巻ノ百六拾六 セールスマンは辛いよ の巻
大作は未唯をお供に引き連れて鍛冶屋を後にした。すでに日は西の空に大きく傾いている。
二人は虎居の城下を少し速足で歩く。なにせ、暗くなる前に戻らないとお園に叱られてしまうのだ。
それだけは絶対に避けなければ。絶対にだ!
ところで、そもそもどこに向かっているんだっけ? 大作は首を傾げて記憶を辿る。
「借銭を返さないといけないのは野鍛冶、轆轤師、窯元、材木屋だったっけ?」
「それと酒屋にも顔を出さないといけないわよ。えたの~るを作るために焼酎を買わなきゃいけないんでしょう」
「そうそう、良く覚えてたな。ありがとう、教えてくれて。未唯もなかなか秘書稼業が板についてきたんじゃね?」
「褒めたからって何にも出ないわよ」
そう言うといきなり未唯が満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。あまりにも唐突なスキンシップに大作はパニックになりかけるが必死になって平静を装う。
とは言え、さすがにこんなチビッ子は攻略対象外だ。いやいや、光源氏計画っていうのも悪くないんじゃね? 信玄みたいに三年待っていればボンキュッボン(死語)なボインちゃん(死語)になるかも知れん。ちょっと背が低いけどトランジスターグラマー(死語)っていうのもそれはそれで良い物だ。
ところで、紫の上って最後はどうなるんだっけ? まあ『よそはよそ、うちはうち』だ。どうせ、千年も前の話なんて参考にはならないし。
そんなことより、やはり女の子と二人きりになると簡単にイベントが発生するという仮説は本当だったらしい。これにもっと早く気付いていれば違う展開もあり得たのに。後悔先に立たずんば虎児を得ずだな。まあ、孤児だったら始末に困るほどいるんだけど。
大作がそんな取り留めの無いことを考えていると未唯が急に体を離した。そして、ちょっと不安気な顔で口を開く。
「でも、日が暮れるまでに五つも回れるのかしら? 間に合えば良いんだけれど」
日没まで、あと二時間ってところだろうか?
仮に百二十分で五か所回ろうと思ったら一か所当たりニ十四分しかない。ちょっと厳しいかも知れんな。大作は急に不安になってくる。
「知っているか、未唯? こういうのを巡回セールスマン問題っていうんだぞ。n!/2n通りのルートの中から最適解を求めなければならん。nは五だから…… 百二十割る十で十二通りだな。これくらいなら総当たりで何とでもなる。もしこれが十か所だったら十八万千四百四十通りも計算しなきゃならんところだ」
「ふ、ふぅ~ん。それで、始めはどこに向かうのかしら?」
「まずは十二通りのルートを列挙する。それぞれの距離を計算して最短の物を選ぶだけの簡単なお仕事だ。お仕事なんだが…… そんなのやってられるかよ~!」
大作は忌々し気に声を荒げる。突然の大声に未唯がちょっと顔を顰めた。
もしかして、人間コンピュータのお園を連れてこなかったのは失敗だったかも知れんな。
とは言え、認めたくないもんだぞ。自分自身の若さ故の過ちっていうのは。
そんなことを考えている間にも野鍛冶が見えてきた。実を言うと、とりあえず一番近い野鍛冶を目指していたのだ。
やっぱ、お園を連れてこなくても良かったんじゃね? 大作は胸を撫で下ろす。
「頼もう! 大佐にございます」
「これはこれは、大佐様。今日は如何なるご用向きにござりまするか?」
野鍛冶が意味深な笑みを浮かべながら軽く頭を下げた。
もしかして馬鹿にされてるのか? ちょっとイラっときた大作は思わず声を荒げる。
「用が無ければお訪ねしてはいけませぬのでしょうか? いったい、何処の何方がそのような決まりを作られたのでしょう? 何時何分何秒何曜日 ? 地球が何回まわった時?」
「いやいや、決してそのようなことはござりませぬ。そうそう、藤吉郎殿に頼まれておった…… 何でございましたかな? はねくり備中! あれができておりますぞ。宜しければお持ち下さりませ」
そう言いながら野鍛冶は巨大なフォークのような物を差し出した。先が四つに分かれた鍬は禍々しい黒光りを放っている。
まるで悪魔が持っている鉾みたいだな。大作は『Trick or treat!』とか言いながら家々を巡る野家事を想像して吹き出しそうになった。だが、空気を読んで何とか我慢する。まあ、悪魔が持ってるのは三叉なんだけれど。
鍬の根元の部分にはヒンジが付いており、そこから伸びた棒の先はU字形になっている。って言うか、これって……
「柄が付いておらぬようでございますが?」
「申し訳ござりませぬ。我らは鍛冶屋にござりますれば柄はご自分でご用意下さりませ」
なんじゃそりゃ~! 柄なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよってか?
