巻ノ百弐拾参 ランランランラン川下り の巻
大作たちが材木屋ハウス(虎居)に辿り着いたのは夜も更けた二十二時前だった。月も出ていないので道は真っ暗だ。LEDライトが無ければ危ないところだった。
「今日は六月十二日の木曜日だっけ。二十一世紀ならコズミックフ○ントを見ている時間だな」
「違うわ、大佐。五月二十六日の水曜よ。昨日が火曜日だったもの」
「そ、そうだっけ? まあ、そんなのどうでも良いんじゃん。知ってるか? ちょうど十年後の今日に桶狭間の合戦が起こるんだぞ」
「そんなの知るわけないでしょう! それより幹部会は月曜よ。すっぽかしたら大事だわ」
日付と曜日が一致しないって認知症の初期症状だよな。って言うか、カレンダーくらい作った方が良いかも知れん。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
夕飯はとっくに済ませている。手早く歯磨きを済ませると筵に包まって眠りに就いた。
翌朝、変な夢を見ることも無く大作は爽やかに目覚めた。
「おはよう、お園。今日こそ木曜日だな。コズミックフ○ントを見るのを忘れないようにしなきゃ」
「おはよう、大佐。それで? 今日は何をするのかしら」
「またそれかよ! こんな毎日があと三年間続くのか。ネタ切れ感が半端ないぞ。昨日は大砲ネタで何とか乗り切ったけど、あんなのをあと千回繰り返せってか?」
大作は筵を片付けながら情けない顔で泣き言を漏らす。
「だったらいっそ、一日中なんにもしないっていうのはどうかしら? 座禅してみるとか」
朝食の支度をしながらお園が半笑いで答える。口振りからして本気では無さそうだ。
「アレだな、アレ…… そうだ、閃いた! お園、お前の親の仇が俺だっていう衝撃の新事実が判明するってのはどうじゃろ?」
「なん…… ですって……!? それってどういうことなのかしら?」
急にお園の声音が真剣な物に代わった。射るような眼差しに見つめられた大作は震え上がる。
「どうどう、落ち着いて。そういう設定だったらって話だよ。俺がタイムスリップしたのはスカッドのせいだろ。その時に俺がヒロイン希望って言ったせいでお園は俺の目の前に現れた。ってことは拡大解釈すれば俺のせいで親が死んだような物じゃね?」
「私の親同胞が殺されたのは大佐と会うより半月は前だったわ。それに殺したのは武田の兵よ。大佐には何の関わり合いも無いわ」
「そんな正論に何の意味も無いぞ。人間の心理って言うのは非合理的な物なんだ」
「ふぅ~ん。それで? 私は大佐を逆恨みしているのね。何をすれば良いのかしら?」
不承不承といった顔でお園が先を促す。その不満そうな表情に大作の心は折れそうだ。こんな阿呆な話は止めときゃ良かった。でもオチだけは付けておこう。
「お園の恨みは単に俺を殺すくらいじゃ晴らせないほど深いんだ。そこでお園は俺の天下統一に手を貸す。そしてそれが達成される寸前に裏切るんだ。本能寺みたいなイベントだな。大切にしている家族や仲間を皆殺しにされて絶望する俺の姿が見たい? そんな感じだ」
「大佐の家族や仲間って私から見ても家族や仲間よね? そんなことして私に何の得があるのかしら」
首を傾げるお園の顔はさっぱり分からんと言っているようだ。やはりこの展開は無理がありすぎるのか? 大作は軌道修正を図る。
「じゃあこんなのはどうじゃろ? 死んだと思っていたお園の妹と偶然に再開する。そんでそいつが俺を殺せって言うんだ。俺を死なせたくないお園は妹との板挟みになって苦しむ。ありきたりだけど面白そうだろ?」
「でも、私に妹なんていないわよ」
「そんなの適当で良いだろ。巫女の中からオーディションで選ぼう」
「悪いけど私、そんなの嫌だわ。どうしてもやりたいんならメイやほのかに頼んでくれるかしら」
大作の代案をお園はけんもほろろに切り捨てる。まあ、あいつらにそんな大役を任せられそうにないもんな。
