巻ノ拾四 魚を食べよう の巻
二人は早川を歩いて渡る。山と海に挟まれた狭い平地にちょっとした漁村があった。
大作はとりあえず托鉢して回ることにした。
お園にもこの際だから度胸試しに歩き巫女をやってみてはどうかと勧めてみる。
とは言え、歩き巫女っていうのが具体的に何をやっていたのか実のところ大作は良く知らない。というか、まともな資料が残っていないのだ。
ネットによるといろんな種類の巫女がいて、様々なことをやっていたらしい。
小さな葛に梓弓を入れて持ち運び、弦を弾いて生霊や死霊を呼び出した梓巫女。
地獄極楽の絵解きや熊野牛王の誓紙を売り歩いて熊野三所権現勧進した熊野比丘尼。
武田信玄の指示で望月千代女が編成したくの一集団、信濃巫。
若宮って言う神社に仕えていたワカ。アガタとかシラヤマミコってのは何だか良く分からん。モリコっていう山伏の妻もいたそうだ。
いずれも全国を巡って竈拂ひや口寄せをやってたらしい。
山伏も妻帯OKだったんだ! だったら山伏とモリコのペアで行動した方が自然だったんじゃね? 職業選択を誤ったかと大作は激しく後悔する。
でも、町中を行動するには高野聖の方が目立たなくて良いか。今さら山伏にジョブチェンジするメリットも無いだろう。
それはそうと、歩き巫女が何をするかだな。こんだけ多種多様な巫女がいるんなら何をやっても許されるんじゃないのか。
大作はバックパックからダイソーで買ったフレネルレンズを取り出してお園に渡す。
「この透けて見える板は何?」
「これはレンズって言って物が大きく見える道具だ。お天道様だけは絶対に見るなよ。目が焼けるからな」
「なにそれこわい」
お園は恐る恐るレンズを覗き込むと驚きで目を丸くしている。スマホやLEDなんかよりこういう単純な物の方がインパクトがあるらしい。
「手相って知ってるか?」
「てそう? 聞いたこと無いわ」
手相の歴史は四、五千年前の古代インドにまで遡るらしい。仏教と一緒に中国を経由して平安時代に日本に伝来したと大作はネットで読んだことがある。
もっとも日本で一般に普及したのは明治の末に伝わった西洋式の手相占いだ。
ヨーロッパにも古くから伝わっていたらしい。だが、キリスト教的価値観と相いれなかったためだろうか、十九世紀までは一般に普及することは無かったそうだ。
水晶玉でもあれば良かったんだが、この時代の人間にはフレネルネンズでも十分にオーパーツだろう。お園の話術がどの程度の物なのか未知数だがコミュ障ってことは無いはずだ。
大作はお園の手相を見る真似をしながら言った。
「こうやって手の皺を見る振りをしながら相手から困ってることを聞き出すんだ。そんで、もっともらしいアドバイス…… 何て言うのかな、助言? こうしたら良いとか言うんだ」
「なんで手の皺を見るだけでそんなことが分かるの?」
「いや、分かるわけないよ。様子を見て自分で考えるんだ」
「そんなこと私にできるかしら」
お園は見るからに不安そうにしている。これは少し講習が必要だろうか。大作はお園の手からレンズを受け取る。そして真剣な顔でお園の掌を穴の開くほど覗き込んでから目を見つめて言った。
「お気の毒に。あなたは最近ご家族を亡くされましたね」
「そうよ。言わなかったっけ」
「天涯孤独で生国から遠く離れて旅をしていますね」
「何を言っているの、大佐?」
「手本を見せてやってるんだ。黙って聞いてろ」
お園って頭の回転は速いけどちょっと天然ボケだよなと大作は再認識した。だが大作は挫けず続ける。
「今は一人ぼっちで寂しいかも知れません。ですが間もなく貴方の前に運命の人が現れます。その人を大切にしなさい」
「もう目の前にいるわよ」
大作がにやっと笑いながら睨みつけるとお園はわざとらしく視線を反らして首をすくめた。
「ですが余り嫉妬深いのはいけませんよ。縛り付ければ縛り付けるほど相手の心は離れて行くものです」
「それ本当なの!」
いきなりお園が大声を出したので大作は心臓がびくっとした。久々に出たな。油断していた。
「これはあくまで一般論だ。個々の具体的な事柄に単純に当てはめることはできないぞ。ようするに、どうとでも取れるような話で相手を煙に巻くんだ。大事なのはその人が何に困ったり悩んだりしてるのかを見抜くことだ」
「大佐は何か困ってることはあるの?」
「そんな風に直接聞いちゃだめだよ。会話からさりげなく引き出すのがポイント、って言うか大事なんだ。それか、最初に世間話が好きそうなおばちゃんでも見つけて村中の噂話を聞いたら良いんじゃないかな」
大作はお園がまだ不安そうな顔をしているのに気付く。これはもう一押しした方が良さそうだ。
「大抵の人は悩みごとがどうやったら片付くか自分でも判ってるもんだ。ただし、背中を押して欲しい場合と止めて欲しい場合がある。どっちなのか見極めてその人の望んでいることを言ってやるだけで良い。要は女は度胸だ。頑張れ! 頑張れ! 出来る! 出来る! お園なら絶対出来る!」
大作は最後は無責任な精神論で押し切った。
お園に腕時計を渡すと大作は時間の読み方を説明する。そして十六時の十分前にアラームをセットした。もし忘れていてもアラームが鳴ったら川原に向かうよう念押しして二人は別れた。
