巻ノ拾伍 竹輪と蒲鉾 の巻
「お坊様、それはいったい何でございますか」
「うわぁ!」
急に背後から声を掛けられて大作は心臓が一瞬止まったかと思った。『俺の後を取るなよ!』と大作は心の中で叫ぶ。
もし俺が世界一のスナイパーだったら殺されてたぞ。
そもそも例の眉毛の太い人なら油断して背後を取られたり、みっともない悲鳴を上げたりはしないんだろうけど。
大作が振り返ると物売りのような男が立っていた。折烏帽子をかぶり、麻の筒袖に括袴を着て、脚には脚絆を巻いている。肩には何が入っているのか分からないが売り物を入れた籠を前後に振り分け、重そうに担い棒でかついでいる。
お園との楽しいひと時を邪魔されて怒り心頭の大作だが、何とか平静を取り戻して返事をする。
「こ、これにございますか。これはその、なんだろう?」
大作は思わずお園へ助けを求めるような視線を送る。驚いたのはお園も同じだったようだ。
「わ、私に聞かれても判らないわよ!」
大作は必死に考える。竹輪の起源は弥生時代だか平安時代だかはっきりしない。室町時代の書物に蒲鉾という名前が登場するらしい。見た目が蒲の穂みたいなので蒲鉾と呼ばれていたのだ。その後、板にすり身をのせた板蒲鉾(現代の蒲鉾)が登場して区別するために竹輪蒲鉾と呼ばれた。それが竹輪と呼ばれるようになった。ちなみに江戸時代以前は竹輪も高級品だったらしい。
だったらこれは蒲鉾だ。Q.E.D.
Q.E.D.はQUOD ERAT DEMONSTRANDUMというラテン語を省略したもので「このように証明されました」を意味している。
大作は『蒲鉾も知らないのかよ、この田舎者』と心の中で嘲り笑いながらも顔には絶対に出さないよう注意して答える。
「蒲鉾のような物を作ろうとしておりました。ですが味醂も片栗粉も無いので失敗したようです」
「大佐、焦げてる!」
お園の悲鳴が聞こえたので大作は慌てて竹輪もどきを火から遠ざける。危なかった。油断していた。このおっさんのせいで貴重な動物性タンパク質をあやうく無駄にするところだった。
「大丈夫、これくらいなら害は無いよ。さあ食べよう。熱いから気を付けて」
「ありがとう、大佐」
大作はおっさんを完全に無視して程良く焼けた一本をお園に手渡す。そして自分も焼きたての竹輪もどきにかぶり付く。
ちょっと熱いが空腹には勝てない。ハムッ ハフハフ、ハフッ!!
やはり空腹は最高の調味料だ。それに苦労して作ったというのも大きい。
「プリプリの身が口の中で弾けてジュワーっと脂の甘みが口の中に広がるわ。まるで味の玉手箱だわ~!」
お園が急にグルメレポーターみたいにボキャブラリーが豊富になったので大作は唖然とした。そういえば食べるのを仕事にしたいと言ったような言ってなかったような。まあせいぜい頑張ってくれ。
それはそうと味の玉手箱って何だよ。ババアになるぞ。
「あの、お坊様。もしよろしければ手前にも少し分けて頂けませんでしょうか?」
おっさん、まだいやがったのか。物売りが乞食僧に食べ物を強請るなんて世も末だな。食事を邪魔された大作は憐みを込めた目で睨みつける。
「物を食べる時は誰にも邪魔されたくないんだ。魂の解放って言うか。落ち着いて穏やかに……」
大作は心の中でおっさんにアームロックを掛けながら呟いた。
