巻ノ百参拾六 くんずほぐれつ の巻
大作、お園、未唯の三人が材木屋ハウス(虎居)に辿り着いたのは正午を少し回ったころだった。
すっかりこの時代の生活習慣に染まりきったのだろうか。昼食をとらなくてもお腹が減った気がしない。
まあ、食費が浮くから助かるか。いやいや、朝晩にその分だけ多く食べたら一緒じゃね? イスラム圏では断食月に入ると却って食料の消費量が増えるとか何とか。
巫女軍団を二つのグループに分けて対照実験してみるのが良いかも知れん。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
「とりあえずノックしてみようか。もし藤吉郎と菖蒲が素っ裸でくんずほぐれつしてたら気まずいだろ」
大作は二人の顔色を窺うように疑問を口にする。だが、返ってきたのは女性陣の呆れたような嘲笑だった。
「あの二人に限ってそんな気遣いは要らないと思うわよ」
「そんなことを思い煩うなんて大佐も『でりかし~』が無いわね。ちょっと卑しいわよ」
未唯も腰巾着のようにお園に同調する。もうどうでも良いや。勝手に二人で仲良くやってろ。
大作は引き戸に耳を当てて中の様子を探る。だが、中からは物音一つしない。とりあえず、くんずほぐれつの線は消えたな。大作はほっと胸を撫で下ろす。
音を立てないよう注意してそっと引き戸を滑らせる。息を殺して僅かに開いた隙間から中を覗き込む。そこにあったのは大きく見開かれた目玉だった。
「うわぁ~~~!」
思わず悲鳴を上げて大作はその場に尻餅をついた。あっ痛たたた! び、尾てい骨が…… って言うか『てい』って漢字もJIS第三水準なのかよ!
罅が入って無けりゃ良いけど。ちなみに罅はJIS第二水準だ。いったいどういう選考基準なんだよ!
そう思いながら涙目でお尻を摩る。すると勢いよく引き戸が開いて中から人影が現れた。
「何者かと思えば大佐ではござりませぬか! 如何なされました?」
「なんだ、藤吉郎かよ! 死ぬほど驚いたぞ。リビング・デイライツだな」
リビング・デイライツという言葉には意識とか正気という意味しかない。ボンドのセリフを誤解した人が広めた俗説なのだ。
とは言え、十八世紀ごろには目を現すスラングだったらしい。本来の意味は『気を失わせる』だったという説もある。
ならば意訳ではあるけれど誤訳ってほどでも無いかも知れん。まあ、意味さえ通じているなら問題は無い。
「それで菖蒲…… 菖蒲は? あいつはどこ行った?」
「何故にわざわざ言い直されたのでしょうか? 私は菖蒲にございます」
薄い眉を吊り上げた菖蒲が藤吉郎の後ろから現れた。その切れ長の瞳は攻撃色に染まっている。冗談の通じない奴は苦手だなあ。
いやいや、本人が嫌がってるんだからジョークでは済まされん。もう名前で弄るのは止めておこう。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
「ごめんごめん、もう絶対に間違えないよ。絶対にだ! それはそうと菖…… 菖蒲は英語でアイリスって言うんだ。知ってたか? 昔々、ギリシアに神様の伝言係をやらされていたイリスとかいう奴がいたんだとさ。ある日、ゼウスの奥さんのヘラが神酒を振りかけたら虹に変化しちまった。それが地上までこぼれてアイリスになったそうだ。めでたしめでたし。ちなみに花言葉は『よい便り』だぞ」
「さ、左様にございますか」
こんな風に切り返されるとは思ってもいなかったのだろう。菖蒲が唖然としている。はぐらかしは上手く行ったようだ。
大作は藤吉郎に向き直ると精一杯の真面目な表情を作る。
「それで、あれからどうなった? 俺は報連相は強制しないぞ。人の顔色ばかり窺うような人材は不要だ。自分の頭で考えて行動しろ」
「そ、某は大佐の申されたように回転式脱穀機の復活に全力を注ぎました。船木村の方々との語らひにて『くらんく』の作りに障りを見出しました故、安楽殿に手直しをお願い致しました。確と使えるように仕上がっております。唐箕も作って頂きました。そのせいで手の空いた方々には山ヶ野で人を集めておると申し伝えておりまする」
「マジかよ!? あんなガラクタが使い物になったのか! どんな手品を使ったんだ?」
「真にございます。藤吉郎は本に利口者かと。見事な差配にござりました」
菖蒲も調子の良いことを言って藤吉郎を持ち上げる。やっぱこいつらデキてんのか? あまり図に乗らせるのも不味いな。とは言え、成果を上げたのに認めてやらないと拗ねるかも知れん。
何でも良いから適当なことを言って誤魔化さなければ。大作は頭をフル回転させる。
「素晴らしい、藤吉郎くん。君は英雄だ。大変な功績だ。バンバンカチカチ、アラ? 正に『男子三日会わざれば刮目して見よ』だな。お前はあと二回くらい変身を残してるんじゃないか?」
「本に大手柄よ藤吉郎。もし大佐に任せてたら今ごろ薪になってたところだわ」
お園も笑いを堪えながら藤吉郎を褒める。って言うか、さり気なく大作をディスった。
酷い言われようだが本当のことなので黙って受け入れるしか無い。だからと言って、このまま引き下がるわけにも行かない。これってもしかしてピンチじゃね?
