巻ノ拾六 屋島の作戦 の巻
大作とお園は早川に沿って西北西に進んだ。一キロほど歩いて川の対岸に渡る。
大作は足柄峠と箱根峠のどっちを越えるかまだ決めていなかった。
だが、ここまで来たら箱根峠しか選択の余地が無いことに気付く。
足柄峠を越えるつもりなら酒匂川を越えた辺りで北に向かわなければならなかったのだ。
早川と須雲川に挟まれた尾根伝いに湯坂路を進む。須雲川に沿った箱根八里は江戸時代に整備された物なのでまだ無いのだ。
湯坂山頂の尾根に沿って湯坂城が箱根湯本を見下ろすように建っている。例によって砦みたいな山城だ。
スマホで確認すると室町時代に大森氏が建てた城らしい。大森氏は明応四年(1495)に北条早雲に滅ぼされたそうだ。
急な山道を登ると道はそのまま城の中央を貫通するように通っていた。
こんなところを通って良いのかよ? 大作は心臓バクバクだったがポーカーフェイスを崩さずに黙って進む。
番兵みたいなのと目が合う度に軽く会釈してさも当然のように素通りする。こういう時は堂々としてる方が良いのだ。
お園のとびっきりのビジネススマイルの効果もあったのだろうか、誰にも見咎められることもなく突破できた。
しばらく急坂を登ると狭いがなだらかな原野が広がっていた。前方に山々が見える。
「浅間山から鷹巣山まで険しい山道が続くけど大丈夫かな?」
「私は甲斐の山育ちなのよ。大佐こそ大丈夫? 荷物を持ってあげようか?」
逆に心配されてしまった。これは意地でも弱音は吐けないと大作は覚悟した。
何か歌って元気を出そう。ここで歌うといえばアレだろう。
明治三十四年(1901)発行の中学唱歌に掲載された『箱根八里』だ。
いや、箱根八里はまだ無いんだけど。
作詞 鳥居忱(1917年没) 作曲 瀧廉太郎(1903年没)
箱根の山は、天下の嶮
函谷關も ものならず
萬丈の山、千仞の谷
前に聳え、後方にささふ
大作はルビを振るのが面倒になってきた。お園も『おまえは何を言っているんだ』って顔をしている。
もっと易しい歌の方が二人で歌えて楽しいよな。あれにしよう。『アルプスー万尺』だ。
作詞/不詳 アメリカ民謡
アルプスー万尺 小槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょ
ランララララララ ランララララララ ランラララララララ ランランランランラン
「アルペン踊りってどんな踊りなの?」
「知らん!」
お園が当然の疑問を口にするが大作はく○じいのように一刀両断に切り捨てる。
「じゃあ、小槍ってなに?」
「それは知ってるぞ。クイズ番組で見たことある。この歌は日本アルプスの槍ヶ岳のことなんだ。山頂が大槍で隣にある大きな岩峰を小槍って言うんだ。壁みたいな岩のてっぺんだから登るのは大変だし落ちたら死ぬぞ」
「なんでそんな所で踊るの?」
「知らん! きっと度胸試しだろう」
槍ヶ岳に播隆上人が初登頂したのは文政十一年(1828)なのでこの時代は未だ人跡未踏の地だ。小槍に佐藤久一郎が初登頂するのはさらに百年近くも経った大正十一年(1922)になる。小槍の上で踊れなんてこの時代の人には宇宙遊泳なみに無茶な話だろう。
「ちなみにこの歌は二十九番まであるぞ!」
「え~~~!」
二人で楽しく二十九番まで歌っているうちに浅間山頂に着く。何にも無い見晴らしの良い原っぱだった。
西南西に緩い下り坂が続いている。遠くに鷹巣山が見えている。
「あれが鷹巣山だよ。テレビ版第三使徒サキ○ルの時にN2地雷で吹っ飛んだ山だ。ト○ジの妹が怪我したのはその時なんだ」
「ふぅ~ん」
お園は興味無さそうに相槌を打つ。こんな断片的な話に興味を持てと言う方が無理な話だ。しかし聖地巡礼で盛り上がっている大作はそれに気付かなかった。
急な坂道を登り切ると南北になだらかな鷹巣山頂が広がっていた。
豊臣秀吉の小田原攻めのころには北条の出城が建っていたそうだが今は何も無い。
幅の広いなだらかな道を下ると湯坂路入口へ着く。
曲がりくねった山道を進むと峠に曽我兄弟の墓が見えてきた。ちなみに曽我兄弟の墓は全国に十五か所ほどあるそうだ。
すぐ左手には二子山がそびえている。大作は得意になって薀蓄を傾ける。
