巻ノ百伍拾 危険な過去への旅 の巻
お代乃、ゆきほ、こころ、ひとみの四人娘が天蕎麦を食べている間にも雑談は続く。お陰で大作は断片的ながらもこの世界の情報を得ることができた。
1550年から翌年に掛けての暗殺作戦で信玄と謙信だけでなく、三好長慶や足利義輝まで始末しちゃったらしい。宇喜多直家もびっくりだ。
その宣伝効果もあって青左衛門の作る鉄砲は売れに売れたんだそうな。
ウィンチェスターのミステリー・ハウスみたいな家を建てていたりして。大作は変な家に住む青左衛門を想像して吹き出しそうになった。
「んで、それからどうなった? やっぱ歴史の修正力が働いたんだろ?」
「それが、大佐ったら足利の縁者をあらかじめ皆殺しにしちゃってたのよ。そうしたら足利義助とかいう童が次の公方様に就かれたわ。でも、その童も流行り病ですぐに身罷られたの。それでとうとう公方様になろうってお方はいなくなっちゃったのよ」
お園が顔色一つ変えずに空恐ろしいことを口にする。まあ、十五年も経つと単なる歴史の一コマにすぎないんだろう。所詮は他人事だし。
「ふ、ふぅ~ん。じゃあ、結果として俺たちは歴史に勝ったんだな」
「歴史に勝ち負けなんてあるのかしら。それに、物事を勝ち負けでしか見ないなんて了見が狭いわよ。さて、みんな食べ終わったみたいね。混んできたから部屋を移しましょう」
そう言うと、お園は立ち上がってトレイをカウンターに返す。四人の娘たちも揃って後に続いた。
食堂を出た一行は廊下に出ると元いた部屋を目指して歩く。
それにしても遠い。あまりにも遠い。まるで『ポルフィ○長い旅』じゃんかよ! 最後はちゃんと妹に会えるんだろうか? 大作は急にミーナのことが心配になってきた。
「なあ、何でこんなに食堂が遠いんだ? もっと近くの部屋は空いていなかったのかなあ」
「大佐が食堂の側だと朝から騒がしいとか匂いが気になるとか言って今の部屋に替えて貰ったのよ。元に戻して貰う?」
「いや、やっぱいいや。ちゃんとした理由があったなんて知らなかったんだ」
そんな話をしている間にも始めにいた部屋を素通りして隣の部屋に辿り着く。広さ二十畳くらいの部屋の真ん中に細長い座卓が置いてあった。
ホワイトハウスのシチュエーションルームに置いてあるテーブルを模したのだろうか。長楕円形の両端を切り落としたような形をしている。
材質とか良く分からないけど食堂にあった座卓なんかよりずっと高そうだ。これはもうニトリとかじゃなくて大塚家具とかに行った方が良いかも知れん。
「俺の席ってどこかな? って言うか、今の俺っていったい何をやってるんだ?」
「向こう側の端っこに座ってちょうだい。今の大佐は党書記長よ」
そう言うと、お園は大作から見て右斜め前に座った。
「最高会議幹部会議長を二期八年務めた後、憲法の規定で三選はできないとか言って私に押し付けて辞めちゃったの。そのくせ、すぐに退屈だとか言いだして党書記長なんて肩書を作って就任したわ」
「ふ、ふぅ~ん。何だか話を聞いてると十五年後の俺って随分と酷い奴だな。だんだん腹が立ってきたぞ」
「私はもう慣れちゃったから平気よ。今の大佐こそ、借りてきた猫みたいで妙な感じだわ」
そう言うと、お園は満面の笑みを浮かべた。十五年後のお園は猫を知ってるんだ。大作はまたもや時の流れを思い知らされる。
ふと視線を感じて部屋の隅に目をやるとお代乃、ゆきほ、こころ、ひとみの四人娘が小さく縮こまっていた。
「あいつらの席は無いのかな?」
「あの娘たちはオブザーバーよ。後学のために同席させてるだけなの」
「重要会議に何の肩書も無い民間人を同席させて良いのかなあ? これって公私混同じゃね?」
「同席させようって言いだしたのも大佐よ。それに、お茶やお菓子を出すっていう大事なお役目もあるわ」
まあ、当人たちが納得しているんなら部外者がどうこう言う話でも無いか。大作は考えるのを止めた。
そうこうする内にも三々五々、人が集まってくる。ほのか、メイ、サツキ、桜、愛、エトセトラエトセトラ。みんなとっても大人っぽく見える。
それはそうと、女ばっかりかよ! と思いきや、青左衛門や慎之介がやってきて僅かに男女比が改善する。二人とも髭なんか生やして似合ってね~!
