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巻ノ百六拾参 イザナギvsイザナミ の巻

 翌朝、大作は普段より随分と早い時間に目を覚ました。スマホの時計を見ると六時を少し過ぎたくらいだ。

 それにしてはちょっと薄暗いかも知れん。もしかして天気が悪いんだろうか。そんなことを考えながら筵の中で大きく伸びをする。

 隣で寝ていたお園も目を覚ましたらしい。眠そうに目を擦りながら欠伸を噛み殺した。


「お早う、大佐。今朝は随分と早いのね。雨でも降らなきゃ良いけど」

「ごめんごめん。起こしちゃったかな。まあ、たまには朝早くに目が覚めることもあるんじゃね? 人間だもの」

「せっかく目を覚ましたことだし、起きましょうか。それで、ラジオ体操はどうするの?」

「そうだな、とりあえずやっとこう。総員起こし! 総員起こし!」


 大作は跳び跳ねるように筵から飛び出すと大声を張り上げた。

 メイ、ほのか、くノ一たちが瞬時に飛び起きる。何だかんだ言ってもやはりプロ集団だな。大作はちょっと感心する。

 それに比べて未唯や藤吉郎は寝起きでぼーっとしているようだ。


 竈に火を起こし、水を入れた鍋を掛ける。湯が沸くのを待つ間に小屋の前でラジオ体操を済ませた。

 その後、昨日に買った小麦粉の残りで水団(すいとん)を作って食べる。

 味付けには例に寄って味噌を使う。道具箱にハンマーしか無ければすべての問題は釘に見えるんだからしょうがない。

 みんな、水団を食べるのは始めてらしいが意外と好評のようだ。


「これ、とっても美味しいわね。山ヶ野に帰ったらあっちでも作りましょう。みんなもきっと喜ぶわよ」

「そうだな。具とかも、いろいろ工夫してみよう。ところで、今日は何をするんだったかな。未唯?」

「え! え! 私?」


 急に話を振られた未唯が目に見えて狼狽えた。

 効いてる効いてる。大作は心の中でほくそ笑む。そして、大きくため息をつくと手のひらを上にして肩の高さで広げた。


「君には失望したよ、未唯。スケジュール管理なんかは全部任せるって言ったような気がするんだけどなあ。言ってなかったっけ?」

「あんまり厳しく言わないでくれるかしら。ぱわはらよ」


 すかさずお園が間に割って入り、未唯は影に隠れるように小さく縮こまった。

 このままでは悪者にされそうだ。こういう時は情に訴え掛けた方が効果的かも知れん。大作は慌てて方針を変更する。


「未唯はナチスに例えるならヒトラー総統の秘書をしていたトラウデル・ユンゲみたいな立場なんだぞ。彼女は総統の遺言もタイプした凄いお方なんだ。俺はそれくらい未唯のことを高く評価しているんだ。その期待に応えてくれるよな?」

「み、未唯、分かった。秘書はまだできないけど、気張ってお勤めするわ!」


 何だかカリ城のラストでクラリスが言った台詞にちょっと似てるな。

 大作がそんなことを考えているとメイやほのかが横から口を挟んでくる。


「なちすに例えたら私は誰なのかしら」

「私めは例えて貰えないの? 未唯だけなんて狡いわ。チームのメンバーは対等なんでしょう?」

「えぇ~っ? そうだな、くノ一を束ねるメイは親衛隊長官ヒムラーで良いんじゃね? 財務担当のほのかは…… 財務相のクロージク卿? いやいや、ちょっと地味過ぎるな。だったらマルティン・ボルマン官房長だ。あのお方も初めは党の会計担当だったらしいぞ」

「ちょっと良いかしら、大佐」


 大作の言葉が途切れた瞬間を捕らえ、お園が口を挟む。その表情は固く、視線がちょっと厳しい。何だかとっても機嫌が悪そうだ。


「あのねえ、大佐。そんなどうでも良いことをああだこうだとやる意味はあるんでしょうか? こんなんだから、なかなか話が進まないんじゃないでしょうか? 些末なことは省いていきなり大殿なり青左衛門殿をお訪ねするところから始めた方が良いと思うわよ」

「そ、そうかなあ。でも、身に付いた習慣ってなかなか変えられない物だろ。とは言え、先々のことを考えるとちょっとずつでも変えていった方が良いのかも知れんな。みんなはどう思う? 俺たちは民主主義だ。多数決で決めよう」


