巻ノ百七 汚名挽回? の巻
「申し訳次第もござりませぬ」
本丸の座敷で大作は範清に向かって土下座を繰り返していた。もう何回目だったかも良く分からない。
史実では七年後、お前が城へ放火して祁答院に亡命するんだけどな。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
隣でお園も神妙な顔をしながら深々と頭を下げる。後ろに並んだくノ一四人組もしおらしい面持ちで見事なシンクロを見せた。
『申し訳ありません』が誤用という説をよく見かけるが、大作は誤用だとは思わない。『申し訳ない』は単一の形容詞ではなく、主語と述語の組み合わさった文なのだ。
『とんでもございません』なんかとは違うはず。自信を持って使っても大丈夫だ。
「もう良いと言うておるではないか。いい加減に頭を上げられよ。過ぎたるは何とやらじゃぞ」
範清の語気が僅かに荒くなった。これ以上の謝罪は逆効果っぽい。大作は話題の転換を図る。
「拙僧に汚名挽回のチャンス…… 機会をお与え下さりませ」
汚名返上や名誉挽回が正しくて汚名挽回は間違いだって言い張る人がいる。だが、挽回と言うのはネガティプな状態をポジティブな状態に持って行くことだ。
劣勢を挽回したり、疲労を回復したりできるんだ。汚名を挽回するのも論理的にはおかしくないはず。
って言うか、三省堂国語辞典や大辞林なんかには正しいって書いてある。大辞泉は両論併記。明鏡国語辞典も誤用説を否定している。
常識的な人間ならばわざわざ誤解されるような表現は避けるところだろう。
だが、大作は一味違う男だ。『的を得る』みたいな言葉をわざと使って相手が食い付いてくるのを手薬煉を引いて待つタイプなのだ。
ちなみに『的を得る』誤用説の言い出しっぺは三省堂国語辞典だ。1982年から1997年の十五年に渡って『的を得る』が誤用だとしていた。ところが2013年12月発売の第七版で誤用説を撤回したのだ。
これには『的を得る』誤用派も完全に梯子を外された格好だろう。『ねぇねぇ今どんな気持ち?』って聞いてやりたい気分だ。
しかし、意に反して範清は誘いに乗ってこない。
「ちゃんすとな? まあ、日も傾いてきたことじゃ。美味い夕餉を食いながら語らおうぞ」
「御意」
範清と大作の正しい日本語を巡る戦いは第二ラウンドに移った。
待つことしばし。座敷に豪華な料理を乗せた膳が次々と運ばれてくる。
ずらりと並んだ朱塗りの漆器だけでも随分と高価な物なんだろうか。ダイソーで売ってるような漆器とは偉い違いだ。
鮑、鰹、蛸、唐墨、海鼠腸、エトセトラ、エトセトラ。
錦江湾が近いから魚介類が豊富なんだろう。
いやいや、錦江湾って名前は島津家久が詠んだ『浪のおり かくる錦は 磯山の 梢にさらす 花の色かな』とかいう歌から取られたとか何とか。
今年で三歳になった子供がこんな歌を詠んでるはずがない。
それはともかく、食べ切れないほど並んだご馳走にお園は目を丸くして驚いているようだ。
大作の切なる願いは忘れられていなかったらしい。大作の料理に比べるとお園の方が目に見えて豪華だ。って言うか、範清の食事より豪華にすら見える。
それに比べてくノ一四人組の料理は貧相な物だ。それでも普段食べている雑穀の雑炊に比べれば随分とマシなのだが。
そもそも、こいつらが殿の夕餉に陪席できるのがおかしい。
「その雉子は儂が鷹狩にて捕らえたる獲物じゃ。遠慮せず食すが良い。雉子を食えば三年の古疵も出ると申すぞ」
見たことも無い豪華料理を目の前にして固まっているお園に範清が声を掛ける。
その言葉を待っていたかのようにお園は箸を手に取ると雉子の肉を口にした。数瞬の後、その表情がぱっとほころぶ。
「如何じゃ? 苦しゅうない、直答を許す」
「真に美味しゅうございます。あっさりしているのに味が濃く、ふんわりと柔らかく、まるで口の中で溶けて行くような。大層と甘うございます」
「そうかそうか。まだまだたんとある。遠慮せず食らうが良いぞ」
ようやく大作は肩の荷を下ろした心地になった。
だが、ほっと一息を付く間も無く範清から声が掛かる。
「さて、大佐殿。ちゃんすとやらの話を聞かせて貰おうか」
「ちゃんす?」
何の話だっけ? 大作は必死に頭をフル回転させるが何も重い打線。焦る大作にお園が助け舟を出す。
