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コラボってみよう

天を喰らいて地に生きる

作者: 鈴村弥生

生野様の錬金術士と使い魔な猫・番外変。

《光を食らう》の2次続編です。

本編をお読みになる前に、こちら"http://ncode.syosetu.com/n9786t/3/"をお先にお読みください

原作へのリンクはあとがきにあります。

 白い猫がにんまりと笑う。

 その喉はぐいと延ばされ、柔らかく動くしなやかな細い指に全てを委ねつつ、更に続けろと要求していた。

 あの黒猫も、これぐらい懐けば良いのに。

 書類にひたすら承認印を押しながら、チラチラこちらを見る魔術師の視線がそう言っているようだ。

 かつて祈りの神子と呼ばれ、今はスコルの敏腕外交官『言霊の聖女』と怖れられる妙齢の美女は、愛猫を撫でながらうっすら微笑む。

「発想の転換って大事だと思わない?」

 壮齢の魔術師はちらりと美女の顔を見たが、返事はけちった。

「反逆者は死刑っていう事。いったい"誰"に反逆したらなのか、よ」

 気にも止めずに彼女は続ける。

「理久はスパルタカスが好きなのかしら? 彼女にケツ顎は似合わないわ」

 魔術師の眉間に浮かんだ皺は、ケツなんて女の言う事かと思っているのを容易に解らせる。それでも彼女はお構い無しだ。

「私はフランス革命やアメリカ独立も良いけれど、やっぱり日本人なら山城の国一揆を忘れちゃいけないと思うのよ。あれは、日本で初めて創られた、完全合議制の民主主義国家ですもの。理久的発想だと一向一揆みたいだけど、それじゃあただの抗議デモだわ」

 白い毛皮を撫でながら続ければ、魔術師がやっと顔を上げた。

「いずれの歴史も、私にはさっぱり解りませんよ。興味も無いですし」

 まぁ、それは仕方がない。そもそもこの世界の歴史では無いのだから、彼を無知と呼ぶには筋違いだ。

 だが、と彼女は思う。

 せっかくの見本があるのだから、使わないなんて損だ。

「興味位は持つべきよ、これからのお手本にしないといけないんだから。思想も理想も問題点も欠点も、洗い出して検討して、(ふるい)にかけて、下敷きにして考えるのが、貴方の仕事」