あれ? 藤吉郎はいないんだ。大作が疑問を感じた瞬間にお園が居住まいを正した。
「みな、揃ったようね。それじゃあ定例幹部会を始めましょうか。今日の大佐は頭の具合が何時にも増して朧なので私が仕切るわね。ほのか、あなたからよ」
全員から憐みの籠った視線を向けられた大作は消えてしまいたくなる。だが、本当のことなので何も言うことができない。
その微妙な空気を吹き飛ばそうとでもいうのだろうか。ほのかが手元の資料に目をやると大きな声で読み上げた。
「西ノ丸御殿の厠の改装工事は今週中には終わるわ。今までよりずっと水が倹約できるはずよ。一月ほど様子を見て障りが無ければ二ノ丸、三ノ丸、本丸御殿の順に進めるわ。それと、幹部食堂の座布団が傷んできたので来月にも新しい物に代えるわ。色や柄に望みがあれば早めに言ってちょうだいね」
「はい、次はメイね」
「あれだけ戒めるよう触れを出したにも関わらず、厠に短銃を置き忘れる事案が先週にもあったわ。紐で腰に繋いでいたのに解いてしまったそうよ。何ぞ良い遣り様は無いかしら?」
「紐で繋いでも解いてしまうんじゃあしょうがないわ。もういっそ、目に付き易いところに小物を置く台を作った方が良いかも知れないわね」
ほのかやメイの報告を右から左に聞き流しながら大作は考える。これって最高会議幹部会で話し合うような議題なんだろうか。
って言うか、核とか弾道ミサイルの開発はどうなってるんだろう。物凄く気になってしょうがない。だが、議事進行を邪魔するわけにも行かない。大作はキリンになったつもりで思いっきり首を伸ばしてお園の手元にあるアジェンダを覗き込む。
その視線を感じたのだろうか。お園は苦笑しながらアジェンダを手渡してくれた。大作はwktkしながらそれに目を通す。通したのだが……
読めない! 読めないぞ~! 誰かが間違えて神代文字で書いちゃったんだろうか。そんな疑問を感じてしまいそうなくらいに判読不能だ。
それにしても何でこんなに眠いんだろう。大作は子供のころから本を読むと眠くなる体質だった。でも、この眠気は明らかに異質だ。まさかスタンド攻撃か? そんなことを考えている間にも大作の意識は夢の中へ落ちていった。
次に大作が意識を取り戻すと眼前には荒々しい木目の板材があった。天井というには距離が近い感じだ。それがはっきり見えるってことは真夜中ではないらしい。手を一杯にのばすと檜材らしいその板に触ることができた。
ってことはアレか? ここは二段ベッドの一段目ってことなのか? まさか扇子を持っては乗れない船に乗ってしまったんじゃ無かろうな? ちょっとしたパニックに陥った大作は血走った目でキョロキョロと辺りを見回す。
「あら、大佐。目を覚ましたのね」
「おはよう、お代乃。いや? お園か?」
その瞬間、満面の笑みを浮かべていた娘の顔が急変した。怪訝な表情で首を傾げ、口調も鋭くなる。
「何で大佐がその名を知ってるの? 私、話したことなかったわよね?」
「いやその、アレだアレ。って言うか今、何年何月何日だ? また、タイムスリップしたんじゃなかろうな?」
「天文十九年五月二十九日の土曜日よ」
「そういうお前はゆきほか? いやいや、ほのかだな」
