巻ノ百 打ち切り の巻
お園と一緒に床に就いた大作はなかなか寝付けないので考えごとをしていた。伊賀からレスポンスが返って来るのは一月くらい先なんだろうか。
考えただけで気が重くなる。こんなやり取り取りを十二回繰り返せば一年が待ち時間だけで消えていくのだ。
緒戦で島津さえ始末すれば九州の端っこだから挟まれたり囲まれたりする心配が無い。そう思って九州南部を選んだのだが失敗だったかも知れん。
この時代の船は陸地伝いの地乗り航法を行っている。潮待ちや風待ちによるロスタイムも大きい。
何とかして沖乗りを出来るようにしなければならん。開き走りや間切り走りも必須だ。方位磁石や詳細な海図も必要になる。岬など要所要所に灯台も作らなければ。
とは言え、GPSもクロノメーターも無い時代に海上で正確な位置を把握しようと思ったら月距法か正午天測法しか無い。
だけど、望遠鏡も無いのに六分儀を作っても精度は出せるんだろうか。
視力2.0の角分解能は0.5分角だっけ? 月は天球上を二分間に一分角ほど移動する。もし月の位置を一分角の精度で測定できれば二分間くらいの誤差で現在時刻が分かるってことだ。
一日は千四百四十分だから二分はその七百二十分の一。つまり二分の一度の精度で経度が求められる。これは赤道上だと約五十六キロだ。
揺れる船の上、肉眼でそんな精度が出せるのか? 絶対に無理だな。
月の見かけの大きさ自体が地球との距離によって四分角も変化する。月が地平線から南中まで動いただけでも地球の半径だけ距離が変わる。それだけでも見かけの大きさは二分の一分角くらい変わるのだ。
ネットで見かけた情報によるとイギリス海軍が1802年に行った調査では経度にして八度もの誤差があったそうだ。
赤道上だと約九百キロもの誤差になる。全然駄目じゃん。
まあ、だだっ広い太平洋のど真ん中で右も左も分からない状況なら無いよりはマシってところか。
そもそも、月や星の位置を測るだけで経度が求められるわけでは無い。大気の屈折による誤差の補正から始まって、三角関数がたくさん出てくる計算式を二回も解かねばならないとか。
初期にはこの計算に四時間も掛かったらしい。あらかじめ太陽や月の予測位置を計算した月行表を用意したうえでの話だ。
十八世紀後半には三時間毎の太陽と月の位置を示した航海暦を用意することで計算時間を半時間ほどにまで短縮できたんだとか。
対数表か機械式計算機を作った方が良さそうだ。計算機といえばタイガー計算機か。ちなみに、あの会社は電卓の普及により昭和四十五年に機械式計算機の製造販売から撤退。事務機器販売を経て、運輸・物流企業向け機器やシステムを扱っているそうだ。
そういえばヘンミ計算尺も現在ではプリント回路基板や流体制御機器、半導体製造装置、分析・試験装置なんかのを開発・設計・製造をやっているんだっけ。
ドラッカーも書いていたな。馬車用鞭の製造業者は自動車が普及すると次々と潰れて行ったそうだ。時代の変化に目を向けない企業は存続できない。そう考えればタイガー計算機やヘンミ計算尺は頑張っている方だろう。
鍛冶屋の連中も戦国時代が終わって鉄砲需要が激減した後のことを考えておかねば。そのためには……
「大佐、眠れないの?」
お園が少し心配そうな声で囁く。その声に大作は我に返った。静かにしてたつもりだったけど独り言でも言ってたんだろうか。
「ちょっと考え事してたんだ。アメリカまで船で行こうと思ったら広い海の真ん中でどの辺にいるのか分からないと困るだろ。何か良いやり方は無いかな?」
「月や星の動きから計算が出来るんでしょう?」
何をいまさらといった口調でお園が相槌を打つ。暗くて良く見えないが呆れた顔をしているんだろう。
「いやいや、出来るか出来ないかで言ったら出来るぞ。でも計算に半日くらい掛かりそうなんだ。それに凄く大雑把にしか分からないし」
「大雑把ってどれくらいなの?」
「百里くらいは誤差が出そうだな。その前にも何年にも渡って太陽や月の動きを観測しなきゃならん。そんでもって未来位置を予測して書き記しておくんだ。やってられんだろ」
大作は毒突くように言い捨てた。お園から不安気な空気が伝わって来る。適当なことを言って誤魔化さなきゃ。大作は頭をフル回転させる。
「まあ、正確な時計があれば何とでもなるんだけどな。問題はそんな物は無いってことだ」
