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三度、あなたの命を救った私を、あなたは「呪いの令嬢」と呼んで捨てた

作者: おでこ
掲載日:2026/04/08

本作は、全八章で構成された異世界恋愛短編小説です。


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/


━━━━━━━━━

第一章 銀の糸

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私には、奇妙な夢を見る癖があった。


炎に包まれた廊下。崩れ落ちる石橋。波に飲まれる小舟。


夢の中で誰かが死にかけている。その誰かの顔は、いつも婚約者のレオナルド様だ。


目が覚めると決まって夜明け前で、心臓が早鐘を打っている。


布団を跳ね除けて机に向かい、震える手で材料を広げる。蜜蝋を溶かして木片に刷り込み、祖母に習った文様を指先で刻んでいく。何年やっても慣れない。刻むたびに精神が削られていくような感覚がある。目の奥がじんじんと疼く。それでも、止められない。止めることが、できない。


護符術は、正式な名前もない。魔術師団の教本にも載っていない。魔力を持たない民が何百年もかけて磨き上げた、ひっそりとした知恵だ。それを祖母は「銀の糸」と呼んでいた。目には見えないが、確かにそこにある、命と命をつなぐ糸。私はその糸を、ずっと信じてきた。


魔力を持たない私でも、命を守ることができると。


完成した護符は、こっそりと彼の部屋に忍ばせる。書斎の机の脚の裏に貼り付ける。馬具の革に縫い込む。玄関の敷居の下にそっと滑り込ませる。


誰にも気づかれないように。

誰にも知られないように。


——だって、知られたら終わりだから。


(魔力もない令嬢が、わけのわからないものをこっそり仕込んでいる、と思われる)


私の名はエリーゼ・ヴァルテン。辺境伯家の令嬢で、クレスト公爵家嫡男・レオナルド様の婚約者だ。五年前から、ずっとそうだ。


貴族社会において、魔力は格を示す。強ければ強いほど、その家の栄誉となる。だから魔力を持たない令嬢は、どれほど家格があっても、どこかしらで侮られる。それは幼い頃から知っていた。


受け入れて、諦めてきた。


自身を守るためにも、常に護符を身に着けていた。

婚約が決まった五年前、レオナルド様はまだ私のことを「不思議な人ですね」と笑っていた。悪い意味ではなかったと思う。穏やかな目だった。その目が好きだった。


でも、今は違う。


「エリーゼ、また護符ですか。いい加減にしてください」


最初にそう言われたのは、半年ほど前のことだ。


書斎を掃除していた使用人が、机の裏の護符を見つけた。怒鳴り声が廊下まで聞こえて、私はすぐに呼ばれた。説明した。これは守るためのものだ、祖母から受け継いだ術だ、黒魔術とは全く違う、と。


でも、レオナルド様の目はすでに冷たかった。


「魔力もない人間が、そんなものを使えるはずがない。何か別の目的があるのでしょう」


「違います、これは——」


「わたくしには、あなたの言葉よりも目に見える事実の方が信頼できます」


——目に見える事実。


護符は小さな木片だ。見た目には、ただの彫り物と変わらない。だから逆に、説明のしようがなかった。何を言っても「言い訳」になる。そういう立場に、最初から置かれていた。


その言葉が、始まりだった。


(でも私は、あの夜も、その翌朝も、何も変わらず護符を刻み続けた。それしか、できなかったから)



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第二章 ひびが入る

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シルヴィア・ロレンス嬢が社交界に本格的に現れたのは、ちょうどその頃だった。


金色の髪、青い瞳、そして王国でも五指に入ると言われる強大な魔力。笑うと部屋全体が明るくなるような、そういう女性だった。私とは正反対だった。全てを持っていた。全てを持っているように見えた。