どうやら元の時間に戻ってこれたようだ。大作の意識がだんだんとはっきりしてきた。
「戻ってこれたんだ~! いや~、良かった~! ついさっきまで十五年後の世界にいてな。そこにはお代乃っていう娘がいたんだ。俺とお園の娘だぞ」
「え~~~! お代乃って私の母様の名よ。まるであべこべじゃないの」
「ゆきほも私の母様の名よ。私、大佐の娘を産んだの? 何でそんなことになってるの?」
確定だな。やっぱ、あの世界は時間反転対称性の破れた世界だったんだ。
タイムスリップする瞬間に考えていた内容によって世界改編が行われる。そんなSFみたいな話が急に現実味を帯びてきたようなこないような。
まるでレイ・ブラッドベリの『発狂した宇宙』みたいだな。大作は一人で勝手に納得する。
「違うわ、大佐。それはフレドリック・ブラウンよ」
「私は? 私の娘はいなかったのかしら?」
「某にも倅がおりましたでしょうか?」
「どうどう、落ち着いて。お前ら夕飯はまだだろ? とりあえず飯にしようや」
大作はみんなの口から次々と飛び出す疑問を華麗にスルーして一方的に話を打ち切った。
狭い掘っ立て小屋に幹部要員が集まって夕食をとる。未来の幹部食堂とは大違いだ。今日もメニューは相も変わらず鰹出汁の雑穀雑炊らしい。
「それで、大佐。十五年後ってどんなだった? 何か美味しい食べ物はあったの?」
「開口一番にそれかよ。ブレが無いな。でも、十五年後の世界は凄かったぞ。日替わりメニューになってて毎日違う物を食べれる…… 食べられるんだ。しかも日に三食だぞ。俺が行ったのはたまたま月曜だったんで昼は蕎麦だった。海老の天麩羅が二本も載ってたぞ。七味唐辛子も掛け放題だ」
「じゅるる~ 私も食べたかったわ」
見たことも無いほど恨めしそうな顔でお園が大袈裟に悔しがる。いや、その気持ちは分からんでも無いか。
大作にとっては天蕎麦なんて珍しくも何とも無い。だが、この時代の人間にとっては将軍様でも口にできないご馳走なんだから。
「十五年後のお前も上手そうに食ってたぞ。のんびり待ってたらそのうち食えるんじゃね?」
「私は今すぐ食べたいのよ! 今すぐに!」
「ですよね~! 蕎麦を作るのはそんなに難しくないけど汁が難しいな。醤油とか無いし。天麩羅も大変だ。こんな山奥で新鮮な海老なんて手に入らん。油も高いぞ。とりあえず今度、掛け蕎麦か盛り蕎麦でも作ろうな」
禿同といった顔でお園が激しく頷く。まあ、蕎麦の実と小麦くらいなら入手は容易いだろう。石臼ならたくさんあるし。
お園の追求が止むのを待っていたのだろうか。ほのかが遠慮がちに口を開く。
「それはそうと、お昼間の騒ぎは何だったの? 国民突撃隊やらクーデターやら。私たち朝から幹部会だと思って待っていたのよ。なのに、未唯が血相変えて駆けてきたから随分と狼狽えたわ」
「ああ、アレな。アレはアレだ……」
大作は頭をフル回転させるが何一つ言葉が出てこない。思わず酸欠の熱帯魚みたいに虚ろな瞳で口をパクパクさせる。
見るに見かねたのだろうか。お園が助け船を出すかのように口を挟む。
「さっきも言ったけど今日は土曜日だったのよ。それでその……」
言葉に詰まったお園がタッチとでもいうかのように未唯の肩を叩く。諦めが早すぎだろ~!