 きっぱりと言い切られ、彼はため息を吐いた。

「そもそも、そっちの世界の歴史資料が在りませんよ。何をさせたいんですか?」

 やっとまともに向き直った魔術師へ、聖女はにっこり微笑んだ。

 ごたいそうな事例を並べ立ててはいるが、単に暇を潰しているだけなので意味はないのだ。つまり、笑って誤魔化すに限る。

 この微笑みでどれだけの使者をたぶらかしてきたのか、数えるのも面倒だ。効果の程はわかっているからそれで十分。

 但し、この魔術師には効かないが。

 だからついでに、話題も変える事にした。

「理久が政治家に為れると思う?」

「無理でしょう」

 間髪入れぬ返事へ、美女は更に笑う。

「私もそう思うわ」

 政治家に向いているのはあんただ。と、魔術師の視線が言っている。

 その率直さに、苦笑が込み上げた。

「貴方もたいして向いては居ないわね」

 魔術師は深々と実に嫌みを込めて息を吐く。

「じゃあ、この書類。貴女がしてくれませんか? 私は研究に戻りたいんです」

 広い黒檀の机には、かろうじて作業ができる程度の空間を残して、書類が堆く積み上がっていた。彼の仕事は増えはしても減ることはない。気の毒に。

 しかし、同情はするがそれを押し付けられるのは真っ平だ。

「あら、政治家が書類仕事を得意な筈無いでしょう?」

 すげなく一蹴して、彼女は膝の猫よりにんまりと笑う。

「五年越しの独立戦争を勝ち抜いた立役者が、何弱音吐いてるの? 書類仕事が嫌なら、それを専門にする官僚を育て上げれば良いじゃない」

 寄せられた眉には、『そんなに楽に事が運ぶか』と書いてある。

 彼とて何もせずに愚痴を言っている訳ではない。

 現に徒弟制度を抜け出した『学校』に拠る教育機関が設立されて、本格的な稼働を始めているし、政府職員を育成するための訓練施設も創られた。

 しかしそれも未だ数年に過ぎない。

 国家機密さえ扱う彼の立場を、補佐しきれる程の人材は育っていないのが実状だ。

 人を育てるには時間が掛かる。ましてや偏見と知識格差のあるマレビトと一般人の間の溝を埋めるには、もっと長い時間が必要だろう。

 彼等の試みは、始まったばかりなのだ。

「貴方なら出来るわ。宰相閣下」

 クスクスと笑う外交官に、スコル国宮廷魔術師兼宰相は盛大なため息を吐いて返事とした。



 かつてこの地にあった王国は、光の神からマレビト召喚の技を授けられて世界に威を示していた。

 光と闇の戦いの為、救世主を呼び出し戦いに赴かせる。彼らは異世界から、何も知らない無詁の人材を引きずり込んで、救世主と祭り上げては無関係な世界の為に戦いを強要していたのだ。

 この世の救いだの希望だのと奉っておきながら、自分達にのみ都合がいいような制度ばかり発展させる。

 闇の脅威に怯える各国は、光のもたらす武器であるマレビト召喚を喪いたくないためにその国を不可侵とした。

 マレビトの犠牲の上に胡座を掻いていた国だった。

 それを苦々しく思いながらも、ちらほらと見せつける『帰還』の希望に釣られて、マレビト達も従い続けていた。戻れもしない故郷を夢見て。

 しかも、召喚という自然の摂理を捻じ曲げる拉致には、『墜ち』なる副産物が稀にある。

 召喚した人物の通った次元の穴が同じ質量を吸い込むものらしい。引き寄せた人間分の質量が、等価交換でこちらから消えるのならば”釣り合い”という理屈で納得も出来るのだが。どうやら光の神はかなり意地汚いらしく、同じ世界の近しい場所から引き寄せるのだ。

 なんたる迷惑。なんたる傲慢。

 十数年前、『祈りの神子』が 召喚された。

 新たな戦いの救世主として。

 その数日後、二人の少女がとばっちりを受けた。

 存在そのものを否定されて。

 ユーリとリック、いや。由梨と理久。

 二人はその生まれた世界での共通倫理に則り、自分達の返還を要請した。

 曰く『責任を取れ』と。

 王は取り合わなかった。召喚した救世主ならば会話をする価値もあるが、副産物の『堕ち』た者などヒトとも思ってなかったから。しかも理久に至っては人の姿さえ失っていたのだ。

 にゃあにゃあと騒ぐ禍々しい黒猫は、あまりに理不尽な王の態度に激怒して爪にモノを言わせた。

 それが更なる不幸を呼んだのは理の当然。

 王は二人を投獄し、その上『存在しない者』にしてしまった。

 召喚主である宮廷魔術師の配慮によって()に逃れ、偏屈で狂逸な師の許で一時の平安を得た。

 得た筈だった……

 



「要は、どれだけ仲間を持つか、よね」

 それは違うだろう。

 宮廷魔術師兼宰相の眉間の皺の深まり具合がそう語っていたが、彼は黙って承認作業に徹する。

 だから彼女も気にせず言葉をつなぐ。

「世界はリュース王国の横暴を、どうにかしたかった。闇の神の攻撃を撃退できるマレビトを呼べる国だけれど、その分増長して態度はでかいし上から目線。押し付け横槍我儘勝手。かなり怨まれていた様ねぇ……マレビトを呼び、戦ってもらい、尚且つ禍根を残さず帰ってもらうような制度は、マレビトの国でしか出来ないっていう私の法螺に、周辺諸国が乗ったのが良い例じゃない」

 呼ばれるだけ呼ばれて放置されたマレビトたちとその子孫が、吹き溜まりか澱みに流れ込むように肩を寄せ合い作った集落。それがこの国の始まりだった。

 歴史書の編纂はまだまだ先の話だが、【マレビトに害なすものは破滅する】と、実しやかに言われる言い伝え通り、反乱を起こして小国を乗っ取ったスコル王国の建国史。その最初の項目には、独立の蜂起をどう書くべきなのか。

 多分文才の有る者が上手に誤魔化し脚色するのだろう。禍根と怨嗟と不満が渦巻く反乱の泥沼を。

 実際、あの戦いは凄まじいものだった。

 リュース王国は、救世主ではなく闇の神の使いを呼び出していたのか?

