になった。


 永禄十一年(1568)には武田信玄の駿河侵攻による今川氏真との激戦があった。

 氏真は庵原忠胤に一万五千の兵を率いて薩た峠で迎え討つように命じる。今川方は善戦したが武田と徳川は今川の重臣に内通を呼びかける。

 ポーランド分割を密約したヒトラーとスターリンのように武田と徳川も秘密協定を結んでいたらしい。

 身の危険を感じた氏真の脱出を切っ掛けに今川の兵は総崩れ。武田軍は薩た峠を突破して、その日のうちに駿府は陥落した。


 ようするにここは銀河英○伝説のイゼル○ーン要塞みたいな物なんだと大作は納得した。


 半時間ほど進むと急に山が途切れて道が広がる。危機は去った。緊張が途切れて二人は思わずその場にへたり込んだ。

 本当に酷い目に合った。とはいえここは虚勢を張っておかねば。大作は半笑いを浮かべながら言う。


「ぜっ、全然大したこと無かったな」

「大佐ったら、ずっと手が震えてたわよ」

「こっ、これは武者震いだ!」


 何だかベタな返しだがお約束って奴だろう。お園の手も震えていたことに大作は気付いていた。

 一休みして少し進むとすぐに興津川に着く。


 江戸時代には架橋を禁じられていたので川越人夫に肩車してもらったそうだ。この時代にはそんな規則は無いので勝手に渡る。

 ちなみに江戸時代でも水量の少ない冬季は板橋が架けられて無料で渡れたらしい。


 興津は延喜式に庵原郡息津(おきつ)として登場する由緒正しい宿場町だ。身延道もここから出発している。


 戦国時代の宿場町に旅人なんているのか? 大作は疑問に思ったがいるんだから仕方ない。

 日蓮宗総本山の久遠寺(くおんじ)や日蓮聖人の廟所を目指して全国各地から老若男女の信者が集まって来るそうだ。

 ピークは日蓮聖人の入滅日である十月十三日の大会式前後らしい。今はシーズンオフなので閑古鳥が鳴いてるみたいだ。


 戦国時代の旅行と言えば『永禄六年(1563)北国下り遣足帳(けんそくちょう)』という物が残っている。

 この年の秋に京都を発って山形まで行った僧侶の一年以上の旅の出費の記録だ。

 これによれば中世後期以降には全国に旅籠(はたご)があって、夕食と朝食の代金さえ払えば宿泊できたらしい。

 一食は十二文が相場で相部屋。ただし、畳や布団は庶民とは無縁の時代なので板の間に雑魚寝。筵すら自分で用意しなければならなかったそうだ。


 まあ、自炊でテント泊なんて貧乏旅行中の大作たちとは無縁の話だ。先を急ごう。


「まだ十六時前だから清水港くらいまで行けそうだな」

「今晩はそこで泊まるのね……」


 お園が頬を染めながら伏目がちに呟く。何? この反応。大作は違和感を覚えたが怒ってるわけじゃ無さそうだ。そっとして置こうと思った。


 清水港の歴史も非常に古い。飛鳥時代の西暦六百年代に百済への救援船がこの港から出港したとのとの記述があるらしい。

 清水港の沖に世界文化遺産『三保の松原』が見えて来た。薩た峠の失敗を繰り返さないために大作はスマホに何か情報が入っていないかチェックする。


 三保が陸とつながって半島になったのは大永年間(1521~1527)らしい。なんでも安倍川の本流は現代の巴川を流れていたそうだ。安倍川の流路が変わって三保に流出した砂が堆積して地続きになったのだ。



 一時間ほど歩く間に清見関、江尻関を素通りする。何だか知らないが関所が多い。

 大永六年(1526)に今川氏親は今川仮名目録という東国最古の分国法を制定した。これにより遠江では関所が廃止されたが、駿河では残していたのだ。


 巴川に辿り着く頃に日が傾いたので今日はここに泊まることにした。

 食事の後、テントに入るとお園がうつむいてもじもじしている。


「大佐はあの道を無事に通れたら契りを結ぶって言ったわよね……」


 あの偽死亡フラグ回避を本気にされたのか? 大作は真剣に焦る。これは対応を誤ると修羅場になると直感した。

 一度使ったネタを再度使うのは重大なマナー違反だが背に腹は代えられない。勢いだけで乗り切ろう。


「痩せても枯れてもこの生須賀大佐。夫婦の契に限って虚偽は一切言わぬ。契る! 契るとは言ったが今すぐにとは言っていない。だが絶対に約束する。十年掛かろうが二十年掛かろうが必ずや契ってみせる。Trust me! おやすみ!」


 一気に言い切ると大作は背中を向けて寝る。お園がわなわなと震えているのが伝わってくる。


阿房(あほう)! 阿房! 阿房! 大佐の大阿房!!!」


 お園が大作の背中を叩いてくるが本気で怒っているのでは無いらしい。どうやら冗談で流してくれたようだ。

 今日も一日歩いて疲れた。大作はすぐに眠りに就いた。


「でも十年は待てないわよ……」


 お園が真剣な声音でボソっと呟いた時には大作は夢の中だった。


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