巻ノ百七拾伍 パラドックスのジレンマ の巻
慎之介の屋敷の殺風景な座敷は重苦しい沈黙に包まれていた。大作、未唯、藤吉郎、音羽の城戸の眼前では当の慎之介が白目を剥いてフリーズしている。
「まるでN2地雷で吹っ飛ばされた第参使徒サキ○ルみたいだな。今は自己修復中みたいだから俺たちはお暇しようか、未唯」
「え、えぇ~~~っ! このまま帰っちゃうって言うの?」
「だって、俺たちの用はもう済んだだろ? そんじゃあ、鉄砲のマニュアル作成は藤吉郎に任せたぞ。城戸様もお手伝いのほど、宜しゅうお頼み申します。お二人の初めての共同作業です。みなさま、盛大な拍手を!」
「な、なんじゃと!?」
音羽の城戸が素っ頓狂な声を上げ、藤吉郎は驚きのあまり二の句が継げないといった顔だ。
それを尻目に大作は深々と頭を下げながら手早く帰り支度を調える。そして頭を上げると同時にBダッシュで逃げ出した。
二人は責任感が強かったんだろうか。それとも単に反射神経が鈍かっただけなんだろうか。
屋敷の玄関を飛び出した大作が振り返ると付いてきているのは未唯だけだった。
「どうやら生き残ったのは俺たち二人だけみたいだな。それで? これから何したら良いかなあ。さぁ~あ、みんなで考えよ…… って言っても未唯しかいないのか。そんじゃあ、考えてくれるかな?」
「えぇ~~~っ! 私が考えるの?」
「考えるな、感じるんだ!」
「う、うぅ~ん。私、何も感じないんだけど……」
即答かよ! どうやら未唯はこれっぽっちも真面目に考える気は無いらしい。
これはもう、駄目かも分からんな。もしかして助け船を出した方が良いんだろうか。大作は暫しのあいだ逡巡する。
いやいや、ここで甘やかしたら未唯の成長を妨げることにしかならん。先々に楽をするためには未唯を鍛え上げる他は無いのだ。
「しょうがないなぁ~ 特別にヒントをくれてやるから耳を掻っ穿って良く聞けよ」
「かっぽ汁? それって美味しいの?」
「はいはい、お園にくりそつ(死語)だな。そんで何だっけ? えぇ~~~っと…… アイディア! そうそう、アイディアの出し方だったな」
何か使えそうなネタが無いだろうか。大作はスマホを起動すると情報を漁る。
「あった! これはジェームス・W・ヤングというお方の『アイデアのつくり方』って本に書いてあるお話だ。新しいアイディアっていうのは元々あった考えの組み合わせに過ぎないんだとさ。たとえば、鉛筆のお尻に消ゴムをくっ付けるみたいな。iPh○neにしたってapp○eがゼロから作ったわけじゃないだろ? Ma○やWind○wsだってパロアルトのパクリ…… とまでは言わんけど、ジョブズやゲイツのオリジナルとも言えないじゃん」
「じゃんって言われても私には為む方無き心地よ。大佐の例え話って九分九厘まで何を言ってるのか分からないんだもの」
首を傾げた未唯が口を尖らせて不満そうな顔をする。大作は心の中で『ですよねぇ~』と禿同するが決して顔には出さない。
「あのなあ! 俺の言葉なんて一月前から同じじゃないかよ。それより、そうやって口を尖がらすのはやめとけ。せっかくの美人が台無しだぞ」
「びじんって器量よしのことよね? 私、目がとっても大きいでしょう? だからそんなこと誰からも言われたことなかったわ」
「ちょ、おま! 目が大きいと美人じゃないっていうのか? そんなこと、間違ってもお園の前では言わんでくれよ」
「言うわけがないわよ! だって、目が大きくてもお園様は私なんかよりずっと器量よしなんですもの」
未唯の唇がさらに突き出される。こいつ、ひょっとして俺を誘ってんのか? 警戒レベルを引き上げた大作は一歩後退して様子を伺う。
「急にどうしたのよ、大佐?」
「いやいや。言っとくけど俺は未唯とは口吸いしないからな。絶対に口吸いしない。絶対にだ!」
「えぇ~~~っ! 何でなの? だって大佐、愛姉さまとは口吸いしたんでしょう? 私、ちゃんと聞いたんだからね。それなのに、どうして未唯とは口吸いできないっていうの? そんなの狡いわ! 私、愛姉さまよりもずっとずっと大佐の役に立ってる筈よ! こんなの御仏がお許しになっても連絡将校の未唯が許さないんだから!」
「はいはい、それもお園の真似なんだろ。くりそつ(死語)だぞ」
ここで未唯のペースに載せられるわけには行かん。大作は内心の動揺を押し殺して無理矢理に余裕の笑みを浮かべた。
だが、何だか変なスイッチの入った未唯はグイグイと詰め寄ってくる。もう面倒臭いからキスしちゃおうかな?
