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巻ノ百参拾壱 錨よ上がれ の巻

 大作の阿呆な無駄蘊蓄は例に寄って盛大な不発に終わった。いつにも増してお通夜みたいに微妙な雰囲気だ。

 って言うか『いつもに(●●)増して』って誤用する人の方が多いって話を聞いたことがあったっけ。

 それはそうと、この展開は大作にとってもはやお約束だ。むしろ、ワンパターンじゃね? だったらこの機会を利用して新たな境地を開いて見ようじゃないか!


「時に岩見守様、水主(かこ)の養成…… 修練? トレーニング? 進んでおりましょうや」

「水主じゃと。千手丸、どうなっておる?」

「前園殿、如何にござりましょうや?」


 大作の疑問は重友から千手丸を経由して船大工の棟梁らしき男に向かう。

 って言うかこの男、前園なんて名前だったんだ。大作はダメもとで心の中のメモ帳に書き込む。まあ、どうせすぐに忘れちゃうんだろうけど。

 話を振られた棟梁は落ち着き払った様子で微笑む。


「我らは船大工にござります。水主の口入(くちいれ)なぞ、できよう筈もござりませぬ」


 ですよね~! 大作は心の中で激しく同意する。


「殿、前園殿は水主の口入はしておらぬと申しておりまする」


 千住丸は回答をそのまま重朝に転送した。


「で、あるか。して、大佐殿。如何致す?」


 伝言ゲームかよ! 大作は心の中で絶叫する。しかし顔にはまったく出さない。

 って言うか、俺に振るの? 部外者の俺になんとかしろってか?

 どげんかせんといかんのか? ポクポクポク、チ~ン。閃いた!


「ゼロから…… 何も無いところから水軍を作り上げるのはコスト…… 手間隙が掛かり過ぎましょう。ここは一つ、業務提携で乗り切ってみては如何にござりましょうや?」

「ぎょうむていけい?」

「資本提携や経営統合まで行う必要はござりませぬ。こちらからは資金や物資、技術などを提供する。代わりに人材交流により水軍運用のノウハウを頂戴いたします」

「それほど金にゆとりは無いぞ。そのような話に乗って来る相手がおるのかのう?」


 渋い顔で重朝がぼやく。このおっさん、そんなに金に困ってるんだろうか。


「我らには鉄砲がござりますれば引く手あまたにござりましょう。されど我らが欲しておるのは水軍にて、自ずと相手は限られまする」

「和尚には心当たりがあると申すか? して、其はどこじゃ?」


 重朝が大きく身を乗り出す。その顔色が急に明るくなった。


「肥前国に松浦(まつら)党と申す水軍で有名な一族がおるのをご存じにありましょうや? 嘘か真か存じませぬが京の都で鬼の腕を切り落とした渡辺綱と申す者がおりまするな。その孫、(みなもとの)(ひさし)と申す者が御厨検校に任ぜられて延久元年(1069)に松浦へと下向したそうな。これが松浦党の祖にござります」

「嵯峨源氏の流れを汲んでおるわけじゃな。平家の家人じゃったが壇ノ浦の戦にて源氏に寝返ったと聞き及んでおるぞ。そのような者が当てになるのかのう?」


 首を傾げた重朝が眉間に皺を寄せて唸る。

 言われてみればそうかも知れん。まるでイタリアみたいな奴らだ。大作はイタリアが戦勝国だという都市伝説を思い出す。

 いやいや、イタリアは枢軸国として降伏してるから敗戦国なんだけどな。戦艦ミズーリ号上の降伏文書調印やサンフランシス平和条約にも参加していない。敵国条項にも名前があるし。

 大作は考えるのを止めた。


「誰しもが勝つ方に付きたいと思うのは当たり前のこと。驚くには値しませぬ。ちなみに文永の役では大損害を被りましたが、弘安の役では大活躍したそうですな」

「そりゃあ、いくら負けそうでも元に寝返るわけには行かないわよ」


 お園が呆れたように相槌を打つ。重朝も禿同と言った顔で頷いている。


「南北朝動乱の折にも始めは後醍醐帝に付いたそうな。それが尊氏有利とみれば即座に足利方に寝返ったと申します。ここまで来るといっそ清々しいですな」

「まあ、我らとて負けるつもりは毛頭無いがな。要は勝てば良いのじゃ。して、その松浦党にどうやって話を付ける。伝はあるのか?」

「まあ、そう急かれますな。源久には男子が六人いたそうな。それぞれが分割相続して、その家がさらに分家を作りました。やがて松浦四十八党と呼ばれるようになったとのこと。このペースで増えたら今に全人類が松浦党ですな。まあ、後三年の役で負けた安倍宗任が祖だって説もございますが」