 一時そんな噂すら飛び交った。それほどマレビトの反攻は激しく、容赦が無かったのだ。

 仮にも闇の魔物と闘う力を持つかつての勇者が、人に憎悪を向けてその稀なる力を使う事すら厭わなかったのだから。

 ほんの少数の軍と言えど、一人が100人の兵に値するスコルの戦力は絶大だった。

『マレビトの力は、我々には揮えないのではなかったか?』当時の王は意外な反撃にそう叫んだという。

「ほんっとに、馬鹿よね。精神的ストッパーなんて、マジ切れしたら効かないのよ」

 外交官は当時を思い出してくすくすと笑う。

 王の狼狽を聞いて、大いに溜飲を下げたのも、今は懐かしい。

 しかも、援軍を要請した周辺諸国からは、『伝承に則りマレビトに害はなさない』などと無碍な返事が返り、リュース王国は初めて孤立していることに気がついたのだった。

「まあ、貴方をヘッドハンティングしたのが正解だったわ」   

 ぴくんと魔術師の肩が揺れる。

「あれは誘拐というべきなのでは?」

「あら、貴方はちゃんと同意してくれたでしょ? 面接場所への移動経路や運搬方法なんて、今更蒸し返さなくてもいいじゃない」

 いけしゃあしゃあと言い放つ口調も態度にも、悪びれるどころか満足感がたっぷり含まれていた。

「まぁ。……師匠の仇でしたからね、王は」

 偏屈で人嫌いで権力嫌いで酒好きだった老錬金術師の最後は、襲ってきた兵士から二人の少女を逃がして焔の中へ消える姿だったと聞く。

 まだまだ彼と話したかった。教えて欲しい事はいくらでもある。

 酒を持って行かない限り邪険にされ、持って行ってもそっけない師ではあったが。彼の事は今でも好きだった。

 が。

「ホントにそれだけ?」

 しんみりと恩師を偲ぶ魔術師に、少しだけにやりとした雰囲気を含む質問が寄越されて。不穏な気配が老師の面影を掻き消してしまう。

「は?」

 たっぷり他意を含んだ外交官の視線に、魔術師の眉間の谷間が深まる。

「だって貴方は、雌猫の毛をむしるために捕まえる人だから」

 膝の上の猫がぴくっと耳を揺らし、魔術師を見た。

 金と蒼の不揃いな目に見据えられた彼は、慌てて首を振る。とんでもない言い掛かりだ。

「どんな乱暴者ですか?!」

 堪らず声を上げる魔術師に、悪戯が成功した勝利の笑みが返される。

「私の世界のことわざよ。手に負えない厄介な仕事を引き受けちゃう人ってこと」

 酷いことわざもあったもので、確かに大怪我必須だろう。

 魔術師の今までの行動が、まさにそれなのは大いに笑える。

「リュースの最後っ屁の大攻勢を思い出したのよ」

 ほんの少しだけ、声音からからかいを抜けば、生真面目な魔術師は困った様に眉を下げた。

「……あれは、私が決めてした事ですから」

 だから現状は不本意なのだと、少しだけ情けない表情が語っている。

 美女の赤い唇が、少し困ったようにすぼめられた。

 戦局も終板に差し掛かった頃、リュース王は最後の戦力を投入して一気にスコルを倒そうとした。

 陽動によってスコル軍の主力は出払い、本陣を守るのはわずかな手勢と魔術師のみ。

 奇襲に対応しきれずに、気がつけば喉元に刃を突きつけられていた。

 真夜中の篝火に照らされて、自分の命と引き換えに仲間を逃がそうとした指揮官の背中を思い出す。

 あの時彼は、全てを投げ出して一つの可能性に賭けたのだ。

 今でも後悔はしていない。

 まぁ、恨み言は言われるが。

「あれから、近寄るのも気にしなくなったでしょ? いい方向に転がってるんだから良いじゃない」

 慰めているのか、面白がっているのか。判別つきにくいのは何時もの事だ。

今日は慰めと取った魔術師が、軽く肩を竦めて息を吐く。

 と、白猫がムクリと首を上げて部屋の入り口へ顔を向けた。

 ほどなく軽いノックが来訪者を知らせる。

「由梨ね、どうぞ」

 すぐに喉を鳴らしだした猫の様子から扉の向こうの人物を読み取り、外交官は深い微笑みを浮かべた。

「ペネロープも来てたの?」