大作は脳内のニトロスイッチを入れてフル加速する。気分はマックスを追い掛けるヒューマンガスだ。
「ところで、人の判断力はミスした直後は普段の一割まで低下するそうだな。そんな話を聞いたこと無いか?」
「は、はぁ?」
「そのような厳しい状況下、失敗を見事に成功に変えて見せた。藤吉郎には無数の選択肢の中から最善の一手を選び続ける特殊能力があるのかも知れんな。P・K・ディック原作のNEXTって映画を知ってるか? ニコラス・ケイジが二分後を予知する能力を駆使して彼女をナンパする話だ」
「……」
藤吉郎の顔が急に不安に歪む。効いてる効いてる。大作は内心ほくそ笑む。だが、決して顔には出さない。無理矢理に真面目な表情を作った。
まあ、たった二分の予知能力なんてギャンブルで一儲けするくらいが関の山だ。天下統一とかは辛いかも知れん。
それはそうとP・K・ディックの作品だとやっぱ『高い城の男』が一番だよな。俺もそのうちどこか高い山のてっぺんに城を作ろう。大作は心の中の予定表に書き込んだ。
「さて、残念なことに我が山ヶ野金山においてはノーレイティングと言って業績評価は行わない方針だ。とは申せ、此度の功名に報いぬわけには参らぬな。来週にも決算賞与、臨時ボーナス? 恩賞を授ける予定だ。期待していてくれよ」
「それは真に有難きこと。これまでにも増して懸命に励みまする。して、次は如何致しましょう。御下知を賜りとう存じまする」
何だこいつ。変なスイッチでも入ったのか? それとも本当に俺が二分後に何を言うか予知してるんだろうか。だったら意地でもその裏をかいてやらねば。大作は必死に逃げ道を探す。
だが、さっきから脳に負荷を掛け過ぎたのだろうか。関係ない雑念ばっかり浮かんでマトモなアイディアが何一つ思い付かない。とりあえず時間稼ぎだ。
「ついさっき言ったよな? 自分の頭で考えて行動しろって。すでに回転式脱穀機は百台も発注済みだ。次は何をするべきだと思う?」
「御領内の村々を回り、売って歩けば宜しゅうございますか? 確か元値は銭一貫五百文と申しておられましたな。如何ほどの値を付くるべきでありましょうや?」
大作は記憶を辿る。Wikipediaによれば扱き箸を使った脱穀は一石で二日くらい掛かるはずだった。それが回転式脱穀機だと二十倍の効率アップが図れるって見積もりだ。
二百石くらいの村だと四百人日の作業量が二十人日で済むってことになる。浮いた三百八十人日を金山で働いて貰うとして賃金は銭十貫文ほど。
だが、彼らが採掘、精錬してくれる金は最低でもその数倍の価値を持つ。銭数十貫文の利益の前では銭一貫五百文なんて誤差みたいな物だ。
「景気良くタダで配って回れ。どうせ一台当たりの原価は銭一貫五百文。百台でもたったの銭百五十貫文に過ぎん。いちいちセールスしている時間の方が勿体無いくらいだ」
さすがの藤吉郎もこれは予想外だったのだろう。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。まあ、そんな動物虐待な真似はしないんだけど。
ところが伏兵は意外なところに潜んでいた。お園がいつになく真剣な顔をしながら口を挟む。
「それはどうかしら、大佐。タダで貰った物って大事にされないわよ。試しもしないで役に立たないと思われたらどうするの?」
「某もタダで配るのは如何な物かと存じます。有難味が薄れてしまうのではござりませぬか?」
まさかこんなに反発されると。大作は予想外の抵抗に戸惑う。ここで意見を変えたら威厳を損なうか? でも、正論に耳を傾けないと無能な上司と思われるかも知れん。
どうすれバインダ~! いやいや、こういう時は相手に丸投げが基本だ。
「分かった、藤吉郎。お前の好きにしろ。全責任は俺が取る!」
大作は最高のドヤ顔を作るとドラマで良くあるセリフを口にする。心の中で『キリッ』っという擬音を入れるのも忘れない。
どうせタダで配ろうと思っていた物だ。それより酷い結果になることも無いだろう。それに全責任を取るってことは、逆に上手く行った時の手柄も全部こっちの物だ。
「そうなると急いで作らなきゃいけないのは取説だな。操作ミスで子供が怪我でもしたら製造物責任を問われるだろ?」
「とりせつ?」
