巻ノ百四拾参 今日は何日? の巻
いつもと変わり映えのしない朝食の雑炊を啜りながら大作は考えていた。さっき見た夢はいったいなんだったんだろうか。
今までの漠然とした将来の夢に比べて妙に具体的でディテールが細かかったよな。いやいや、ディテールってのは細部ってことだっけ。
語彙が重複してるようなしてないような。ってことは、アレか? ディテールまではっきりしていたとか言った方が良いのかな。
あれ? ディティール? スペルはdetailだよな。ネイティブっぽく発音するならディーテイルって感じだろうか。
そう言えば、アフガニスタンの首都をカブールって言う人が多い。でも、現地語の発音はカーブルだとか何とか。
そんな取り留めの無いことを考えていた大作の意識は未唯の一言で現実に引き戻される。
「大佐、いつにも増して大きな寝言だったわね。いったいどんな夢を見てたの?」
「夢? あれって本当に夢だったのかなぁ。もしかして全部本当のことだったりしてさ。実は無自覚のうちに未来の記憶を持ったまま過去へタイムスリップを繰り返してた。なんてどうよ?」
「ど、どうよって言われても私には分からないわ。でも、そうだったら大変そうね」
未唯が曖昧な笑みを浮かべて視線を反らす。もしかして危ない奴だと思われたんじゃなかろうか。まあ、今更な話だ。考えてもしょうがない。
それよりも可及的速やかに解決しなければならない大事なことがあったっけ。大作は椀に残った雑炊を掻き込む。
「なあ、お園。今日って何月何日だ?」
「またそんなこと言って。大佐ったらまだ寝ぼけてるの? 今日は五月二十九日よ。土曜日だったわね」
「それって確かだよな? もし間違ってたら大変なことになるんだけど」
「一昨日に『今日は五月二十七日だ』って言ったのは大佐よ。大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐の中ではね」
お園の口調がちょっと厳しい。横で黙って聞いていた未唯も禿同といった顔で激しく頷いている。
事態の深刻さが理解できていない奴らは真剣さが足らんな。大作は心の中で毒づくが顔には出さない。
「それに自信が無いから聞いてるんだよ。大事なのは今日が土曜かどうかなんだ。土曜日か? 土曜日じゃないか? それが問題だ……」
ハムレットになりきった大作は空っぽのお椀を頭蓋骨に見立てて苦悩の表情を浮かべる。
それをお代わりの催促だと思ったのだろうか。未唯はお椀を受け取ると雑炊を注いでくれた。
「ありがとな、未唯。ところで、カレンダー…… 暦? この時代、そういうのってどこが発行してるんだ?」
「摺暦座でしょうね。そう言えば七曜も書いてあった気がするわ。たしか、陰陽道とかでも使うって言ってたわよね。神社にでも聞いて見たらどうかしら」
「そうだな。よし、そうと決まればとりあえず保食神社にでも行ってみようか」
「さすれば、某と菖蒲殿は印刷の続きを進めれば宜しゅうございますな」
急に藤吉郎が話に割り込んでくる。きっとこの非生産的な会話に関わり合いになりたくないんだろう。大作は藤吉郎の心中を察する。
その気持ちは分からんでもない。だが、そんな勝手を許すわけにはいかないのだ。こいつはクーデターの首謀者かも知れん。このタイミングでフリーにさせるのは危険すぎる。
それと、菖蒲はいざという時には貴重な戦力になってくれる筈だ。って言うか、なるかも知れない。なってくれたら良いなあ。一応はくノ一なんだから期待してもバチは当たるまい。
「印刷の件は一旦保留にしよう。全員で山ヶ野に戻るんだ。幹部会に出席しなきゃならんだろ?」
「心得ました」
神妙な顔で藤吉郎が頷く。その表情は何かを企んでいるようには見えない。とは言え、もしあれが予知夢ならこいつはクーデター首謀者かも知れないのだ。常に注意を欠かさず監視した方が良いだろう。
「ところで藤吉郎、お前に小竹とは別の弟はいなかったか?」
「いえ、某の弟は小竹だけでござります」
「間違いないか? 昔の日本では『七歳までは神のうち』とか言って子供の二人に一人は死んじゃったとか何とか。そいつが実は生きてたなんて可能性はゼロじゃ無いだろ? もしかしてそれが……」
「おらぬものはおらぬのです!」
急に藤吉郎の目付きが鋭くなる。その声音はこれ以上の詮索を一切拒絶するかのように鋭い。
藤吉郎がそう思うんならそうなんだろう。藤吉郎の中ではな。大作は心の中で小さく呟いた。
食器を洗って歯を磨くと全員揃って材木屋ハウス(虎居)を後にする。