「テレビ版第五使徒ラミ○ルや新劇場版:○の第六の使徒をポジト○ンライフルで超長距離狙撃したヤ○マ作戦では下二子山に増設変電所が作られたんだ。あっちに見える駒ケ岳は第六の使徒の反撃で吹っ飛んだんだ。エ○ァ初号機の狙撃ポイントはもう少し行ったところだぞ」
上機嫌な大作はお園の機嫌が悪いことにまったく気付かず大はしゃぎしている。
二百メートルほど行くと多田満仲の墓があった。多田満仲って誰やねんと大作は思ったが黙っていた。
曲がりくねった道を下って行くと芦ノ湖が見えてきた。
「たぶんエ○ァ初号機の狙撃ポイントはこの辺りだと思う。特務機関NE○Vが作った使徒迎撃専用要塞都市、第三新東京市は芦ノ湖の北のあの辺りだ。ラミ○ルや第六の使徒もあそこから撃ってきたんだ」
お園の不機嫌そうな顔にようやく大作が気付く。何かN2地雷を踏んだっけ? 大作は必死に考えるが何も思いつかない。
「ごめん、お園」
「なんで謝るの?」
うわ、またこの展開かよ。大作は泣きたくなった。もう駆け引きは無しだ。
「何で怒ってるんだ?」
「怒って無い!」
いやいや、それ絶対に怒ってるやん。大作はお園が口を開くまで黙って待つ。
「だって大佐は凄く楽しそうなのに私には全然判らないんだもん。生国に帰りたくなったの?」
「そんなことで怒ってたんだ。ずっと一緒って約束しただろ。箱根には前から一度来てみたかったんだ。だから嬉しくてはしゃぎ過ぎた。もうエ○ァの話はしないよ」
「そうじゃ無いの。大佐は『えば』のことが好きなんでしょ。私は大佐の話が良く判らなかったから悲しかったの」
大作は素直に反省した。良く考えたらたとえ二十一世紀の人間でも知らない作品の話を一方的にされたら引くだろう。
よし、お園にエ○ァの素晴らしさを布教するぞ。とはいえ、これってかなりの無理難題だな。
だけど、やる前から諦めてたら何もできない。失敗してもペナルティが付くわけじゃ無いし、気楽にやってみるか。
「まずは作品タイトルのエ○ァンゲリオンだな。人の作り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エ○ァン○リオン。紫色した大男だな。背丈が二十間より大きいんだ」
「山みたいに大きいのね」
「こいつの初号機にシ○ジが乗って動かすんだ」
「頭の上に乗るの?」
「首の後ろから中に入って動かすんだ」
大作は想像して気持ち悪くなってきた。だがせっかくお園が歩み寄ってくれているんだ。頑張って説明しなければ。
「最初にシ○ジが乗るのは嫌だって言ったら代わりにレ○って女の子が大怪我してるのに乗らされそうになるんだ。それで結局はシ○ジは乗ることに決めたんだ」
「えばって女でも乗れるんだ。私にも乗れるのかしら」
「エ○ァにはそれぞれ固有パルスのパターンがあって、それに適合した者しか起動できないんだ」
「そうなんだ」
なんだか知らないけどお園の機嫌が直って一安心した大作であった。
その後も二人はエ○ァ談義を続けながら芦ノ湖の南を通り箱根峠を抜ける。江戸時代の箱根関はこの辺りのはずなのだがそれっぽい物は見当たらない。
もう昼を回っているがこんな山の中で野宿するのは勘弁して欲しいので休息も取らずに歩き続ける。
水呑峠には関所があると思っていたのだが関所跡しか残っていない。
こんなんで大丈夫なのか? 大作は他人事ながら心配になった。
そもそも、こんな険しい山道は物流ルートとして機能していないんだろう。
さらに山を下るが永禄年間(1558-1570)に建てられるはずの山中城はまだ影も形も無かった。
甲相駿三国同盟が結ばれるのは天文二十三年(1554)だ。
そのころの今川は遠江、三河へ進出し尾張の織田氏とも対立していた。天文十七年(1548)の小豆坂の戦いなど大規模な軍の衝突も起きている。
北条と今川は河東の乱で天文五年(1536)と天文十四年(1545)に戦ったがその後に和睦も成立していた。
今川は遠江平定・三河侵攻、北条は北関東侵攻に専念する必要から同盟締結への道を模索していたのだ。
ほとんど何にも無い山道を三島を目指して下る。
戦国時代勢力地図を見るとこの辺りが今川と北条の境界線らしい。それにしては平和なものだ。
歴史通りなら来年には北条氏康が駿河へ侵攻するはずだ。しかし現時点ではそれらしき兆候は見受けられない。