「取扱説明書? manual? guidebook? そうだ! 鉄砲の取説も作らなきゃないけないんだっけ? こいつは忙しくなるぞ。時間が勿体無い、とりあえず移動しながら話そう」
返事も待たずに大作は先頭に立って歩き出す。慌ててお園たちも後に続いた。
歩き出したのは良いけれど、大作はどっちに向かうべきか迷う。散々、迷った末に青左衛門の鍛冶屋を目指すことにした。
こんな無理難題を聞いてくれそうなのはあいつしか思い浮かばないのだ。
こんなことになるんなら使える手下を増やす努力をした方が良かったかも知れん。後悔するが時すでに遅しだ。
そんな大作の気も知らずに藤吉郎が陽気な笑顔を浮かべながら話しかけてくる。
「とりせつとは鍛冶屋に作って頂くような物なのでござりましょうか?」
「取説を作るのは俺たちだよ。百台の脱穀機には百冊の取説が必要になる。だけど、同じ物を百も作るのは大変だろ。だから印刷機を作って貰うんだ」
「左様でござりますか。ようやく合点が行き申しました」
本当に分かってんのかよ? こいつ返事だけは良いけど実際は怪しいもんだ。って言うか、そんな簡単に理解して吸収されると知識という俺の唯一の優位性が失われかねん。大作は警戒レベルを引き上げる。
とは言え、役に立つ人材は喉から手が出るほど欲しいのも事実だ。注意を欠かさず付き合って行くしか無い。
「Wikipediaによれば日本最古の印刷物は法隆寺の百万塔陀羅尼らしいな。宝亀元年(770年)の木版印刷だって書いてある。この時代でも堺版ってのがあるそうだ。ってことは、もしかして今井様に頼めば何とかなったのか?」
「堺から人を呼ぼうと思ったら一月は掛かるんじゃないかしら」
大作の安易な思い付きにお園から鋭い突っ込みが入る。
「それもそうだな。でも、俺が作ろうと思ってるのは木版印刷みたいな原始的な物じゃ無いんだ。もっと手軽で安く上げなきゃならん。俺には…… 俺たちには時間が無い。『場所は取り戻せるが、時間は取り戻せない』って聞いたことあるか? ナポレオンの言葉だと思ってる人が多いみたいだな。ネットで読んだ話だと、本当はグナイゼナウが1814年1月27日にシュタイン宛に書いた手紙に出てくる言葉らしいぞ。まあ、時間貯蓄銀行に預けておくって手もあるけどな」
「ぐないぜなうとはどなたにござりますか?」
気になるのはそこかよ~! 大作は心の中で絶叫する。
「ナポレオンを倒したプロイセンの参謀総長だよ。陸軍の軍人だけど戦艦や巡洋艦にも名を残してるぞ」
「なぽれおんって誰なの?」
今度は未唯が首を傾げる。話がどんどんズレて行ってる気がするんだけど。まあ、移動中の時間潰しだからどうでも良いか。
「一時はヨーロッパの大半を支配したフランス皇帝さ。だけどロシア遠征の失敗から落ち目になって最後はみっともない死に方をした。ちょっとヒトラーみたいだろ。ちなみに陸軍士官学校を五十八人中四十二位で卒業したそうだ」
「りくぐんしかんがっこうって足利学校みたいな物かしら。それって下から数えた方が早いわね」
足利学校が創られたのは平安時代初期とか鎌倉時代など諸説あるらしい。火事でピンチになったこともあったが、この時代には生徒数三千人のマンモス校だったらしい。
「そう思うだろ? ところがどっこい現実です! ナポレオンは普通なら四年掛かるところをたったの十一カ月で卒業してるんだぞ。これって凄くね?」
「そうかしら。真の尊者なら確と学んで一番になったと思うわよ」
「いやいや、旧日本海軍のハンモックナンバーじゃあるまいし。フランス陸軍では卒業席次なんて大した意味は無かったんじゃないかな。まあ、ナポレオンがその三年間を有効活用したかっていうとそんなこともなかったんだけど。トゥーロン攻囲戦で頭角を現すまでの八年間、目だった活躍は何もしていない」
「ふぅ~ん」
お園が退屈そうにため息をつく。お前らが変な方向に話を振ったからだろ~! 大作は心の中で逆切れするが顔には出さない。
そんな無駄話をしているうちにも青左衛門の鍛冶屋に辿り着いた。
「頼もう! 青左衛門殿、大佐にございます」
「おお、大佐様。お戻りになられましたか。蒸気ハンマーならまだできておりませぬぞ」