とりあえず近場から行ってみよう。大作は一番手近な墨屋を訪ねてみることにした。あのボロ小屋をタダで貸してくれた親切な人だ。
「良い日よりにございますな、墨屋殿」
「おお、大佐様。久方ぶりで。小屋の具合は如何にござりますか?」
「その節はお世話になり申した。お陰様で随分と助かっております。ところでお伺いしたいのですが、今日は何日でしたかな?」
「今日にございますか? 今日は晦日にございますが」
墨屋の主人は愛想笑いを崩さずに即答する。その目は嘘を言っているようには見えない。
とは言え、ことは重大事だ。念には念を入れておこう。大作はみのも○たになりきって眉間に皺を寄せた。
「晦日ですね? 間違いはございませんか? ファイナルアンサー?」
大作は首を傾げて肩眉を吊り上げる。真剣な目で見詰られた墨屋は真顔になるとごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、明日が朔日でございます故、間違いございませぬ。どこの商家も掛け寄せで大忙しですぞ」
「左様でございますか。いやいや、それを聞いて安堵いたしました」
「そうそう、前に申しておられた鉛筆を試しに作ってみましたぞ。宜しければ一本お持ち下され」
「ご好意は嬉しゅうございますが拙僧には頂けませぬ。貴台に物を恵んでもらう故がございませんので。拙僧は乞食ではありませぬ」
大作はここぞとばかりに得意の名セリフを繰り出す。だが、墨屋の顔が急に険しくなった。
これは不味いぞ。これだからアニメのネタが通じない奴は嫌なんだ。
「とは申せ、新製品のモニターということなら喜んでご協力しましょう。それではこれにて」
そう言うや否や大作は鉛筆もどきを引ったくるように受け取る。墨屋が呆気に取られているが完全放置だ。深々とお辞儀をすると残り四人も見事なシンクロを見せた。
手作り感溢れる鉛筆は二十一世紀の物よりは随分と大きい。直径一センチ、長さ三十センチといったところだろうか。
細くて折れにくい芯を作るのは難しそうだ。とりあえず試作品だから大きく作ったんだろう。
ケンシ○ウに成りきった大作は『おまえのような鉛筆がいるか!!』と心の中で突っ込む。
こんな巨大な鉛筆をペン回しするのはちょっと難しいかも知れん。って言うか、バトントワリングみたいになりそうだ。それに、もし落として芯が折れたら困るし。
大作は顰め面をしながら手の中で鉛筆を弄ぶ。並んで歩く未唯が興味津々といった表情で話しかけてきた。
「ねえ、大佐。えんぴつって何なの?」
「これか? こいつはこうやって使うんだよ」
そう言うと大作は鉛筆の端っこを親指と人差し指で軽く摘まむ。そして未唯の目の前に翳すと上下にゆらゆらと動かした。まるで鉛筆がゴムで出来ているかのようにグニャグニャと曲がって見える。
「さっきまで硬い木だったのに急に軟らかく曲がったわ! この棒はいったい何でできてるの?」
「面白いだろ~ お前もやってみ」
「そ、某にもやらせて下さりませ」
「私にも見せて頂けませぬか?」
全員が目の色を変えて鉛筆に群がる。お前らは小学生かよ~!
大作は吹き出しそうになったが何とか我慢した。
そんなこんなで時間を潰しながら進んで行くと舟木の村に差し掛かる。道なりに進んで行くと村の中央に人だかりがあった。
そちらに気を取られていた大作たちに不意に横から声が掛かる。
「おお、藤吉郎殿ではござりませぬか。今日は如何なされました。回転式脱穀機なれば障りなく動いておりますぞ」
「これはこれは、八木様。上手く動いておるか案じておりましたが、それを伺って安堵致しました。困りごとがあらば何なりと遠慮無くお申し付けくださりませ」
藤吉郎が愛想笑いを浮かべながら適当な相槌を打つ。もう、すっかり現地人とも仲良くなっているらしい。さすがは人たらしだ。
それはそうと、この男って名主だっけ? 大作は必死に思い出そうとするがさぱ~り重い打線。
まさかこんなモブキャラがまた出てくるとは。そんなこと思ってもいなかったんだからしょうがない。
「困りごとと申すほどではござりませぬが稲扱きが思うたより早う済んでしまいました。それ故、やることが無うなってしもうた者がおるくらいにござりましょう」
名主は笑みを浮かべながら冗談めかして言う。だが、その目は笑っていないようにも見える。もしかして本気で困っているんだろうか。
ラッダイト運動みたいなことになったら厄介なことこの上ない。早めに手を打つに限るな。
って言うか、そもそも脱穀機を作った本来の目的をようやく思い出したぞ。大作は強引に横から話に割り込む。