初めての夜会で、彼女は私に近づいてきた。


「まあ、エリーゼさん。ご婚約者様が魔力をお持ちでないとは、初めて伺いました。……大変でございますね、レオナルド様も」


微笑みを崩さないまま、そう言った。


周囲の令嬢たちがくすくすと笑う声がした。


私は何も言えなかった。


(言わなければ。言い返さなければ。でも、何を)


喉が詰まった。子供の頃からそうだ。理不尽な扱いを受けるたびに、言葉が消える。言いたいことは山ほどあるのに、声にならない。


黙っていると「認めた」と思われる。だから余計につけ込まれる。分かっているのに、直せない。これが私の致命的な欠点だった。


翌朝、レオナルド様に呼ばれた。


「昨夜の夜会で、シルヴィア嬢に対して無礼な態度を取ったそうですね」


は、と声が出かけた。


「無礼……? 私は、何も言っていません。ただ——」


「黙ってその場を離れたと聞きました。侮辱ととれる行動です」


「違います。言葉が……言葉が出なかっただけで」


「それが問題なのです、エリーゼ。あなたは公爵家の婚約者として、毅然とした振る舞いを期待されています。無言で立ち去るなど、子供の振る舞いではないですか」


「……でも、シルヴィア嬢が言ったことは——」


「シルヴィア嬢は傷ついていました。あなたに謝罪を求めています」


「私が……謝罪を?」


口の中が乾いた。


「なぜ、私が」


「言い訳は結構です」


その一言で、会話が終わった。


私は頭を下げ、部屋を出た。廊下で一人、冷たい石壁に手をついた。


(どうして。どうして私の言葉は、最初から聞いてもらえないの)


その夜もまた、夢を見た。落馬だった。暴れる馬、叩きつけられる体、血に濡れた石畳。目が覚めた私は、また震える手で護符を刻んだ。


——それから二週間後、さらに事態は悪くなった。


王立の慈善夜会で、私の持参した花束に「呪いの植物が混じっている」と騒ぎになった。


違う。ただの庭の花だ。


でも、シルヴィア嬢の侍女が「エリーゼ様は以前から黒魔術を」と囁き始め、数人の令嬢が席を立った。私は会場の中央に一人で立ち、周りから距離を取られた。


私はレオナルド様の隣に立ったまま、何も言えなかった。


そして彼も、何も言わなかった。


助けてくれなかった。


(せめて、一言だけでも)


帰りの馬車の中で、その言葉だけを繰り返した。

それから数日後、さらに一つの出来事があった。


公爵家の夕食会に招かれた私は、料理に手をつける前に小さな護符をテーブルの端に置いた。その晩も夢を見ていたからだ。食事中の事故、倒れる銀食器、跳ね上がる炎。いつもの夢だった。


シルヴィア嬢の侍女が、護符を見つけた。


「呪いの道具です」


周囲がどよめいた。


私はすぐに立ち上がって説明しようとした。でも、レオナルド様が先に口を開いた。


「エリーゼ、席を外してください」


低い声だった。


怒りを抑えた、冷たい声だった。


その場に集まった全員の目が、私に向いた。


私は席を立った。足が震えていた。でも、震えを見せないように、まっすぐ歩いた。


廊下に出てから、壁に手をついた。


(また、何も言えなかった)



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第三章 泥の中に沈む

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それからさらに一ヶ月、状況は加速度的に悪化した。


レオナルド様とシルヴィア嬢が一緒にいる場面が増えた。私への態度は日に日に冷たくなった。食事の席で話しかけても短く返事されるだけ。夜会では私を置いて彼女と話し込んでいることが増えた。使用人への指示から、私が外れるようになった。


婚約者なのに。

まだ、婚約者のはずなのに。


それでも毎晩、夢を見るたびに私は護符を刻んだ。眠れない夜が続いても、目が腫れても、止められなかった。なぜか、止められなかった。


ある朝。


婚約の証である指輪の修理を頼まれた。留め金が緩んでいたから、細工師に持って行き、受け取って戻ってきた。ただそれだけのことに、「護符の呪いを指輪に込めた」という噂が立った。


