巻ノ百参拾九 藤吉郎におまかせ の巻
大作たち五人が材木屋ハウス(虎居)に帰り着いたのは夜も更けた二十二時ごろだった。
「今日こそ本当の本当に六月十二日の木曜日だよな。旧暦だと五月二十七日か。二十一世紀ならコズミックフ○ントを見てるころだぞ」
「大佐は本当にコズミックフロ〇トが好きなのね。そんなに思い詰めてたら夢の中で見れるかも知れないわよ」
その発想は無かったわ。大急ぎで歯磨きを済ませるとすぐに床に入る。大作とお園は部屋の隅っこで一緒に筵に包まって眠りに就いた。
翌朝、コズミックフ○ントの夢を見ることも無く大作は爽やかに目覚めた。いや、見たけど覚えていないだけかも知れないけど。
「おはよう、お園。今日は六月十三日の金曜日だな。そう言えばフレディVSジェイソンって最後はジェイソンが勝ったんだっけ? エイリアンVSプレデターはいつも引き分けだよな。まあ、そうしないと続編が作れないから仕方無いか」
「おはよう、大佐。今日は若殿をお訪ねするって言ってたわね」
大作の無駄蘊蓄を完全スルーしてお園が今日の予定を確認する。
「そんなこと言ったかなぁ。グウィンの『天のろくろ』って知ってるか? もしかして俺、寝てる間に見た夢で世界改変する特殊能力を持ってるのかも知れんぞ」
「大佐は物覚えが悪いだけなんじゃ無いかしら。紙に書き付けておいた方が良いと思うわよ」
「いやいや、世界改変能力の前ではメモだって書き変わってしまうんじゃね? だって、世界が書き変わっちゃうんだも」
「大佐がそう思うんならそうなんでしょ、大佐ん中ではね。さあ、朝餉の支度をするわよ。みんな手伝ってちょうだい」
そう言うと、お園が中心となって手早く朝食の用意が始まる。大作は邪魔にならないよう注意して筵を片付けたり食器を並べた。
朝食のメニューは昨晩に青左衛門のところで食べた夕飯に勝るとも劣らない質素な物だった。
全員が文句も言わずに黙々と食べているが不満とか溜め込んでいないんだろうか。
とは言え、昔の人間は白米さえ腹一杯食べられれば満足だったって話を読んだことがある。
そのうち、メンバー全員に満足度調査とかやった方が良いかも知れん。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
食器を洗って歯を磨くと五人揃って材木屋ハウス(虎居)を後にした。
手ぶらじゃアレなんで石鹸の出来損ないを手土産に持って行くことにする。
「若殿の屋敷に直接乗り込むのはアレだな。とりあえず弥十郎様のところに行ってみよう。ところで弥十郎様って苗字は何だっけ?」
「工藤様よ。大佐ったら本当に物覚えが悪すぎるんじゃないかしら。なんだか心細いわ。そのうち私のことも忘れちゃうんじゃないでしょうね?」
「それ、いいな。何だかSFっぽくて格好良いぞ。ネタに困ったら使おう」
「私、心底から憂いてるんだけど……」
お園が頬を膨らませているが大作は新たなアイディアに夢中だ。どうやってストーリーに組み込むか頭を捻る。
とは言え、記憶が失われて行くってネタ自体を覚えていられるんだろうか? ちょっと心配だな。大作はスマホを取り出すと備忘録を起動して……
パン酵母を探してお園にパンを食べさせる。
余裕ができたら造船改革に着手する。
堺に着いたらお園に美味しい物を食べさせる。
エトセトラ、エトセトラ……
何じゃこりゃぁ~! いつの間にこんなの書いてたんだ? 備忘録の存在を忘れてしまうとは情けない。
これはもうアレだな。博士の異常な愛情…… じゃなかった、博士の愛した数式とかのレベルかも知れん。
大作はスマホのホーム画面に備忘録のショートカットを作ると『これを読め』と名前を変えた。
そうこうするうちに工藤様の屋敷が見えてきた。相変わらず庶民の家よりはマシだが立派なお屋敷とはほど遠い普通の民家だ。
まだ家に居てくれたら良いなあ。って言うか、居てくれないと困る。大作がそんなことを考えていると玄関から弥十郎が姿を現す。
「これはこれは工藤様。良い日よりにござりますな」
大作は揉み手をしながら愛想笑いを浮かべると深々と頭を下げた。
「誰かと思えば大佐殿ではござらぬか。良い日よりで。今日は如何なされた」