いやいや、きっといつもの偏狭なセクショナリズムに決まっている。昔の人は何でこんなに心が狭い奴等ばっかりなんだろう。
大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。無理矢理に笑顔を浮かべると深々と頭を下げた。
そして百匁ほどの金塊をバックパックから取り出すと野鍛冶の手に握らせる。
「回転式脱穀機の金具作りでお忙しい中、こんな物までお作り頂きありがとうございました。お礼はこれくらいで宜しゅうございますか?」
「これは金にござりまするか? あまり儂らには縁の無いもの故、如何ほどの値打ちがある物なのか見当も付かぬのですが」
「百匁ほどですので銭七、八十貫文くらいになりませぬかな? って言うか、なったら良いですな。お手数ですがご自分で替銭屋に持って行って下さりませ」
大作は面倒臭いことを野鍛冶に丸投げする。だって、そんな大金を銅銭にしたら三百キロくらいになってしまう。そんな物、とてもじゃないが運んでおられん。
そのことは野鍛冶も納得してくれたらしい。ちょっと怪訝な顔をしながらも軽く頷いてくれた。それを大作は了承の意と解釈する。
「ぶいじがたの金具が一万個で銭五十貫文の約束にござりましたな。余りは如何致しましょう?」
「はねくり備中のテストが済めば若干の改修を経た後に大量発注させて頂く所存。その代金の前払いだと思って下さりませ。他にも牛鍬や馬鍬を作って頂こうかとも考えておりますれば、その節は宜しゅうお願い申し上げます」
「心得ました。こちらこそ宜しゅうお頼み申します」
とりあえず一件落着だ。大作と未唯は逃げるように野鍛冶を後にする。
なんせ、移動時間も含めると一件当たりニ十四分以内に押さえなければならないのだ。
こんなタイトなスケジュールを組んだのはいったい何処のどいつだよ!
いやいや、俺なんだけどな。大作は激しく自分で自分に突っ込んだ。
それはそうと、柄の付いていない無いはねくり備中は何だかとっても持ちにくい。それを大切そうに抱えた大作は虎居の城下を足早に進む。道行く人々の好奇な視線が痛い。
微妙に刺々しい空気を華麗にスルーして未唯が首を傾げた。
「大佐、次は何処へ行くの?」
「材木屋が良いんじゃないかな。だって、はねくり備中がとっても重たいんだもん。早く持って行って柄を付けて貰おう」
「でも、先に材木屋に行かなくて良かったわね。もしも材木屋の後に野鍛冶に行ってたら、また後で材木屋に戻らなきゃならなかったわよ」
「そうだな。本当にラッキーだったよ。きっと日頃の行いが良かったんだろうな」
材木屋に辿り着くと店先の隅っこに楓と紅葉が手持ち無沙汰に座り込んでいた。その脇には材木がうず高く積まれている。
って言うか、何で材木屋に二人も回したんだっけ。大作は必死に記憶をたどるがさぱ~り重い打線。
大作たちの姿に気付いた二人がすばやく立ち上がると駆け寄ってきた。
「二人ともご苦労さん。頼んだことは上手く行ったみたいだな」
「はい、大佐。ぱらぼらを作るための木はこれくらいで宜しゅうございますか?」
そうそう、パラボラを作るとか言ってたっけ。でも、どうやったらこんな材木から回転放物面なんて作れるんだろう。さぱ~り分からん。
まあ、そこはお園に知恵を借りれば何とでもなるだろう。大作は考えるのを止めた。
「そ、そうだな。こんだけあれば足りるんじゃね? って言うか足りたら良いなあ。それより問題はこれをどうやって運ぶかだな。まあ、それは後で考えよう。それで、もう一人の方はどうだ?」
「紅葉にございます。いまだ名を覚えていただけぬとは。私は悲しゅうてなりませぬ」
「いやいや、ちょっとしたジョークだよ。こないだからお前ら、やたらと戯れだ戯れだって言ってただろ? これはほんのお返しだ」
「笑えぬ戯れにございます。以後、お止め下さりませ」
少し悲しそうな顔で紅葉がそう呟く。そして顔を伏せると小さく肩を震わせた。
えぇ~~~! もしかして傷つけちゃったのか? お前をそんな柔なキャラに育てた覚えは無いぞ! 大作は心の中で逆切れする。
だが、紅葉の隣に立つ楓と未唯が鬼の形相で睨んでくる。もしかして、もしかしないでも完全に悪者にされてるのか? 大作は堪らず視線を反らす。