いやいや、こんな人たちに負けるわけにはいかない! 大作は心の中でガッツポーズ(死語)を取りながら宣言する。
「ほれ、時間切れだ。材木屋に着いたぞ」
「もおぅ、大佐ったら! まあ良いわ。今に必ずや口吸いして貰うんだからね。言ひ期したわよ!」
「いやいや、言ひ期してないから。言ひ期してないぞ!」
大作に頭をグリグリと撫で回された未唯が嬉しそうに身を捩らせる。
だが、ほとんど同時に材木屋の入り口からお園が姿を現した。そして二人を見つけると驚いた顔で口を開く。
「あら、大佐。随分と早かったのね。それで、いったい何を言ひ期したのかしら。私にも教えてくれる?」
「げぇ、お園! だから、言ってるだろ。何も言ひ期していないって」
「だったら、何を言ひ期していないっていうの? 早く教えなさいよ。素直に言えば許してあげるわよ」
お園は手に持ったはねくり備中の刃を威嚇するかのように目の前に翳した。鋭く尖った四本の先端が鈍い輝きを放っている。
ちゃんとした柄を付けて貰えたんだ! 材木屋の手際の良さに大作は一瞬だけ感動しそうになる。だが、今はそれどころでは無さそうだ。
「いやいや、許すとか許さないじゃないよ。だ、だってさ。何か言ひ期してるんなら教えようもあるぞ。でも、何も言ひ期していないのに教えようが無いんじゃね? それって悪魔の証明じゃんかよ! ディオクレティヌスとマクシミアヌスは申された。『事実を否認する者に立証義務はない』とか何とか」
大作は独自の理論というかナニをナニする。だが、例に寄って必死になればなるほど怪しさ大爆発になってしまうのはお約束なんだろうか。そうは言っても、本当に何も言ひ期していないんだからしょうがない。
嘘をつくのは悪いことだ。だけど、嘘をついてもいないのに嘘をついたなんて白状するのはもっと不味い。それに、嘘の辻褄が合わなくなって自分で管理できなくなるなんて格好が悪すぎる。
お園はといえば不機嫌そうな顔で大作と未唯に代わる代わる疑念の籠った視線を送ってくる。
殺気すら帯びた目で見詰られた未唯が狼狽えたように瞳を反らした。だが、お園はその僅かな動きを見逃さない。
「どうかしたの、未唯? いったい大佐はあんたと何を言ひ期していたのよ? 私にだけ教えてくれないかしら」
「未唯、お前は黙ってろ。この取り調べは違法だぞ。俺たちには黙秘権っていうのがある。だから自分に不利な証言を拒否することができるんだ」
「語るに落ちるとはこのことね、大佐! そも、不利な証言っていったい何なのよ。やっぱり後ろめたいことがあるんでしょう!」
そう言いながらお園が一気に距離を詰め寄せてきた。その表情は猜疑心を隠そうともしていない。
刺すような鋭い視線に射すくめられて未唯がフリーズしている。だが、大作はなけなしの勇気を振り絞って卑屈な笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。ミランダ警告って知ってるか? 特設軍法会議じゃあるまいし、俺には弁護士を呼ぶ権利だってあるはずだぞ! 誰か助けてぇ~! 当番弁護士を呼んで下さ~い!」
「ちょっと! 大きな声を出さないでくれるかしら。いいから未唯は先に中に入っていなさい。まずは大佐から話を聞かせて貰うわ」
「で、でもお園様……」
「入りなさい、未唯! これは巫女頭領としての命令よ!」
お園に背中を押された未唯が材木屋の中へと消えて行く。唯一の味方を取り上げられた大作は心細くてしょうがない。
それはそうと先に話を聞くってどういうことなんだろう? もしかして別々に話を聞いたうえで、話を突き合わせて矛盾点を探す気なんじゃなかろうな。
こんなことなら口裏を合わせておけば良かったのに。悔やんでも悔やみきれん。って言うか、これってもしかしてアレじゃね?