 扉からぴょこんと顔を出した女性は、薄茶の髪を揺らしてにっこりと笑う。スコル国民にこの笑顔が絶大な人気を誇る王族であり、『スコルの聖母』と讃えられる王補佐官だ。

 明るく柔らかな雰囲気は、大人となった今でも変わらない。

「ええ、東の国との交渉が終わったから」

 外交官が、魔術師へとは全く違う心からの微笑みで応えると、補佐官はおずおずと執務室に入って来た。

「大事な話のお邪魔したかな?」

 政務の妨げかと気を使う彼女に、外交官は思いっきり良い笑顔で首を振る。

「ううん大丈夫。ただの暇潰しだから!」

 散々邪魔をされた挙げ句、悪びれる気もない美女のセリフ。魔術師のこめかみに青い筋が浮かんだ。

「やっぱりそうだったのか」

 低く呟き、おもむろに立ち上がるとそのまま扉へ向かう。

「あ、アーロンさん」

 慌てた声をあげる補佐官の横をすり抜けながら、魔術師は苦笑しつつ頷いた。

「例によって、でしょう? 仕事は一区切り着きましたから、休憩がてら行って来ますよ」

 お願いしますと明るい声に見送られ、彼は片手を上げて部屋を出て行った。


「また脱走なのね」

 魔術師がきっちり全ての書類を処理し終わっているのに呆れながら、外交官は補佐官に片頬を傾げた。

 ほぼ確認な問いかけに、補佐官がしっかり頷く。

「うん。どうしても見つからなくて。こうなったら、もうアーロンさんだなぁって」

 てへ、と笑う姿に笑みを深めて。外交官は膝の猫の背を撫でた。

「何で、彼だけが確実に見つけるのかしらね? ま、きっと当分帰らないでしょうから、影武者も必要だわ。ガルシア。お願い」

 白猫は大きな伸びをして尻尾を揺らすと身軽に膝から飛び降りるが、着地した時には白猫が消え、艶やかな黒猫が補佐官の足に擦りついてくる。

「ガルシア、よろしく」

 細い指に撫でられて、黒くなった白猫がにゃぁんと鳴いた。

「じゃ、行きましょうか」

 優雅な動作で立ち上がった外交官が、補佐官を促して部屋を出る。

 二人の前には長い尾をくゆらしながら、堂々とした足取りで黒猫が歩いていった。




 秋も深まるスコルには、冷え込む日も続いていたが、今日はなかなか陽気が良い。

 王城の政務棟と居住棟を繋ぐ渡り廊下の屋根は、傾斜が緩くて寝そべり易く。おまけに直ぐ側にある出窓がちょうどいい風避けになっていて、ぽかぽかした日だまりを満喫できる穴場だった。

 そこに転がるのは、一匹の黒猫。

 猫には極楽だろう場所に陣取りながら、その尻尾の先が苛立たしげに強く振られているのはどうしたものか?

 それでも顔と身体はここで満足と言わんばかりに、軽くとぐろを巻いていた。

 その尾の動きがビタリと止まる。

「やっぱり居た」

 出窓を開いて頭を突き出したのは、ホクホクとした顔でバスケットを抱えた魔術師だった。

 どっこいしょ。などと、どうにもおっさんくさい掛け声で出窓から這い出した彼は、黒猫から少し離れて屋根に腰を降ろす。

「ああ、こりゃぁいい昼寝場所ですね」

 彼はバスケットを横に置き、のほほんと日差しに目を細めた。

 遠くで小鳥が鳴いている。屋根は程よく温まり、青空にたゆたう雲がのどかだ。

 書類仕事ですっかり凝った肩や腰を伸ばすように、魔術師がおおきく腕を上げて反り返る。

 黒猫が、フンと鼻を鳴らした。

 まるで年寄りが根を詰めるからだ。とでも言っているようで、魔術師はこっそり苦笑する。

 それでも昔のように、ぷいとどこかへ行ったりせずに寝転んでいるのは。あの美女の言う通り、進歩なのかも知れない。

 相変わらず、口は利いてくれないが。

「お昼使わせてもらおうと思って、持ってきたんですよ。仕事もひと段落なのでね」

 脇に置いたバスケットを開くと、なんとも食欲をそそる匂いが広がった。

 香ばしい潮の香についつい鼻が動くのは、猫だろうが人だろうが同じ事。

 バスケットの中には、王補佐官率いるところの食品開発斑が試作した「カツオの角煮」もどきにかぼちゃの甘露煮。少しだけ長い米が握られたおむすびと卵焼き、茹でた根菜サラダに川魚の焼いたものが詰められていた。