 面倒臭くなった大作は判断を丸投げする。実を言うと民主主義なんて建前に過ぎない。本当のところは責任を取りたくないだけなのだ。

 間髪を容れずにメイとほのかが即答した。


「私はどっちでも良いわよ。大佐が良いと思う方で良いんじゃないかしら。大佐ん中ではね」

「私めも大佐に任せるわ。現場のことは現場が一番良く分かってるんでしょう?」

「お前らなぁ~! ちゃんと自分の意思って物を持てよ! って言うか『夕飯は何が食べたい?』って聞かれて『何でも良い』って答えられたら頭にくるだろ? そもそも、お園。お前は本当に朝飯が無くなっても良いのか? とある論文によると朝食で炭水化物を取り過ぎると精神的寛容性が低下し、アグレッシブになるそうだぞ。朝食を抜くと血圧が上がって脳出血のリスクが三十六パーセントも上昇したなんて研究もある」

「はいはい、分かったわよ。大佐が良いんなら私も文句は無いわ。じゃあ、今まで通りにしましょう」


 やけにあっさりとお園が矛を納めた。もしかして、どうでも良かったんだろうか。

 いやいや、そんな筈はない。ひょっとするとアレか。ヒムラーやボルマンに妬いてるとか? ご機嫌を取るなら早いに越したことは無いな。

 大作はお園に向き直ると真正面から瞳を見つめる。そして満面の笑みを浮かべながら精一杯の優しい声を出した。


「お園はナチスで例えるとエヴァ・ブラウンだな。二人は自殺する前の日に結婚したんだ。ちょっとばかしロマンチックだろ?」

「えぇ~~~! それって夫婦(めおと)になってすぐに自害されたってこと? 縁起でもないこと言わないでよ」

「いやいや、柴田勝家とお市の方みたいで素敵じゃないか。命を懸けて純愛を貫いたんだ。胸を張って良いぞ」

「勘弁して頂戴よ。そんなの私、何があっても嫌だからね。って言うか、大佐は死なない。私が守るもの!」


 お園が見たこともないほどのドヤ顔で胸を張って宣言する。結局はそれかよ~! 大作は心の中で絶叫する。


「まあ、俺だって青酸カプセルを飲んで拳銃で頭を撃ち抜くなんて真っ平御免の助だけどな。とは言え、嬲り殺しされたうえ広場に逆さ吊りにされたムッソリーニとクラーラ・ペタッチなんかよりは全然マシだぞ。あんなんと比べたら普通に処刑されたルイ十六世とマリーアントワネット、ニコライ二世一家、チャウシェスク夫妻なんかはむしろラッキーなんだろうな」

「大佐の生国は手拱(たうだ)きて事無き御代(みよ)だと申しておられませなんだか? お話を聞けば以ての外に物騒な様子。某は戦国時代に生まれて幸いにございました」

「うぅ~ん、どうなんだろう? 戦国時代も案外と物騒な気がしないでもないぞ。とは言え、マクナマラが言ってたな。二十世紀の百年間における戦争や政治暴力による犠牲者は一億六千万人にも上るんだとか。だけど、これって平均すると一日当たりたったの四千四百人にしかならん」

「えぇ~~~っ! 四千四百人がたったのですって? 毎日毎日、それだけ数多の方々が亡くなるんでしょう? 途方も無い数だわ」


 未唯が言葉尻を捕らえて大袈裟に驚いた顔をした。論点が違うだろ~! 大作は心の中で絶叫する。


「いやいや、分母が違うんだよ。二十世紀の世界人口は数十億に上る。それに比べれば微々たる物だ。その証拠に二十世紀の百年間で世界人口は四倍にも増えたんだぞ」

「戦で人が一億六千万も無くなったんでしょう。それなのに、どうしてそんなに人が増えたのかしら」

「そりゃあ、死ぬ数より生まれる数の方がずっと多いからだよ。今から二千年も前にイザナミは申されたそうな。毎日千人ずつぶっ殺すってな。するとイザナギも毎日千五百人産ませるって言い返したんだとさ。そのペースで人口が増えたら二千年で三億六千五百万人だぞ。話は変わるけどビル・ゲイツは申された。世界で一番多く人間を殺している生き物はな~んだ?」