「なあ、お園。囚人のパラドックスって知ってるか?」
「それって確か、三人の咎人のうち二人が死罪になるっていう例え話よね? ある咎人が己の他に死罪になる一人を教えて貰う。そうしたら、その咎人が死罪になる確率は下がるかどうかって。それってモンティ・ホール問題と同じことだわ。確率は三分の一で変わらないはずよ」
「ごめんごめん、それじゃなかったよ。俺が言いたかったのは囚人のジレンマだな。お互いに手を組むことができれば最善なんだけど、相手が裏切る可能性を否定できない。そんな状況に置かれるとお互いに足を引っ張り合っちゃうって話だ」
「ナッシュ均衡がパレート最適にならないわけね。社会的ジレンマっていうんだったかしら。でも、その話が大佐や未唯にいったいどうかかわっているの?」
お園の顔が『わけが分からないよ』といった感じに歪む。効いてる効いてる! もうひと押しで何とかなるかも知れん。何ともならないかも知れんけど。
大作は空回りしている脳にオーバーブーストを掛ける。そして、ちょっと斜に構えると腕を組んで顎をしゃくった。
「まあ、話は最後まで聞いてくれよ。非協力解が均衡解なのは有限回ゲームの場合なんだ。無期限繰り返しゲームの場合にはフォーク定理っていうのがあって協力解が均衡解として成立するんだ」
「つまるところ何が言いたいの? 大佐が協力的態度を取るって言うんなら私は大歓迎よ。対話の門は常に開かれているわ」
「そうそう、それそれ。大事なのは対話の灯火を消さないことだな。これにて一件落着! それじゃあ、はねくり備中のテストをやろうか」
大作は呆気に取られるお園の手から半ば強引に鍬を受け取ると材木屋の戸口を潜った。
「材木屋殿、良い日和にございますな。此度は拙僧のはねくり備中に斯様に立派な柄を付けて頂き、真に有難き幸せ。感謝に堪えませぬ」
「いやいや。いと容易きことなれば、ことにも侍らぬことにございます。して、そのはねくり備中とやらは如何様にして使う物にありましょうや?」
材木屋の視線が大作の抱えた鍬に注がれる。そう言えば昨日、完成したら使い方を説明するって言ったような、言っていないような。
「知りたいですかな? どうしても知りたいって言われるならば教えて進ぜないこともありませぬぞ?」
「さ、左程は知りたくもございませぬ。されど、如何でも教えたいと申されるならば聞かぬでもありませぬぞ?」
小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべながら材木屋が皮肉っぽい口調で言い返してくる。
こ、こいついつの間にこんな口を利くようになったんだろう。まさか、未唯や慎之介に続いてこいつまで進化しているのか? 大作はちょっとだけ背筋が寒くなった。
