巻ノ百九 この先生きのこるには の巻
蒲生越前守範清に別れを告げた大作たちは別府川を渡ると川に沿って東に進んだ。
「このまま帰るのもつまらんな。せっかく遠くまできたんだ。将来の戦場を視察旅行と洒落込もう」
「それだと日が暮れるまでに帰れないわよ。どこで寝泊まりするつもりなの?」
お園が首を傾げる。ちょっと呆れた顔だが怒っているわけではなさそうだ。
「テントは持ってきたけど六人はさすがに無理だな。まあ、この時期なら夜も寒くは無いだろ。雨風を凌げる場所くらい何とでもなるんじゃね?」
それを聞いたお園が大袈裟に肩を落とす。だが、目が笑っているのを見て大作は安心した。
川沿いには見渡す限り畑が広がっている。大作たちは歌ったり他愛無い話をしながら小一時間ほどのんびり歩く。
「みなさま、左手をご覧くださ~い。あの山の天辺に祁答院の平山城がございま~す。三十年ほど前の戦で大殿の父上が攻め落としたそうにございま~す」
「ふぅ~ん」
ひとかけらも興味を引けなかったようだ。まあ、この城で重要イベントは発生しないからしかたない。大作は南西に向かって手を伸ばす。
「そんじゃあ、あの尖がった山が見えるか。あの天辺に建ってるのが岩剣城だ。若殿が死ぬのは手前の原っぱだな」
「よくもまあ、あんな険しい山にお城なんて建てたわね。ここから一里くらいかしら。若殿は初陣で張り切ってたんでしょうに、お気の毒なことね。若殿がこの先生きのこるにはどうすれば良いのかしら」
お園が相槌を打つが真面目に心配しているような口ぶりでは無さそうだ。
本気で戦えば島津ごときに負けるはずが無い。現状を正しく理解してくれていることに大作は安堵する。
「戦になんて行かずに家で大人しくしてれば良かったんじゃね? パットンやロンメルでも気取ってたのかな? そもそも司令官が前線に出しゃばっても碌なことにはならん。沖縄戦のバックナー中将みたいに回りが迷惑するだけだぞ。まあ、ガーランド中将くらい突き抜けてたら笑うしか無いけどな」
「ふぅ~ん」
アドルフ・ガーランドは九十六機を撃墜した1942年にダイヤモンド剣柏葉付き騎士鉄十字章を受章。以後、戦闘任務から外れる。
だが、大戦末期に中将に昇進。JV44の司令官として現役復帰した。そして終戦までの一カ月間、Me-262を駆ってB-26などを八機撃墜。護衛のP-47に反撃を食らって不時着&入院という豪快な人なのだ。
そういえば、初期のジェットエンジンはスロットルレスポンスが凄く悪かったらしい。それに、フルスロットルから急に戻すとコンプレッサーストールしてフレームアウトしちゃうとか何とか。
可変ノズルが無いって辛いな。まあ、Jumo 004もエキゾーストコーンが前後して排気口の面積を増減させてたらしいけど。
って言うか、最高速度は速いけど低速域での加速や上昇力もレシプロ機より悪いんだっけ。だからFw190なんかに護衛してもらっていたらしい。
「島津と戦をするつもりなのよね。大佐は戦場に行かないの?」
「当たり前だろ。俺は絶対安全なところから高見の見物だ。って言うか、俺は軍人じゃ無いし。文民統制って聞いたことあるだろ。大統領や首相は軍の最高司令官だけど戦場で軍を直接指揮したりしないんだ。開戦を決断したり大局的な見地から方針を決める。議会は予算や法律を作る。軍人は与えられた命令を忠実に遂行するのが任務なんだ」
「さっぱり分からないけど、大佐は戦に行かないのね。良かった」
ようやくお園が笑顔を浮かべたので大作は思わず胸を撫で下ろした。
急に山が迫ってきて平地が狭くなったところに小さな小屋が建っていた。
板葺きの屋根の上には板が風で飛んで行かないよう大きな岩がたくさん乗せてある。なんだかとっても貧乏臭い掘っ立て小屋だ。
どうやら祁答院の関所らしい。川を上り下りする船からも関銭を徴収しているようだ。
大作がそんなことを考えながら小屋に近付くと中から若い男が姿を現した。ちょっと立派な直垂を着ている。ということは、そこそこ偉い奴なんだろうか。
にこにこと親し気な笑みを浮かべながら声を掛けてきた。