どう考えても役不足…… じゃなかった、役者不足だ。この二つの言葉は某大河ドラマ『八代将軍吉○』でハマちゃんの中の人も間違えた厄介な言葉なのだ。
って言うか、そもそも役者不足なんていう言葉は広辞苑にも載っていない。わりと新しい造語だったりするらしい。定義がはっきりしていないんだから誤用かどうかも良く分からないのだ。
もうどうでも良いや。大作は考えるのを止めた。
「だったら立場をひっくり返そう。メイとほのかが共謀して俺を殺そうとするんだ。それに気がついたお園は俺を庇って死ぬ。ほとぼりが冷めたころ、お園の妹役で再登場させてやるから安心して良いぞ」
「いい加減に阿呆な話は止めてくれるかしら? ご飯の支度を手伝ってちょうだい」
「分かった分かった、降参だ。冗談はこれくらいにして今日は入来院と東郷に行ってみようよ。って言うか、行かなきゃ。鉄砲の共同開発を持ちかけといて放ったらかしも良いところだろ。蒲生や肝付にタダで配ってるなんてバレたら大事だぞ」
「入来院様と東郷様に一晩ずつ泊めて頂いても一日ゆとりがあるわね。久しぶりに鯰や鰻も食べたいし。良いんじゃないかしら」
お園が鷹揚に頷く。こうして大作の予定は今日も行き当たりばったりに決まった。
「そんじゃあ藤吉郎と菖蒲…… じゃなかった菖蒲。留守中、回転式脱穀機の復活に全力を注げ!」
大作はクシャ○殿下になったつもりで精一杯の真面目な顔を作る。
「ふっかつ? 某は何をすれば宜しゅうござりまするか?」
「間違えるな、私は相談しているのではない。もう一度あの村、船木村だっけ? あそこに行ってアレを何とか使い物になるようにしてくれ。なんせ、もう百台も注文しちまったんだ。どげんかせんといかん。まあ、最悪は壊して薪にすれば良いけどな。V字形の金具も鉄砲や大砲にリサイクルできるし。とは言え、そんなことになったら野鍛冶や轆轤師に合わせる顔が無いだろ」
「さ、左様にござりまするな。心得ました。某にお任せ下さりませ」
さっぱり分からんという顔の藤吉郎が威勢良く返事をする。だが、大作はこれっぽっちも当てにしていない。って言うか、失敗した場合の責任を藤吉郎に押し付けたいだけなのだ。
大作は心の中のメモ帳から回転式脱穀機のページを破り取ってクシャクシャに丸める。だが、思い直して心の中のテーブルの上で広げて皺を伸ばす。そして裏側に何も書いていないことを確認すると心の中のシュレッダーに放り込んだ。
手早く朝食を済ませると食器洗いを菖蒲と未唯に頼む。それを待っている間に大作はお園に頭を剃って貰った。
十日ほど寝かせたせいだろうか、石鹸は中途半端に固まってグミみたいになっている。石鹸のおかげで前より幾分かは痛い思いをしないで済んだ。
そう言えば、グミはドイツ語でゴムの意味だっけ。これを改良してゴムが作れないだろうか? いやいや、だったらサブを作った方が早いな。大作は考えるのを止めた。
「せっかくだから石鹸もお土産に持って行こう。シャボン玉遊びを入来院や東郷にも広めるチャンスだろ」
「石鹸があれば命を落とす赤子も減らすことが叶うのよね。喜んでいただけると良いけど」
「さて、そんじゃあそろそろ出発しようか」
みんな揃って材木屋ハウス(虎居)の外に出る。
そうだ、アレをやっておこう。大作は藤吉郎の手を弱々しく握りしめると縋るような目で見つめる。
「藤吉郎殿、回転式脱穀機のこと返す返すお頼み申す」
「急に如何なされました、大佐。我らはファミリ~にござりますぞ」
藤吉郎が素で困惑の表情を見せた。効いてる効いてる。
いやいや、大事なことを忘れていた。大作は微笑を浮かべながら藤吉郎の耳元に口を近付ける。そして射殺すような鋭い目をして囁く。
「菖蒲と二人っきりになったからといって手を出すなよ。菖蒲に触れたる者は滅びる。古き戦闘マニュアルに書いてあるぞ」
「き、肝に命じます……」
藤吉郎がドン引きしている。たかが十三歳の子供に警戒しすぎか?
