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第九章 灰の祈り

 黄昏が落ちて星が瞬くのが早くなった。

 放課後の校舎は人の気配を失ったあと、急に薄気味悪くなり冷気を放っているのではないかと思えるほど冷たくなる。

 蛍光灯の光が、黒板の縁を青白く照らしていた。


 神崎湊は、窓際の席にひとり座っていた。

 教室の外では、夕暮れの風が木々の枝を寂しく鳴らしている。

 雨上がりの濡れた土の臭いがまだ空気中に漂って残っていた。


 机の上には、一冊のノートがある。

 ——篠原黎の日記。

 あの日、自宅の机の引き出しから突然なくなった。その日に黎の転校先の高校の先生から連絡が来て、黎の母親が黎の部屋でキャンパスノートを見つけた。その後は黎の母親から湊の自宅へ郵送され、湊の再び手元に置かれていた。


 だが、そのキャンパスノートには、湊の知らない筆跡が新たに記されていた。

 まるで時間を遡って、黎が今も書き続けているように。


「灰色の子は、三人いる」


 その一行を見た瞬間、胸の奥がきしんだ。

 黎以外にも、同じ“灰色”を背負う者がいる——?


 ページをめくると、文字は淡々と続いていた。


「初めの灰は“受け継ぐ者”。次の灰は“赦す者”。そして最後の灰は、“断ち切る者”。彼らは互いを知らぬまま、ひとつの痛みを分け合って生きている」


 息を呑む。

 その言葉の意味を考える間もなく、教室のドアが静かに開いた。


 「……そこにいるのは、神崎湊、だよね」


 声の主は、同じ湊と同じ制服を着た少年だった。

 たが、その少年は見覚えのない顔であった。

 けれど、その瞳の奥にはどこか黎に似た“影”が宿っていた。


 「君、誰だ」


 問いかけると、少年は静かに微笑んだ。

 「僕の名前は——久遠司くおん つかさ。君と同じ、“灰色の子”だよ」


 時間が止まるような感覚。

 湊は立ち上がれず、ただ相手の目をじっと見つめることしかできなかった。


 久遠司はゆっくりと近づき、黎の日記に目を落とす。

「……ああ、やっぱり見つけたんだね。それ、黎の残した“祈り”だよ」


「祈り?」

「そう。彼は、自分の罪を君に渡した。けれどそれは、君を苦しめるためじゃない。“灰の連鎖”を終わらせるためだった」


 湊の喉がひりつく。

 黎が自分に遺した手紙の最後の一行が脳裏をよぎる——

 『君自身を許してほしい』。


 「……黎は、“断ち切る者”だったんだ」

 久遠司の声が、どこか遠い。

 「でもね、彼は最後まで失敗した。君を救おうとして、君に痛みを移した。それじゃ、何も終わらない」


 湊は俯いた。

 掌の中に残る紙の感触がまだ温かい。


 「じゃあ、僕は……何者なんだ」

 「君は“赦す者”。他人の痛みを受け入れ、灰へと変える存在。だからこそ、黎の痛みが君に流れ込んだ」


 湊の脳裏に、黎の微笑みが浮かぶ。

 あの夜、彼が最後に言った言葉——“大丈夫、僕が受け取るよ”。

 その意味が今になって突き刺さる。


 久遠司は窓辺に立ち、空を見上げた。

 夜の帳がゆっくりと降りていく。

 遠くの街灯が、灰色の光を落としていた。


 「……黎はね、僕の前任だった。“断ち切る者”として、この連鎖を終わらせるはずだったんだ。けれど、彼は君を選んでしまった。灰の中で、一筋の希望を見つけたんだと思う」


 久遠司の声は、静かだった。

 湊はその言葉の奥に、微かな哀しみを感じ取った。


 「じゃあ、君は……?」

 「僕は“受け継ぐ者”。黎の祈りと、君の赦しを、この世界に残すのが僕の役目だ」


 沈黙が流れた。

 風がカーテンを揺らし、キャンパスノートのページがめくれる。

 その中に、湊は見覚えのない一節を見つけた。


「灰色の子は、人の罪を憎まない。ただ、祈る——それが人であり続ける唯一の方法だから」


 ——祈る。

 黎が最期に残した“祈り”とは、許すこと。

 そして、その許しの痛みを抱えながら生き続けること。


 湊は目を閉じた。

 胸の奥で何かが静かにほどけていく。

 重ねた罪と記憶が、灰のように静かに舞い上がっていった。


 久遠司は、そんな湊を見つめて、微かに頷いた。

 「それでいい。

  君が生きる限り、黎もまだここにいる」


 教室の時計が、午後七時を告げた。

 遠くでチャイムが鳴る。

 その音はまるで、黎が残した祈りの残響のようだった。


 湊は立ち上がり、ノートを胸に抱いた。

 「……黎、君の祈り、僕が受け取るよ」


 そう呟くと、窓の外に青白い光が差し込んだ。

 雲の切れ間から、星が一つだけ顔を出していた。


 灰色の空に、小さな祈りの灯がともる。

 それは、誰のためでもなく、ただ静かに——生きる者のための光だった。


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