「大佐殿にござりますな? お初に御目文字仕りまする。お噂は聞き及んでおりました。幼き女性を集めておられるそうな」
「What? 誰がそんな根も葉もない出鱈目を。拙僧は身寄りの無い子供の世話をさせて頂いておるのです。男の子も絶賛募集中ですが、なかなか集まりません。働き手になるからでしょうな」
大作は咄嗟に苦しい言い訳をする。って言うか、すでに祁答院に転がり込んで五週間になる。思った以上に有名人になってしまったようだ。
このままだと薩摩にまで名前が売れてしまうかも知れん。その結果、薩摩の取る行動が歴史と変わってしまうのは困るぞ。
眉を顰めて考え込む大作に男が遠慮がちに声を掛ける。
「左様にござりますか。して、此度はどちらに参られるのでしょうや?」
「蒲生様を訪ねた帰りにござります。道すがら加治木城でも見物しようかと思うて此方に参りました」
「これより先は肝付が治める地にございます。大事無いとは存じますが、相構へて心置かれませ」
男が軽く頭を下げた。このまま通って良いってことなのか? 大作たちは深々と頭を下げて道を進む。
小屋から遠く離れるのを待っていたかのようにお園が口を開いた。
「肝付って四年後の戦では敵なんでしょう。危なくないの?」
「そりゃあ、史実通りなら渋谷一族や蒲生は加治木城を攻めるな。でも、今はそんなに仲は悪くないはずだぞ。去年の戦の敗戦国仲間だろ」
蒲生や祁答院が必至に抵抗するのを尻目に言い出しっぺの肝付が真っ先に降伏したんだっけ。
お前はイタリアかよ! 大作は心の中で突っ込む。
「まあ『真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である』って言うしな。こんな信用ならん奴らは敵に回した方がきっとマシだぞ」
「味方にすると頼りないけど、敵に回すと恐ろしいってこともあるわ。油断は禁物よ」
「それもそうか。史実では奴らに背後を突かれて若殿も死んじまったんだっけ」
お園の心配そうな口調に大作は急に不安になる。でも、肝付は肝付でも庶流の弱小勢力だぞ。知識チートのハイテク兵器があれば瞬殺のはずなんだけど。って言うか、そうじゃ無いと困る。
「まあ、加治木城は大した城じゃないはずだ。ジエチルエーテル量産の暁には肝付などあっと言うまに叩いてみせるわ!」
「そう、良かったわね」
これ以上話しても無駄だと思われたのだろうか。お園は一方的に会話を打ち切った。
少し進むと川が南に大きく曲がり、徐々に川岸の平野が広くなる。一キロほど進むと山が途切れた。錦江湾まで一キロ以上はありそうだ。
「みんな~! 海に行きたいか~!」
大作は突如、拳を突き上げて絶叫する。お園とくノ一が揃って顔を顰めた。
「……」
無言の拒否かよ。もうちょっと興味を持ってくれても良いと思うんだけど。大作は心の中でぼやく。
「ここから南に半里ほど行くと山が海まで迫って道が無くなってるだろ。明治に国道十号線が作られるまでは南に抜けるには高さ三百メートル…… 百六十間もある白銀坂を通らないといけなかったんだ」
「まるで薩た峠みたいね。あの時は酷い目に遭ったわ」
「まあ、物流には船を使ってるらしいな。そんじゃあ、今回は海はパスして加治木城に行こうか」
大作は進路を北東に向ける。何だか分からない畑の中を進むと一キロほどで網掛川にぶつかった。
「むか~しむかしのことじゃった~~~。ある漁師が網を投げたところ地蔵菩薩さまの木像が引っ掛かったそうじゃ。それ以来、この川は網掛川と呼ばれてるおる。菩薩さまは庵に祀ってあるそうじゃぞ」
「ふぅ~ん」
これも不発かよ。大作は小さくため息をつく。
川下の方を見ると大きく広がった河口は港のようになっている。大きな船も何艘か浮かんでいるようだ。
加治木城は川を渡って北東に一キロ半ほど行ったところにあるはずだ。大作は望遠鏡を覗いて見る。だが、並んだ山のどれが加治木城なのかさっぱり分からない。
どうやら行ってみるしか無いらしい。だけどちょっと怖いな。鉄砲を持って城の周りをうろうろしていて職質でもされたら大変だ。