出所はシルヴィア嬢の侍女だと、後で知った。でも証明する方法がなかった。


その後、次々に隠していた護符が見つかり、「呪いの道具」として封印された。


そして、私はレオナルド様に呼び出された。


   ◆


「エリーゼ・ヴァルテン令嬢。本日をもって、あなたとの婚約を破棄します」


クレスト公爵家の広間に、親族と重臣が集められた。


レオナルド様は私を見なかった。ただ正面を向いたまま、言葉を放った。


「理由は、魔力なき者が黒魔術に手を染め、我が一族に呪いをかけようとしたためです」


広間がざわめいた。


「待ってください——!」


「この場に集まった全員が証人です。エリーゼ嬢の持ち込んだ護符については、王立魔術師団が黒魔術の典型的な手法と一致すると確認しました」


——嘘だ。絶対に嘘だ。あれは守るためのものだ。


「違います! あれは守るためのものです、誰も傷つけるためのものじゃない!」


「静かにしてください」


レオナルド様がはじめて私を見た。


「あなたが、忍ばせていた護符はすべて見つけ出し、封印しました」


その目に、嫌悪があった。


「あなたの言葉を、もう信じる気にはなれません。婚約は本日をもって破棄。今後、クレスト家の敷地に立ち入ることを禁じます」


その言葉を、私はどこか遠くで聞いていた。


隣に立つシルヴィア嬢が、哀れむような表情を浮かべていた。


その表情が、何もかもを物語っていた。


広間の視線が一斉に私に向いた。同情ではなく、軽蔑だった。


「呪いの令嬢」


レオナルド様が小声で言った。


それが広間全体に広がるまで、あっという間だった。笑い声は聞こえなかったが、誰も助けに来なかった。それが何より、冷たかった。


足元がぐらりと揺れた気がした。私は礼をして、広間を出た。廊下を歩いた。馬車に乗った。


手のひらを見つめ続けた。


護符を刻む、この手。誰かを守るためだけに動かしてきた、この手。


(私が間違っていたの? ずっと、ずっと間違っていたの?)


実は、婚約破棄の宣告が終わった後、シルヴィア嬢が私の隣に来た。


「本当に申し訳ないことになりましたね」


その声は、広間中に届くほどはっきりしていた。演技だった。哀れみを演じていた。


「でも、エリーゼさんも、ご自身がなさっていたことの意味を、少し考えてみてはいかがかしら。レオナルド様はとても心を痛めていらっしゃいますのよ」


——心を痛めている。


レオナルド様が。


私が、広間で泣きそうになっているのに。その彼が、心を痛めている。


(私の心は、誰が痛めてくれるの)


そう思った時、初めて、何かが怒りに変わった。でも、声は出なかった。いつもと同じように、出なかった。


泣けなかった。泣く場所も、泣く相手も、なかった。



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第四章 最後の光が消える

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兄のアルベルトが王都に戻ったのは、婚約破棄から三日後だった。


「婚約破棄のことを聞いたぞ、エリーゼ」


兄は私の手を取り、真剣な目で言った。


「お前の護符は本物だ。黒魔術じゃない。俺が証言する。一緒に王立裁判所に訴え出よう。証拠を集めれば、必ず——」


「やめてください、兄様」


私は静かに手を外した。


「……エリーゼ?」


「証明したところで、何が変わりますか」


「名誉が回復される。あいつらへの反撃に——」


「彼は私の言葉を、一度も聞こうとしなかった。聞いてもらえるように、私も言えなかった。……そういう五年間だったんです」


兄が黙った。


「兄様、私は……ずっとレオナルド様を守り続けていました。誰にも言わずに。夢を見るたびに、眠れなくなるたびに、護符を刻み続けた。それが私の全部だったから」


「……知ってる」


え、と顔を上げた。


「気づいていたよ。護符の材料が定期的に減ることも。夢を見た翌朝、目が腫れていることも。でも……お前が望んでやっていると思って、口を出さなかった。お前の選択を、尊重していた」