「……」


 おとなしく重朝が話を聞いてくれている。だが、相槌が無いのは寂しいな。

 急かれますななんて言うんじゃ無かった。大作は激しく後悔するが例に寄って後の祭りだ。


「松浦党の惣領は相浦の飯盛山に居城を構えておられる相神浦(あいこのうら)松浦氏と申します。ご当主の丹後守(ちかし)様(1494-1577)は結構なお歳にござりますな。聞くところによれば幼きころ平戸松浦氏に攻められて父上が自害されたとか。六、七年ほど前にも飯盛城を攻められて一年もの長きに渡る戦の末に鷹島とやらを譲り渡したそうな。相神浦は平戸と和議を結び、平戸に加えて後藤や大村とも婚儀を結ばれました。されど、この和睦も長くは続きますまい」

「……」


 相変わらず何の相槌も無い。おかげで大作のやる気は萎む一方だ。

 もう良いや。適当に切り上げよう。大作はスマホでこの先の流れを確認する。


 史実だと来年、天文二十年(1551)には平戸氏のバックに付いている大内義隆が大寧寺の変で死ぬ。陶隆房(晴賢)のクーデターだ。しかし、平戸は明や倭寇との貿易で莫大な利益を上げている。ダメージはそれほど大きく無いだろう。


 ちなみに、大内という後ろ楯を失った龍造寺隆信は肥前を追われる。だが、筑後国の蒲池氏とかいう奴が支援してくれるらしい。肥前を奪還するのは二年後の天文二十二年(1553)のことだ。

 龍造寺を始末するとしたらこのタイミングがベストなのか? でも大内が生き延びたら厳島の戦いで村上水軍をフルボッコにするっていう夢が果たせない。

 いやいや、大事の前の小事だ。それは諦めよう。史実では大内を滅ぼした陶を毛利が倒すことになる。

 だったら最終的勝者の毛利から潰すのは基本中の基本だ。井上一族の救援に失敗した場合は陶のクーデターを妨害する。それに失敗して大内が滅んだ場合は厳島で毛利を滅ぼす。これで行こう。


 龍造寺に関しては有馬氏に大勝するのが十三年後の永禄六年(1563)。これをチャンスと見た平戸が相神浦を攻める。相神浦は永禄九年(1566)まで粘るが結局はギブアップという流れだ。

 大作のスケジュールでは二十五年後にはアメリカ日本化計画をスタートしなければならない。九州制圧に割ける時間なんてせいぜい十年しか無いのだ。


 ところで、史実の通りなら惣領家を乗っ取った平戸氏は六万三千石の平戸藩として幕末まで生き延び、維新後は華族。後に伯爵を叙爵される。

 相神浦松浦氏も徳川の旗本に取り立てられ、幕末まで江戸に住んだらしい。

 まあ、徳川幕府なんて絶対に作らせるつもりは無い。絶対にだ! 大作は考えるのを止めた。




 大作は重朝に向き直ると精一杯の真面目な顔を作る。


「要するに松浦党惣領の相神浦は平戸に押されて風前の灯火ということにござります。奢れる者は久しからず。溺れる者は藁をも掴む。こういう時は困っている者の足元を見るに限りまする」

「勝っておる方ではなく、負けておる方に加勢せよと申されるか! そのようなことをして、我らに何の利があるのじゃ?」


 首を傾げた重朝が興奮気味に叫ぶ。だが、距離があるので唾が飛んで来る心配は無い。大作は余裕の笑みを浮かべる。


「如何にも。業務提携の相手は相神浦松浦が相応しいと存じまする。連中はこのままでは余命幾ばくもありませぬ。放って置けば十数年で滅びましょう。A friend in need is a friend indeed. 困った時に助けてくれるのが真の友と申しますぞ」

「追い詰められれば藁をも(すが)りたくなるのは道理じゃな」


 重朝が邪悪な笑みを浮かべる。だが、大作は『藁()も縋る』の言い間違いが気になってしょうがない。溺れる者は藁をも掴むと混同する人が多いらしい。

 とは言え、それを指摘するほど大作も野暮では無い。


「かてて加えて平戸は南蛮貿易において競合関係となりまする。早めに潰した方が宜しゅうござりましょう」

「しかし、我らが合力するだけでそのようなことが叶うのじゃろうか? 松浦党はどれほどの兵を動かせるのじゃ?」

「松浦上下郡で十二万石ほどと申します。敵味方を合わせてもせいぜいが三千が良いところかと。仮に二千対千だとして、我らが鉄砲の五百丁もくれてやれば劣勢は覆えせましょう。どちらか一方が勝たぬように潰し合わせ、双方が弱ったところで横から叩き潰しまする」