 そう言うと大作は水団を一切れ口に放り込んで全員の顔をゆっくりと見回す。だが、返ってきたのは気不味い沈黙だった。

 もしかしてこの話、全然受けていないのか? 大作は激しく後悔するが今さら止めるわけにも行かない。せめてオチだけは付けておかねば。


「答えは蚊でした~! 戦争や犯罪で殺される人よりもプ~ンって飛ぶ小さな小さな蚊に刺されて死ぬ人の方が多いなんて不思議だろ?」

「えぇ~~~! それって真の話なの? 未唯、蚊に刺されて亡くなった人なんて見たことも聞いたこともないわよ」

「温帯に住んでる日本人にはあんまり縁が無いけどマラリアって恐ろしい病気があるんだよ。熱帯や亜熱帯に行く時には注意しなけりゃならん。平清盛とかマラリアで死んだんじゃなかったっけ? ともかく、戦なんかより病の方がよっぽど怖いんだ。こればっかりは今も昔も変わらないんだな」

「ふ、ふぅ~ん。それは難儀なことね。でも、その話は後でも良いでしょう。今、考えなきゃいけないのはこれから何をするかよ。大殿をお訪ねして金貨や名主職のことをお願いするとか、青左衛門様や野鍛冶、轆轤師を巡って借銭をお返ししなきゃいけないわ。取説の印刷や回転式脱穀機は藤吉郎と菖蒲に任せて良いわね?」


 横から話に割り込んだお園が脱線気味の話題を強引に断ち切った。ナイスアシスト、お園! 大作は心の中で賞賛を送る。


「そ、そうだな。未唯、今の話を覚えておいてくれるか? そうは言っても大殿にアポ無し面会は難しいぞ。まずは、弥十郎様にでも話を通しておこう。それから青左衛門たちを回って情報を収集。それを整理して若殿にご報告。最後に満を持して大殿に面会だ。で? 金は持ってきてるよな?」

「き、金と申されましたか?」

「いったい、何のお話にござりましょう?」


 くノ一四人組が怪訝な顔で揃って首を傾げる。


「えぇ~~~! お前らが持ってるんじゃないのかよ~!」

「申し訳ございませぬ。戯れにございます。金ならばほれ、この通り」

「お~ま~え~ら~な~~~! 昨日、戯れ禁止ってあんだけ言っただろ~! 次やったら本気で怒るぞ。まったくもう」


 みんなの大きな笑い声に大作の絶叫は飲み込まれて行った。




 食器を洗って歯を磨くと全員で揃って弥十郎の屋敷を目指す。思っていたほど天気は悪くないようだ。

 歩き出してすぐに藤吉郎が遠慮がちな顔で口を開いた。


「大佐、某はなちすに例えるとどなたにござりましょうか?」

「えぇ~~~っ! この話題、まだ引っ張るのかよ~! お前はそうだな…… 口が上手いから宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスで良いんじゃね?」

「では、我らくノ一は如何にございましょうや?」

「お、お前らもかよ…… え、えぇ~っと。牡丹はノルトラント師団長グスタフ・クルケンベルク。菖蒲はシャルルマーニュ師団長エドガー・ピュオで良いんじゃね? 楓と紅葉はヨーゼフ・メンゲレだな。千五百人もの双子でいろんな実験を行った偉いお医者さんだぞ」


 大作は切れかけた集中力に鞭を打って無理矢理なこじつけを捻り出す。藤吉郎やくノ一は満足気な笑みを浮かべているが意味が分かっているんだろうか。分かんね~だろ~な~? 心の中で呟くが決して顔には出さない。


 そんな他愛ない話をしながら大作たちは虎居の城下をひたすら歩いた。

 そろそろ、弥十郎の屋敷が見えてくるころだろうか。大作は道の向こうの方に目を凝らす。

 すると、通りの向こうから見覚えのある姿が近付いてきた。それは誰あろう、弥十郎本人だった。

 このおっさん、なにげにエンカウント率が高いな。これでもうちょっと弱ければ経験値稼ぎに持ってこいなのに。

 大作はそんな失礼な胸中をおくびにも出さず、満面の笑みを浮かべる。


「これはこれは…… 誰だっけ?」

「工藤様よ」


 弥十郎の苗字を思い出せなかった大作にお園がそっと耳打ちする。


「そうそう、工藤様。ご機嫌麗しゅうございます。ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります」

「おお、大佐殿ではござらぬか。今日はまた、斯様なところで如何なされた?」

「えぇ~っと、何でございましたかな…… そうそう、鉄砲! 四十丁の鉄砲の検品作業が終わっておりますれば、近々にも納品させて頂きとう存じます。慎之介…… 何だっけ?」

「日高様よ」


 大作はまたもや苗字を思い出すことができなかった。耳元で囁くお園の口調がさっきより少し厳しい。


 もしかして脳腫瘍か何かで脳機能が低下してたりして。余命数ヵ月とかだったら嫌だなあ。とは言え、それはそれで面白い展開か?