兄の目に、重いものが宿っていた。


「エリーゼ。一つ聞いていいか」


「……何ですか」


「お前は、なぜそこまでして彼を守り続けたんだ。愛していたから、だけじゃないだろう」


——刺さった。


正確に刺さった。


「……守ることが、私の存在理由だったんです」


声が震えた。


「魔力がない。才能もない。社交が得意なわけでもない。でも護符術だけは持っていた。それで誰かの命を守れれば、私にも価値があると思いたかった。たとえ彼が私を見ていなくても、私が彼を守り続けていれば——いつか、分かってもらえると」


「……エリーゼ」


「惨めですよね」


「そうじゃない。でも——」


兄が私の頭をそっと引き寄せた。


「お前の力は、お前が思っているよりずっと尊い。でも……自分を踏みにじる人間のために、その力を使い続けることは、違う」


その言葉が、最後のひびを入れた。


私が守ることへの執着は、愛ではなかった。


自己証明だった。


レオナルド様に認められなくてもいい。ただ私がいることで彼が生きていれば、そんなかたちで自分の存在を証明しようとしていた。どれほど惨めな話か。


それに気づいた瞬間、五年間積み上げてきた何かが、ぐらりと傾いた。


兄の言葉は正しかった。正しすぎて、反論できなかった。


そしてその正しさが、一番痛かった。


「……もう、刻みません。レオナルド様のためには、二度と」


その夜、今まで作りためた護符をすべて焼いた。


炎の中に一枚ずつ投げ込んだ。


初めて、泣いた。



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第五章 護りのない世界

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一ヶ月後、クレスト公爵家の馬が突如暴走した。


レオナルド様は落馬し、頭を石畳に強打した。


——私が夢で見たのと、寸分違わぬ光景だった。


命に別状はなかったが、半月の床休みを余儀なくされた。


さらにその翌週。公爵家の書斎で火事が起きた。原因は不明のまま一角が燃え、レオナルド様は軽い火傷を負った。護符が仕込んであった棚の近くだと、後から聞いた。もう護符はなかった。


さらにまたその翌週。視察に出かけた運河で乗った船が転覆した。乗員はすべて救助されたが、レオナルド様は川底に沈んだところを引き上げられたという。


三週間で三度の事故。


王都の貴族たちが噂し始めた。


「クレスト家に呪いがかかった」と。


私はその話を、ヴァルテン家の庭で水やりをしながら聞いた。


胸が痛かった。


痛かったけれど——手は動かなかった。


(私はもう、あなたのためには動かない)


ただ、それだけだった。



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第六章 真実の光

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護符術の長老・ガラルド翁が王都に現れたのは、その頃だった。


私の護符で呪われたとして、クレスト公爵家は護符に詳しいものを連れてきていた。


辺境の山奥に暮らす老魔術師で、護符術の正式な継承者。私の祖母の師でもある人だ。


翁は事の一切を耳にすると、自ら王立魔術師団の門をくぐった。


「この護符は、私の流派の正統な守護術です。黒魔術と判定した者は、基礎知識すら欠いている」


静かに、しかし明確に言った。


魔術師団の長が顔を青くした。


翁は続けた。


「この術には特殊な性質がある。術者が守護対象の危機を夢で予知し、事前に危険を排除する仕組みになっている。発動には精神力と観察力が並外れていなければならない。魔力は不要。代わりに、術者の眠りと体力を大きく消耗する。長年続けば、体に相当の負担がかかる」


そして翁は、呼び出されたレオナルド様に向き直った。


「あなたは過去五年間で、少なくとも三度、死に至りうる状況を回避している。落馬、火事、転覆、毒入りの酒、崩落寸前の橋、馬車の車軸の破損——それらはすべて、エリーゼ嬢の護符によって防がれていた」