お園が大作にだけ聞こえるような小さな声で囁く。
「大佐。変なこと言ってないで少しくらい分けてあげれば?」
「だったらお園の分をやれよ」
「嫌にきまってるでしょ!」
そりゃそうだ。必死になって集めた食糧を奪われて堪るか。大作はガツンと言って追っ払おうと決意する。
「申し訳ございません。私たちはもう三日もまともな物を食べていないのです。お分けしたいのは山々ですがこれが無ければ飢え死にしてしまいます。どうかご勘弁下さい」
大作は嘘泣きしながらほとんど土下座のように頭を下げる。お園も頭を下げているようだ。
おっさんも鬼では無いだろうからこれで勘弁してくれるはず。だが大作の希望的観測は意外な方向に裏切られる。
「これは気が付きませなんだ。よろしければこれをお召し上がり下され」
物売りは竹の皮で包んだ巨大な二つの握り飯を差し出す。二人の一食分には十分な量だ。乞食じゃなかったんだ。だったら最初からそう言えよと大作は心の中で毒づく。
だが明らかに悪い取引では無さそうだ。食べ物をくれる奴に悪い奴はいない。大作は食べ物をくれるなら喜んで足を舐める覚悟だ。もちろん美少女に限るが。
大作が迷わず竹輪もどきを一本差し出すと物売りが恭しく受け取る。大作は下卑た笑みを浮かべ、揉み手をしながら言った。
「これはこれは旦那様。お礼の言葉もござりません。どうぞ熱いうちにお召し上がり下され」
物売りは大作の態度の豹変に戸惑いながらも竹輪もどきを受け取る。そして一口食べると感想を述べた。
「これが蒲鉾という物でござりますか。魚の身を捏ねて固めて火で炙るのでございますな。ふわふわと柔らかこうござります。ですが味にもう一工夫欲しいところでございますな」
「先ほども申しましたが塩しかございませぬ。味醂があれば良かったのですが」
大作は未練がましく言い訳を口にする。お園はこれでも十分に満足なのか、にこにこ顔で頬張っていた。
すると物売りが籠から何やら取り出しながら言う。
「手前が商いしておりますのは味噌にてございます。これを少し塗って火で炙ればもっと美味くなりませぬでしょうか」
そんな物があるならさっさと出せよ! とはいえ調味料は貴重だ。大作はさっそく試してみる。
味噌の焦げた香ばしい香りが堪らなく食欲を刺激する。三人は待ちきれずにかぶりつく。これは悪くない。
「二つの味が混じり合う事無く、お互いに相和しているわ。それぞれが相手の良さを引き出して琴瑟相和すとでも言うのかしら……」
お園がまた訳の分からないことを言っている。『あんたキャラ変わっとるやん!』と大作は心の中で突っ込んだ。
味噌の歴史は奈良時代に遡るそうだ。元々は豆を塩漬けした保存食だったらしい。鎌倉時代だか後室町時代だかにすり鉢で味噌がすり潰されて味噌汁や調味料として使われるようになるんだとか。
歴史通りなら串に刺して味噌を塗った焼き豆腐が永禄年間(1558-1570)に登場するはずだ。
それが何で田楽と言われるかというと田植えの時に白袴を穿き一本足の竹馬みたいな高足に乗って踊る田楽法師に似ているからだ。
とはいえ異説もいろいろあってどれが本当なのかは実のところは良く判らない。
大作は味噌売りの反応から味噌田楽がまだこの時代には存在しないだろうと推測した。これはビジネスチャンスなんじゃね?
