スウィング
スウィング
男がため息をつきながら店のガラス扉を開けると、ふわっと暖かな風が顔を打った。
男はそれでも顔を上げず、外の冷たい風をさえぎるように後ろ手に扉を閉めた。
男と一緒に入ろうとしていた落ち葉が締め出され、しばらくガラス扉の前でくるくるもがいていたが、やがて木枯らしに吹かれて去っていった。
店内はオイルランプの灯りに照らされ、木の床が鈍く光っている。
十人も入れば、いっぱいになってしまう小さな店だった。
すでに奥の席には先客がいて、二人楽しそうに話していた。
男はのそのそと扉近くの席に座った。
「いらっしゃ…あら、お久しぶり」
カウンターからの声に、男はようやく顔を上げた。
「捨てられちゃったかと思ってた」
キリッとした目で微笑むのは、ここの女マスターだった。
さっぱりとした性格で話しやすく、半年ほど前まではよく通っていたのだ。
「可愛い子でも見つけた?フラれたって顔…じゃなさそうだけど」
男の顔を見ながら、そこに書いてあるとでも言っているようだ。
男はあいまいに笑った。
女のマスターにはそれだけで分かったのか頷いた。
「まだ気持ちも伝えていないのね」
図星だった。
男は慌てて差し出されたメニユーに目をやった。
どうしようかと悩んで久しぶりにここに来たのだが、こうハッキリ見透かされると逆に言い出すことも出来ない。
「そんなんじゃ、いつまでたっても一人よ」
そう言うマスターの話をさえぎるように、奥の席から「すみませーん」と明るい声がした。
ドキン
男の胸が大きく波打った。
聞き覚えのある、そう、今想いを寄せている女の声だった。
マスターが返事をして奥に行く。
男はまさかと思いながら、チラリと声の主を盗み見た。
まさにその女だった。
同時に知らない男も目に入ってきた。
男はうろたえた。
『あれ、いたの?この人、友だち?』などと声をかけようにも、かけられるような男ではなかった。
マスターが奥の女にカクテルを作っている。
男は動揺を抑えながら、奥の席に背を向けるように姿勢を変えた。
ちらっと見ただけだったが、友達以上の関係のようだった。
片思いとは言え、この先の望みが小さくなったことはショックだった。
「おまたせ。今日も決まらないと思って。はい、どうぞ」
いつの間にかマスターが戻っていて、男に湯気の上がる温かいカクテルを差し出した。
「バタードウイスキーよ」
ウイスキーのお湯割りに、黒糖で練ったバターを一片浮かべる簡単なカクテルだと言う。本来ならラムで作るのだが、男の好きなウイスキーを覚えていて、それを使ってくれたのだ。
『SWING』とラベルに書かれている逆ハート形をしたボトルが、男の前で前後に小さく揺れている。
揺れる船内でも倒れないように設計された特殊な瓶だ。
以前男が「小さい頃、船乗りになりたかったんだ」と言う話をしてから、この店に置いてくれるようになった物だった。
まだ置いてくれてたんだ。
男の心が小さく揺れた。
「縮こまって寒そうだったから」
奥の女に背を向けた姿勢が、そう見えたのだろう。
男は思わずほろりとした。
『私にしなさいよ』
ここに通っていた頃、マスターが男に言った言葉が思い出された。
男は温かいグラスを手にした。
甘い香りのする湯気が、男の心を慰めてくれる。
スイングボトルが、まだ揺れていた。
男がグラスに口をつけようとした時、奥から女の明るい声が飛んできた。
「あれー、いたのぉ?」