「ふぅ~ん。でも、何か手はあるんでしょう」
もしかして完全に手の内を読まれてるのか? 大作はお園の適応力を舐めていたことを後悔する。
「この時代の時計は一日に一時間も誤差が出るから分針も付いて無いような酷い代物なんだ。ガリレオが振り子の等時性を発見するのが1583年だもんな。ホイヘンスが1656年に振り子時計を発明して、やっと一日の誤差が数分間になったらしい。でも、そんな物は揺れる船の上では使えん。そもそも緯度によって重力は異なるんだ。ホイヘンスが1675年にテンプにひげゼンマイが付いた時計を作る。これでやっと重力や揺れの影響を気にしなくて済むようになったんだ」
「それを作れば良いのね!」
「いやいや、それが作れるようになるのは二百年後だ。天才時計職人ジョン・ハリソンでも完成まで二十年も掛かったんだぞ。脱進機の改良、温度補償、ゼンマイを巻く時もテンションが変わらない機構、宝石軸受。そんな物を簡単に作れる筈が無いだろ。鉄砲みたいな大雑把な物ならともかく、精密時計の設計から製造なんて二十一世紀の時計職人でも何年掛かるか分からん」
「え~~~!」
みんなが寝静まった小屋にお園の絶叫が響く。チーム桜の面々が一斉に動いたのが大作にも分かった。
「ごめんごめん。何でも無いんだ。ほら、お園も謝れ」
「ごめんなさい」
ほとぼりが冷めるまで暫く二人は静かにしていた。だが、お園が待ちきれないといった様子で囁く。
「それじゃあどうするの? 何か考えはあるんでしょう」
「よくぞ聞いてくれました。俺には秘策がある。木星の衛星イオの公転周期が秒単位まで分かっているから、これを使うんだ。イオの木星食は地球と木星の位置関係でどんどんズレて行く。レーマー以前の観測者はその原因がさっぱり分からんかった。でも、俺たちは真空中の光速が秒速299,792,458メートルなことや木星までの正確な距離も分かっている。これぞ知識チートだろ」
「それさえ分かれば正しい時刻が分かるのね!」
お園のテンションが上がる。大きい声を出さないでくれよと大作は心の中で念じる。
「イオを観測するだけならガリレオの望遠鏡でも可能だ。問題はこの時代には色消しレンズが無いってことだな。揺れる船の上でイオの木星食を秒単位に観測するのは不可能だ」
「今度は驚かないわよ。金属鏡で反射望遠鏡を作れば良いんでしょう」
「まあ、反射望遠鏡でも接眼レンズで色収差が発生するんだけどな。これを何とかしようと思ったらクラウン系ガラスの凸レンズとフリント系ガラスの凹レンズが必要になる。これも何年掛かるか分からん。接眼レンズなんて小さいから蛍石でも入手して研磨しよう。モース硬度四だから何とでもなるよ」
「良かった。これで安堵して眠れるわ。おやすみなさい」
こんな説明でお園は納得してくれたんだろうか。しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。
木星が見えていない季節にはどうする気なんだろう。大作は気になったが蒸し返しても仕方ないので放って置く。
そんな無茶をしないでも無線を実用化して時報を送信すれば解決する。どっちにしろ海外進出するまでに無線の実用化は必須だ。
大作としては時計作りみたいに地味な作業に手間暇掛けるつもりは毛頭無い。だって時計なんて二十一世紀には百均で手に入るのだ。
機械式時計なんて地道に作るより水晶振動子でも作った方が早いかも知れん。ちなみに電圧を掛けると水晶が変形するのに気付いたのはジャック・キュリーとピエール・キュリー兄弟だ。
キュリー婦人の夫だったのはピエールの方だな。馬車に頭を轢かれて即死したんだっけ。もしかして異世界に転生してたら凄いのに。そんな馬鹿げた妄想をしているうちに大作は眠りに落ちた。
大作が目を覚ますと目の前には真っ白な空間が広がっていた。
また例のイベントかよ。大作は小さく溜め息をつきながら首を振る。萌はどこにいるんだろう。辺りを見回すが見当たらない。
だが、真後ろを振り返った大作は見知らぬ男の姿に気付いて悲鳴を上げた。
「うわらば! あ、あ、あんた誰?」
「驚かせてしまったかな? 私の名前はスカッドだ。君の番組のプロデューサーをやらせてもらっている」