 いやいやいや、こんな序盤で死にたくないぞ。大作は激しく頭を振って変な考えを頭から追い払う。


「これは記念すべき祁答院鉄砲隊の第一歩にございます。できますれば、鉄砲大将の日高様と語らって何かお披露目イベント的な物を企画しても宜しゅうございましょうや?」

「いべんと? であるか。うぅ~む。まあ、目出度いこと故、何ぞやっても良いかも知れぬのう。儂から若殿に詣で訪ふと致そう」

「有難き幸せにございます。ではまた後程お邪魔いたします」


 大作たちは深々と頭を下げて弥十郎を見送る。

 とりあえず一件落着だ。とは言え、勢いでイベントなんて企画してしまった。細かいことは慎之介に任せるにしても、一回は直接会って話をしなければ。


「未唯、慎之介に会って鉄砲お披露目イベントの打ち合わせをしなきゃならん。覚えといてくれ。それか、覚えられんようならメモしてくれ」

「めも?」

「メモランダムの略だな。ラテン語で記憶されるべきものとか何とか。メモリーは記憶って意味だろ?」

「意味だろって言われても知らないわよ。とにかく、紙に書き付けておけば良いのね。未唯、分かった」


 そんな話をしながら大作たちは青左衛門の屋敷を目指して歩を進める。


 鍛冶屋に辿り着くと今日も朝早くからみんな忙しそうに働いていた。

 暫く見ないうちに知らない顔が随分と増えているような。どうやら人を増やしたらしい。

 

 目当ての男はその中心で真剣な目付きをして立っていた。時折、手短に指示を飛ばす他は黙って全体の動きを見ているようだ。

 大作は作業が一段落するのを待って遠慮がちに声を掛ける。


「青左衛門殿、今朝も早くから精が出ますな」

「おお! 大佐様こそ、このような時分から如何なされました? 蒸気ハンマーならまだできておりませぬぞ」


 若い鍛冶屋は悪戯っぽい笑みを浮かべながら冗談めかして答える。

 こいつも言うようになったもんだ。大作は素直に感心した。

 ちょっと前までは新しい仕事を持ってくる度に死んだ魚みたいな目をしていたくせに。とてもじゃないが同一人物とは思えんほどの代わりようだ。

『男子三日会わざれば刮目して見よ』なんて言うけど人間という生物の進化の可能性を垣間見た気がするぞ。


 まさかとは思うけど『SF/ボディ・スナッチャー』みたいに何者かと入れ替わっていたら嫌だなあ。大作は想像して吹き出しそうになったが空気を読んで我慢する。

 あれって1956年版ではドン・シーゲル監督はバッドエンドにしたけど製作のウォルター・ウェンジャーがハッピーエンドに変えさせたんだっけ。フィリップ・カウフマン監督の1978年版ではバッドエンドだったはずだ。でも、ホラー映画って基本はバッドエンドで良いんじゃないのかなあ。

 いやいや、そんなことはどうでも良い。今、大事なのは青左衛門が鞘人間に入れ替わっていないかどうかだろう。


「青左衛門殿。手を見せて頂いても宜しゅうござりまするか?」

「手? 某の手が如何致しました?」

「どれどれ…… 良かった! 指紋はちゃんとあるようですな」


 大作はほっと胸を撫で下ろす。とは言え、この設定って1956年版と1978年版のどっちだったっけ? それとも両方共通だろうか。今一つ確証が持てない。

 確実に判断しようと思ったら驚かせるとか怖がらせるとかして感情を露にさせるのがベストだろう。この男も案外と感情の起伏の激しい奴だ。ちょっと大袈裟な話をすればびっくりしてくれるはずだ。

 そう考えた大作は座敷に上げて貰って本題に入ることにする。通されたのは前にも使った狭い板の間だった。

 前にきた時は五人だったけど今日の大作たちは十名もの大所帯だ。もっと広い部屋は無いんだろうか。きっと無いんだろう。あればそっちに通してくれるはずだ。


「青左衛門殿。まずは良い知らせからお話致しましょう」

「へ、へぇ。良い知らせにございますか。どういったお話にござりましょう」


 青左衛門が小首を傾げて鸚鵡返しした。その顔からは何の表情も読み取れない。

 大作は軽く頷くとくノ一四人組に目線を移して小声で話し掛ける。


「みんな、金を全部出してくれるかな。言っとくけど戯れは無しだぞ」

「……」


 牡丹、菖蒲、楓、紅葉の四人が揃って見たこともないほど恨めしそうな顔をする。

 そんなに冗談が言いたいのかよ。これは後で思いっきり冗談を言わせてやらねば。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。