「まあ、そう申されまするな。フランシス・ベーコンは申された。『知は力なり』と。知識を得ることは人生をより豊かにしてくれるのです。それにアメリカ情報認知局はこの言葉をスローガンにしておるそうですぞ。ちなみにジョージ・オーウェルは戯れで『無知は力である』などとも申しておりますな」
「は、はぁ……」
曖昧な笑みを浮かべる材木屋を無視して大作は未唯の手にはねくり備中を渡す。そして手を添えると勢いよく材木屋の土間に突き刺した。
「未唯、そのまま地中貫通核爆弾B61-12みたいに地の底まで深く刺し込め。片足を載せて思いっ切り体重を掛けるんだ」
「たいじゅう?」
「鍬を踏んづけるんだよ。憎いあんちくしょうの顔だと思って蹴っ飛ばしてやれ!」
「ここを踏めば良いのね? だけど私、誰も憎くなんてないんだけどなあ」
そんなことを言いながらも未唯が鍬に体重を掛ける。すると意外なほど簡単に刃先が土間へ深々と突き刺さった。
「そうそう、良い感じだぞ。そしたら今度は柄を手前に倒すんだ。胸の辺りに当てて柄に体重を掛けろ」
「たいじゅうね。未唯、分かった!」
鍬の柄が手前に大きく傾く。それと同時に固く踏みしめられた土間が軽々と掘り返された。
何だか知らんけど拍子抜けするほど上手く行ったような。って言うか、上手く行きすぎて怖いな。被害妄想気味な大作は漠然とした不安感に苛まれる。
もしかして未唯にやらせたのが勝因なんだろうか。きっと、自分でやっていたらこうも上手くは行かなかったんじゃないかなあ。
もうちょっと様子を見てみるか。大作は未唯の肩を軽く叩いてにっこり微笑み掛ける。
「よっしゃ、よっしゃ。一歩下がってもう一遍やってみ。そうだ! 土間を全部耕すのに何分掛かるか計ってみよう」
「いやいや、大佐様! こんなところを穿り返されては堪りませぬ。せめて店の裏でやっては頂けませぬか?」
血相を変えた材木屋に袖を掴まれた大作は我に返る。
言われてみればそうかも知れん。こんなところを耕しても何のメリットも無いぞ。そうなると長居は無用だな。
「材木屋殿、お作り頂いた柄は素晴らしい出来栄えにございました。はねくり備中が量産化の暁には女子供や媼の方々でも荒れ地を耕すことが叶いましょう。必ずや大ヒット間違い無し。大量発注を期待して下さりませ。それではSalue! Let's go together!」
未唯からはねくり備中を受け取ると大作は振り返りもせずに材木屋を飛び出した。
一行は虎居の城下を舟木村を目指して南へと進む。未唯に加えて当然といった顔のお園がくっ付いてきていた。
「どうやら生き残ったのは俺たち三人だけらしいな」
「大佐、同じネタを二回繰り返すのを天丼って言うのよね?」
未唯が半笑いを浮かべながら突っ込んでくる。私に同じネタは二回通じないってか?