何となく誰かに似てるな。大作は一瞬、考え込んだ後にそれがカーネル・サンダースだと気付いた。
でも、サンダースほど老人では無い。だとするとランディー・バースに似てるってことなんだろうか? 髭を剃っただけで一億円貰えるなんて羨ましいおっさんだ。
スカッドと名乗った中年の男は人懐っこそうな笑顔を浮かべながら右手を差し出す。
とりあえずゴ○ゴ13ではなさそうだ。プロの暗殺者なら不用意に利き腕を預けるはずが無い。
いや、こいつが左利きって可能性もあるか。大作は警戒しながら右手を差し出す。
「始めまして、生須賀と申します。番組プロデューサーさんですか?」
「そう、君が主人公の番組を配信しているんだ。二ヶ月以上に渡る活躍、ご苦労だったね。まあ、座ろう」
気が付くとすぐ横に応接セットがあった。真っ白で影が全く無い。大作は言われるまで存在にすら気が付かなかった。
ふかふかのソファーの座り心地は最高だ。戦国時代にはマトモな椅子なんて無かった。大作は二ヶ月ぶりに座った椅子の座り心地を堪能する。
「さて、生須賀くん。今日は残念な話があるんだ。君の番組の打ち切りが決まった」
「打ち切り?」
「百話にも渡って放送したにも関わらず視聴者が千にも届かなかったんだ。感想も三十しか付いていない。本当を言えば五十話の時点で打ち切るって話もあったくらいなんだ。でも、目的地にすら着いていないのに切るのは酷いだろうってことで百話まで様子見してたんだよ」
スカッドは淡々と説明する。大作は何となく予想していた展開だけに驚きはしなっかった。
金山に着く辺りまでは我ながら本当に楽しかった。でも、鉄砲作りに深入りしたころからの迷走っぷりには自分でも呆れていたのだ。特に孤児とくノ一でキャラ人数がインフレーションを起こしたのが致命的だったな。
まあ、始まりがあれば必ず終わりは来る。潔く受け入れよう。ただ、何とも言い様の無い寂しさに大作は胸が締め付けられるような気がした。
だが、悲しむのは後でも良い。それよりも今後のことを考えねば。
「番組が終わると私はどうなるんですか?」
「君にはいくつかの選択肢がある。一つはこのまま戦国時代に残って今の生活を続けることができる。ただし、これまでのようにスポンサーからの支援は受けられないけどね」
やっぱり宇宙人だか未来人だかの干渉はあったんだ。って言うか、その前にこのおっさんは何者なんだ? プロデューサーなのは分かったけど、そもそも人間なんだろうか?
「先に教えて貰っても良いですか? あなたは宇宙人 それとも未来人? 二十一世紀の日本人では無いですよね?」
「君に分かるように説明するならば並行宇宙ってところかな。二十世紀初頭までは君たちの歴史と非常に近い流れを辿っていたんだ。第二次大戦で枢軸国が勝利した辺りから流れが変わったようだね。さて、話を戻しても良いかな?」
「はい」
大作としてはそっちの話の方が興味津々だ。しかし、涙を飲んで自重する。
「二つ目の選択肢は元の時代に戻ることだ。事故に遭う直前にね」
「それってトラックにぶつかって死ぬんじゃ?」
大作は恐る恐る疑問を口にする。スカッドは軽く手を振りながらほほ笑んだ。
「いやいや、たった千人とは言え、そんな視聴者を裏切るような真似したら感想欄が大荒れしちゃうよ」
「本当ですか? って言うか、感想が三十しか付いて無いんならむしろ大荒れした方が面白いかも知れませんよ」
大作はやけくそ気味に言い捨てる。もうどうでも良いや。心ここにあらずんば虎児を得ずだ。
だが、スカッドはそんな大作の心中を察したのだろうか。ちょっと背を屈めて真正面から大作の目を覗き込む。
「そんな顔しなさんな。エタるよりは打ち切りの方がよっぽどマシだぞ。話の途中で永遠に時間が止まるなんて考えただけで身の毛がよだつだろ? それに、こういう時の後始末にはテンプレがあるんだよ」
「テンプレ?」
スカッドは何だか意味深な笑みを浮かべる。大作は『お主も悪よのう』と言う悪代官を想像して吹き出しそうになったが我慢した。
