巻ノ壱 生須賀と椎田 の巻
「やはり核開発しか無いな。1943年の夏までには必要だ」
山手線普通列車のシートに浅く腰掛けた生須賀大作は眉間に皺を寄せ、スマホ画面を睨み付けながら決断を口にした。
「あんたまだその話を引っ張ってたの? 重水炉を選んだ時点で第三帝国は詰んでいたのよ。そんな事より輝元様よ。信長が本能寺で死ななかった場合、どうやって信長の軍勢を迎え撃つのが良いかしら?」
大作と幼稚園からの幼馴染である椎田萌との会話は見事なまでに噛み合わない。
意思の強そうな切れ長の瞳が大作の目を間近で覗きこむ。大作はドキっとして思わず目を反らしてしまった。
成績超優秀な生徒会長。才色兼備で誰にでも優しいと評判だが、大作に対してだけは何故か昔から厳しい気がする。
尊敬する人はノーベル物理学賞と化学賞を取ったキュリー夫人だそうだ。
『私は三回取りたい』
子供のころにそんなことを言っていた。萌なら本当に取っても不思議では無いような気がする。
話の腰を折られた大作はめげることなく強引に話を戻す。
「それこそ核兵器があれば一発だろ。信長軍の予想進路に予め……」
「だからお前はアホなのよぉぉ! 十六世紀にどうやって? 大量の円心分離器はともかく大都市にも匹敵する莫大な電力をどうするのよ?」
言葉はキツイが萌に悪意は無い。十年来の付き合いゆえに萌の目が笑っているのが大作には分かった。
「なんでウラン型だと決めつけた? 天然ウランと黒鉛炉でプルトニウム239を作るんだ。爆縮レンズさえなんとかすれば……」
大作はWikipediaで読んだだけの知識を勝ち誇ったかのようにひけらかす。
萌は心底がっかりした表情で大作の目を見ながらため息をつくように言った。
「どう考えてもそこが一番の問題でしょ。算盤で計算するつもりなの?」
「マンハッタン計画でもコンピュータは無かったんだぞ。天才数学者チームが十ヶ月掛かって計算したんだ。計算を手伝わせるために数学の得意な高校生も動員したらしいな。でも三十二面体構造が最適なのは判ってるんだし、やってやれないことは無いんじゃね?」
「そもそも計算の前提となる火薬の燃焼速度とかのデータが正確に計測できないでしょう。火薬の品質や雷管の性能もナノセカンド単位には程遠いと思うわよ」
萌は情け容赦なく確実に逃げ道を潰して行く。こんな時の萌は心底楽しそうだ。
これ以上は粘っても無理と判断した大作はあっさりと方針を変更する。基本的に諦めの早い性格なのだ。
「だったらガンバレル型だ。プルトニウム239の純度を上げれば可能なはずだ。それにもし過早爆発しても一キロトン程度の爆発力にはなるって書いてあったぞ」
Mark 1 リトルボーイ(ちびっこ)やMark 3 ファットマン(ふとっちょ)は有名だがMark 2 シンマン(やせっぽち)というプルトニウムでガンバレル型の原爆も開発されていた。
大作はネットで拾い読みした知識を都合よく解釈して強引に食い下がる。
シンマンは過早爆発を避けるのは困難だとして1944年7月に開発中止されたのだが、大作はその事実に目をつぶった。
成功例は無いが失敗例も無い。この点を攻めても平行線になるだけで無駄だと悟ったのだろう。萌はさりげなく論点の変更を図る。
「毛利が核開発するとなると人形峠を確保できるのは尼子を1566年に倒してからね。1582年まで十六年間もあるんだから大丈夫かしら? でも黒鉛の純度が重要よ。ナチスはそれで黒鉛炉を諦めたんだから。それに完成しても運べるかしら。工場から出すだけでも大変そうよ」
「大阪城大手門入口の大石は三百七十五トンもあるんだぞ。あんな物が運べたんだから楽勝だろう」
「何百人もの人足が綱を引いて核兵器を運搬するわけね。シュールだわ。敵も馬鹿じゃないんだからノコノコそこへ来てくれるとは思えないんだけど。そもそも重たいプルトニウムを秒速九百メートルに加速するのは黒色火薬では絶対に無理ね。高性能火薬の完成が前提になってるけど、だったらその高性能火薬を何千トンも作った方がよっぽどマシね。費用対効果が悪すぎるわ」
「ぐぬぬ……」
「着いたわよ。降りましょう」
萌は一方的に議論を打ち切ると、先に立って電車を降りる。
もともと秋葉原に買い物に行こうとしていたのは大作だった。
たまたま通りかかった萌が勝手に付いてきたはずなのだが、いつの間にか大作が付き人みたいになっている。
ちなみに大作は馬鹿では無い。試験では必ず平均点をクリアしている。
授業も聞かずにタイムスリップの妄想ばかりして、真面目に勉強したことが無いにも関わらずだ。
だが記憶力が良く頭の回転が速いだけで、物事を深く掘り下げて考えることができないタイプなのだろう。
Wikipediaで読んだだけの知識で簡単に核爆弾が作れると本気で思っているようなかなり痛い子なのだ。