「工藤様とお会いするのは大殿の御前にて鉄砲を試し撃ちして以来にござりまするな。拙僧はあの後、蒲生様や肝付様、入来院様、東郷様をお訪ねして鉄砲を配って参りました。その辺りのご報告を若殿に致したく……」
「左様にござったか。儂もこれより若殿の屋敷に参るところじゃ。同行致すが宜しかろう」
アポ無し面会ゲットだぜ! 大作は心の中で絶叫する。
って言うか、若殿って普段は何をしてるんだろう。意外と暇をもて余しているのかも知れん。
「そう申さば慎之介から聞き及んでおるぞ。鍛冶屋と共に五町も先の的を撃つ鉄砲を作るそうじゃな。三の姫様も気にされておられたぞ」
「何やら話が一人歩きしておるようにござりまするな。若殿にはその辺りもご説明致しましょう」
重経の屋敷に辿り着くと家人の案内で庭に通される。
若い殿様は片肌を脱いで弓の稽古中らしい。藁を束ねた的に向かって矢を射っていた。
大作たちは庭の隅っこに跪いて稽古が終わるのを待つ。
大作の目から見ると弓の稽古にしては的がやけに近いような気がして仕方がない。
近的で二十八メートル、遠的で六十メートルじゃなかったっけ? まあ、庭が狭いからしょうが無いんだろう。
放たれた矢が次々と的の真ん中に突き刺さる。父親が弓の名手だけあって重経の腕も大したものだ。
まあ、弓の上手い下手なんて全然分からないんだけど。
矢を射終えた重経は弓を家人に渡すと着物に袖を通して振り返る。
「待たせたな、大佐殿。して、今日は如何なされた?」
え~! こいつにも同じ説明をしなきゃならんのか。大作は早くも面倒臭くなってくる。何か面白いネタは無いかなぁ。
いやいや、最初くらいは真面目にやらねば。
「ご無沙汰いたしておりました、若殿。大殿の御前にて鉄砲を試し撃ちして以来にござりまするな。拙僧はあの後、蒲生様や肝付様、入来院様、東郷様をお訪ねして鉄砲を配って参りました。その辺りのご報告を致したく……」
「左様か。立ち話もなんじゃ。朝餉を食らいながら語らふとしようぞ」
「御意」
この時代は一日二食だが朝は八時ごろ、昼は十四時ごろに食べていたとか何とか。
朝飯前に弓の稽古とはどんだけ弓オタクなんだろう。父親の影響は凄いな。
それはそうと、こんなことになるんなら食べずにくれば良かった。今度からはそうしよう。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
いつもの広間に通された大作とお園は重経の斜め前に平伏した。残る三人は廊下の隅に小さく縮こまっている。
「苦しゅうない。面を上げよ」
「ははぁ~」
もう、結構な顔見知りなんだからこのプロセスは省略できない物なんだろうか。覚えていたらそのうち弥十郎に聞いてみよう。
「暫く合わぬうちに、見掛けぬ女性が増えておるな。如何なされた?」
「幼き女子は未唯と申します。先日、お目に掛けた愛の妹にござりまして我が寺にて世話をしておる孤児にござります。いま一人の女性は菖…… 菖蒲、小者は藤吉郎と申しまして二人とも孤児院で働く者にござります。お見知りおきのほどを」
重経がチラリと廊下に目をやった。だが、三人は床板に額を擦り付けるように頭を下げている。
それじゃあ、見知りおけないんじゃね? 大作は心の中で突っ込んだ。
「で、あるか。して、蒲生や肝付は如何じゃった? みな息災であったか?」
「蒲生様では熱気球を飛ばしましたが、あやうく本丸を燃やすところにござりました。雉を馳走になりました。肝付様には干し柿や干し鮑など数多の手土産を頂きました」
「ほほう。それは気前の良い話じゃな。入来院や東郷はどうじゃった?」
「入来院様では大口カレイを馳走になりましたな。されど腹を壊して死ぬる思いにござりました。東郷様では…… 何を食べたっけ?」
大作は情けない顔でお園に助けを求める。こんな時は完全記憶能力者を頼るに限る。
「鰻だったわ。大佐だけ焼き魚だったわね」
「そうそう。夏場は寄生虫に用心せねばなりませぬ。拙僧は涼しくなるまで魚は焼くか干物しか食べぬつもりにございます」
「で、あるか。用心に越したことはござらぬな。さすれば此度の行脚も実り多き物であったか。それは良うござった」
重経が今回の大作たち一行の旅を総括する。さすがは若殿だ。なかなか理解が早い。
いやいや、これじゃあただのグルメ紀行じゃないか。他に何か面白い出来事って無かったっけ? ポクポクポク、チ~ン。閃いた!