「ユーリとペネロープのおかげで、最近和食なるものが流行っていますからね。食べ慣れるとなかなか味わいが深いですし。一緒にどうです?」

 持参した小皿に弁当を取り分け、皿とコップに茶を注ぐ。

 1.5人前ほどの量は、猫も食べるのを見越してなのだろう。

「覚えてますか? 麹が『落ち』て来ていたのがわかった時の、皆の喜び様は凄かったですよね」

 無言で角煮を食べ出した猫に、魔術師がのんびり語りかける。

「まさか、食糧倉庫の厄介な黴が、あんなに貴重なモノとは意外でしたよ」

 握り飯を頬張り、角煮を摘まむ。空から目を転じれば、小春日和に憩う様な王都の街が木立の間から広がっていた。

 平和な光景に、彼は深く微笑んだ。

「おかげでミソもショーユも旨い」

 占領した王城の在庫調査で、カビた豆を見たマレビトの一人が『麹だ!』と叫んで小躍りしたのが発端だった。以来スコルは急速に和食文化が成長している。

 そもそもの日本人達に云わせれば、だいぶ違うらしいが。それでも故郷の味に近いものは嬉しいと聞く。

 召喚に携わっていた身としては、彼等が少しでも幸せだったり、喜んでくれるのが何より嬉しいのだ。

 ゆっくり茶を啜り、食べ終わった弁当をかたすころには、猫も皿のものを平らげていた。

 やはり空腹だったようだ。ぽっこり膨らんだ黒い腹が可愛らしい。

 まぁ、うっかり本人にそんな事を言おうもなら、二度と顔を合わせてくれなくなるだろう。

 よく解っている魔術師は、満足のため息を深く吐いてごろりと屋根に転がった。

「あぁ、暖かいですね」

 そのままとろとろと眠りかけて、ふとゆったり尻尾をくゆらす黒猫の背中へ手を伸ばした。

 ぎりぎりで指先が届かない距離。

 これが自分達のちょうどいい位置なのだろう。

「リク…」

 何度も練習してリックと訛らなくした発音はまだまだ綺麗にはできないが、本当の彼女の名が呼べるのは嬉しいと思う。

「リク。あの時、何で死なせなかったと怒られましたが…」

 彼の言葉に、猫が耳だけ向けてくる。

 重くなった瞼は、そんな猫の様子すら見せてはくれないが、心地良い微睡みに落ちながら彼は言葉を紡いだ。

「私は、貴女を生かせて、良かったと……どこにも行かないでくれて良かったと。今でも思ってます…」

 正気だとさすがに恥ずかしいから、睡魔に紛れて言ってしまおう。後から、寝言だとからかわれる方がいいから。

 ちょっとした計算も絡ませて、魔術師は小さな告白を残す。

 罵倒覚悟で。いや、罵倒でも良いから直接声が聞きたいなどと思いつつ眠りに転げ込む彼の手のひらに、ぽすんと手触りのいい尻尾が乗せられた気がした。



「……私が好きで死にたがってた、ドMみたいな言い方するな。人聞きの悪い」

 すっかり寝入った魔術師の手のひらを、背を向けたまま尻尾でぺしぺし叩きながら、黒猫がぶつぶつ文句を言った。

 学者然とした器用そうな長い指を尾の先で軽く押し、袖に隠れた腕を思う。

 彼の身体は、骨が見える程に抉れた傷を、未だに引きつれたケロイドとして負っている。

 最近の冷え込みに、夜はさぞや疼くだろう。この日溜まりなら痛みを感じずに眠れるんじゃないかと、安堵している自分に髭が揺れた。

 リュースの大攻勢の時。本陣深く食い込み、降伏を突き付けてきたリュースへ。予てよりの覚悟で仲間を逃がし、自分は投降するつもりだった。

 それを阻止したのがこの魔術師だ。

 脱出用にと開発していた移動魔法を、とんでもない代物に作り変えていた。

 それは、逆召喚とでも謂うべきか。つまりはこちらのモノを別の世界へ飛ばす魔法。

 リュース王とその近衛達を敵の本陣ごと異世界へ放り出してのけたのだ。身体が引き裂かれる事すら構わずに。

 おかげで半月生死の境をさ迷っていた。