いやいや、お前だってお園のマネを散々に繰り返してたじゃんかよ。大作は心の中で突っ込むが決して顔には出さない。
「そう言えばお園、アレはどうなってるかな。アレだよアレ。何だっけ? 俺、お前に何か頼んだような気がするんだけどなあ」
「空中聴音機だったら楓に任せたわよ。轆轤師様に作って頂いているから安堵してちょうだい。材木屋様から板を貰って放物線を描いたの。その線に沿って切ってやれば枠ができあがるでしょう? 後はそれを回しながら形を作って行けば回転放物面になるわ」
「それって楓や轆轤師で何とかなるのかなあ?」
「何とかなるんじゃないの? 何ともならないかも知らんけど」
ちょっと不満そうな声音の未唯が横から口を挟む。その瞳の奥にはとっても恨めしそうな怒りの炎が揺らめいているかのようだ。
この野郎、まだ根に持っていやがるのかよ! ちょっくらフォローしておくか。大作は心の中で小さくため息をつくが決して顔には出さない。
「未唯、さっきはご苦労様。じゃなかった、ありがとう。練習もしていないのに初めてのはねくり備中をあんなに上手く使いこなせるとはな。お前みたいな奴は見たこともないぞ」
「そ、そうなんだ。でも、褒めたって何にも出ないわよ」
ちょっとはにかむように未唯が微笑んだ。その顔は心底から嬉しそうに見える。
まあ、はねくり備中を使っている人間なんて今まで見たことも無かったんだけどな。大作は心の中で呟く。
「もしかして未唯は特異な才能を持っているのかも知れんな。そうだ! お前にはねくり備中マイスターの称号を与えよう。その類稀なる能力をこいつの普及と発展に活用してくれないか?」
「えぇ~~~っ! 鋤や鍬のことは菖蒲に任せたんじゃなかったかしら? それに私は連絡将校なんだけどなあ」
「まあ、そんなん気にせんでも良いんじゃね? 気楽に行こうや。Take it easy! さて、舟木の村に着いたぞ。そんじゃあちょっくらやるとするか」
大作たちが村の中心部まで進むと大勢の村人が出迎えてくれた。その真ん中には脇差を差した見覚えのある爺さんが立っている。
こいつの名前は何だっけ? たしか電波と関係あったような無かったような。
パラボラ? バイコニカル? フェイズドアレイ? いやいや、もっと日本人らしい名前だったような気がするんだけどなあ……
閃いた! じゃなかった、分かった!
「八木様! ご無沙汰しておりました。相変わらずの美人…… じゃなかった、なんだその。ナイスミドル? ちょい悪オヤジって感じですな」
「いやいや、大佐様には敵いませぬぞ。今日も女性を二人もお連れとは」
お主も悪よのうといった感じの邪悪な笑みを名主が浮かべる。
まさかとは思うけどこいつまで名主職を売りたいとか言い出すんじゃなかろうな? 大作はちょっと距離を取りながら警戒レベルを一段階引き上げた。
「して、今日は如何なる由にてお出で下さりました? 藤吉郎殿や菖蒲殿はおられぬようですな」
「知らないの…… 私は多分三人目だと思うから……」
「は、はぁ? 三人目?」
「マジレス禁止、ただの戯れにございます。さて、本日お邪魔した用向きはこのはねくり備中。こいつをご紹介させていただいて宜しいかな?」
そう言いながら大作は手首のスナップを効かせてはねくり備中の刃を素早く回転させた。鋭く尖った四本の刃先が空を切る。
「大佐様、これが鍬だと申されまするか? 何やら随分と鋭く尖っておりますな。それに柄の先から真っ直ぐ延びておりますぞ。これで如何にして田畑を耕すのでござりましょう?」
軽く薄ら笑いを浮かべた名主が首を傾げた。その瞳は何となく疑わし気に見えなくもない。
もしかして馬鹿にされてんのか? 被害妄想気味の大作はその笑顔にイラっときた。だが、強靭な精神力でそれを押さえ込むと無理矢理に笑顔を作る。
「名主殿はご存じないようですな。備中鍬みたいに先の別れた鍬は縄文時代からあったそうですぞ。勿論、当時は木製でしたが。されど、古墳時代にはすでに鉄で作られておったそうな。まあ、鉄が貴重な時代なので庶民には無縁だったのでしょうが」