いやいや、秀吉は女とみれば見境い無く手を出した好色一代男だ。本当なら貞操帯を着けたいくらいだぞ。
でも、あんなの着けてたらトイレの時にどうすんだろう。それよりアレの方が良いかも知れん。ニューギニア島のラニ族が着けているアレだ。確かコテカって言うんだっけ? 今度、轆轤師に作って貰おう。
「それはそうと藤吉郎。お前は右手の指が六本あるって本当か?」
「何故にそれをご存じで? 某がまだ赤子の折、亡き父が余った指を切り落としたと母に聞かされました」
「切っちゃったんだ! 麻酔も無しで? 凄く痛かったろう? 痛みに耐えてよくがんばった! 感動した!」
大作は藤吉郎の右手を両手で握りしめて大袈裟に振り回す。
「いやいや、赤子であった故、覚えておりませぬ」
藤吉郎が間の抜けた声で返事をする。
そりゃそうか。我ながら阿呆なことを聞いたもんだ。大作はちょっとだけ後悔した。
「されど何故、某の指が多かったことをご存じで?」
藤吉郎の追及はなおも続く。もしかしてこれって本人的にはコンプレックスだったんだろうか。伊達政宗も隻眼を気にしてたとか何とか。
興味本位で突っ突いたのは失敗だったか。ともかく適当に誤魔化さねば。大作は焦る。
「ルイス・フロイスや前田利家が書いてたぞ。あと、姜沆とか」
「そ、それはどなた様にござりますか? 某、そのような方は存じませぬが」
「いや、俺も会ったこと無いんだけどな。まあ良いじゃん。キーウエストのヘミングウェイ博物館なんて五十匹以上いる猫の半数以上が多指症らしいぞ。指の多い猫は鼠をたくさん捕るんだってさ」
「大佐は何でも猫の話にしちゃうわね。私も一遍で良いから猫を見てみたいわ」
ちょっと呆れ気味の顔でお園が相槌を打つ。そう言えば秀吉も猫が好きだったそうな。猫を首輪で繋ぐなってお触れを出したとか何とか。
それはそうと、やっぱ多指症なんてテレビ的には不味いんだろうか。大河ドラマや映画なんかでもこのエピソードに触れたのを見たことが無いような気がする。
スカッドの奴、ちゃんと細かいところまで気を配っていやがるんだな。大作は感心を通り越してちょっと呆れた。
「黒い猫だろうと白い猫だろうと鼠を捕る猫は良い猫なんだ。大航海するゲームでも猫とライムジュースは必須アイテムだったぞ。まあ、壊血病対策なら他にもあるんだけどな。モヤシを育てるとか目の細かい網でプランクトンを掬って食べるとか。BBCのドキュメンタリー番組か何かで見たぞ。一日にスプーン一杯くらいで良いんだと」
「すぷ~ん?」
「金属製の匙だよ。スプー○おばさんってアニメがあったっけ。あれの最終回はどんな話だったかな? 小人化現象の謎は解けたんだろうか」
大作は必死に記憶を辿るが例に寄ってさっぱり重い打線! それもそのはず。スプー○おばさんには明確な最終回なんて無いのだ。
そんなことを考えながら大作は青左衛門の鍛冶屋に向かっていたのだが……
「忘れてた! 野鍛冶にはねくり備中を頼まなきゃ。藤吉郎、任せたぞ」
「心得ました」
本当に大丈夫かよ。まあ、どうでも良いや。こうやって責任はどんどん人に押し付けよう。大作ははねくり備中のページも心の中のシュレッダーに放り込んだ。
「頼もう、大佐にござります」
「おお、大佐様。大筒ならまだできておりませんぞ」
ちょっと眠そうな顔の青左衛門が愛想笑いしながら答えた。
ジェバンニじゃあるまいし、一晩でやってくれたらびっくりだぞ。大作は揉み手をしながら上目遣いに顔色を窺う。
「実は急遽、入来院様と東郷様をお訪ねすることになりました。つきましてはサンプル品の鉄砲を二丁ほどご用意頂けますかな」
「心得ました。されど、ご両家には鉄砲作りへの合力をお願いしておりましたな。如何なさるおつもりにござりましょうや?」
若い鍛冶屋が痛いところを突いてくる。何にも考えていないとは答え辛いぞ。大作は剃りたてのツルツル頭を抱えて無い知恵を絞る。閃いた!