 本当に死ぬ気だったのは、こいつなのかも知れない。

 その間、王を無くしたリュース軍は瓦解した。貴族は主従契約を持ち掛けてきたし、兵の敗走や投降が繰り返されてスコルの勝利が確定したのだから、彼が目を覚ました頃には忙しすぎて軽い文句ぐらいしか出て来なかった。

 あんなのを、未だに気にしていたのかと少し可笑しい。

「けど、余計な仕事くっ付けやがったのは、今でも許して無いんだぞ」

 一際強く手のひらを叩いた時、政務大広間の方から、高らかな管楽器のファンファーレが鳴り響いた。

「英雄王謁見之儀。か」

 スコルの国王の謁見の時間を告げる合図に、黒猫は大きなあくびをした。

「今日の影武者はガルシアかな? ミーコもチーコもタロウもどっかに昼寝に行ったもんな」

 自分の影武者達を並べ立て、英雄王は猫には似合わない軽い笑い声をたてる。 

「王にはなってやったんだからな。後の事はお前がしろよ」

 てしてしと尾が手のひらを叩く。

 あの日、戦火のすべてが治まったのを確認して、自分は姿をくらます算段でいた。それをまたしても止めたのがこの男だった。

 猫などもう居なくても良いだろうと言い捨てる彼女に食い下がり、魔術師は言った。

 統治しない王が欲しいのだと。

 ただ玉座に座るだけで良い。いやなら他の猫も代理で置く。

 とにかく、人の王ではいずれ独裁者を生み出すだけなのは判り切っているから、決して人に関わらない顔ができる王が必要なのだ。

 いずれは民意を育て、政を民のみで行う民主主義へ移行できるよう、下地を整える。だが今はまだ、統治される事しか知らない国民を率いる『象徴』が必要なのだ。と。

 由梨やペネロープ達も魔術師の援護に回って、結局不本意ながらビロードの椅子に乗っかる事を承諾してしまった。

 いざ座ってみれば、人間達が傅くのがちっぽけな猫という笑える構図も面白い。

 『魔王を倒した代償として闇の神に姿を変えられたかつての救世主であり、スコル軍を率いた英雄王』と、表向きにはもっともらしく宣伝されて、国外の使者すら首を傾げつつ礼を執る。

 約束通り何匹か使い魔の猫で影武者も立て、玉座であくびする黒猫が本物ではない場合も多いのだが。それはそれで余計滑稽だ。いつか自分が死んだとしても、王の死とせずに猫を置き続けるのも決まっている。

 政治は魔術師が宰相となり、反乱軍の仲間たちがそれぞれの役職に就いて運営している。いずれは選挙をして、議会制立憲君主国家へ移行する事が、現在の目標だ。

 以来、魔術師と口は利いていない。

 ただ、無視をするのと、探し出したときに逃げるのだけは止めにした。

 そして魔術師は、脱走した自分をなぜか必ず見つけ出しては連れ戻す訳でもなく、こうして一人でだべってのんびりと時間を潰すようになった。

 無言の猫と居て、何が楽しいのだろう?

 理解はできないが、この時間は嫌じゃない。

 黒猫は、もう一つ大きくあくびをすると、前足を組んでそこに頭を乗せた。

 やがて暖かなまどろみに包まれて、一匹と一人が静かに眠る。

 黒猫の尾は、いつの間にかゆるく握られた手の平に包まれていた。

 


おしまい。

 


この可愛いツンデレだれ? な理久になっちゃいました。

アーロン×理久……くっついてないし、糖度無いし><

こんなのですが捧げます。

生野様。ありがとうございました。

壁紙は特注です( *´ー`)

一言ことわざ辞典

雌猫の毛をむしるために捕まえる=prendersi una gatta da pelare

手に負えない厄介な仕事を引き受ける

イタリアのことわざです。でも、何故に猫の毛をむしるのか?

確かに大怪我は必須ですが。

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