だが、視界の隅で不意に楓の表情が歪んだ。そして我慢できないといった風に頬がピクピクと動いた。
突然のことに大作が仰天していると、楓の表情がさらに急変する。その様子はまるで堤防が決壊するかのようだ。それが伝染するかのように未唯や紅葉もお腹を抱えて笑い出した。
あまりの大騒ぎに材木屋の人たちまでもが作業の手を休めてにこやかに見守っている。
何だこの展開? どう反応したら良いんだろう。大作はとりあえず上目使いに卑屈な笑みを浮かべる。
ひとしきり笑い尽くした後、三人娘はようやく少し大人しくなった。大作は恐る恐る紅葉の顔色を伺う。
「ど、どういうことかな、紅葉。もしかして怒っていない?」
「これしきのことで今さら怒りなど致しませぬ。戯れにございます。さすがの大佐も戯れでは私に叶わぬような」
普段は決して仏頂面を崩さない紅葉が珍しく優しい笑みを浮かべている。
危機は去ったのか? 大作は警戒レベルを一段階引き下げると小さくため息をついた。
「そ、そうだな。そんで何だっけ? 悪いけど俺たちには時間が無い。一件当たり二十四分に押さえなきゃならないんだ。どうやら紅葉の用事も済んでるみたいだな」
「はい、大佐。木材ちっぷを作るための端材はこれくらで宜しゅうございますか?」
思い出した~! そういや、そんなことを頼んだっけ。
でも、これを運ぶのは本当に大変そうだな。大作は見ているだけで嫌になってきた。
「そうそう、それそれ。これを砕いてドロドロにしてパルプを作るんだっけ。とりあえずこの材木と端材を青左衛門のところに運ぶとするか。四人で手分けすれば何とかなるんじゃね?」
「大佐、それだときた道をまた戻ることになるわ。先に窯元に行って帰りにもう一度寄りましょうよ。そうすれば牡丹にも手分けして持って貰えるわ」
「ナイスアイディア、未唯! もう、秘書として非の打ち所が無いんじゃね?」
大作は未唯を誉めて誉めて誉めまくる。フラグ構築にはそれが一番の近道みたいな気がするのだ。
材木屋に一声掛けると一同は材木の山を置き去りにして窯元を目指した。
「ねえ、大佐。もしかして轆轤師を先にした方が良かったんじゃ無いかしら? それと先に材木屋さんに借銭を返しておいた方が良かったと思うわよ。ちょっとでも荷物が軽くなるもの」
「お前なぁ~! そう言うことはもっと早く言えよ。ちょっと誉めたと思ったらすぐにこれだぞ…… って言うか、何で俺ははねくり備中を持ったままなんだ? 材木屋で柄を作って貰うんじゃ無かったっけ?」
もう半分くらいまできてしまった。今さらコース変更もできない。大作は悔しさに打ち震える。
って言うか、何で楓と紅葉まで連れてきちゃったんだろう。一緒にいても意味無いじゃん。それに未唯を攻略するならこいつらは邪魔にしかならん。
だけど、邪魔だから帰れとも言い辛いなあ。閃いた!
「あのさあ。楓と紅葉は一緒に行ってもすること無いじゃん。代わりに材木屋に戻って持てる分だけで良いから鍛冶屋に運んでおいてくれるかな?」
「畏まりました、大佐」
「私もそうすれば良いと思ってたのよ」
未唯がまるで勝ち馬に乗るかのように嬉しそうに捲し立てる。
勘弁してくれよまったく。何だか未唯を攻略する気力が急激に削がれてきたぞ。
現時刻を持って未唯を凍結。攻略対象から除外する! 大作は心の中で宣言した。
何となく記憶を頼りに煙のたなびく方向を目指す。暫く進むと見覚えのある窯元が姿を現した。
「ここにいるのは牡丹の筈だよな? 確か担当は蒸留塔とエタノールだったっけ?」
「そうよ、大佐。良く覚えていたわね。偉い偉い」
未唯が半笑いを浮かべながら大作の頭を撫でる。
もしかして馬鹿にされてんのか? 大作はかなり本気でイラっときたが決して顔には出さない。
なけなしの自制心を振り絞ってにっこり笑うと、お返しとばかりに未唯の頭をグリグリと撫で回す。
未唯はちょっと頬を染めながら身を捩って抵抗する。だが、決して嫌そうには見えない。
「でもまあ、それを覚えてた未唯も偉いぞ。誉めて遣わす」
「そ、そうかしら? きっと、大佐の方が偉いわよ。私、蒸留塔やエタノールが何なのかこれっぽっちも分からないんだもの」
「いやいや、意味も分からないのにちゃんと覚えていた未唯の方がずっと偉いぞ」
「そんなことないわ! それが何だかちゃんと分かってる大佐の方がずっとずっと偉いわよ!」