「時に若殿。石鹸と申す物をご存じにありましょうや? 濡らして擦れば泡が立ち、シャボン玉を飛ばして遊んだり、月代を剃ったりすることが叶いまする」
そう言いながら大作は石鹸の出来損ないを恭しく差し出す。
不意に脇から現れた弥十郎がそれを受け取ると穴の開くほど観察し、匂いを嗅いだ。そして、安全確認は済んだとばかりに重経の目の前に差し出す。
「せっけんじゃと? これは食えるのか?」
重経が『なにそれ? おいしいの?』といった顔で首を傾げる。ここへきて、まさかの食いしん坊キャラ開眼か?
それとも、もしかして異食症って奴だったらどうしよう。鉄欠乏性貧血や亜鉛欠乏、精神的ストレス、寄生虫が原因かも知れない。
「無害ですが食べられません。パッケージにはそう印刷しようかと思うておりまする。そうそう、印刷の話を忘れておりました。これをご覧下さりませ」
そう言うと大作はバックパックから太陽電池パネルを取り出す。重経と弥十郎の熱い視線が注がれる。効いてる効いてる。
ニヤリと意味深な笑みを浮かべると勿体ぶった仕草でそれを開く。中から昨晩に印刷したリーフレットが現れた。
「何じゃこれは? 筆で書いた物では無いようじゃな。もしや版木で刷ったのではあるまいな?」
「お気づきになりましたか」
大作は孔明になりきって穏やかな笑顔を無理矢理に浮かべる。だが、内心はドキドキだ。まさか一発で見抜かれるとは思ってもいなかった。
「実を申さば、これは版木で刷った物に非ず。鉛で作りし鉛板で刷った物にござります」
「木を使わず鉛を使うたと申されるか。しかし、何故に鉛なぞ使われた? 木の方が容易かろうに」
若い殿様は取説を穴の開くほど注視しながら小首を傾げる。
「海の向こうの高麗においては金属活字を使った印刷が二百年も前に行われておったと申します」
「きんぞくかつじ?」
「一つひとつの文字を金で作りし判子にござりまする。これを組み合わせた物を活版と申します。それを作らば版木を彫るより容易く書を刷ることが叶う次第にて」
「金で判子を作るじゃと? しかも、それを組み合わせて書を刷るなぞ、何万の判子が入用じゃと思うておる? 版木を彫る方がよほど容易かろう」
取説を裏側から透かして見ながら重経が当然の疑問を口にする。もしかして、もしかしないでも紙型の話もしないといけないんだろうか。
同じ話を何度もするのは面倒臭いなぁ。大作は頭をフル回転させて逃げ道を探す。閃いた!
「その件に関しましては藤吉郎が担当しておりまする。真に恐れ多きことなれど、もしお許し頂けますれば当人よりご説明させて頂きたく……」
大作は揉み手をしながら上目遣いに重経と弥十郎の顔を交互に見比べる。
暫しの沈黙の末、弥十郎が根負けしたといった顔で頷いた。
「苦しゅうない。申してみよ」
「有難き幸せにござります。藤吉郎、くれぐれも粗相の無きようにな」
廊下の一番端っこでフリーズしていた藤吉郎が大作に声を掛けられて我に返る。
これまで散々に無茶振りした成果だろうか。緊張はしているようだが萎縮しているようには見えない。
藤吉郎は未唯と菖蒲の横を回って這い進み、廊下の一番手前に移動した。
「さすれば畏まりて言上奉りまする。僅かな金の判子だけで書を刷る術は無きや? 大佐様は思案の末に見事なる技を思い付かれました。それが紙型にござりまする」
藤吉郎が芝居がかった様子で説明を始める。その口調は落ち着いて淀みない。こいつのプレゼン力は五十三万くらいあるのかも知れん。
それはそうと、俺が思い付いたんじゃ無いんだけど。大作は心の中で突っ込む。だが、話の腰を折るのも何なので口は挟まない。
「しけい、じゃと?」
重経が弥十郎に視線を向けて首を傾げる。
一瞬のアイコンタクトの後、弥十郎が藤吉郎に向き直った。
「しけいとやらのこと、いま少し詳らかに申してみよ」
何だこいつら、またもや伝言ゲームかよ! もう付き合ってられん。
大作は藤吉郎にタカラ○ミーのせ○せいを押し付けた。そして、藤吉郎の背中を押して強引に前へ押しやる。
僅かの逡巡の後、藤吉郎が説明を続けた。大作は隙を見てさり気なくその場からジリジリと後退する。お園も見事なシンクロを見せた。