「汚名挽回よ。忘れちゃったの?」
「分からん、さっぱり分からん! 何の話だ?」
「まあ良い。つまらぬことは忘れて食え食え。お前らも遠慮はいらぬぞ」
急に範清に声を掛けられたくノ一たちがにっこり微笑む。
え~~~! こいつら笑ったぞ。大作は思わず手に持った箸を落とす。
あれだけ苦労しても笑顔一つ見せなかった奴らがこんなに簡単に笑うとは。やっぱ色気より食い気なんだろうか。
まあ良いや。なにはともあれ、これでミッションコンプリートだ。
一泊して朝飯を食べたら山ヶ野に帰ろう。何か適当なお土産を買って帰れば格好も付くはずだ。
そんなことを考えていた大作に範清が何気ない調子で声を掛けてくる。
「されど風船とは、げに恐ろしきものじゃったな。あやうく本丸が焼けるかと思うたぞ。じゃが、それを速やかに消した和尚もあっぱれじゃった」
「思い出した~!」
ご飯を口いっぱいに頬張ったまま大作が唐突に大声で叫ぶ。口からご飯粒が飛び出すのを見たお園が顔を顰める。
ぎょっとした目で範清に睨まれるが、それどころでは無い。忘れないうちに話しておかなければ。
「如何したのじゃ、大佐殿」
「本日お見せ致しました風船は実証試験機に過ぎませぬ。差し渡し六間ほどの大きな風船を作れば人をぶら下げて空を飛ぶことが叶いまする。越前守様にはこの意味がお分かりになりましょうや?」
「そのように大きな風船が空に浮かぶと申すのか。されど、人を空に浮かべて何とする。上から石礫でも擲つのか?」
大作は馬鹿にしていると思われない程度の笑顔を作ると範清の顔をじっと見返す。
暫しの沈黙の後、顰めっ面をした範清がギブアップとばかりに両手を広げた。
「降参じゃ。教えて進ぜよ、大佐殿。儂は風船を見るのも初めてなのじゃぞ。分かろう筈も無いではないか」
「敵を知り己を知れば百戦危うからずと申します。空から眺むれば敵の陣構えも城構えも手に取るように分かるりまする。また、遠くのお味方に旗を振るなどして合図を送ることも叶いましょう」
「おお、左様じゃな。目の前の敵を殺すばかりが戦に非ずか」
範清の表情が目に見えて明るくなった。理解が速くて助かる。
ここは一気に攻めるチャンスだろう。俺のターン! 大作は気合いを入れ直す。
「空軍の利点はそればかりではござりませぬぞ。こちらが航空戦力を保持すれば敵方もそれを見て見ぬ振りは出来ませぬ。必ずや何らかの対抗手段を講じる必要がございます」
「和尚は敵も風船を作ると申されるか」
「exactly! その際、敵にはなるべく無駄な物を作らせねばなりませぬ。例えば我が方が大風船を作っておると敵に思わせます。それを使えば城の本丸に百人の兵を空から送り込める、と言った噂を流すと致しましょう。敵は必死になって同じような物を作ろうとするやも知れませぬ。あるいは大風船が近付けぬよう高い垣根を作るとか、大風船を撃ち落とす大鉄砲を作るやも知れませぬ。されど、こちらが大風船を作っておらねばすべては無駄骨。人、物、金を無駄遣いさせることが叶いまする。ソビエト連邦の崩壊もレーガン大統領のSDI計画に対抗した無謀な軍拡の結果にございます」
範清が『お主も悪よのう』といった邪悪な笑みを浮かべる。大作も『お代官さまほどでは』と言わんばかりに卑屈に微笑む。
「そればかりではござりませぬぞ。空軍を持つ者のみに許された特権がござります。百万の兵を揃えようが、一万の軍船を持とうが、空軍を持たぬ者には絶対に手に入らぬ特権。それは……」
「それは?」
期待に目を輝かせる範清に向かって大作は自信満々の表情で宣言する。
「それは、足軽や騎馬武者などを地上部隊とか陸上戦力と呼ぶことが叶います。格好良うござりましょう?」
「お、おう……」
がっくりと肩を落とす範清を尻目に大作は一人ほくそ笑む。こんな物で良いか。最後にもっともらしい話をして締め括ろう。
「これよりのち、風船爆弾の如き焼夷兵器は戦の有り様を根底から覆すことにござりましょう。これに備うるべく消火能力の画期的な向上も急務となりまする。油火災はB火災とも申しまして消すのが大層と難しゅうございます。されど、炭酸カリウムを使った強化液を霧状に放射することで速やかに消化することが叶いまする。拙僧は泡消火薬剤の開発を提案いたします。泡にもいろいろございますが動植物性たん白の加水分解物や合成界面活性剤が一般的ですな。フッ素系界面活性剤を添加することで流動展開性を著しく改善することも叶いまする。蒲生に日本初の消防隊を作ってみては如何にございましょう」