作業場の奥から現れた若い鍛冶屋は引きつったような笑みを浮かべる。何だかげっそりと窶れたようすだ。
ほんの数日の間に何があったんだろう。大作は気になったが触れると藪蛇になりそうなので止めておく。
「入来院様と東郷様。ご両家とも青左衛門殿の作られた鉄砲に大いに喜んでおられましたぞ。大量注文を期待しておいて下さりませ」
「左様にござりますか。これも偏に大佐様のお陰。感謝に堪えませぬ」
大作の口から出まかせに対して青左衛門も適当な相槌を打つ。まずは軽いジャブの打ち合いだ。
「さて、青左衛門殿。このところお願いばかりで心苦しゅうございますが、また新たな頼みごとがございます。此度、プラチナやルテニウムの入手に目途が付きました。故にアンモニア合成塔や熱交換器、吸収塔を作って頂かねばなりませぬ。それと紙を大量生産するために砕木機、抄紙機も急ぎ入用です。さらに印刷のために印刷機を作って頂きとうございます。金属活字も作りたいのでベントン彫刻機みたいな物もお願いできますかな」
「大佐、望遠鏡は?」
目を白黒させている青左衛門に遠慮することなく、お園が横から口を挟む。ちゃっかりしてやがるな。大作は素直に関心した。
「ついでにオスカー型研磨機みたいな物も作って下さいませ。半球型の台を回して、その上で研磨皿を往復運動させるだけの簡単な絡繰りにございます」
「大恩ある大佐様には誠に申し上げ難きことなれど何卒そればかりはご勘弁くださりませ。鉄砲、鉛弾、大砲、蒸気ハンマー。もう手一杯にござります。抑、我らは刀鍛冶。鉄砲作りならいざ知らず、紙漉きや版木彫りなど出来ようはずもありませぬ」
心底から迷惑そうな青左衛門の表情に大作は一瞬だけ怯む。だが、ここで退くわけには行かない。こいつ以外にはこんなことを頼める奴がいないのだ。
「青左衛門殿、拙僧は相談しているのではござりませぬぞ。これは大殿のご意思でもありまする」
「これはしたり。左様にござりましたか!」
青左衛門の顔色が急に真剣な物に変わった。やっぱ、偉い人の名を騙ると効果があるな。
確か野鍛冶に回転式脱穀機を発注する時にも若殿の名前を勝手に使った気がする。話の辻褄を合わせるため、事後承諾を取っといた方が良さげだ。早い目に何とかせねば。
「それにこれは青左衛門殿のためでもあるのです。兵器産業のみに絞った今の経営方針。これでは社会環境の変化に対応できないと申し上げておるのでございます」
「しゃかいかんきょう…… にござりますか」
「左様。青左衛門殿は今のような乱世がいつまでも続くとお思いにござりましょうか? 天下が治まれば兵器の需要が激減するのは必定。かつて隆盛を誇ったLotus 1-2-3やノベルのNetWareも今は見る影もありませぬ。選択と集中とは申しますが、特定の分野、商品、アイディア。たった一つに賭けてしまうと一度の失敗ですべてを失う危険があるのです」
「……」
とうとう相槌が返ってこなくなった。青左衛門の虚ろな瞳がちょっと怖い。もっと分かりやすい例え話が必要なのか? 大作はスマホの中から使えそうなネタを懸命に探す。
「そもそも軍需産業の市場規模はそれほど大きな物ではございませぬ。『人はパンのみにて生くるものに非ず』などと申しますが、衣食住は人間生活の基本。それに対して軍事費などGDPの数パーセントに過ぎぬのです。世界最大の軍事企業ロッキード・マーティンの売上は五百億ドル足らず。トヨタの五分の一にも届きませぬ。もっと民需に目を向けて下さりませ!」
「ぱんってあの変な食べ物ね」
必死になって話す大作にお園が定番の相槌を返す。こりゃあ早い目にパンを食べさせてやらねば。もういっそ、青左衛門にパン作りも頼むか? そう言えば、ヘルメット鍋を忘れていたぞ。
「青左衛門殿。国内の製紙業界の総売上もロッキード・マーティンを上回りますぞ。印刷業界、出版業界の売上も同じくらいです。需給の変動が激しい軍需などより民需こそ優先すべきなのでございます。どうか拙僧を信じて下さりませ」
「お話は良う分かりました。されど某はもう疲れ果てて何をする気力も残っておりませぬ。何卒、お許し下さりませ」
そう言うと虚ろな瞳の青左衛門は黙って頭を下げる。掛ける言葉が思いつかない大作は黙ってそれを見つめるしかなかった。