無事に廊下まで撤退した大作は思わず安堵の吐息を付く。それを見たお園が不思議そうに声を掛けた。
「どうしたの、大佐。そんな大きなため息なんかついて」
「知ってるか? 戦争で一番難しいのは撤退戦なんだぞ。キスカ島撤退作戦なんて奇跡レベルだ。そう言えば、蛇の目ミシンは日中戦争が始まったころには朝鮮半島からの撤退を始めていたらしいな。ちなみにリッカーミシンの前身は理化学工業だけど理化学研究所とは何の関係も無い。それにしても金ヶ崎の退き口で有名な秀吉を捨て石にして撤退に成功した俺って信長みたいじゃね?」
「そう、良かったわね。でも大佐、白目や白鑞のことは良いの? 回転式脱穀機とか四十丁の鉄砲のお話もしてないわよ」
「そ、そうだな。いや、きっと藤吉郎が纏めてやってくれるんじゃね? たぶん大丈夫だろ。って言うか、そうじゃないと困る」
大作は手の甲に書いたメモを見つめながら唇を噛み締める。そう言えば雷酸水銀を作るって話も放置プレイだっけ。追及されたらヤバイよな。
指摘されてから弁解するより先に謝った方が良いんだろうか。でも、綺麗さっぱり忘れてました何て言い辛いぞ。
それか、知らぬ存ぜぬを押し通すとか。契約書とか交わしていないから法的拘束力は無いんじゃね?
いやいや、あんだけ大量の水銀を受け取っといて今さらキャンセルできるわけ無いじゃん。それに、雷酸水銀その物はいずれ必要になるし。
だったら、いつものアレだ。『美味しい料理には時間が掛かります』で行こう。大作は考えるのを止めた。
そうと決まれば後は藤吉郎の話が終わるのを待つのみだ。
早く話が終われば良いのになぁ。そんなことを考えながら恨めしそうな顔で重経と藤吉郎を交互に見つめる。
待っている時の一分は一時間にも感じられとはこのことだ。
しかし、そんな大作へ不意に弥十郎から声が掛かる。
「大佐殿は如何に思われる? 大佐殿? 大佐殿!」
「うわらば!」
油断しきっていた大作は思わず小さく飛び上がった。な、な、何でも良いから誤魔化しちゃえ~!
「は、はいぃ~? ちゃ、ちゃんと聞いておりましたぞ。アレはアレですな。つまるところ金属活字の活版は活字を再利用するために刷り終わった版を残しておけませぬ。故に再版コストが掛かり過ぎて活字は普及しませんでした。紙型はそれを低コストに解決する画期的な発明にございます。近い将来、印刷関連産業は国内製造業の二パーセントにも達することにござりましょう。単純に比ぶべくもありませぬが広告業界や通販業界に匹敵する産業規模にございます。ブルー・オーシャン戦略はご存じですな? 競争相手のいない今こそ、積極的な投資をお勧め致します」
「はぁ? 和尚は何を申しておるのじゃ」
弥十郎の顔が不機嫌そうに歪む。突き刺すような鋭い視線に見つめられて大作は竦み上がった。
なんて沸点の低い奴なんだよ! 大作は心の中で逆ギレするが決して顔には出さない。
もしかしてバルスか? バルスしかないんだろうか? 横目で菖蒲の顔色を窺ってみる。だが、頼りのくノ一はさぱ~り分からんといった顔で首を傾げていた。
そんな不穏な空気を読んだのだろうか。藤吉郎が大作の耳元で囁く。
「大佐、若殿は鉛板の代わりに石鹸を使うて版を作れば如何かと申されておられます。さすれば鉛より容易く作ることが叶うのではありませぬか?」
「石鹸で? 五枚や十枚ならともかく大量印刷は無理だと思うぞ。まあ、印刷が終わった後は石鹸として使えるから無駄にはならないけど」
「だったらサブで良いんじゃないの? 油に硫黄を混ぜて温めるとサブができるって言ってたわよね。それを使えば『ふれきそいんさつ』ができるんじゃないの?」
お園が横から意外なアイディアを披露する。
その発想はなかったわ。大作は一瞬、感心しそうになった。
でもなぁ。そうなると昨日の作業は何だったんだろう。まるっきり骨折り損のくたびれ儲けじゃないかよ。
重経、弥十郎、お園、藤吉郎、未唯、菖…… 菖蒲の視線が大作に集まる。
「え~~~! アンチモンはどうするんだよ。予定が無茶苦茶じゃんか……」
大作は頭を抱え込み、絞り出すような呻き声を上げた。