「おや? そんな重宝な物をいったい誰が使っていたんでしょうね? 細かいことが気になってしまう。私の悪い癖なのよ」
何か変なスイッチでも入ったんだろうか? 挑戦的な目付きをしたお園が変なテンションで会話に割り込んでくる。
とは言え、これをスルーするのは芸人としての沽券に関わるな。大作は敢えて火中の栗を拾いに行く。
「たぶん、ガーデニングが趣味のお金持ちとかじゃないかな? まあ、そんな感じなんで一般に広く普及することは無かったんだろう。備中鍬って名前が広まったのも江戸時代に入ってからだしな」
「えどじだい?」
名主の顔付きが一層と険しくなった。気のせいか回りの村人たちの目付きも鋭くなったような。
この話題をこれ以上引っ張るのは危険かも知れん。大作は慌てて話題の軌道修正を図る。
「さて、そろそろ話を戻しても宜しゅうございますか? 常々、皆さま方がお使いの鍬はL字型をしておりますな。されど、それだと中腰の姿勢になります故に腰に負担が掛かりませぬか? それに手の力だけで掘り起こさねばなりませぬ。これは大層な重労働と申せましょう」
「さ、左様にござりますな。されど、手を使わずば土を掘ることなど叶いませぬぞ」
「ところがぎっちょん! このはねくり備中は梃子の原理を利用した絡繰にございます。人間の体重を使うだけで地面が掘り返せるというから驚きにござりましょう。これを使わば女子供や媼といった方々でも固い大地を軽々と耕すことが叶うのでござりまする。それでは先生、お願い致します」
鍬を未唯に手渡すと大作は素早く名主の横に移動した。お園もその隣で神妙な顔をして立っている。
いつの間にか周囲には十重二十重にギャラリーが取り囲んでいた。
その視線のプレッシャーもあってなんだろうか、未唯は緊張でガチガチになっているようだ。小さく震える手で鍬を持ち直すと助けを求めるような視線を送ってきた。
「で、できるかな?」
「できるかなじゃねえ、やるんだよ! さっきは掘れただろ。頑張れ! 頑張れ! 掘れる! 掘れる! 未唯なら絶対に掘れる!」
こういう時は根拠なき楽観論に限る。って言うか、信念さえあれば何とかなるものなのだ。大作は旧日本陸軍みたいな精神論を振りかざす。
『掘れぬ掘れぬは工夫が足らぬ。掘れば掘る、掘らねば掘らぬ何事も、掘らぬは人の掘らぬなりけり。掘って掘って掘りまくれ。地球の裏のブラジルまで掘るんだ!』
大作は心の中で大声援を送るが決して声には出さない。
だが、未唯は緊張で手が震えてしまって上手く刃先を地面に突き刺さすことができないようだ。それに、もしかすると道の真ん中だから踏み固められていて地面が少し固いのかも知れない。
村人たちの間に微妙な空気が漂い、未唯の顔にも焦りの色が浮かんでくる。
これってもしかして、もしかしないでも危機的状況なんじゃね?
大作はこんなときにぴったりのセリフを探して頭をフル回転させる。ポクポクポク、チ~ン 閃いた!
「どうした化け物! さっさと掘らんか! それでも最も邪悪な一族の末裔か!」
「大佐ったら酷いわ。だって、材木屋様の土間に比べて地面がとっても固いのよ!」
「だったらアレだアレ。百人力プラス百人力で二百人力!! 普段の二倍の体重を掛けて二百人力×二の四百人力っ!! さらに普段の三倍の回転を加えれば四百×三の千二百人力だぁ~~っ!!」
大作は適当な声援を送りながらも頭の中では早々と帰り支度を始めていた。
今日のところは大失敗ってことで良いだろう。って言うか、エジソン風に言えば上手く行かない方法を見付けたってことだ。
そうだ! 明日は藤吉郎にでもやらせよう。それか、農機具担当の菖蒲だっけか? あいつで良いじゃん。
うん、それが良いな。そうしよう、そうしよう。
くノ一の体術なら固い地面だって楽に掘り返せるに違いない。
いやいやいや、それってどうなんだろう。普通の人に扱えなきゃ意味が無いんじゃね? どうしたもんじゃろなぁ~
そんなことを大作が考えていると小さな鈍い音が響いた。そして一瞬の後に女の悲鳴が上がる。
「アッ~!」
慌てて大作は声のした方に目をやる。そこには鍬の刃から外れた柄を抱えて呆然とした顔の未唯が尻餅をついていた。