味醂は平安時代からあったはずだが貴重品なんだろうか? 片栗粉の歴史は良く判らないが葛粉でも代用可能だろう。さすがに卵白を入手するのは難しいのだろうか。
いやいや、それ以前の問題としてこの時代の外食産業ってビジネス規模はどれくらいなんだろう。室町時代には一服一銭と呼ばれる移動販売の茶屋が存在したことを大作は知っていた。他にも飴売りや饅頭売りなど多種多様な移動販売があったはずだ。競合他社にはどんなのがいるんだろう。
加工食品販売といえば大作は今昔物語集に出てきた鮎鮨を売る販婦の話を思い出す。
酔っぱらった女は商品を入れた桶の中にゲロを吐いてしまうが気にせず手でかき混ぜてしまうのだ。
他にも今昔物語集にはぶつ切りにした蛇を魚の塩干しとだと言って売る女の話もあった。この時代の加工食品は信用しない方が良さそうだと大作は改めて思った。
それはそうと小田原の人口は三万人くらいだろうか。市場規模はそこそこだが当時の民衆の可処分所得が判らないとマーケット規模が見積れない。
製造原価はどれくらいだろうか。鰯一匹を一文で仕入れたとして竹輪が何本作れるだろう。調味料、燃料費、人件費とか考えると何文で売れば利益が出るんだろう。全然判らない。大作は考えるのを止めた。
「味噌売り殿にお尋ねしたい。お手前がこの蒲鉾を小田原の町で売るとしたら一本いくらの値を付けまするか?」
「豆腐一丁や饅頭一個が三文といったところでございます。味噌を塗って良い香りをさせれば五文でも売れましょうや」
大作は三日前までは銭一貫文が何文かも知らなかった。だがスマホに入っていた情報から必死に学習していた。
当時、小田原の職人の日当は五十文くらい、人足で二十文くらいだったらしい。ちなみに京の都だともっと高いが物価も高い。
足軽は年に米一石八斗くらいだったそうだ。米一石が銭一貫文とすると一貫八百文なので日給たったの五文。現代の自衛官みたいに衣食住タダだから安いんだろう。
味噌を塗った竹輪もどきが五文で本当に売れるのだろうか。大作は味噌売りを疑わしげに見つめる。だが嘘を言っているようには見えない。
「五文はいささか欲張り過ぎにはございまぬか?」
「有徳人を相手に商いいたします。便り無しは相手にいたしません」
良く判らないけど富裕層にターゲットを絞って貧困層は最初から捨てるつもりらしい。機械による大量生産が出来ない以上、その考えは一理ある。
大作はとりあえずフェルミ推定してみようと考える。仮に三万人の上位二パーセントとして六百人が毎日一本の竹輪を食べるとすると一日の売り上げは三千文。利益率二十パーセントとして六百文。三人で分けたとして二百文。悪い数字では無いが楽観的すぎるだろうと大作は思う。
天気が悪いと漁に出られないだろう。生簀でも作れば安定させられるだろうが今度は管理費が必要になる。防腐剤も冷蔵庫も無いので売れ残りは廃棄ロスになる。
味噌売りのいう有徳人というのがどの辺りを指しているのか良く判らない。準富裕層まで含んでいるのだろうか。三万人の一割として三千人の二割が一日一本食べれば同じ数字になる。これくらいなら現実的な気がする。
大作は味噌売りの目を真正面から見据えて真剣な表情を作る。味噌売りも空気が変わったことに気付き居住まいを正す。
「味噌売り殿、もしよろしければ我らと共に蒲鉾を作って小田原の名物に致しませぬか。拙僧もこちらの歩き巫女も勧進の為に多額の銭を要しております」
「それはありがたいお話でございます。是非とも手前に手伝わせて下さいませ」
合意成立のようだ。日も傾いてきたので三人は明朝また会う約束をして別れた。味噌売りは村の知人の家に泊まるそうだ。
大作とお園は川原でテント泊だ。今日も大変な一日だった。愛の逃避行に始まって小田原城見物、お園の手相占いに竹輪作り。疲れていた二人はおしゃべりもそこそこに寝てしまった。
そして幾年もの年月が流れた。蒲鉾の安定した製造には大変な苦労があったが三人は力を合わせて改良を重ねた。
味噌売りの持つ販売網を利用しつつお園が歌って踊りながら宣伝活動を行った結果、蒲鉾はたちまち小田原の町で大評判になった。
大作は美容と健康に良いだとか、疱瘡の予防になるとか適当なことを言って積極的な販促活動を行った。
売上が順調に伸びたので大作は味やデザインのバリエーションを増やした。
板蒲鉾の製造も開始し、従来の管状の物は竹輪と名前を変えた。
竹輪の中にいろいろな物を入れるレシピを考案してさらなる販促活動を行った。
お園との間に一男一女を授かり豊かで幸せな日々が続くと思われた。
だがそんな日常は突然に終わりを告げる。天正十八年(1590)に豊臣秀吉が小田原征伐を命じたのだ。
蒲鉾工場で製品検査をしていた大作は突然乱入した侍たちに外へ引きずり出される。
「大佐!」
お園の魂を絞りだすように呻く悲しげな叫び声が大作の心をかき乱す。
『すまない、お園。お前を幸せにしてやれなかった』
大作は心の中で謝る。いったい何が間違っていたのだろう。
侍の振り上げた白刃に日光が煌めく。
いやいやいや。この展開はどっかで見たぞ。
っていうかこれ夢やん! やったぞ~! 俺はついに夢の中で夢だと気付いた!