「ちょっと川を渡って加治木城を見てこようと思う。危ないからみんなはここで待っててくれるか?」
「え~~~! 一人で大事無いかしら。誰か連れて行った方が良いわよ」
お園がとっても心配そうな顔をしている。とは言え、自分が同行する気はまったく無いようだ。
「私がお供いたします。宜しゅうございますな?」
サツキがお園の方を向いて許可を求める。
何で? 何で俺に聞かないの? 大作は心の中でぼやくが口には出さない。
まあ、連れて行くとしたら桜かサツキの二択だ。自分から志願するんならこいつで良いだろう。
「巫女の格好をした方が良いわね。貸してあげるから着替えて行きなさい」
お園が巫女装束を脱いでサツキに着せる。かなり身長が違うけれど着物だとこういう時には便利だ。
大作はスマホだけ持って荷物を全部お園に預けた。いまさら、お園が裏切る心配は無いだろう。だけど、桜や楓、紅葉はいまいち信用できない。
まあ、お園なら何とかしてくれるだろう。大作は内心の不安を無理やり抑え込んだ。
例によって例の如く、川に橋は掛かっていない。梅雨の時期なので少し水量が多いようだ。大作とサツキは腰まで水に浸かって川を渡る。
気分はアンドレイ・タルコフスキー監督の『僕の村は戦場だった』だ。そう言えば『惑星ソラリス』は噂通りの催眠映画だったっけ。
戦時下の子供ってテーマだと『戦場の小さな天使たち』も忘れ難いな。あれのラストは衝撃的だったっけ。同じ戦勝国でもソ連とイギリスだと偉い違いだ。
そんなことを考えているうちに大作とサツキは対岸に辿り着く。注意深く周囲を見回すが脅威になりそうなものは見当たらない。二人で周辺を警戒しつつ東に向かう。
もしかしてサツキと二人になるのはこれが初めてだろうか。この機会を利用して親交を深めておこう。大作はちょっと緊張しながら声を掛ける。
「サツキはあれかな? 何か将来の夢。って言っても寝てる時に見る夢じゃないぞ。何だっけ、先途? 先々に生業としたい物とかあるのかな?」
「私はくノ一よ。無限天津流の頭領を継ぐのが定めだわ」
二人っきりになった途端にタメ口かよ。大作はちょっと戸惑う。
いやいや、初めて会った日にタメ口で頼むって言ったのは俺だっけ。ってことは普段の敬語っぽいのはお園がいるからだったんだ。
「そ、そうなんだ。大変だな」
巨大な胸を張って宣言するサツキに大作はどう返して良いか迷う。変な相槌を打って怒らせたら大変だ。とは言え、何とかここから話を広げなければ。
「とりあえず、定めは置いといてサツキがやりたいことは無いのか? って言うか、乱世はいつまでも続かん。恒久平和が実現すれば軍は大幅に縮小される。くノ一も廃業にはならんだろうけど仕事は減るぞ。民間の情報収集活動なんて浮気調査とか結婚相手の素行調査とか。そんなんしか食い扶持が無いかも知れんぞ」
「戦が無くなるならそれに越したことは無いわ。でも、無限天津流がこの先生きのこるにはどうすれば良いのかしら」
サツキが眉根を寄せ、両腕を組んで考え込む。その巨乳でこのポーズはヤバイな。
目のやり場に困った大作は視線を泳がせる。まさかとは思うが誘ってるんじゃなかろうな?
「と、とりあえず法人化してみたらどうかな。税制上のメリットが大きいらしいぞ。それに社会的信用が得られるから銀行の融資も受けやすいんだ。それか、もう思い切って警察の外郭団体になってアウトソーシングで食って行けば良いんじゃね?」
「あうとそ~しんぐ? 私には良く分からないわ」
首を傾げたサツキから熱っぽい視線を向けられて大作の心拍数が急上昇する。もしかしなくても誘ってるのか?
「だったら民間の警備保障会社に鞍替えするとか。セ○ムとかアルソ○クみたいな。百地様には一方ならぬお世話になった。俺にできることなら何でも力になるぞ。Take it easy!」
「ありがとう。そんな風に親身になって話を聞いてくれたのは大佐が初めてよ」
サツキが寄り添うように距離を詰める。ほとんど肩が触れそうな近さに大作は思わず息を飲む。何なんだこいつ急に。宇宙人だか未来人、いやいや、スカッドの仕業なのか?