「何じゃと! 合力するのではなかったのか? 平戸だけではなく、相神浦も討てと申すか?」


 眉を顰める重朝の顔を見て大作は内心でほくそ笑む。効いてる効いてる。とは言え、大作の集中力もそろそろ活動限界を迎えようとしていた。

 je n'ai pas le temps. 僕にはもう時間がないのだ。


「どうせ四十里も彼方の対岸の火事。『どちらが勝っても人類に関係ない!』でござりまする」


 大作は『キョンシーVSくノ一』というB級映画の身も蓋もないキャッチコピーで無理矢理に話を締め括る。


「それではチャールズ・ツィマーマン(1916年没)作曲の『錨を上げて』です。聴いて下さい」


 呆気に取られる一同は完全放置だ。大作はバックパックからアルトサックスを取り出すやいきなり吹き始めた。

 入来院水軍の船出を祝うには丁度良い選曲だろう。ちなみにこの曲は米海軍の事実上の制式歌だ。って言うか、事実上のって何だよ! 要するに非制式ってことじゃね?


 始めは茫然としていた重朝がすぐに立ち直る。にっこり笑顔を浮かべると曲に合わせて手拍子を始めた。

 それを見たお園が未唯の手を引いて立ち上がる。そして二人で曲に合わせて即興で踊り出した。

 何の打ち合わせもしていないのに見事な物だと大作は感心する。千手丸や船大工らもノリノリで手を振り回して大興奮の様子だ。


 せっかく観客が盛り上がってるのにこれで終わるのは勿体無いな。

 大作は続けて瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)(1941年没)作曲の『軍艦行進曲』を吹く。

 軍艦マーチの通称で有名な行進曲だ。真珠湾攻撃以後、勝ち戦を報じるラジオニュースではこの曲が流された。ちなみに負け戦の場合は『海行かば』が流れる。

 ただし、真珠湾攻撃の際には特別攻撃隊九軍神の発表に続けて『海行かば』を流したんだそうな。

 ともかく、戦後の海自でも海上幕僚監部通達により儀礼曲として使われ続けている名曲なのだ。


 この曲の著作権は瀬戸口の没後五十年で切れている。だが、作曲した時に瀬戸口は軍楽師だった。そのため、著作権が切れる1991年までは大蔵省が管理していたんだそうな。


 景気の良い曲を吹いたからだろうか。聴衆の盛り上がり振りは尋常では無い。それは良いのだが、このままだとエンドレスになりそうな予感がする。

 ここいらでクールダウンさせなければ。


「それでは次が最後の曲になります。信時潔(のぶとききよし)(1965年没)作曲の『海行かば』です。聴いて下さい」


 言った瞬間、大作は激しく後悔した。『○○になります』は所謂(いわゆる)、ファミレス言葉と呼ばれる間違った表現なのだ。ロイヤルホストのマニュアルでも使用禁止に指定されてるとか何とか。

 しょうがない。『(あやま)ちて(あらた)めざる、(これ)(あやま)ちという』だ。潔く訂正しよう。


 いやいや、ちょっと待て。これって本当に間違いか? 『なります』って言葉には『変化や移行』の他にも『一定の役割を果たす』って意味もあるんじゃなかったっけ?。

 普段は最後の曲では無い『海行かば』が今日に限って『最後の曲になる』んだからこの表現でも良いんじゃね? どうなんだ?

 もしかして。いや、もしかしないでも間違っていないんじゃね? 間違っていないのに訂正するのはアレだなあ。でも、間違ってたら格好悪いぞ。どうしたもんじゃろな~


「大佐? 大佐! Do you hear me? 海行かばを忘れちゃったのかしら。良かったら私が歌うわよ」


 心配そうな顔のお園に声を掛けられて大作は我に返った。気が付くと重朝から未唯まで全員が固唾を呑んで見守っている。


「don't worry. どうでも良いけど『Do you hear me』はちょっと酷いんじゃね? 『Can you hear me』の方が良いと思うぞ」

「ふぅ~ん、そうなんだ。じゃあ、今度からはそう言うわね」


 お園が軽く頷く。それはそうと、誰も『なります』を気にしてはいないらしい。

 大作はほっと胸を撫で下ろすとサックスを吹き始めた。お園も目一杯に小節を効かせて感情たっぷりに歌い上げる。


 (うみ)()かば ()()(かばね)