大作はスマホで時刻を確認して十六時前に川原に着いた。先に着いて待っていたお園がニコニコしながら手を振っている。遅刻はしていないが大作は一応謝っておくことにする。
「ごめん待った?」
「ううん今来たところ」
何だこのバカップルみたいな会話。友達に噂されると恥ずかしいぞ。
「手相は上手く行った?」
「みんな『れんず』に凄く驚いてたわ。それから世間話したり歌ったりしたの。どんぐりころころ」
そんなんで食い物が手に入るんだから美少女は得だな。大作は心の底から羨ましいと思った。かわいい娘は正義なんだからしょうがない。
そんなことより戦利品の確認だ。漁村だけあって二人とも鮮魚や魚の干物が中心だった。干物は日持ちするから温存だ。鮮魚を調理しなくては。
「お園は魚を見たことあるか?」
「いくら甲斐が山国だからって魚くらい見たことあるわ。川や湖にもいるのよ」
「じゃあ、魚をさばけるか?」
「無理」
即答かよ! 大作は昔、親戚の叔父さんに聞いた話を思い出した。インドの山奥にあるホテルで料理に魚が出たのでウェイターに『これは何?』って聞いたそうだ。ウェイターはシェフに聞いて来ると言って厨房に引っ込んだ。しばらくして戻ってきたウェイターは誇らしげに言った。『これは魚です』と。
二人ともこの魚が何という名前なのか見当も付かない。
大作はナイフを浄水で良く洗う。まずは頭を落とそうとして大作は気が付いた。
「まな板が無い!」
お園は『まな板って何?』とは聞かなかった。木の板で作られたまな板は弥生時代には既に中国から伝わっていたらしい。ちなみに語源は真魚を料理する板だそうだ。
迂闊だった。周囲を見回すと大きな岩があったので平らなところを探して浄水で洗う。
手を切らないことを最優先にしておっかなびっくり頭を落とす。お園も物珍しそうに注視している。
腹を開いて内臓を取る。ちょっと気持ち悪いのでさっさと片付ける。浄水で洗う。
背側から中骨に沿って尾の方までナイフを入る。
尾の付け根から中骨にナイフをしっかり当てて切り離す。二枚におろせた。思ったより簡単だと大作は思った。
次は上身だ。先に背を切り込んだら反転させ、腹の方を切り込んだら三枚おろしの完成だ。
大作は手を切らずに済んだことに安堵した。YouTubeで動画を見たことあるだけだったが本当に三枚におろせた。もしかして俺って天才じゃね? 大作がどや顔でお園の目を見る。
「どうや!」
「大佐って何でもできるのね!」
お園も今回ばかりは本気で感心しているようだ。
あとはこれをどうやってすり身にするかだ。フードプロセッサーがあれば簡単なのだが。
ナイフでみじん切りにしてスプーンで押しつぶすしか無いだろうか。でも岩の上でそんなことしたらナイフの刃が痛みそうだ。
しかたないので石で叩き潰す。俺は原始人かよ! どっかでまな板を調達した方が良いかもしれない。
「鱗を落とすのを忘れてた!」
今頃になってとんでも無いことに気が付いた。というか皮を剥いていない。それ以前の問題としてそもそもこれ白身魚じゃない。良く判らないけど鯵なんじゃね?
とりあえず鱗を一枚一枚手で取り除く。面倒臭くて気が遠くなりそうだ。お園にも手伝ってもらう。
「先に取っておけば良かったわね」
「次からはそうするよ」
大作はお園のアドバイスに力なく同意した。
繋ぎとして卵の白身か片栗粉でもあれば良いんだがと大作は思う。だが残念ながら塩しか無い。
『手元に金槌しか無いと全ての問題が釘に見える』という心理学者アブラハム・マズローの名言を大作は思い出した。
だが大作は知らなかったが魚肉をすり潰して塩を混ぜると粘り気が出るのだ。ハンバーグやソーセージなんかと同じだ。
塩溶性タンパク質が溶け出しアクトミオシンの網目でゲル状になり、特有の弾力、プリプリとした食感、歯応えが出るのだ。
ちなみにグルクマとか赤身魚の練り製品も東南アジアでは普通に作られているらしい。
大作のやる気は下がる一方だが腹はどんどん減ってくる。貴重な動物性タンパク質なのでここまでやって捨てるのも勿体無い。大作は諦めが速い奴だが同時に諦めの悪い奴なのだ。
お園に火を起こすよう頼んで大作は木の枝を浄水で洗って練り身を巻き付ける。少しパサパサしているが何とかなりそうだ。
完成を目前にして失敗するなんて絶対に嫌なので大作は火加減には細心の注意を払う。
お園は待ちきれない様子で目を輝かせている。
「早く食べたいわ。どんな味がするのかしら」
「あんまり期待しないでくれよ。こんなに苦労したのにがっかりされると悲しいからな。そもそも塩しか味付けしてないし。味醂でもあれば良かったんだけど」
勝手に期待値を上げておいて失望されるのは嫌なので大作は精一杯の予防線を張る。とはいえ苦労に見合う程度の物にはなって欲しいとも思う。
外見は竹輪の出来損ないみたいだが表面に焦げ目が付く頃にはなんだか美味しそうな香りが漂ってくる。
お園が思わず涎を溢しそうになる。
「じゅるる~」
「お前はく○みかよ!」
「くも○って誰? その女にも懸想してたの?」
「だからそういうのを止めろって!」
二人は傍目も気にせずバカップルを満喫している。まったくと言って良いほど周りが見えていなかった。