「えっ? 私? 私は山ヶ野を偵察してこいって大佐に言われたから、あの、その……」
未唯の狼狽えっぷりはあまりにもアレだ。それを見ているうちに大作は慌てるのが阿呆らしくなってきた。もう、適当で良いや。
「よ、ようするにアレは動員演習だったんだよ。クリント・イーストウッドのハートブレイク・リッジって映画にもあっただろ。キスカ島上陸作戦みたいに実戦さながらの…… いや、スラプトン・サンズ演習。所謂、タイガー演習の方が近いな。あの演習にはSボートが乱入してきただろ。俺たちの演習にも猪が割り込んできたんだ」
「そう言えば、五平どんが申されてたわ。近頃、鹿や猪が田畑を荒らして難儀しているそうよ。それを鉄砲で退治して頂きたいって。稽古には丁度良い案配かも知れないわね」
大作の言葉尻に乗っかってメイが話を反らした。ナイスアシスト、メイ! 大作は心の中で絶叫する。これで何とか話を脱線させられそうだ。
「それって金を払ってくれるのかな? まあ、火薬や弾なんて安い物だ。代わりに肉を貰えるんなら訓練がてらやってみるのも良いかも知れんか。獣を撃ってみたい人?」
返事がない、ただの巫女とくノ一のようだ。狭い小屋の中、雑炊を啜る音だけが虚しく響く。
「タダでとは言わんぞ。ちゃんと特別手当ても出す。的ばっか撃っててもつまんないだろ? 動く標的にLet's try!」
「だったら大佐が撃てば? 殺生は八分の損、見るは十分の損。私、生類を殺めるのは嫌よ」
空になった椀に雑炊をお代わりしながらお園が忌々しげに呟く。大作の顔色を窺っていた他の面々も黙って小さく頷いた。
「そ、そうか。無理強いはしないよ。嫌々やっても身に付かんからな。でも、念のため巫女軍団やくノ一のみんなにも声を掛けといてくれるかな」
「分かったわ。でも、きっとみんな嫌がると思うわよ」
明後日の方向を向いたままお園が相槌を打つ。その声には一切の感情が籠っていない。
「そうは言うがな、大佐。じゃなかった、お園。相手は害獣なんだぞ。お百姓さんは本当に困ってらっしゃるんだ。それに何も絶滅させようって言ってるんじゃないぞ。生態系を適切にコントロールするために必要な措置なんだよ。って言うか、俺だって基本は判官贔屓なんだぞ。本音を言うとニュースなんかで熊が射殺される映像とかが嫌でしょうがないんだ。逆襲にあってハンターが死んじゃえば面白いのにっていつも思うぞ。よし、決めた! 鉄砲と弾薬を提供して勝手にやって貰おう。そんで、加工済みの食肉を提供してもらうんだ。これならスーパーで買うのと変わらんだろ? な? な?」
「……」
とうとう誰も返事を返してくれなくなった。どこをどう間違えたのだろう。暫く考えてみるが何も思いつかない。もう、こうなったら自棄糞だ! 大作は取って置きの無駄蘊蓄を披露する。
「クイズダービーの篠沢教授って覚えてるか? フランス文学の人だ。あのお方は若いころフランスに留学してたそうなんだけど、ある日たまたま映画館に入ったら古いニュース映画を上映していたんだとさ。それはなんと日本の特攻機が米軍艦艇に体当たりしようと猛烈な対空砲火に突っ込んでくる記録映画だったそうだ。ある機体は火を吹いて海に真っ逆さま。別の機体も片翼を吹っ飛ばされて錐揉み状態で海に突っ込む。ギリギリまで肉薄した機体も目前で海に落ちる。延々とそんな映像が繰り返されていたそうな」
「ふ、ふぅ~ん」
こりゃあいかん。みんな目が死んでる。とは言え、話のオチだけは付けておかねば。大作は挫けそうな心に渇を入れる。
「でもな。とうとう米空母へ見事に体当たりした機体があったんだ。その瞬間、劇場のみんなが拍手喝采したんだそうな。フランスは連合国だからアメリカが味方で日本は敵なんだから変な話だろ? でも、もしかするとフランス人にも判官贔屓って感覚はあるのかも知れんな。篠沢教授は思わず隣にいたフランス人にメルシーって言ったそうな。そしたら相手はぽか~んとしていたそうだぞ。めでたしめでたし」
幹部食堂に再び静寂が戻り、雑炊を啜る音だけ狭い室内を満たす。
どこをどう間違えたんだろう。いくら考えてもさぱ~り分からん。大作は素直にギブアップした。
「あのさあ、みんな黙ってないで何か話をしようよ。俺が変な話題を振ったのは謝るからさあ。夕飯ってのは楽しい一家団欒の場だろ? ちなみに欒って漢字はJIS第二水準なんだけどな。さあ、何でも良いから今日あったことを話してくれよ。ほれ!」