まあ、一年も前から戦の準備を始めるはずも無い。そんなことしたら相手にバレバレだ。大作は考えるのを止めた。
日が傾きかけた頃に平地に出られた。何とか日没前に三島の手前を流れる大場川までたどり着く。
この辺りは天文五年(1536)の第一次河東一乱で北条が奪取。天文十四年(1545)の第二次河東一乱で今川が奪回。現時点では今川の勢力圏らしい。
川原に大作がテントを張る。お園は水を濾過したり夕食を作った。
味噌が手に入ったおかげで二人の食生活は劇的に改善された。
お園も素直に喜んでいるようだ。
「このお味噌とっても美味しいわね。塩だけとは比べものにならないわ」
「信州って味噌の名産地じゃなかったっけ?」
「そうね。でも私の生国は甲斐よ。甲州と信州は違うわ」
「そ、そうだっけ。でも味噌はあるんだろ」
何をどう勘違いしてたんだろう。穴があったら入りたい。
武士の情けのつもりなのか大作の勘違いに対してお園はそれ以上は突っ込まずに話題を変える。
「ア○カはシ○ジと口吸いした後にうがいしたのよね? シ○ジのことを好きじゃなかったの?」
「それに関しては諸説あるな。でもラジオでみ○むーが『退屈しのぎって言っているけれど実際はシ○ジと本気でしたかったキス』って言ってたぞ。なので俺は照れ隠しだと思うな」
「やっぱりそうよね。女心は複雑なのよ」
「俺はレ○の方が好きだけどな」
お園の顔色が変わったのを大作は敏感に察知した。昼間と同じ失敗をしないように神経を研ぎ澄ませていたのだ。
また寝る前に喧嘩するのは勘弁して欲しいので大作は素早く予防線を張る。
「お園はア○カ派なのか? まあ、俺もア○カは嫌いじゃないぞ」
「どっちも好きってどういうこと? 大佐がそんなこと言うなんて……」
「いやいや、これはアニメキャラの話だから! それにレ○は『私が守るからあんたは死なせない』的なことを言うんだぞ。ほっとけないだろ」
こんな時になんだが大作はジョニー・デ○プの名言を思い出す。
『もしも二人の娘を同時に好きになったら後の娘を選べ。最初の娘が本当に好きだったら後の娘は好きにならない』とかなんとか。
いまこの言葉を言ったら収拾が付かなくなることくらい大作にも判ってたので黙っていたが。
「大佐は死なせない。私が守るわ」
「ありがとう。お園も死なないぞ。俺が守るから」
どこまで本気でどこまで冗談なのか判らないが喧嘩は回避できたらしい。
今日は過去最高レベルに歩いたので二人とも本当に疲れている。歯磨きもそこそこに二人は眠りに就いた。
そして幾年もの年月が流れた。長旅の末に二人は京の都に辿り着いた。
そしてエ○ァン○リオンのキャラや設定をリスペクトしつつ舞台を平安時代にした絵巻物を描いた。
もちろん著作権や翻案権に触れないよう最大限の注意を払ったのは言うまでもない。
さらに何年もの苦労の末に木版多色印刷によって比較的安価に出版することに成功した。
また、紙芝居も作って京の都を巡回するやたちまち大人気となった。
大作はこの辺りで夢だと気付いた。
もう好きにしてくれ。いや、肘鉄や膝蹴りは勘弁して欲しいけど。
お園との間に一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。
だがそんな日常は突然に終わりを告げる。元亀四年(1573)に織田信長が足利義昭と対立して上京全域を焼き討ちにより焦土化したのだ。
紙芝居を乗せた大八車を引いて歩いていた大作は突然現れた侍たちに引き倒される。
「大佐!」
お園の魂を絞りだすように呻く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。
『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』
大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。
侍の振り上げた白刃に日光が煌めく。
こんな侍、怖くも何ともないぞ。抱き付いてやれ!
「むぎゅう!」
なんだこの侍。とっても柔らかくて良い匂いがするぞ。
翌朝、目を覚ますとお園が真っ赤な顔をしていて目を合わせてくれなかった。
大作はその理由を聞く勇気がなかった。