「それならば、我が寺にて働いて頂ける方を絶賛募集中ですぞ。いやいや、絶賛募集中は日本語として変か。誰が募集を絶賛するんだよって話ですな。好評募集中? 鋭意募集中? うわぁ~! さぱーり分からんぞ!」
「どうどう。落ち着いて、大佐。私がお話するわ。名主様、山ヶ野にあるお寺にて日当二十文で人を集めております。朝夕は米の飯が食べ放題。寝泊りする屋も構えております故、何時しかでもお出で下さりませ」
「どれほどの人数をお求めにございますか?」
お園の説明を聞いた名主が小首を傾げる。その疑問はもっともだ。普通に考えたら寺の手伝いなんて数人が良いところだろう。
何とか平静を取り戻した大作は揉み手をしながら半笑いを浮かべる。
「百人でも千人でも多ければ多いほど。今すぐ来て頂いても結構ですぞ。もちろん、今日の日当からお支払いいたします」
「ほほぅ。それはまた大層なことにござりまするな。そのような大人数でいったい何をされておられるので?」
何だか名主の目付きが疑わし気だ。百人はともかく、急に千人なんて言われて信じられるわけが無いかも知れん。
とは言え、金山のことは極秘だ。何か適当な言い訳は無いのか…… 閃いた! って言うか、いつもの馬鹿の一つ覚えで良いや。
「これは拙僧の機関の仕事です。八木様は人を必要な時に動かして下されば良い。もちろん、拙僧が若殿の密命を受けていることもお忘れなく」
「さ、左様にござりましたか。では、すぐにも人を集めて参りましょう。暫しお待ち下さりませ」
「いやいや、拙僧らは保食神社を訪ねる途中にて。帰りにもう一度寄らせて頂きます。それまでにご用意下さりませ」
大作は『四十秒で支度しな』と言ってみたくてしょうがない。だが、涙を呑んで喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「それはそうと、名主殿。一つお伺いしても宜しいかな。今日は晦日にございましょうや?」
「如何にも今日は九日晦日にございますな。もしや竈祓でございますか? 儂らの村では八坂神社より大麻をお借りして清めております。お気遣いならご無用に願い奉ります」
そう言うと名主は軽く頭を下げた。その表情はまるで迷惑な訪問販売を相手にしているかのようだ。
げえっ、関羽! もしかして竈祓の飛び込み営業にでも回ってると思われたんだろうか。
だとすると、このまま引き下がったら格好が悪いぞ。何でも良いから面白いことを言って笑いを取らなきゃ。
妙な義務感に囚われた大作は頭をフル回転させる。ポクポクポク、チ~ン。閃いた!
「まあまあ、そう申されますな。我らの竈祓は地球環境に優しいエコ竈祓にございます。ただ今、乗り換えキャンペーン実施中ですぞ。御用とお急ぎでない方はゆっくりとご覧下さりませ。お代は見てのお帰りで結構。これをPay As You Wish方式と申します」
「ぺ、ぺいあずゆうういっしゅ?」
「名主様がご自身で払いたい額を決めて下されば宜しいのです。そんじゃあ、お園、未唯。頼んだぞ」
そう言いながら大作はバックパックから千円札を取り出してギザギザに折る。そして鉛筆の端っこに括り付けて幣のような物を作った。
「これって紙幣だったわね。だから幣って字を書くのね。やっと分かったわ」
お園は大作に押し付けられた幣もどきを受け取る。そして、小さくため息をつくと未唯の手を取って名主に向き直った。
どうやら文句を言わずにやってくれるらしい。二人ともまんざらでもないといった表情をしている。
だがここで、それまで黙って話を聞いていた名主から意外な物言いが入る。
「お坊様。もしや、巫女が幣を振るわれるのでしょうか?」
幣って巫女が持ったら駄目なんだっけ? それとも、巫女は正式な神職じゃ無いから駄目って言いたいんだろうか。
このおっさん、そんなことを気にするのかよ。大作は心の中で悪態を付くが顔には出さない。
って言うか、江戸時代以前には女性だって普通に神職に就けたような気がしてならないんだけど。
大作は慌ててスマホで関連情報を調べる。どうやら明治三十五年の『官國幣社及び神宮神部署神職任用令』とか『府懸社以下神社神職任用規則』で神職は男って決められたんだそうな。
これは酷いな。男女差別じゃないかよ! 大作の胸中に怒りが込み上げる。
これが改められるのは昭和二十一年を待たねばならない。宮司以外の神職は女でもOKとなるのだ。そして昭和二十三年には宮司にも就けるようになった。
って言うか、今は戦国時代なんだっけ。だったらそんなの関係ね~!