世界最古の消防隊はローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが紀元前十七年に作った物とされている。
五百人の消防隊が七隊も編成されたそうな。見張り櫓に登って警戒監視したり、ラッパを使って火災警報を鳴らしていたとのことだ。
日本の火消しが主に破壊消火を行っていたのと異なり、牛の腸で作ったホースやポンプのような物で真面目に消していたらしい。
まあ、江戸の町屋は木と紙で出来てるんだからしょうが無いんだろう。
高い建物から飛び降りる人を救助するため大きなクッションもあったんだとか。
「しょうぼうたい?」
範清が呆けた顔で鸚鵡返しする。大作はせ○せいに『消防』と大きく書いて見せた。
「火を消して防ぐのでございます。英語ではfireman…… じゃ無かった、fire fighterですな。ポリティカル・コレクトネスを甘く見ると酷い目に遭いますぞ。アソパソマソがアソパソパーソソになるくらいですからな。ちなみにドイツ語では男の消防士はder Feuerwehrmannで女はdie Feuerwehrfrauにございます」
「分からん。和尚の話はさっぱり分からん」
頭を激しく振る範清を見て大作は一人ほくそ笑む。
とりあえず、これくらい引っ掻き回せば昼間の放火未遂は忘却の彼方だろう。
宴も興が乗ってきた。ここらで一曲吹くか。大作はバックパックからサックスを…… あれ? 無いぞ。
しまった~! 愛に預けてきたんだった。大作は激しく後悔するが後の祭りだ。
せめてメイを連れてきていれば篠笛があったのに。
しょうがない。アカペラで歌うか。いやいや、正確にはア・カペラだ。イタリア語だとア・カペッラ。礼拝堂っぽく歌うんだっけ。
それはそうと、何を歌えば良いんだ?
火の用心の歌と言えば山本直純作曲の超有名なのがあるけど著作権が切れるのは三十年以上も先だ。
著作権フリー曲の一覧を見ると中山晋平が作曲した『火の用心』って曲がある。でも、昭和十六年の曲なのでどんな曲なのかさっぱり分からん。
それはそうと、当時の人たちはどんな気持ちでこの歌を歌ったんだろう。
まさか、数年後には空襲で全国の主要都市が焼け野原になるなんて想像もしていなかったんだろうな。思うに、絶対国防圏の構築を疎かにしてソロモン諸島なんかに拘った海軍が……
「どうしたの? 大佐」
眉間に皺を寄せて考え込む大作にお園が心配そうに声を掛ける。
「何でも無いよ。景気付けに歌でも歌おうかと思ったんだ。何か良い曲は無いかな?」
「楽しい歌なら何でも良いんじゃ無いかしら。なんなら私が歌っても良いわよ」
「いやいや、ここはリーダーの俺が歌うところだぞ」
「私だって巫女頭領よ。それに一回目の選挙では勝ってたわ」
徐々にお園がヒートアップしてくる。それに反比例して大作のやる気が急に萎む。
俺の担当はサックスだ。歌に関してはお園に譲った方が得策かも知れん。
とは言え、このまま何の駆け引きもしないで一方的に折れるのは交渉術として不味い。何とか交換条件を引き出さねば。大作の灰色の脳細胞がフル回転する。
だが次の瞬間、範清の一言で大作の思考は強制終了させられた。
「さて、宴も酣じゃが今宵はそろそろ仕舞いに致そうか。床を用意させた故、ゆっくり休まれるが良い。朝餉にも馳走を振る舞う故、ご安堵めされよ」
大作たちが宛がわれた寝室は広さはそこそこだが何も無い殺風景な部屋だった。
畳も夜着も用意されていない。まあ、軍事施設たる山城の本丸には客間なんてそもそも無いのだろう。
何が『床を用意させた』だよ! 板の間に筵を敷いただけじゃないか。大作は少しだけがっかりするが、すぐに思い直す。
畳と夜着なんかより豪華な夕食の方がずっとありがたい。
少なくともお園の価値観では食事の方が優先度が高そうだ。
大作とお園は筵に包まって横になる。くノ一四人組もすぐ隣で眠りに就いた。
目を覚ますと二十一世紀だったらびっくりだな。そんな馬鹿なことを考えている間に大作は夢の中だった。