レオナルド様の顔から、血の気が引いた。


「……そんな、はずが」


「証拠があります。破棄された護符の残骸を調べた。すべてに術者の精神紋が刻まれており、エリーゼ嬢のものと一致する。黒魔術とは全く異なる構造を持ち、傷つけるどころか、対象の危機をことごとく無効化するよう設計されている」


「でも彼女は、魔力が——」


「護符術に魔力は必要ない。必要なのは、守りたいという意志と、命を削るほどの集中力です」


翁の声は穏やかだった。静かだった。だからこそ、言葉が重く刺さった。


「毎晩夢を見て、翌朝目を腫らして護符を刻み続けた。それを五年間。あなたの命は、彼女の眠れない夜によって守られていたのですよ」


その言葉の後、王立の会議室が長い間、静まり返っていた。

ガラルド翁の証言により、護符が守護術であると証明された直後。


ざわめきが広がる中、一人の魔術師が口を開いた。


「では……なぜ黒魔術と誤認されたのか。その経緯を確認する必要があります」


書類が卓上に並べられる。

調査の結果、ひとつの事実が浮かび上がっていた。


「最初に“呪い”と報告を上げたのは——シルヴィア・ロレンス嬢の侍女です」


空気が変わった。


シルヴィアの肩が、わずかに揺れる。


「……偶然、ではないのですか?」


か細い声だった。

だが、その言葉に被せるように別の報告が上がる。


「さらに、侍女の証言と一致しない点が複数確認されています。加えて——」


一枚の紙が差し出された。


「こちらは、ロレンス家の財務状況です。近年、多額の負債を抱えていた形跡があります」


ざわめきが広がる。


「公爵家との縁談による資金援助を目的としていた可能性が高いと判断されます」


視線が、一斉にシルヴィアへ向いた。


彼女の唇が震える。


「ち、違います……私は、ただ——」


「では説明してください」


冷ややかな声だった。


「なぜ、虚偽の証言がこれほど一致しているのですか」


逃げ場はなかった。


「……っ、私は……!」


その瞬間、何かが崩れた。


「だって仕方ないじゃない! あの女がいる限り、レオナルド様は私を見てくださらないんですもの!」


甲高い声が、会議室に響いた。


「魔力もないくせに、婚約者の座に居座って……! 私は正当に評価されるべきなのに!」


誰も言葉を発さなかった。ただ、冷たい視線だけが注がれる。


「……だから、少しだけ、誤解してもらえばいいと思ったのです……あんな得体の知れないもの、誰だって恐れるでしょう?」


最後の言い訳は、もはや言い訳になっていなかった。


魔術師団長が静かに告げる。


「シルヴィア・ロレンス嬢。虚偽の報告および名誉毀損の疑いにより、正式な調査対象とします」


「待って……私は——」


その声は、誰にも届かなかった。


視線はすでに“元令嬢”を見るものに変わっていた。



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第七章 跪く人

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後日、レオナルド様がヴァルテン家の庭に現れた。


私は庭の隅で、新しい護符の材料を並べていた。自分のために刻む護符を、最近始めたところだった。


足音が聞こえて顔を上げると、レオナルド様が立っていた。


別人のように見えた。顔色が悪く、目の下に深い隈があった。あの完璧に整えられた立ち姿が、どこかすでに崩れていた。目の光が、以前と違った。


「……エリーゼ。元気にしていたか」


「はい」


「……俺は、お前にひどいことをした」


「そうですね……」


返事が早すぎたのか、彼が少し目を見開いた。


「謝罪に来ました。俺は間違っていた。だから——」


「謝罪でしたら、結構です」


また短く言った。


レオナルド様の眉が、わずかに歪んだ。


「……聞いてもらえないのか」


「聞いて、何が変わりますか」


「それは……俺の気持ちが、楽になる」


「なるほど」


私は手元の木片に視線を戻した。


「あなたの気持ちを楽にするために、私が話を聞かなければならないのですか」


彼が黙った。


「……そういう意味では——」


「あなたは広間で言いましたね。静かにしてください、と」


手を止めずに、言った。


「私が説明しようとするたびに、言い訳は結構です、と遮った。私の護符が黒魔術と一致すると、魔術師団が確認したとも言った。そしてあなたは私に向けて、嫌悪の目を向けた。私は何も言えなくなった。言えなかったのは私の弱さです。でも——」