「青左衛門殿はノックダウン生産という言葉をご存じでしょうな? パーツで輸出して現地で組み立てさせるのでござります。これだけのことで何となく自分で作ったような気分になりまするぞ」
「それは良いお考えで。確か火挟みと火蓋を作って頂く手筈でしたな」
「銃身と尻の蓋、絡繰りで銭二貫文で如何にござりましょう? 無論、鉄が値上がりするようならその都度に価格改定させて頂きます」
「ご両家なら纏まった注文が頂けそうにござりますな。承知仕りました」
意外なほどあっさりと合意が成立する。これでも十分に利益が出てるってことなんだろうか。そうだ、大事なことを忘れていた。
「ところで鉛弾は幾らくらいになりましょうや?」
「溶かして櫓から落とすだけ故、ほとんど手間は掛かっておりませぬ。一つ銭一文で宜しかろう」
「あとは火薬を幾らにするかですな。ここは切りの良いところで一匁で銭一文と致しますか」
青左衛門が目を丸くして驚いている。いつ見てもこの表情は堪えられん。大作は心の中でほくそ笑む。
「そのような安値で儲けが出るのでござりますか? 鉄砲を一発撃つ玉薬で米が一升は買えると聞きましたぞ。銭十文はするのでは?」
「ご安堵召されよ。孤児を使って安く火薬を作る目途は付いておりまする。それに、この価格は市場浸透価格戦略と申します」
「ぺねとれいてぃんぐぷらいす?」
「いくら鉄砲が戦で役に立つとは言え、手が届かぬような値では誰も欲しがりませぬ。そこで一気に普及を図ります。同時に思い切った低価格を付けることにより競合他社を締め出すことも叶います。これを参入阻止価格と申します」
「へ、へぇ。確かにその値では誰も相手になりませぬな」
そんな話をしている間にも奥から小僧が二丁の鉄砲を持ってくる。弾薬や玉鋳型も用意してくれたようだ。
「お預かり致します。来週…… 十日もしない内に纏まった金が手に入ります。耳を揃えて清算しますのでご安堵下さりませ」
「宜しゅうお頼み申します。相構へていざ給へ」
深々と頭を下げて別れを告げると大作たちは鍛冶屋を後にした。
藤吉郎や菖蒲とは鍛冶屋の店先で別れる。大作、お園、未唯の三人は材木屋を目指して歩く。銃床の単価も相談しなければいけない。
大作は鉄砲と弾薬百発で四キロほどの荷物を持つ。お園は鉄砲、未唯は弾薬百発でそれぞれ二キロほどだ。
「何遍持っても重いな。やっぱ猫車が欲しいぞ」
「この間みたいに舟に乗せてもらったらどうかしら?」
「ナイスアイディア、お園!」
鍛冶屋と川は目と鼻の先だ。早速、西に向かって川内川を目指す。
「船と舟の違いって知ってるか?」
「ふねとふね?」
「小さくて手で漕ぐのが舟、大きくてエンジンが付いてるようなのが船だな」
「ちっちゃくて『えんじん』が付いてるのは何なのかしら?」
「知らん!」
そんな無駄蘊蓄を傾けている間に川岸に辿り着く。大作はタカ○トミーの『せ○せい』に山崎城と書いて胸元に抱えた。
川岸で待つこと暫し。上流からどんぶらこどんぶらこと舟がやってくる。
大作は『せ○せい』を頭上に掲げて左右に動かした。
「お前らも親指を立てろ。にっこり笑って愛想を振りまくんだ」
「おやゆび?」
大作は親指を立ててニヤリと笑う。
「この指だよ。英語でthumbって言うだろ。ちなみにサムネイルってのは親指の爪のことだぞ。ヒッチハイクではこの指で合図するんだ。ただし、中東や南アフリカ、南米では絶対にやるなよ、絶対だぞ!」
「大指のことね。なんでこの指が親なのかしら?」
「知らん!」
「もう、大佐ったらいつもそれね」
お園が半笑いで頬を膨らませる。
「いいから早く早く。行っちまうぞ」
大作に急かされて未唯が満面の笑みを浮かべながら親指を立てる。
それを見た若い船頭は不思議そうな顔をしながらも舟を岸に寄せてくれた。
細長い川舟の前後には俵や樽が載せてある。だが、真ん中付近に三人が乗れるくらいのスペースはありそうだ。
「これはこれは、お坊様。巫女さんを二人もお連れとは、もしや大佐様ではござりませぬか?」
げえっ、関羽! そこまで有名人になってしまっていたとは。大作は内心の動揺を必死に押さえてポーカーフェイスを作る。
「拙僧は本日、殿より内密の命を受けて行動中にござります。申し訳ありませぬが拙僧が何者かは詮索しないで頂けますかな」