 目の前に鶏の卵くらいの金塊が二個と鶉の卵くらいの金塊が二個、仲良く並んでいる。青左衛門は相変わらずの仏頂面だ。

 前に金塊を見せた時は物凄く驚いてくれたんだけど。やはり、びっくりインフレなんだろうか。初回と二回目ではインパクトだって違うだろうし。


「えぇ~っと、青左衛門殿への借銭は如何ほどでしたかな。鉄砲八丁で銭二十四貫文?」

「お戯れを申されますな、大佐様。某を理化学研究所の所長に任せると申されたではありませぬか。すでに蒸気ハンマーやコークス炉を始め、様々な開発にも取り掛かっております。それに、先ほどご覧頂いたように下働きも増やしております。これらに掛かる銭も大佐様にお支払い頂くとのお約束。よもや、お忘れではござりませぬな?」


 ゆっくりと腕組みをしながら青左衛門が真正面から視線を向けてきた。

 大作は思わず目線を外しそうになる。だが、決死の思いで笑顔を作ると青左衛門の目を見つめ返した。


「申し訳ござりませぬが忘れ申しました。されど、覚えておったとて同じことにござりますぞ。民法五百五十条により、書面によらない贈与は各当事者が撤回することができまする。そもそも、僧侶は世俗とは無縁。約束など意味がありますまい」

「な、何と申されました! 如何に大恩ある大佐様とは申せ、今のお言葉は聞き捨てなりませぬ! 一度交わした約定を守らぬなど、道理が通りませぬぞ!」


 青左衛門の額に青筋が浮き立ち、手が小刻みにプルプルと震えている。

 何だか最後の十二日間のヒトラーみたいだな。大作は青左衛門の言葉を右から左に聞き流しながら心の中で適当な嘘字幕を付けた。


 これだけ怒っているんなら鞘人間って可能性は無さそうだ。大作は安堵の胸を撫で下ろす。

 とは言え、これだけで安全宣言を出すのは気が早過ぎるだろう。知らない内に人が他人と入れ替わっているってネタはボディ・スナッチャーの専売特許では無いのだ。

『遊星よりの物体X』とか『遊星からの物体X』とか。ゼイリブなんかもそうだ。って言うか、トワイライトゾーンとかアウターリミッツなんかでもしゅっちゅうお目に掛かる定番ネタの一つに過ぎない。

 こりゃあ考えるだけ時間の無駄だな。そもそも、この青左衛門が偽物と入れ替わってたとすると本物はとっくに死んでる筈だ。だったら偽物と付き合って行くしか他は無い。その上で、こいつが役に立たんようなら代わりを探すまでだ。

 大作は考えるのを止めた。再び青左衛門に向き直ると額を床板に擦り付けるように土下座する。


「お許し下さりませ、青左衛門殿。実は此方に控えし四人の娘御は大層と戯れが好みにござりましてな。先ほど拙僧が戯れは無しじゃと申した折の顔を覚えておられまするか?」

「か、顔にござりまするか? 生憎と良う覚えておりませぬが」

「それは何よりにござりましたな。とにもかくにも、先ほど拙僧が申し上げたことは忘れて下さりませ。A word spoken is past recalling. 『一度口からでた言葉は呼び戻せない』などと申しますが録音したわけでもござりませぬ。呼び戻さずとも何処かへ飛んで行ってしまったことにござりましょう。とりあえず、今日のところはこの金塊を一個お渡し致します。足らずとあれば、一月もお待ち頂ければもっと多くの金が採れます故、今暫くお待ち下さりませ」


 頭を下げたまま大作は返事を待つ。だが、暫く待っても返事が無い。ただのしかばねなんだろうか。そう思って恐る恐る顔を上げてみる。そこには一番大きな金塊を手に、満面の笑みを浮かべる青左衛門の姿があった。


 大作はお園の耳に顔を寄せて囁き掛ける。


「こいつ、こんなキャラだったっけ?」

「良く覚えていないけど、こんなんだったんじゃないかしら。欲望に正直なお方は信用できるんでしょう?」


 悪戯っぽく微笑みながら相槌を打つお園は何だかこれまでと別人のように見える。

 まさかとは思うけど、すでに自分以外の全員が別人と入れ替わってたらどうしよう。いやいやいや、そんなの考えてもどうしようも無いじゃん。

 そん時はそん時だ。むしろ、誰かが代わりに続きをやってくれるって言うなら大歓迎だぞ。捨て鉢的な覚悟を決めた大作は考えるのを止めた。


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