顔を上げて、彼の目を正面から見た。


「あなたが私の話を聞こうとしなかったのは、あなたの選択です」


レオナルド様の喉が動いた。


「……俺は、間違っていた。それは認める。ただ、シルヴィア嬢から聞いた話が——」


「シルヴィア嬢から聞いた話と、五年間婚約者だった私の言葉。あなたはどちらを信じることにしたのですか」


「それは……俺が、判断を誤ったから」


「では、なぜ一度も私に直接確かめなかったのですか」


「……確かめる前に、証拠が——」


「証拠? 偽の証拠ですか?」


私はその言葉を、静かに返した。


「あなたにとって、五年間の積み重ねより、侍女の一言の方が証拠として重かった。それだけのことです」


「違う……! 俺は——」


彼の声に、初めて焦りが混じった。


「俺は、お前を信じたかった。でも周りが、シルヴィアが、魔術師団が——みんなが同じことを言うから」


「そうですか」


「お前だって、何も言わなかったじゃないか。反論もせず、証拠も出さず、ただ否定するだけで。もし本当のことを伝えたかったなら、もっとちゃんと——」


「黙っていたのは、私の弱さです」


私は彼の言葉を、静かに遮った。


「でも——あなたが私を信じなかったのは、あなたの選択です。私の弱さのせいにしないでください」


彼の言葉が、途切れた。


長い沈黙が落ちた。


「……頼む」


しばらくして、レオナルド様が言った。


「頼む、エリーゼ。もう一度だけ——」


「レオナルド様」


私は静かに首を振った。


「三度、あなたの命を救いました。一度目は三年前の毒入りの酒。二度目は一昨年の橋の崩落。三度目は去年の馬車の車軸の破損。全部、あなたは知らないまま、通り過ぎた」


「……っ」


「そのすべての夜、私は眠れずに護符を刻んでいた。誰にも言えないまま、ただあなたのために。でも——」


静かに、最後まで続けた。


「あなたが私を呪いの令嬢と呼んだ日に、私はその理由を失いました。それだけです」


レオナルド様の膝が、ゆっくりと折れた。


地面に両膝をつき、両手を石畳についた姿は、まるで何かに許しを乞うようだった。


「頼む。俺には……お前がいなければ」


「シルヴィア嬢は、どうされたのですか」


彼の肩が、びくりと動いた。


「あいつは……」


声が割れた。


「あいつは、俺が病に臥せっている間、別の男と夜会に通っていた。公爵家の名声が目当てだったと……今日の今日、分かった。護符術の件が明るみに出て、俺への評判が崩れると判断したんだろう。……最初から、俺を見ていなかった」