「これは、ご無礼仕りました」
若い船頭は関心したように相槌を打つ。その瞳は好奇の色に輝いているようだ。
まあ、暇を持て余していそうだもんな。乗せて貰うんだから退屈凌ぎにくらい付き合ってやろう。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
「我らは急ぎ川を下らねばなりませぬ。山崎城の辺りまでお乗せ頂けますかな」
返事を待つことも無く大作たちは舟に乗り込む。船頭は迷惑そうな顔も見せずに舟を漕ぎ出した。
川の流れに乗って下っているので舟は歩くよりずっと早く進んで行く。
「時速十キロってところかな。サラマンダーより、ずっとはやい!! だろ?」
「引っくり返らないかしら。私、舟に乗るのは初めてなの」
ちょっと怯えた様子の未唯が声を震わせて呟く。そんな大事なことは乗る前に言えよ! 大作は心の中で突っ込む。
「お前なあ。乗せて貰っておいて船頭さんに失礼だろ」
「いやいや、お気に召されますな。実を申さばつい先日、すぐそこで引っくり返りましてな」
そう言うと若い船頭は豪快に笑う。だが、未唯は本気で怖がっているようだ。震える手で大作の背中に縋り付くと固まってしまった。
「このペットボトルを浮き輪の代わりに懐に入れておけ。そういやライフジャケットを作るのを忘れてたぞ。心の中の予定表って全然役に立たんな」
「それって忘れてただけじゃないかしら」
鋭いお園の突っ込みを大作は華麗にスルーする。って言うか、材木屋に寄って銃床の話をするのを忘れてたぞ。あんな物の単価なんて見当もつかないな。
しょうがない。当人同士で直接交渉して貰おう。大作は考えるのを止めた。
船頭が艪を右から左、左から右へと器用に漕いでいる。その鮮やかな手つきに大作は暫し見とれていた。ちょっとやってみたい気もするけど絶対に上手く行きそうも無い。
あれ? そう言えば艪に関してちょっとしたネタがあったっけ。大作は記憶を頼りにスマホの中から情報を探す。
「あったあった、これだ。船頭殿、艪を漕ぐ折に右から左、左から右へと返しますな。この際に発生する乱流が大きな有害抵抗となっておることにお気付きでしたかな? 艪を裏返すように漕げば無駄な乱流を起こさずに済みますぞ」
「お坊様、それは無理と言う物にござります。艪臍で艪を支えておるのですぞ。裏返しになどできようはずもござりませぬ」
一生懸命に考えた話を船頭は一笑に付す。取り付く島もないとはこのことか。大作は心の奥底にどす黒い感情が溜まって行くのが実感できた。
「そんなのいくらでもやりようはござります。リング状にするとかボールジョイントにするとか。それと今の艪はへの字形をしておりますな。これをV字形にすれば自然に容易く漕げるそうな。拙僧はとあるテレビ番組で猿が舟を漕いでおるのを見ましたぞ」
「へ、へぇ……」
大作は必死に力説しながらスマホ画面をかざす。船頭は迷惑そうに視線を反らすとそれっきり口を噤んでしまった。
まあ良いや。新しい発明や発見は容易く世間に受け入れられないと相場が決まっている。入来院ではもうちょっと上手くやろう。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。
川を下ること半時間ほどで山崎城が見えてきた。山城とは言っても東西南北に二百メートルほどしかない。高さもせいぜい四十メートルほどの小山だ。例に寄って天守なんて建っていない。
見た目はかなりアレだが、九州征伐の帰りに秀吉がここに二泊したんだそうな。そんな小山を左手に見ながら通り過ぎる。五百メートルほど下ると川は急に右へと曲がっていた。
船頭に頼んで舟を左岸に寄せて貰う。ちなみに右岸や左岸と言うのは上流から下流を向いて見た場合の話だ。このルールは世界共通らしい。
大作たちは丁寧に礼を言って舟を降りる。船頭は軽く頭を下げるやいなや、逃げるように去っていった。
「俺、何か失敗したかな?」
「そんなこと無いわ。いつもの大佐だったわよ。それより鉄砲はどうしたの?」
「しまった~! 舟に置いてきちゃったぞ! お~い! 待ってくれ~!」
大声を上げながら大作は必死の形相で舟を追いかける。その様子をお園と未唯は冷めた目で眺めていた。