 (やま)()かば (くさ)()(かばね)

 (おお)(きみ)の ()にこそ()なめ

 かへり()はせじ


 先ほどまでとはガラリと変わった静かな曲だ。一同は手拍子を止めて静かに聴き入っている。

 曲を吹き終わると大作は重朝に向き直って深々と頭を下げた。お園も寸分違わぬ見事なシンクロを見せる。


「天晴れじゃ、大佐殿。お園も大儀であった。大伴家持の長歌とは風流じゃな」

「勿体無きお言葉にござります。この大佐、岩見守様のためならばいつでも喜んで命を捨つる覚悟。今後とも宜しゅう…… ぐぇ!」


 不意に襲って来た嘔吐感に大作は思わず口を押さえた。口の中に苦くて酸っぱい胃液の風味が込み上げる。

 宴会の席でリバースは不味いぞ。宮澤首相の膝にゲロを吐いたブッシュ大統領じゃあるまいし。何が何でもそれだけは避けねば。

 大作の脳裏に首相晩餐会での大惨事がフラッシュバックする。


「い、い、岩見守様。し、失礼ながら中座させて頂きます。おぇぇぇぇ! 気持ち悪ぅ~ 吐きそう! 吐いちゃうナリィィィィィ!!」


 呼吸が荒くなり、全身から大粒の汗が止まらない。大作は震える膝を押さえながら正座のままで後ずさりする。だが、体がまったく言うことを聞かない。

 その途端、前触れもなく胃が痙攣した。咄嗟にサックスのベルを口元に当てる。とは言え、万一ここに吐いたら後でメンテナンスが大変だぞ。

 って言うか、何か知らんけど今度は猛烈に腹が痛くなってきたんだけど。嘔吐に加えて下痢も併発だと! これはもう駄目かも知れん。


「ト、ト、トイレ…… じゃなかった、厠? ご不浄? 雪隠? 何でも良いから助けてプリーズ……」


 呻き声をあげながら這いずるように大作はトイレに向かう。一同はそれを唖然とした顔で見送っていた。






 その夜、大作は深夜、と言うか明け方まで悶え苦しんだ。吐き気と腹痛で眠るどころでは無い。って言うか、トイレとの往復だけでも面倒臭くてしょうがない。

 せめて洋式便器なら座ったまま眠れたのに。そうだ! 帰ったら洋式便器の製造を頼もう。大作は心の中のメモ……


「痛たたたた! 腹が、腹が痛い! 漏れちゃうナリィィィィィ!!」


 慌ててトイレに駆け込む。間一髪で間に合った。だが、もう水みたいなのしか出てこない。

 こんなに苦しいのなら…… 気持ち悪いのなら…… 食卓に鮃の刺身などいらぬ!!


 こんな状態が続くようだと脱水症状が心配だな。いや、水分より電解質の補給が急務かも知れん。経口補水液ってどうやって作るんだっけ?

 塩はともかく砂糖なんて手に入らんぞ。そうだ! スプー○印の上白糖が…… しまった~! 重いから山ヶ野に置いてきちゃったぞ。


 そんなことを考えているうちに東の空が白んでくる。大作はこの夜、とうとう一睡もできなかった。




「おはよう、大佐。大事無いかしら?」


 朦朧とした意識が未唯の声で現実に引き戻された。大作は目だけを動かして声の主を探す。

 今や大作は干し椎茸になった気分だ。虚ろな視線を天井に彷徨わせて力なく呟く。


「もう腹の中が空っぽで上からも下からも何にも出ないぞ。この状態を大事無いって言うんならそうなんだろう。未唯の中ではな」

「朝餉は食べられそう? 台所にお願いして汁粥(しるかゆ)を作って頂いたわよ」


 椀を手に持ったお園がいつにも増して優しく微笑む。大作は未唯の手を借りてそっと膝枕をして貰った。

 お園は匙で粥を掬うと息を吹きかけて冷ます。


「あ~んして」

「あ~ん」


 ちょっと塩辛い三分粥がこんなに美味しいとは思いもしなかった。空腹は最高の調味料か。

 病気で弱っているタイミングにこれは反則だな。『惚れてまうやろ~!』と大作は心の中で絶叫する。

 お園の体温を感じながら大作は安らかな眠りに就いた。


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