こんどは偉い競争かよ! もう、うんざりだ。大作は考えるのを止めた。
窯元に着いてみると何人もの男たちが忙しげに働いていた。みんな作業に集中しているのだろうか。誰一人としてこちらに気付いてくれない。
とは言え、もう本当に時間が無い。大作はちょっと遠慮がちに声を発する。
「頼もう、大佐にございます」
「おお、大佐様ではござりませぬか。お待ちしておりましたぞ。先ほどから牡丹と申されるお方がお待ちにござります」
ちょっと困り顔の窯元が視線を反らす。その指し示す方向に目をやると牡丹が膝を抱えて座り込んでいた。
「よう、牡丹。こっちはどうなってんだ?」
「どうもこうもございませぬ。蒸留塔もコークス炉も、いまだ焼いてもおらぬそうな。あれだけ大きな物になると焼く前に乾かすだけで幾日も掛かるそうにございます」
「そ、そうなんだ。そう言えば半月くらい掛かるって言われたのが一週間くらい前だっけ。ってことはもしかして、もしかしないでも無駄足なのか?」
「だったら長居は無用ね。借銭をお返ししたらさっさと轆轤師に向かいましょう」
無邪気な笑みを浮かべた未唯が横から口を挟む。でも、それだけで帰るのってちょっと阿呆みたいじゃね? 大作は適当な話題を探して頭を捻る。閃いた!
「窯元殿。蒸留塔とコークス炉のお代ですが金でお支払しても宜しゅうございますか? 百匁ほどございます故、銭七、八十貫文くらいになるはずにございます。お手数をお掛けして申し訳ございませぬが替銭屋に持って行って下さりませ」
「き、金でございますか? しかしまた、何故にお坊様がこのような物をお持ちで?」
窯元は恐る恐るといった顔で金塊を受け取る。だが、急に胡散臭そうな表情になると舐め回すように観察しだした。
これはガツンと言っといた方が良いかも知れん。大作は適当な言葉を探して頭をフル回転させる。閃いた!
「Curiosity killed the cat. 好奇心は猫をも殺す。要らぬ詮索は身を危うくしますぞ」
「猫って小さな獣のことよね? 何故にそれを殺めねばならないの? 何だか可哀想だわ」
大作の心ない一言に未唯が声を震わせた。その表情は今にも泣き出しそうに歪んでいる。
「いやいや。殺すって言うのは言葉の綾だよ。それくらい命の危険があるって比喩表現? 俺は猫大好き、フリス○ーなんだぞ。絶対に猫を虐めない、絶対にだ!」
「ふ、ふぅ~ん。良かった。それを聞いて安堵したわ」
「それはそうと窯元殿。耐火煉瓦は如何な案配で?」
「へ、へえ。前に大佐様より頂いた入来院様の真っ白な磨き粉? あれが殊の外に良い具合にございました。割合を変えた物を五つほど青左衛門殿にお渡しして試して頂いておるところにございます」
ここでもあいつがボトルネックになっているのかよ。大作は心の中で顔をしかめる。
「左様にござりますか。さすれば拙僧からも急かしておきましょう。話は変わりますが窯元殿は七輪をご存じにありましょうや?」
「しちりん? そは如何なる物にござりましょう」
「持ち運ぶことができるコンパクトな焜炉にございます。これを使えば煮炊きに用いる炭を随分と倹約することが叶いまする」
「なんとなんと。大佐様のお寺では飯の煮炊きに炭を使うておられるのでございましょうか? これはまた大層と豪気なること」
窯元の口から乾いた笑いが溢れる。なんとなく、その瞳には怒りが込められているように見えなくもない。
「うひゃあ!」
不意に何者かに脇腹を突っつかれた大作は小さな悲鳴を上げる。慌てて振り返ると未唯が呆れた顔をしていた。
「あのねえ大佐。薪なら一束が十文か二十文だけど、木炭ともなれば一束で二百文はするわよ」
「いやいや、それが七輪を使えばたった七厘で買えるほどの木炭で煮炊きできるんだよ。あるいは、七厘の重さの木炭で足りたとも言われているな」
「だからその『しちりん』って何なのよ?」
「一円の百分の一が一銭だ。その十分の一が一厘。つまり一円の千分の七だな」
こいつに適当な誤魔化しをすると返って話が拗れる。ちゃんと説明した方が時間を節約できそうだ。
サンチョ・パンサも言っている。『判断に迷ったときは慈悲深くあれ』とか何とか。
そんなことを考えながら大作はスマホの電卓を起動した。