そうか! 一対一になったからか。考えてみればこれまでも女性キャラ攻略は二人っきりになった時に成功していた。
そもそも、他の女が何人もいる中で特定のキャラと親密になるイベントなんて発生するわけが無い。
うだつの上がらねぇ普通の高校生にやっと巡って来た幸運か、それとも破滅の罠か。
まあ、どっちでも良いか。大作は考えるのを止めた。
一キロほど行くと未来の県道五十五号線に相当する道に辿り着く。
道の南から馬が一頭、重そうな材木を左右にぶら下げて歩いてくる。ゆらゆら揺れる材木が邪魔で死ぬほど歩き辛そうだ。
馬車が無いって大変だな。大作は虎居から山ヶ野に材木を運んだことを思い出す。
危険は無いだろうか。慌てて道端の草むらに潜り込むと目を皿のようにして馬子を観察する。粗末な着物を着た若い男は眠そうに欠伸した。
「戦闘力…… 五しか無いのかよ…… カスだな。俺でも勝てそうだ」
「せんとうりょく?」
「こっちの話だ。行くぞ」
大作はゆっくり立ち上がると揉み手をしながら笑顔を浮かべて馬子に近付いた。
「良い日よりにございますな」
「い、如何にも。良い日よりで」
草むらから突如として現れた僧侶と巫女に馬子は一瞬だけ怪訝な顔をする。だが、巨乳で美人のサツキに目を奪われているようだ。鼻の下が伸び、頬が緩む。一発で警戒心が溶けたようだ。
道が狭いので並んで歩くわけにはいかない。大作たちは馬子の前を歩きながら話しかける。
「重そうな材木にござりますな。ところで、この道は何処に続いておりましょうや?」
「何処にと申されましても儂には分かりかねまする。十町ほど進めば加治木城がござりますぞ。この荷もお城に運んでおりますれば」
両手が塞がっている馬子は顎を刳って板を指し示す。
「左様にござりますか。材木を運ぶとは、お城ではリフォームでもされておられるのかな?」
「りふぉ~む? これは去年の戦で焼けたお城のご普請のため、越前守様にお納め致します」
「越前守様? Wait a minute. じゃ無かった! Just a minute, please.」
なんでここで越前守が出てくるんだ? 大作はスマホを起動させると肝付兼演に関して調べる。
何だと! こいつも越前守なのかよ。まあ、ありふれた官位だからしょうがないのか。とは言え、こんなご近所に越前守が二人とはややこしい。うっかり間違えて大変なことになったりしないんだろうか。
越前守Aと越前守Bみたいに識別符号を付加した方が良いんじゃね? いやいや、どっちがAかで揉めそうだな。大作は考えるのを止めた。
「火事とはお気の毒に。火災保険には入っておられなかったのでしょうな。ホウ酸で木材表面を難燃加工すれば燃えにくくなるそうですぞ。いやいや、このような話を馬子殿に申し上げても仕方ありませんか」
「へ、へぇ……」
もし保険に入っていても戦争、革命、内乱、暴動なんかだと保険金は支払われない。かと言って、この時代に戦までサポートした火災保険なんて作っても保険料が高くなり過ぎて誰も加入しないだろう。
この話題は駄目か。何とかしてこいつの警戒心を解かねば。大作は頭をフル回転させる。閃いた!
「ときに、越前守様は息災にござりますか? 二年後に死ぬ…… じゃ無かった、その…… あまり息災にはござらぬと伺いましたが」
「何処でそのようなことを。大殿は至って丈夫のご様子。蒲生の殿と聞き誤られたのではござりませぬか? 病で身罷られたそうな」
そうだったんだ。意外なところで回答を得ることができたぞ。いやいや、こんなの虎居を出る前に弥十郎にでも聞いとけば済んだんだけど。
「それはお気の毒なことを。ご愁傷様です」
「いやいや、身罷られたのは蒲生の殿にございますぞ。越前守様は息災にて」
だからそれがややこしいんだよ! 大作は心の中でぼやいた。
そのまま進んで行くと正面の山に沿って道が大きく右に曲がっていた。山に登る細く険しい道が分かれていて、入口に粗末な小屋が建っている。
大作たちが近付くと雑兵のような格好の初老の男が二人立ち上がった。
「お城はこの上にございますれば、儂はこれにて」
若い馬子は軽く頭を下げる。もしかしてこれってチャンスじゃね? 大作は一瞬迷った後に即決する。
「この険しい山道をお一人では大変にございましょう。袖振り合うも多生の縁。お手伝いさせて下さりませ」
大作は呆気にとられるサツキの脇腹を肘で小突くと馬の横に回って材木を支える。我に返ったサツキも素早く反対側に回る。
「ささ、参りましょう」
「これは有り難きこと。お礼の申しようもござりませぬ」
大作の加治木城潜入作戦は例によってノープランで始まる。
サツキの呆れたような視線に気付いた大作はウィンクで返した。