翌朝の食事にも大作たち一行の陪席が許された。夕飯ほどではなかったが十分に豪華なメニューに大作は感動すら覚える。
範清の信頼を得ることができたと思って良いのだろうか。もしかすると、このおっさんは単にグルメな武将なのかも知れないけど。
これからも美味しい物を食べたくなったら時々、顔を出すのも悪くない。そのためにはもう少し媚びを売っておかねば。
大作は頭をフル回転させる。閃いた! 持って帰っても荷物になるだけだ。気前よくバラ撒いちまおう。
「此度は大変なお世話になりました。お礼と申しては何でございますが、この鉄砲をもう一丁献上仕ります。ご笑納いただければ幸いに存じます」
「鉄砲じゃと? そう言えば、昨日もそのようなことを申しておったな。風船のおかげで忘れておったぞ」
大作は精一杯の勿体を付けて恭しく鉄砲を掲げる。
脇に控えていた虎丸が擦り寄るように近付く。おっかなびっくりといった様子でそれを受け取った。
子供らしい好奇心に満ちた目で鉄砲を観察している。その様子に大作は心の中でほくそ笑んだ。
「何をしておる。早う此方に寄越せ」
範清に促されて虎丸は鉄砲を差し出す。それを手に取った範清も興味深げに弄んだ。
火挟み、火蓋、照星、照門、引き金。細部を穴の開くほど見つめている。
不意に範清が銃口を覗こうした。大作は咄嗟に大声で叫ぶ。
「なりませぬ! 鉄砲はたとえ弾が入っておらぬと分かっておっても弾が入っておると思うて扱わねばなりませぬ。どうしても筒を覗かねばならぬ折は、弾が入っておらぬことを念入りにお確かめ下さりませ」
「これは相すまぬ。儂は鉄砲を手にするのも初めてじゃ。とんだ粗相を致したな」
「拙僧こそ、とんだご無礼をつかまつりました。されど、鉄砲は取り扱いを誤れば容易く人を撃ち殺しまする。ゆめゆめ、粗略に扱うことなかれ」
素直に範清が話を聞いてくれたので大作は胸を撫で下ろす。とは言え、こいつらに鉄砲を渡して大丈夫なんだろうか。もし事故でも起こされたら製造物責任を問われかねない。
大作は告訴社会アメリカ製の銃に『注意!撃つ前に取説を読め』とかいった刻印がされているのを思い出す。銃身に注意書きでも刻印した方が良いのかも知れないな。
いやいやいや、そもそも取説を作って無いやん! 今から取説を作るとして、いったいどれくらい手間が掛かるんだろう。
そもそも、この時代の識字率ってどれくらいなのかも分からん。ウィル・アイズナーが描いたM16のマニュアルみたいにイラストを一杯入れた分かりやすい物を作らねばならん。
しかも、それを印刷しなければならないのだ。活版印刷は大変そうだな。ガリ版くらいなら何とかなるだろうか。
大作は頭を抱え込んで唸る。でも、ちゃんとしたマニュアルを用意しておかないと事故った時、絶対に賠償請求されそうだ。
とは言え、いまさら鉄砲を返せなんて言えない。どうやって誤魔化す? 弾を持ってこなかったって言おうかな。そんな阿呆な言い訳が通るんだろうか。
黙ったまま顰めっ面で考え込んでいる大作に範清から声が掛かる。
「大佐殿。実を申さば蒲生にも鉄砲は何丁かあるのじゃ。されど、何れも此方の鉄砲より遥かに筒は長いようじゃぞ。無礼を承知で尋ねるが、この鉄砲は短いのでは無いか?」
これは駄目な展開に嵌った予感がする。試しに撃ってみろとか、撃たせてくれとか言われかねん。大作は内心の動揺を必死に隠す。
得意のトークスキルで逃げ帰ることはできるかも知れない。とは言え、美味いタダ飯を食わせてくれる奴と仲良くはしておきたい。
何か逃げ道は無いのか? 誰も傷付けずに有耶無耶に済ます秘策は。閃いた!
「論より証拠。デモンストレーションをお目に掛けましょう。虎丸殿は鉄砲を撃ったことはございませんな? 拙僧が手解き致します故、鉄砲を撃ってみて下さいませ。初めての方でも大丈夫! 宜しゅうございますか、越前守様?」
「よかろう。やってみせい」
範清の許可も得られた。あとは何とかして虎丸に鉄砲の撃ち方を指導すれば責任も押し付けられる。
昼までに片付けて帰路につけば暗くなるまでに山ヶ野に帰れるだろう。
ふと視線を感じて振り向くとお園とくノ一たちが心配そうな顔をしている。
だが、大作はそれを見なかったことにして、心の中でさっさと帰り支度を始めた。