そのため萌と今のような議論になるといつも言い負かされている。
改札を出た二人は並んで歩く。
「1930年代にタイムスリップしたいな~ 絶対に核兵器を作るのに」
「きっと1550年代の方が面白いわよ。厳島の戦いを生で見てみたいわ」
二人が過去にタイムスリップして歴史を改変するという妄想に夢中になったのは小四の夏休みのころからだ。
たまたま大作が父の書斎にあった半○良の戦国○衛隊を読んだのがきっかけだった。
その後、大作は熱心な布教活動によって萌を歴史オタクにしてしまったのだ。
伊○三尉の行動の何が悪かったのかを熱く語り合ったのが懐かしい。
もっとも大作の興味の対象は第二次大戦の枢軸国に移ってしまった。
萌は萌で『輝元攻めで元親受けも良いけど逆も捨て難いかしら?』みたいなことを言う腐女子に成り果てていた。
秋葉原に着いた二人は特に目的も無かったので適当にぶらつくことにした。
萌は結城秀康を女体化したアクションフィギュアを見つけるや穴の開くほど細部をチェックした。
そしてしばらく迷った後に購入した。
大作は戦国武将の女体化フィギュアなんて物に需要があることまでは理解できたが、そんな物を欲しがる腐女子の心理は理解不能だった。
だいたいなんで結城秀康なのだろう。
梅毒で鼻が欠けたって話を思い出して気分が悪くなってしまった。
でもわざわざそんな話をして萌を不愉快にする気もなかった。
スマホのアクセサリー売り場で大作は前から気になっていた商品を見つけた。
「この手回し充電器を見たかったんだ。ネットだとハンドルの強度までは判らないからな」
「あんた太陽電池を持ち歩いていなかったっけ? A4サイズの大きいやつ」
「太陽電池は曇りが続くと使えないだろ。これはハンドルを五時間回すとスマホがフル充電できるんだぞ」
大作は凄く嬉しそうだ。
「筋トレには良いんじゃない」
萌は興味なさそうに答えた。
店を出ると二人の少し前を音乃木坂学園の制服を来た小柄な少女が歩いていた。
黒髪ツインテールに赤いリボンをしている。
萌は少し怪訝な表情をして少女を見つめる。そしてスマホを取り出して時間を確認した。
つられて大作も腕時計を見ると十一時五十分だった。
「少し早いけどお昼にしましょう」
そう言うと萌は少し早足で歩き出した。
本当にマイペースな女だなと思いつつも大作は慌てて追いかける。
「もうちょっとゆっくり歩けよ。荷物が重いんだ」
「急いで! 信号変わっちゃうわよ」
いつタイムスリップしても大丈夫なように。
大作は本気でそんな心配をしていた。
そしてそのために選び抜いた小道具をバックパックに入れて常に持ち歩いているのだ。
精一杯の軽量化をしているのだが重量は十キロ近い。
横断歩道を渡り掛けた時、さっきの音乃木坂学園の娘がすぐ左脇にいることに大作は気が付いた。
『これはどんな顔の娘なのか要チェックや!』
大作は心の中で絶叫すると視線だけを動かす。
その瞬間、大作は全身に鳥肌が立つような殺気を感じた。
正面の信号は青なのに左からトラックがノーブレーキで突っ込んで来るのだ。
距離二十メートル弱。時速六十キロと仮定すると衝突まで一秒強。
生命の危機に直面した時、時間感覚が引き伸ばされるという話は良く聞く。
大作は今それを身を持って体感していた。
『一秒あればトラックからギリギリ逃げられるか? でも萌と音乃木坂の娘を見捨てるのはアレだな。だいいち一人だけ助かったら萌の母ちゃんにどんな顔して会えば良いんだ。こうなったら腹を括るしか無いか……』
「俺はこのトラックをぶっ殺してきっちり三人とも助ける!」
なぜ三人の中に自分も入ってるのかは謎だが周囲に注意換気するためにも大声で叫ぶ。
同時に最悪でも自分がクッションになるような体勢で二人を全力で押し出そうとする。
トラックがスローモーションのようにゆっくりと近づいて来る。
だが自分もスローモーションのようにゆっくりとしか動けないのでどう考えてもヤバイ。
なんかこんな映画あったっけ。インセプションだったかな?
バックパックの荷物が重くて体が思うように動かない。
いざという時のための荷物が重荷になるというのは皮肉だ。
でも運が良ければバックパックがクッションになるかもと淡い期待を抱く。
「こんな目に遭うなら家でハーツオブアイアンでもやってれば良かったな」
死の間際に考えるのが第二次大戦のウォーゲームの事だとは我ながら呆れる。
「俺、もし無事に帰れたらアルバニアで世界征服をめざすんだ……」
絶体絶命の状況、あえて自分で死亡フラグを立ててみる。
だがトラックにぶつかる刹那、大作は萌の視線に気付いた。
それは恐怖でも、悲しみでも、諦観でも無い。
あの瞳に宿る感情は何なのだろう……
大作の意識はそこで唐突に途切れた。