大作は有頂天だ。侍の振り回す刀なんて怖くも何とも無い。
大作は一度やってみたかった真剣白刃取りに挑戦する。
「むぎゅう!」
全身を締め付けられるような感覚で大作は唐突に夢から覚めた。
お園が大作に抱き付いていた。
肘鉄や膝蹴りに比べればこれは悪くない体験だ。むしろ毎晩やって欲しいくらいだ。
大作はお園の酷い寝相に初めて感謝した。
翌朝、目を覚ますとお園が真っ赤な顔をして恥ずかしそうにしていた。変な夢でも見たのだろうか。
大作は物凄く興味があったが何となく聞かない方が良さそうなので聞かなかった。
昨日の夕飯の残りを温め直して朝食にする。食べ終わって食器を洗っていると味噌売りがやって来た。
大作は深々と頭を下げて謝罪した。
「大変身勝手ではありますが一緒に蒲鉾作りをするという話は無かったことにして頂きたい」
「なぜでございますか」
「実は昨夜、夢に御仏が現れて叱られました。お詫びに味噌売り殿に我が寺に伝わる蒲鉾作りの秘術を伝授いたしまする」
「手前のような者にそのような秘術をお教え頂いてよろしいのでしょうか?」
味噌売りが大作の意図を図りかねて不安げな顔をしている。大作は合掌して軽く頭を下げて言う。
「ここでお会いしたのも御仏のお導きでしょう。蒲鉾の力で遍く衆生を救済して下さいませ」
「謹んでお受け致します」
「それでは良く聞いて下され。まずはなるべく新しい白身魚か青魚を用意します。白身の他を綺麗に取ってみじん切りにして、それを冷水に晒します。生臭さが取れて弾力が出ます。ただし洗いすぎると美味しさまで流れてしまいます。それから良く水気を取って下さい。さらに細かくみじん切りし、すり鉢で潰します。身の重さ百匁当たり二匁の塩、味醂四匁、片栗粉一匁から二匁。もし手に入るなら卵白を二個から四個ほど入れても良いでしょう。半時から一時ほど寝かせます。あとは蒸すなり焼くなり揚げるなりご随意にどうぞ。蒸した蒲鉾を熱いまま冷水につけ一気に冷ますとある程度は日持ちしますよ」
大作はクックパッドに載ってるような蒲鉾の作り方を著作権に触れない程度に翻案する。レシピ自体は公知の事実なので表現さえ変えれば大丈夫だろう。
立て板に水のように一気に捲し立てたので味噌売りは目を丸くしている。大作はあらかじめ紙に書いておいた物を渡す。
「それでは拙僧たちはこれにて。ご商売の繁盛をお祈りしております」
「お坊様と巫女さまもお達者で」
味噌売りは手土産に持ちきれないほど味噌をくれた。大作はこの調子で藁しべ長者を目指すのも悪くないんじゃ無いかと思った。
大作とお園が見えなくなるまで味噌売りは手を振っていた。