「我が寺はジェンダーフリーにございます。巫女が幣を振るって何の障りがございましょう? ポリティカルコレクトネスを甘く見ると痛い目にあいますぞ」
「さ、左様にござりまするか。儂の取り越し苦労のようにございますな」
名主は少しでも早く面倒ごとから逃げ出したいようだ。愛想笑いでお茶を濁した。
お園が即興で祝詞を上げると未唯がぎこちない躍りを踊る。だが、慣れていないことも相まって死ぬほど地味だ。
これは賑やかしが必要かも知れん。大作はバックパックからアルトサックスを取り出した。
「見せてやろうか。山ヶ野の竈祓の実力とやらを……」
そう宣言して適当に明るい曲をメドレーで吹く。その途端に名主の顔色が急に変わった。
遠巻きに様子を窺っていた村人たちが恐る恐る近付いてくる。そして誰からともなく手拍子が始まった。やがて奏者と聴衆に謎の一体感が広がって行く。最後は万雷の拍手に包まれ大作と名主は熱い抱擁を交わした。
それから十五分ほど後。大作たち一行は保食神社に向かって歩いていた。
「大佐の考えたエコ竈祓は名主様の御目に留まったみたいね。良かったわ」
「でも、やっとの思いで手に入れた鉛筆を盗られちゃったぞ。それに二枚も千円札を使ったし。代わりに貰ったのが麦だなんて損な商いだったんじゃね?」
大作は藤吉郎と菖蒲が重そうに抱える叺に目をやる。合わせて十キロ以上はありそうだ。でも、麦の単価って米の半分くらいだった気がしないでもない。
そんな愚痴ともつかない泣き言を溢す大作にお園は呆れた顔で返す。
「しょうが無いわよ。Pay As You Wish方式でって言ったのは大佐だわ。いくら払うか自分で決めろなんていうのが無茶だったんじゃないかしら」
「ネットには上手く行くって書いてあったんだけどなあ……」
スマホの情報を拾い読みしながら大作は気も漫ろに相づちを打つ。だが、次の瞬間、目に入った意外な情報に大作の表情が変わった。
「しまった~! 客があまりにも少ない額しか払わない時は他の客が見ている前で突き返せって書いてあるぞ。そうなると、そいつはみんなからケチな奴だと思われちゃうだろ。そのプレッシャーのお陰で普通に料金設定するより一、二割も多く払っちゃうんだってさ」
「ふぅ~ん。でも、肝の太い人はそんなの気にしないんじゃないかしら」
「某も、もしそのように言われれば払わずに済ますやも知れませぬ」
お前らにプライドって物は無いのかよ! 大作は心の中で激しく突っ込むが口には出さなかった。
その後も大作たちは道々、出会った人に今日が何月何日か聞いてみるが五月二十九日で確定のようだ。
少なくとも虎居の人たちはそう思っている。これが重要なのだ。
「どうやら二十九日で確定らしいな。しかし、戦国時代の人たちって意外と日付とか気にしてたんだな。『そんなの関係ね~』って能天気に生きてるのかと思ってたぞ」
「そんなわけないわよ。商家だろうが百姓だろうが今日が何日か分からないと生業に障るでしょう」
「言われてみれば納得だな。そう言えば例の焼酎の落書きにも八月十一日って日付が入ってたんだっけ」
そんな話をしているうち、ようやく保食神社に辿り着く。大作は早速、宮司に面会を申し込む。だが、生憎と宮司は留守とのことだった。
とは言え、ぶっちゃけ宮司に用は無い。応対してくれた巫女さんに頼み込んで社務所に入れて頂く。
ここでも大作は若殿の名を騙ってありもしないお役目をでっち上げる。そのお陰もあって難なく京暦みたいなカレンダーを見せて貰うことができた。
「五月二十九日には土、閏五月一日には日って書いてあるな。どうやら間違い無さそうだ」
「そう、良かったわね」
本当に良かった。ここまで来て違ってたら洒落にならん。大作は本気で胸を撫で下ろす。念のために暦をスマホのカメラで写させて貰った。
大作たちは丁寧に礼を言うと社務所を後にする。とは言え、これだけで帰るのは何となく失礼だろう。そう思って全員でぞろぞろと本殿に移動して参拝した。
ふと脇を見ると巨大な笠が奉納してあるのが目に入る。大雨の中で鉄砲を試射した日に借りた例の笠だ。
大作は念には念を入れて、もう一度神様にお礼を言っておいた。
「これで用は済んだわね? 山ヶ野に戻るんでしょう」
「いやいや、舟木の村で手伝いの人たちを拾って帰らんといかん。何人くらい来てくれるんだろうな」
「百人いたりしてね」
「千人おるかも知れませんぞ」
大作たちは口々に適当なことを言いながら舟木村へと向かった。




