これは酷い昔話
昔々あるところに正直なお爺さんが住んでおりました。
お爺さんはとてもとても正直者なので、ことあるごとに踏まれたいとか罵られたいとか冷たく見下ろされたいとか口にしていましたから、普段からお婆さんにさえドン引きされていました。
そんなある日、柴刈りをしながらいつものように見目麗しい美女に踏まれる妙案を考えながら歩いておりましたところ、見知らぬ獣道へと足を踏み入れてしまいました。気付けば頭の上には圧し掛かってきそうな分厚い雲が覆っています。急いで戻らねばと踵を返した瞬間、ぽつりと額に雨粒が落ちてくるではありませんか。
これは大変とばかりに周囲を見回すと、枝葉の隙間から垣根と思しき柵に気付きました。お爺さんが、とりあえず軒先でも借りられまいかと思いつつ足を踏み出すと、こんな山奥には似つかわしくない立派な屋敷が目に飛び込んできました。
お爺さんは驚きと興味のあまり大きな門をくぐって立派な庭園へと入り込んでしまいます。すると、それを見つけた庭師と思しき男が声をかけてきました。
「そこの爺さん、この屋敷に何ぞ用かね?」
「突然の雨にちょっと軒先を借りようかと思いまして」
言い訳を並べて振り返ったお爺さんは息を呑みました。
そこに立っていたのは身の丈八尺はあろうかという赤ら顔の男――いえ鬼だったのです。下からでは良く見えませんが、頭の天辺には一本の角が生えています。ここはお金持ちの別荘などではなく、鬼の屋敷なのでした。
「ほほう、それは大変だったな。まさか鬼の屋敷とは思わずに、というところか」
「いや全く驚きました」
正直爺さんは正直なのでついそんなことを言ってしまいます。すると赤鬼さんは、何が可笑しいのか大きな口をあけて笑い始めました。
「わっはっはっはっは! 随分と胆の据わった爺さんだ。いいだろう。軒先と言わず上がって茶でも飲んでいけ」
「よろしいので?」
ふっちゃけ鬼の屋敷と聞いて興味の湧いたお爺さんは、妙にキラキラした眼差しを上げました。
「どうせ退屈していたところだ。女達にも良い暇つぶしになるだろう」
「女、ですか?」
「あぁ、ここは鬼の色里でな。夜になると鬼で賑わう場所だ。今はホレこの通りの静かな屋敷だがな」
「ほほう、それはまた興味深い」
正直爺さんは言わなくて良いことまで口にしてしまうほどの正直なお爺さんでした。
「つくづく面白い爺さんだな。ここに人間が紛れ込むこと自体が珍しいからよくわからんのだが、人間はどういった営みが好みなんだ? というか、普通にヤル以外に好きな趣向とかあるのか?」
「さてなぁ、ワシ自身はともかく婆さんは普通しか認めん派だし、こういうところで遊んだこともないから、正直ようわからん」
「ちなみに爺さんはどんなのが好きなんだい?」
「そりゃもちろん踏まれるのが大好きです!」
満面の笑みの正直爺さんは、心イクまで鬼娘に踏んでもらいました。
ホクホク顔でお婆さんに話をしてドン引きされた正直爺さんでしたが、もちろんこれで話が終わったりはいたしません。正直爺さんの隣には意地悪爺さんが住んでいるものなのです。この話を当然のように、意地悪爺さんは盗み聞きしていました。
そして、踏まれるという行為が今一つピンとこないながらも、その幸せそうな笑顔が羨ましくて仕方ありません。ひょっとして何やら指圧の効果でもあるのではないかと思った意地悪爺さんは、それを確かめるべく山へと向かうことにしました。
いつも使っている山道を逸れ、獣道すら外れてどんどん突き進むと、やがてその御殿は見えてきました。さすがは正直爺さんの話だけあって嘘ではなかったと感心しながら、その立派な門の赤い屋根をくぐっていくと、庭掃除をしていた赤鬼に見つかってしまいました。
「こりゃ珍しい。昨日の今日で人間の客が舞い込むとは」
「うひゃああぁぁあああぁぁあっ!」
正直爺さんとは違って肝っ玉が蚤の心臓よりも小さい意地悪爺さんは、途端に腰を抜かして悲鳴を上げたのでした。
「今度のはうるせぇ爺さんだなぁ。何だ、迷子か?」
「あああああ……いいいいやそそそその」
「とりあえず立ちな。そんなとこで寝てたら身体に障るし、何より邪魔だ」
「ははははははいいいぃっ!」
威勢良く返事をしてはみたものの、抜けてしまった腰がそう簡単に戻る道理もなく、バタバタと地面を掻くばかり。それを見た赤鬼は小首を傾げてしばらく眺めてから、ふと気付いて手を打ち鳴らしました。
「ひょっとして、腰を痛めてるのか。そりゃ難儀だなぁ」
「あ、えと、はいっ」
この時、追い詰められた意地悪爺さんの生存本能が咄嗟の言い訳を閃きます。
「ここに来れば、踏んでもらえると聞いて」
「はっはっは、何だよ。あのケッタイな爺さんの知り合いか。ウチは別に按摩の店ってワケじゃねぇんだけどなぁ。まぁいいや。この時間なら退屈してるヤツもいるだろ。踏んでやるくらいなら造作もねぇことだ」
そう言って赤鬼は意地悪爺さんを、まるで借りてきた猫のようにひょいと持ち上げて屋敷へとつれていきました。そして前の日同様に鬼娘たちに声をかけ、爺さんを踏んであげることにしました。
しかし、腰の上で跳ねるように踊る小柄な鬼娘になるほどと理解を示しつつ、意地悪爺さんは何となく『これじゃない』という思いを膨らませていきます。意地悪爺さんは、これでは満たされないことに気づいてしまったのです。
「あ、あの……」
「ん? 何か?」
「えっとですね……」
「あ、もっとお尻に近い方がいいとか?」
「そ、そうじゃなくて、えっと……」
意を決し、というより堪えきれなくなって意地悪爺さんは喉の奥から言葉を迸らせました。
「踏まれるんじゃなくて、こっちが踏んでもいいでしょうかっ!」
そう言って嫌がる鬼娘を無理矢理ふみふみした意地悪爺さんは、悲鳴で駆けつけた赤鬼たちにボコボコにされ、それでも足の裏に残る感触に恍惚としつつ屋敷を後にするのでした。
「――というわけで、踏ませてくれないかっ?」
新しい何かに目覚めてしまった意地悪爺さんが土下座をしてお婆さんに頼み込むと、ドン引きしたお婆さんは三行半を突きつけて実家に帰ってしまいました。
「何てことだ。何もかも失うてしもうた」
お婆さんの実家がある夕日の方角を見詰めたまま、襲いくる後悔の念に意地悪爺さんは翻弄されます。それは雨後の激流に流される一枚の枯葉のようでした。
ですが、ガックリとうな垂れ、地面に擦れるのではと思えるほどに落ちた意地悪爺さんの肩を、誰かが優しく叩きます。
「……お前」
そこには、穏やかな笑顔を浮かべる正直爺さんが立っていました。
そうです。枯葉は一枚ではなかったのです。
共に三行半を突きつけられたお爺さんたちは、踏んだり踏まれたりという新たな喜びの地へと二人で旅立つのでした。
ほもぉ……。
我ながらコレは酷い(笑)