「そうですか」


「俺は……全部間違えていた。護符も、お前も、シルヴィアも、何一つ正しく見えていなかった。だから——」


「レオナルド様」


私は彼の言葉を、静かに遮った。


「あなたが今感じている後悔を、私は五年かけて積み重ねてきました。毎晩、誰にも言えないまま。毎朝、何も変わらないまま。それが私の五年間です」


彼が顔を上げた。目が赤かった。


「その五年間を、返していただけますか」


返せるはずがない。


彼も分かっていた。


ただ、石畳に手をついたまま、動けなかった。


「……俺は、ずっと後悔する」


「そうなるといいですね」


私は木片を手に取り、材料の前に座り直した。


「……俺に、何かできることはないか」


「ありません」


「名誉を回復する手伝いなら——」


「もうガラルド翁が手を尽くしてくださっています。あなたの助けは必要ありません」


「では、ヴァルテン家への賠償を……公式な謝罪文を……」


「それは兄様が対応します」


「エリーゼ……」


彼の声が、今度はただ疲れていた。


「あなたは……本当に、俺に何も求めないのか」


「はい」


「どうして」


「求めるものが、もうないからです」


その言葉が、最もきつく刺さったのかもしれなかった。


怒りもなく、恨みもなく、ただ「もうない」と言い切られること。


レオナルド様の肩が、静かに落ちた。


「……怒っていないのか」


「怒っていましたよ」


静かに言った。


「ただ、今はもう、その怒りを使う相手がいません」


「どうか、お帰りください。もう暗くなります」


レオナルド様は長い間、動かなかった。


やがてゆっくりと立ち上がり、振り返らずに歩いていった。


その背中を見ながら、私は初めて思った。


(ああ。もう、何も感じない)


怒りでも悲しみでも、惜しさでもなかった。


ただ、静かだった。



━━━━━━━━━

第八章 春の山へ

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翌月、私は王都を発つことにした。


ガラルド翁の正式な弟子として、護符術を学ぶためだ。


「本当に良かったのか」


出発の朝、兄が聞いた。


「はい、良かったと思っています」


本当にそう思っていた。


兄が肩を抱いて、少しの間黙っていた。


「お前が初めて護符を刻んだのは、十歳の頃だったな。俺が木から落ちる夢を見たと言って、翌朝目を腫らしながら材料を並べていた。俺が転落した時、骨の一本も折れなかった。あの時、不思議だと思っていた」


「覚えています。実際に兄様が転落した時、護符がなければ骨折していたとガラルド翁が後で言っていました」


「あの頃から、ずっとお前は誰かを守ってきた」


兄が少し笑った。


「今度は、自分を守ることも覚えるんだぞ」


私は笑った。


何年ぶりの、本当の笑いだった。


馬車が動き出す前に、一度だけ王都の空を振り返った。


高く、青かった。


(また夢を見たら——)


そう思いかけて、止めた。


今度は。


今度は、自分のため、家族のための護符を刻もう。


それだけ思った。


馬車が走り出した。春の風が窓から入ってきた。


——後日談を、少しだけ付け加えよう。


レオナルド・クレスト様は、その後も事故が続いたという。


新しい婚約者はなかなか決まらず、体の不調が重なり、半年後には家督を弟に譲ることになったとか。


「クレストに呪いがかかった」と、陰で言われるようになったとも聞いた。


呪いなどではない。


ただ、もう誰も守っていないだけだ。


私には、もう関係のない話だった。


護符を刻む手は、今や自分のために動く。守りたいと思える者のために。


自分で選んだ理由で、守れるようになった。


それだけで、十分だった。


春の山の空気は、王都よりずっと澄んでいた。


窓から空を見上げると、遠くに白い雲が一つだけ浮かんでいた。


私はそれをしばらく眺めてから、手元の木片に視線を落とした。


指先に力を込める。文様を刻む。


ただそれだけのことが、今はとても、気持ちよかった。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


「三度、あなたの命を救った私を、「呪いの令嬢」と呼んで捨てた」、いかがでしたか?


スカッとした!と少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)

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― 新着の感想 ―
仮に説明して証拠を出しても、魔力が無いという理由で信じなかっただろうね。
難しい。最初から詳しく聞いていればこんな間違いは起きなかったのかな。呪い(のろい)も読み方変えれば呪い(まじない)だから強ち間違ってはないのだろうけど、其だけの力を王家の誰一人も知らなかった事が国が終…
噂は残るからまだ社交界にはエリーゼの呪いを信じてる人いそう。でもそういう人が将来著名な呪術家になったエリーゼに助けられ驚き、あの断罪劇で笑ったことを反省する、、、な展開も有るかも?
感想一覧
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