「しょうがないわね~ だったら…… アレ、アレは何だったの? 大佐が手に持ってた変な紙」
「俺、紙なんて持ってたっけ?」
怪訝な顔で大作が首を傾げる。するとメイが懐に手をやると小さく折り畳まれた紙切れを取り出した。
まさか、その巨乳の間に挟んでたんじゃなかろうな? 思わず大作の鼻の下が伸びる。
「何で懐から? って言うか、着物ってポケットが無いから困るよな」
「ぽけっとって袂のことかしら? でも、筒袖だからしょうがないわ。袂なんて邪魔なだけよ」
「いやいや、小物を入れられるように袋状に布を縫い付けたら便利…… 使い勝手が良さそうだろ? そう言えば、スタートレックの制服にもポケットが無いって誰かが愚痴ってたな」
そんなことを言いながら紙切れを広げてみる。大きさはA4くらいだろうか。
手のひらを広げて親指の先から小指の先までの長さと比較しみると短辺がほぼ同じだ。どうやら大きさはA4サイズで確定らしい。
厚みは坪量68kg/m^2くらいだろうか。ASKULだと千五百枚で千円くらいする何の変哲もないコピー用紙だ。
いやいや、紙の種類や値段はどうでも良い。それよりこれ、何て書いてあるんだ? ミミズがのたくったみたいでさぱ~り分からんぞ。
眉間に皺を寄せて考え込む大作を見るに見かねたのだろうか。メイやサツキが横から紙を覗き込む。
「これって神代文字に似ているわね。でも、こんなの見たこともないわ。一つも読める字が無いんだもの」
「そうね、見かけは神代文字にそっくりなのに。これはいったい何なの?」
「十五年後の幹部会で配られたアジェンダだな。何が書いてあるか分かれば貴重な情報が得られるかも知れんのだけど」
大作は悔しそうに唇を噛み締める。もしこれが読めれば未来の歴史を知る貴重な手掛かりとなるはずなのだ。
「あじぇんで?」
「サルバドール・アジェンデっていうチリの大統領がおられたんだ。ピノチェト将軍のクーデター軍に大統領官邸を襲撃され、カストロから貰ったAK-47で自害なされたそうな。信長の最後とちょっと似てるだろ?」
そんな無駄蘊蓄を披露しながら大作は紙を裏返して透かし見る。裏面は何も書かれておらず真っ白けだ。
だが、その瞬間に桜の顔色が変わった。
「よ、読める、読めまする! これは裏返しに書かれておるのでございます」
「な、なんだって~! やっぱ、あの世界は左右が反転した世界だったんだな。そういえば思い出してきたぞ。みんな左手で蕎麦を食ってたっけ」
大急ぎでバックパックからシグナルミラーを取り出すとアジェンダを写す。
まあ、反転させたところで俺には読めないんだけど。大作はそんな本音をおくびにも出さない。
「鏡はなんで左右が反対に写るのに上下は反対にならないか知ってるか? 実は左右反対になんてなっていないんだ。鏡面に対して面対称になってるだけなんだな。あのプラトンすら勘違いしたそうだぞ。さて、誰か読んでくれるかな?」
大作は心の中で『いいとも!』と絶叫するが決して顔には出さない。
一瞬、メイとサツキの間で目に見えない譲り合いが起こる。暫しの沈黙の後、メイが鏡を覗き込んだ。
「私が読むわね。どれどれ、永禄八年五月十六日。西ノ丸御殿の厠の改装工事は今週中には終わるあらましなり。これまでより大いに水が倹約できる心積もりなれば、一月ほど様子を見て障り無ければ二ノ丸、三ノ丸、本丸御殿の順に進めるあらましなり。幹部食堂の座布団が傷んできた故、来月にも新しい物と代える。色や柄に望みがあれば早めに申し出よ。厠に短銃を置き忘れる事案が先週にもあった故、用足しの折は必ず紐で腰に繋ぎおくよう心得るべし。桜の娘、梅を幹部候補生に……」
「え、え~~~! 私の娘ですと? 梅と申されましたか?」
素っ頓狂な桜の大声に思わずお園が顔を顰める。
「どうどう、落ち着いて。これは十五年後の話だから。娘の一人くらい、いて当たり前だろ? って言うか、メイにはこころ、サツキにもひとみって娘がいたんだぞ。みんな、お前らとクリソツ(死語)で美人だったなあ」
「そ、そうなんだ。早く会いたいわねえ」
「私も早く見てみたいわ」
「私の方が早く会いたいわよ!」
こんどは早く会いたい競争かよ! 大作は心の中で毒づくが決して顔には出さない。
そんなことより、とんでもないことを思い出してしまったのだ。
又五郎と弥助と馬はどこでどうしているんだろう? もしかして、アレは夢だったのかも知れん。夢だったら良いなあ。
そんなことを考えながら大作は椀に残った雑炊を掻き込んだ。