「生須賀くんが気にしてるのはヒロイン、お園ちゃんだっけ? あの娘のことでしょ。覚えてるかな? トラックにぶつかりそうになった時のこと。あの時、助けようとした音乃木坂の娘がいたでしょ? あれが伏線になってるんだ。トラックにぶつかるけど二人とも軽傷。生須賀くんが病院のベッドで目を覚ますと枕元にいるってパターンで行きましょう。最初は戦国時代のことを忘れてるんだけど何かのきっかけで思い出す。そのままエンディング&スタッフロール。きっかけは何が良いのかな? 作中の思い手の小道具っていうとファイヤースターター? いや、フレネルレンズの方が良いかな」
呆気に取られる大作を放置してスカッドは話を纏めに入る。このままだと勝手に全部決められちゃいそうだ。
「ちょっと待って下さいよ。他の選択肢も教えて貰えますか?」
「ああ、悪い悪い。って言っても、他はあんまりお勧めじゃ無いんだよね。それに、あんま大きな声では言える話じゃ無いんだ。ウチは業界最大手のnarrowって配信サイトなんだけど、実はライバルサイトもあるんだ。理想郷とか嵌めるんとかね。システムは少し違うけど似たようなことを続けられなくも無い。視聴者は減るからウチみたいな手厚い保護は受けられない。でも、自力で戦国時代を生き抜くよりはマシだろうね」
そこで言葉を切ってスカッドは大作の目を覗き込んだ。このおっさん、何か隠してるんじゃ無いか? 大作は頭をフル回転させる。
「narrowで配信を続けることは出来ないんでしょうか? たとえば、新たなスポンサーを探すとか。確か、ブルームー○探偵社の最終回がそんな話でしたよね?」
「それは難しいね。あの探偵社だって結局は終わっちゃっただろ。それに、あの番組は全五十五話だっけ。君らは百話も続いたんだぞ。胸を張って良いよ」
スカッドの声音に僅かに苛立ちが混ざっているのを大作は敏感に感じ取った。怒らせるのは不味いな。ここは泣き落としで行くべきか? 大作は判断に迷う。
「そうはおっしゃいますがスカッドさん。私はいきなり右も左も分からない戦国時代に放り込まれたんですよ。そこからたったの二か月で鉄砲を作って金を採掘した。確かにスロースタートだったのは認めます。ですけど面白くなるのはここからなんです。せめてコンドル軍団まで待って貰えませんか?」
「悪いけどそういう話ならお役には立てそうもないな。うちでの配信終了はもう決定事項なんだ。このまま続けたいんなら止めはしないけど」
まあ良いか。大作はあっさりと諦めた。本当のことを言うと戦国時代には飽き飽きしていたのだ。だって、本当に展開が遅いんだもん。このペースでやってたら最終回まで何十年掛かるか分からん。
失敗したプロジェクトに拘っても碌な結果は得られん。コンコルド効果って奴だ。埋没費用はどうやったって回収できないのだ。
「分かりました。潔く諦めて現代に帰ります。それで、最終回はどうするんですか?」
「俺たたエンドで良いんじゃないかな? それとも、武○沢レシーブみたいに年表エンドで伏線回収だけでもやっとく?」
スカッドの口調が露骨に明るくなる。やっと肩の荷が下りたといった顔だ。この人、意外と気が小さいのかも知れん。大作は内心で嘲り笑うが神妙な顔を崩さない。
「最後の猿の○星みたいなのはどうでしょう? 俺が死んで四百年後。秋葉原に伝説の英雄、生須賀大佐の銅像が建っているんですよ。そんで、俺とお園がその像の前で偶然出会う。お互いに気付かずにすれ違うんだけど何かを感じて二人同時に振り返る。涙を流す銅像のアップでおしまい」
「いやいや、それは最後の最後でしょ。そうじゃなくて戦国時代の最後の一日をどう描くかだよ。生須賀くんがいつも通りに目を覚ます。朝礼、朝食、普段通りの日々の暮らしを淡々と描く。ほのか、メイ、藤吉郎なんかとのちょっとしたエピソードを繋いでいこう。『T○M○RR○W 明日』って映画を知ってるかい? あんな感じだ」
いやいやいや、みんな死んじゃうじゃん! 大作は心の中で突っ込むが顔には出さない。このおっさん、絶対に狙って言ってやがる。大作は敢えて無視を決め込む。
「分かりました。普段通りにやりましょう。任せて下さい」
「終わったら打ち上げをやるから是非参加してよ。お園ちゃんも連れて来てね。じゃあまた」
スカッドが手をひらひらと振ると大作の意識がぼやけて来た。
「ちょっと待って下さい。元に戻った時、萌はどうなってるんですか?」
「もえ? ああ、あの娘ね。そっちの件なら……」
かき消すようにスカッドの姿が消える。勝手に消えるなよ~! 大作の絶叫は暗闇に吸い込まれて行った。




